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Monday, May 14, 2012

ヨセミテ再び

妻の両親に遊びに来てもらったので、皆でヨセミテまで遠征。去年の夏休みに続いて2回目。


自分はなぜか、一度行ったところを再訪するのが大好き。なぜかは自分でもよくわからないが、おそらく
・記憶を塗り直すという作業に快感をおぼえる
・人に連れて行ってもらったところに自力で行くことで、達成感や成長のようなものを感じることができる
といったあたりに自分のフェティシズムが潜んでいるように感じている。

なのでだいたい、初めて訪問する地よりも再訪する方が楽しいし、妻に「初めて行くAと、再訪するBどっちがいい?」と聞かれるとほぼ100%Bへの再訪を希望する(そして初めてのところを好む妻に嫌な顔をされるという様式美)。なので、今回のヨセミテも再訪なので個人的にはわりとテンションが高めだった。

※ 新しいものへのチャレンジ精神の欠如の裏返しなのかもしれないが

という2回目のヨセミテ。前回行ったときと比較するとやや滝や川の水量が少なかったが、それはさておき、雄大な自然を満喫。ネットも殆ど通じないので、色々な考え事がはかどるのがとても良かった。唯一残念なのは、その思考の殆どが帰還した今となっては忘れてしまっているということか。。。

しかしそれにしても、ヨセミテは飯がまずすぎる。。。これだけは本当に残念であるが、まあ自然公園で美味い飯まで求める自分がわがままなのだろう。。

Monday, April 30, 2012

ベイエリア遠征

友人の結婚式とかのため一路ベイエリアへ


■ 1日目

・午前中のクラスを集中できないながらも聴きつつ、終わり次第いざ出発。
・という予定であったが、出発してすぐ、結婚式のためのスーツを車に積んでいないことが発覚してとんぼ帰りするとか。
・しかも、結果的には、スーツ用の時計とベルトを忘れてしまう間抜け。
・夕方にSF市内に着いて、その足で中華街にあるRG Loungeでカニをやっつける。美味しくて会話どころではなく、気が付いたら食べ終わっていた。
・入った駐車場が、入り口が1階で、出口が4階とか。坂の街サンフランシスコならではの不思議な感じ。

■ 2日目

・朝一でUCバークレー初訪問。時計台に登るなどベタに観光。雰囲気はUCLAそっくりだと思った。
・昼はUCバークレーにいる友人家族とランチ。卒業後の話とか、互いの子供の話に花を咲かせて。会うのは一年ぶりだったので、子供の成長ぶりにびっくり。
・午後はSF市内観光。歩行者がうじゃうじゃいるところを運転するって、よく考えたらLAではありえないシチュエーションで、運転していてヘトヘト。しかも一方通行が多いし
・夜にはツイッターで教わったシーフードの店へ。時価の貝・エビ盛り合わせ等をやっつける。

■ 3日目

・一路スタンフォードへ向かい、結婚式に参加。
・友人の結婚式に参加できて、しかもそれがアメリカなので、とても楽しかった&感動。
・式のあとのレセプションも大盛り上がり。結果、ハッスルした娘にやられ、まさかのコンタクトレンズ紛失。
・その後夕方から二次会で、SFの日本人若者コミュニティのようなものの一端を体験。色々な意味で自分のいるLAとは違う感じで、色々刺激をもらう。

■ 4日目

・ソノマへ北上
・いくつかワイナリを攻略したのち、とんでもない山道を抜けてナパへ(近道かと思ったが。。)
・一日中食って飲んで。しかも宿で無料ワインまで出てきて泥酔
・夜には学校のネゴシエーション課題の実習。スカイプで同級生とネゴに花を咲かせる。現時点での感触は「会心の出来」なのだが実際は果たしてどうか。。
・妻子が早く寝たので、ワイン飲みながら色々考え事。気付いたら寝てた。

■ 5日目

・ひたすら南下、帰宅
・道中にあるHarris Ranchにて美味いステーキを平らげる。諸々の事情で娘は肉おあずけ。
・片方紛失したコンタクトレンズ、もう一方が入ったケースを宿に置き去りにしたことに事後的に気付く。ひどい。。

Tuesday, March 27, 2012

アラスカ

冬休みを利用してアラスカへ。

○ 近隣に停留所があるFlyawayを利用したのだが、もたもたしていたらバス停についたのが出発予定時刻10時を3分過ぎたあたり。あーやっちゃったと思ったらバスがまだいてラッキー。と思ったら、運転手がものすごくもたもたしていて、結局出発したのが10:30くらいで、結果論的にはバス停まで走ったのが無駄に。。

○ 行きは2回乗り換え(LAX-ソルトレークシティ-シアトル-フェアバンクス)。正直メンドくさいと思っていたのだが、やってみるとこれはこれで悪くない。それぞれのフライト時間が90分から3時間程度に抑えられるので、自分も娘も飽きたり酔ったりすることが少なくストレスが随分低減した気がする。
※乗るたび、コーラ(or各種ソーダ類)とスナック小袋というコンボをつい食べてしまったので胃はやられたが、、

○ フェアバンクスからはロッジの人の送迎によりロッジへ。そのロッジは食事はセルフサービスなので、道中Walmartに寄ってもらって食材を仕入れて(LAでも相当量準備していたが、液体とか飛行機に持ち込めないやつ)。アラスカ=極寒のど田舎=何にもない、、、みたいな想像をしていたが、さすが州内第二の都市のフェアバンクス、Walmartだけではなく一通りなんでも揃ってた。

○ で、3泊4日でロッジに滞在。創業者の一人が日本人という珍しいロッジで、客の多くは日本人みたい。昼はロッジ周辺で雪遊びをしたり、ロッジの方と世間話したり、ロッジの方の子供と娘を遊ばせたり。このような部屋拠点にまったりという旅行は先日のパームスプリングスもそうだったが、子連れだとこのくらいの方が気楽で楽しいかも。

○ 零下マイナス10度くらいの環境だったのだが、覚悟を決めていることやバッチリ着込んでいることからか、体感的には「そこまで寒くない」といった感じ。とはいえ装備がやや甘く、下半身はジーンズにいつものナイキのスニーカーだけだったので、雪遊びの最中にやや自分の装備不備がうらめしくなった(調子に乗って雪山に下半身全てを埋め込みつつ歩いたら、あやうく凍傷になりかけた)。

○ 娘は最初は雪にもびびり気味だったしソリも一人では滑れなかった。しかし、ロッジの子(娘と同年代の男の子で、当然ながら雪遊びが超うまい)と雪遊びしているうちに、その子の真似をしようしようとして、いつの間にか色々なことを怖がらずにできるようになっていた。自分と娘だけではなしえなかった短期的な成長に驚愕。

○ 夜はオーロラを見るべく夜更かし、、、のつもりだったが、初日2日目は普通に寝てしまった。最終日の夜は大当たりで、オーロラが破裂(?)して非常に壮観で感動。ロッジの方にちゃんとした写真(ISOを多めにして、シャッターをゆっくり切るみたいな?)を撮ってもらったので家に届くのが楽しみ。

○ でLAX戻り。その日は疲れをとるべく焼肉→バタンキュー。

○ それにしても、今回の旅行では、日本を意識させられることが多かった。
・ロッジが日本人とアメリカ人の共同経営で、外国で働く/外国で起業する/外国人と一緒に働く/etc という観点で色々考えさせられた
・そんなロッジゆえか、顧客の多くも日本人。宿泊客はアメリカ人が多いそうだが、「別の場所の宿に泊まり、夜だけオーロラを見るべくロッジに来てまた宿に戻る」というスタイルの日本人団体観光客が多いとのことで、自分達が滞在していた期間にも実際そのような日本人グループが多かった。入れ替わり立ち替わり日本人が大挙してロッジに押し寄せる状況だけ切り取ってみると、日本って本当に経済的に苦労してるのか、、、みたいは疑問がふと頭をよぎる。
・フェアバンクスの空港、JALとかではなくアラスカ航空の担当係員が日本人でびっくり。
・シアトル空港はターミナル間をモノレールのようなもので移動するが、その電光掲示板や車内放送が、なぜか英語と日本語のみ。スペイン語や中国語に加えて日本語、というのならわかるが、なぜ日本語オンリー?

等々。なんというか、グローバル化とか言われているし自分もそういった方向性でキャリアを進展させていきたいとか夢想しているのだが、現実は、既に相当程度日本人あるいは日本はグローバル化している。アメリカという先進国だから特にそうなのだろうが、どこに行っても既に日本人がいたり、日本企業・日本製品が普及していたり。自分のような国際性の著しく低い人間は特にそうだと思うが、「未開の日本を海外に広げてやるぜ」的無知・傲慢を捨て、「これまでに諸先輩が開拓してくれたこの基盤を、さらに太くして、長くする」という発想で臨まないとならない。MBA学生の気付きとしては低レベル過ぎる気もするが、一応気づきをメモしておく。

Saturday, February 11, 2012

ペブルビーチ

PGAツアー見学のため、あのペブルビーチへ木曜昼から土曜夜までお出かけ。我が家からだいたい片道400マイル弱。遠かったがその価値が十分ある旅行となった。実に満足v

○ ある地点を超えると、気候が急に南カリフォルニア的な気候から北カリフォルニア的気候になった気がする。具体的には、ひんやり涼しい・断続的に小雨が降る・雲が多い等。LAにいると「のぺーっ」とした雲の無い乾いた晴天が延々と続くので、こういった北カリフォルニア的気候(実際のところは知らないけど)は日本っぽくてなんだか心に馴染む。日本で夏が終わり秋が来るときの、なんだか夜が長くなり皆半袖一丁から少しおしゃれになるあの時期のうきうき感を思い出した。まあでも、LAに戻ってきてからっと晴れているのを見ると、「ああやっぱり、どっちかと言うとこれだよな」と思わずにはいられなかったが。

○ ペブルビーチ近隣のモントレーはさびれた港町といった感じだったが、隣のカーメルがこざっぱりとした避暑地といった趣きで楽しかった。モントレーが下関、カーメルが軽井沢みたいな感じ?(ちなみに妻には、「自分が行ったことある数少ない街に無理矢理旅先の街を重ね合わせるな、カーメルはカーメルだし軽井沢は軽井沢だ」と言われるのだが、悲しい哉、つい例えたくなってしまう。まあオッサン化現象だろな)

○ 初日はカーメルの「Basil」というビストロで、2日目は友人おすすめのモントレーは「Passion Fish」にて夕食。どちらも客層が良い感じで、皆おしゃれ。LAで自分の生活圏ではなかなか見られない雰囲気で、むしろ自分達の服装がカジュアルすぎて場の雰囲気を壊してしまったかもしれない。白身魚やカニ等、とてもおしゃれに料理してもらい大満足。ワインも調子に乗って飲みすぎて、初日も2日目も勉強しようとか思っていたがホテルで速攻バタンキュー。

○ そしてペブルビーチ。近隣の大学に車を停めていざ現場へ。本大会「AT&T Pebble Beach National Pro&Am」は4日間通してプロアマ戦であり、リゾート内にある3つのゴルフ場で分散して予選が行われる。自分達が行った金曜日は、お目当てのタイガーはサブコースでのプレーだったので、迷った挙句タイガーはスルーしてメインコース(ペブルビーチゴルフリンクス)に行き、今田竜二などを観戦。

コースは、、、すごい、すごすぎる。これまで見たどのゴルフ場もペブルビーチと比べると見劣りしてしまう。特に海に面した4番~8番あたりは絶景中の絶景で、「グリーンをちょっとこぼすと即海な4番」とか「海に向かって打ち下ろす7番ホール」とか、見ているだけでしびれた。TV中継でおなじみの18番もTVのまんま(苦笑)。左サイドがずっと海なのだが、2オンしたければきっちり左サイドに球を運ぶ必要がある。以前石川遼がここで戦ったとき、「右に逃げてしまって反省しきり」みたいな記事があったのを覚えているが、自分達がついて回ったプロはきっちり左サイドに運んでいて感心。

しかしコース以上に驚いたのは、敷地内の邸宅群。あのペブルビーチを見下ろす豪邸の数々。一生で一回くらいここでゴルフすることはできるかもしれないが、この豪邸を手に入れるにはどうすればいいのか、全然想像がつかない。ゴルフ場内にあった不動産屋の広告を見たら、売れ残りのしょぼ物件で$3M~$5Mといった感じ。ふーんそうですか、自分には関係ないですね(棒って感じ。。

○今田竜二に勝手に自分を重ね合わせて萌えるなど。前回Northern Trust Openで観戦したときは、同組が池田雄太と石川遼で、なんというかだらだらと日本人3人でゴルフしていたのだが、今回は今田以外は皆アメリカ人。見ていると、高校から米国にいるので当然といえば当然なのだが、普通に英語を操っているようで、同伴競技者やアマチュアなどとごく自然に冗談をやりあったりしつつ、なんというか、「外国から来たお客様」度合いゼロで、日系アメリカ人であるかのごとく場に溶け込んでいた。見る角度によってはごく当たり前の風景なのだろうが、留学生として孤軍奮闘(日本人同級生がいるので全然孤軍でもないのだが、一応学内で日本人とつるまないよう多少配慮している)している自分に勝手ながら投影させて頂く。頑張れ今田、俺も頑張るぞなんて。嗚呼手前味噌。

なんにせよ、このUSツアーで何年も生き残っている彼は化け物だ。この日も何度も衝撃的に上手なパッティングやアプローチを見せてもらい、大変目が肥える思いであった(例:グリーン奥からの下り気味のアプローチ、ふり幅は小さいもののしっかり振り切り、ほんの30cmだけキャリーさせてトロトロと6m死んだ球を転がしてベタピンとか)。

○ で帰宅。帰りは海に近い101を通り、サンタバーバラにちょっと寄り道。天国に一番近い場所と聞いたことがあるが、その日差し、空、山と海のコントラスト、こじんまりとしてしゃれた雰囲気の街並みなどを見るとまあわからんでもないという感じ。サンタバーバラのちょっと北にながいビーチ沿いの道があるのだが、そこは本当に雰囲気が良く、思わず「クラプトンのLaylaの、歌が終わったあとのギターでのエピソード部分」を運転しながら熱唱。さんざん「おおレイラ」とかうめくように歌った後にやってくるあの「ヤクが効いて、心は天国、お花畑~(^^)」みたいなあの不思議なくらい明るいあのギターのメロディがとても合う雰囲気であった。自分も死んだらこんな感じの天国へと旅立ち、「あははっ、待てよ~」と裸足・白いギリシャ人みたいなガウンとかでかわいいあの子と追っかけっこしたり花摘みしたりしたいものだ。。。

Sunday, January 8, 2012

パームスプリングス

娘と同い年の女の子を持つ友人一家と、パームスプリングスに小旅行に行ってきた。Mission HillsというホテルリゾートのVilla(キッチン・リビング付の部屋)を拠点にのんびりしてきた。

男性陣はゴルフ2ラウンド、女性人はスパ、子供たちはホテルのプール。部屋も近接していたので、多くの時間をどちらかの部屋(ヴィラタイプで、キッチン・リビング付)で一緒に過ごした。食事も一度はテイクアウトして部屋でリラックスしながら食べることができた。この、リビング付の部屋はなかなか良い。

これまでパームスプリングスに行ったときは、どうも貧乏性だったというか、予定を詰め込み過ぎていた。やれジョシュアツリー国立公園に行き、やれ買物をして、やれゴルフトーナメント観戦をして、等々。今回3回目にして、ここはのんびりするところであるということを理解できた。
今回は2泊3日の日程の殆どをホテルで過ごした。例外は男性陣のゴルフと外食くらいのもので、そのゴルフも1回はホテル敷地内なので移動は殆どなし。プールで泳いだり、ホテル敷地内を散歩しつつ隣接ゴルフ場の様子を見たり、部屋でくつろいで食べたり飲んだり、ちょっと宿題したり。昔とある地方のリゾートホテルを仕事で訪問したときに「外国人旅行客はホテル敷地内を出ないで遊ぶ」みたいな話がありうまく意味がつかめなかったことがあったのだが、ようやくその意味のようなものを体感することができた。ずっとホテルにいたにもかかわらず、あまり退屈することはなかった。そうか、これがリゾートホテルの遊び方だったのか(まあでも、友人家族とか、ゴルフとか、そういうのがあったからこそホテルを出ないで済んだという側面もあろう)。子供たちも、普段はちょっと遊んですぐ解散するところ、ずっと一緒に泳いだり遊んだり、楽しそうで見ている親も気分が良かった。

ゴルフも満喫。初日は去年訪れたLa Quintaのプレーしなかった方(Dunes Course)をアメリカ人2人とプレー。ピートダイ設計で池とバンカーが多く手こずったが(1番ホールからいきなり右半分が全部池、左が全部住宅とかいう泣きたくなるレイアウト)、緊張感のおかげか割といいスコアが出た。二日目は宿泊するリゾート内にあったGary Player Courseというところでプレー。一番最近できたコースで、前日のDunes Courseと比べると随分素直なレイアウト。にもかかわらずどうもスコアが出なかったのは、コースを囲む住宅が殆ど空き家であり薄気味悪かったから...という言い訳。おそらく景気が良い時に作り過ぎてしまったものと思われるが、空き家が並ぶ様はかなり薄気味悪かった。

ゴルフに関して、この旅行直前にeBayで買ったロブウェッジが到着したのだが、ちょっとだけ特殊なスペックなので流通量が少ないことからeBayで見つけ次第ポチっとしてしまったもの。Ping製で、一本一本シリアルナンバーが振ってあるのだが、驚くことに今回買ったロブウェッジのシリアルナンバーが数カ月前に買ったサンドウェッジのシリアルナンバーと同一だった。別々の人から買ったのに(どちらもeBay)、最初の誰かが注文したときはセットだったのだ。それを今、自分がふたたびセットとして利用しているこの不思議さときたら。新車効果かいい仕事もしてくれるし(チップインバーディーとか)、なかなか気分が良い。

本当に楽しくて、いい思い出ができた(と、ちょっと帰国が近づいてまとめモード...)

Tuesday, January 3, 2012

親来訪

昨年に引き続き、自分の両親と妹が年末年始のタイミングで来訪。

<12/28>
・夕方に親来訪。時間も遅かったので、家から徒歩圏にあるCalifornia Pizza Kitchen(CPK)で夕食。なぜか訪問頻度の低いCPKだが、行く度、「案外悪くないじゃないか」という感想を抱く。
・親が、自分達のテーブルを担当しているサーバーさん以外の人に声をかけたりしてカルチャーギャップ体験していた。でもまあ、一人のサーバーが誠心誠意ケアしてくれる米式も悪くはないけど、店内にいる誰もが自分達のケアをしてくれる日本式の方が個人的には好きかな。サーバーがチェックしてくれるのを待たねばならないアメリカ式よりも、食べ終わった後は好きなタイミングでレジに向かえば良い日本式の方が清算は気楽だし、チップがいらないし。

<12/29>
・朝一でゴルフショップへ向かう。日本よりアメリカの方がかなりゴルフクラブが安いことから、父が一揃いクラブを調達。
・その後北上してゴルフ。我々父子と、アメリカ人2人。父にとっては人生初のーそしておそらく最後のー外国人と一緒のラウンド。個人的には久々に80代が出て満足だったが、父はその日の朝に買ったクラブでよくもまあゴルフできるよなあ。。
・夜は近所の寿司屋へ。美味しいと評判の店だったので、親が来た記念で(親の金で)贅沢してみた。確かに美味しくて大満足。あまり暴飲暴食しなければそこまで無茶苦茶高くなることもない気がしたので、また家族3人でも行ってみたい。

<12/30>
・一路ラスベガスへ。繁忙期だからか、道中かなりの渋滞。
・今回のレンタカーはDodgeのJourney. 前回のYUKONと比べると一段小さく、乗り心地はちょっと???。
・メインストリート(Strip)から一本離れたロッジタイプのホテルに投宿した後、Bellagioでバフェして、噴水を見て等。

<12/31>
・早朝に、両親と妹をグランドキャニオンツアーへ送り出し、二度寝。
・娘がうるさいので、域内でゲームセンターが一番充実しているCircus Circusへ。今回は親子共々ラッキーで、人形やら何やら色々景品をゲットすることができた。
・午後に両親・妹が帰還した後、自分と娘以外を、Bellagioでやっているシルクドソレイユのショーに送り出し。その間に娘とデート。
・ショーを見終えた後は、体調を崩す者が出てきたのでホテルに戻る。年越しイベントを控えて夕方の時点でStripは封鎖されており、我々は出ることはできたが再進入はできなくなる。町全体がひどい渋滞。仕方がないので、宿の売店にあった食材を使って部屋でささやかな晩餐。正直胃が疲れていたので助かった。
・娘を寝かせた後、自分・妻・父でカジノへ。Stripの車両通行が封鎖されていたので、ホテルから歩いていけるVenetianへとぼとぼ歩く。
・あまり興味がなかったのでこれまでの訪問ではやらずじまいであったカジノであったのだが、スロットは予想通り、いや予想以上につまらなかった。自分でできることが台やレートを選ぶことくらいで判断余地に乏しく、ギャンブルとしての面白みに欠ける。
・一方、ルーレットは、勝てたからということもあるが、なかなか面白かった。どうbetするか、いくらbetするか、自分で判断できたことが面白さの要因だと思われる。あるいは、最低bet単位が$25というレートの高さに頭がヤラれたこともあるのかもしれない。一時は「ここで負けると軍資金が$25を割り、ゲーム継続不可能」というところまで追い詰められたが、最終的にはプラスで終えることができた。しかし一回$25は今になって思うと高い。点ピン麻雀なんて目じゃないレートだな。。
・最終的に、各自$100の軍資金で臨んで、自分が+$150、父が-$80, 妻が-$40とトータル黒字で終わることがfできた。
・その後年越し後のStripを練り歩いてみる。完全に歩行者天国となっており、暴動でも起きているかのような大騒ぎ。花火もやっていたらしいが、カジノに夢中で気づかなかった。

<2012/1/1>
・チェックアウト後、近所のアウトレットを経て帰途につく。
・大渋滞で、1時にラスベガスを出たのに、結局LAに戻ってきたのは夜。
・仕方ないので、帰り道にあるDin Tai Fungが開店していることを確認した上で行ってみたが大混雑。ほうほうの体で帰宅。

<1/2>
・パロスバルデス観光の後、ショッピングを挟んでRuth's Chrisで肉。家でのステーキも美味しいが、やはりプロに焼いてもらうと一味もふた味も違うような、そうでもないような?
・でLAXに送り返して終了。疲労のあまり風邪をこじらせた。

今回は前年と違って天気が良く、両親と妹を嫉妬させるには十分すぎる気候に恵まれた。飯もゴルフも観光もいいけど、やっぱりLAの最大の魅力はこの気候だよなぁと感じさせられた。

Sunday, November 13, 2011

ボストン(3)

 ■  ボストン最終日。一日観光するつもりが、前日に面接が予定外に多かったことから自分と人事部の面接が本日に後ろ倒しに。自分の面接が終わったあとすぐ帰って観光に行こうと思ったが、なんとなく逃げるタイミングを見誤り、結局昼の約束の直前までお手伝い。でもまあそのおかげでこの日だけやってきた先輩と挨拶することができたり暇そうにしている他社の人と交流することができたので負けてはいないと考えることにする。。
※それにしても、自分の面接、もうちょっとちゃんと準備しておけばよかったような。。

■  昼食の場所まで公共交通機関だけで行こうと思ったが、Silver Lineが全然来ないし、乗り換えがわかりやすいようでわかりづらく、結構大変だった。おとなしくタクシー乗っておけば良かったとも思ったのだが、結果的にボストン市内を多少散歩することができて、ニューイングランド的な(LAとはまったく異なる)街並みを満喫することができたので負けてはいないと考えることにする。。ぜひまた家族連れできたいものだ、ボストン。

■  昼を友人たちととり、その後数名でハーバード見学へ。気分は完全におのぼりさんで、HBSを見ておーでけぇと感心し、ハーバードスクエアの繁華街っぷりにおーすげぇと感心し。

■  で飛行機にのってLAに戻って終了。帰りの飛行機は、案の定、UCLA等の学部生と思われる日本人でいっぱい。彼らが自分よりはるかに上手な英語で外国人とやり取りしているのを見ると、実に複雑な心境。身勝手なことを言えば、自分のような人間に採用される立場にわざわざ飛び込んでこなくていいので、自分がうらやむような世界に半分足を突っ込むことができているのだから体全部突っ込んで行ってもらいたい。外国で揉まれて、大きくなってから日本に戻り、その変化への対応力や複数文化を自身の中で両立させる能力などを是非日本企業に還元してほしい。彼らのことをろくすっぽ知らずに適当なことを言ってしまっているのだろうが。。

Saturday, November 12, 2011

ボストン(2)

ボストン出張2日目は終日ボストンキャリアフォーラムにて採用活動のお手伝い。

■ 自社の採用活動を本格的に手伝うのは、留学直前に続き2回目。今回の役割は
  ○  面接プロセスにおける「一匹目のザコキャラ」として、十数名の面接
  ○  ブース前での案内役(=外国人が来たときに「Native speaker only, sorry」と言う係)
の2つ。

■  かなり色々なことを考えさせられたのだが、支障なさそうなところだけ数点。なお、下記は自分個人の感想・苦悩であり、数度にわたって色々な立場の人間が面接していることから、下記の問題点は少なくとも自社の採用プロセスにおいてはほぼ克服されているものと信じている。

  ○  面接官としての自分自身のキャラ、あるいは考えを100%捨象するのは難しい。客観的に見たつもりではあるが、振り返ると多分に主観が入ってしまっているように思われる。

  ○   学歴シグナリングが難しい。海外大学で自分が聞いたことのない大学の人が来たとき、実に判断に迷わされる。高々数十分の会話だけでその人の知的水準等を推し量ることはとても難しい。日本での面接の際、いかに自分が判断にあたり学歴に頼っていたことか。

  ○   出願者の様子が日本とはまったく異なる。どこまでを「ダイバーシティ」と前向きに捉えればよくてどこから「こいつ、ずれてる」とネガティブに評価すべきなのか、けっこう難しい。といいつつも、「ボストン採用者のダイバーシティは、どの企業にとってもきっと将来の財産になるのだろう」という心証形成ができた。これまでもこれからも、既存ビジネスをしっかり回すことと同じくらい変化し続けることが企業にとって重要なんだろうと思うが、日本的採用で入った人たちだけでその変化を起こすことはけっこう大変だと思われる。

  ○   交換留学「している」人が来るのはわかるが、「していた」人が来るのはアリなのか?交換留学から帰ったころには日本の就職活動シーズンが終わっていたということ?敗者復活戦になってしまってはいないのか。

  ○  自分が人事部だったら、フォーラム出展費用・チームの出張費用等のコストをサンクコストを割り切ることができるかやや自信がない。すなわち、「来ちゃったからには内定出さないと」と思ってしまいそう。。

  ○  自分も相当人数を落としてしまったし、このフォーラム全体で何千件というDingが発生したかと思うと実に複雑な心境になる。人事部の人は十字架を背負う覚悟をして臨んでいるのかもしれないが、軽いノリでやってきてしまった自分には空気がやや重かった。

 

■   空き時間には他社のブースも冷やかす。なかなか各社性格が出ていて面白かった。

  ○   外資金融:見えやすいところに配置されているのがもっぱら外国人、とくに黒人が目立った。素人お断りのため?

  ○   某ネット検索会社:イメージそのままのカジュアルな感じ。話を聞く機会があったが、内定は出さず、交流あるいはプロモーションのために出展しているとのこと。Tシャツジーンズのお兄さんがバランスボールでぼよんぼよんしながら学生と歓談している様はなかなかキャリアフォーラム的には異色であった。

  ○   某有名コンサル:びっくりするくらい受付にいる人が普通の見た目で、外資らしさが感じられなかった。今回参加していた台湾人同級生も「米国オフィスや中国オフィスにいる人間とはずいぶん違うんだな」とぽつり。


  ○   一部日系企業:説明会を聞きかじったが、自社の歴史だけで説明時間のうち十分強を費やしているところも。社歴があるので仕方ないのだろうが、もうちょっと他の話もした方が。。。



■  本フォーラムのために、全米から自社の派遣留学生が集結。2年生は自分ともう一人、1年生は3人ほど。

  ○   留学生や人事部の人たちとの会話で痛感したが、自社の人達はじつに話が早い。彼らが優秀なのかもしれないけど、どちらかというと前提となる情報を共有していることや問題意識が似ているため話が早いだけであるようにも思われる。「やっぱ自社はええなぁ」と思う一方で、話があまりにスイスイ進むことに危機感も。普段学校やらLAの町中で経験する「共有する前提がないため、いちいちコミュニケーションに四苦八苦すること」というのも同じくらい大事な経験であり、この「話がスイスイ進む感覚」にどっぷり浸ってしまうと変化への対応力やら他社や転職者とのコミュニケーション力の弱体化がありうるのではないかと懸念。

  ○   留学間もない1年生の人々(といっても社会人的には先輩とか同期もいるのだが)の英語レベルと自分の英語レベルが殆ど変わらない。すなわち、「先に1年いた分のアドバンテージ」が見当たらなかった。ぐへぇ。。仕方がないので、英語が苦手なサポート職の後輩の前で英語を使い「あらーすごいですね」みたいなことを言われてひとり自己満足に浸るなど。。


  ○  話のことあるごとに「XX部のAさんが云々」「YYチームにいるBさんが」という話になる。しかし残念なことに、ここに来る前には最初の1年を本社で過ごした後は支店やら出向やらで本社にいたことがないので、そういった固有名詞トークは殆どわからない。組織は部署名ではなく、そこにいる人々により動いていることを強く感じた。
※しかし、俺を拾い上げてくれる人は社内にいるのか・・・?誰も俺のこと知らないような。。


■   その他感想

  ○  会場内部の食べ物が異様に高い。なんだよコーラペットボトル$3.5って。ゴルフ場でもそんなに取らないぞ。しかもホットドッグも最高にまずいし。向こう数年~十数年の仕事決めようって来ている人達に対して失礼とは思わないのか。会費とってでも、もっといいもの食べさせて元気出してあげようよ>主催者殿。

  ○   学生のスペースが少ない。壁際のコンセントや、窓際の座れる場所があっという間になくなり、皆がその辺の地べたに座っている。隙間にイスだけでも置いてあげればいいのに>主催者殿。

  ○  中国人が多いのは時代か。しかし、グローバル化だなんだというが、日本において「日本語があまり話せないが優秀な人」がより多く職を得られるようにするには何かやりようがあるのかしら。自分の非英語圏での経験がないから全然確たることを言えないのだが、受け入れ側の日本人さえもうちょっと英語が使えるようになればいいのかな?

と色々あったが、まとめるなら、ボスキャリは一生に一度参加する価値が十分にある実に面白いイベントだが、採用活動は色々考えさせられることが多過ぎるので、個人的には一度でおなか一杯だと感じた。言い方を変えるなら、このような大変なイベントに高いコストと多大な準備を費やして臨んだ学生たちのことを今は心から尊敬せざるを得ない。

Friday, November 11, 2011

ボストン(1)

■ ボストンキャリアフォーラムなるものを一生に一度くらいは見ておきたいと思い、勤務先からお誘い頂いたこともあり2泊3日の行程でボストンへ。

■ ポカその1: 西海岸と東海岸の時差3時間ということは承知していたつもりであったが、実際のところ理解できていなかった件。

9時頃のフライトだったのだが、自宅で軽く朝食を食べたことから昼飯は着陸後でいいよなと思い食料を持ち込まずに飛行機に搭乗。しかし、飛行時間5時間半+時差3時間で、到着したのは約8時間後の夕方5時半くらい。正味5時間半しか経過していないのだが、朝から夕方5時まで何も食べなかったのかと思うと精神的にものすごく腹が空いて残念な気分になった。バナナの一本でも買っておけばよかったと後悔。

■ ポカその2: 空港で無駄に歩いてしまった件。

ボストン国際空港到着後にgoogle Mapで調べたところ、ホテルの近くまでSilver Lineで簡単に且つ安価にアクセスできるとのこと。それではタクシー代をケチろうと思い、到着後、空港の「Tはあちら」という看板に従って歩く。しかし何かがおかしい、えらく歩かされるし、案内が途中とぎれとぎれになるし、ターミナルとターミナルの間のずいぶん細い通路も歩くし、おかげでかなり不安に。結局バス停にたどりついたが、そこで初めてわかったのだが、各ターミナルからSilver Line直結のシャトルバスが出ていた。自分が下りたターミナルを出たところでSilver Lineシャトルバスに乗ればよかっただけの話で、ターミナル間を歩く必要は全くなかったのだ。ターミナル間を無駄に歩いた十数分とバス停でバスを待った十分程度、おとなしくタクシーに乗っておけば節約できたと思うと悔しい。ケチらなくても良かったところをケチって結果として損する典型的なパターン。。

■ その後ホテルにチェックインし、現地在住の友人と合流してBoston Symphony Orchestra (BSO)へ。

あの小沢征爾が音楽監督をしたことで有名なあのBSO、ミーハー心を刺激することこの上なし。会場はいかにも歴史館のあるほどよく小さいホールで、なんというか自分がボストンという町に勝手に抱いているTidyというイメージにフィットする感じ。感覚的に、こういったヨソイキ感とボストンの寒さは相性が良い。空港を下りたときには呪詛したボストンの寒さも、今となってはいい演出の一つに思えてきて気にならない。

友人と雑談しながら開演を待つ時間も、何やら居心地が良い。なんというかとても「おらが街のオーケストラをみんなが聞きに来た」といった感じのとてもリラックスしたアットホームな感じ。クラシックという性格上裕福層な白人老夫婦が多いが、その一方で若い人の姿も目立つ(※40歳未満の『若者』は安いというパッケージがあったからだと思うが)。

演奏もとても聞きごたえのあるものだった。弦楽器による和音がとても重厚だがすっきりしていて、きれいだなという印象(何かそんな褒め文句が美味しんぼであったような。ヒラメか何か)。特に印象に残るのは2曲目のBarberというおっちゃん作曲のピアノコンチェルト。まあ現代音楽ということなのだろうが、和音もリズムも実に先鋭的な曲。演奏の始終、一歩間違えばただの雑音になってしまいそうな和音がこれでもかこれでもかと浴びせかけられる。現代音楽を聞きなれていない自分は終始「おいおい大丈夫か」とハラハラしながら聞いていたが、ピアニストの腕の成せる技なのかオケのうまさなのか、「ギリギリセーフ、不協和音だけどなんだかきれい」みたいな状況が延々と続く。ピアニストのおっちゃんはすごいスピードでじゃんじゃかじゃんじゃかと不協和音を鳴らしていて、もはやおっちゃんがちゃんと弾けているのか実はミスっているのか判別がつかない。不思議な感じだが、全体としての印象はやっぱり重厚だがすっきりという感じ。それほど技術的な細かい話はわからないのだけど、きっとオケやピアニストの職人芸があるからこそ成り立ちうる極限芸のようなものだったのだろうと感じている。ザ・アメリカンDEBUといった感じでピアニストというよりテノール歌手なんじゃないかという感じのピアニストのおっちゃん、なかなかどうして魅せてくれた。いつも自分はコンチェルトで瞑想モードに入り無意識下で音楽を楽しむことにしているのだが(※集中力が持たずこの辺でオチてしまうだけ)、今回は思わず寝ずに聞いてしまった。

■ オーケストラの後は夕食。UCLAの台湾人同級生を交えシーフード。

台湾人君がいたので、はからずも自分と友人も英会話。最初はぎこちなかったが、気付けば英語で下ネタ等を飛ばすようになっているなど。よく見もせずに注文したら、自分のメインディッシュは魚介のフライ+大量のフレンチフライで、皆でシェアした前菜もCalamariのフライだったので随分とフライフライした感じのディナーになってしまった。しかも地ビールということで頼んだSamuel Adamsは結構しっかりしているというか濃いので、調子に乗って飲んでいたらすきっ腹にきてしまい、ホテルに着くころにはかなりの泥酔。。時差とあわせて、寝たり覚めたりが続いてしまった。

■ という感じのボストン一日目。やっぱり寒い街っていい。寒い街の夜には何とも言えないウキウキ感がある。LAの夜ではあまり味わえない感覚であり、シアトルでも同様の感覚があったのだが、この感覚をおぼえるたびに東京が恋しくなる。秋から冬にかけて東京のその辺を散歩するときの高揚感ったらないからなあ。

Saturday, September 10, 2011

アラスカクルーズ

○シアトルの港から、一週間のアラスカクルーズ。無事シアトルに帰港し、夕方まで再びシアトル観光をして、夜にLAの自宅に戻った。


・ホテルから港(Pier)までバスと徒歩で移動。Google Mapで見たらバス停からすぐっぽかったのでタクシーを使わなかったが、集合場所まで徒歩で来ている人など誰もおらず軽くやっちゃった感。まあ歩ける距離なので、タクシー代を節約できたので負けてはいないと思うことにしたい(が次はタクる)。


・ターミナルにて入船手続き。行程にカナダがちらっと入るのでパスポートとかビザとかで色々やられるのかなと思っていたが、「それはまたカナダでやってくれ」とのことで、その場ではパスポートとクルーズのチケットを確認されただけ。その他の書類(ビザに関連するDS-2019とか)は確認もされなかったので、あとで忘れたことが発覚して途中でトラブるリスクが残っているような。。


・で乗船。わりと狭くない部屋があてがわれて1週間。部屋の他は、いくつかあるレストラン・プール・デッキなどを往復する日々。船内での時間の潰し方は別稿に回す。


・行程としては、ジュノー、シトカ、ケチカンというアラスカの街のほか、カナダのビクトリア島に寄港。行く予定だったハバード氷河は、近隣の海域が嵐で座礁のおそれがあるとのことで急遽取りやめに。氷河に関して予備知識も思い入れも欠如していてしかも軽い船酔いが始終続いていた自分は「嵐を避けてくれて、船長グッジョブ」という感じ。妻は氷河を見たかったそうで、とても残念たがっていた。でもまあ、旅程が急遽変わるという出来事の方がレア感は高い気がするのだが、そういうもんでもないのかな。。ビクトリア島で入国手続きが省略されたのにびっくりするなど。これも詳細は別稿に。


・で、いくつかの街に立ち寄りつつ、一週間かけてシアトルの港に戻ってきた。UCLAのこだわり(あるいは怠慢かミスか何か)でビザが1年で失効してしまっている自分は「メキシコ・カナダなら短期滞在に限りビザなし再入国オッケー」という特例で米国に再入国。係員が心得ておらず事情を知る偉い人のような人が登場するという一幕こそあったが、基本的にはまったく問題なく(特例の現場への周知も進んでいて)再入国することができた。自分としてはこの「特例での再入国」が現場係員の無知によりトラブることを強く懸念していたので、非常に安堵。

←過度に懸念した背景:DMVで似たような「Jビザ生はSSN不要」という特例が窓口のおばちゃんに周知されておらず、しかも後ろにいたマネージャーも知らなかったため一度免許手続きで門前払いを食らったという苦い思い出が...


○という感じのクルージング。ゆったりとした時間を過ごせること・衣食住について最初に払った費用(プラスいくばくかの追加負担)だけで自由自在にできること・普段行けそうにないアラスカという地に行けたこと・船員との触れ合いなどは非常に充実していてとてもいい思い出となった。特に船員とかは一週間もいるとすっかり顔見知りになり、いつかまたどこかで会いたいななんて感傷的なことを思ってしまったほど。


しかし、船の揺れ・無限に続く暇・食べ放題の罠(食べ過ぎてしまう→気持ち悪くなる の繰り返し)といった要因により、少なからず、というかとても参ってしまった。これまで数回旅行に行ったが、帰宅後の「あーーーやっと家だ!!!もう当分家でゴロゴロしていたいな、こん畜生」的安堵感は今回の旅行がずば抜けて大きかった。お気に入りの曲の一つにJohn Hallの"Home at last"という歌(→リンク)があり結婚式のBGMでも使ったのだが、帰りのタクシーでは朦朧とした頭の中でこの曲が無限ループしていた。

*なお、この曲のビデオを探したときに気付いたが、このおっちゃんが所属していたバンドがあのOreansであった。"Dance with me" (→リンク)もこのおっちゃんの手で歌われていたのか。思いがけず2つのピースが自分の中で一つに繋がって軽い感動。そしてこのJohn Hallというおっちゃん、Wikipediaによればその後は下院議員にまでなったそうでこれまた驚き。ブログを通じて頭の整理だけじゃなく新知識が得られるなんて、ブログもやってみるものだなあ。


妻は「また是非クルーズ」というようなことを言っていて自分も「そうだね」とか調子の良いことを言ってしまったが、今の率直な気持ちとしては「もうおなか一杯です」という感じ。一週間強という日程の長さにも原因があるだろうが、とにかく疲れた。船乗りにはほんとになれないな、ということは非常によくわかった。

Friday, September 2, 2011

シアトル・アラスカ(2)

旅行2日目

○この日は終日市内散策。ホテルから歩いたら十数分でダウンタウン中心地。Pike Place Marketという大きな市場(アメ横みたいな感じ)にてスタバ一号店とかシーフードとかおやつとか。その後少しショッピングをして、夕方にはElliott's Oyster Houseという有名っぽい店でシーフード食べまくり。でホテルに戻って終了。

○シアトルの街は歩いていてとても楽しい。これまで行った街のなかではダントツ。ほどよい気温・清潔な感じのビルやアパート・そこそこ整った歩道・「人気のない一角」の少なさ・食事の美味しさ・人の感じ等々。こうやって文字に落とすと本当に些細なもので、どこだって同じじゃないかという感じになってしまうのが残念なところだが、こういった細かい要素の重ね合わせにより自分にとってシアトルという街がとても居心地の良い場所に感じられた。昔仕事でよく通った下関に雰囲気が似ているのも好感触をもっている一因なのかもしれない。LAは「将来こんなところで老後を過ごしたい」とは思うが、「こんなところで働きたい」というのはシアトルにささげるべき言葉かもしれない。

○気のせいか、LAよりも「短期留学生と思われる日本人の若者の集団」が多い。かなりの数の集団に今日一日だけで遭遇したような気がする。短期留学するなら、シアトルは確かにいい街かも。。。いかんせん留学したくなるような大学がぱっと思い浮かばないので長期留学は難しそうだけど。

○やたらベトナム料理とかタイ料理の店が多い気がする。なんだろ

○私費で留学している友人からインターンに関する朗報が届くなど。社費で就職面でさほど緊張感を持てていない自分にとって、こういった知らせは、嬉しいだけでなく自分の緩みきった心に少なからず喝を入れてくれる効果がある。ちょうどつい先日派遣元に留学終了後のキャリアについて自分の希望のようなものを提出したところでもあり、時計の針が止まっていないことを認識してちょっとだけアドレナリンが出た、ような出てないような...

Thursday, September 1, 2011

シアトル・アラスカ(1)

○9月に入りシアトルに来ている。主目的はシアトルから出発するアラスカクルーズ。
*もちろん、船という密閉された環境にて、より集中して勉学に励むためのものであり、シゴトという位置づけです...嘘

○本日は初日。朝LAを発ち、2時間半ほどでシアトルへ。シアトル空港からは電車とモノレール(!)を乗り継いで海の近くのホテル(その名も地中海ホテル)にチェックイン。ホテル近くのメキシカンで昼食をとって、近くのスーパーで水とかおやつとかを買って、ちょっと気絶して、その後セーフコ・フィールドにてマリナーズ対エンゼルス戦を観戦。イチローの2塁打を見て喜ぶなど。

○マリナーズの本拠地であるSafeco Field。マリナーズの戦績や気温が寒いからか客足はかなり寂しい。自分達がオンライン予約したライト裏の席もがらがらで、結局予約した席には座らず、空いているところをかなり広々と使うことができた。大丈夫かマリナーズ。

・そんなお寒い感じの球場であったが、バー席(正式名称不明。バーカウンターの近くのスペースにて若者がバーっぽく立ち飲みしながらワイワイガヤガヤやる感じの席。もちろん野球も良く見えるだけは大盛況。寒いのに、Tシャツ一丁の男女が楽しそうに冷えたビールを飲んでいる。風邪ひかないのか...

Monday, August 15, 2011

アトランタ(4)

アトランタ最終日。

○まず朝はキング牧師の記念館を訪問。ここアトランタの黒人コミュニティはキング牧師が牧師としての仕事をしていた故郷とのこと。キング牧師は高校の英語の授業で「I have a dream」スピーチを聞いたり読んだりして以来だが、改めてその当時の黒人の置かれた状況の悲惨さや彼の業績を知り驚かされた。なんというか、今自分が住んでいる(平和な)アメリカは、当時の公民権運動であったり人種間対立であったり、そういうものを乗り越えた結果であり、最初から今のような状態であったわけではまったくないことを痛感させられた。LA暴動についてもちょっと勉強してみないとなと痛感。
また、白人の側にも学生などを中心に黒人の公民権運動に協力する人が少なからずいたことや、また別の白人がKKKやその他いろいろな形で公民権運動を暴力的・政治的・その他色々な形で妨害していたことやその妨害の激しさなど、より詳細な事実を学んだことで問題の重さのようなものがぐっと胃に落ちてきた。「既得権の側にいる人間がその既得権を脅かされそうになるときどれだけ非人間的になることができるのか」ということは、人種問題を超えてよく理解しておくべきだと改めて実感(自分も将来、何らかの形で既得権者となり、善であると固く信じて白人が黒人にしたようなひどいことをしてしまうこともありうるわけで。言う人によっては、企業の正社員という立場が現代日本における最大の既得権層であるという意見もあるわけだし)。

・ひとつなんとなく不思議に思ったのは、キング牧師はあれだけ多くの黒人たちをどのように統率できたのだろうかということ。黒人といっても貧富・教育など色々な点で黒人内に差があっただろうし、いまの政治ではないが「総論賛成、各論反対」みたいなことが起きていなかったことはないのではないだろうか。例えば、彼の掲げた非暴力非服従をベースとした抵抗というのはかなりラディカルであり、例えば白人に家族を殺された黒人にしてみればそう易々と受け入れられるものではなかったのではないか等々思う。あるいは、黒人の中にも既存の差別構造の中でちょっとした既得権のようなものを享受していた人がいるかもしれないわけで、そういう人達をどのように運動に巻き込んだのか気になる。公民権獲得という大義のために、考え方が微妙に異なる色々な黒人のグループが小異を捨てて団結したのか、あるいはキング牧師が何らかの手段によって黒人をひとつにまとめあげたのか、あるいはそもそも黒人がひとつにまとまっていたわけではなくキング牧師の支持者というグループが一つあっただけということなのか...
ということを思ったのは、自分の個人的な問題意識として「考え方の異なる人々の集団を、ひとつの考え方を強制するというやり方以外の方法でうまくまとめ上げ、ひとつの大きな結果を達成するためにはどうすればいいのだろうか」というものがあり、キング牧師はその問題を解決したのではないかと思われたのだ。小異を捨ててもらうことだってそれほど簡単なことではないと思うし、増してやリーダーの考え方を押し付けるやり方はムラ社会ならさておき今後チームがグローバルになっていくにつれてどんどん難しくなっていくだろうし。現時点の個人的仮説としては、「メンバーの皆が納得できて、自発的に小異を捨ててくれるような強い目標を思いつき、掲げること」くらいしか解決方法が思い浮かばないのだが、何かキング牧師から学べることがあるのであれば勉強してみようと思った次第。

・キング牧師の足跡を追っていて、いわゆる南部の州の地名がぽこぽこ出てくるのを見て、いくらなんでももう少しアメリカの地理を知っておきたいと痛感。夏休みの宿題がひとつ追加された。


○その後はStone Mountainという自然公園をちょっと見たりしておしまい。レンタカーを返して、LAに戻って。
・ある意味においてはアトランタはLAと変わらなかった。地方都市といった感じの地理的位置、ダウンタウンの雰囲気、等々。他方、ある意味においてはアトランタとLAは大きく違った。ひとつは歴史感。ダウンタウンの建物はそんなに古くなさそうだが、郊外の豪邸とか、あるいは地名にもLAのような「とりあえず有名な固有名詞を借りてきました」感がないというかオリジナル感があったし。他には人々の態度。アジア人の少なさや、外国人に対する対応、子連れの人に対する対応というあたりで細かい差が細々とあり、全体としてLAの方がはるかに住みよい印象を与えた。白人と黒人が全然交流しておらず別々につるんでいたのもかなり気になったし。まあこれは以前も書いたが、LAが良いアトランタが悪いという問題ではないのだが。。いずれにせよ、LAひとつでアメリカを知ったように語ってはいけないということを身を以て感じることができたように思っている。なんだかほんと、年を取って経験を重ねれば重ねるほど、全ては相対的かつ動的であり、物事に対して断定的なことを言うことなどできやしないということだけがわかってきているようで、実に生きづらい。。

アトランタ(3)

引き続きアトランタ。

○4日目は郊外にあるゴルフ場にて、PGA Campionshipというプロの大きな試合の最終日を観戦。主だった人々の多くが予選落ちしてしまっていて、且つ3日目終了時点での上位陣が地味な人たりばかり。ちょっとなぁ...と思ってはいたが、なんだかんだで有名人も見られたし(ガルシアとかミケルソンとか)、メジャー級のコースセッティングというものがどんなものか目に焼き付けることもできたし、かなり有意義な一日であった。しかし500y超のパー4で、池越えのグリーンで、ドッグレッグな18番は難しすぎだと思う。。ミケルソンは最終日も2打目を6番アイアンでパーオンさせたそうだが、人によっては3打目勝負と割り切り、ティーショットをフェアウェイウッドで打っている人もいた。

その他細かい感想:
・メジャーの試合で決勝に残るほど腕が良く調子も良い選手たちはやっぱり小技がすごい。バンカーに入れてもほぼ確実に1m以内に寄せるし、パットも2m以内は大体入れるといった感じ。それでも優勝スコアがたったの8アンダーなのだから驚き。
・ティーアップの高さが千差万別。普通に2cm~3cm程度(ふつう)にしている選手もいるが、結構な数の選手が1cm程度のティーアップでドライバーをかっ飛ばしていた。フェアウェイウッドでも打つのかと思ったら、その低いティーアップで普通にドライバーを300yくらいかっ飛ばしている。そんなの打てる気がしないんだけど...
・ガルシアに11番から18番までついていたのだが、ゴルフもすごかったしキャラも濃そうだった。普通プロの試合では同伴競技者のプレーに一々祝福したりドンマイと言ったりすることはないのだが、同伴競技者が難しいパーパットを入れたのを見たガルシアはニヤリとしながら相方を祝福していたり。なんだかとてもいい奴であるようで、上がり数ホールはすっかり同伴競技者とガルシアは仲良し状態。ずっと一緒に寄り添って談笑しながら歩いていた。
・相変わらずミケルソンは大人気。結局彼はイーブンパーの20位くらいで終了したのだが、彼が終わったらかなりの人数の客が帰ってしまっていた。。

○ゴルフ観戦終了後は、ゴルフ場近くにある韓国人街へ。コリアタウンのような都市型のエリアではなく、トーランスのような地方都市っぽい感じなのだが、こんな南部の街に何故というくらい大量のハングルの店があり壮観。で駐在員妻ブログを参考に入った店でビビンパとかを大満喫。娘もひさしぶりにご飯を食べることができてご満悦。

Saturday, August 13, 2011

アトランタ(2)

アトランタ旅行の続き。

○3日目は空港まで地下鉄(MARTA)で行き、空港に隣接するHertzでレンタカーを借りた。で、とりあえず駐在員奥様ブログを頼りに評判の良いタイレストランで昼食をとり、その後車でどこに行こうかと家族会議。せっかくなのでマスターズの開催地オーガスタインターナショナルがある州最東端の街Augastaに行ってみようかと思い立ちI-20をしばし走ることにしたのだが、すぐ眠くなり途中下車。そこで妻が再調査したところ、オーガスタインターナショナルは一般人の入場ができないとわかったのでダウンタウン方面へUターン。

結局思いつきで地元の名門大学であるエモリー大学へ。あまりに暑くて殆ど散策もしていないのだが、UCLAに似た感じというか、プリンストンっぽいとも言えるような、いかにもアメリカの郊外型大学といった静かでこぎれいな感じ。ここのMBAはゴイズエタスクールといういかつい名称であることだけ知っていたのだが、今回知ったことによればこのゴイズエタさんは地元名門企業コカコーラのCEOだったとのこと。地元にコカコーラ社(のみならずCNNとかDeltaとか)があり、その支援を受けているエモリーMBA、結構いいプログラムなのかもしれない。コカコーラの研究するだけでマーケティングとかずいぶん蓄積できそうだ。

その後は近隣有数の高級住宅地とされるBuckheadへ。高級住宅街なんてビバリーヒルズとかで見慣れているつもりであったが、なんというかここはケタが違う感じ。もうこれ絶対家じゃないだろ、レストランか博物館かゴルフのクラブハウスだろというどでかい建物が森の中にぽつりぽつりと立ち並ぶ様は、高級住宅地ビバリーヒルズを近隣にもつ自分にとっても改めて驚きであった。

Buckheadを見て感嘆した後は、その近隣にあるショッピングモールへ。かなりの人が入っていて大盛況。昨日の野球のときも思ったが、ダウンタウンにはたいして人がいないのに、こいつらいったいどこから来ているんだろうと不思議な感覚。でもまあLAと同じか。その頃までにかなり暑さにやられていたので、モール内にてハーゲンダッツのシェイクを買ってほとんど一気に飲み干したら、なんだかその後強烈に体調が悪化。ホテルに運転して帰るまでの記憶も朦朧としているし、部屋に戻った後も食事時なのに30分くらい気絶してしまった。あれなんだったんだろ。起きたあとも体調は良くなかったが、とりあえずホテル近くのステーキ屋に入ってみる。とりあえずシエラネバダを飲んでみたら、思いがけず体調が多少持ち直し、結局ステーキもおいしく頂くことができた。とても非日本的なステーキというか、脂っ気が少なく赤身主体の肉。もしかすると日本人の口には合わない類のものだったのかもしれないが、これはこれで美味しいような気がした。アメリカに来て一年経って、アメリカ的な食べ物に対する許容範囲が広がったような気がしていて、まあ悪くないのかなと思っている。

Friday, August 12, 2011

アトランタ(1)

アトランタ出張

○初日は午後一番くらいの飛行機に乗って、時差もあって現地に夜到着。ホテルついて寝て終了だが、時差でうまく眠れず。
・タクシーで通った限りでは、アトランタのダウンタウンもLA同様人通りが少ない感じで、あまり歩き回りたい感じではないが...駐車場が多いので、なんとなく虫食いな感じにも見える。


○2日目は市内を徒歩・公共交通機関で散策。

・まずコカコーラ博物館へ。あまり期待せずに行ったがなかなかのもので思わず感心してしまった。コカコーラ社あるいはコカコーラの歴史、これまでやってきた各種取組などを見るにつれ、MBAで聞いた話、特にマーケティング関連の話と自然に結びついて「あ、これって授業で言っていたあの話だ」というアハ体験。マーケティングリサーチに基づいて配合を変えた新しいコーラを出したら消費者の根強い抵抗にあって慌ててもとの配合のコーラをクラシックコーラとして売り出した話とかはブランドエクイティの話そのもの。あるいは、コーラそれ自体の良さを説明する広告から、コーラにあうライフスタイルを提案する広告への切り替えといった話もいかにもマーケティング的である。将来マーケティングで飯を食っていこうとしている人にとっては、このようなコカコーラ社の取り組みは古典として確実に頭にいれておくべきものなのだろう。その一方で依然として晴れない疑問は、そういったコカコーラの取り組みとMBAの授業はどのようにリンクするのだろうかというもの。ファイナンスであれば、DCFやら何やら基本的な評価手法を一通り押さえておけば、新たな企業やプロジェクトが出てきても既存理論で対応できる可能性が高いように思われる。その一方で、企業が今後直面するマーケティング的問題は典型的なものというよりは個別的なものである可能性が高く、ファイナンスと比較して「基本ツールで対処できる程度」がかなり小さいように思えてならない。コカコーラ社のマーケティング関連の取り組みをおさらいするのは当然だが、だからといってその学びはファイナンスのようにきれいに自分の顧客の問題に応用できる可能性が小さいように見える。たぶん自分がマーケティングのことを曲解しているだけだとは思うが、どうもこの気持ち悪さがMBA後一年たっても抜けない。

・その後はジョージア州立大学近くにあるハンバーガー屋へ。これまでのアメリカハンバーガートップ3を塗り替える美味しさに感動。これはまた来たい。

・次いでCNNの一般人用見学ツアーに参加。ニュース番組作成の裏側など。非常に洗練されたオペレーションに感心したが、そういったオペレーションに伴う高コストと、近時の無料動画のリアリティ・速報性・低コストといったあたりに思いを馳せると、果たしてCNNや他のテレビ局はどのようにしてその高コストを正当化し続けることができるのだろうかと少し考えた、が全然わからない。そもそも脅威にさらされているのかどうかも不明。。

・夕方からはアトランタブレーブス対シカゴカブス戦を観戦。たまたま、昨年まで監督であった名監督氏の背番号の永久欠番セレモニーに重なり、いい感じの祝福ムードに軽く感動。また、その後の試合展開もなかなかドラマチックで面白かった(HR8本くらい→カブスのピッチャーが意図的っぽい危険球で一発退場)。

・黒人がとても多い。これまで行ったことがある街のなかでもたぶんダントツ。特にLAは黒人が少なくヒスパニックが多いので、全く逆の状況にかなり面食らう。「タバコくれ」とか「券売機ではなく俺から切符買わないか」とかその手の接触が数回あり多少緊張するなど。

・アトランタは思っていたよりはずいぶん都会で国際的。調べたら、現在までに南部の中心都市としての地位を確立しているとのことで、ぱっと歩いていると日本人っぽい人も結構歩いていた。しかし、外国人特に日本人にとって超イージーな街であるLAから来た自分達は、少しではあるが外国人に対する町の人の冷たさのようなものを感じた(わざと早口でもごもごと話して、聞き返したら嫌な顔をするとか)。その辺の黒人の人たちだって結構なまっているように思うが、どうも外国人に対するスタンスはLAのように無制限に優しいわけではない感触。まあこれが普通なんだろうな。

Thursday, June 30, 2011

フロリダ(3)

○ディズニーワールドを3日間歩き回って、その次の日からレンタカーを借りて一路オーランドからマイアミへ。Hertzでは念のため自動車保険を付けたが、もしかするとこれは自家用車用の保険を使いまわせたのかもしれない。。マイアミについたその日はホテル近辺でのんびりと海・プールなど。夕食はYelpで見つけて行ってみたイタリアンへ。Yelpは食べログよりも信用ならない(主に口コミしているアメリカ人の味覚と日本人の味覚が異なる)のであまり期待していなかったが、行ってみると普通においしくて大満足。米国生活で一番おいしいピザだったかも。

○翌日は一路、米国最南端の街キーウエストへ。日帰りできないこともないらしいが、街を楽しみたいこともあり一泊。こじんまりとしたとても素敵な街。湿っぽい気候・ごちゃごちゃした街並みといった要素が日本を思い出させたのかもしれない。あまりに雰囲気が良かったので、「仮に妻子に先立たれたら、その哀しみを背負いつつひっそりと暮らすにあたってはまさにうってつけの街かもしれない」などと妄想。哀しみを背負い心を閉ざした初老の自分が、ある日出会った少年のひたむきさに心を打たれ少しずつ情熱を取り戻していき・・みたいな映画どっかになかったっけ。そんなことを思い、この仮説をためしに妻にぶつけてみたが鼻で笑われて終了。まあ自分でこうして書いてみても、自分がそのとき思ったアンニュイな心情は全然出ていないから仕方ないか。名物はコンク貝というものだそうで自分もトライしてみたが、揚げてケチャップで食べるので歯ごたえ以外の個性はあまり感じ取れず。帰途に食べたマヒマヒはとても美味しくて感動したが、ガーリックバターソースが苦手な妻の感動は得られず。うう

○でマイアミに戻って一泊してLAに戻った。フロリダは全体的に湿度が高く、日本の気候にとても似ている印象。LAにいるとあまり日本を思い出さず、日本に帰りたいとも全く思わないのだが、フロリダで数日過ごしただけで不思議と日本が懐かしく思えてくるなど。

○これにて夏休みに予定していた旅行はひとまず終了。もうちょっと回りたいが、あとは財布と相談といったところ。暇なはずの夏休みだが、序盤に予定を詰め込みすぎて完全に息切れ。帰宅したその日にうっかり近所のゴルフ場に行ってしまったが、さすがに疲れが出て9ホールでリタイアしてしまった。読みたい本ややりたい勉強も殆ど進んでいない。うーん、危機意識の醸成はできたので、きっと7月からなんとかできるかな。。

Sunday, June 26, 2011

フロリダ(2)

○数日ほど、夢の国ディズニーワールドを行ったり来たり。宿泊先から出ている無料バスの時間が微妙で、いつも帰りが夜遅くになってしまい、毎晩バタンキューしていた。東海岸と西海岸の時差もあり(3時間:フロリダの朝7時起床=LAの早朝4時起き=無理だってば)、朝もつらいのなんの。

○以下ネズミーワールドの思い出

・広過ぎ。東京ドーム何個分だよっていう広い敷地内に、テーマパーク4つのほか複数のホテル・ゴルフ場・その他が入っているということでびっくり。

・気候が完璧ではなかった。まず全体的に湿度がLAと比較して高く不快指数がとても高い。汗っかきの娘とかは普通に歩き回っているだけで風呂上りみたいに髪が濡れていた。そして雨。初日は夕立2回+本降り、2日目は昼から本降り。パタゴニア君が初めて雨具として貢献してくれた。NYCとかシカゴから行くオーランドは素晴らしいかもしれないが、LAから行く場合気候面での感動は薄い。とある売店のお兄さんがLAの南にあるアナハイム(本家ディズニーランドの所在地)出身だったのだが、「正直あっち(西海岸)の気候の方がいいよね」と言っていてこちらも同意。

・ブラジルから来ている修学旅行生がものすごい数。中にはロナウジーニョの面影がある残念な子もいたが、総じて美人、あるいは将来美人になりそうな女の子がぞろぞろ。将来が楽しみ(?)

・人種構成がLAとは明らかに違い、黒人がずいぶん多い印象。

・感覚的に、日本のディズニーランドより総じて空いている。一時間待ちとか、そういうのは殆どなかった。最後の最後に妻子を置いて絶叫マシン(Tower of Terror)に行ったがこれも待ち時間ゼロで、心の準備をする暇もなし。ちなみに久々の絶叫系はかなり怖かったが、隣のラテンなおばちゃんがものすごくガハハとうるさくて、怖がるというより苦笑してしまった感じ。終了後はそんなラテンおばちゃんとハイタッチ。

・たまに「スタッフの対応は本場アメリカより日本の方が上」とか聞くが、個人的にはアメリカの接客の方がより自然だと感じた。日本の「はーい皆さん、こーんにーちはー」的な嘘くさい喋り方にはつい引いてしまうが、同じようなわざとらしいナレーションも英語でやられるとそんなに違和感がない、、、なんて思ってしまうのは「邦楽はだめだ、やっぱり洋楽だよな」とか言ってる中学生と変わらんのかも

・美味しかったもの・・・モロッコ館のカフェにあったチキンラップ(Epcot)、ドイツ館のビール(同)、Mama Melrose's Ristoranteというイタリアン(Hollywood Studio)、Pork Burger(Animal Kingdomのどこぞの売店)、どこぞで飲んだコーラフロート(普通だが、久しぶりでおいしかった)

・美味しいというほどではないが安定感があったもの・・・日本館のカレー、うどんの類(Epcot)

・残念だったもの・・・3ドル近くする各種ソフトドリンク(これが夢を見せてもらう代償なのか・・?)、ハンバーガー等、その辺の"Refreshment"で打っている食べ物ほぼ全部

・Magic Kingdom:東京ディズニーランドと殆ど同じ感じだが、「あ、これ、日本にもあるよね」的な楽しみ方ができる。一番安定感があり楽しめるかも。

・Epcot:アトラクションは少ないが、キャラクター撮影所(ミッキー、ミニー、ドナルド等と写真を撮れるという場所があり、パーク各所をふらついているキャラクターを探す手間が省ける)や世界の名店街は魅力的。日本館のところに厳島神社っぽい水中鳥居があったのが痛く感じられたが、もしかするとメキシコ人もマヤ遺跡風のメキシコ間を「痛い」と思っているのかしら。アトラクションではキャプテンEOを見ることができて良かった。マイケルジャクソン凄すぎ。ストーリー自体は荒唐無稽だが、彼のスター性のおかげでなんだか感動できた。

・Animal Kingdom:雨に降られていまひとつ満喫できなかったが、とりあえず動物に萌えることができるなら楽しいと思う。キリンとか象とかいるので。

・Hollywood Studio:意外と楽しい。ショー系のアトラクションが多いので、親子で楽しむにはいいのかも。公園のような遊び場があったので、子供のストレス解消に良かった。夜のショーを見たが、怖すぎて子供が泣いてしまった。個人的には美女と野獣のミュージカルが良かった。どうも自分はあのテーマソングを聞くと涙腺が緩む仕様になっているようで。。美女と野獣は、ディズニーの話のなかでもいちばんヤヤコシイというか、善悪がはっきりしておらず、見た目が悪な野獣がいい人だったり、美男子白人が悪人役だったり、その彼も基本的には善意をもって野獣を倒しにいっているし、、、等々。あと、LAに住む身としては、「あ、ここSunset Boulevardだってさ」といった地元ぶった楽しみ方も。

・仮に次回があるなら、ホテルとパークの移動が大変なので、多少高くてもパーク直営のホテル(無料バスがたくさん出ている)にしようかな。各パークごとに駐車料金を取るので、レンタカーはあまり得策ではなさそうだし

Thursday, June 23, 2011

フロリダ(1)

今日からフロリダ。ヨセミテから中一日で、体にガタは来ていないがなんとなく精神的に「万全ではない」感覚。

○空港までは今回初めてバスを利用。ひとり5ドルで、クルマを使うと旅行のあいだ中発生する駐車料金もないし、クルマみたいに空港近隣の駐車場から空港まで別途移動する必要もなくダイレクトにターミナルまで行くことができるしなかなかに優れている。車がおんぼろで、道中びっくりするほど揺れたのが驚きだったが。。

○航空会社は今回初めてVirgin。「格安系のひとつ」というくらいの認識しかなかったのだが、思いのほか要所要所がカッコよく設計されていて気に入った。チェックインスペースでCDショップ的な音楽が大音量で流れていたり、チケット等のデザインが恰好よかったり、飛行機内の照明が紫色だったり、フライトアテンダントの服装がかっこよかったり。明らかに他の米系航空会社とはその洗練度合いが異なる。肝心の航空機も比較的新しくとてもきれいだったし。
「音楽ビジネスと航空ビジネスのシナジーってなんじゃらほい」「厳密にいえば、同じ会社が音楽と航空とを運営する必要はなく、別々にやった方が望ましそうだな」とか思っていたが、思いのほか音楽ビジネス(あるいはエンターテイメントビジネス)で培ったものは他業種に応用可能なのかもしれない。おそらくエンターテイメントビジネスで揉まれることなしには体得不可能な美的感覚と金銭感覚の混合したようなものがあり、そういったものを強みとして備えているこのヴァージンという会社に限定していえば、通常MBA的には褒められたものではないコングロマリット経営にも理があると言えるのかもしれない。
振り返って日本の企業はその辺の「クールさ」をどのようにして自社内部に取り込んでいるのだろうか。広告代理店まかせ?若手の意見を汲んでいる?あるいは「クールさ」ない経営になってしまっているとか。

○オーランド到着。アクセントはオでなくラにつくらしい。3時間の時差は結構効いていて、どうも体内時計がくるってしまっている感覚。プールに行ったら早速夕立がパラパラくるあたりにフロリダを感じさせてもらった(LAでは夕立という概念はたぶん存在しない)。

Monday, June 20, 2011

セコイア・ヨセミテ(3)

○ヨセミテふもとの街Oakhurstの宿を出て一路ヨセミテ国立公園へ。Oakhurstから走っている41号、ヨセミテに近づくにつれて細く・しかもウネウネしてくる。いろは坂みたいな曲がりくねった道で娘が車酔い。

○公園入口。グランドキャニオンのときに購入した年間パスを見せたら、IDとの照合などもなく、昔の日本の有人改札くらいのあっけなさで「はい、どうぞ」と通ることができてしまい拍子抜け。

○日曜ということもあるが公園はすごい人。とりあえずロッジに車を停めて…なんて思ったが、ロッジの駐車場が一杯で車を停めることすらできない。仕方がないので初日は始終車で移動し、Bridal Veil Fall, Glacier Pointなどを冷やかす。学んだことは
①滝は遠くからながめるのが一番(Bridal Veil Fall・・・至近距離ではもう何も見えず、ただびしょ濡れになるだけで苦笑)
②Taft Point(手すりもないところにある絶壁)は6月でも雪が残っていて立ち寄りが困難、といったあたり。
その後ロッジのフードコートで夕食。そこそこだが、所詮そこそこなので、安いパスタとかにしておけばよかった。ちなみにここの朝食で食べたオムレツは美味であった。

○ヨセミテと言えば熊。熊対策で、車中に食べ物の類は一切残さないよう指導を受ける。ロッジ受付でも「車を物色する熊のリアル隠し撮り映像」が流れていて緊張の度合いが高まる。我々もすっかりびびって、食べ物はおろか食べかすが残っているかもしれないというだけの理由でチャイルドシートを部屋に運んだり、色が派手で食べ物と誤解されるかもしれないという理由でiPodを隠してみたり。結局何事もなく終わったが、ネタとしてはやはり、「夜に寝ぼけて外で立ちしょんしに行ったら森のくまさんとばったり遭遇」的な体験をしておきたかったような未練も0.1%ほど残っている。まあ部屋にトイレがあるので立ちしょんはしにいかないのだけど。

○翌日は構内を周回しているバスを利用してトレッキングなど。ロッジ近隣にあるYosemite FallはBridal Veil Fallと異なりほどほど遠い、でも遠すぎもしない絶妙なポイントから滝壺を見ることができたが、距離があるにもかかわらず大量の霧状の水しぶきが飛んできて娘も大喜び。あと、Miller Lakeに立ち寄ったが、バス停から1マイルの散歩は子連れには実にちょうど良い距離感。湖は雪解け水だからかびっくりするほどの冷たさ。心臓麻痺するかと思った。。

○で終了、来た道を戻って、Oakhurstを通り過ぎてFresnoで逗留。帰途はうねうね道を妻が運転してくれていたのだが、今度は後部座席にいた自分が車酔い。死ぬかと思ったが、道が真っ直ぐになった矢先、OakhurstにあったJumba Juiceで回復。こんなときにすっぱいジュースなんて飲んだら胃の中身が逆流するかもしれないとも思ったのだが、結果的には回復できてラッキー。

○Fresnoは地理的にはLAとSFの中間地点ほどにある街で、建物はどれも低く広々としていて、全体的にのどかな感じをおぼえた。しかしこの手の中小都市の経済って、いったいどのようにして回っているのだろうか。特に主要産業がありそうな感じもないが、結構な数の綺麗な住宅が立ち並んでいる。普通に街の病院で事務員をするとか学校の教諭をするとか、そのくらいでも立派な家+クルマ1、2台が手に入ってしまうものなのか。フレズノに限らず多くの街で、肌感覚的に「その町にありそうな仕事」と「その町の人々の暮らしぶり」に乖離がある(不思議と皆いい家に住んで車を1~3台所有している)のだが、これってどういうことなんだろう。物価水準に比して給与水準が高いのか、あるいは家や車が割安なのか(そんなことはない印象)、それともEasy Creditのおかげなのか。大学、さらにはMBAを出るにもかかわらず物質的には「そこそこ」の暮らししかできないであろう、おそらく持家を持つことはないだろうし車も下手したらもう買わないかも...なんて景気悪いことしか考えられない自分からすると羨ましい限り。

ま、そんないらぬ心配をしつつ、明日フレズノからLAに戻ったらこの旅行もおしまい。