Saturday, September 10, 2011

アラスカクルーズ

○シアトルの港から、一週間のアラスカクルーズ。無事シアトルに帰港し、夕方まで再びシアトル観光をして、夜にLAの自宅に戻った。


・ホテルから港(Pier)までバスと徒歩で移動。Google Mapで見たらバス停からすぐっぽかったのでタクシーを使わなかったが、集合場所まで徒歩で来ている人など誰もおらず軽くやっちゃった感。まあ歩ける距離なので、タクシー代を節約できたので負けてはいないと思うことにしたい(が次はタクる)。


・ターミナルにて入船手続き。行程にカナダがちらっと入るのでパスポートとかビザとかで色々やられるのかなと思っていたが、「それはまたカナダでやってくれ」とのことで、その場ではパスポートとクルーズのチケットを確認されただけ。その他の書類(ビザに関連するDS-2019とか)は確認もされなかったので、あとで忘れたことが発覚して途中でトラブるリスクが残っているような。。


・で乗船。わりと狭くない部屋があてがわれて1週間。部屋の他は、いくつかあるレストラン・プール・デッキなどを往復する日々。船内での時間の潰し方は別稿に回す。


・行程としては、ジュノー、シトカ、ケチカンというアラスカの街のほか、カナダのビクトリア島に寄港。行く予定だったハバード氷河は、近隣の海域が嵐で座礁のおそれがあるとのことで急遽取りやめに。氷河に関して予備知識も思い入れも欠如していてしかも軽い船酔いが始終続いていた自分は「嵐を避けてくれて、船長グッジョブ」という感じ。妻は氷河を見たかったそうで、とても残念たがっていた。でもまあ、旅程が急遽変わるという出来事の方がレア感は高い気がするのだが、そういうもんでもないのかな。。ビクトリア島で入国手続きが省略されたのにびっくりするなど。これも詳細は別稿に。


・で、いくつかの街に立ち寄りつつ、一週間かけてシアトルの港に戻ってきた。UCLAのこだわり(あるいは怠慢かミスか何か)でビザが1年で失効してしまっている自分は「メキシコ・カナダなら短期滞在に限りビザなし再入国オッケー」という特例で米国に再入国。係員が心得ておらず事情を知る偉い人のような人が登場するという一幕こそあったが、基本的にはまったく問題なく(特例の現場への周知も進んでいて)再入国することができた。自分としてはこの「特例での再入国」が現場係員の無知によりトラブることを強く懸念していたので、非常に安堵。

←過度に懸念した背景:DMVで似たような「Jビザ生はSSN不要」という特例が窓口のおばちゃんに周知されておらず、しかも後ろにいたマネージャーも知らなかったため一度免許手続きで門前払いを食らったという苦い思い出が...


○という感じのクルージング。ゆったりとした時間を過ごせること・衣食住について最初に払った費用(プラスいくばくかの追加負担)だけで自由自在にできること・普段行けそうにないアラスカという地に行けたこと・船員との触れ合いなどは非常に充実していてとてもいい思い出となった。特に船員とかは一週間もいるとすっかり顔見知りになり、いつかまたどこかで会いたいななんて感傷的なことを思ってしまったほど。


しかし、船の揺れ・無限に続く暇・食べ放題の罠(食べ過ぎてしまう→気持ち悪くなる の繰り返し)といった要因により、少なからず、というかとても参ってしまった。これまで数回旅行に行ったが、帰宅後の「あーーーやっと家だ!!!もう当分家でゴロゴロしていたいな、こん畜生」的安堵感は今回の旅行がずば抜けて大きかった。お気に入りの曲の一つにJohn Hallの"Home at last"という歌(→リンク)があり結婚式のBGMでも使ったのだが、帰りのタクシーでは朦朧とした頭の中でこの曲が無限ループしていた。

*なお、この曲のビデオを探したときに気付いたが、このおっちゃんが所属していたバンドがあのOreansであった。"Dance with me" (→リンク)もこのおっちゃんの手で歌われていたのか。思いがけず2つのピースが自分の中で一つに繋がって軽い感動。そしてこのJohn Hallというおっちゃん、Wikipediaによればその後は下院議員にまでなったそうでこれまた驚き。ブログを通じて頭の整理だけじゃなく新知識が得られるなんて、ブログもやってみるものだなあ。


妻は「また是非クルーズ」というようなことを言っていて自分も「そうだね」とか調子の良いことを言ってしまったが、今の率直な気持ちとしては「もうおなか一杯です」という感じ。一週間強という日程の長さにも原因があるだろうが、とにかく疲れた。船乗りにはほんとになれないな、ということは非常によくわかった。