Saturday, February 12, 2011

Flogton

今日のWSJ、A最終面の記事を見て面白かったのでメモ。

記事のリンク

記事の要約をすると

・アメリカでもゴルフ人口は減少傾向にある
・そんな中、シリコンバレーの経営者たちが、Flogtonという新しいスタイルのゴルフを提唱している
(ちなみに、FlogtonをひっくりかえすとNot Golf)
・基本コンセプトは、初心者にとってハードルとなっているゴルフの各種制約を可能な限り取っ払ってしまおうというもので:
- 1ホール一回はMulligan(やり直し)OKとする
- 常にボールが止まった地点から6フィート動かしてよい(落ちた場所が悪いときのストレスがなくなる)
- バンカーからは手で出せる
- 服装は自由
- クラブやボールの制約もなしとする(現状は、プロとアマチュアで同じ規制が課されていることから、「もっと簡単に飛ばせればなぁ」というアマチュアのニーズが満たされない状況)
といったものであるらしい。

このFlogton、個人的には強く賛成。
服装やら何やら、ゴルフには現代にあっては理不尽以外の表現方法が思いつかないルールが多い。
自分が学生や社会人1年目のときに、「ゴルフには興味あるが、チノパンなんて持ってないからゴルフ場に行けないや」という何とも勿体ない話を聞いたことがある。少なくとも服装規制は、かつてゴルフが金持ちのスポーツだった時代に貧乏人を排除するための手段が惰性で現存しているだけで、実質的な意義はないのではないかと思うのだが。
また、ゴルフの競技場のルールは、慣れればなんてことないが、初心者にはかなり厳しいものが多い。バンカーから出ず、1ホール十数打を記録してゴルフ嫌いになった人は少なくないだろう。
このように、ゴルフはその各種ルールのせいで、プレーヤーになりうる人を必要以上に排除してしまっていると思う。中級者以上であればルールはゲームを引き締める役割を果たすかもしれないが、であればそのようなルールは中級者以上が自発的に順守すればいいだけの話ではないかと個人的には思う。

と書いて、日本でよく
「その価値観はご立派だとは思うが、押し付けるのはやめてくれよ。あなたが勝手にその価値観を遵守するのは素晴らしいと思うし、自分もできればその価値観を尊重したいとは思う。でも、押し付けられてしまうと、尊重したいものも尊重したくなくなってしまうんだよなぁ」と腹をたてたなぁとふと思い出した。
おそらくこのFlogtonの話、「ゴルフ」を「日本」に置き換えるか何かすれば、たぶんそれっぽい話ができてしまうのかも...