Thursday, April 28, 2011

Exposure

自分が思ったことを記憶が褪せる前に書き散らして、数年後読み返して悦に浸る。そんなことを主目的として作られたこの自慰的ブログ。

そんなこのブログだが、設立初期に「誰にも見られることなく好き放題書けるメリット」と「 読者がいることに伴うメリット」とを比べっこした結果、前者を放棄し、今では多くの友人に読んでもらっている(自分が所在を教えたというだけで、彼らが今見ているかどうかはよく知らないけど)。
また、最近は意図せずしてGoogle先生の査閲を頻繁に受けてしまっており(Mountain Viewからの大量アクセス…)、その結果、Google検索でこのブログにやってきてくれる人も割と存在しているようだ。

読者をもつことに伴うメリットと感じているのは、
- 友人から自分の中学生レベルの作文に丁寧に意見をコメント欄やらメールやらでくれると嬉しい
- 毎日相当数の読者がいるという事実が刺激になる(もちろん、他のMBA学生ブログと比べると驚異的な少なさだと思うが)
- 一応読み手の目を意識して、多少は丁寧に書くようになる
といったあたり。コミュニケーションツールとして使う気はないものの、結果的にたまに発生するコミュニケーションは実に有難い、そんな感じ。


ここ数日、色々、ブログが見られていることによるメリットやらデメリットやらを代わる代わる感じている。そこで今日は「ブログが人に見られていることに伴うデメリット」についてちょっと書き残しておきたい。

(1) 読み手を選べない:
→ 今のところは比較的読者層をコントロールできている気がしているが、それでも意図せざる読者層の拡大は少なからず発生しているようだ。公開しているので別に「読んでいいですか」とお伺いを立ててほしいとは全く思わないが、現状の半閉鎖的なじめっとした空間を気に入っている自分としては、これ以上の意図せざる読者層の拡大は避けたいと感じている。でも、新しい読者が閲覧してくれていると、それはそれでちょっと嬉しかったりして、自分の考え方もそこまで整理されていない。。。まあ超有名ブログなんかは頻繁にコメント欄の炎上などを経験しているから、それと比べたら取るに足らない悩みだが。

(2) 書きたいことが書けない:
→ 覚悟の上で人に見せているわけだが、とはいえやはり読者の目を意識してしまった結果ボツとなる内容があり、ちょっと本末転倒だなと思ったりする。具体的に「ぐっとこらえた」内容は
-- 「今日はこんな音楽を聞きました」話:久しぶりにYouTubeで聞いた懐かしの曲に感動したりする。この感動を記録しておきたいと思う一方、この手の趣味の話は読み手からしたらかなりイタそうなので我慢している。また、リンクを張るという行為の著作権的可否とか、リンク切れするリスクとかもちょっと考えてしまう。
-- 読者ネタ:あまりないが、たまに個別の読者(読んでくれていると思われる人)に対してポジティブ/ネガティブな思いを抱くことがある。良い話とか、書けるものは書いているが、やはりその読者の目を気にして書きたいことをぐっと我慢することがある。「おい安田(※仮名)、聞いてるか、お前だよお前。こないだはよくもひどいこといってくれたなこの野郎、俺は下記3点の理由で怒っているぞ。第一に...」なんてやっぱり書けない。
そのときの一瞬の感情、書き残せないのが残念なのか、あるいは書かなくて結果オーライなのか。まあ結果オーラいだろう。

(3) 内容が歪む:
→ つい見られているゆえのスケベ心で、表現を格好つけてみたりしてしまうことがある。難しい慣用句とか英単語を使おうとしたら自信がなく、googleや英辞郎で念のため確認してからアップするなんてこともザラ。
それならまだ言いたいことは変わらないのでいいが、たまに言い方を読者受けとか意識して微修正してしまっている自分に気付く。たいして読者もいないのに、読者ウケを狙うがあまり思ったことを偽装しかねない自分にかなり焦る。

まあどうせ卒業と同時に閉鎖する短期ブログなので構わないが、この辺のデメリットをいかにコントロールしていくか、これもちょっとした自分の中のテーマの一つ。
これはすなわちブログに生活の一部を支配されているということであり、完全に本末転倒である。。