Tuesday, March 27, 2012

アラスカ

冬休みを利用してアラスカへ。

○ 近隣に停留所があるFlyawayを利用したのだが、もたもたしていたらバス停についたのが出発予定時刻10時を3分過ぎたあたり。あーやっちゃったと思ったらバスがまだいてラッキー。と思ったら、運転手がものすごくもたもたしていて、結局出発したのが10:30くらいで、結果論的にはバス停まで走ったのが無駄に。。

○ 行きは2回乗り換え(LAX-ソルトレークシティ-シアトル-フェアバンクス)。正直メンドくさいと思っていたのだが、やってみるとこれはこれで悪くない。それぞれのフライト時間が90分から3時間程度に抑えられるので、自分も娘も飽きたり酔ったりすることが少なくストレスが随分低減した気がする。
※乗るたび、コーラ(or各種ソーダ類)とスナック小袋というコンボをつい食べてしまったので胃はやられたが、、

○ フェアバンクスからはロッジの人の送迎によりロッジへ。そのロッジは食事はセルフサービスなので、道中Walmartに寄ってもらって食材を仕入れて(LAでも相当量準備していたが、液体とか飛行機に持ち込めないやつ)。アラスカ=極寒のど田舎=何にもない、、、みたいな想像をしていたが、さすが州内第二の都市のフェアバンクス、Walmartだけではなく一通りなんでも揃ってた。

○ で、3泊4日でロッジに滞在。創業者の一人が日本人という珍しいロッジで、客の多くは日本人みたい。昼はロッジ周辺で雪遊びをしたり、ロッジの方と世間話したり、ロッジの方の子供と娘を遊ばせたり。このような部屋拠点にまったりという旅行は先日のパームスプリングスもそうだったが、子連れだとこのくらいの方が気楽で楽しいかも。

○ 零下マイナス10度くらいの環境だったのだが、覚悟を決めていることやバッチリ着込んでいることからか、体感的には「そこまで寒くない」といった感じ。とはいえ装備がやや甘く、下半身はジーンズにいつものナイキのスニーカーだけだったので、雪遊びの最中にやや自分の装備不備がうらめしくなった(調子に乗って雪山に下半身全てを埋め込みつつ歩いたら、あやうく凍傷になりかけた)。

○ 娘は最初は雪にもびびり気味だったしソリも一人では滑れなかった。しかし、ロッジの子(娘と同年代の男の子で、当然ながら雪遊びが超うまい)と雪遊びしているうちに、その子の真似をしようしようとして、いつの間にか色々なことを怖がらずにできるようになっていた。自分と娘だけではなしえなかった短期的な成長に驚愕。

○ 夜はオーロラを見るべく夜更かし、、、のつもりだったが、初日2日目は普通に寝てしまった。最終日の夜は大当たりで、オーロラが破裂(?)して非常に壮観で感動。ロッジの方にちゃんとした写真(ISOを多めにして、シャッターをゆっくり切るみたいな?)を撮ってもらったので家に届くのが楽しみ。

○ でLAX戻り。その日は疲れをとるべく焼肉→バタンキュー。

○ それにしても、今回の旅行では、日本を意識させられることが多かった。
・ロッジが日本人とアメリカ人の共同経営で、外国で働く/外国で起業する/外国人と一緒に働く/etc という観点で色々考えさせられた
・そんなロッジゆえか、顧客の多くも日本人。宿泊客はアメリカ人が多いそうだが、「別の場所の宿に泊まり、夜だけオーロラを見るべくロッジに来てまた宿に戻る」というスタイルの日本人団体観光客が多いとのことで、自分達が滞在していた期間にも実際そのような日本人グループが多かった。入れ替わり立ち替わり日本人が大挙してロッジに押し寄せる状況だけ切り取ってみると、日本って本当に経済的に苦労してるのか、、、みたいは疑問がふと頭をよぎる。
・フェアバンクスの空港、JALとかではなくアラスカ航空の担当係員が日本人でびっくり。
・シアトル空港はターミナル間をモノレールのようなもので移動するが、その電光掲示板や車内放送が、なぜか英語と日本語のみ。スペイン語や中国語に加えて日本語、というのならわかるが、なぜ日本語オンリー?

等々。なんというか、グローバル化とか言われているし自分もそういった方向性でキャリアを進展させていきたいとか夢想しているのだが、現実は、既に相当程度日本人あるいは日本はグローバル化している。アメリカという先進国だから特にそうなのだろうが、どこに行っても既に日本人がいたり、日本企業・日本製品が普及していたり。自分のような国際性の著しく低い人間は特にそうだと思うが、「未開の日本を海外に広げてやるぜ」的無知・傲慢を捨て、「これまでに諸先輩が開拓してくれたこの基盤を、さらに太くして、長くする」という発想で臨まないとならない。MBA学生の気付きとしては低レベル過ぎる気もするが、一応気づきをメモしておく。