木曜日の午後から、日曜日の夜まで、長い週末を満喫。
・木曜日に時間の使い方について開眼、というか思い出すことができたので、この週末はその気付きにもとづき行動してみた。具体的には、宿題を最優先とせず、ゴルフしたり、家族と遊んだり、本を読んだり、そういうことをやった上で合間にチャチャっと勉強するという感じにした。結局のところ勉強時間はあまり減っていないのだが、発想とそれに基づく行動がちょっと変わっただけで感じ方は随分と異なってきている。先週とかは本当に慌ただしくて暇な時間はいっぱいあったのにもかかわらず忙しいとしか思うことができなかったのだが、今週末は合間合間のちょっとした暇を満喫できている感覚がある。
・最近親族のひとりが病気になってしまった。最近引退して、ようやくこれから悠々自適の生活が、という矢先の病気であり、非常に残念なことだと思う。この話を聞いて自分は「人生やはり何が起こるかわからない。やはり、将来もいいが今も大事で、今をもっと大事にしないといけないかもしれない」といったことを感じた。ついつい貧乏性的な性格から「現在の快楽を多少犠牲にしてでも、将来のために自己投資したりしないと」みたいなことを考えてしまい、必要以上に資格やら何やら勉強している自分であるが、「今を大事にする」という感覚もバランスさせておかないといけないかもしれない。
・しかし、そんなことを考えた数十分後になり思ったのは、「こんな教訓は別に親族が体を崩すなくても他人の経験で簡単に得ることができるはず」というもの。「賢者は歴史から学ぶ」ではないが、自分や近い人がそのような状況に陥る前に、他人の事例あるいは歴史などからもっと早くこの教訓を得ておくべきだったのではないか。なぜ他人の事例に共感し、教訓をくみ取ることができなかったのだろうか。自分がいまMBAでやっていることは、他社のケースを読んでそこから教訓を得るということであるのに...自分の学ぶ力の貧弱さのようなものを感じずにはいられなかった。ひとつひとつの経験からより多くのことを学び取って次回以降に活かすことはもちろん大事でありそれだからこそこうやってブログにちまちまと出来事を記録しているわけではあるが、もう一段、上るべきステップは存在している。