Tuesday, April 12, 2011

Old Good Days

火曜日。必修のStrategy→選択のInternational Finance→必修のOrganizational Behavior。夕方は班でミーティング。平穏な一日。

Strategy。前回教授による舌禍騒動があったが、冒頭にさらっと謝罪して終了。まあ教授を途中でチェンジするわけにもいかないのだろうから、そんなものか。しかしUCLAだけかもしれないが、戦略論はかなり経済学に近いところに位置しているように思われる。なので、もっと普通に経済学の先生に教えてもらった方が良いかもとふと思ったり。

Organizational Behavior。内的モチベーションをうまくマネージしている企業のケースというものを扱ったのだが、なんというか古き良き日本の会社を見ているかのよう。
- 新卒主義
- 手厚い福利厚生
- 給与はそれなりに高いが、ボーナスによるインセンティブ設計は皆無
- 長期志向
- 社内OJT重視
いまでもこの会社は「働きたい会社」でトップに位置しているらしい。

ここで、こないだの戦略論でふと沸いた疑問がまたふと再浮上した。この会社、衰退局面ではどのような戦略をとるのだろうかと。

多くの日本企業が、バブル崩壊後から現在にかけて、一生懸命リストラと称して固定費の削減に勤しんできた。希望退職を募って、社内OJTの機会を減らして、社宅を廃止して(=多くの人にとって住宅費用の大幅増加を意味する)、各種福利厚生を圧縮して。最近のブームはホワイトカラーエグゼンプションという名の残業代圧縮といったところか。担当した経営者あるいは人事部門の人の心労は想像を絶するものであっただろうと推察はするが、若者の立場から見た不公平感は否定しえないと思う。多くの企業で、いま20代の若者の多くが「昔は社宅があって保養所があって」とか「昔は給料も今より良くて」とか聞かされて、なんだかおかしいなぁと思いながら深夜に菓子パンをかじりながらパワポを作っていたりするのではないだろうか。「父親よりいい学校に入ったのに父親よりいい暮らしをできる気がせず茫洋とした不安を抱えている」なんて人、少なくないのではないだろうか。

(この「若者いじめ」、個人的には、残念ではあるがやむを得ない側面もあると思う。というのは、いまのおじいさんおばあさん世代やおじさんおばさん世代が気付きあげた貯金で今の若者が食えている側面が少なくないからだ。我々世代にとって殆どすべてのインフラは使うものであって作るものではなかった。鉄道・空港・通信設備・あるいは法制度・市場慣習といったソフト面も含めて。それゆえ、貢献度でウェイティングしたら、年配の人に果実の多くが回るのは仕方がない側面もあるとは思う。ただし、若者をEncourageしない点・自分個人に甘い汁が回ってこない点(汗)において称賛することはできないのだけれど...)

その会社の各種制度はもちろん素晴らしいものなんだろうと思う。実際、そこで今現在働いている社員が満足といっているビデオがあったのだから確かに素晴らしいのだろう。
しかし、縮小局面に入ったとき、この会社はおそらくその充実したシステムを維持できなくなる。一言でいうとそれらのシステムは固定費であり営業レバレッジであるから、リストラの一丁目一番地にならざるを得ないだろう。そして、ひとたびリストラが始まったら最後、その企業にかつてのようなユートピアは二度と訪れないだろう。日本よりは流動性が高いだろうから、仮に充実した福利厚生や各種システムがなくなってしまえば、高い給料といったわかりやすい(短期的に収穫が見込める)インセンティブを用意しなくてはならなくなる。そして、今日習った内容によれば、内的モチベーションを原動力としていた企業が金銭等の外的インセンティブに頼るようになると、往々にして従業員のモチベーションは一層低下してしまうようだ。「やりがい」「充実感」がカネに置き換えられてしまうと、内的充実に価値を見出すことが難しくなってしまう。

それでは、「峠を越えた」企業が従業員にモチベーションを維持させるため有効な手法は一体何なんだろうか。赤字覚悟で既存の固定費的福祉政策を維持すること?短期的な従業員のIncentive Distortionを犠牲にしてでも短期的外的インセンティブを導入すること(「成果主義」、日本でも流行ったよな)?「転職に役立つスキルや経験」を提供すること???いっそ峠を越えたらサクっと会社清算が一番すっきりするような気がしないでもないが、なんとなく現実的でない感じもする。2年生になって、可能であれば、「Moderateな需要の成長を前提とした論理体系」以外の世界についても学ぶことができればよいと思っている。

なんとなく今の日本では、モチベーションを維持させる努力もせず、単なる根性論でこれまでと同水準の献身を要求してしまっている企業が多いような感触を持っている。たとえば、よくフライトアテンダントやデパートの店員のクオリティが下がったという批判を聞くが、下がらない方がおかしいだろうに、そういった企業がIR等で顧客サービスとか謳っていると、やや誠実でないように思えて仕方ない。
まあ別に、そこで働きたいという人がいるのであれば、別に自分がつべこべ言う筋合いの問題ではない。ただ、自分が将来何らかの形で経営に携わるのであれば(携わることを意識しているからMBAに来ているような気がしないでもないし)、この問題は自分が関与する企業については必ず取り組まなくてはならなくなるのだろう。

MBAでの流行がアントレであることについて、側面からその一因が見えたような気がする。おそらく衰退局面にある企業の経営などMBAの思考回路になじまないのだろう。それゆえ、学生も学校も、残されたユートピアであるアントレの世界に「逃げている」側面があるのではないかと邪推している。そりゃあ成長している世界があるなら、そっち行きたくなる気持ちはとてもよくわかる。

しかし、それにしても、地震が来て「これでしばらくは復興需要で...」とある意味において安堵してしまった自分が情けない。被災者に同情が足りないという点でも反省が必要なのかもしれないが、それよりも「復興需要くらいしか母国に機会を見いだせない自分の曇った目」はMBA学生として反省すべきものであるのではないかと感じている。