5月も末。FBなどを見ると多くの学校が既に一年間のプログラムを終えており、多くの友人知人が卒業式に参加したり日本に帰国したりしている。他校と比べて始まりも終わりも遅いUCLAにおいてさえ、いよいよ一年間の終わりが近づいてきている。2年生などは最後の追い込みとばかりに旅行にいったり色々やっていて、1年生の自分からするとそんな彼らの行動から別れが近づいていることを感じざるを得ず、寂しいものがある。
これまで二十数年、出会いと別れは春にあるものとすっかり刷り込まれている自分としては(社会人になってからでさえ、すべての異動が4月初頭だった)、こんな初夏に別れがあるということをどうも咀嚼しきれずにいる。特にカリフォルニアにいるからなのかもしれない。ここLAの5月から6月にかけての雲一つない程よく暑い日々は、日本の3月末から4月にかけての「まだ少し肌寒いが、冬の間色を変えていた草木がすっかり青みをとりもどしてきており、桜はもう満開で...」といった風情とは全く異なる。そんな異なる風情にあっては、全くもって、日本で感じていたような「別れのシーズン感」が出てこないように思われる。
まだ一年生なので感傷的になることも殆どないのだが、果たして来年の今頃、このような日本とは全く異なる状況において、自分はいったいどのような気持ちになるものだろうかと少し興味深く思っている。気候が人のセンチメントに影響することを考慮すると、日本では3月末に感傷的になっていた自分も、ここでは卒業のときに感傷的になるというよりは「よーし一個クリア、いよいよ次のステージだ」といったよりネアカな感情を抱いちゃったりして、とか想像している。
別れの話のついでに、先日ふと思い出した過去の別れの記憶を書いてみる。
自分は学生時代、六本木のはずれにあるサブウェイで2年弱ほどアルバイトをしていたことがある。自分の地元や学校では出会えないような個性豊かな人々と出会え、客層もかなりバラエティに富んでおり、また終わったあと簡単に渋谷やら六本木やらに行くことができたので非常に楽しいバイトであった。週2くらいで徹マンしてたなぁとか(楽しすぎて学業に支障が出たが...)
そんなサブウェイのバイト先輩にKさんという人がいた。自分が20歳くらいのときに既に30過ぎということだったので、今は40歳を超えているのだろう。愛嬌のある関西弁を話すKさんは、聞くところ歌手を目指しているということであり、毎日昼サブウェイで働き、その後バーでバーテンダー兼歌手をやっているとのことであった。非常に人懐っこい人で、自分もとてもよくしてもらった記憶がある。とても綺麗な彼女さんがいて、Kさんをサブウェイまで迎えに来た彼女さんにあいさつされてよく赤面したものであった。
そんなKさんであったが、自分がバイトを始めて1年くらいたったところでバイトをやめることになった。他の先輩曰く、歌手になる夢をあきらめ、家業を継ぐべく地元の大阪に帰ることにしたらしい。で、ちょうど3月末で他の先輩も就職とかで何人かやめることになっていたので、バイト仲間でちょっと会をしようということになった。
一次会はなんてことのない六本木の居酒屋。普通に飲んで食って。感動して今でも記憶に残っているのは二次会。Kさんが夜働いているバーに皆で行って、当時は殆ど味もわからなかったウイスキーか何かをちびちび。そうこうしているうちに、Kさんが歌を披露してくれた。3,4曲歌ってくれたのだが、全ての曲目は覚えていない。ただ、一曲、Englishman in New Yorkだけは強烈に記憶に残っている。Stingもびっくりの躍動感で、なんというか、「ソウルがこもった」とかしか言いようのない見事な歌いっぷりであった。もしかすると、歌に出てくる英国人がNYCに感じたような疎外感と、大阪に帰るKさんが東京に感じたかもしれない疎外感がシンクロしていたのかもしれないが、あんなに心を揺さぶられる経験はその後そうはしていないと思う。その後カラオケでこの歌にチャレンジしてみたこともあったが、英語だしSting特有のリズム感も難しいし、Kさんが難しい歌をいかに歌いこなしていたか思い知らされただけで終わってしまった。
あれからおよそ10年、おそらく今の自分は当時のKさんと同じくらいの年齢。今の自分には彼女どころか妻も娘もいる。しかし、今の自分は、あの頃のKさんのように何かに情熱を注ぎ自分にチャレンジできているのだろうか。Kさんが自分を歌や人柄で感動させたようなことが果たして今の自分にできるのだろうか...
ところで、Kさんが歌い上げていた片隅で、イケメンとは程遠い社員さんがバイトのかなりかわいい女の子を一生懸命酒に任せて口説いていてしかも女の子が微妙に落ちかけていてものすごく違和感を抱いた記憶がある。あの不思議現象がセットじゃなければ、どれだけKさんの歌が良かったとしても、この日のことはこうも記憶に残ることはなかったかも、なんて。