数日飛んで火曜日。ブログが書けないほど忙しかったということは全くないのだが、色々やっていたら気が付いたら眠くなってしまったので書かずに就寝と言う感じで2日ほどスルーしてしまった。色々小さな出来事やら思ったことやらはあった気がするのだがすっかり忘却の彼方。
・昼と夕方に学部生の日本人と進路等について色々とおしゃべりして刺激を受けるなど。
自分はつい近場にいる人々とのやり取りに安住してしまう傾向があるのだが、接点が乏しかった人たちと話すことで得られる刺激/有難みを再確認。
しかしそれにしても、彼らの年くらいのときの自分って、脳味噌がゴルフとか麻雀とか同級生のかわいいあの子のこととかに占領されていたように思われて情けない。海外で学ぶとか、日本のプレゼンスを高めたいとか、そういうことを考えることができていれば今頃自分はもっと立派な人間になれていたのではないだろうか・・・具体的には、なんだろ、「えっと、あれ、日本語で何ていうか忘れちゃった」というのが口癖になっていたり、身長がもう15cmくらい伸びてたり(?)、週4回のジム通いは欠かささなくなっていたり、妻が金髪美女だったりしたのかしら?
想像力乏しすぎるな俺...
Tuesday, May 31, 2011
Sunday, May 29, 2011
春が終わる
5月も末。FBなどを見ると多くの学校が既に一年間のプログラムを終えており、多くの友人知人が卒業式に参加したり日本に帰国したりしている。他校と比べて始まりも終わりも遅いUCLAにおいてさえ、いよいよ一年間の終わりが近づいてきている。2年生などは最後の追い込みとばかりに旅行にいったり色々やっていて、1年生の自分からするとそんな彼らの行動から別れが近づいていることを感じざるを得ず、寂しいものがある。
これまで二十数年、出会いと別れは春にあるものとすっかり刷り込まれている自分としては(社会人になってからでさえ、すべての異動が4月初頭だった)、こんな初夏に別れがあるということをどうも咀嚼しきれずにいる。特にカリフォルニアにいるからなのかもしれない。ここLAの5月から6月にかけての雲一つない程よく暑い日々は、日本の3月末から4月にかけての「まだ少し肌寒いが、冬の間色を変えていた草木がすっかり青みをとりもどしてきており、桜はもう満開で...」といった風情とは全く異なる。そんな異なる風情にあっては、全くもって、日本で感じていたような「別れのシーズン感」が出てこないように思われる。
まだ一年生なので感傷的になることも殆どないのだが、果たして来年の今頃、このような日本とは全く異なる状況において、自分はいったいどのような気持ちになるものだろうかと少し興味深く思っている。気候が人のセンチメントに影響することを考慮すると、日本では3月末に感傷的になっていた自分も、ここでは卒業のときに感傷的になるというよりは「よーし一個クリア、いよいよ次のステージだ」といったよりネアカな感情を抱いちゃったりして、とか想像している。
別れの話のついでに、先日ふと思い出した過去の別れの記憶を書いてみる。
自分は学生時代、六本木のはずれにあるサブウェイで2年弱ほどアルバイトをしていたことがある。自分の地元や学校では出会えないような個性豊かな人々と出会え、客層もかなりバラエティに富んでおり、また終わったあと簡単に渋谷やら六本木やらに行くことができたので非常に楽しいバイトであった。週2くらいで徹マンしてたなぁとか(楽しすぎて学業に支障が出たが...)
そんなサブウェイのバイト先輩にKさんという人がいた。自分が20歳くらいのときに既に30過ぎということだったので、今は40歳を超えているのだろう。愛嬌のある関西弁を話すKさんは、聞くところ歌手を目指しているということであり、毎日昼サブウェイで働き、その後バーでバーテンダー兼歌手をやっているとのことであった。非常に人懐っこい人で、自分もとてもよくしてもらった記憶がある。とても綺麗な彼女さんがいて、Kさんをサブウェイまで迎えに来た彼女さんにあいさつされてよく赤面したものであった。
そんなKさんであったが、自分がバイトを始めて1年くらいたったところでバイトをやめることになった。他の先輩曰く、歌手になる夢をあきらめ、家業を継ぐべく地元の大阪に帰ることにしたらしい。で、ちょうど3月末で他の先輩も就職とかで何人かやめることになっていたので、バイト仲間でちょっと会をしようということになった。
一次会はなんてことのない六本木の居酒屋。普通に飲んで食って。感動して今でも記憶に残っているのは二次会。Kさんが夜働いているバーに皆で行って、当時は殆ど味もわからなかったウイスキーか何かをちびちび。そうこうしているうちに、Kさんが歌を披露してくれた。3,4曲歌ってくれたのだが、全ての曲目は覚えていない。ただ、一曲、Englishman in New Yorkだけは強烈に記憶に残っている。Stingもびっくりの躍動感で、なんというか、「ソウルがこもった」とかしか言いようのない見事な歌いっぷりであった。もしかすると、歌に出てくる英国人がNYCに感じたような疎外感と、大阪に帰るKさんが東京に感じたかもしれない疎外感がシンクロしていたのかもしれないが、あんなに心を揺さぶられる経験はその後そうはしていないと思う。その後カラオケでこの歌にチャレンジしてみたこともあったが、英語だしSting特有のリズム感も難しいし、Kさんが難しい歌をいかに歌いこなしていたか思い知らされただけで終わってしまった。
あれからおよそ10年、おそらく今の自分は当時のKさんと同じくらいの年齢。今の自分には彼女どころか妻も娘もいる。しかし、今の自分は、あの頃のKさんのように何かに情熱を注ぎ自分にチャレンジできているのだろうか。Kさんが自分を歌や人柄で感動させたようなことが果たして今の自分にできるのだろうか...
ところで、Kさんが歌い上げていた片隅で、イケメンとは程遠い社員さんがバイトのかなりかわいい女の子を一生懸命酒に任せて口説いていてしかも女の子が微妙に落ちかけていてものすごく違和感を抱いた記憶がある。あの不思議現象がセットじゃなければ、どれだけKさんの歌が良かったとしても、この日のことはこうも記憶に残ることはなかったかも、なんて。
これまで二十数年、出会いと別れは春にあるものとすっかり刷り込まれている自分としては(社会人になってからでさえ、すべての異動が4月初頭だった)、こんな初夏に別れがあるということをどうも咀嚼しきれずにいる。特にカリフォルニアにいるからなのかもしれない。ここLAの5月から6月にかけての雲一つない程よく暑い日々は、日本の3月末から4月にかけての「まだ少し肌寒いが、冬の間色を変えていた草木がすっかり青みをとりもどしてきており、桜はもう満開で...」といった風情とは全く異なる。そんな異なる風情にあっては、全くもって、日本で感じていたような「別れのシーズン感」が出てこないように思われる。
まだ一年生なので感傷的になることも殆どないのだが、果たして来年の今頃、このような日本とは全く異なる状況において、自分はいったいどのような気持ちになるものだろうかと少し興味深く思っている。気候が人のセンチメントに影響することを考慮すると、日本では3月末に感傷的になっていた自分も、ここでは卒業のときに感傷的になるというよりは「よーし一個クリア、いよいよ次のステージだ」といったよりネアカな感情を抱いちゃったりして、とか想像している。
別れの話のついでに、先日ふと思い出した過去の別れの記憶を書いてみる。
自分は学生時代、六本木のはずれにあるサブウェイで2年弱ほどアルバイトをしていたことがある。自分の地元や学校では出会えないような個性豊かな人々と出会え、客層もかなりバラエティに富んでおり、また終わったあと簡単に渋谷やら六本木やらに行くことができたので非常に楽しいバイトであった。週2くらいで徹マンしてたなぁとか(楽しすぎて学業に支障が出たが...)
そんなサブウェイのバイト先輩にKさんという人がいた。自分が20歳くらいのときに既に30過ぎということだったので、今は40歳を超えているのだろう。愛嬌のある関西弁を話すKさんは、聞くところ歌手を目指しているということであり、毎日昼サブウェイで働き、その後バーでバーテンダー兼歌手をやっているとのことであった。非常に人懐っこい人で、自分もとてもよくしてもらった記憶がある。とても綺麗な彼女さんがいて、Kさんをサブウェイまで迎えに来た彼女さんにあいさつされてよく赤面したものであった。
そんなKさんであったが、自分がバイトを始めて1年くらいたったところでバイトをやめることになった。他の先輩曰く、歌手になる夢をあきらめ、家業を継ぐべく地元の大阪に帰ることにしたらしい。で、ちょうど3月末で他の先輩も就職とかで何人かやめることになっていたので、バイト仲間でちょっと会をしようということになった。
一次会はなんてことのない六本木の居酒屋。普通に飲んで食って。感動して今でも記憶に残っているのは二次会。Kさんが夜働いているバーに皆で行って、当時は殆ど味もわからなかったウイスキーか何かをちびちび。そうこうしているうちに、Kさんが歌を披露してくれた。3,4曲歌ってくれたのだが、全ての曲目は覚えていない。ただ、一曲、Englishman in New Yorkだけは強烈に記憶に残っている。Stingもびっくりの躍動感で、なんというか、「ソウルがこもった」とかしか言いようのない見事な歌いっぷりであった。もしかすると、歌に出てくる英国人がNYCに感じたような疎外感と、大阪に帰るKさんが東京に感じたかもしれない疎外感がシンクロしていたのかもしれないが、あんなに心を揺さぶられる経験はその後そうはしていないと思う。その後カラオケでこの歌にチャレンジしてみたこともあったが、英語だしSting特有のリズム感も難しいし、Kさんが難しい歌をいかに歌いこなしていたか思い知らされただけで終わってしまった。
あれからおよそ10年、おそらく今の自分は当時のKさんと同じくらいの年齢。今の自分には彼女どころか妻も娘もいる。しかし、今の自分は、あの頃のKさんのように何かに情熱を注ぎ自分にチャレンジできているのだろうか。Kさんが自分を歌や人柄で感動させたようなことが果たして今の自分にできるのだろうか...
ところで、Kさんが歌い上げていた片隅で、イケメンとは程遠い社員さんがバイトのかなりかわいい女の子を一生懸命酒に任せて口説いていてしかも女の子が微妙に落ちかけていてものすごく違和感を抱いた記憶がある。あの不思議現象がセットじゃなければ、どれだけKさんの歌が良かったとしても、この日のことはこうも記憶に残ることはなかったかも、なんて。
Saturday, May 28, 2011
ケーススタディって
金・土まとめて。両日とも概ね勉強してた。現実逃避に旅行やらコンサートやら予約してみたり。
今日は戦略論の復習、というか授業をろくすっぽ聞いていなかったのでほぼ一から勉強してみた。授業が致命的なほどにつまらないことからややアレルギーを抱いていたこの科目であるが、ハンドアウトや教科書を読んで自分なりに考察してみると実に面白い。
でも、少なくともこの授業、ケーススタディが心底つまらなかった。教授の運営が下手なせい?それともケーススタディという手法自体に自分が馴染んでいないから?
あまりの戦略論のケースディスカッションがつまらなかったので、そもそもケースディスカッションにどのくらい意味があるのか少し考えてみた。この一年の乏しい経験から経験則を見出すのであれば、ケーススタディは
・ケース→その解説 という順番だと全然面白くない
・解説→その内容を使うと理解できるようなケース という順番だと割と面白い
・HBSケースは所詮人の体験談。人の体験から学ぶことができるほど自分の要領はよくない。
・既に習ったコンセプトを試す材料としては、HBSのケースは秀逸
・結局、学習にあたり参照するのは自己の体験である場合がほとんど
・ケースディスカッションは、ほとんどの場合においてあまり意味がなかった
といった感じ。理解の殆どは、予習や宿題をしているとき、あるいは教授のレクチャーを聞いているときに得られていて、ケースディスカッションからの学びは正直多くない。
習った内容をHBSのケースを使って応用するのはそれなりに有効な作業だと思う。たとえば、為替リスクヘッジの方法について学んだ日の宿題として、とある企業にどのように為替リスクヘッジをすればよいか助言するようなケースは勉強になる。習った内容をどう応用すればいいか、一人机でケースに向かい合っている時間は有意義だと思う。
しかし、それについてクラスで議論する時間はあまり意味がないと思う。教授の「模範解答」は大変参考になるが、クラスメートの意見に感心したことは殆どない。自分と同じ間違いをしていた学生の発表により自分も誤解を修正できた、という事例がたまにあるくらい。クラスメートの話を聞く時間って、ゴルフや書道のレッスンにおいて、先生が他の生徒に指導しているのを眺めている時間と同じくらい意義の薄い時間だと思う。上述した通り同じ間違いをしてくれる人がいたりするので意義がないとは言わないが、学びの効率性は高くないので、授業の半分以上をケースディスカッションにされたりするとどうしてもスカスカ感が出てしまう。戦略論も、90分のうち60分はケースディスカッションでレクチャーは30分あるかないかなので、復習する内容もほとんどなく楽だった。むしろ、ケースディスカッションの60分相当分、他の知識を伝授してくれた方が自分としてはよほどありがたいのだが。
自分がものを理解したプロセスを振り返ってみると、その多くの場合、HBSのケースの代わりに自分の経験とレクチャーの内容を照らし合わせていたように思う。「このコンセプトを知っていれば、あの取引先の分析に仕えたのになぁ」とか。毎日毎日、自分の過去の記憶と向き合っていたように思う。そういう意味において、たった5年間ではあるが実務経験を経た上でMBAに来れたのは非常に大きかった。HBSのケースは所詮人の経験談でありそこから学ぶことは自分には正直難しいのだが、レクチャーと自分の過去の仕事内容を重ね合わせる「個人的ケーススタディ」から得られる学びは非常に大きい。
これは逆に、自分が「自分が経験していないこと」について効率的に学べていないことを意味する。マーケティングやオペレーションのケースで、ケースの事例に関する経験がないことからまったく共感を抱けず、殆ど収穫感のないまま終わってしまったことが数回あった。もし自分が「他人の経験=HBSのケースから学ぶ能力・あるいは姿勢」のようなものをもう少し備えていれば、そういった授業をもう少し楽しむことができたのかもしれない。ということで、斜に構えて「ケーススタディなんて所詮」と言って終わりにするのではなく、たとえ批判的なスタンスを持ったままであってもケースからもっと積極的に学ぶ姿勢を打ち出していかないと勿体ない思いをしてしまうようにも思われる。ということで、今日はケーススタディに対するネガティブな意見で盛り上がったが、結局そうは言いつつもそんなケーススタディを受け入れないと自分が損するから頑張って受け入れないとなぁというところで結局落ち着いた。
今日は戦略論の復習、というか授業をろくすっぽ聞いていなかったのでほぼ一から勉強してみた。授業が致命的なほどにつまらないことからややアレルギーを抱いていたこの科目であるが、ハンドアウトや教科書を読んで自分なりに考察してみると実に面白い。
でも、少なくともこの授業、ケーススタディが心底つまらなかった。教授の運営が下手なせい?それともケーススタディという手法自体に自分が馴染んでいないから?
あまりの戦略論のケースディスカッションがつまらなかったので、そもそもケースディスカッションにどのくらい意味があるのか少し考えてみた。この一年の乏しい経験から経験則を見出すのであれば、ケーススタディは
・ケース→その解説 という順番だと全然面白くない
・解説→その内容を使うと理解できるようなケース という順番だと割と面白い
・HBSケースは所詮人の体験談。人の体験から学ぶことができるほど自分の要領はよくない。
・既に習ったコンセプトを試す材料としては、HBSのケースは秀逸
・結局、学習にあたり参照するのは自己の体験である場合がほとんど
・ケースディスカッションは、ほとんどの場合においてあまり意味がなかった
といった感じ。理解の殆どは、予習や宿題をしているとき、あるいは教授のレクチャーを聞いているときに得られていて、ケースディスカッションからの学びは正直多くない。
習った内容をHBSのケースを使って応用するのはそれなりに有効な作業だと思う。たとえば、為替リスクヘッジの方法について学んだ日の宿題として、とある企業にどのように為替リスクヘッジをすればよいか助言するようなケースは勉強になる。習った内容をどう応用すればいいか、一人机でケースに向かい合っている時間は有意義だと思う。
しかし、それについてクラスで議論する時間はあまり意味がないと思う。教授の「模範解答」は大変参考になるが、クラスメートの意見に感心したことは殆どない。自分と同じ間違いをしていた学生の発表により自分も誤解を修正できた、という事例がたまにあるくらい。クラスメートの話を聞く時間って、ゴルフや書道のレッスンにおいて、先生が他の生徒に指導しているのを眺めている時間と同じくらい意義の薄い時間だと思う。上述した通り同じ間違いをしてくれる人がいたりするので意義がないとは言わないが、学びの効率性は高くないので、授業の半分以上をケースディスカッションにされたりするとどうしてもスカスカ感が出てしまう。戦略論も、90分のうち60分はケースディスカッションでレクチャーは30分あるかないかなので、復習する内容もほとんどなく楽だった。むしろ、ケースディスカッションの60分相当分、他の知識を伝授してくれた方が自分としてはよほどありがたいのだが。
自分がものを理解したプロセスを振り返ってみると、その多くの場合、HBSのケースの代わりに自分の経験とレクチャーの内容を照らし合わせていたように思う。「このコンセプトを知っていれば、あの取引先の分析に仕えたのになぁ」とか。毎日毎日、自分の過去の記憶と向き合っていたように思う。そういう意味において、たった5年間ではあるが実務経験を経た上でMBAに来れたのは非常に大きかった。HBSのケースは所詮人の経験談でありそこから学ぶことは自分には正直難しいのだが、レクチャーと自分の過去の仕事内容を重ね合わせる「個人的ケーススタディ」から得られる学びは非常に大きい。
これは逆に、自分が「自分が経験していないこと」について効率的に学べていないことを意味する。マーケティングやオペレーションのケースで、ケースの事例に関する経験がないことからまったく共感を抱けず、殆ど収穫感のないまま終わってしまったことが数回あった。もし自分が「他人の経験=HBSのケースから学ぶ能力・あるいは姿勢」のようなものをもう少し備えていれば、そういった授業をもう少し楽しむことができたのかもしれない。ということで、斜に構えて「ケーススタディなんて所詮」と言って終わりにするのではなく、たとえ批判的なスタンスを持ったままであってもケースからもっと積極的に学ぶ姿勢を打ち出していかないと勿体ない思いをしてしまうようにも思われる。ということで、今日はケーススタディに対するネガティブな意見で盛り上がったが、結局そうは言いつつもそんなケーススタディを受け入れないと自分が損するから頑張って受け入れないとなぁというところで結局落ち着いた。
Thursday, May 26, 2011
試合終了
木曜日。
・今日でBiddingが終了。戦いを振り返ると、
初日:唯一初日で売り切れとなったBehavioral Finance(最先端のファイナンスを学びたい人半分・随一の楽勝科目という評判に引き寄せられて申し込む非ファイナンス系の人半分らしい)に突撃するも、あえなく撃沈。一回に複数科目Bidできるというルールを知らなかったのだが、知っていればこの日に別の科目を落札できていたのに。
2日目:VBAプログラミングと起業論で悩んだが、さすがにVBAを優先ってのはないかなぁと思うに至り、起業論を選択。初日で売り切れなかった、すなわち初日であれば1点で買えた授業だったが、既に席が残り少ないことから大枚を投入。落札データは最低値・平均値・最高値が公表されるのだが、なんと最高値が自分の投入額だった。。。なんだか情けない。
そしてVBAもこのラウンドで売り切れ。ビッドを検討しておいて何だが、たかがVBAが人気殺到ってどういうことなのかしら。
3日目:マクロ経済と不動産で悩んだが、マクロは春学期に大物教授が同じ授業を担当することから、履修を延期し不動産をチョイス。
実は不動産がわりと強いAnderson。学会の大物から不動産ファンドで一発当てた人まで色々揃っている。今学期は不動産関連で4科目選択科目がある。クラスメートで不動産マニアのB君に相談したところ、「まず○○の授業で基礎や理論を習得して、次に◆◆の授業で実践力をつけると良い」と非常に的確なアドバイスをもらったことから○○先生の授業にBid。席も余っていてタダみたいな点数で落札できたが、最終日には売り切れていたので得した気分。
4日目:興味があったが誰もビッドしていない、すなわち開講されないリスクにさらされているオプションの授業にビッドするか相当迷ったが、開講されなかったとき無駄銭を使ったことになるので結局断念、ベタではあるがM&AとかLBOとかの授業にビッド。どうせ売り切れっこないと思い適当にちょっとだけ点を入れたが、予想外に売り切れとなり、自分はあわや落札し損ねるところであった。冷や汗。結局オプションは4日間を通じて入札者がたったの2人。。こりゃ開講されないっぽいなぁ。
ということで、4日間の戦いを終えて3科目を落札。あと1,2科目ほどについては余っている科目の中から、あるいは他学部の授業から後日選ぶことになる。これについてはしばらく時間の余裕があるのでゆっくり考えよう(来月の旅行中に登録が始まるので、のんびりしすぎるわけにもいかないが)
しかし、履修科目数に上限がなく、他学部も受講し放題というUCLAはかなりお得な気がする。
・今日でBiddingが終了。戦いを振り返ると、
初日:唯一初日で売り切れとなったBehavioral Finance(最先端のファイナンスを学びたい人半分・随一の楽勝科目という評判に引き寄せられて申し込む非ファイナンス系の人半分らしい)に突撃するも、あえなく撃沈。一回に複数科目Bidできるというルールを知らなかったのだが、知っていればこの日に別の科目を落札できていたのに。
2日目:VBAプログラミングと起業論で悩んだが、さすがにVBAを優先ってのはないかなぁと思うに至り、起業論を選択。初日で売り切れなかった、すなわち初日であれば1点で買えた授業だったが、既に席が残り少ないことから大枚を投入。落札データは最低値・平均値・最高値が公表されるのだが、なんと最高値が自分の投入額だった。。。なんだか情けない。
そしてVBAもこのラウンドで売り切れ。ビッドを検討しておいて何だが、たかがVBAが人気殺到ってどういうことなのかしら。
3日目:マクロ経済と不動産で悩んだが、マクロは春学期に大物教授が同じ授業を担当することから、履修を延期し不動産をチョイス。
実は不動産がわりと強いAnderson。学会の大物から不動産ファンドで一発当てた人まで色々揃っている。今学期は不動産関連で4科目選択科目がある。クラスメートで不動産マニアのB君に相談したところ、「まず○○の授業で基礎や理論を習得して、次に◆◆の授業で実践力をつけると良い」と非常に的確なアドバイスをもらったことから○○先生の授業にBid。席も余っていてタダみたいな点数で落札できたが、最終日には売り切れていたので得した気分。
4日目:興味があったが誰もビッドしていない、すなわち開講されないリスクにさらされているオプションの授業にビッドするか相当迷ったが、開講されなかったとき無駄銭を使ったことになるので結局断念、ベタではあるがM&AとかLBOとかの授業にビッド。どうせ売り切れっこないと思い適当にちょっとだけ点を入れたが、予想外に売り切れとなり、自分はあわや落札し損ねるところであった。冷や汗。結局オプションは4日間を通じて入札者がたったの2人。。こりゃ開講されないっぽいなぁ。
ということで、4日間の戦いを終えて3科目を落札。あと1,2科目ほどについては余っている科目の中から、あるいは他学部の授業から後日選ぶことになる。これについてはしばらく時間の余裕があるのでゆっくり考えよう(来月の旅行中に登録が始まるので、のんびりしすぎるわけにもいかないが)
しかし、履修科目数に上限がなく、他学部も受講し放題というUCLAはかなりお得な気がする。
Wednesday, May 25, 2011
神経質 or Not
水曜日。
3週連続で定休日を利用して山へハイキング。女子プロ(ハイキング)が毎年開催される有名な(ハイキング)コースへ。なんというか狭苦しい感じで、日本の山岳コースを思い出した。
運動の後はリトルトーキョーのオロチョンラーメンへ。辛さが調節できることが売りのこの店だが、ひよって中辛レベルのラーメンを頼んだらあまりに普通で感動も少なめ。店員のアメリカ人がいかにも原宿っぽい服装をしていて激しく違和感。原宿で見かけても違和感があるのに、LAで見たら単に滑稽なだけに思えた。。
・運動中に、携帯にメールが。読んでびっくり、とても残念なお知らせ。
2年生で行うフィールドスタディ、アメリカ人の同級生が陰でダブルブッキングしていたそうで。で、諸事情により向こうのチームに加入することを決意したとのことで「すまんね、でも問題ないよね?ではでは」といった、とても軽いノリだが重い内容。
あちゃー、これは大変。残念ながら問題ありまくり。新たに誰か一人招かないといけなくなったが、殆どのチームはできあがってしまっており、まだプラプラしている人など殆どいなそう。。
なんだかどうも、今学期はこんな感じで、「相手が軽いノリでやったことにより、当方が大ダメージ」といった展開が重なっている。厄年?あるいは自分のせいか?
・本件で、自分の留学中の「こうありたい」という目標の一つがかなり揺さぶられている。
このアメリカ人君、これまでのチームでのやり取りにかなーり消極的だった。その消極性は明らかだったのだが、「ここはアメリカだし、単にメール筆無精なだけかもしれないし、あまり確証もないままに懸念を表明するのもアレだし」とか思ってほったらかしにしていた。しかし、結果論としては、もし早い段階で彼の消極性に懸念表明していれば、彼のダブルブッキングを把握することができたように思われる。そしたら、早い段階でもう一人のチームメイトを確保できていた可能性が高く、今回のように「今更もう一人はシンドイですよ」という窮地に立たされることもなかったように思われる(我々は、5人そろったことでメンバー探しをまるっきりやめてしまっていた)。
自分は留学中、なかば意識的に「懸念を抱いても、その懸念が顕在化したり皆に共有されるまでは、表明するのを控えよう」と考え、実際懸念表明を複数回先延ばしあるいは我慢してきた(我慢が足りずつい言ってしまって周囲に寒い思いをさせたこともあるように思うけど、この際その辺はむにゃむにゃ)。しかし、どうもその決断が裏目に出て「あーあ、やっぱり」という溜息を何度もついてしまっている気がする。この間も、「この人がそんな馬鹿馬鹿しいことするはずないから、ちょっと気になるけどわざわざ注意喚起することもないか」と判断して何も注意喚起せずにいたら、マーフィーの法則ばりにその人が「そんな馬鹿馬鹿しいこと」をやって、その結果自分が大怪我をしたばかり。
過去の諸経験(たとえば、早い段階で懸念表明して「おまえ寒い」と言われた経験)から、留学中は「できるだけ懸念表明を我慢してみよう」と考えて一年間やってきた。懸念表明を控えることが一種のアメリカ的ポジティブネスに繋がるものであると思いながら。しかし、今日の一件で、その決断が正しかったのか否かかなり自信がなくなってきている。
とは言え、いくら今回のようなことがあっても、なかなか簡単に「やーめたやめた、明日からは気づいた瞬間懸念表明しちゃいます」と方向転換することにもかなりの心理的抵抗がある。早い段階での懸念表明に伴うデメリットは小さくはないからだ(相手が気付くチャンスを奪うことになる・冷や水効果etc)。
なんというか、本件(とここ数か月にあったいくつかの痛い出来事)で、世の中性善説だけじゃ駄目なんだなぁと非常に強く痛感した。性善説が通用する世界-たとえば自分の元職場やらここAnderson-にあっては、たとえば「懸念表明を急がない」といった自分の考えはかなりワークする。だけど、皆色々な利害を背負った大人だからか、性善説が通用しない局面が年を取るにつれ少しずつ増えてきている気がする。お子ちゃまなのであまり考えたことなかったけど、性善説が通用しない可能性に配慮を巡らせて、その場合の身の処し方についてもうちょっとクレバーに考えなきゃいかんのかもしれない。
3週連続で定休日を利用して山へハイキング。女子プロ(ハイキング)が毎年開催される有名な(ハイキング)コースへ。なんというか狭苦しい感じで、日本の山岳コースを思い出した。
運動の後はリトルトーキョーのオロチョンラーメンへ。辛さが調節できることが売りのこの店だが、ひよって中辛レベルのラーメンを頼んだらあまりに普通で感動も少なめ。店員のアメリカ人がいかにも原宿っぽい服装をしていて激しく違和感。原宿で見かけても違和感があるのに、LAで見たら単に滑稽なだけに思えた。。
・運動中に、携帯にメールが。読んでびっくり、とても残念なお知らせ。
2年生で行うフィールドスタディ、アメリカ人の同級生が陰でダブルブッキングしていたそうで。で、諸事情により向こうのチームに加入することを決意したとのことで「すまんね、でも問題ないよね?ではでは」といった、とても軽いノリだが重い内容。
あちゃー、これは大変。残念ながら問題ありまくり。新たに誰か一人招かないといけなくなったが、殆どのチームはできあがってしまっており、まだプラプラしている人など殆どいなそう。。
なんだかどうも、今学期はこんな感じで、「相手が軽いノリでやったことにより、当方が大ダメージ」といった展開が重なっている。厄年?あるいは自分のせいか?
・本件で、自分の留学中の「こうありたい」という目標の一つがかなり揺さぶられている。
このアメリカ人君、これまでのチームでのやり取りにかなーり消極的だった。その消極性は明らかだったのだが、「ここはアメリカだし、単にメール筆無精なだけかもしれないし、あまり確証もないままに懸念を表明するのもアレだし」とか思ってほったらかしにしていた。しかし、結果論としては、もし早い段階で彼の消極性に懸念表明していれば、彼のダブルブッキングを把握することができたように思われる。そしたら、早い段階でもう一人のチームメイトを確保できていた可能性が高く、今回のように「今更もう一人はシンドイですよ」という窮地に立たされることもなかったように思われる(我々は、5人そろったことでメンバー探しをまるっきりやめてしまっていた)。
自分は留学中、なかば意識的に「懸念を抱いても、その懸念が顕在化したり皆に共有されるまでは、表明するのを控えよう」と考え、実際懸念表明を複数回先延ばしあるいは我慢してきた(我慢が足りずつい言ってしまって周囲に寒い思いをさせたこともあるように思うけど、この際その辺はむにゃむにゃ)。しかし、どうもその決断が裏目に出て「あーあ、やっぱり」という溜息を何度もついてしまっている気がする。この間も、「この人がそんな馬鹿馬鹿しいことするはずないから、ちょっと気になるけどわざわざ注意喚起することもないか」と判断して何も注意喚起せずにいたら、マーフィーの法則ばりにその人が「そんな馬鹿馬鹿しいこと」をやって、その結果自分が大怪我をしたばかり。
過去の諸経験(たとえば、早い段階で懸念表明して「おまえ寒い」と言われた経験)から、留学中は「できるだけ懸念表明を我慢してみよう」と考えて一年間やってきた。懸念表明を控えることが一種のアメリカ的ポジティブネスに繋がるものであると思いながら。しかし、今日の一件で、その決断が正しかったのか否かかなり自信がなくなってきている。
とは言え、いくら今回のようなことがあっても、なかなか簡単に「やーめたやめた、明日からは気づいた瞬間懸念表明しちゃいます」と方向転換することにもかなりの心理的抵抗がある。早い段階での懸念表明に伴うデメリットは小さくはないからだ(相手が気付くチャンスを奪うことになる・冷や水効果etc)。
なんというか、本件(とここ数か月にあったいくつかの痛い出来事)で、世の中性善説だけじゃ駄目なんだなぁと非常に強く痛感した。性善説が通用する世界-たとえば自分の元職場やらここAnderson-にあっては、たとえば「懸念表明を急がない」といった自分の考えはかなりワークする。だけど、皆色々な利害を背負った大人だからか、性善説が通用しない局面が年を取るにつれ少しずつ増えてきている気がする。お子ちゃまなのであまり考えたことなかったけど、性善説が通用しない可能性に配慮を巡らせて、その場合の身の処し方についてもうちょっとクレバーに考えなきゃいかんのかもしれない。
Tuesday, May 24, 2011
ビッドは続く
火曜日。
・ようやく2ndラウンドでビッドに成功。アントレ系の人気授業で、結構なポイントを使ってしまった。
しかしそれにしても、この段階に至っても残りの科目をどうしたものか考えが全然固まらない。そして、一番受講したいオプションの授業にビッドが1票も入っておらず、最小履行人数を割り込むというか何もかもがなかったことになってしまいそうな情勢。
あと、何をどうやっても定休日の確保が難しそう。Early Bird→学校、あるいは学校→Twilightか。。
・昼休みには不動産の教授のミニセッション。ピザ目当ての人が大量(含む自分)。説明資料の大半がブログ(Calculated Risk)でちょっと拍子抜け、あるいはCalculated Riskがすごいのか。この人の授業を受講するか検討中。
・International Finance、これまでは授業運営について結構好意的に見ていたのだが、だんだん好感しきれなくなってきた。今日はオプションだったのだが、コール・プットのロングショートのペイオフ図とか、「金利が上がったら価格は云々」という必修でカバーした話で貴重な90分の大半を使ってしまうのはいかがなものか。必修でやったはずなのに改めて初歩的な質問をボコスコする学生側も学生側だが、そんなものをいちいち相手にする教授も教授。結局、皆が知りたかったはずのBS式についての解説は1分で終わってしまいとてつもない消化不良感。しかも宿題はBS式って。。あと、もう少しでもいいので、教授の専門分野に関する雑談でも何でもしてもらいたい。この授業に参加することで為替に関する理解度は確実に増したが、一皮むけたっちゅうか薄皮がペロっとめくれたかな程度の感触しか得られていない気がする。
・ようやく2ndラウンドでビッドに成功。アントレ系の人気授業で、結構なポイントを使ってしまった。
しかしそれにしても、この段階に至っても残りの科目をどうしたものか考えが全然固まらない。そして、一番受講したいオプションの授業にビッドが1票も入っておらず、最小履行人数を割り込むというか何もかもがなかったことになってしまいそうな情勢。
あと、何をどうやっても定休日の確保が難しそう。Early Bird→学校、あるいは学校→Twilightか。。
・昼休みには不動産の教授のミニセッション。ピザ目当ての人が大量(含む自分)。説明資料の大半がブログ(Calculated Risk)でちょっと拍子抜け、あるいはCalculated Riskがすごいのか。この人の授業を受講するか検討中。
・International Finance、これまでは授業運営について結構好意的に見ていたのだが、だんだん好感しきれなくなってきた。今日はオプションだったのだが、コール・プットのロングショートのペイオフ図とか、「金利が上がったら価格は云々」という必修でカバーした話で貴重な90分の大半を使ってしまうのはいかがなものか。必修でやったはずなのに改めて初歩的な質問をボコスコする学生側も学生側だが、そんなものをいちいち相手にする教授も教授。結局、皆が知りたかったはずのBS式についての解説は1分で終わってしまいとてつもない消化不良感。しかも宿題はBS式って。。あと、もう少しでもいいので、教授の専門分野に関する雑談でも何でもしてもらいたい。この授業に参加することで為替に関する理解度は確実に増したが、一皮むけたっちゅうか薄皮がペロっとめくれたかな程度の感触しか得られていない気がする。
Monday, May 23, 2011
Bid不発
月曜日。
・夏休みの旅行の予定を少しずつ固めている。「7月に行くより6月に行った方がおトク」といった情報の影響を受けすぎてしまい、6月だけで3つも旅行の予定を入れてしまったが大丈夫かしら。死ぬほど運転→中一日→死ぬほど運転→中一日→飛行機って、、、ExpediaやらPricelineやら、予約情報がいい感じにこんがらがっている(^o^)/
・大変面白かったFixed Incomeの授業は今日でおしまい。前回、「クレジットは比較的新しい分野で云々」と教授が言っていたので、てっきり教授自身は当該分野にあまり詳しくなく、授業ではさらっとCDSのあらましとかが紹介されて終わるものと高をくくっていた。
しかしいざ授業が始まると、教授がクレジット分野に詳しくないなんてことは全くなかった、というか滅茶苦茶詳しかった。次から次へと色々なモデルが紹介されて、しまいには、教授自ら開発した倒産確率推計モデルの説明。格付け会社に売って儲かったそうで、「金というのはこうやって儲けるんだ」とのこと。結局、1週目から最終週まで、この教授は本当に大したものだった。なんとかして自習か何かで得た知識を洗練させたいものだが、さてどうしたものか。教授の論文でも読んでみるのがよいのかしら。読めなさそうだけど。。。
・今日は選択科目のBidding一日目。
前例によれば秋学期で一つだけ1st Roundで売り切れとなるBehavioral Financeに突撃してみた。前例では300Ptsくらいが最低点であったので、余裕をもって400点ほど投入してみた。しかし終わってみたら最低点は450Ptsと超バブル状態。前学期に続き、まんまと最初にBidを落としてしまった。。。無念
そして、直前まで今日の1stでBidしようかと思っていた科目も席が半分以上埋まっており。また、Bidはしないけど受講はしたいOption MarketはBidderがゼロで、こちらは逆に開講されないリスクが出てきた。
と言った感じで、前学期に引き続き、どうもBiddingが下手くそな自分。。。
・夏休みの旅行の予定を少しずつ固めている。「7月に行くより6月に行った方がおトク」といった情報の影響を受けすぎてしまい、6月だけで3つも旅行の予定を入れてしまったが大丈夫かしら。死ぬほど運転→中一日→死ぬほど運転→中一日→飛行機って、、、ExpediaやらPricelineやら、予約情報がいい感じにこんがらがっている(^o^)/
・大変面白かったFixed Incomeの授業は今日でおしまい。前回、「クレジットは比較的新しい分野で云々」と教授が言っていたので、てっきり教授自身は当該分野にあまり詳しくなく、授業ではさらっとCDSのあらましとかが紹介されて終わるものと高をくくっていた。
しかしいざ授業が始まると、教授がクレジット分野に詳しくないなんてことは全くなかった、というか滅茶苦茶詳しかった。次から次へと色々なモデルが紹介されて、しまいには、教授自ら開発した倒産確率推計モデルの説明。格付け会社に売って儲かったそうで、「金というのはこうやって儲けるんだ」とのこと。結局、1週目から最終週まで、この教授は本当に大したものだった。なんとかして自習か何かで得た知識を洗練させたいものだが、さてどうしたものか。教授の論文でも読んでみるのがよいのかしら。読めなさそうだけど。。。
・今日は選択科目のBidding一日目。
前例によれば秋学期で一つだけ1st Roundで売り切れとなるBehavioral Financeに突撃してみた。前例では300Ptsくらいが最低点であったので、余裕をもって400点ほど投入してみた。しかし終わってみたら最低点は450Ptsと超バブル状態。前学期に続き、まんまと最初にBidを落としてしまった。。。無念
そして、直前まで今日の1stでBidしようかと思っていた科目も席が半分以上埋まっており。また、Bidはしないけど受講はしたいOption MarketはBidderがゼロで、こちらは逆に開講されないリスクが出てきた。
と言った感じで、前学期に引き続き、どうもBiddingが下手くそな自分。。。
Sunday, May 22, 2011
カレーうどん
日曜日。
・午前中は妻の友人のもとへ。明日LAから日本に戻るということで、家具とか色々もらったり最後の別れを惜しんだり。
自分がかかわるようなLA在住日本人の多くは学生か短期派遣研究員とかで、多くの人が1~2年サイクル。そのため、この時期はちょっとした別れの時期。自分も懇意にしていた友人の殆どがあと一か月以内に帰国してしまうので、なかなかに寂しいものだ。唯一の救いは、UCLAが始まりも終わりも遅い(6月中旬)ので、UCLA関係者はもう少し帰らないということくらい。
ことゴルフに関しては、おそらく来年はゴルフ相手が殆どいなくなってしまうものと予想している。9月末に帰ってしまう先輩が一人いるが、その先輩が帰ってしまったらほぼネタ切れ。ということで、最近は「来年のゴルフ予算を前倒しで使ってしまっても差し支えないのではないか」と自己正当化しつつ思う存分ゴルフしてしまっているが果たして大丈夫かしら。。。
・午後は体調が悪かったのでちょっと昼寝して、そのあと台湾人同級生に誘われてヨットなんぞを。
その友人が既に講習を受けており一番小さいヨットの操縦ができるということで、自分と2人乗りのヨットでMarina Del Rayの運河をゆらゆら。乗っていればいいのかと思いきや全然そんなことはなくて、2人目にも色々な役割が求められて結構大変だったが(座り方で船の傾きを微調整したり、補助帆を微調整したり)、爽快で楽しかった。
ところでその友人曰く、LAは「2年間の学生生活を過ごすには最適のところだが、それ以上過ごしてしまうと駄目になってしまいそう」とのこと。まあ親が外交官で色々なところで過ごした経験がある彼が言うのだからそうかもしれないな。
・夕食はMarina Del Ray近所のミツワで。毎回「今回こそは山頭火以外を食べよう」と思いつつ結局山頭火に流れていたのだが、今日はついに隣のうどん屋へ。カレーうどんとミニ牛丼という、こてこての(ジャンクな)組み合わせを堪能。妻が美味しさを理解してくれないので家で食べられないカレーうどん、ひさしぶりに食べたがやっぱり美味しかった。片栗粉のとろみとか、一切れ入っているネギとか。どうしてこの素晴らしさが理解できないのだろう、ああ勿体ない。また、牛丼も吉野家チックで安定感がある感じで満足。
そういや、日本にいるとき、帰り道といえば帰り道にある青一の「実之和」というカレーラーメンの店に足しげく通っていたなぁと懐かしくなってきた。職場があった虎の門(霞が関)から銀座線で青山一丁目まで行ってラーメンを食べて、そこから歩いてリスニングやらスピーキングやらエッセイやら色々と受験準備をしていたものだ。だいたい疲れて表参道か明治神宮前で電車に乗っていたが、たまに気まぐれで寄り道してみたり代々木上原まで全部歩いてみたり、渋谷の●荘に吸い込まれてしまったり、途中で道に迷って気力が尽きてタクシーに乗ったり。ミツワのカレーうどんを食べながらその当時の思い出がふっと蘇った。
まあなんというか、あの頃の受験準備期間、しんどいといえばしんどかったような気もするけど、こういった散歩のような「受験でもない限りしない、ちょっとした非日常」の思い出がたくさんできたので今思うと結構楽しかったのかも。
・午前中は妻の友人のもとへ。明日LAから日本に戻るということで、家具とか色々もらったり最後の別れを惜しんだり。
自分がかかわるようなLA在住日本人の多くは学生か短期派遣研究員とかで、多くの人が1~2年サイクル。そのため、この時期はちょっとした別れの時期。自分も懇意にしていた友人の殆どがあと一か月以内に帰国してしまうので、なかなかに寂しいものだ。唯一の救いは、UCLAが始まりも終わりも遅い(6月中旬)ので、UCLA関係者はもう少し帰らないということくらい。
ことゴルフに関しては、おそらく来年はゴルフ相手が殆どいなくなってしまうものと予想している。9月末に帰ってしまう先輩が一人いるが、その先輩が帰ってしまったらほぼネタ切れ。ということで、最近は「来年のゴルフ予算を前倒しで使ってしまっても差し支えないのではないか」と自己正当化しつつ思う存分ゴルフしてしまっているが果たして大丈夫かしら。。。
・午後は体調が悪かったのでちょっと昼寝して、そのあと台湾人同級生に誘われてヨットなんぞを。
その友人が既に講習を受けており一番小さいヨットの操縦ができるということで、自分と2人乗りのヨットでMarina Del Rayの運河をゆらゆら。乗っていればいいのかと思いきや全然そんなことはなくて、2人目にも色々な役割が求められて結構大変だったが(座り方で船の傾きを微調整したり、補助帆を微調整したり)、爽快で楽しかった。
ところでその友人曰く、LAは「2年間の学生生活を過ごすには最適のところだが、それ以上過ごしてしまうと駄目になってしまいそう」とのこと。まあ親が外交官で色々なところで過ごした経験がある彼が言うのだからそうかもしれないな。
・夕食はMarina Del Ray近所のミツワで。毎回「今回こそは山頭火以外を食べよう」と思いつつ結局山頭火に流れていたのだが、今日はついに隣のうどん屋へ。カレーうどんとミニ牛丼という、こてこての(ジャンクな)組み合わせを堪能。妻が美味しさを理解してくれないので家で食べられないカレーうどん、ひさしぶりに食べたがやっぱり美味しかった。片栗粉のとろみとか、一切れ入っているネギとか。どうしてこの素晴らしさが理解できないのだろう、ああ勿体ない。また、牛丼も吉野家チックで安定感がある感じで満足。
そういや、日本にいるとき、帰り道といえば帰り道にある青一の「実之和」というカレーラーメンの店に足しげく通っていたなぁと懐かしくなってきた。職場があった虎の門(霞が関)から銀座線で青山一丁目まで行ってラーメンを食べて、そこから歩いてリスニングやらスピーキングやらエッセイやら色々と受験準備をしていたものだ。だいたい疲れて表参道か明治神宮前で電車に乗っていたが、たまに気まぐれで寄り道してみたり代々木上原まで全部歩いてみたり、渋谷の●荘に吸い込まれてしまったり、途中で道に迷って気力が尽きてタクシーに乗ったり。ミツワのカレーうどんを食べながらその当時の思い出がふっと蘇った。
まあなんというか、あの頃の受験準備期間、しんどいといえばしんどかったような気もするけど、こういった散歩のような「受験でもない限りしない、ちょっとした非日常」の思い出がたくさんできたので今思うと結構楽しかったのかも。
Saturday, May 21, 2011
プレスリリースに茶々
ネットで見つけた記事について2つほど:
1. とある金融機関のシステム障害に関する報告書:
リンク
細かい話はざっくり読み飛ばしつつ、対応策に関する提言を読んで。
当たり前と言えば当たり前の話とは思うが、対応策に関する提言のひとつに「人材の育成」とあり、具体的には「銀行業務とシステムの全体像に対する理解に立ったマネジメントを行える人材の育成を図っていく必要がある」という提言がなされている。
他人事モードで読み流すと「そりゃそうだ、金融機関なんて装置産業なんだから、経営者がシステムについて理解しているのはマストだ」などと思うのだが、自分の話として考えると「IT部門には行きたくないなぁ」とつい思ってしまう。だって本業と離れすぎているから。自分の本業が「会社に金を貸したり投資したりすること」だとすれば、マクロ経済とかデリバティブとか戦略論とかマーケティングとかは少なからず本業にリンクする知識・スキルであり、勉強意欲も湧くし関連する仕事も経験してみたいと思う。でも、IT(あと自分にとっては法務とか)はなんというかあまりに距離感がありすぎて、関心がまったく湧かない。
ITが大事なのは多分そうなんだろうくらいのレベルで同意できるが、果たしてITが金融機関経営者にとって重要度最高のトピックなのかというと果たしてどうなんだろうか。詳しい人材が社内に数名いて、そのうちの一人をCTOに任命して、CEO自体は「言われれば問題の所在くらいは理解できる」というレベルじゃまずいんだろうか。とかなんとか思っていると、この報告書の提案内容は、簡単なようで難しく思われる。
2. とある外食産業の最近の活動について:
リンク
正直自分はこの会社について、ここ最近の報道だけ見て「終わっている会社」と思っていた。市場も成熟しており、経営者もバタバタしていたり。でも、こういう活動をしていることを知ると、自分の持っていた浅薄な軽蔑のような思いがひっくり返される感がある。
財務的に終わっているかもしれない。戦略がイケてないかもしれない。でもそれがどうしたっていうのだ。このような皆が苦しいときに迅速に取引先(食品会社等)の協力を取り付け、場所・食材確保といったオペレーションをきちんとこなし、人々の心が温まるような食べ物を作ってふるまうことができるこんな会社のどこが終わっているというのだろうか。この記事を見て、ああ反省した方がいいかもと思わずにはいられなかった。
自分はMBAにてすとらてじーやらふぁいなんすやら学んでいるわけだが、このような企業を作り人を集めオペレーションを回していくことができるかと問われたら全くできる気がしない。先日話題になった焼肉屋レベルのお気楽経営ならできると思うが、この会社のような血肉の通ったリアルな企業を長期にわたって運営していくことは絶対にまだできないと思う。
そんなことを考えていると、本来MBAは自分にプラスであるはずだが、今のところは自分の天狗の鼻を長くしているばかりでトータル効果はマイナスになってしまっているかもしれないという思いがよぎる。
たとえばこの会社の従業員で被災地で料理を振る舞っている調理人の人なんかから見たら、今の自分は腹立たしいことこの上なく見えるのではないか。。。
なんとなく、色々と大事なものを見失っているような気がしてならない今日この頃でした。
1. とある金融機関のシステム障害に関する報告書:
リンク
細かい話はざっくり読み飛ばしつつ、対応策に関する提言を読んで。
当たり前と言えば当たり前の話とは思うが、対応策に関する提言のひとつに「人材の育成」とあり、具体的には「銀行業務とシステムの全体像に対する理解に立ったマネジメントを行える人材の育成を図っていく必要がある」という提言がなされている。
他人事モードで読み流すと「そりゃそうだ、金融機関なんて装置産業なんだから、経営者がシステムについて理解しているのはマストだ」などと思うのだが、自分の話として考えると「IT部門には行きたくないなぁ」とつい思ってしまう。だって本業と離れすぎているから。自分の本業が「会社に金を貸したり投資したりすること」だとすれば、マクロ経済とかデリバティブとか戦略論とかマーケティングとかは少なからず本業にリンクする知識・スキルであり、勉強意欲も湧くし関連する仕事も経験してみたいと思う。でも、IT(あと自分にとっては法務とか)はなんというかあまりに距離感がありすぎて、関心がまったく湧かない。
ITが大事なのは多分そうなんだろうくらいのレベルで同意できるが、果たしてITが金融機関経営者にとって重要度最高のトピックなのかというと果たしてどうなんだろうか。詳しい人材が社内に数名いて、そのうちの一人をCTOに任命して、CEO自体は「言われれば問題の所在くらいは理解できる」というレベルじゃまずいんだろうか。とかなんとか思っていると、この報告書の提案内容は、簡単なようで難しく思われる。
2. とある外食産業の最近の活動について:
リンク
正直自分はこの会社について、ここ最近の報道だけ見て「終わっている会社」と思っていた。市場も成熟しており、経営者もバタバタしていたり。でも、こういう活動をしていることを知ると、自分の持っていた浅薄な軽蔑のような思いがひっくり返される感がある。
財務的に終わっているかもしれない。戦略がイケてないかもしれない。でもそれがどうしたっていうのだ。このような皆が苦しいときに迅速に取引先(食品会社等)の協力を取り付け、場所・食材確保といったオペレーションをきちんとこなし、人々の心が温まるような食べ物を作ってふるまうことができるこんな会社のどこが終わっているというのだろうか。この記事を見て、ああ反省した方がいいかもと思わずにはいられなかった。
自分はMBAにてすとらてじーやらふぁいなんすやら学んでいるわけだが、このような企業を作り人を集めオペレーションを回していくことができるかと問われたら全くできる気がしない。先日話題になった焼肉屋レベルのお気楽経営ならできると思うが、この会社のような血肉の通ったリアルな企業を長期にわたって運営していくことは絶対にまだできないと思う。
そんなことを考えていると、本来MBAは自分にプラスであるはずだが、今のところは自分の天狗の鼻を長くしているばかりでトータル効果はマイナスになってしまっているかもしれないという思いがよぎる。
たとえばこの会社の従業員で被災地で料理を振る舞っている調理人の人なんかから見たら、今の自分は腹立たしいことこの上なく見えるのではないか。。。
なんとなく、色々と大事なものを見失っているような気がしてならない今日この頃でした。
お誕生会
土曜日。娘の公園友達のお誕生会@公園。8家族くらいの大がかりな会で、自分としても色々なお父さんと話ができて面白い時間を過ごした。たまたま、知り合いの知り合い状態でMBA2年生の先輩家族もいてちょっと驚いたけど...
その後は家でのんびり。
・UCLAのような都会の学校に行くことのメリットについて改めて感じたこと。
LAのような街に住むと、いくらでも学校以外のコミュニティに触れることができる。ママ友達とか、ゴルフ友達とか、何やかんや。こういった「交友関係に関する選択肢の多さ」あるいは「交友関係に関する選択肢が学校コミュニティに限定されないこと」って、都会の学校で学ぶことの一つとしてカウントしても良いのではないだろうか。LAが都会かどうかというのは大いに議論の余地がある気がするのだが、人の多さという意味ではLAは十分都会的であると言える気がしている。
まあもちろん表裏一体で、田舎の学校ならではの利点もたくさんあるとは思うのだけど。
・いつかのために購入したCFA用電卓、CA-Ⅱ Professionalの操作になかなか慣れずいらいらが募る。便利さの予感はその端々に感じるのだが、操作ミスによるフラストレーションの方がまだ大きい。単なる慣れの問題なので時間が解決してくれる問題ではあるのだが、最初の苦しみを経験中。。。
・間もなく去る諸先輩のゴルフラストスパートを想定し、無茶苦茶前倒しではあるが試験準備を開始。これでいつ誘われても対応が可能な状況を実現(した気がする)。というか試験期間中に大きなコンペが既に一つ入っているし。ってしかし、どうせ情報の保存先は脳内ハードディスクではなく脳内メモリっぽいので、すぐ抜けて試験当日には忘れてしまいそうだな、これ。。。
その後は家でのんびり。
・UCLAのような都会の学校に行くことのメリットについて改めて感じたこと。
LAのような街に住むと、いくらでも学校以外のコミュニティに触れることができる。ママ友達とか、ゴルフ友達とか、何やかんや。こういった「交友関係に関する選択肢の多さ」あるいは「交友関係に関する選択肢が学校コミュニティに限定されないこと」って、都会の学校で学ぶことの一つとしてカウントしても良いのではないだろうか。LAが都会かどうかというのは大いに議論の余地がある気がするのだが、人の多さという意味ではLAは十分都会的であると言える気がしている。
まあもちろん表裏一体で、田舎の学校ならではの利点もたくさんあるとは思うのだけど。
・いつかのために購入したCFA用電卓、CA-Ⅱ Professionalの操作になかなか慣れずいらいらが募る。便利さの予感はその端々に感じるのだが、操作ミスによるフラストレーションの方がまだ大きい。単なる慣れの問題なので時間が解決してくれる問題ではあるのだが、最初の苦しみを経験中。。。
・間もなく去る諸先輩のゴルフラストスパートを想定し、無茶苦茶前倒しではあるが試験準備を開始。これでいつ誘われても対応が可能な状況を実現(した気がする)。というか試験期間中に大きなコンペが既に一つ入っているし。ってしかし、どうせ情報の保存先は脳内ハードディスクではなく脳内メモリっぽいので、すぐ抜けて試験当日には忘れてしまいそうだな、これ。。。
Thursday, May 19, 2011
8週目終了
木曜日。一日4コマの日々ももう8周目だが、未だに慣れない。へろへろ。
金曜日。いつかの祝日の代わりで授業。こないだ面白かったFixed Incomeの続き。今日から信用リスクに話が移ったが、「債券畑の人々にとってクレジットは最もつまらない仕事の一つであった、最近ようやくクレジットデリバティブで盛り上がってきた」という話に軽く驚き。理由は「銀行融資ならともかく、債券なんて基本的にデフォらなかったから」ということ。銀行出身の自分としては、そんなものかしら、銀行なんて信用リスクがほとんど全てなのにと首をかしげてしまった。
しかし、どの科目も、授業中には「うーん、あれもこれももっと学びたい」と思い、読み残したペーパーとかを夏休みに読んでみたいなぁなどと思うのだが、帰宅する頃にはすっかり情熱がどこかに消えてしまっていることといったら。勢いなさすぎだろ、自分の知的好奇心。。。
金曜日。いつかの祝日の代わりで授業。こないだ面白かったFixed Incomeの続き。今日から信用リスクに話が移ったが、「債券畑の人々にとってクレジットは最もつまらない仕事の一つであった、最近ようやくクレジットデリバティブで盛り上がってきた」という話に軽く驚き。理由は「銀行融資ならともかく、債券なんて基本的にデフォらなかったから」ということ。銀行出身の自分としては、そんなものかしら、銀行なんて信用リスクがほとんど全てなのにと首をかしげてしまった。
しかし、どの科目も、授業中には「うーん、あれもこれももっと学びたい」と思い、読み残したペーパーとかを夏休みに読んでみたいなぁなどと思うのだが、帰宅する頃にはすっかり情熱がどこかに消えてしまっていることといったら。勢いなさすぎだろ、自分の知的好奇心。。。
Wednesday, May 18, 2011
ご老人ばかり
水曜日。
霧雨・極寒という状況で早朝ワンダーフォーゲル→帰宅後気絶→公園→勉強→ようやく終わってなんとなくブログ更新。
・早朝ワンゲル。他学部の2年生として留学しに来ていた大学先輩と、Anderson2年生の韓国人B君と。韓国人B君を紹介してくれた日本人の2年生先輩はまさかのダウンとなり、不思議な顔合わせながらも楽しく山歩き。
今日はとにかくすべてが低弾道・どフックで、天候とあわせてひとり全英OP状態。最後の最後でようやく気付いたのは、アドレス時の手首の角度って実は無茶苦茶重要なのではないかということ。今までそんなこと全く気にしたことなかったのだが、強めに固めた状態で打つと捕まりが良い一方で左に出やすく、手首を意識せずゆるゆるで打つとダフったり右に出たり。ということで次回は、ほどほどに手首をホールドして打てばいいのではないか、と18番でようやく気が付いた...
・最近の趣味:来学期の授業についてつらつらと計画を立てること。
今学期はすったもんだの末、必修が2つとも非専門分野で重たかったので、選択は比較的とっつきやすそうなファイナンス系を2つと中国語とした。履修に関する今学期の反省としては、まず何より木曜日に授業を4つも入れてしまったのが大失敗だった。3つ目あたりでもうコーヒーかコーラの給油なくては集中力がもたず、4つ目の中国語は頑張っているとはいえ、正直、他の科目と比べると情熱を注ぎ切れていない(もうへろへろ)。他方で水曜日が定休日だったりして、どうもメリハリをつけすぎた。まあ色々あるので(?)早朝から夕方くらいまで空いている日が毎週一日くらいあると有難いが、一日に授業を集中させるくらいなら定休日を作らない方がましかもしれないと思うに至っている。
で、次の次とそのまた次(冬と春)にはAMRというフィールドスタディが入るので、通常の授業に避ける時間と情熱は相対的にやや低下を余儀なくされると予想される。そこから逆算すると、通常授業をメインイベントとして頑張れるのは次の秋学期がラストチャンス。それゆえ、次の秋学期も、できれば5科目は履修したいと考えている。
という基本的なプランは概ね固まり、今は科目表・シラバス等を眺めながらどの授業を履修しようかとつらつら考えている。以下に頭の整理がてら候補者たちの横顔を順不同に:
・Managing Finance and Financing the Emerging Enterprise
コックラムという校内では随一の有名なおっちゃん(おじいさん)による資金調達に関する授業。DebtかEquityかとか、調達のタイミングとか、VC投資を受け入れるときの注意とか色々、お金を調達する企業の側から考え抜くことができるということで、資金を出す側にいる自分としても強い関心がある。考え抜くことができると書いたのは、この授業がめっちゃくっちゃインテンシブだから。成績はParticipationが2/3(試験が1/3)で、Participationはチームの連帯責任、かつ毎週全生徒の参加度合がフィードバックされるという手に汗握るスタイル。そんな体育会的な授業スタイルだからか、やりぬいた学生の評判はすこぶる高く、自分も講義内容そのものへの興味2/3、そんな熱い世界にあえて身を投じてみたいという酔狂心1/3といった感じでこの科目に惹かれている。
・ENTREPRENEURSHIP AND VENTURE INITIATION
ゲイスというおじいちゃん(じいちゃんばっかだな)による起業まわりのイロハを学ぶ授業。上記コックラムと並び、Andersonの名物授業の一つ。しかしこのじいちゃん、起業のイロハを教えてみたり、後述するエクセルを教えてみたりとお年の割には器用な感じ。この授業は自分にとっては「目線広げ」が主眼で、ファイナンスの授業にいる見慣れた面々とはちょっと違うと思われるメンバーと聞きなれないトピックについて学ぶことで四苦八苦してみたいということを考えている。結果的に起業に対する知識や関心が広がればなおベター。
・Managerial Computing
同じゲイスが教える、ExcelとVBAの授業。今学期の経験則から5つ目の科目はライトなものが良いと思っていることから「5番目の男」の最右翼としてノミネート。自分はエクセルは結構マニアックなことを色々知っていると思ってはいるのだが、その一方でぽろぽろ取りこぼしも少なくないので(ピボットテーブルって何に使うの?とかもうちょっとヤヤコシイVBAを書けるようになりたいとか思っている)、実はこの科目に対する問題意識は割とクリアに存在していてフィットを感じている。
・Option Market
ゲスケ(ゲスキ?)というおじいちゃん(またしても)が教えるオプションの授業。自分にとってオプションは、高校日本史の戦後とか同様、なんとなく最後はしょってしまった結果よくわからないまま現在に至っている分野。今学期履修しているFixed IncomeもInternational Financeもどちらの先生も「オプションについてはせっかくゲスケという偉大な教師がいるのだから彼に任せる」と謎の信頼感を表明していて、お、それならとってやろうじゃないのと思っている。一度やっておきたかったHullの教科書を使うという点も好感。他方、このおじいちゃん、どういうことか教え方が半端なく下手という評判。コミュニケートする気もなく一方的に数式をホワイトボードに書き続けているとか言われているのだが、いくらなんでもそんなことってあるのだろうか。これでTAがFixed Incomeの彼だったらちょっと挫折してしまうかもしれないが、まあとりあえず取る方向で検討中。
・Entrepreneurial Real Estate Development
ハビビという何か盗賊のような名前の実務家教授による不動産の授業。先学期もこの授業を履修しようか大いに迷ったのだが、その熱は少しながら高まっている。不動産ファイナンスは専門家が派遣元にわさわさ存在していることからこの道で食っていくことはなさそうだが、でもまあイロハのロくらいまでは押さえておきたいと思っているので関心がある。不動産についてはもう一人サスマンという会計士出身の先生も教えているのだが、こちらは学校随一ともいわれるインテンシブさを誇りかつ朝一スタートなので、正直近寄りがたい。
・TAKEOVERS, RESTRUCTURING, GOVERNANCE
マートス=ビリャという多分スペイン系の先生によるM&Aやらストラクチャーものを扱う授業。
この手のストラクチャー物はおそらく自分が派遣元に戻って携わる仕事の一丁目一番地なのだが、いかんせん教授の評判が強烈に悪い(今日一緒にワンゲルしたB君も「教授がちょっと…」と言っていた汗)。1年間の経験則から、教授が良くない授業はあまり楽しめないように思っているので、この授業はちょっと悩み中。
・Corporate Entrepreneurship
なんかもう名前をどう発音すればよいのかわからないおじいちゃん先生による授業。シュロルハンマーでいいのかな?全体的におじいちゃんがアントレというあたりに若干の疑問符がつかないでもないが、このおじいちゃんは「ご老体すぎて授業がアレ」という評判が複数方面から聞こえてくるほどのおじいちゃん。このCorporate Entreという概念は留学前の自分にとって人生のメインイシューの一つと言えるくらいの大きな意味をもつワードだったのだが、こちらに来てアメリカに染まったのかもしれないが、多少この言葉に懐疑的になってしまっている。一度成熟期に入ってしまった企業が再びアントレプレナーシップを取り戻して第二の成長軌道に乗るとかっていうけど、正直無理なんじゃないかというか、既存の企業を再活性化させるくらいなら新しく企業作った方がよほど効率的なのではないかというのが今の自分の感覚(を無理やり言語化してみたもの)。駄目なものを無理やり改善しようという考えに違和感があるというか、Corporate Entreという言葉の中に保守主義というか非アントレ的な発想が透けて見えてしまうような気がしている。もしかするとそんな自分こそこの授業を受けて考えを改めた方がよいのかもしれず検討はしてはいるものの、コミット度は低め。
他にも色々あるのだが、眠いしやっておきたい勉強もあるのでこの辺で終了。いずれにせよ、今学期は、ビッディングでポロポロ落とすことは避けたいものだ。
霧雨・極寒という状況で早朝ワンダーフォーゲル→帰宅後気絶→公園→勉強→ようやく終わってなんとなくブログ更新。
・早朝ワンゲル。他学部の2年生として留学しに来ていた大学先輩と、Anderson2年生の韓国人B君と。韓国人B君を紹介してくれた日本人の2年生先輩はまさかのダウンとなり、不思議な顔合わせながらも楽しく山歩き。
今日はとにかくすべてが低弾道・どフックで、天候とあわせてひとり全英OP状態。最後の最後でようやく気付いたのは、アドレス時の手首の角度って実は無茶苦茶重要なのではないかということ。今までそんなこと全く気にしたことなかったのだが、強めに固めた状態で打つと捕まりが良い一方で左に出やすく、手首を意識せずゆるゆるで打つとダフったり右に出たり。ということで次回は、ほどほどに手首をホールドして打てばいいのではないか、と18番でようやく気が付いた...
・最近の趣味:来学期の授業についてつらつらと計画を立てること。
今学期はすったもんだの末、必修が2つとも非専門分野で重たかったので、選択は比較的とっつきやすそうなファイナンス系を2つと中国語とした。履修に関する今学期の反省としては、まず何より木曜日に授業を4つも入れてしまったのが大失敗だった。3つ目あたりでもうコーヒーかコーラの給油なくては集中力がもたず、4つ目の中国語は頑張っているとはいえ、正直、他の科目と比べると情熱を注ぎ切れていない(もうへろへろ)。他方で水曜日が定休日だったりして、どうもメリハリをつけすぎた。まあ色々あるので(?)早朝から夕方くらいまで空いている日が毎週一日くらいあると有難いが、一日に授業を集中させるくらいなら定休日を作らない方がましかもしれないと思うに至っている。
で、次の次とそのまた次(冬と春)にはAMRというフィールドスタディが入るので、通常の授業に避ける時間と情熱は相対的にやや低下を余儀なくされると予想される。そこから逆算すると、通常授業をメインイベントとして頑張れるのは次の秋学期がラストチャンス。それゆえ、次の秋学期も、できれば5科目は履修したいと考えている。
という基本的なプランは概ね固まり、今は科目表・シラバス等を眺めながらどの授業を履修しようかとつらつら考えている。以下に頭の整理がてら候補者たちの横顔を順不同に:
・Managing Finance and Financing the Emerging Enterprise
コックラムという校内では随一の有名なおっちゃん(おじいさん)による資金調達に関する授業。DebtかEquityかとか、調達のタイミングとか、VC投資を受け入れるときの注意とか色々、お金を調達する企業の側から考え抜くことができるということで、資金を出す側にいる自分としても強い関心がある。考え抜くことができると書いたのは、この授業がめっちゃくっちゃインテンシブだから。成績はParticipationが2/3(試験が1/3)で、Participationはチームの連帯責任、かつ毎週全生徒の参加度合がフィードバックされるという手に汗握るスタイル。そんな体育会的な授業スタイルだからか、やりぬいた学生の評判はすこぶる高く、自分も講義内容そのものへの興味2/3、そんな熱い世界にあえて身を投じてみたいという酔狂心1/3といった感じでこの科目に惹かれている。
・ENTREPRENEURSHIP AND VENTURE INITIATION
ゲイスというおじいちゃん(じいちゃんばっかだな)による起業まわりのイロハを学ぶ授業。上記コックラムと並び、Andersonの名物授業の一つ。しかしこのじいちゃん、起業のイロハを教えてみたり、後述するエクセルを教えてみたりとお年の割には器用な感じ。この授業は自分にとっては「目線広げ」が主眼で、ファイナンスの授業にいる見慣れた面々とはちょっと違うと思われるメンバーと聞きなれないトピックについて学ぶことで四苦八苦してみたいということを考えている。結果的に起業に対する知識や関心が広がればなおベター。
・Managerial Computing
同じゲイスが教える、ExcelとVBAの授業。今学期の経験則から5つ目の科目はライトなものが良いと思っていることから「5番目の男」の最右翼としてノミネート。自分はエクセルは結構マニアックなことを色々知っていると思ってはいるのだが、その一方でぽろぽろ取りこぼしも少なくないので(ピボットテーブルって何に使うの?とかもうちょっとヤヤコシイVBAを書けるようになりたいとか思っている)、実はこの科目に対する問題意識は割とクリアに存在していてフィットを感じている。
・Option Market
ゲスケ(ゲスキ?)というおじいちゃん(またしても)が教えるオプションの授業。自分にとってオプションは、高校日本史の戦後とか同様、なんとなく最後はしょってしまった結果よくわからないまま現在に至っている分野。今学期履修しているFixed IncomeもInternational Financeもどちらの先生も「オプションについてはせっかくゲスケという偉大な教師がいるのだから彼に任せる」と謎の信頼感を表明していて、お、それならとってやろうじゃないのと思っている。一度やっておきたかったHullの教科書を使うという点も好感。他方、このおじいちゃん、どういうことか教え方が半端なく下手という評判。コミュニケートする気もなく一方的に数式をホワイトボードに書き続けているとか言われているのだが、いくらなんでもそんなことってあるのだろうか。これでTAがFixed Incomeの彼だったらちょっと挫折してしまうかもしれないが、まあとりあえず取る方向で検討中。
・Entrepreneurial Real Estate Development
ハビビという何か盗賊のような名前の実務家教授による不動産の授業。先学期もこの授業を履修しようか大いに迷ったのだが、その熱は少しながら高まっている。不動産ファイナンスは専門家が派遣元にわさわさ存在していることからこの道で食っていくことはなさそうだが、でもまあイロハのロくらいまでは押さえておきたいと思っているので関心がある。不動産についてはもう一人サスマンという会計士出身の先生も教えているのだが、こちらは学校随一ともいわれるインテンシブさを誇りかつ朝一スタートなので、正直近寄りがたい。
・TAKEOVERS, RESTRUCTURING, GOVERNANCE
マートス=ビリャという多分スペイン系の先生によるM&Aやらストラクチャーものを扱う授業。
この手のストラクチャー物はおそらく自分が派遣元に戻って携わる仕事の一丁目一番地なのだが、いかんせん教授の評判が強烈に悪い(今日一緒にワンゲルしたB君も「教授がちょっと…」と言っていた汗)。1年間の経験則から、教授が良くない授業はあまり楽しめないように思っているので、この授業はちょっと悩み中。
・Corporate Entrepreneurship
なんかもう名前をどう発音すればよいのかわからないおじいちゃん先生による授業。シュロルハンマーでいいのかな?全体的におじいちゃんがアントレというあたりに若干の疑問符がつかないでもないが、このおじいちゃんは「ご老体すぎて授業がアレ」という評判が複数方面から聞こえてくるほどのおじいちゃん。このCorporate Entreという概念は留学前の自分にとって人生のメインイシューの一つと言えるくらいの大きな意味をもつワードだったのだが、こちらに来てアメリカに染まったのかもしれないが、多少この言葉に懐疑的になってしまっている。一度成熟期に入ってしまった企業が再びアントレプレナーシップを取り戻して第二の成長軌道に乗るとかっていうけど、正直無理なんじゃないかというか、既存の企業を再活性化させるくらいなら新しく企業作った方がよほど効率的なのではないかというのが今の自分の感覚(を無理やり言語化してみたもの)。駄目なものを無理やり改善しようという考えに違和感があるというか、Corporate Entreという言葉の中に保守主義というか非アントレ的な発想が透けて見えてしまうような気がしている。もしかするとそんな自分こそこの授業を受けて考えを改めた方がよいのかもしれず検討はしてはいるものの、コミット度は低め。
他にも色々あるのだが、眠いしやっておきたい勉強もあるのでこの辺で終了。いずれにせよ、今学期は、ビッディングでポロポロ落とすことは避けたいものだ。
Tuesday, May 17, 2011
目指せ年収10倍
火曜日。授業→Dean主催の1年生全体の昼食会→授業→授業→キャンパスビジット来訪者とおしゃべり→終了。
・Dean主催のランチ。先生やゲストの話はこれはというほどのものはなかったが、たまたま隣に座った東南アジア出身のJ君との雑談が面白かった。
彼はこの夏は国に帰り有名コンサルファームの母国支店でインターンするとのこと。彼の国では人口は日本の倍ほどいるがMBAは毎年日本の1/5ほどもいかないとのことでレア度がとても高い。そのせいか、彼曰く、MBA取得により年収は10倍を狙えるとのこと。じ、十倍ですか。。。お前はどうなんだと聞かれ、おそらく1.1倍くらいかなと答えたら怪訝な顔をされて「なんでMBA来たの」「お前の会社はどういうつもりなんだ」等々。年収10倍にしようと息巻いてLAまで来ている彼に、果たして「国際的なお仕事がやってみたいです」「より金融ちっくな複雑な案件に携わりたいです」というノリだけでこんなところまで来てしまった自分が何やら大馬鹿者みたいに思えてならなかった。。。金がすべてじゃないとは言え、自分、金に対する執着心なさすぎるのかしら。幕末の武士みたいだな。武士の商法やって破産しそうで心配。。。
・キャンパスビジット対応。彼とキャンパスで会うのが2回目ということもあり、どうもつい心を開いて色々好き放題言い過ぎてしまったような。。。合格を祈ります。
・Dean主催のランチ。先生やゲストの話はこれはというほどのものはなかったが、たまたま隣に座った東南アジア出身のJ君との雑談が面白かった。
彼はこの夏は国に帰り有名コンサルファームの母国支店でインターンするとのこと。彼の国では人口は日本の倍ほどいるがMBAは毎年日本の1/5ほどもいかないとのことでレア度がとても高い。そのせいか、彼曰く、MBA取得により年収は10倍を狙えるとのこと。じ、十倍ですか。。。お前はどうなんだと聞かれ、おそらく1.1倍くらいかなと答えたら怪訝な顔をされて「なんでMBA来たの」「お前の会社はどういうつもりなんだ」等々。年収10倍にしようと息巻いてLAまで来ている彼に、果たして「国際的なお仕事がやってみたいです」「より金融ちっくな複雑な案件に携わりたいです」というノリだけでこんなところまで来てしまった自分が何やら大馬鹿者みたいに思えてならなかった。。。金がすべてじゃないとは言え、自分、金に対する執着心なさすぎるのかしら。幕末の武士みたいだな。武士の商法やって破産しそうで心配。。。
・キャンパスビジット対応。彼とキャンパスで会うのが2回目ということもあり、どうもつい心を開いて色々好き放題言い過ぎてしまったような。。。合格を祈ります。
Monday, May 16, 2011
スワップにエキサイトしてみるなど
月曜日。Fixed Incomeの授業を受けて、来学期の履修科目について考えて、帰って夕飯食べて、また学校に戻ってTwitterのCo-FounderのBiz Stoneの話を聞きに行って。
・今日のFixed Incomeは個人的にはかなり良かった。自分が社会人一年目で携わっていた金利スワップがお題だったからということもあるが、知的に非常に興奮してしまった。
金利スワップの基礎に始まり、変動利付債の現在価値が常にパーであることについての(自分的にはとてもエレガントな)説明、Bloomberg画面等の実例、LTCMが多用したSwap Spread Arbitrageとそれが包含するリスク…と実にスムーズにスワップ絡みのレクチャーが進む。
次いで余談として、「俺がソロモンにいた頃のLTCMは...」とLTCMに関するリアル思い出話。教授がソロモン債券部門でトップだったのは1994~1998なので、1998年のロシア危機とかはまさにこの教授の実務家としてのキャリアの最後の大事件であったみたい(個人的な邪推としては、本件で発生した損失でソロモンを去らざるを得なかったのかなと)「あの日は誰もがパニックになっていた。スワップスプレッドが20bpsになり、30bps、40bps、そしてついに50bpsになり...そしてFEDから電話がきて...」みたいな臨場感のある語り口。無機質な折れ線グラフでしかないBloombergのグラフが、その説明によりものすごく血肉の通った生々しいドラマの一コマに見えてしまうから不思議なものだ。
そして極めつけに、「そんな彼らの取引について俺が実証研究してみたものがこれだ」と、教授による数年前発表の論文の説明が始まる。論文に読みなれていることは全くないのだが、今日の教授の解説を聞きながらの状況では論文が実にスムーズに頭に入る。この、イロハのイから新しい研究成果の説明までを一気通貫で説明してもらえた3時間は実に楽しかった。しかも、自分を含め多くの生徒が合間合間に色々な質問を投げかけるのだが、すべての質問について理論と実務のバランスのとれた回答を返してくれる。
これら全てが享受できたのは、たまたまこのLongstaffというおっちゃんが実務家であり研究者であり、かつ教育者であったから。今まで受講したUCLAの教授は皆概して教え方のうまい教育者といった感じであったが、このLongstaffは本物だと思わずにはいられなかった。尊敬してしまっている自分の目が曇っているのかもしれないが、ずっと大学にいた教授と比べると明らかに目つきも違うし。
という素晴らしいこの授業。TAさえまともだったら本当に完璧なんだけどな。
・Biz Stone. この名前でググると出てくる来日時のインタビュー記事と喋っていた内容はほぼ同じ(ただし自分の聞き取り能力はアレだが)。当たり前ながらツイッターについて何を聞かれても完璧に即答できていたことについては、どこぞの電力会社の社長にも学ぶべきところがあるのではないかと思ってみたり。
話を聞いていて思ったのは、最初の思いつき自体はほんとになんてことないレベルのものだなぁというもの。仮に「日常からビジネスの元となるような『気付き』をするゲーム」みたいなものであれば、自分とBizにさほどの差はない気がする。おそらく、自分と彼で差が付く勝負の決め手は、それをきっちりビジネスに落とし込めるか否かなのだろう。そのためには何が必要なのだろうか?経験?人脈?実行力?情熱の強さ?この問題意識を、来学期受講するEntrepreneurship関連の授業までキープしてもっていきたい。
・今日のFixed Incomeは個人的にはかなり良かった。自分が社会人一年目で携わっていた金利スワップがお題だったからということもあるが、知的に非常に興奮してしまった。
金利スワップの基礎に始まり、変動利付債の現在価値が常にパーであることについての(自分的にはとてもエレガントな)説明、Bloomberg画面等の実例、LTCMが多用したSwap Spread Arbitrageとそれが包含するリスク…と実にスムーズにスワップ絡みのレクチャーが進む。
次いで余談として、「俺がソロモンにいた頃のLTCMは...」とLTCMに関するリアル思い出話。教授がソロモン債券部門でトップだったのは1994~1998なので、1998年のロシア危機とかはまさにこの教授の実務家としてのキャリアの最後の大事件であったみたい(個人的な邪推としては、本件で発生した損失でソロモンを去らざるを得なかったのかなと)「あの日は誰もがパニックになっていた。スワップスプレッドが20bpsになり、30bps、40bps、そしてついに50bpsになり...そしてFEDから電話がきて...」みたいな臨場感のある語り口。無機質な折れ線グラフでしかないBloombergのグラフが、その説明によりものすごく血肉の通った生々しいドラマの一コマに見えてしまうから不思議なものだ。
そして極めつけに、「そんな彼らの取引について俺が実証研究してみたものがこれだ」と、教授による数年前発表の論文の説明が始まる。論文に読みなれていることは全くないのだが、今日の教授の解説を聞きながらの状況では論文が実にスムーズに頭に入る。この、イロハのイから新しい研究成果の説明までを一気通貫で説明してもらえた3時間は実に楽しかった。しかも、自分を含め多くの生徒が合間合間に色々な質問を投げかけるのだが、すべての質問について理論と実務のバランスのとれた回答を返してくれる。
これら全てが享受できたのは、たまたまこのLongstaffというおっちゃんが実務家であり研究者であり、かつ教育者であったから。今まで受講したUCLAの教授は皆概して教え方のうまい教育者といった感じであったが、このLongstaffは本物だと思わずにはいられなかった。尊敬してしまっている自分の目が曇っているのかもしれないが、ずっと大学にいた教授と比べると明らかに目つきも違うし。
という素晴らしいこの授業。TAさえまともだったら本当に完璧なんだけどな。
・Biz Stone. この名前でググると出てくる来日時のインタビュー記事と喋っていた内容はほぼ同じ(ただし自分の聞き取り能力はアレだが)。当たり前ながらツイッターについて何を聞かれても完璧に即答できていたことについては、どこぞの電力会社の社長にも学ぶべきところがあるのではないかと思ってみたり。
話を聞いていて思ったのは、最初の思いつき自体はほんとになんてことないレベルのものだなぁというもの。仮に「日常からビジネスの元となるような『気付き』をするゲーム」みたいなものであれば、自分とBizにさほどの差はない気がする。おそらく、自分と彼で差が付く勝負の決め手は、それをきっちりビジネスに落とし込めるか否かなのだろう。そのためには何が必要なのだろうか?経験?人脈?実行力?情熱の強さ?この問題意識を、来学期受講するEntrepreneurship関連の授業までキープしてもっていきたい。
Sunday, May 15, 2011
目線合わせ
日曜日。相変わらず熱が引かないし、なんか頭痛までするようになってきてあら大変。
色々たまった宿題をする予定だったがあきらめて、既にある程度走り出している明日締切の2本の宿題についてちょっとチームメイトにメールをしたあとは家で安静モード。
・Fixed Income. チームメイトのうち台湾人の女の子が、なんというか、他のメンバーと比べて落としどころに対する目線が結構高くて多少苦労した。提出したかどうか程度しか見ないと言っている宿題であるにもかかわらず、「多少の加点余地はある」という仮説のもと全力を尽くそうとする彼女と「もういいじゃん」と落としどころばっかり考えてしまっている自分他。
でも、こういう目線が高い人がいてくれると、やっている最中は若干めんどくさいが、終わった後の達成感はなんだかんだいって高くなる。彼女がいなければ絶対議論すらしなかったであろういくつかのトピックについて頭の整理をできたことで、風邪による頭痛は悪化したがある意味頭がすっきり。この「全員が言いたい放題言っても、最後には遺恨を残すことなくさわやかに終了」というのを帰国後もきちんとできるようになれれば本当に良いのだが。
・他方、Strategyの宿題は、悪い意味で皆の目線が低めのところで一致してしまっていて、議論らしい議論も起こることなくなんとなーく終わってしまった。今回のたたき台を作ったのは自分だったので、あまり茶々を入れられなかったという意味では気楽だったが、やっぱりちょっと物足りなさは残る。
・熱があって書けなかったのだが、昨日のBBQで印象に残った話。
参加者のおじさん曰く、「日本人は商売相手を信頼できる人に絞り込んでしまっているが、アメリカではそうではなく敵対者とすら商売する」とのこと。アメリカでは信頼関係がない人とも商売するため、自分の権利を分厚い契約書できっちり守り、守りきれない分は訴訟でカバーしようというのが基本発想だそうで、そういったリーガルコストを考慮しても、信頼できる人に商売相手を限定しないことで得られるメリットの方が大きいと考えられるそうだ。
この話、おそらく少しでも国際関連のビジネスをやっている日本人にしてみれば当たり前の話なんだろうとは思う。自分もどっかで聞いた話だなぁとは思ったが、でも改めてそういった苦労を実際に経験した人から聞くことがぐっとくるものがあった。また、この話、現在の留学中の人間関係にもちょっと応用がきくのではないかとふと思ってみたり。
色々たまった宿題をする予定だったがあきらめて、既にある程度走り出している明日締切の2本の宿題についてちょっとチームメイトにメールをしたあとは家で安静モード。
・Fixed Income. チームメイトのうち台湾人の女の子が、なんというか、他のメンバーと比べて落としどころに対する目線が結構高くて多少苦労した。提出したかどうか程度しか見ないと言っている宿題であるにもかかわらず、「多少の加点余地はある」という仮説のもと全力を尽くそうとする彼女と「もういいじゃん」と落としどころばっかり考えてしまっている自分他。
でも、こういう目線が高い人がいてくれると、やっている最中は若干めんどくさいが、終わった後の達成感はなんだかんだいって高くなる。彼女がいなければ絶対議論すらしなかったであろういくつかのトピックについて頭の整理をできたことで、風邪による頭痛は悪化したがある意味頭がすっきり。この「全員が言いたい放題言っても、最後には遺恨を残すことなくさわやかに終了」というのを帰国後もきちんとできるようになれれば本当に良いのだが。
・他方、Strategyの宿題は、悪い意味で皆の目線が低めのところで一致してしまっていて、議論らしい議論も起こることなくなんとなーく終わってしまった。今回のたたき台を作ったのは自分だったので、あまり茶々を入れられなかったという意味では気楽だったが、やっぱりちょっと物足りなさは残る。
・熱があって書けなかったのだが、昨日のBBQで印象に残った話。
参加者のおじさん曰く、「日本人は商売相手を信頼できる人に絞り込んでしまっているが、アメリカではそうではなく敵対者とすら商売する」とのこと。アメリカでは信頼関係がない人とも商売するため、自分の権利を分厚い契約書できっちり守り、守りきれない分は訴訟でカバーしようというのが基本発想だそうで、そういったリーガルコストを考慮しても、信頼できる人に商売相手を限定しないことで得られるメリットの方が大きいと考えられるそうだ。
この話、おそらく少しでも国際関連のビジネスをやっている日本人にしてみれば当たり前の話なんだろうとは思う。自分もどっかで聞いた話だなぁとは思ったが、でも改めてそういった苦労を実際に経験した人から聞くことがぐっとくるものがあった。また、この話、現在の留学中の人間関係にもちょっと応用がきくのではないかとふと思ってみたり。
Saturday, May 14, 2011
Friday, May 13, 2011
Thursday, May 12, 2011
今週Done
木曜日。朝の8時から夜の8時まで。休み時間も宿題に追われていたので、心底疲れた。。。でも、帰って娘の顔を見て、妻の作った夕飯を食べて、ビールを飲んで、宿題以外の色々をしてという木曜の夜は何事にも代えがたい幸せを感じるようにも思う。苦労しないと幸せを感じられない自分は貧乏性なのかな
・Strategyの中間試験が返ってきた。なんと最後の問題、存在すら気が付いておらず5点ほどドブに捨てていた。平均点には負けてなかったからいいようなものの、なんとまあ勿体ないことか。気が抜けてるなぁ。
・来学期の授業案内が来た。1年生が受講できない秋学期のうちに、競争的な科目をとっておくのがセオリーなんだろな。ただ、自然体で興味に任せてしまうとファイナンスばっかりになってしまうので、無理にでもファイナンス的でない科目を最低1つは取ろうかとも画策中。数理系1~2個、コーポレートファイナンス系一個、アントレ系1個、21世紀枠一個くらいかしら。
・明日何かのはずみでヨットに乗ることになってしまった。確実に海には落ちると言われたがどうしたものか。まあ落ちるんだろな。
・それにしても官房長官がとんでもないことを言ったみたいで。おそらく現実的な落としどころがあっての上での計算含みの発言であって、字面にかっとした自分はまんまと手のひらを踊らされているものだとは思う。でもそれにしても、どこのソ連かと言いたくて仕方ない(のでこのブログで言ってみた)。今日のドラめもんさんと厭債害債さんは世の金融関係者の思いを非常にうまく代弁してくれていると思う。
・Strategyの中間試験が返ってきた。なんと最後の問題、存在すら気が付いておらず5点ほどドブに捨てていた。平均点には負けてなかったからいいようなものの、なんとまあ勿体ないことか。気が抜けてるなぁ。
・来学期の授業案内が来た。1年生が受講できない秋学期のうちに、競争的な科目をとっておくのがセオリーなんだろな。ただ、自然体で興味に任せてしまうとファイナンスばっかりになってしまうので、無理にでもファイナンス的でない科目を最低1つは取ろうかとも画策中。数理系1~2個、コーポレートファイナンス系一個、アントレ系1個、21世紀枠一個くらいかしら。
・明日何かのはずみでヨットに乗ることになってしまった。確実に海には落ちると言われたがどうしたものか。まあ落ちるんだろな。
・それにしても官房長官がとんでもないことを言ったみたいで。おそらく現実的な落としどころがあっての上での計算含みの発言であって、字面にかっとした自分はまんまと手のひらを踊らされているものだとは思う。でもそれにしても、どこのソ連かと言いたくて仕方ない(のでこのブログで言ってみた)。今日のドラめもんさんと厭債害債さんは世の金融関係者の思いを非常にうまく代弁してくれていると思う。
Wednesday, May 11, 2011
へろへろ
水曜日。早朝から山に芝刈りに行って、家で昼飯食べて、宿題して、公園行って、宿題して、宿題して、そして宿題が全然終わりそうにない(^^)v
・芝刈り。朝の練習タイムで先輩のおニューのクラブを借りたら自分のクラブとかなり振り心地が違う。先輩のクラブに適応すべくあれやこれやついうっかり微調整していたら、気がつくと自分のスイングを度忘れしてしまった…という敗戦の弁でした。これまでただのOB製造装置でしかなかった4UTが機能したのが本日の唯一の収穫。
・宿題。これまで1時間程度で終わっていたFixed Incomeの宿題が5時間かけても終わらない。完全に時間配分を間違え、まだ読んですらいない宿題の束を抱えてヤケッパチ状態...問題がややこしすぎて、Dropboxに入っているチームメイトのドラフトを見ても彼女がどのようにして解いているのか全く理解できないし、おそらく彼女も自分のドラフトを理解できないと思う。検算とか全然無理そうだ、、、
嗚呼、中国語もやらないと、明日テストだ...
・芝刈り。朝の練習タイムで先輩のおニューのクラブを借りたら自分のクラブとかなり振り心地が違う。先輩のクラブに適応すべくあれやこれやついうっかり微調整していたら、気がつくと自分のスイングを度忘れしてしまった…という敗戦の弁でした。これまでただのOB製造装置でしかなかった4UTが機能したのが本日の唯一の収穫。
・宿題。これまで1時間程度で終わっていたFixed Incomeの宿題が5時間かけても終わらない。完全に時間配分を間違え、まだ読んですらいない宿題の束を抱えてヤケッパチ状態...問題がややこしすぎて、Dropboxに入っているチームメイトのドラフトを見ても彼女がどのようにして解いているのか全く理解できないし、おそらく彼女も自分のドラフトを理解できないと思う。検算とか全然無理そうだ、、、
嗚呼、中国語もやらないと、明日テストだ...
Tuesday, May 10, 2011
マッチポンプ式勉強法
火曜日。今日は午後最後の組織論が昨日の講演会の代わりに休講だったので授業は二つだけ。
終わった後、たまたま今日はハーゲンダッツ無料デーだったのでわざわざ30分くらいかけてショッピングセンターまで行ってアイスを食べて。
その後は、せっかく近くまで来たのでということでコリアタウンにてBBQ。適当にYelpで見つけたSoowon Galbiという店に入ってみたら美味しくて大満足。これまで数件コリアタウンのBBQには行っているが、ここが個人的にはぶっちぎりでベスト。肉以外の殆ど全てが無料でしかもお代わり自由なので、肉が一皿20~30ドルと安くはないがトータルの負担はあまり高くなかったのも嬉しい。ただKorean BBQの例にもれず一皿一皿の量が多いので、次回は誰か友人を連れて色々な肉を食べ比べてみたい。
大量の宿題を抱えて胃ながら明日早朝に芝刈りが入ってしまった(入れてしまった)ので、マッチポンプ式に危機意識に火が付き、宿題がはかどって何より。
ところで、先日から、留学準備中にしれっとやめてしまった「各種マーケットデータを毎日メモする」という習慣を再開してみた。体に相場観をしみこませたいという思いで社会人の初期から始めた習慣であるが、今回はせっかく留学しているので海外(というかアメリカなので国内?)指標も拾ってみている。
株価はS&P500とN225、金利はUSTとJGBの10Y、為替は円ドルとドルユーロ、あとは金先物とWTI。とりあえずこのくらいでスタートして、こいつらに対する相場観ができてきたらもう少し対象を広げてみようかと思っている(銀?短期金利?中国系?)
MBAはデータを料理する力は相当養われると思う一方でデータを拾う力は全く鍛えられないので(少なくとも今のところは)、弱点を補完する意義もあるのかなとその点からも一丁頑張ってみようかと思っている(もう開始して数日たつので、データ入手に頭を悩ませることはないのだが...)。
とMBA教育に批判を加えた矢先ではあるが、今日のInternational Financeは「欧州危機について、データを拾うところから分析するところまで一気通貫でやってみましょう」という課題について議論したのだが、非常に充実していた。ないものねだりとは思うのだが、今日の授業のような多少なりデータの入手という側面にも配慮した授業があると大変ありがたいのだが...そんなことを望む自分は"ゆとり"なのかなぁ..
終わった後、たまたま今日はハーゲンダッツ無料デーだったのでわざわざ30分くらいかけてショッピングセンターまで行ってアイスを食べて。
その後は、せっかく近くまで来たのでということでコリアタウンにてBBQ。適当にYelpで見つけたSoowon Galbiという店に入ってみたら美味しくて大満足。これまで数件コリアタウンのBBQには行っているが、ここが個人的にはぶっちぎりでベスト。肉以外の殆ど全てが無料でしかもお代わり自由なので、肉が一皿20~30ドルと安くはないがトータルの負担はあまり高くなかったのも嬉しい。ただKorean BBQの例にもれず一皿一皿の量が多いので、次回は誰か友人を連れて色々な肉を食べ比べてみたい。
大量の宿題を抱えて胃ながら明日早朝に芝刈りが入ってしまった(入れてしまった)ので、マッチポンプ式に危機意識に火が付き、宿題がはかどって何より。
ところで、先日から、留学準備中にしれっとやめてしまった「各種マーケットデータを毎日メモする」という習慣を再開してみた。体に相場観をしみこませたいという思いで社会人の初期から始めた習慣であるが、今回はせっかく留学しているので海外(というかアメリカなので国内?)指標も拾ってみている。
株価はS&P500とN225、金利はUSTとJGBの10Y、為替は円ドルとドルユーロ、あとは金先物とWTI。とりあえずこのくらいでスタートして、こいつらに対する相場観ができてきたらもう少し対象を広げてみようかと思っている(銀?短期金利?中国系?)
MBAはデータを料理する力は相当養われると思う一方でデータを拾う力は全く鍛えられないので(少なくとも今のところは)、弱点を補完する意義もあるのかなとその点からも一丁頑張ってみようかと思っている(もう開始して数日たつので、データ入手に頭を悩ませることはないのだが...)。
とMBA教育に批判を加えた矢先ではあるが、今日のInternational Financeは「欧州危機について、データを拾うところから分析するところまで一気通貫でやってみましょう」という課題について議論したのだが、非常に充実していた。ないものねだりとは思うのだが、今日の授業のような多少なりデータの入手という側面にも配慮した授業があると大変ありがたいのだが...そんなことを望む自分は"ゆとり"なのかなぁ..
Monday, May 9, 2011
アガリスク
月曜日。
・昼休みには組織論の授業の一環にてIDEOというデザイン会社の幹部の人の講演会。イノベーションを組織として実現し続けるための方法論が存在すると信じ、それを実践しているという彼のロジックは実績に裏付けされているものであり非常に説得力に富んでいた。スピーカーのおっちゃん、あまりデザイン事務所の人といった感じには見えなかったけれど..
ところで、聞いていた話を「この話をどのように勤務先やら、まだ見ぬ自分の会社に応用できそうかしら」と考えていて思ったこと:根拠ゼロだが、成功事例から学ぶのは失敗例を反面教師にするよりも数段難しい気がする。
成功事例の多くは状況など他の要因とのセットで成功につながっているものが多く、それだけを切り取って真似してもうまくいかないことがあまりに多い気がする(例:トヨタ生産方式を、トヨタ出身者が乗り込んでコーチしてさえもトヨタ以外の企業がモノにできない)。他方、失敗例はそこだけ切り取って「べからず集」に入れておくだけでも結構効き目がある気がするし、あまり他の要因を気にすることもなくとりあえずその失敗要因について参考にしてもあまり支障がない気がする。
「喫煙者の肺がんになる確率は高いので、死にたくなかったら煙草を控えろ」という失敗事例をもとにした教訓はそれほどの批判的考察なしでも受け入れることができるが、「長生きした人の多くがアガリスクを食べていた。実際、医学的裏付けもある。なので、アガリスクを食べるとよい」という成功事例をもとにした教訓は何かがおかしい気がする。
うまく言えないし、どこかの教科書に乗っていそうな話だが、失敗に学ぶことと成功に学ぶことの間には非対称性があるのでは、と講演を聞きながら感じた。
・授業はFixed Income。なんか気が付いたらずいぶん難しくなってきてきりきり舞い。マートンさんやらヴァシチェクさんやら何やらかにやらいろんな人が作った「金利予想モデル」の紹介があり、金利が負になることの是非がどうしたこうしたとか。自分が数学的難解さに知的快感を見出すことのできる知的好奇心の強さを持ち合わせていればさぞかし楽しい授業であったのだろうが、残念ながら今日は次から次へと繰り出される数式の嵐にノックアウトされた感じ。しかもM in FEではなくMBAなので、途中の数式とかは遠慮なしにすっとばすので結論の数式の成り立ちとかが全然直感的に理解できない。
紙を配るとかPPTを使うとか、せめて授業の内容が載っている教科書を紹介してくれ...授業が難しいこと自体は受容できるが、フォローアップの手段が非常に限られているのが辛い(含むTAのコミュニケーションやる気ゼロ)
でもまあ、こういった難解な事柄について安易にネットやTAに頼ることなく悶絶しながら試行錯誤することで、自分の頭がより一層Cultivateされるのかもしれないが。バリエーションやらといった応用科目を取る前に、こういった基礎的科目で頭を捻っておくことが良い経験になるのではと思い履修したこの授業であったが、期待以上に期待通りの展開になっているとでもいえばいいのだろうか。まあでも、あるいは、これまでの必修科目が緩すぎたのかもしれないけど(トップ校にはない緩さなのか、あるいはMBAなんてこんなものなのか...)
・昼休みには組織論の授業の一環にてIDEOというデザイン会社の幹部の人の講演会。イノベーションを組織として実現し続けるための方法論が存在すると信じ、それを実践しているという彼のロジックは実績に裏付けされているものであり非常に説得力に富んでいた。スピーカーのおっちゃん、あまりデザイン事務所の人といった感じには見えなかったけれど..
ところで、聞いていた話を「この話をどのように勤務先やら、まだ見ぬ自分の会社に応用できそうかしら」と考えていて思ったこと:根拠ゼロだが、成功事例から学ぶのは失敗例を反面教師にするよりも数段難しい気がする。
成功事例の多くは状況など他の要因とのセットで成功につながっているものが多く、それだけを切り取って真似してもうまくいかないことがあまりに多い気がする(例:トヨタ生産方式を、トヨタ出身者が乗り込んでコーチしてさえもトヨタ以外の企業がモノにできない)。他方、失敗例はそこだけ切り取って「べからず集」に入れておくだけでも結構効き目がある気がするし、あまり他の要因を気にすることもなくとりあえずその失敗要因について参考にしてもあまり支障がない気がする。
「喫煙者の肺がんになる確率は高いので、死にたくなかったら煙草を控えろ」という失敗事例をもとにした教訓はそれほどの批判的考察なしでも受け入れることができるが、「長生きした人の多くがアガリスクを食べていた。実際、医学的裏付けもある。なので、アガリスクを食べるとよい」という成功事例をもとにした教訓は何かがおかしい気がする。
うまく言えないし、どこかの教科書に乗っていそうな話だが、失敗に学ぶことと成功に学ぶことの間には非対称性があるのでは、と講演を聞きながら感じた。
・授業はFixed Income。なんか気が付いたらずいぶん難しくなってきてきりきり舞い。マートンさんやらヴァシチェクさんやら何やらかにやらいろんな人が作った「金利予想モデル」の紹介があり、金利が負になることの是非がどうしたこうしたとか。自分が数学的難解さに知的快感を見出すことのできる知的好奇心の強さを持ち合わせていればさぞかし楽しい授業であったのだろうが、残念ながら今日は次から次へと繰り出される数式の嵐にノックアウトされた感じ。しかもM in FEではなくMBAなので、途中の数式とかは遠慮なしにすっとばすので結論の数式の成り立ちとかが全然直感的に理解できない。
紙を配るとかPPTを使うとか、せめて授業の内容が載っている教科書を紹介してくれ...授業が難しいこと自体は受容できるが、フォローアップの手段が非常に限られているのが辛い(含むTAのコミュニケーションやる気ゼロ)
でもまあ、こういった難解な事柄について安易にネットやTAに頼ることなく悶絶しながら試行錯誤することで、自分の頭がより一層Cultivateされるのかもしれないが。バリエーションやらといった応用科目を取る前に、こういった基礎的科目で頭を捻っておくことが良い経験になるのではと思い履修したこの授業であったが、期待以上に期待通りの展開になっているとでもいえばいいのだろうか。まあでも、あるいは、これまでの必修科目が緩すぎたのかもしれないけど(トップ校にはない緩さなのか、あるいはMBAなんてこんなものなのか...)
Sunday, May 8, 2011
週末おさらい
・土曜日。ユニバーサルスタジオに行ったり勉強したり。ユニバーサルスタジオは3回目だが、さすがにこれで年間パスもペイするのかな?帰宅後はひたすらFuturesとForwardsについて調べもの。2つの選択科目がたまたま同じタイミングでFuturesとForwardsについて取り扱っていて、それぞれが異なる観点から議論をしてくれているので、これまで理解が浅かった気がする当該分野についてずいぶん知識が固まった気がする。
・日曜日。この日は大学の日系人の先生とゴルフ。朝4時前に起きてゴルフ場へ。一番乗りした時点では周辺は完全に真っ暗でどうなることかと心配したが、結局スタートした5:45くらいにはちゃんと日が出ていて感心。今日はこの先生の友人がたくさんいて、仲間うちでの会に混ぜてもらった形みたい。聞くにこの先生、ここ十数年は毎週日曜日は朝イチでこのゴルフ場で回っているとのことで羨ましい限り。先生、なんだか別にすごいショットを打つわけでもないのだが、気が付いたらバーディなんて取っていたりして、結局80台前半で帰ってきていた。なんという経済的なゴルフであることか。会心の当たりとかベタピンとか見せ場を作っておきながら負けた自分がアホみたいであった。
ゴルフは、調子は悪くないのだが良くもないといった感じでちょうどボギーペース。ボギーへの強力な収束力のようなものがあり、ボギーオンに失敗したときはアプローチが冴えた一方、パーオンしたときは短くても3パットを強いられた。。なんだかなあ
早起きと終了後のビールにて体内時計が完全に壊れたようで、今日は昼寝だけではなく夕食後にもうたた寝してしまい、夜になって目が冴えてしまっている。どうしたものか。。。
・日曜日。この日は大学の日系人の先生とゴルフ。朝4時前に起きてゴルフ場へ。一番乗りした時点では周辺は完全に真っ暗でどうなることかと心配したが、結局スタートした5:45くらいにはちゃんと日が出ていて感心。今日はこの先生の友人がたくさんいて、仲間うちでの会に混ぜてもらった形みたい。聞くにこの先生、ここ十数年は毎週日曜日は朝イチでこのゴルフ場で回っているとのことで羨ましい限り。先生、なんだか別にすごいショットを打つわけでもないのだが、気が付いたらバーディなんて取っていたりして、結局80台前半で帰ってきていた。なんという経済的なゴルフであることか。会心の当たりとかベタピンとか見せ場を作っておきながら負けた自分がアホみたいであった。
ゴルフは、調子は悪くないのだが良くもないといった感じでちょうどボギーペース。ボギーへの強力な収束力のようなものがあり、ボギーオンに失敗したときはアプローチが冴えた一方、パーオンしたときは短くても3パットを強いられた。。なんだかなあ
早起きと終了後のビールにて体内時計が完全に壊れたようで、今日は昼寝だけではなく夕食後にもうたた寝してしまい、夜になって目が冴えてしまっている。どうしたものか。。。
Friday, May 6, 2011
雑務やっつけデー
金曜日。妻はゴルフへ、自分は家。今週は平日の勉強がはかどったので、これまで忙しさにかまけてできていなかったことをいくつかやっつけた。PCの細かい問題点を解決したり、終わった授業の資料をスキャンしたり、友人にそそのかされて共同購入したCFAのSchweserのテキストを購入後1か月後にして初めて紐解いてみたり。
・PCは、サブマシンのVaioが、知人に貸して帰ってきたら色々と細かくおかしくなっていたのでそれを直すべく時間を使った。Explorerで右クリック→新規作成としてもExcelやPPTが出てこないという病気を解決すべくレジストリ(?)をいじったりとか、よくわからない未使用ファイルを削除して軽くしてみたり。
でも、依然として、True Type Fontが使えない。せっかく作ったり作ってもらったりしたPPTのフォントがしょぼいのは我慢ならないのだが今日は解決策を発見するには至らず。
というか、これまでは周辺に必ず一人はいた「PCに詳しい奴」というのが今は存在しないのが痛い。エンジニア出身とかで自分のレベルをはるかに超越している奴(Appを作って売ろうとしている奴とか)とかはいるのだが、自分の身の丈に合った問題意識レベルの人がおらず、この手の話の話し相手がもっぱらGoogle先生というさびしい状況。夏明け以降のゴルフ友達も少なそうで困っているが、この分野で話ができる友人も欲しい。。。
・購入後1か月後にしてようやく開いたCFAテキスト。International Financeの授業で消化不良の感があったForward/Futureについてちょっと解説を読んでみようかという思いで手に取ってみたのだが、Lv1だからかびっくりするくらい内容がしょぼい。本の分厚さに不必要にやられていた感があったが(全巻合わせて30cmくらい)、これは既存の知識+MBA1年目の学習内容で十分対処できそうだし、MBAの勉強の邪魔にならない形で進めることができそうな予感がする。
ということで、近い将来の受験を決意。とりあえず目次をもとにExcelで進捗管理表のようなものを作ってみて、順番が滅茶苦茶ではあるがForward/Futureのところだけテキストをさらってみた。大分類で18項目(「Ethics」とか「Corporate Finance」とか)、中分類で75項目(「Inventories」とか「Cost of Capital」とか)という感じなので、丁寧にやっても75日 x 1中分類 + 問題集15日 = 90日で一通りのカバーはできてしまいそう。
ただ、受験コスト約1,000ドルというのが、留学貧乏まっただ中の自分には割と、と言うか無茶苦茶痛い。。。正直、留学中に1,000ドルあるなら、その金で追加的に旅行した方が有意義だと思うし。なかなか難しいところだが、勉強面でのハードルは低そうという今日の発見は小さくないので、夏休みに行う予定のインプラント手術の費用を見つつ受験のタイミングについて考えてみたい。
・PCは、サブマシンのVaioが、知人に貸して帰ってきたら色々と細かくおかしくなっていたのでそれを直すべく時間を使った。Explorerで右クリック→新規作成としてもExcelやPPTが出てこないという病気を解決すべくレジストリ(?)をいじったりとか、よくわからない未使用ファイルを削除して軽くしてみたり。
でも、依然として、True Type Fontが使えない。せっかく作ったり作ってもらったりしたPPTのフォントがしょぼいのは我慢ならないのだが今日は解決策を発見するには至らず。
というか、これまでは周辺に必ず一人はいた「PCに詳しい奴」というのが今は存在しないのが痛い。エンジニア出身とかで自分のレベルをはるかに超越している奴(Appを作って売ろうとしている奴とか)とかはいるのだが、自分の身の丈に合った問題意識レベルの人がおらず、この手の話の話し相手がもっぱらGoogle先生というさびしい状況。夏明け以降のゴルフ友達も少なそうで困っているが、この分野で話ができる友人も欲しい。。。
・購入後1か月後にしてようやく開いたCFAテキスト。International Financeの授業で消化不良の感があったForward/Futureについてちょっと解説を読んでみようかという思いで手に取ってみたのだが、Lv1だからかびっくりするくらい内容がしょぼい。本の分厚さに不必要にやられていた感があったが(全巻合わせて30cmくらい)、これは既存の知識+MBA1年目の学習内容で十分対処できそうだし、MBAの勉強の邪魔にならない形で進めることができそうな予感がする。
ということで、近い将来の受験を決意。とりあえず目次をもとにExcelで進捗管理表のようなものを作ってみて、順番が滅茶苦茶ではあるがForward/Futureのところだけテキストをさらってみた。大分類で18項目(「Ethics」とか「Corporate Finance」とか)、中分類で75項目(「Inventories」とか「Cost of Capital」とか)という感じなので、丁寧にやっても75日 x 1中分類 + 問題集15日 = 90日で一通りのカバーはできてしまいそう。
ただ、受験コスト約1,000ドルというのが、留学貧乏まっただ中の自分には割と、と言うか無茶苦茶痛い。。。正直、留学中に1,000ドルあるなら、その金で追加的に旅行した方が有意義だと思うし。なかなか難しいところだが、勉強面でのハードルは低そうという今日の発見は小さくないので、夏休みに行う予定のインプラント手術の費用を見つつ受験のタイミングについて考えてみたい。
Thursday, May 5, 2011
木曜日。あー疲れた。
宿題をPPTで作っているのだが、サブマシンのVaioになぜかTrue Type Fontがインストールされず、サブマシンで作業をすると同級生が気の利いたフォントで作ったファイルがしょぼしょぼ明朝体になってしまう。。。
・今週のOrganizational Behavior。
火曜日のお題がGenderで木曜がRaceと、自分にとってはなじみの薄いテーマ。これまで考えたことが殆どなかった分野ゆえに、授業が実に面白かった。
どちらも基本的なコンセプトは似ていて、
- 多くの人が往々にして、女性差別やマイノリティ差別を明示的にはしていなくても、
- 無意識に女性やマイノリティに対するステレオタイプや偏見を持ってしまっていて、
- そういったステレオタイプにより無意識に偏った判断をしてしまう"無意識の差別"をすることがある
- なので、まずそういった"無意識の差別"を自覚した上で、それを可能な限り除去できるような仕組みを考案・実施するとよい
- 具体的には云々
と言う感じ。
授業中にあった事例としては、
- 素晴らしい経歴が書かれたレジュメ。同じ内容で、ひとつを女性名、ひとつを男性名にして被験者に感想を聞く。すると、多くの被験者は男性のレジュメを見てシンプルに「素晴らしい」という印象を抱く一方で女性のレジュメを見て「アグレッシブそう」といったネガティブな印象を抱く。これは人々が無意識にもっている女性に対する「おしとやか」等々のステレオタイプとレジュメの内容に乖離があるため。無意識に存在するステレオタイプが、被験者の判断力を歪めている
- まったく同じ経歴が書かれたレジュメ。片方を黒人っぽい名前、もう一方を白人っぽい名前にして、求人広告を出している多くの企業に出願してみる。すると、本来唯一の判断対象となるべき経歴が同じであるにもかかわらず、白人っぽい名前の偽レジュメが選考を通過する確率は黒人レジュメの通過率を50%ほど上回っている
など。
KKKみたいな意識的な差別と、この「無意識の差別」。いったいどちらの方が重い問題だろうか。
さて、翻って自分がどうだったか考えてみると、
自分はジェンダーとか人種差別について「Well-educatedでNon-biased」であると思い込んでいたが、実はそんなこと全然なくて、単に問題の所在に気が付いていなかっただけである気がしてきた。
単に「セクハラしなければいい」とか「分け隔てなく接すればよい」とかいう表層的なレベルでしか問題を理解できていなかった気がする。表層的なマナー部分だけ押さえて満足し、本質的な「無意識の差別を認識し、意識的にそれを軽減すべく努力する」という取組の必要性とかは全く考えていなかった気がする。特に人種問題など、当たらぬ神にたたりなしくらいにしか思っていなかった。おそらく自分のような「善良だと思い込んでいる人間」こそ上記のような無意識の差別をやらかしてしまうのではないかと思いぞっとした。
アメリカ人同級生の反応を観察してみたが、
皆思い思いの意見こそ言うが、それほど場の空気は重たくなく、みな程よい距離感で問題を受け止めて対処できているように見えた。この手のテーマは幼少の時から手を変え品を変え考えさせられている問題であり、バランス感覚のようなものができているのだろうか。自分は授業前の段階で「この手の問題は『笑えない問題』であり、皆口を閉ざしたり、真剣な顔をしたりするのではないか」という仮説をもっていたのだが、たぶんいい意味で裏切られたと言っていいのだろう。自分の隣には黒人の女の子が座っており、火曜日も木曜日も自分はちょっと気にしてしまっていたのだが、彼女はどちらの授業もきわめて自然体で聞いていて感心した(神経質に教授や同級生に反発したり、じっと苦い顔をして黙りこくったりすることを懸念していたので)。
授業を終えて思うに、
上で書いた自分の反省の繰り返しにもなるが、自分や多くの日本人はこうした問題に立ち入らないことで問題に対処できている気になってしまっているように思われる。日本にも宗教やら過去の身分制度の名残やら身体的特徴やらで出自やら、実に多くの差別が存在しているが、今の自分(と、多くの日本人)がやっている「立ち入らなければクールでノープロブレム」的スタンスだと、「無意識の差別」に対する自覚が欠けてしまう懸念がぬぐえないように思われる。
この問題はグローバル化に伴い考えざるを得ない問題となる可能性がある。
今後、少なくとも今若者とカテゴライズされている人の多くは、教育の程度の高低を問わず、何らかの形で日本の外の世界と関わって生きていく必要に迫られるものと思われる。そのような局面にあって無意識の差別により思いがけず怪我をするリスクがある。海外展開待ったなしの局面になり「無意識に差別を行う日本人」という悪いレッテルを形成してしまう前に、「差別問題の存在を自覚し、"無意識の差別"を含めた問題について認識した上で差別をしない」というより積極的な関わり方ができるようになると望ましいように思われる。自分が評論家であるならば「ついては学校教育の改善を」というのが結論になるのだが、いかんせん自分はただの学生に過ぎないので、「自分の娘にはそのように教育したい」という極めてミクロな決心をもってこの論考の結論としておきたい。
と、散々問題を膨らませておいて、しかも自分だけ反省しておけばいいのに日本人全員にダメ出しをして、最後に突然「自分だけ改善しよう」とまとめてみた。ややロジックがセコいな...
宿題をPPTで作っているのだが、サブマシンのVaioになぜかTrue Type Fontがインストールされず、サブマシンで作業をすると同級生が気の利いたフォントで作ったファイルがしょぼしょぼ明朝体になってしまう。。。
・今週のOrganizational Behavior。
火曜日のお題がGenderで木曜がRaceと、自分にとってはなじみの薄いテーマ。これまで考えたことが殆どなかった分野ゆえに、授業が実に面白かった。
どちらも基本的なコンセプトは似ていて、
- 多くの人が往々にして、女性差別やマイノリティ差別を明示的にはしていなくても、
- 無意識に女性やマイノリティに対するステレオタイプや偏見を持ってしまっていて、
- そういったステレオタイプにより無意識に偏った判断をしてしまう"無意識の差別"をすることがある
- なので、まずそういった"無意識の差別"を自覚した上で、それを可能な限り除去できるような仕組みを考案・実施するとよい
- 具体的には云々
と言う感じ。
授業中にあった事例としては、
- 素晴らしい経歴が書かれたレジュメ。同じ内容で、ひとつを女性名、ひとつを男性名にして被験者に感想を聞く。すると、多くの被験者は男性のレジュメを見てシンプルに「素晴らしい」という印象を抱く一方で女性のレジュメを見て「アグレッシブそう」といったネガティブな印象を抱く。これは人々が無意識にもっている女性に対する「おしとやか」等々のステレオタイプとレジュメの内容に乖離があるため。無意識に存在するステレオタイプが、被験者の判断力を歪めている
- まったく同じ経歴が書かれたレジュメ。片方を黒人っぽい名前、もう一方を白人っぽい名前にして、求人広告を出している多くの企業に出願してみる。すると、本来唯一の判断対象となるべき経歴が同じであるにもかかわらず、白人っぽい名前の偽レジュメが選考を通過する確率は黒人レジュメの通過率を50%ほど上回っている
など。
KKKみたいな意識的な差別と、この「無意識の差別」。いったいどちらの方が重い問題だろうか。
さて、翻って自分がどうだったか考えてみると、
自分はジェンダーとか人種差別について「Well-educatedでNon-biased」であると思い込んでいたが、実はそんなこと全然なくて、単に問題の所在に気が付いていなかっただけである気がしてきた。
単に「セクハラしなければいい」とか「分け隔てなく接すればよい」とかいう表層的なレベルでしか問題を理解できていなかった気がする。表層的なマナー部分だけ押さえて満足し、本質的な「無意識の差別を認識し、意識的にそれを軽減すべく努力する」という取組の必要性とかは全く考えていなかった気がする。特に人種問題など、当たらぬ神にたたりなしくらいにしか思っていなかった。おそらく自分のような「善良だと思い込んでいる人間」こそ上記のような無意識の差別をやらかしてしまうのではないかと思いぞっとした。
アメリカ人同級生の反応を観察してみたが、
皆思い思いの意見こそ言うが、それほど場の空気は重たくなく、みな程よい距離感で問題を受け止めて対処できているように見えた。この手のテーマは幼少の時から手を変え品を変え考えさせられている問題であり、バランス感覚のようなものができているのだろうか。自分は授業前の段階で「この手の問題は『笑えない問題』であり、皆口を閉ざしたり、真剣な顔をしたりするのではないか」という仮説をもっていたのだが、たぶんいい意味で裏切られたと言っていいのだろう。自分の隣には黒人の女の子が座っており、火曜日も木曜日も自分はちょっと気にしてしまっていたのだが、彼女はどちらの授業もきわめて自然体で聞いていて感心した(神経質に教授や同級生に反発したり、じっと苦い顔をして黙りこくったりすることを懸念していたので)。
授業を終えて思うに、
上で書いた自分の反省の繰り返しにもなるが、自分や多くの日本人はこうした問題に立ち入らないことで問題に対処できている気になってしまっているように思われる。日本にも宗教やら過去の身分制度の名残やら身体的特徴やらで出自やら、実に多くの差別が存在しているが、今の自分(と、多くの日本人)がやっている「立ち入らなければクールでノープロブレム」的スタンスだと、「無意識の差別」に対する自覚が欠けてしまう懸念がぬぐえないように思われる。
この問題はグローバル化に伴い考えざるを得ない問題となる可能性がある。
今後、少なくとも今若者とカテゴライズされている人の多くは、教育の程度の高低を問わず、何らかの形で日本の外の世界と関わって生きていく必要に迫られるものと思われる。そのような局面にあって無意識の差別により思いがけず怪我をするリスクがある。海外展開待ったなしの局面になり「無意識に差別を行う日本人」という悪いレッテルを形成してしまう前に、「差別問題の存在を自覚し、"無意識の差別"を含めた問題について認識した上で差別をしない」というより積極的な関わり方ができるようになると望ましいように思われる。自分が評論家であるならば「ついては学校教育の改善を」というのが結論になるのだが、いかんせん自分はただの学生に過ぎないので、「自分の娘にはそのように教育したい」という極めてミクロな決心をもってこの論考の結論としておきたい。
と、散々問題を膨らませておいて、しかも自分だけ反省しておけばいいのに日本人全員にダメ出しをして、最後に突然「自分だけ改善しよう」とまとめてみた。ややロジックがセコいな...
Wednesday, May 4, 2011
受難
水曜日。プールに行ったり、娘の予防接種に行ったり。
・プール。娘がプールに行くのは今シーズン初めてなので、実に半年以上ぶり。おかげですっかり水が怖くなっていて、水に入れても自分にしがみついて離れようとしない。でっかい犬のボートに乗せてみたら、はずみでボートが転覆して娘もボチャンと落下してしまい大泣き。今シーズンのうちに一人で泳げるようになればとか思っていたが道のりは遠そうだ。。
・予防接種。娘は一日に4本もまとめて注射を打たれて大泣きしていたが、帰りにミツワのラーメンを食べることでなんとか機嫌も回復。今回は無料でやってくれるところに行ったので、前回のようにうん百ドル取られることなく助かった。溺れたり注射打たれたりで今日は娘にとって実に受難と日となった。
・帰りにミツワに寄ったら、フードコートのあちらこちらに知っている人が。世界の狭さに苦笑。
そろそろこのフードコートで山頭火以外のものを食べたいと思うのだが、いざ来るとつい山頭火に引き寄せられてしまうのはいったいなぜだろう。親子丼とかカレーうどんとかかつ丼とか食べたいんだけどな。
・先々週くらいに起きたとあるトラブル、本当は先週のうちに学校から連絡が来て解決する見込みだったのだが未だに学校から連絡が来ない。たいしたことにはならないとは期待しつつも、来るはずの連絡が来ないことによる焦燥感・ストレスが増大しつつあり寝つきが良くない。って暑いから寝苦しいだけかもしれないけど。最近のブログを読み返しても、自分のメンタルがずいぶんとネガティブになっているのがわかるし、ちょっとどうしたものか。
・プール。娘がプールに行くのは今シーズン初めてなので、実に半年以上ぶり。おかげですっかり水が怖くなっていて、水に入れても自分にしがみついて離れようとしない。でっかい犬のボートに乗せてみたら、はずみでボートが転覆して娘もボチャンと落下してしまい大泣き。今シーズンのうちに一人で泳げるようになればとか思っていたが道のりは遠そうだ。。
・予防接種。娘は一日に4本もまとめて注射を打たれて大泣きしていたが、帰りにミツワのラーメンを食べることでなんとか機嫌も回復。今回は無料でやってくれるところに行ったので、前回のようにうん百ドル取られることなく助かった。溺れたり注射打たれたりで今日は娘にとって実に受難と日となった。
・帰りにミツワに寄ったら、フードコートのあちらこちらに知っている人が。世界の狭さに苦笑。
そろそろこのフードコートで山頭火以外のものを食べたいと思うのだが、いざ来るとつい山頭火に引き寄せられてしまうのはいったいなぜだろう。親子丼とかカレーうどんとかかつ丼とか食べたいんだけどな。
・先々週くらいに起きたとあるトラブル、本当は先週のうちに学校から連絡が来て解決する見込みだったのだが未だに学校から連絡が来ない。たいしたことにはならないとは期待しつつも、来るはずの連絡が来ないことによる焦燥感・ストレスが増大しつつあり寝つきが良くない。って暑いから寝苦しいだけかもしれないけど。最近のブログを読み返しても、自分のメンタルがずいぶんとネガティブになっているのがわかるし、ちょっとどうしたものか。
Tuesday, May 3, 2011
Justice
パキスタン某地でJusticeがdoneされたことの感想。
・あそこでJusticeと言ってしまうのは、小浜の「異なる価値観の受容」という重要な特質を損ねてしまうのではないだろうか。我々はイスラム教徒と戦っていたわけではないといったその口でJusticeとか言われてしまうとちょっと引く。異なる価値観に対する寛容は、共和党との対比を明確に打ち出すための単なる選挙上の作戦なのか?
・人を殺すこともある人々にとっては正義。つくづく、絶対的な正義とか悪とか、絶対的な善とか、そういったものが存在しないのだな。すべては相対的(だと思う。この意見も絶対的ではない)。
マイクロファイナンスにより貧困を相当程度解決しても、まわりまわって先進国の国民などが割を食う(コモディティ価格の高騰等)。
金融にしたって、銀行は投融資によるリターンを得られて顧客は自己資金以上の資金を投資資金に充てられてWin-winに見えるが、その裏には「資金調達したライバル企業に設備投資競争で先を越されたライバル企業」といった割を食う層が必ず存在する。
災害復興も、被災地を復興するのと、被災地を放棄して別の場所に移住してもらうのと、どちらかが絶対善でどちらかが絶対悪などと言えるだろうか。
・でも世の中には、古くは官僚・政治家から新しいところでは起業家とか(Googleとか)、多くの人が「社会を変える」「世界を良くする」といったことを目的あるいはモチベーションの源泉として掲げて実際にものすごく頑張っているように見える。自分には絶対的な善は存在しないように思われるのだが、彼らはどのように考えて「社会貢献」とか「Change the world」をモチベーションとして頑張れているのか、気になる。
仮説1:単に自分の考えが浅いだけで、世の中には絶対的な善が存在する。彼らはその存在に気付いていて、自分が気づいていないだけ
→自分が知らない何らかの考え方によれば、被災地を元通りにすることが唯一の正解であり被災者に移住を促すのは絶対的に間違っている、のかもしれない
仮説2:物事には常に表裏があるにしても、作用反作用のように常にゼロサムとは限らない。仮に行動Aが行動Bより社会的厚生を増大させるのであればそれは善であるという考えに基づいて彼らは行動している
→被災地を元に戻すのも、被災者を福島市とか仙台市に移住させるのもメリデメがあることは承知しているが、各種メリデメ考慮の結果、被災地を元通りにすることが社会的厚生(と、多分彼らの利益)を最大化する、みたいな
仮説3:真に社会のため世界のためになるかはこの際問題ではなく、彼らが正義と考えるものが実現すればそれが彼らにとって成功である。
→被災地を元通りに戻すことに国富のかなりが使われてしかも従前の非効率が残ったとしても、特定の人々にとってはそれが正解なので、それが実現することが善であり「移住した方がコスト節約できるのでは」という意見は「悪い」意見でしかない
仮説4:社会貢献や世界を変えることをモチベーションにしているというのは自分の誤解あるいは彼らの偽装で、実は他のモチベーションが何か存在する
→社会貢献を掲げることがひとつのマーケティング手法で、基本的には利益最大化を目指しているとか
社会貢献や世界を変えるという目標を掲げなければ、あるいは普通の民間企業であれば、個別の人が幸せになれば良い・個別の集団だけが幸せになればそれでオッケーというスタンスで全く問題ないだろう。しかし、社会貢献を掲げてしまうと、その「全員がいまより幸せになることは難しい」という問題にどう向き合うのか考えないといけなくなる気がするのだがどうなのだろう。
・あそこでJusticeと言ってしまうのは、小浜の「異なる価値観の受容」という重要な特質を損ねてしまうのではないだろうか。我々はイスラム教徒と戦っていたわけではないといったその口でJusticeとか言われてしまうとちょっと引く。異なる価値観に対する寛容は、共和党との対比を明確に打ち出すための単なる選挙上の作戦なのか?
・人を殺すこともある人々にとっては正義。つくづく、絶対的な正義とか悪とか、絶対的な善とか、そういったものが存在しないのだな。すべては相対的(だと思う。この意見も絶対的ではない)。
マイクロファイナンスにより貧困を相当程度解決しても、まわりまわって先進国の国民などが割を食う(コモディティ価格の高騰等)。
金融にしたって、銀行は投融資によるリターンを得られて顧客は自己資金以上の資金を投資資金に充てられてWin-winに見えるが、その裏には「資金調達したライバル企業に設備投資競争で先を越されたライバル企業」といった割を食う層が必ず存在する。
災害復興も、被災地を復興するのと、被災地を放棄して別の場所に移住してもらうのと、どちらかが絶対善でどちらかが絶対悪などと言えるだろうか。
・でも世の中には、古くは官僚・政治家から新しいところでは起業家とか(Googleとか)、多くの人が「社会を変える」「世界を良くする」といったことを目的あるいはモチベーションの源泉として掲げて実際にものすごく頑張っているように見える。自分には絶対的な善は存在しないように思われるのだが、彼らはどのように考えて「社会貢献」とか「Change the world」をモチベーションとして頑張れているのか、気になる。
仮説1:単に自分の考えが浅いだけで、世の中には絶対的な善が存在する。彼らはその存在に気付いていて、自分が気づいていないだけ
→自分が知らない何らかの考え方によれば、被災地を元通りにすることが唯一の正解であり被災者に移住を促すのは絶対的に間違っている、のかもしれない
仮説2:物事には常に表裏があるにしても、作用反作用のように常にゼロサムとは限らない。仮に行動Aが行動Bより社会的厚生を増大させるのであればそれは善であるという考えに基づいて彼らは行動している
→被災地を元に戻すのも、被災者を福島市とか仙台市に移住させるのもメリデメがあることは承知しているが、各種メリデメ考慮の結果、被災地を元通りにすることが社会的厚生(と、多分彼らの利益)を最大化する、みたいな
仮説3:真に社会のため世界のためになるかはこの際問題ではなく、彼らが正義と考えるものが実現すればそれが彼らにとって成功である。
→被災地を元通りに戻すことに国富のかなりが使われてしかも従前の非効率が残ったとしても、特定の人々にとってはそれが正解なので、それが実現することが善であり「移住した方がコスト節約できるのでは」という意見は「悪い」意見でしかない
仮説4:社会貢献や世界を変えることをモチベーションにしているというのは自分の誤解あるいは彼らの偽装で、実は他のモチベーションが何か存在する
→社会貢献を掲げることがひとつのマーケティング手法で、基本的には利益最大化を目指しているとか
社会貢献や世界を変えるという目標を掲げなければ、あるいは普通の民間企業であれば、個別の人が幸せになれば良い・個別の集団だけが幸せになればそれでオッケーというスタンスで全く問題ないだろう。しかし、社会貢献を掲げてしまうと、その「全員がいまより幸せになることは難しい」という問題にどう向き合うのか考えないといけなくなる気がするのだがどうなのだろう。
Monday, May 2, 2011
目指せ or 打倒 スペシャリスト
この間の週末、運転がてらラジオを聞いていてふと思った話。
自分が生まれる前から、"複数の音楽を組み合わせる"という手法はアーティストに広く普及している。
ロック+ジャズ=The Policeとか、ロック+沖縄伝統音楽=The BOOMとか。くるりとかクラプトンとかは、アルバムごとにロック+テクノとか、ロック+クラシックとか毎回アプローチを変えることがもはや芸風として確立されている。
ラジオで流れていたその手の「組み合わせ」音楽を聞きながら自分の今後の進路をなんとなく考えていたら、以下のような仮説を思い立った。なお、舞台は基本的に日本。
・日本において"ゼネラリストからスペシャリストへ"という動きが進んでいるというオハナシがよくあるが、高度成長期における多くの会社員は決してゼネラリストではなく、「勤務先特有の情報・スキル・文化」といったものを専門とするスペシャリストだったのではないか
・それゆえ、"ゼネラリストからスペシャリストへ"というよりは、重宝される専門性が社内固有スキルからより汎用的なスキルに変化しているだけではないだろうか。プログラミングスキルとか、デリバティブに関する知識とか。縦から横へ、みたいな
・しかし、IT等による仕事の効率化、情報格差の解消などが進展している結果、"デリバティブに関する知識"にしても"高い生産管理スキル"にしても、あるいは”ギターの腕前”にしても、単独のスキルをひたすら洗練させることで高い価値を発揮することは今まで以上に難しくなっているのではないだろうか
・そんな時代にあっては個別のスキルの洗練だけで強みを獲得することは極めて難しく、複数のスキルの組み合わせが鍵になるのではないか。英語も中国語も使えてかつエクイティ投資に関するスキルを有するとか、戦略やマーケティングを語れるエンジニアとか、ギターがうまいだけではなくジャズ等他の音楽に領空侵犯できる造詣の深さをもっているとか。
Value (Skill A and Skill B) - {Value (Skill A) + Value (Skill B)}、すなわちシナジー部分の比重が高まっていくのではないだろうか
・あえて型にはめる言い方をすると、かなりの職業において、
社内の文化・政治・人脈等に強みをつ社内スペシャリスト、あるいは「いわゆるゼネラリスト」の時代
→プログラミングとかトランペットの演奏とか個別のスキルが高いスペシャリストの時代
→2つから3つのコアスキル+幅広い経験と人脈をもつ新ゼネラリスト、あるいはマルチスペシャリストの時代
って感じにならざるを得ないのではないだろうか。
ロックを洗練させるよりも、ロックにジャズを混ぜる方が高く評価されるのではないか
・自分への教訓に落とし込むと
- とりあえず、自社固有のスキルを強みにすることだけは避けたい。どんなに勤務先がいい会社でも
- 30までに一つの専門性を磨いているIBとかコンサルの人とやりあうと、正直正面衝突では勝てない気がする。なので、このMulti-specialism路線でいくしかないんじゃないかしら。ゴルフだけなら絶対勝てないにしても、夜の麻雀までセットにしたらいい勝負ができるといいのだが
- 具体的には、2,3のコアスキルを磨く必要。ファイナンスともう一つ二つ。その点MBAは絶好。こんなこと深く考えずにLAまで来てしまったが、これはかなりの結果オーライ
- 特定のスキルに拘泥しない歯切れの良さ(?)を意識する。ゴルフだけではなく麻雀との合わせ技で勝負できるように。そういった複合戦に持ち込むための知恵(戦略?)も大事そう
- 過去(リスク管理→支店→経済分析)・現在(MBA)の自分のフラフラ人生、無理にでも多様性という文脈で強みに変えて、どうシナジーを出していけるか考えてみる(ここは昭和的精神主義で、無理でもやりたい...)。
とか。まあなんだろ、MBA風に言うなら、Vertical Differentiationはあきらめて常にHorizontal Differentiationを狙っていけという感じかな?この「単品で勝負するのではなくセットで」作戦、これも今後考えを煮詰めるリストに追加したい。
自分が生まれる前から、"複数の音楽を組み合わせる"という手法はアーティストに広く普及している。
ロック+ジャズ=The Policeとか、ロック+沖縄伝統音楽=The BOOMとか。くるりとかクラプトンとかは、アルバムごとにロック+テクノとか、ロック+クラシックとか毎回アプローチを変えることがもはや芸風として確立されている。
ラジオで流れていたその手の「組み合わせ」音楽を聞きながら自分の今後の進路をなんとなく考えていたら、以下のような仮説を思い立った。なお、舞台は基本的に日本。
・日本において"ゼネラリストからスペシャリストへ"という動きが進んでいるというオハナシがよくあるが、高度成長期における多くの会社員は決してゼネラリストではなく、「勤務先特有の情報・スキル・文化」といったものを専門とするスペシャリストだったのではないか
・それゆえ、"ゼネラリストからスペシャリストへ"というよりは、重宝される専門性が社内固有スキルからより汎用的なスキルに変化しているだけではないだろうか。プログラミングスキルとか、デリバティブに関する知識とか。縦から横へ、みたいな
・しかし、IT等による仕事の効率化、情報格差の解消などが進展している結果、"デリバティブに関する知識"にしても"高い生産管理スキル"にしても、あるいは”ギターの腕前”にしても、単独のスキルをひたすら洗練させることで高い価値を発揮することは今まで以上に難しくなっているのではないだろうか
・そんな時代にあっては個別のスキルの洗練だけで強みを獲得することは極めて難しく、複数のスキルの組み合わせが鍵になるのではないか。英語も中国語も使えてかつエクイティ投資に関するスキルを有するとか、戦略やマーケティングを語れるエンジニアとか、ギターがうまいだけではなくジャズ等他の音楽に領空侵犯できる造詣の深さをもっているとか。
Value (Skill A and Skill B) - {Value (Skill A) + Value (Skill B)}、すなわちシナジー部分の比重が高まっていくのではないだろうか
・あえて型にはめる言い方をすると、かなりの職業において、
社内の文化・政治・人脈等に強みをつ社内スペシャリスト、あるいは「いわゆるゼネラリスト」の時代
→プログラミングとかトランペットの演奏とか個別のスキルが高いスペシャリストの時代
→2つから3つのコアスキル+幅広い経験と人脈をもつ新ゼネラリスト、あるいはマルチスペシャリストの時代
って感じにならざるを得ないのではないだろうか。
ロックを洗練させるよりも、ロックにジャズを混ぜる方が高く評価されるのではないか
・自分への教訓に落とし込むと
- とりあえず、自社固有のスキルを強みにすることだけは避けたい。どんなに勤務先がいい会社でも
- 30までに一つの専門性を磨いているIBとかコンサルの人とやりあうと、正直正面衝突では勝てない気がする。なので、このMulti-specialism路線でいくしかないんじゃないかしら。ゴルフだけなら絶対勝てないにしても、夜の麻雀までセットにしたらいい勝負ができるといいのだが
- 具体的には、2,3のコアスキルを磨く必要。ファイナンスともう一つ二つ。その点MBAは絶好。こんなこと深く考えずにLAまで来てしまったが、これはかなりの結果オーライ
- 特定のスキルに拘泥しない歯切れの良さ(?)を意識する。ゴルフだけではなく麻雀との合わせ技で勝負できるように。そういった複合戦に持ち込むための知恵(戦略?)も大事そう
- 過去(リスク管理→支店→経済分析)・現在(MBA)の自分のフラフラ人生、無理にでも多様性という文脈で強みに変えて、どうシナジーを出していけるか考えてみる(ここは昭和的精神主義で、無理でもやりたい...)。
とか。まあなんだろ、MBA風に言うなら、Vertical Differentiationはあきらめて常にHorizontal Differentiationを狙っていけという感じかな?この「単品で勝負するのではなくセットで」作戦、これも今後考えを煮詰めるリストに追加したい。
Sunday, May 1, 2011
給与カット?
つい先日、2chかどこかに、東電社員と思われる人の書き込みで「おれたちの給料下げたら原発がメルトダウンするぞ」というものがあったらしい。これを受けツイッター上では「東電の殿様体質はけしからん」「こんなときに何を寝言言っているんだ、給与カットは当たり前で、しかもこれまで以上に働いて事態を解決しろよボケ」的な論調が見られた。
たしかに今回の件で東電の対応が完璧だったとは言い難いのかもしれない。仮にこれを書いた人が本当に東電社員だったとしたら、ちょっと馬鹿だなぁと思う。
その一方で、自分はこうした人々の意見に二つの側面から違和感を覚える。
(1) 昭和的・日本軍的精神主義
ひとつは、「給与がダウンしても、今以上に働いて当たり前」という、昭和的・日本軍的な精神主義。
こういうことを平気な顔で言える人はたいてい、人のモチベーションを軽視あるいは無視している。無理を言えば地球の自転の向きが変わると思い込んでいる人が多い。
組織におけるマネジメント層の仕事は組織構成員のモチベーションを高めてより高いパフォーマンスを実現することだが(Playing Managerならその人自身の仕事ぶりも重要)、こういう人がマネジメントをしていると、本来すべき努力(構成員のEncouragement)をしないまま頑張れとか気合だとか言って無償の努力を求めがち。
これまで以上に頑張ってほしいのであれば、これまで以上に頑張るような仕組みを作るべきであり、それなしに頑張れ頑張れ言うのは自分の無能力を露呈していることと同義ではないか。
でも今の日本って、労働市場が硬直的だし英語使えないからアイルランド人みたいに「気に入らないから国を出る」とかもできない。なので、こういう無茶がかなり通ってしまっている気がする。もう少しだけグローバル化が進んでくれれば、外国人雇用が増えるプロセスでこのような精神主義が淘汰される気がするのだが。
(2) 全体主義
ツイッターで自分が見たような「国の危機なんだから、給料が下がったくらいで四の五の言わずがんばれ」という論法。さてこの論法、果たしてそこまで絶対的な説得力を有しているのだろうか?国のために・皆のためになるのであれば、人は無条件に努力をしないといけないものなのか?仮に給与がカットされてもなお?
自分はこの全体主義が苦手。理由はいくつかある。
- 人の価値観に干渉する:自分は国やコミュニティのために頑張る自衛隊員や公務員を個人的に尊敬している。しかし、他の人に「公務員は頑張っているのだから尊敬しろ」などと言われたくはない。そんなことを言われたら、尊敬していても尊敬したくなくなる。同様に、今回頑張っている人を応援はするが、彼らに対して「お前ら、頑張って当然だ」と言いたくはない。全体主義は自由主義と本質的に矛盾している、と確かハイエクも言っている。
- 「皆のため」は得てして自分のため:
→「皆のため、お前も譲歩してくれ」っていう人。さすがに21世紀の昨今では殆どみかけないが、残念ながらまだたまに見かける。
この手のことを言って譲歩や努力を求めてくる人の多くは、皆のためと言いつつ単に自分の心配しかしていないことが多い。たとえば、全国のパブリックセクターの採用担当者。多くが「国のため、地域のために働きませんか」というマーケティングをしていると思うが、実際のところ採用担当者の何%が本当に国や地域のためにそのようなことを言っているだろうか。より良い学生を誘い寄せるための方便として国のためという言葉を利用している人は本当にいないと言えるだろうか?
また、こういうことを言う人の多くが、そんなエゴから発した自分の発言を「他の皆のため」と信じて疑っていない。意識していない分、一層厄介だ。指摘すると逆上したりするので...
完全に偏見ではあるが、自分は「皆のために譲歩してくれ」ということを真顔で言ってくる人のことを、偽善家のエゴイストと思うことにしている。個人的には、「悪いけど俺のため、無理を聞いてくれないか」と言ってくれれば、その人に対する好意の限りにおいていくらでも無理したいと思う。だが、「皆のため」と言われたら協力できる内容でも反発したくなる。我ながら反抗期の中学生みたいだ。
- 多感な時期に、ハイエクやらフリードマンやら読んでしまいかぶれてしまった(俗にいう中二病)
以上2点において、自分は東電社員に対して「給料が下がって当たり前だが、これまで以上に働け、それが国のため」と真顔で言うことができる人のことを信頼できない。今頑張っている社員は、仮にこれまでの給与水準が課題であったとしても、これまで以上の報酬(あるいは福利厚生でもなんでもいいけど)を与えるべきだと思う。これまでの給与水準が高かったことは正直嫉妬してしまうが、もうこのような事態が起きてしまったのだから仕方ない。給与下げてる場合じゃない。渋々給与上げて、コストは株主か国かが負担するしかない(コストの分担問題についても思うことはたくさんあるが、これはまた別途)。給与カットは事態を悪化させるだけ。
そのようなことを2chやらツイッターに書き込む事象東電社員の情報リテラシーの低さは非難に値すると思うが、彼が批判されるべき点は情報リテラシーの低さであり、給与が下がるとモチベーションが下がるという不満自体が否定されるべきものではない。
などと、今日運転中にふと思ったことを書いてみた。難しい言葉を覚えたばかりの中学生の作文みたいになってしまった。。。
たしかに今回の件で東電の対応が完璧だったとは言い難いのかもしれない。仮にこれを書いた人が本当に東電社員だったとしたら、ちょっと馬鹿だなぁと思う。
その一方で、自分はこうした人々の意見に二つの側面から違和感を覚える。
(1) 昭和的・日本軍的精神主義
ひとつは、「給与がダウンしても、今以上に働いて当たり前」という、昭和的・日本軍的な精神主義。
こういうことを平気な顔で言える人はたいてい、人のモチベーションを軽視あるいは無視している。無理を言えば地球の自転の向きが変わると思い込んでいる人が多い。
組織におけるマネジメント層の仕事は組織構成員のモチベーションを高めてより高いパフォーマンスを実現することだが(Playing Managerならその人自身の仕事ぶりも重要)、こういう人がマネジメントをしていると、本来すべき努力(構成員のEncouragement)をしないまま頑張れとか気合だとか言って無償の努力を求めがち。
これまで以上に頑張ってほしいのであれば、これまで以上に頑張るような仕組みを作るべきであり、それなしに頑張れ頑張れ言うのは自分の無能力を露呈していることと同義ではないか。
でも今の日本って、労働市場が硬直的だし英語使えないからアイルランド人みたいに「気に入らないから国を出る」とかもできない。なので、こういう無茶がかなり通ってしまっている気がする。もう少しだけグローバル化が進んでくれれば、外国人雇用が増えるプロセスでこのような精神主義が淘汰される気がするのだが。
(2) 全体主義
ツイッターで自分が見たような「国の危機なんだから、給料が下がったくらいで四の五の言わずがんばれ」という論法。さてこの論法、果たしてそこまで絶対的な説得力を有しているのだろうか?国のために・皆のためになるのであれば、人は無条件に努力をしないといけないものなのか?仮に給与がカットされてもなお?
自分はこの全体主義が苦手。理由はいくつかある。
- 人の価値観に干渉する:自分は国やコミュニティのために頑張る自衛隊員や公務員を個人的に尊敬している。しかし、他の人に「公務員は頑張っているのだから尊敬しろ」などと言われたくはない。そんなことを言われたら、尊敬していても尊敬したくなくなる。同様に、今回頑張っている人を応援はするが、彼らに対して「お前ら、頑張って当然だ」と言いたくはない。全体主義は自由主義と本質的に矛盾している、と確かハイエクも言っている。
- 「皆のため」は得てして自分のため:
→「皆のため、お前も譲歩してくれ」っていう人。さすがに21世紀の昨今では殆どみかけないが、残念ながらまだたまに見かける。
この手のことを言って譲歩や努力を求めてくる人の多くは、皆のためと言いつつ単に自分の心配しかしていないことが多い。たとえば、全国のパブリックセクターの採用担当者。多くが「国のため、地域のために働きませんか」というマーケティングをしていると思うが、実際のところ採用担当者の何%が本当に国や地域のためにそのようなことを言っているだろうか。より良い学生を誘い寄せるための方便として国のためという言葉を利用している人は本当にいないと言えるだろうか?
また、こういうことを言う人の多くが、そんなエゴから発した自分の発言を「他の皆のため」と信じて疑っていない。意識していない分、一層厄介だ。指摘すると逆上したりするので...
完全に偏見ではあるが、自分は「皆のために譲歩してくれ」ということを真顔で言ってくる人のことを、偽善家のエゴイストと思うことにしている。個人的には、「悪いけど俺のため、無理を聞いてくれないか」と言ってくれれば、その人に対する好意の限りにおいていくらでも無理したいと思う。だが、「皆のため」と言われたら協力できる内容でも反発したくなる。我ながら反抗期の中学生みたいだ。
- 多感な時期に、ハイエクやらフリードマンやら読んでしまいかぶれてしまった(俗にいう中二病)
以上2点において、自分は東電社員に対して「給料が下がって当たり前だが、これまで以上に働け、それが国のため」と真顔で言うことができる人のことを信頼できない。今頑張っている社員は、仮にこれまでの給与水準が課題であったとしても、これまで以上の報酬(あるいは福利厚生でもなんでもいいけど)を与えるべきだと思う。これまでの給与水準が高かったことは正直嫉妬してしまうが、もうこのような事態が起きてしまったのだから仕方ない。給与下げてる場合じゃない。渋々給与上げて、コストは株主か国かが負担するしかない(コストの分担問題についても思うことはたくさんあるが、これはまた別途)。給与カットは事態を悪化させるだけ。
そのようなことを2chやらツイッターに書き込む事象東電社員の情報リテラシーの低さは非難に値すると思うが、彼が批判されるべき点は情報リテラシーの低さであり、給与が下がるとモチベーションが下がるという不満自体が否定されるべきものではない。
などと、今日運転中にふと思ったことを書いてみた。難しい言葉を覚えたばかりの中学生の作文みたいになってしまった。。。
Chipotleでかすぎ
日曜日。ゆっくり起きて出かけて、Chipotleへ。いつもはタコス派なのだが、久しぶりにブリトーにトライ。Chiptleはタコスもブリトーも価格が同じなのだが、量は全然違う。体感ベースで1.5倍はブリトーの方がでかい。朝飯も食べていなかったので完食できるかとも思ったのだが、結局8分目ほどでギブアップ。
その後はアウトレットに買物に出かけて、帰り道に公園とスーパーによって終了。帰宅後勉強する手筈になってはいたが、あいにくビンラディンが捕まったという一報が入ってしまい自分もバタバタと忙しく勉強どころではなくなってしまった(ニュース動画を見たりとか...)。
その後はアウトレットに買物に出かけて、帰り道に公園とスーパーによって終了。帰宅後勉強する手筈になってはいたが、あいにくビンラディンが捕まったという一報が入ってしまい自分もバタバタと忙しく勉強どころではなくなってしまった(ニュース動画を見たりとか...)。
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