○まず実例から:
・先日、とある会合を控え、リーダー役の方から補佐を依頼された。資料に目を通し、依頼された作業について勉強してみた。
・その結果、自分が指示された作業には相応程度の非効率性が残っており、やり方を変えることでかなり効率化が達成できるという感触を持つに至った。
・他方、そんな非効率が改善されないまま残っているのはおかしいとも思った。おそらく、そのやり方を温存することがが正当化されるような、効率性とは別の理屈が存在するのだろうと察せられた
・しかし、「きっと現状が最適なバランスであり、改善を打診するのも野暮だな」と心を殺すことができなかったので、リーダー役の方に「XXXというやり方に改めれば効率化が図れるがどうか」と空気を読まず打診してみた
・そしたら、やっぱり、「XXXという事情があり、非効率は承知しているが今のやり方のままで通している、理解してくれ」という反応を頂いた。その説明が十分合理的であったので、現状のやり方で引き続きやることとなった。
・別にいい大人なので人間関係にひびが入ることはないが、自分はちょっとだけばつの悪い思いをし、場を収めるために「それは失礼しました」的なメールを一本打つことになった
○で、そんな行動をとった自分をどう総括すればよいか思案しているところ。もっと空気を読むべきだったか否か。
で、以下が今のところの仮説:
①今回で言うところの「XXXという事情」のような、「自分が思ったこと以外のロジック」があること、考えるべき論点が複数あることについて思いを馳せることは重要。その点においては、空気(=他人の考え方、自分の考え方以外の考え方)を読むことは重要だと思う
②で、思いを馳せた結果具申するのかしないのかだが、やっぱりしてよかったんじゃないかと考えている。具申した結果、既存のやり方は今一度その正当性を試されることになった。その結果、既存のやり方がよりよいやり方に改善されるか、既存のやり方の正当性が再確認されるか、いずれにせよ(自分がちょっとばつの悪い思いをしたこと以外)誰も何も失っていない。この意味においては、空気を読まず敢えて現状にチャレンジしたが、ばつの悪い思いをしたがそれでも結果オーライと考えたいと思う
なんというか、自分は空気を読めていたのかどうかという点において、やっぱり空気は読めていたんじゃないかと
。自分の行動はそんなにピントを外していないと、今のところは自己正当化している。上手く言えないが、空気って、「自分の考え方以外の考え方があるんじゃないかと想像する」という意味ではきっちりやるべきで、「その場の雰囲気」という意味ならあんまり気にしない方が皆のためじゃないかしらと、本件で自分の考え方を再整理することができた次第。客観的に正しいというか、自分の主観が整理されただけだけど。
①自分の考え方以外の考えに思いを馳せることもしていないくせに、②場の雰囲気を壊すようなことを言うなと諌めてくる人
とかも、そういえばいるような。そういう人に限って空気読めとか良く言ってくるんだよなぁ、なんてね。
*留学に絡めると、①の「自分の考えが絶対無二というわけではないことに対する知覚」は、留学で結構身に着けることができると思う。②の「場の雰囲気」という点では、アメリカ人も結構空気を読んじゃうので、こちらについては多少の意識や覚悟がないと、留学しているだけで自然に身に付くということはないかも。まああくまで主観だけど