今日は年度末。留学中なので実際的には何ら関係ないが、社会人になってからちょうど7年が経過し、自分もちょうど30歳となるので割と感慨深い。
幸いなことに、これまでの7年は、会社が要所要所で転機を用意してくれたので、飽き症の自分であるが飽きたりすることなくノホホンとここまでやってくることができた。支店にも行けたし、役所にも行けたし、留学も行けたし。自分は飽き症な社会不適合者だという自覚があるので、このキャリアパスはかなりの結果オーライと思っている
(そんな自分の適性っちゅうか不適性を見極めた会社側が、それに応じたキャリアパスを提供してくれているのかもしれんけど、、、掌の上の孫悟空...)。
早いタイミングで結婚して、子供もできたこともかなりの結果オーライだった。家族が出来たことで少なからず責任感のようなものができた(と思い込んでいる)し、独身のときと比較してストレスが顕著に少ない気がするし。
さあいよいよ、この留学が終わったら、いよいよ人生/キャリア/父親業どの観点から見ても新しいステージ或いは”本当の勝負”が始まる。けっこうワクワクしていて、卒業を3か月後に控えて帰りたくない半分、早く帰って色々なことをやりたいというウキウキ感半分という心境になっている。
色々目標のようなものはゆるーく存在しているのだが、せっかく卒業まであと3か月あるので、ここで帰国後の目標を固めず、もうちょっと構想を練る時間を確保してみたい。ちょっと真剣に今後の身の振り方を考えて、できれば帰国後スタートダッシュをキメたいものだ。。
Wednesday, March 28, 2012
Don't rain on someone's parade
先日、学年全体向けのMLで、こんなやり取りが展開された:
色々論点はあろうが(自由意見を言っただけでそこまで怒らなくても、、、等)、自分は本件それ自体というよりは、G君の「Don't rain on other's parade」という発想にわりと考えさせられた。
政治や思想に不勉強なので正しいかどうか全く不明だが、自分はこの発言からG君の強いリベラリズムを感じた。自分にとってのリベラルとは「俺はあなたの邪魔をしないので、あなたも俺に干渉しないでくれ」というもの。自分の中で対立的な概念は共和主義・保守主義といったもので、「公共の利益・『正義』・その他各種rationaleがあるのであれば、俺はあなたに干渉しうる」といったイメージ。
アメリカに来て、あるいは年を取ってだんだん自覚的になってきたが、自分は上記の対立軸で言うとややリベラル寄りであるように感じている。
・他人のことが気にならないわけではないが、それ以上に自分のことを邪魔してほしくないので他人に口を挟むのを避けたり、
・自身の行動あるいは考え方の修正・変更を求めてくるような相手に対して、相手もびっくりの早い段階で声を荒げてしまったり(自分がかっとする理由の8割は「干渉はやめてくれ」で説明できてしまう気がする)
だからかわからないが、留学前に新人研修を受け持ったときは、最初自分が彼らに助言しているのか干渉しているのかわからず混乱し、やっていて気持ち悪くて仕方なくなってしまった。途中から、意識無意識に、演技するというか「教える自分」みたいな言わば別人格を使うことで気持ち悪さをバランスさせていた気がする。そして今では、一部言動を通じ、助言を超えて干渉をしてしまっていたような気がしており反省している。
あるいは、留学してから一度だけ自分でもわかるくらい激昂してしまったことがあったのだが、それを今思い起こすと、相手が「自分にはお前の行動を変える権利がある」と明示的に主張したことが一番カチンと来た。自分の奉じるリベラリズムが、万人が当然に共有する前提であるかのような錯覚を持ってしまっていたので、相手が当然であるかのごとく干渉してきたときにカッとしてしまったのだ(まあでも、その経験以来、リベラリズムは複数ある思想の一つに過ぎないと自覚することができたのでその口論を今では感謝しているが)。
といいつつ自分は、完全にはその思想を実践できておらず情けなさを感じ続けている。
・人に干渉するなと言いつつもついつい他人の行動に口を挟んでしまうこともあるし、
・本人に言わずとも、ブログや家族とかに「あいつがさぁ、、、」と愚痴を言うのは日常だし
・そこまで深く考えているわけではないが、徴兵制やら各種法制度とか、そういったものを無制限に嫌っているわけではなく、むしろ最低限のルールは社会が社会であるための潤滑油として必要だと思っていたり
とか。
つまり、自分は「いい意味でのリベラル」でありたいと思い他人にはそれを多かれ少なかれ要求しているくせに、自分自身についてはその原則を完全には適用できていない大甘野郎であると自覚している。
とりわけ、自分が選んだ(あるいは結果的に進むことになった)道とは別の道に進む人のことを腐すことで自身を正当化させたいというしょうもない衝動がときどき増大して、明示的に他人の行動を腐してしまうことが多い。進路とか、ライフスタイルとか、果ては着る服のブランドとか。もう自分がポジションを取っているものであれば何でも。
そんなしょうもない人間であると最近問題意識を感じ続けていたので、G君の「他人の足まで引っ張らなくてもいいじゃないか」という発言はまるで自分への言葉であるかのごとく刺さってしまった。自身の内奥にリベラリズムを感じているのであれば、ある程度、その原則を貫く必要がある。すなわち、干渉が嫌なら、他人のパレードに雨を降らせるようなことをしてはならないのだ。
とはいえ自分のしょうもない性質は一朝一夕では改善しないだろう。長期的には自身のリベラリズムを徹底させる習慣を形成するのが解決策であろうが、短期的にはどうしたものか。自分がいま短期的な(もしかしたら長期的にも)ひとつの解決策になりうると感じているものがいくつかあり、その一つが(匿名での、あるいは非公開での)ネット発信。つまり、ブログやツイッターにネガポジ含め感情をぶつけるという行為もある程度は正当化されるのではないか、というのが今日の結論のひとつ。公人として発言していくのであれば、その発言に一貫性が求められるし一言一言にマーケティング要素を込める必要性も出てくるが、その点、匿名でやっている今のブログというものは、今まではあまり自覚的ではなかったが、自身の精神的均衡を保つのにそこそこ役立っているのかもしれない。一言で言うなら、「人への愚痴や文句、止められないならブログやツイッターなら構わないから、その分対人では慎め」と言う感じだろうか。ニュートラルな発想ではないかもしれないがそんなことをG君のメールを契機にふと思った。
・生徒会メンバーのG君が「XXXというイベントをしたいと思っており、関心がある人は連絡くれ」というメールをしてきた
・自分は関心がなかったのでスルーしたのだが、
・とある学生が返信で「XXXというイベントはナンセンスではないか」という議論を投げかけ、さらに一人がナンセンス論に同調した(やり取りは全て学年全体に届いている)
・その後他の生徒会メンバーから「まあまあ、そういう考え方もあるかもしれんけど、ナンセンスということもないだろう、俺は関心あるよ」というやんわりとした反論メールが来て、
・最後に、言いだしっぺのG君。温厚な人なのだがどうも思うところがあったようで厳しい反撃:「自分は、そのイベントに関心があるか聞いているだけで、そのイベントについて哲学論争をするつもりはない。興味がないなら無視してくれればそれで十分で、興味がある他の人の邪魔はしなくてもいいだろうに(Let's not try to rain on someone else's parade)」。
色々論点はあろうが(自由意見を言っただけでそこまで怒らなくても、、、等)、自分は本件それ自体というよりは、G君の「Don't rain on other's parade」という発想にわりと考えさせられた。
政治や思想に不勉強なので正しいかどうか全く不明だが、自分はこの発言からG君の強いリベラリズムを感じた。自分にとってのリベラルとは「俺はあなたの邪魔をしないので、あなたも俺に干渉しないでくれ」というもの。自分の中で対立的な概念は共和主義・保守主義といったもので、「公共の利益・『正義』・その他各種rationaleがあるのであれば、俺はあなたに干渉しうる」といったイメージ。
アメリカに来て、あるいは年を取ってだんだん自覚的になってきたが、自分は上記の対立軸で言うとややリベラル寄りであるように感じている。
・他人のことが気にならないわけではないが、それ以上に自分のことを邪魔してほしくないので他人に口を挟むのを避けたり、
・自身の行動あるいは考え方の修正・変更を求めてくるような相手に対して、相手もびっくりの早い段階で声を荒げてしまったり(自分がかっとする理由の8割は「干渉はやめてくれ」で説明できてしまう気がする)
だからかわからないが、留学前に新人研修を受け持ったときは、最初自分が彼らに助言しているのか干渉しているのかわからず混乱し、やっていて気持ち悪くて仕方なくなってしまった。途中から、意識無意識に、演技するというか「教える自分」みたいな言わば別人格を使うことで気持ち悪さをバランスさせていた気がする。そして今では、一部言動を通じ、助言を超えて干渉をしてしまっていたような気がしており反省している。
あるいは、留学してから一度だけ自分でもわかるくらい激昂してしまったことがあったのだが、それを今思い起こすと、相手が「自分にはお前の行動を変える権利がある」と明示的に主張したことが一番カチンと来た。自分の奉じるリベラリズムが、万人が当然に共有する前提であるかのような錯覚を持ってしまっていたので、相手が当然であるかのごとく干渉してきたときにカッとしてしまったのだ(まあでも、その経験以来、リベラリズムは複数ある思想の一つに過ぎないと自覚することができたのでその口論を今では感謝しているが)。
といいつつ自分は、完全にはその思想を実践できておらず情けなさを感じ続けている。
・人に干渉するなと言いつつもついつい他人の行動に口を挟んでしまうこともあるし、
・本人に言わずとも、ブログや家族とかに「あいつがさぁ、、、」と愚痴を言うのは日常だし
・そこまで深く考えているわけではないが、徴兵制やら各種法制度とか、そういったものを無制限に嫌っているわけではなく、むしろ最低限のルールは社会が社会であるための潤滑油として必要だと思っていたり
とか。
つまり、自分は「いい意味でのリベラル」でありたいと思い他人にはそれを多かれ少なかれ要求しているくせに、自分自身についてはその原則を完全には適用できていない大甘野郎であると自覚している。
とりわけ、自分が選んだ(あるいは結果的に進むことになった)道とは別の道に進む人のことを腐すことで自身を正当化させたいというしょうもない衝動がときどき増大して、明示的に他人の行動を腐してしまうことが多い。進路とか、ライフスタイルとか、果ては着る服のブランドとか。もう自分がポジションを取っているものであれば何でも。
そんなしょうもない人間であると最近問題意識を感じ続けていたので、G君の「他人の足まで引っ張らなくてもいいじゃないか」という発言はまるで自分への言葉であるかのごとく刺さってしまった。自身の内奥にリベラリズムを感じているのであれば、ある程度、その原則を貫く必要がある。すなわち、干渉が嫌なら、他人のパレードに雨を降らせるようなことをしてはならないのだ。
とはいえ自分のしょうもない性質は一朝一夕では改善しないだろう。長期的には自身のリベラリズムを徹底させる習慣を形成するのが解決策であろうが、短期的にはどうしたものか。自分がいま短期的な(もしかしたら長期的にも)ひとつの解決策になりうると感じているものがいくつかあり、その一つが(匿名での、あるいは非公開での)ネット発信。つまり、ブログやツイッターにネガポジ含め感情をぶつけるという行為もある程度は正当化されるのではないか、というのが今日の結論のひとつ。公人として発言していくのであれば、その発言に一貫性が求められるし一言一言にマーケティング要素を込める必要性も出てくるが、その点、匿名でやっている今のブログというものは、今まではあまり自覚的ではなかったが、自身の精神的均衡を保つのにそこそこ役立っているのかもしれない。一言で言うなら、「人への愚痴や文句、止められないならブログやツイッターなら構わないから、その分対人では慎め」と言う感じだろうか。ニュートラルな発想ではないかもしれないがそんなことをG君のメールを契機にふと思った。
Tuesday, March 27, 2012
アラスカ
冬休みを利用してアラスカへ。
○ 近隣に停留所があるFlyawayを利用したのだが、もたもたしていたらバス停についたのが出発予定時刻10時を3分過ぎたあたり。あーやっちゃったと思ったらバスがまだいてラッキー。と思ったら、運転手がものすごくもたもたしていて、結局出発したのが10:30くらいで、結果論的にはバス停まで走ったのが無駄に。。
○ 行きは2回乗り換え(LAX-ソルトレークシティ-シアトル-フェアバンクス)。正直メンドくさいと思っていたのだが、やってみるとこれはこれで悪くない。それぞれのフライト時間が90分から3時間程度に抑えられるので、自分も娘も飽きたり酔ったりすることが少なくストレスが随分低減した気がする。
※乗るたび、コーラ(or各種ソーダ類)とスナック小袋というコンボをつい食べてしまったので胃はやられたが、、
○ フェアバンクスからはロッジの人の送迎によりロッジへ。そのロッジは食事はセルフサービスなので、道中Walmartに寄ってもらって食材を仕入れて(LAでも相当量準備していたが、液体とか飛行機に持ち込めないやつ)。アラスカ=極寒のど田舎=何にもない、、、みたいな想像をしていたが、さすが州内第二の都市のフェアバンクス、Walmartだけではなく一通りなんでも揃ってた。
○ で、3泊4日でロッジに滞在。創業者の一人が日本人という珍しいロッジで、客の多くは日本人みたい。昼はロッジ周辺で雪遊びをしたり、ロッジの方と世間話したり、ロッジの方の子供と娘を遊ばせたり。このような部屋拠点にまったりという旅行は先日のパームスプリングスもそうだったが、子連れだとこのくらいの方が気楽で楽しいかも。
○ 零下マイナス10度くらいの環境だったのだが、覚悟を決めていることやバッチリ着込んでいることからか、体感的には「そこまで寒くない」といった感じ。とはいえ装備がやや甘く、下半身はジーンズにいつものナイキのスニーカーだけだったので、雪遊びの最中にやや自分の装備不備がうらめしくなった(調子に乗って雪山に下半身全てを埋め込みつつ歩いたら、あやうく凍傷になりかけた)。
○ 娘は最初は雪にもびびり気味だったしソリも一人では滑れなかった。しかし、ロッジの子(娘と同年代の男の子で、当然ながら雪遊びが超うまい)と雪遊びしているうちに、その子の真似をしようしようとして、いつの間にか色々なことを怖がらずにできるようになっていた。自分と娘だけではなしえなかった短期的な成長に驚愕。
○ 夜はオーロラを見るべく夜更かし、、、のつもりだったが、初日2日目は普通に寝てしまった。最終日の夜は大当たりで、オーロラが破裂(?)して非常に壮観で感動。ロッジの方にちゃんとした写真(ISOを多めにして、シャッターをゆっくり切るみたいな?)を撮ってもらったので家に届くのが楽しみ。
○ でLAX戻り。その日は疲れをとるべく焼肉→バタンキュー。
○ それにしても、今回の旅行では、日本を意識させられることが多かった。
・ロッジが日本人とアメリカ人の共同経営で、外国で働く/外国で起業する/外国人と一緒に働く/etc という観点で色々考えさせられた
・そんなロッジゆえか、顧客の多くも日本人。宿泊客はアメリカ人が多いそうだが、「別の場所の宿に泊まり、夜だけオーロラを見るべくロッジに来てまた宿に戻る」というスタイルの日本人団体観光客が多いとのことで、自分達が滞在していた期間にも実際そのような日本人グループが多かった。入れ替わり立ち替わり日本人が大挙してロッジに押し寄せる状況だけ切り取ってみると、日本って本当に経済的に苦労してるのか、、、みたいは疑問がふと頭をよぎる。
・フェアバンクスの空港、JALとかではなくアラスカ航空の担当係員が日本人でびっくり。
・シアトル空港はターミナル間をモノレールのようなもので移動するが、その電光掲示板や車内放送が、なぜか英語と日本語のみ。スペイン語や中国語に加えて日本語、というのならわかるが、なぜ日本語オンリー?
等々。なんというか、グローバル化とか言われているし自分もそういった方向性でキャリアを進展させていきたいとか夢想しているのだが、現実は、既に相当程度日本人あるいは日本はグローバル化している。アメリカという先進国だから特にそうなのだろうが、どこに行っても既に日本人がいたり、日本企業・日本製品が普及していたり。自分のような国際性の著しく低い人間は特にそうだと思うが、「未開の日本を海外に広げてやるぜ」的無知・傲慢を捨て、「これまでに諸先輩が開拓してくれたこの基盤を、さらに太くして、長くする」という発想で臨まないとならない。MBA学生の気付きとしては低レベル過ぎる気もするが、一応気づきをメモしておく。
○ 近隣に停留所があるFlyawayを利用したのだが、もたもたしていたらバス停についたのが出発予定時刻10時を3分過ぎたあたり。あーやっちゃったと思ったらバスがまだいてラッキー。と思ったら、運転手がものすごくもたもたしていて、結局出発したのが10:30くらいで、結果論的にはバス停まで走ったのが無駄に。。
○ 行きは2回乗り換え(LAX-ソルトレークシティ-シアトル-フェアバンクス)。正直メンドくさいと思っていたのだが、やってみるとこれはこれで悪くない。それぞれのフライト時間が90分から3時間程度に抑えられるので、自分も娘も飽きたり酔ったりすることが少なくストレスが随分低減した気がする。
※乗るたび、コーラ(or各種ソーダ類)とスナック小袋というコンボをつい食べてしまったので胃はやられたが、、
○ フェアバンクスからはロッジの人の送迎によりロッジへ。そのロッジは食事はセルフサービスなので、道中Walmartに寄ってもらって食材を仕入れて(LAでも相当量準備していたが、液体とか飛行機に持ち込めないやつ)。アラスカ=極寒のど田舎=何にもない、、、みたいな想像をしていたが、さすが州内第二の都市のフェアバンクス、Walmartだけではなく一通りなんでも揃ってた。
○ で、3泊4日でロッジに滞在。創業者の一人が日本人という珍しいロッジで、客の多くは日本人みたい。昼はロッジ周辺で雪遊びをしたり、ロッジの方と世間話したり、ロッジの方の子供と娘を遊ばせたり。このような部屋拠点にまったりという旅行は先日のパームスプリングスもそうだったが、子連れだとこのくらいの方が気楽で楽しいかも。
○ 零下マイナス10度くらいの環境だったのだが、覚悟を決めていることやバッチリ着込んでいることからか、体感的には「そこまで寒くない」といった感じ。とはいえ装備がやや甘く、下半身はジーンズにいつものナイキのスニーカーだけだったので、雪遊びの最中にやや自分の装備不備がうらめしくなった(調子に乗って雪山に下半身全てを埋め込みつつ歩いたら、あやうく凍傷になりかけた)。
○ 娘は最初は雪にもびびり気味だったしソリも一人では滑れなかった。しかし、ロッジの子(娘と同年代の男の子で、当然ながら雪遊びが超うまい)と雪遊びしているうちに、その子の真似をしようしようとして、いつの間にか色々なことを怖がらずにできるようになっていた。自分と娘だけではなしえなかった短期的な成長に驚愕。
○ 夜はオーロラを見るべく夜更かし、、、のつもりだったが、初日2日目は普通に寝てしまった。最終日の夜は大当たりで、オーロラが破裂(?)して非常に壮観で感動。ロッジの方にちゃんとした写真(ISOを多めにして、シャッターをゆっくり切るみたいな?)を撮ってもらったので家に届くのが楽しみ。
○ でLAX戻り。その日は疲れをとるべく焼肉→バタンキュー。
○ それにしても、今回の旅行では、日本を意識させられることが多かった。
・ロッジが日本人とアメリカ人の共同経営で、外国で働く/外国で起業する/外国人と一緒に働く/etc という観点で色々考えさせられた
・そんなロッジゆえか、顧客の多くも日本人。宿泊客はアメリカ人が多いそうだが、「別の場所の宿に泊まり、夜だけオーロラを見るべくロッジに来てまた宿に戻る」というスタイルの日本人団体観光客が多いとのことで、自分達が滞在していた期間にも実際そのような日本人グループが多かった。入れ替わり立ち替わり日本人が大挙してロッジに押し寄せる状況だけ切り取ってみると、日本って本当に経済的に苦労してるのか、、、みたいは疑問がふと頭をよぎる。
・フェアバンクスの空港、JALとかではなくアラスカ航空の担当係員が日本人でびっくり。
・シアトル空港はターミナル間をモノレールのようなもので移動するが、その電光掲示板や車内放送が、なぜか英語と日本語のみ。スペイン語や中国語に加えて日本語、というのならわかるが、なぜ日本語オンリー?
等々。なんというか、グローバル化とか言われているし自分もそういった方向性でキャリアを進展させていきたいとか夢想しているのだが、現実は、既に相当程度日本人あるいは日本はグローバル化している。アメリカという先進国だから特にそうなのだろうが、どこに行っても既に日本人がいたり、日本企業・日本製品が普及していたり。自分のような国際性の著しく低い人間は特にそうだと思うが、「未開の日本を海外に広げてやるぜ」的無知・傲慢を捨て、「これまでに諸先輩が開拓してくれたこの基盤を、さらに太くして、長くする」という発想で臨まないとならない。MBA学生の気付きとしては低レベル過ぎる気もするが、一応気づきをメモしておく。
Wednesday, March 21, 2012
IRR (4)
4.問題点 (4) レバレッジを考慮するか否か?
自分(LP)としては100しか投資していなくても、ファンド(GP)が別途レバレッジを使った結果、レバレッジを使わなかったときと比較してIRRが高く出る。
実際問題、レバレッジのおかげで投資家のリターンも高くなっているという意味においてはレバレッジを割り引いて考える必要性は薄い。ただし、仮にIRRを見る目的がそのファンドマネージャーのトラックレコードを見るといったときは、その人の成し遂げたIRRを、「レバレッジのおかげ部分」と「それ以外」に分けた方が実力がより鮮明に見える。
※もちろん、レバレッジを効かせるのも実力のうちなのだろうが。。
5. 問題点(5) ベンチマーキングするか否か?
4.のレバレッジと同様、例えばマーケットリターンなどとベンチマーキングすることで、そのファンドマネージャーの実力を抽出することができる。
実力=トータルIRR - レバレッジのおかげによる部分 - ベンチマーク部分 みたいな感じ。
6. 問題点(6) 複数のプロジェクトをどうまとめて評価するか?
こんな感じで、2つのプロジェクトを異なる期間にわたり実行しているファンドのトータルのリターンをどう評価するかという話。
色々な方法がある(なお、ここでは一旦MIRRは封印):
i) 個別のIRRを取って、平均を取る
IRR(1)=100%、IRR(2)=200%。なので、平均=150%。
しかし、10000を15000や10000にしたプロジェクトと、1を2にしたプロジェクトを同列に扱ってよいのだろうか?
ii) 加重平均を何らかの形で取る
例えば初期投資で加重平均を取ると、加重平均IRR=100.01%になる。
iii) キャッシュフローを合計する
二つのキャッシュフローを合計すると、(-10000, 15000, 9999, 2, 3)というCFになるので、これについてIRRを取ると、100.003%となる。
しかし、こうやって計算すると、万一途中に1つ以上負のキャッシュフローが出てくると問題が出る。すなわち、IRRが複数存在してしまうので(2次以上の方程式となるため)。
複数の解が存在するとき、そのどちらが適正なIRRか断言することはやや難しい。
iv) Time-zero IRR
全てのプロジェクトが行われた瞬間をゼロとして、実際の年月ではなく時点に置き換えてプロジェクトを再配列する。
この合計についてIRRを取る。
個人的には、加重平均かこのTime-zero IRRが良いと思うが、加重平均は何を以てウェイティングするかという問題があるので、Time-zero IRRが一番ましであるように思う。
自分(LP)としては100しか投資していなくても、ファンド(GP)が別途レバレッジを使った結果、レバレッジを使わなかったときと比較してIRRが高く出る。
実際問題、レバレッジのおかげで投資家のリターンも高くなっているという意味においてはレバレッジを割り引いて考える必要性は薄い。ただし、仮にIRRを見る目的がそのファンドマネージャーのトラックレコードを見るといったときは、その人の成し遂げたIRRを、「レバレッジのおかげ部分」と「それ以外」に分けた方が実力がより鮮明に見える。
※もちろん、レバレッジを効かせるのも実力のうちなのだろうが。。
5. 問題点(5) ベンチマーキングするか否か?
4.のレバレッジと同様、例えばマーケットリターンなどとベンチマーキングすることで、そのファンドマネージャーの実力を抽出することができる。
実力=トータルIRR - レバレッジのおかげによる部分 - ベンチマーク部分 みたいな感じ。
6. 問題点(6) 複数のプロジェクトをどうまとめて評価するか?
こんな感じで、2つのプロジェクトを異なる期間にわたり実行しているファンドのトータルのリターンをどう評価するかという話。
Year CF1 CF2 1 -10000 2 15000 3 10000 -1 4 2 5 3
色々な方法がある(なお、ここでは一旦MIRRは封印):
i) 個別のIRRを取って、平均を取る
IRR(1)=100%、IRR(2)=200%。なので、平均=150%。
しかし、10000を15000や10000にしたプロジェクトと、1を2にしたプロジェクトを同列に扱ってよいのだろうか?
ii) 加重平均を何らかの形で取る
例えば初期投資で加重平均を取ると、加重平均IRR=100.01%になる。
iii) キャッシュフローを合計する
二つのキャッシュフローを合計すると、(-10000, 15000, 9999, 2, 3)というCFになるので、これについてIRRを取ると、100.003%となる。
しかし、こうやって計算すると、万一途中に1つ以上負のキャッシュフローが出てくると問題が出る。すなわち、IRRが複数存在してしまうので(2次以上の方程式となるため)。
複数の解が存在するとき、そのどちらが適正なIRRか断言することはやや難しい。
iv) Time-zero IRR
全てのプロジェクトが行われた瞬間をゼロとして、実際の年月ではなく時点に置き換えてプロジェクトを再配列する。
Year CF1 CF2 1 -10000 -1 2 15000 2 3 10000 3 4 5
この合計についてIRRを取る。
個人的には、加重平均かこのTime-zero IRRが良いと思うが、加重平均は何を以てウェイティングするかという問題があるので、Time-zero IRRが一番ましであるように思う。
IRR (3)
3. 問題点(3) 再投資問題その2・・・IRRとMIRRとIMIRR(とNPV)
プロジェクトの予想CFが
みたいなプロジェクトに投資するPEファンドに銀行が投資したとする。
その時、PEと銀行の間で、解約できるのは早くとも5年後という契約が結ばれたとき、銀行にとってのCF(※手数料は便宜的に無視)は
となる。
このプロジェクトの採算性はどのように測定するのがいいのだろうか?
候補1: NPV
→ まず、「適性な割引率」のところでモメる。実務レベルで、関係者全員が100%納得するような割引率を見出すことは簡単ではない。
→仮に適正な割引率が見つかったとしても、3年目以降の(0, 0, ..., 0)のNPVがゼロで、プロジェクトの採算性とファンド投資の採算性を区別することができない(2年度末に解約できないデメリットを測定できない)。
特に最初の問題により、NPVは眉唾ものとされ、ファンドのパフォーマンスでNPVを出しているところは殆ど存在していない(NPVの是非を見るためには、割引率の導出過程も見なくてはならない)。
候補2: IRR
→NPVのようなうさんくささはなくなる。計算に使われる数字はナマのCFだけだからだ。
→しかし、「IRRで再投資」という前提により、数字が大きく出てしまう。換言すると、最後の100のあと、解約まで1年目の150や2年目の100がIRR(100%)で再投資されるという前提となり、怪しい。
→また、2年目で終了となるプロジェクトと5年間解約できないファンドの比較ができない(両方ともIRRは100%)。
候補3: MIRR
→IRRの怪しい前提をクリアでき、出てくる数字も妥当なものとなる。
→プロジェクトのMIRRとファンドのMIRRを区別できる。
→ただし、実際にPEあるいは投資家がその利回りで再投資するか否かは無視しており、再投資という仮定に若干の怪しさが残る。
候補4:IMIRR(Isolated Modified IRR)
→Phalippouさん他が提唱した概念で、「プロジェクトが終わったところで、再投資の前提を置かず、投資が終わったということにして計算してみましょう」というもの。すなわち、解約できる5年度末まで待たず、2年度末に解約がなされたと考えてMIRRを計算するということ。
→これだと、再投資の前提を最小限にして(途中のCFはどうしてもハードルレートでの再投資が仮定されるが、最後のキャッシュフローは再投資されない)怪しさを最小限にできる。
上記Phalippouさん他は、個別のプロジェクトを評価するにはIMIRR(かNPV)、ファンド単位で評価するにはMIRR(かNPV)がいいのではないかと主張している(実務家のそれに対する反対意見と、それに対する更なる反論も展開されている)。
個人的には、ハードルレートについて広く合意形成可能な相場に合ったものが使えるのであればMIRRの方が適切であるような気もするが、やはりそこに恣意性が入るので、数字が大きく出てしまうリスクを我慢してもIRRで行くのが良いのではないかと考える。
プロジェクトの予想CFが
プロジェクト1: (1, 2, 3) = (-100, 150, 100)
みたいなプロジェクトに投資するPEファンドに銀行が投資したとする。
その時、PEと銀行の間で、解約できるのは早くとも5年後という契約が結ばれたとき、銀行にとってのCF(※手数料は便宜的に無視)は
(1, 2, 3, 4, 5)=(-100, 150, 100, 0, 0)
となる。
このプロジェクトの採算性はどのように測定するのがいいのだろうか?
Year CF(Pr.) CF(Fund) 0 -100 -100 1 150 150 2 100 100 3 - 0 4 - 0 5 - 0 NPV(@20%) 94 94 IRR 100% 100% MIRR 59% 21% IMIRR 59% 59%
候補1: NPV
→ まず、「適性な割引率」のところでモメる。実務レベルで、関係者全員が100%納得するような割引率を見出すことは簡単ではない。
→仮に適正な割引率が見つかったとしても、3年目以降の(0, 0, ..., 0)のNPVがゼロで、プロジェクトの採算性とファンド投資の採算性を区別することができない(2年度末に解約できないデメリットを測定できない)。
特に最初の問題により、NPVは眉唾ものとされ、ファンドのパフォーマンスでNPVを出しているところは殆ど存在していない(NPVの是非を見るためには、割引率の導出過程も見なくてはならない)。
候補2: IRR
→NPVのようなうさんくささはなくなる。計算に使われる数字はナマのCFだけだからだ。
→しかし、「IRRで再投資」という前提により、数字が大きく出てしまう。換言すると、最後の100のあと、解約まで1年目の150や2年目の100がIRR(100%)で再投資されるという前提となり、怪しい。
→また、2年目で終了となるプロジェクトと5年間解約できないファンドの比較ができない(両方ともIRRは100%)。
候補3: MIRR
→IRRの怪しい前提をクリアでき、出てくる数字も妥当なものとなる。
→プロジェクトのMIRRとファンドのMIRRを区別できる。
→ただし、実際にPEあるいは投資家がその利回りで再投資するか否かは無視しており、再投資という仮定に若干の怪しさが残る。
候補4:IMIRR(Isolated Modified IRR)
→Phalippouさん他が提唱した概念で、「プロジェクトが終わったところで、再投資の前提を置かず、投資が終わったということにして計算してみましょう」というもの。すなわち、解約できる5年度末まで待たず、2年度末に解約がなされたと考えてMIRRを計算するということ。
→これだと、再投資の前提を最小限にして(途中のCFはどうしてもハードルレートでの再投資が仮定されるが、最後のキャッシュフローは再投資されない)怪しさを最小限にできる。
上記Phalippouさん他は、個別のプロジェクトを評価するにはIMIRR(かNPV)、ファンド単位で評価するにはMIRR(かNPV)がいいのではないかと主張している(実務家のそれに対する反対意見と、それに対する更なる反論も展開されている)。
個人的には、ハードルレートについて広く合意形成可能な相場に合ったものが使えるのであればMIRRの方が適切であるような気もするが、やはりそこに恣意性が入るので、数字が大きく出てしまうリスクを我慢してもIRRで行くのが良いのではないかと考える。
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