Thursday, July 22, 2010

TOEFL

自分が苦労したのはなんと言ってもTOEFL(iBT)。68点から始まり106点で終了したが、受験回数は実に23回。
恥ずかしながら、こんなにたくさん受験した人は周囲にもあまり多くない。

初受験は2008年の秋で点数は68点。数年後に留学の社内選抜に合格できればと思い、表参道にあるPRESENCEというスクールに通いがてらお試し受験。
MBAの一般的なゴールが105点であることを考えるとかなりひどいが、社内選考に合格するのは数年先のことだと思っていたので「数年かけてじっくり伸ばせればいいので大丈夫」と油断していた。
ちなみに、PRESENCEでは有名な『TOEFL英単語3800』をランク3まで頭に叩き込むとともに、文章のシャドウイングをみっちり行った。個人的には、ここで英語の基礎体力を養っておかなかったらもっと受験回数は増えていただろうと思っている。

同年冬に状況は一変。数年先に合格できればと思っていた会社の社内選抜に合格してしまう。
「数年かけてじっくりと」から「1年以内に105点必須」に目標を大幅上方修正せざるを得ず、あわてて渋谷のアゴスの門を叩き薦められるがままにTOEFL・GMATの講座を申し込んだ。
アゴス開始直前のスコアが95点で、アゴス受講後にスコアは99点に。しかし、あろうことかここで油断してしまった。「100点まであとたったの1点」「100点取れば門前払いの学校はかなり減るはず」「むしろ99でもいける学校はある」等考えてしまい、本来ここでラストスパートすべきだったのにTOEFL対策をやめてしまいGMAT対策を始めてしまった。

おかげでここからスコアは気持ち良いほどに停滞。受けども受けども90点台後半。
アゴスの講座も既に終了しており改善余地もなく、数打てど当たらない日々が続いた。
テストセンターが横浜しか空いていないことが多く、毎週末早起きしてiPodでリスニングの練習をしながら横浜まで行き、試験終了後手応えのない微妙な状況で駅前のラーメン屋に通ったのが苦い思い出だ。
リスニングになると眠気を催すという症状に苛まれ、「栄養ドリンクを飲む」「朝食のタイミングを工夫する」「行きの電車ではUnderworldとかを聴いて交感神経を刺激する」「逆にジークフリート牧歌とか静かな曲を聞いて神経を高ぶらせないようにする」など、ありとあらゆる(無駄な)努力をしたものだ。

ブレイクスルーは9月、エッセイカウンセラJeffがDonaldを紹介してくれたことであった。
もともとDonaldのことは会社の先輩から聞いて知ってはいたのだが、最初アクセスしたときはタイミングが悪く満員でクラスに潜り込むことはできなかった。
その後ちょうどJeffに師事するようになった直後にDonaldの紹介を受け、タイミング良くクラスを受講できることになった。
Donaldのクラスの状況は大きく改善。受講後間もなくスコアは99から106に改善しようやくTOEFL地獄からの脱却を果たすことができた。
スピーキングのみならず、リスニングやライティングについても示唆に富むアドバイスを貰ったおかげで、各セクションのスコアがベストスコア近傍で安定するようになり、スコアを計算できるようになったのは本当に大きかった。
今でもDonoさんとは懇意にしてもらっており、Jeffとともに長い付き合いを続けていきたいと思っている。

それにしても、なんとかTOEFLこそクリアしたが、相変わらず英語についてはあまり自信を持てない。
リーディングについては英語の本をスピードは遅いものの不自由なく読める程度になったし、ライティングについても逐一辞書に頼らずとも簡単なエッセイや手紙ならさらっと書けるようになった。
しかし、リスニングやスピーキングとなるといまだに全然自信がない。
思うに、これはTOEFLで求められる英語力と現実で求められる英語力との乖離のせいなのではないだろうか。リーディングとライティングは、現実で求められる水準とTOEFLの水準に大きな差異はない。他方、リスニングやスピーキングは、現実の応答にキャッチアップするにあたってはTOEFLの定型的な問題はあまり助けにならない。
TOEFL問題が非定型的になってしまうと難しくなってしまって受験生としては困るが、実践への有用度という点においてリスニングとスピーキングは改善余地があると言えるのかもしれない。