先日、ツイッターのTL上で、ウォール街今昔のようなものがいくつか流れていた。
その中に、ウォール街における女性の進出といったものがあった。ボーイズクラブのようだったウォール街にあって競争のスタートラインに立つことことすら困難な状況であった女性達が、驚くべきガッツと己の優秀さをもって少しずつ居場所を確保していったという話。この一連のTLのポイントは、Quota制(Affirmative Actionの一環として、なんらかの男女比を設定すること)が機能したか否かといった議論であったのだが、専門家ではない自分にはQuota制の是非は正直手に余る。自分がこのTLで気になったのは、「(ウォール街が今のような女性もいる状態になったのは)80年代に肩パッド入れて頑張った女性たちのおかげ」というツイート。肩パッドが、女性にとっての勇猛さ・男らしさの象徴として使われていることにはっと驚いた。
はっと思ったのは、自分が肩パッドが嫌いだから。さして深い意味や考え方があるわけではなく、単純にダサいという理由で敬遠しており、スーツ等では極力肩パッドのないものを選んでいた。
しかし、肩パッドにそのような記号論的含意があると理解した今となると、自分の「わざわざ肩パッドを敬遠する」という行為は、なんというか、少なくとも外見上は上記の80年代ウォール街女性と真逆に位置するのではないかと思うようになったり。同じ金融業界にあって、意識的に肩パッドの付いた服を着用していた彼女たちと、意識的に(その意味するところを理解してはいなかったとはいえ)肩パッドを倦厭していた自分。うーん、手垢のついた言葉で言うと、肉食系女子と草食系男子って感じかも。
そうやって考えると、あまり考えたことはなかったが、自分はたいがいに草食系なのかもしれない。肉食性といったら口が悪い点くらいで、性欲も物欲もさほど強くないし(金が入ったら目覚めて急変するかもしれないけど、とりあえず今のところは)、見た目も筋肉質とは程遠いし、「やりたいことがないから、やりたいことがある人を助けることができるような仕事がいい、彼らが欲しいのは金と知恵なので、金融」とかいう自分の職業上の展望も草食系と言うか、魚の腐ったようなというか。。。しかも、フェミニン路線で行こうにも顔も体つきも中途半端なので、単純に微妙な草食系となってしまっているのだろう。
たしかに、高校生から大学生くらいにかけては、無駄に中性的である者に対するあこがれのようなものがあったような気がしないでもない。決して女装とかホモとかそういう方向ではなかったけど。もしかすると当時の価値観の澱のようなものが残っていて、それも自分の草食性というかヒョロさの一因になっているのかも。
なるほど自分は草食系の一員なのかもしれない。しかし大丈夫(?)。学生時代のフェミニンへの憧れが今の自分を形成しているとすると、大学院生時代の今をマッチョの国アメリカで過ごしていることが自分を引き戻してくれるのではないかと思っている(いや、思っていないけど)。
マッチョ思想に染まった数年後の自分は、やがてすっかり肉食系・マッチョ・自信家に生まれ変わり、分厚い胸板をシャツの第3ボタンまで開けることで強調しつつ、ぎろっぽんで業界用語を連発して、ときに黒人や海老蔵と喧嘩もしつつ、夜な夜なバブルに大騒ぎ...うーん、絶対ないな。。。