元々ここUSに来る前から薄々気が付いていて、ここに来ていよいよはっきりと自覚させられている自分の好き嫌いについて。
どうも自分は、友人知人のことを「ウチの人」「ソトの人」で分けて、ウチの人を軽視してソトの人との接触を好む傾向(好み)があるようだ。たとえば、
・勤務先の同期。会社にいたときは、一部の特に気が合う人を除いてはあまりこちらから積極的に親しくしたいとは思えずにいた(そのせいで、わざわざ都内の寮を避けバーチーにある自宅からの通勤を選んだり)。でも、外部に出向していたときとか、留学している今とかは、割と素直に友人として同期の何人かとコミュニケートできている気がする。
・出向先の同僚。出向者で外国兵集団のようなものができている。最初は知らない人ばかりだったので親しくしようとしていたが、2年目は(おそらく自分のなかでソトの人からウチの人へのカテゴリー変更がなされて)同僚とつるむよりも出向元すなわち勤務先の同僚と飲んだりまったく外部の留学準備仲間とつるむ方を好んだ。でも、今では彼らのことをけっこう懐かしく思っていたりする。
・留学先。留学した当初は、そもそも国籍も違うので同級生のことが「まったく違う世界から来た人達」すなわちソトの人と認識されたので、意識せずとも仲良くしたいと思うことができ、実際コミュニケーションしていた。しかし、1年たつと、MBA学生としての共通性みたいなところが見えてくるようになり、国籍は違うしコミュニケーションもいまだ完璧ではないにせよ、徐々にウチの人と思えるようになり、彼らと共通言語(含むMBA用語)を使ってつるむくらいなら学外の人の話を聞きたいと思うようになり、つるむ相手が学外に拡散するようになってきた。最近は、国籍は違えど目線は同質的なMBA学生とばかり喋るよりも、日本人であったとしても学外にいる人と話した方が、世界の広がりあるいはもっとミクロに言えば自分にとっての刺激が大きそうな気がしている。てかMBAは特に、前提とする共通言語のようなものが多過ぎる気がして、同級生と話しているととてもComfortableなのだが、それだけいっそう、ここに染まることに対する危惧のような感覚が非常に強い。
・今もまた、学外に友人が増えるにつれ、学内とくに日本人同級生とかとの関係構築は興味がわかずすっかりさぼってしまっている。でも、おそらく日本に帰ってしばらくすると、彼らのことを恋しく思ったりするのだろう。我ながら勝手なものだ。
この傾向を意識しはじめたのは会社に入ってすぐの頃で、その頃は自分がその勤務先にフィット感を感じていないことが原因なのかなと思っていた(なのでおそらくすぐやめるのだろうなぁと予想していた)。しかし、結婚とかもあったので辞めずにぐずぐずしていたら幸いなことに出向や留学の機会があったので疑似転職ができたわけだが、その疑似転職の結果、出向先でも留学先でも同様の「ウチの友人に対する興味薄」「ソトの友人に対する渇望」が自身の中から発生している。
たぶん、単に自分がコミュニケーション能力が低いだけとかそういう話なんだと思う。関係深耕力に欠けていることからソトの友人との薄い付き合いをウチの友人との濃い付き合いより好むという話なんじゃないかとなんとなく思っているところではある。実際、ソトの友人の多くはかつてのウチの友人であることが多い。つまり、ウチの友人との関係構築をおろそかにしている結果、本来は100人のソトの友人と関われたところ、50人のソトの友人としか関われていないという懸念はある(実際、元の職場や同期でも、接点が殆どなくなってしまった人がちらほら。。主因は自分のコミュニケーション怠慢だと思われる)。これまで関係した全ての人との関係を暖めておきたいというわけではないのだが、無駄に冷やしている関係もあるように思われて、多少勿体ないと思うところはある。
でも、まあそれはそれとして、どうもやっぱり自分には、ひとたび「この人は身内」と思ってしまうと、その人との関係構築に関心が薄れてしまう傾向がある。たぶんこれは自分にとって短所なのだろうと思うので意識しておきたい。それに、ソトの友人って言ったって、積極的なネットワーキングとかを好まない自分の性分を考えると、ソトといってもそこまで広がりがあるわけでもないし。