雑感を二つほど:
1.
そんなにサンプル数が多いわけじゃないので引き続き検証が必要だけど、アメリカ人・アメリカで教育を受けた人・あるいはアメリカ系の企業で働いたことがある人は、情と冷徹さのバランスみたいなものを割とうまくとることができている気がする。
頼りない人が来てもきっちり断ってチームに入れるのを断るとか、普段友好的な態度を取っていても肝心なところでは敵対的な対応をするとか、その手の冷徹な判断がうまい気がする、アメリカ人。
最初は面食らったが、最近はそのドライさに慣れてきたのか、そういった重要な局面で冷徹さを徹底できない方が駄目なんじゃないかと思うようになってきた。直近の例だと、
・とある米系企業で勤務とか転職した経験のある同級生。一緒にチームを組もうとあちらから持ちかけてきた授業について、「諸事情によりやっぱナシで。すまんけどよろしく」と一言。うへっと思ったが、おかげで自分としても対応策に着手することができた。さらに言えば、自分がそいつに貸しを作ったという貸借関係が明確なので、そいつは以後自分に対してより好意的になったし、自分も変に遠慮することなく素直に接することができるようになった。
・アジア出身の同級生。就職関係の予定が入ったそうなのだが、「もしかしたら抜けないといけなくなりそうだ。申し訳ない。全力を尽くすので、ちょっと結論が出るのを待っててくれ」とか。全力を尽くすという誠意が有難いというのはわかるが、どっちかというと今すぐその人と別れて新しいチームメイトを探し始めたいとついつい思ってしまう。これで「今すぐ辞めるか残るか教えてくれ」とか言ったら自分が悪役になってしまうので、なんとなく相手の次の動きを待ち続けることになってしまいもやもや。
上記の体験が自分の仮説とうまくマッチしているかやや自信がないし、そもそもサンプル数もそんなに多くないが、この自分が感じるところのアメリカンクールみたいなものは参考にしる価値があるのではないかと感じている。友情やら恋愛関係やらに引きずられてだらだらと決断を先延ばしにするよりは、さっさと結論を出してお互い次行きましょうと言う方が実は友情やら恋愛やら家族のためにも有益なのではないか、みたいな。ものすごくラフな話だが、日本は意思決定における「温情等、合理性から少し外れたところにあるもの」の占める割合が結構高い気がしている。「おたくのところにはこれまでお世話になっているから、よくわからないけどそのレアル立て投資信託、買わせてもらうよ」とか。儒教的・あるいは仏教的思想がもたらすものとしてそういった情を大事にするという発想が尊重されているということなのかもしれない。でもやっぱり、少なくともビジネスにおいては情を抑えて理で決めるというスタンスで行った方が関係者全員のためになると思うのだが。
うーーん、そもそもこの仮説が正しいのか怪しいし、仮に正しいとしても、一歩間違うとただの欧米礼賛なのかもしれない。。まあ、間違いだったら後日考えを改めればいいか。仮説それ自体を引っ込めることもあるまい。
長くなったのでもう一つは別稿へ