Thursday, June 30, 2011

フロリダ(3)

○ディズニーワールドを3日間歩き回って、その次の日からレンタカーを借りて一路オーランドからマイアミへ。Hertzでは念のため自動車保険を付けたが、もしかするとこれは自家用車用の保険を使いまわせたのかもしれない。。マイアミについたその日はホテル近辺でのんびりと海・プールなど。夕食はYelpで見つけて行ってみたイタリアンへ。Yelpは食べログよりも信用ならない(主に口コミしているアメリカ人の味覚と日本人の味覚が異なる)のであまり期待していなかったが、行ってみると普通においしくて大満足。米国生活で一番おいしいピザだったかも。

○翌日は一路、米国最南端の街キーウエストへ。日帰りできないこともないらしいが、街を楽しみたいこともあり一泊。こじんまりとしたとても素敵な街。湿っぽい気候・ごちゃごちゃした街並みといった要素が日本を思い出させたのかもしれない。あまりに雰囲気が良かったので、「仮に妻子に先立たれたら、その哀しみを背負いつつひっそりと暮らすにあたってはまさにうってつけの街かもしれない」などと妄想。哀しみを背負い心を閉ざした初老の自分が、ある日出会った少年のひたむきさに心を打たれ少しずつ情熱を取り戻していき・・みたいな映画どっかになかったっけ。そんなことを思い、この仮説をためしに妻にぶつけてみたが鼻で笑われて終了。まあ自分でこうして書いてみても、自分がそのとき思ったアンニュイな心情は全然出ていないから仕方ないか。名物はコンク貝というものだそうで自分もトライしてみたが、揚げてケチャップで食べるので歯ごたえ以外の個性はあまり感じ取れず。帰途に食べたマヒマヒはとても美味しくて感動したが、ガーリックバターソースが苦手な妻の感動は得られず。うう

○でマイアミに戻って一泊してLAに戻った。フロリダは全体的に湿度が高く、日本の気候にとても似ている印象。LAにいるとあまり日本を思い出さず、日本に帰りたいとも全く思わないのだが、フロリダで数日過ごしただけで不思議と日本が懐かしく思えてくるなど。

○これにて夏休みに予定していた旅行はひとまず終了。もうちょっと回りたいが、あとは財布と相談といったところ。暇なはずの夏休みだが、序盤に予定を詰め込みすぎて完全に息切れ。帰宅したその日にうっかり近所のゴルフ場に行ってしまったが、さすがに疲れが出て9ホールでリタイアしてしまった。読みたい本ややりたい勉強も殆ど進んでいない。うーん、危機意識の醸成はできたので、きっと7月からなんとかできるかな。。

Sunday, June 26, 2011

フロリダ(2)

○数日ほど、夢の国ディズニーワールドを行ったり来たり。宿泊先から出ている無料バスの時間が微妙で、いつも帰りが夜遅くになってしまい、毎晩バタンキューしていた。東海岸と西海岸の時差もあり(3時間:フロリダの朝7時起床=LAの早朝4時起き=無理だってば)、朝もつらいのなんの。

○以下ネズミーワールドの思い出

・広過ぎ。東京ドーム何個分だよっていう広い敷地内に、テーマパーク4つのほか複数のホテル・ゴルフ場・その他が入っているということでびっくり。

・気候が完璧ではなかった。まず全体的に湿度がLAと比較して高く不快指数がとても高い。汗っかきの娘とかは普通に歩き回っているだけで風呂上りみたいに髪が濡れていた。そして雨。初日は夕立2回+本降り、2日目は昼から本降り。パタゴニア君が初めて雨具として貢献してくれた。NYCとかシカゴから行くオーランドは素晴らしいかもしれないが、LAから行く場合気候面での感動は薄い。とある売店のお兄さんがLAの南にあるアナハイム(本家ディズニーランドの所在地)出身だったのだが、「正直あっち(西海岸)の気候の方がいいよね」と言っていてこちらも同意。

・ブラジルから来ている修学旅行生がものすごい数。中にはロナウジーニョの面影がある残念な子もいたが、総じて美人、あるいは将来美人になりそうな女の子がぞろぞろ。将来が楽しみ(?)

・人種構成がLAとは明らかに違い、黒人がずいぶん多い印象。

・感覚的に、日本のディズニーランドより総じて空いている。一時間待ちとか、そういうのは殆どなかった。最後の最後に妻子を置いて絶叫マシン(Tower of Terror)に行ったがこれも待ち時間ゼロで、心の準備をする暇もなし。ちなみに久々の絶叫系はかなり怖かったが、隣のラテンなおばちゃんがものすごくガハハとうるさくて、怖がるというより苦笑してしまった感じ。終了後はそんなラテンおばちゃんとハイタッチ。

・たまに「スタッフの対応は本場アメリカより日本の方が上」とか聞くが、個人的にはアメリカの接客の方がより自然だと感じた。日本の「はーい皆さん、こーんにーちはー」的な嘘くさい喋り方にはつい引いてしまうが、同じようなわざとらしいナレーションも英語でやられるとそんなに違和感がない、、、なんて思ってしまうのは「邦楽はだめだ、やっぱり洋楽だよな」とか言ってる中学生と変わらんのかも

・美味しかったもの・・・モロッコ館のカフェにあったチキンラップ(Epcot)、ドイツ館のビール(同)、Mama Melrose's Ristoranteというイタリアン(Hollywood Studio)、Pork Burger(Animal Kingdomのどこぞの売店)、どこぞで飲んだコーラフロート(普通だが、久しぶりでおいしかった)

・美味しいというほどではないが安定感があったもの・・・日本館のカレー、うどんの類(Epcot)

・残念だったもの・・・3ドル近くする各種ソフトドリンク(これが夢を見せてもらう代償なのか・・?)、ハンバーガー等、その辺の"Refreshment"で打っている食べ物ほぼ全部

・Magic Kingdom:東京ディズニーランドと殆ど同じ感じだが、「あ、これ、日本にもあるよね」的な楽しみ方ができる。一番安定感があり楽しめるかも。

・Epcot:アトラクションは少ないが、キャラクター撮影所(ミッキー、ミニー、ドナルド等と写真を撮れるという場所があり、パーク各所をふらついているキャラクターを探す手間が省ける)や世界の名店街は魅力的。日本館のところに厳島神社っぽい水中鳥居があったのが痛く感じられたが、もしかするとメキシコ人もマヤ遺跡風のメキシコ間を「痛い」と思っているのかしら。アトラクションではキャプテンEOを見ることができて良かった。マイケルジャクソン凄すぎ。ストーリー自体は荒唐無稽だが、彼のスター性のおかげでなんだか感動できた。

・Animal Kingdom:雨に降られていまひとつ満喫できなかったが、とりあえず動物に萌えることができるなら楽しいと思う。キリンとか象とかいるので。

・Hollywood Studio:意外と楽しい。ショー系のアトラクションが多いので、親子で楽しむにはいいのかも。公園のような遊び場があったので、子供のストレス解消に良かった。夜のショーを見たが、怖すぎて子供が泣いてしまった。個人的には美女と野獣のミュージカルが良かった。どうも自分はあのテーマソングを聞くと涙腺が緩む仕様になっているようで。。美女と野獣は、ディズニーの話のなかでもいちばんヤヤコシイというか、善悪がはっきりしておらず、見た目が悪な野獣がいい人だったり、美男子白人が悪人役だったり、その彼も基本的には善意をもって野獣を倒しにいっているし、、、等々。あと、LAに住む身としては、「あ、ここSunset Boulevardだってさ」といった地元ぶった楽しみ方も。

・仮に次回があるなら、ホテルとパークの移動が大変なので、多少高くてもパーク直営のホテル(無料バスがたくさん出ている)にしようかな。各パークごとに駐車料金を取るので、レンタカーはあまり得策ではなさそうだし

Thursday, June 23, 2011

ファイト一発・捨てる技術

LA・フロリダ間の時差3時間にやられて眠れないので(昼寝してしまった)、来学期何を履修するか考えたりしつつ夜更かし。以下、とりとめなく、この1年間思ったことなどを列挙してみる:

○留学すると、つい逃げたくなってしまうこと、やらずに済ませたい気持ちになってしまう出来事が死ぬほどある。というか、厳密には、日本にいてもその手のことはたくさんあったのだと思う。もしかすると同じくらいあったのかもしれない。で、ちょっと背伸びして参加するということをやっていくと、2つの点でメリットのようなものがある。

①「ちょっと背伸びして参加する」ということに対する抵抗感が薄れ、「あ、いやだな」という脊髄反射が必ずしも「いやだから、やらない」にならず、「まあ、でも、一丁やってみるか」になるようになる。さらには背伸びすること自体に快感を得るようになり、「またちょっと背伸びしてみようかしら」と思えるようになり、自身のフロンティアが拡張する

②ちょっと背伸びして参加した結果、そのイベントが好きになり、次回以降は背伸びの必要もなく参加できるようになる

こうしたメリットを享受する結果、おそらく多くの留学生が「やったら良かったことをやり逃す過ち」を犯すことを少なくすることに成功しているのだと思う。数年間という時間と、アメリカという場所は、そういう変化をもたらすには絶好なのだと思う。おそらくシリコンバレーあたりに行くとその傾向はもっと強まるのだろう。

○他方、統計的検定論ではないが、「やったら良かったことをやり逃す過ち」があるのであれば、そこには同様に「やるべきではなかったことをやってしまう過ち」もある。留学前は「とりあえず何でもかんでもチャレンジしておけば良いのだろう?」と思っていたが、どうもアメリカ人同級生を見ていると、だいたいにおいてはオープンで進取の気風に富んでいるけど「これはNG」といったマイルールを持っている人が散見される。
居心地の良いところに安住しがちな自分としては「やったら良かったことをやり逃す過ち」を減らす努力をまず何よりもすべきとは承知しているが、一応、「やるべきではなかったことをやってしまう過ち」を増やさないようなバランス感覚を保持していく必要もあるのだろう。無制限になんでもGo!というわけではないがとりあえずGoしろ、といった感じでいくのがいいのかなと思っている。


○MBAの2年間では様々な知識を「手に入れる」ことが大事。それは確か。ただ、その一方で「何をやらないか決める」「何について力を抜くか決める」といった「捨てる技術」的なスキルもなかなかどうして大事。その点において、自分は社費で時間的余裕があったこともあり、あまり捨てずにやってしまっていたように思う。「とりあえず時間を十分に使って120%やっておけば、悪いことにはならないだろう」という発想。だが、実はこの2年間では、「きちんと捨てて、定められた時間でギリギリ満足できるものを作るスキル」も高めておかないといけないのではないかと最近問題意識を持っている。「これは捨ててもOK、あれはNG」といった肌感覚や、「必要がないわけでもないが、やむなく捨てる」といった割り切りや非情さについてもある程度訓練しておかないと、「近現代史をばっさり端折ってしまう歴史教師」とか「時間的制約があるにもかかわらず『残業してでも、徹夜してでも、気合でなんとかやってくれ』としか部下に指示を出せない上司」とかになってしまうのではないかと思案している。
問題はどのようにしてそのような「捨てる」訓練をするか。無理矢理ほかの用事を作って自身を追い込むということかと思うが、さてどうしたものか。

フロリダ(1)

今日からフロリダ。ヨセミテから中一日で、体にガタは来ていないがなんとなく精神的に「万全ではない」感覚。

○空港までは今回初めてバスを利用。ひとり5ドルで、クルマを使うと旅行のあいだ中発生する駐車料金もないし、クルマみたいに空港近隣の駐車場から空港まで別途移動する必要もなくダイレクトにターミナルまで行くことができるしなかなかに優れている。車がおんぼろで、道中びっくりするほど揺れたのが驚きだったが。。

○航空会社は今回初めてVirgin。「格安系のひとつ」というくらいの認識しかなかったのだが、思いのほか要所要所がカッコよく設計されていて気に入った。チェックインスペースでCDショップ的な音楽が大音量で流れていたり、チケット等のデザインが恰好よかったり、飛行機内の照明が紫色だったり、フライトアテンダントの服装がかっこよかったり。明らかに他の米系航空会社とはその洗練度合いが異なる。肝心の航空機も比較的新しくとてもきれいだったし。
「音楽ビジネスと航空ビジネスのシナジーってなんじゃらほい」「厳密にいえば、同じ会社が音楽と航空とを運営する必要はなく、別々にやった方が望ましそうだな」とか思っていたが、思いのほか音楽ビジネス(あるいはエンターテイメントビジネス)で培ったものは他業種に応用可能なのかもしれない。おそらくエンターテイメントビジネスで揉まれることなしには体得不可能な美的感覚と金銭感覚の混合したようなものがあり、そういったものを強みとして備えているこのヴァージンという会社に限定していえば、通常MBA的には褒められたものではないコングロマリット経営にも理があると言えるのかもしれない。
振り返って日本の企業はその辺の「クールさ」をどのようにして自社内部に取り込んでいるのだろうか。広告代理店まかせ?若手の意見を汲んでいる?あるいは「クールさ」ない経営になってしまっているとか。

○オーランド到着。アクセントはオでなくラにつくらしい。3時間の時差は結構効いていて、どうも体内時計がくるってしまっている感覚。プールに行ったら早速夕立がパラパラくるあたりにフロリダを感じさせてもらった(LAでは夕立という概念はたぶん存在しない)。

Wednesday, June 22, 2011

中休み

ヨセミテ旅行から帰って中一日でフロリダへ。今日はそんな中休みの一日。


○妻が買物している間、自分はスタバでぼんやり。外のテラス席に陣取って、いつものコーヒー小とチョコチップクッキー。この日のLAはとても気持ちのいい気候で、この場に何時間いてもいいと思えるような快適さであった。ここ最近旅行が重なっていて「ヨセミテ最高」とか言っていたが、LAも全然負けてない。


○夕方打ちっぱなしに行って新しいアイアンで遊んだあと、その足でダウンタウン(リトルトーキョー)へ向かい、大学の会に参加。自分のような期間限定で来ているような人間はむしろ少数派で、当地で職を見つけた人、当地で一旗揚げて成功した人などが多い。グローバル化の時代になっているとか色々言われているが、こういう会に来ると、先輩連中の方がよほどあっさりと海を渡っているような印象を受ける。もちろん言えないような壮絶な苦労があったり、あるいは失敗した人がそもそも会に来れていないという生存者バイアスもあるのだろうが。。
ひとつ疑問に思うのは、今は昔と比べて、海外、たとえば米国に移住するのは簡単になったのだろうか、あるいは難しくなったのだろうか。先輩連中と同程度の苦労をすればきっちり米国に移住できるのか、あるいはハードルは高くなっているのか。いまだ日本に縛られていてたまの海外生活において海外生活者を羨む立場の自分から見ると、その辺りが少し気になる。

Monday, June 20, 2011

失敗は成功の母、だけど

○今日までに春学期の成績がすべて出揃った。5つ中4つは悪くなかったのだが、唯一、必修の組織論が、学期中に起こったトラブルの結果とても残念な評定となっていた。

○トラブルの内容を踏まえると、この結果は、むしろ不可にならなかった点において朗報なのかもしれない。あるいは、今回の結果は想定の範囲に収まっているのだから、想定内の出来事が起きたくらいでいちいち一喜一憂していては駄目なのかもしれない。等々理屈では理解できるのだが、いざ実際に結果を見るとさまざまな負の感情を抱かずにはいられない。実際の結果が「想定の範囲内におけるベストシナリオ」ではなかったことに対する落胆。トラブル関係者に対するもう何度目になるかも思い出せない感情(怒り、という言葉だけでは説明しづらい何とも残念な感情)。たかが成績、何をそんなに悩むことがある。そういう風に理の部分では考えることができるのだが、情の部分の揺らぎを抑え込むことはできていない。

○MBAの雰囲気に感化されているところがないとは言えないが、自分は(少なくとも今は。自分の考える限りでは昔から)失敗は成功の母であるとわりと真剣に信じている。その一言で集約されているといえばそうなのだが、あえて蛇足的に具体化を試みると、自分は以下のようなことを信念としてもっており、失敗を恐れずに行動したいと思っている:

①やみくもな努力や苦労が報われる保証は全くない(好例:自分のゴルフ練習量とスコアの相関)が、失敗すればそのおかげで努力すべき方向が明確になるので改善・成長につながる「ヒット率」が劇的に高まる

②失敗することで自身に生ずる負の感情(恥ずかしい、情けない、むかつく、恰好悪い、がっかり、等々)は不快であり、その感情を払拭したいというインセンティブは自身を突き動かすドライバーとしてはかなり高性能である。

③自分のような凡人には、そもそも失敗しないとやる気がでないことがしばしば

④致命的な失敗などそうは存在しないので、失敗により得られる果実を考慮すれば失敗を恐れる必要はあまりない。会社勤めであれば失敗のツケの相当部分は会社が負ってくれる。学生のときは責任の全ては自分に降りかかるが、実際今回の自分のトラブルでも致命的なことは何も起きなかった。将来会社の庇護下を離れ自分の腕一本で勝負するその時につまらない失敗で死ぬくらいなら、今失敗してその失敗に対する「予防接種」をしておいた方がまし。仮にその社内での出世が駄目になったりしても


○なので、失敗は自分にとってVery Welcome。今年一年だけでもかなりの数の失敗をしたが、その殆どは現在までに自分の血肉とすることができていると思っている(思い込んでいる)。失敗の殆どを「まあ色々文句言われたし痛い目にあったりしたけど、今となってはいい経験。むしろ、いい経験となった点において、もはやこれは失敗ではなく、成功」とポジティブに捉えている(単なる自己正当化とも言えるが)。
逆に、失敗する以前のところで行動せず立ち止まってしまったことに対してはとても大きな後悔を抱いている。後悔できているならまだいいが、行動しなかった結果としてミスなくつるっとソツなく終わってしまった出来事の多くは、後悔も何も、まったく記憶に残っていない。血肉云々どころかNothing。
この一年で「反省余地も何もない、ただひたすらに無駄で愚かな失敗」というのは、焼肉屋でうっかりトウモロコシをかじって前歯を再び折ってしまったことくらいだろう。19歳で一度歯を折って以来トウモロコシなどそもそも食べもしなかったのに。。本件だって「トウモロコシには気を付けろ」という教訓を得る余地があるとは思うが、いかんせん自分の歯がもうないのでこの教訓を活かしようがない。


○と、ここまで失敗賛歌を展開してきた。失敗は成功の母。行動せず失敗しないよりは行動して失敗する方がまし。失敗の多くはやがて血肉となり、成功と再定義できるようになる。
とはいえ、短期的には、やはり失敗はとてもこたえる。きつい。辛い。理性を失うし、顔も真っ赤になるし、壁にパンチして内出血したりもする。行動せず失敗しなかった人にせせら笑われているような気持になり恥ずかしくなったりもするし、失敗の結果もたらされる悪影響を必要以上に心配して禿げそうになることも多々ある。いくら自分が「長期的には失敗は成功」と信じていても、失敗したその瞬間にはそのような悠長なことを思う余裕はない。


○自分は今回のトラブルにおいて自分がやってしまった失敗から、やがては多くのことを学ぶことができると思っている。既に多少のことは学べているかもしれない。
でも。それはそれとして、やはり失敗に伴う悪い結果が出てしばらくは、少なくとも悪い結果が出た当日は、自分の感情は思うようにコントロールできないものだ。残念だが自分はゴルゴではないので、そこまで立ち直りを速くすることはできそうにない。残念だがその感情は今のところ自分の中に大きく存在しており、制御しきれそうにはない。

この雑文を読んだ将来の自分が、冷静を取り戻し本件から何かを学び取っていてくれることを、そして「そんなこともあったなぁ」と笑い飛ばせるようになっていることを期待して...

セコイア・ヨセミテ(3)

○ヨセミテふもとの街Oakhurstの宿を出て一路ヨセミテ国立公園へ。Oakhurstから走っている41号、ヨセミテに近づくにつれて細く・しかもウネウネしてくる。いろは坂みたいな曲がりくねった道で娘が車酔い。

○公園入口。グランドキャニオンのときに購入した年間パスを見せたら、IDとの照合などもなく、昔の日本の有人改札くらいのあっけなさで「はい、どうぞ」と通ることができてしまい拍子抜け。

○日曜ということもあるが公園はすごい人。とりあえずロッジに車を停めて…なんて思ったが、ロッジの駐車場が一杯で車を停めることすらできない。仕方がないので初日は始終車で移動し、Bridal Veil Fall, Glacier Pointなどを冷やかす。学んだことは
①滝は遠くからながめるのが一番(Bridal Veil Fall・・・至近距離ではもう何も見えず、ただびしょ濡れになるだけで苦笑)
②Taft Point(手すりもないところにある絶壁)は6月でも雪が残っていて立ち寄りが困難、といったあたり。
その後ロッジのフードコートで夕食。そこそこだが、所詮そこそこなので、安いパスタとかにしておけばよかった。ちなみにここの朝食で食べたオムレツは美味であった。

○ヨセミテと言えば熊。熊対策で、車中に食べ物の類は一切残さないよう指導を受ける。ロッジ受付でも「車を物色する熊のリアル隠し撮り映像」が流れていて緊張の度合いが高まる。我々もすっかりびびって、食べ物はおろか食べかすが残っているかもしれないというだけの理由でチャイルドシートを部屋に運んだり、色が派手で食べ物と誤解されるかもしれないという理由でiPodを隠してみたり。結局何事もなく終わったが、ネタとしてはやはり、「夜に寝ぼけて外で立ちしょんしに行ったら森のくまさんとばったり遭遇」的な体験をしておきたかったような未練も0.1%ほど残っている。まあ部屋にトイレがあるので立ちしょんはしにいかないのだけど。

○翌日は構内を周回しているバスを利用してトレッキングなど。ロッジ近隣にあるYosemite FallはBridal Veil Fallと異なりほどほど遠い、でも遠すぎもしない絶妙なポイントから滝壺を見ることができたが、距離があるにもかかわらず大量の霧状の水しぶきが飛んできて娘も大喜び。あと、Miller Lakeに立ち寄ったが、バス停から1マイルの散歩は子連れには実にちょうど良い距離感。湖は雪解け水だからかびっくりするほどの冷たさ。心臓麻痺するかと思った。。

○で終了、来た道を戻って、Oakhurstを通り過ぎてFresnoで逗留。帰途はうねうね道を妻が運転してくれていたのだが、今度は後部座席にいた自分が車酔い。死ぬかと思ったが、道が真っ直ぐになった矢先、OakhurstにあったJumba Juiceで回復。こんなときにすっぱいジュースなんて飲んだら胃の中身が逆流するかもしれないとも思ったのだが、結果的には回復できてラッキー。

○Fresnoは地理的にはLAとSFの中間地点ほどにある街で、建物はどれも低く広々としていて、全体的にのどかな感じをおぼえた。しかしこの手の中小都市の経済って、いったいどのようにして回っているのだろうか。特に主要産業がありそうな感じもないが、結構な数の綺麗な住宅が立ち並んでいる。普通に街の病院で事務員をするとか学校の教諭をするとか、そのくらいでも立派な家+クルマ1、2台が手に入ってしまうものなのか。フレズノに限らず多くの街で、肌感覚的に「その町にありそうな仕事」と「その町の人々の暮らしぶり」に乖離がある(不思議と皆いい家に住んで車を1~3台所有している)のだが、これってどういうことなんだろう。物価水準に比して給与水準が高いのか、あるいは家や車が割安なのか(そんなことはない印象)、それともEasy Creditのおかげなのか。大学、さらにはMBAを出るにもかかわらず物質的には「そこそこ」の暮らししかできないであろう、おそらく持家を持つことはないだろうし車も下手したらもう買わないかも...なんて景気悪いことしか考えられない自分からすると羨ましい限り。

ま、そんないらぬ心配をしつつ、明日フレズノからLAに戻ったらこの旅行もおしまい。

Saturday, June 18, 2011

セコイア・ヨセミテ(2)

旅行2日目はセコイア国立公園へ。その後ヨセミテの入り口にあるOakhurstという街に逗留してフィニッシュ。


○セコイア国立公園。とりあえずカメラを買ったばかりなので、林家ペー・パーぐらいの勢いで写真を撮りまくり。ちなみに来ていたTシャツの色は偶然ピンクで、履いていたスニーカーの色は奇遇にも赤...でっかい岩とか、ぶっとい木とかを背景にパシャパシャ。途中にあるMoro Rockという岩山登りは、娘が一番元気に登っていたのだが彼女のどこにそんな元気があるのだろうか。親は2人そろって高さに足をすくませるの巻。この公園も駐車場に「熊が出るので食料品を車に入れっぱなしにするな」という注意喚起があったが、明日行くヨセミテと比較するとリスクが低いのかあまり遵守されている様子もなかった。肝心のセコイアの木や森だが、日本で生活していてストレスがたまったところでこの場所に来ると癒されるのかもしれないが、常時ノーストレスの状態だと癒しも何もあったものじゃないので今一つその素晴らしさを満喫できず。ふーん、木ですね、太いですね、っていう程度の感想しか出てこない。。


○夕食は、ホテル横のサブウェイにするかYelpで評判の良かった中華にするか迷った挙句、冒険して中華へ。Yelpでは「The best Chinese ever」とかあって「おいおい、ほんとかよ」と。食べてみると、パンダエクスプレス(何を食べても同じ味)ほどにひどくはないが、まあベストとは言い難い、そんなレベル感。結局途中から、どこの中華レストランにもある唐辛子ペーストみたいな調味料を入れたら味もよくわからなくなり、単なるジャンクフードとして美味しくいただいた。
ちなみに昼食は公園内の売店で買ったホットドッグだったのだが、調味料コーナーに生たまねぎのみじん切りがあって喜んだのもつかの間、なんとマスタードがない。マスタードがないホットドッグなんて。。。orz レリッシュやハラペーニョがあったからごまかせたが、マスタードなしのホットドックを食べることになるとは非常に残念な限り。総じて今日の食事運は末吉といったところだろうか。


○昨日はオザケンなんて聞いてみたが、今日はクラプトンの新譜をかけてみた。発売前はジャズテイストが云々ということで期待して買ったのだが、買ってみたらここ数年のクラプトン路線そのままのブルース系。日本の家でブルースを聞いても何ら胸に響くところはないのでクラプトンのブルース系は好きではなく、したがってこの新譜も買ったものの好きになれていなかった。しかし、今日改めてアメリカの田舎道でこのアルバムを聞いてみると、その良さがなんとなくわかってきた気がした。美味しんぼで言うと「白身の刺身を数十回噛むことによってついにそのうま味を見出したブラックさん」のような感じで、アメリカの田舎道に合わせることでこのCD,あるいはわりあい単調なブルースの良さが少しだけわかったように感じられた。日本の食べ物に合わないケチャップがアメリカの食べ物全てと相性がいいのと同じで、ブルースと日本における自分の環境が違い過ぎただけだったのかもしれない。アメリカの道路や風景とクラプトンのブルースロックは相性が良い気がする。あとは、ボンジョビ的ロックの「なんだかダルい、6~8曲目によくあるようなスローな曲」とアメリカの田舎道も相性がいいような気がする。さすがにもう聞かないかと思い保存もせずにボンジョビのCDを全て置いてきたことを後悔。何もない平坦な道では、東京では野暮ったく聞こえてしまうシンプルな8ビートがとても心地よく、逆に東京ではフィットするピロピロ系エレクトロミュージックなんかは場違い感がものすごい。同様の理屈(アメリカの道とシンプルなリズム感の相性がいいという仮説)でカントリー系もたぶん相性が良いと思う。これまた保存し忘れたまま日本にCDを置き去りにしてしまったのだが、日没時にJames Taylorの『Carolina in my mind』はきっとものすごく相性が良いとかなりの確信をもって信じている。LAの混んだ道はKiss FMあたりをズンチャカズンチャカ流しておくのが一番フィットすると思うが、やはり田舎道をずいーんと走るにあたってはそれ相応のBGMがあるのだろう。ちなみにセコイア公園では雰囲気から何となくベト6の1楽章をかけてみたが、マイナスイオン的という共通点はあれどやっぱりちょっと違った。車中でクラシックが良いと思うことができるようになるには、環境あるいは自分の成熟度がイマイチである。。

Friday, June 17, 2011

Re: 共感

○iPod(iPadではなく)に、PCに入っている音楽を手当たり次第入れて車に接続して使っているのだが、今回の旅行では道中で懐かしの名盤、オザケンの『LIFE』を久々に聞いてみた。いまブログを書くにあたって調べてみたら、発表が1994年。自分が13歳、中学1年生のとき(!!!)。人生のほとんどが性欲と自己顕示欲で説明できた時代。。

○『LIFE』は、おそらく自分±10歳くらいの世代で知らない人はいないのではないかと思われる超名盤。自分はピアノから音楽を始めたことから歌詞には関心が薄くもっぱらメロディーとか和音とかリズムとか音それ自体に薀蓄をうだうだ言うのが好きなのだが、こと音の部分に関して言えば本譜はまったくもって古臭さを感じさせない。「時流に乗った王子様が溢れる才能を流行にアジャストしてさくっと作ったお手軽ヒット集」と勝手に思いこんでいたが、十数年の歳月というフィルターを経た上で改めて聞いてみると決してそんなことはないことがわかる。
さらに言えば、本譜ほどに生声(生声的な、声のかすれや裏返りなどをそのまま生かした声。ヘタウマの妙といった感じ)が曲にフィットしているアルバムはそうはないと思うし、これほどまでにハープ・ストリングス・ホーンサウンドの組み合わせがいやみに聞こえないアルバムもそうはないと思う(普通は楽曲中でハープをポロンポロンやったら相当違和感がある)。

○このアルバムについては、歌詞に興味がないといった矢先だが、中学生時代聞きまくっていたことから歌詞をいまだに結構覚えている。こうやって改めて聞いていると、歌詞に「永遠」とか「ずっと」という言葉が散見される。その後の彼が(本人がどう考えているかはさておき)永遠という言葉とは正反対にあっさりと表舞台から姿を消しミュージシャンとしてのキャリアも『LIFE』でピークを迎えてしまったことを踏まえると、その対比が興味深い。永遠を歌った当の本人が、身をもって永遠などありえないということを証明しているようにも思える。その一方で、『LIFE』が十数年のときを経た今でも強く支持されていること(Amazonのレビューを見てもわかるし、たしかSPA!か何かで特集されていたような)なんかは本当に優れた音楽は時代や流行を越えて永遠に支持を得ることができるということを示しているように思われる。個人的には、「永遠」という歌詞を聞くたびに彼の「その後」を想起してしまい「永遠ねぇ...」とアンニュイな感じを抱いてしまう。

本人がどう思っているかわからないので自分の勝手な思い込みで恐縮だが、本譜は彼にとって「できすぎ」だったのではないだろうか。その才能が諸要因によって発揮「され過ぎて」しまい、燃え上がった炎が制御不能となり、本人をも燃やし尽くしてしまったのではないか。甲子園でピークを迎えてしまったエースとか、10代前半で最盛期を迎えてしまった子役とか。石川遼に人が惹かれる理由の少なくとも1%は、「素直に活躍を望む」というよりは「早熟の天才が堕ちるというストーリーを見たい」という人のじめっとした心の裏返しではないかと思ってみたり。
こんなことを思うのは自分が中二病から脱していないからであろうが、いずれにせよ、自分は現在に至るまでオザケンのことをそのような「燃え尽きた元・天才」というストーリーで勝手ながら解釈しており、そしてそんなストーリーについ甘美なものを感じてしまっている。堕ちた天才、燃え尽き症候群、神秘的なもの・宗教的なもの(人によっては犯罪やドラッグやセックス)への「逃避」。才能に欠ける一般人としては是非ともその「堕ちる様」を見届けたいという卑猥な感情をつい抱いてしまうし、その一方では自分もできれば是非ともそのようなアップダウンを経験してみたかったなどとも思う。

○これを発表した時点でオザケンは26歳。中学生当時、このアルバムに衝撃を受けたあまり「俺もきっと、20代でこのくらいの最高傑作を出して、燃え尽きて、30になる前に死ぬ」といういかにも思春期的なことを夢想していたのだが、そんな甘酸っぱいというかイタい思い出がこのアルバムを聴くたび蘇ってきていたたまれない気分になってしまう。今になって冷静に立ち返れば、ポイントは燃え尽きることであり最後の「30で死ぬ」とか死ぬ必要性がないし。
そんな自分もあと半年足らずで死亡予定年齢の30となる。幸いなことに健康的な理由で「死んでしまう」ということはなさそうで、仮に行くにしても自ら行くしか手は残っていない模様。LAで学生しながら、月に数度のゴルフに情熱を注ぐオッサンって、当時思い描いていた自分と比べるとずいぶんとんでもない道草をしているものだ。

セコイア・ヨセミテ (1)

今日からセコイア・ヨセミテ国立公園めぐり。

○今日は午前中ににじやでおやつを調達してからのんびり出発して、4時頃におよそ200マイル先にあるThree Riverという町に到着。その後はホテルのプールで泳いだり、新しく買ったカメラで遊んでみたり。
娘は前回泳いだときに浮き輪の操作ミス(?)で溺れてプールに行きたがらなかったのだが、なだめすかして泳がせてみたら案の定すぐ楽しくなってきたようで最後はまだ出たくないという感じに仕上がった。唯一残念なのは、あたりに食指をそそるレストランがなかったことから、非常食のおにぎりとカップ麺が夕食となったこと。まあおいしいからいいんだけど。


○前回のラスベガス旅行の際に、夜騒ぐ娘にiPadで動画でも見せておけばと思っていたら、ホテルのWifiが弱すぎてろくすっぽ動画が見られないというちょっとしたトラブルがあった。その反省を踏まえ、今回はYouTube動画をMP3等の形式で保存するソフトウェアをインストールして事前に動画を大量DLしておいた。残念なことに(?)本日のホテルはWifiが非常にスムーズだが、それはそれとしても動画が途切れないというのは娘にとってもストレスがなさそうで何より。


○新しいキャノンのコンパクトカメラ(S95)がものすごく良い。目の肥えた人、あるいは一眼レフ所有者からするとコンパクトカメラゆえの短所があるのかもしれないが、廉価コンデジ(←最近おぼえた言葉。コンパクトデジカメの略。コンデジ→中間層(ソニーのNEX等)→一眼レフという分類みたい。)からアップグレードさせた我が家としてはひたすらに満足。

①手振れ防止機能がかなりしっかりしているようで、従来の安いカメラでは全力を尽くしても手振れしていたのに今やちょっと動いても全然ぶれない。

②レンズの絞りあるいはF値(?)に工夫があり「明るいレンズ」とのこと。その辺の薀蓄はまだ理解できないのだが、いずれにせよそのおかげで暗い部屋や日陰で撮影してもシャッター速度が全然遅くならない(=手振れしない)。フラッシュをたかずとも殆どストレスなく撮影できてしまう。

③外見および質感が所有欲をくすぐる。

④オートでもまったく簡単に満足のいく写真が撮れるのだが、それだけではなく色々とマニュアルでいじることができる(ISO値、色合い、サイズ、ファイルタイプ、etc、etc)これまでカメラにまったく興味のなかった自分が、今やあれやこれやいじり始めて「オートじゃ物足りないし」とか言い出している。今日はプールで撮影の際「自然光モード」で「ISOを低めに設定」して「水のブルーが映えるように」してみたり。こういうことに楽しみを覚えだすと「一眼レフ欲しい病」にかかるのかも。

Thursday, June 16, 2011

散財

木曜日。

○夏休みで気が緩んでいる。そしてボーナスがもうすぐ。そんな時には普段息を潜めている物欲がむくりと...
ということで、アイアンとデジカメを買ってしまった。

○どちらについても使い心地など感触は上々なのだが、購入を決断するまでのプロセスに相違がある。そのため、デジカメについては晴れやかな満足感を持っているのだが、アイアンについては(結果オーライ的に使い心地は良いにもかかわらず)もやもや感が払拭できずにいる。

○アイアン・デジカメに共通するのは、下準備段階まではしっかりできたこと。すなわち、
①既に所有するアイアンやデジカメに対する不満を明確に認識することができて、
②それゆえ、これから買おうとする製品に求める特徴を明確に理解できて、
③ニーズを理解できていたことから、かなりみっちりと丁寧な情報収集をすることができた。


○デジカメはについては、上記のうえで④納得がいく製品を納得がいく価格で入手することができたので、購入にかかる一連のプロセス全体について「やるべきことはやった感」および「状況をコントロールできた感」があり後悔は殆どない。
長い間つきあった彼女と結婚して、結婚生活がうまくいっているときに抱く感情のような感じ。

○アイアンについては、①から③まではよかったのだが、肝心の購入プロセスがかなりグダグダになってしまった。一回e-Bayで買ったところまではよかったのだが、あろうことかそこで買ったアイアンが不良品で一日で返品することに。まあでもe-Bayなんだし、買ったものが不良品なんてことは想定の範囲で仕方ないものだ。同じものを別のところで買いなおせばよいだけの話だ。。。と言う風にできていればよかったのだが、そこでブレてしまった。近所のゴルフショップに行ってしまい、買おうとしていたアイアン(A)とは別のクラブ(B)を気に入ってしまった。あろうことか、Bを購入しようとした直前、店員の推奨により試したまた別のクラブCがこれまた良いように思われてしまい、結局Cを購入してしまった。ちなみにCの購入価格は「おとなしくAを買いなおせばかかっていた費用」よりはるかに高い。。。
長い間つきあった彼女と結婚直前に別れてしまった、そこまではまだ良い。ものごとのすべてがパーフェクトに進むとは限らないし、当初想定通りに対応できればさほどの問題はない。しかし今回の自分の対応は、別れたあと浮き足立ってしまい、つい先日に出会った全く自分の好みのタイプとは異なる人とノリで結婚してしまったような感覚。結果オーライになればよいが、少なくとも「自分の決断に一片の悔いもなし」という心境ではない。当面の間は、新婚生活を楽しみつつも「本当にこれが俺にとってベストの選択だったのだろうか」と自問自答してしまうことになりそう。そしてその態度が妻に透けて見えて家庭内不和を招き・・・なんていうことがドラマではよくあるが、まあアイアンは人間じゃないので、自分の煮え切らない態度を察知してミスショットしか出さなくするようなことはないのだろうけど。


○ひとたび物事が軌道から外れたときに理性を失いブレてしまったことが最大の問題点であるように思われるのだが、果たして数か月後の自分はこの決断をどう思っているのだろうか。。「何も知らずに結婚したが実は超素晴らしい奥さんでラッキー」的な展開を切に祈るが、その一方で「なんか美人だから結婚したが、働いてくれないどころか他に男の影が...」的な残念な展開もまたありかもしれないと思っている。
自分の人間としての長期的な成長という観点からは、アイアン購入という比較的小さな意思決定でつまづいておくことで(変に結果オーライにならずきっちりとバッドエンドとなることで)将来起こりうるもっと大きな意思決定局面においてベターな対応をすることができるのではないか...なんて。

Wednesday, June 15, 2011

不良品

○旅行明けの火曜日。昼前から娘の幼児保育の見学。いつもは専ら日本人の友達と2人だけで遊んでしまっていると聞いていたが、その友達が参加できなかったからかこの日は普通に皆の輪に混ざって楽しそう。実にパパ心がくすぐられるイベントであるが、かといって毎回これに参加するほどの熱意があるかと言うと...すいません

その後はカルバーシティをふらふらしてみたり、早速カメラ物色のため近隣の店舗をふらふらしてみたり。どういうわけか夏休みに入ってからものすごく忙しい感じで、ブログを書いたり本を読んだりする暇があるかと思っていたのに全然なくて困ってしまう。おそらく、忙しいというよりは休みで気が抜けていて行動に無駄が多いかスピード感が足りていないのだろう。まあいいや、緩められるときにネジも緩めておかないと(すでに緩んでいる人が言いそうな言い訳だ...)


○水曜日はまず学校に行ってビザ関連書類(J1ビザ用のDS-2019)の更新されたものを取りに。なぜ1年でいったん期限が切れてビザが失効してしまうのかわからないままで気持ちが悪いが、免許更新に必要なこともありとりあえずDS-2019は更新。

家に戻ると待ちに待ったアイアンが到着していたので、午後は近所のパブリックコースで軽く練習、、、のつもりがついうっかりラウンドしてしまった。
アイアンは今使っているものと比較して簡単なもの(ヘッドが大きくてシャフトが軽い)にしてみたのだが、これが大当たり。いかに自分がこれまでの難しいアイアンを使いこなせていなかったか思い知らされた。とにかく簡単で当てればドカンと飛んでいくという感じ。ロフトもこれまでより立っているので、グリーン手前の花道を狙ったらグリーン真ん中に乗ってしまってラッキーということが数度。しかもミスに対する許容度が高いのでちょっと当たりが薄くてもとにかく飛んでいく。これでバッグの中がナイキだらけになってしまったが(FW、UT×2、アイアン、あとゴルフバッグも)まいっか。
といいつつ、このアイアンは明日返品する予定。数度店頭で試打に使われただけの新古品ということで購入したのに、明らかに一度ヘッドを抜き差ししている形跡がありヘッドの装着部分がものすごく汚い。そのうちヘッドが取れてしまうのではないかと言う不安感。しかも5番アイアンに至っては、シャフト内部にゴミがあるみたいでシャリシャリうるさい。帰宅後すぐに購入先に伝えたところ送料は返金するということになったので、明日UPSに持参して別途まったく同じクラブを購入する予定。返品をするのは明日が初めてなのである意味においてちょっと楽しみ。UPSが梱包してくれるのはとても助かった。
で、その足でコリアタウンでBBQ食べてスーパー寄って一日終了。なんだかバタバタ感が止まらず、今日もやりたいことは10%もできていない感じ。まったくもってゴルフしている場合ではない一日であった。


○そういえば成績がぽつりぽつり出てきた。選択科目はカーブ(相対評価)の運用が甘いそうで、5分の3が選択科目である今学期は先学期よりはマシな成績になりそう。といいつつ、必修の一つはちょっとしたトラブルの結果かなり悪い成績になることが見込まれているので、そこまでマシでもないかもしれないが。。

Monday, June 13, 2011

ラスベガス・グランドキャニオン(4)

○Monument Valleyに泊まった翌日は朝からまた200マイル弱ほど走ってAntelope Canyonへ。ナビがあと5マイルと言っていた何もない原っぱに突然現れた広場に多くの観光客がいたので試しに入ってみたら、そこがAntelope Canyonの案内所(のひとつ)だった。ナビが言う5マイル先には何があったのだろうか。

○ここもまたナバホ族だけが中に入れるところに見どころがあり、彼らの観光案内が必須。現金清算で、ギリギリしかなく焦ったがなんとか現金も足りたので彼らが運転する4WDに乗りいざ現地へ。広場から数マイル走るとAntelope Canyonの入り口が現れて、そこからとんでもないオフロードを2~3マイルほどガッタンガッタン走るとお目当てのAntelope Canyonが現れた。途中で運転していたガイドのお兄さんが一時停止の上で車を2WDから4WDに切り替えていたが、4WDでないと走れない道というのは初体験。

○で、Antelope Canyonの洞窟にいざ突入。観光客がすごい数で、なおかつ一本道の洞窟を進む人と戻る人がいるので、洞窟はさながらおしくら饅頭状態。しかもここはカメラ愛好家にとって絶好のスポットであるようで、でっかい一眼レフを持っている人がいるどころか、三脚持参でがっつりと撮影している人がたくさん。先住民のガイド達が頻繁に「はい、前に進んで!」といった感じで交通整理していて、なんだか日本の観光地みたいだなと思ってしまった。写真愛好家達の盛り上がりぶりを見るにつれ、ポケットデジカメでシャカシャカピンボケ写真を撮っているのが馬鹿馬鹿しくなってきてしまい、目下ちょっとハイグレードなカメラの購入を検討中。。。


○アンテロープを見終えた後は一路ラスベガスへ。ふたたびウン百マイルの長丁場。自分ばかり運転していると疲れるが、妻に代わってもらうと娘が「ママ、後ろに戻ってきて」と騒ぎ出すのでそれほど休めないというのはなかなかに面倒。ずっと何もないところを走っていたので、ラスベガスのビル群が見えてきたときには思わず安堵。夜は懲りずにまたビュッフェ。今回はちょっと離れたところにあるM Resortというところへ。ここは繁華街から遠いデメリットをカバーするためか施設もきれいだしビュッフェの評判も高い。実際行ってみるとなかなか美味しく、思わずその翌日(最終日)にまた行ってしまった。


○で、その翌日ラスベガスからLAへ帰還。散々走ったので、帰り道がこれまでと比較して随分近く感じられた。250マイル?ふーん、まあ余裕、っていう感じか。LAに着いたのが夕方で、公園で遊びたがる娘としばし公園で遊んだ後に定番スポットのMitsuwaのラーメンを夕飯としてようやく旅行終了。総走行距離1,600マイルの大移動、とりあえず事故がなくて何より。

Saturday, June 11, 2011

ラスベガス・グランドキャニオン(3)

○グランドキャニオンの翌日はグランドキャニオンから数百マイル走ってMonument Valleyへ。グランドキャニオンとはまた違うというか、全然別世界。何十マイルも何もない道を走っているうちに赤茶けた地域になってきて、ぽつりぽつりと大きな岩が見えてくる。道もずっと真っ直ぐで、どこぞのCDのジャケット写真のような絵。


○Monument Valleyはナバホ族の居住区域で、その手前数十マイルにある売店からして従業員は全員見るからにネイティブアメリカンで強烈な異世界感。ちなみに、その売店のトイレ、どういうことかわからないが、小便器が背伸びしないと使えないほどに高くてびっくり(初体験の驚き)。別にナバホ族もそんなに長身には見えないのだが。見栄っ張りなのか?でもこんなところに見栄を張っても仕方がないと思うのだが何だろ?


○Monument Valleyもナバホ族が管理しているというか、彼らしか入れない区域があり、彼らが運営するツアーに参加しないと満喫できないようになっている(個人的にはそういう特権が逆に人をスポイルすると思うが)。ということで彼らのツアーに参加。2時間半ほどのツアーで、とんでもないオフロードをガタガタ進みながら色々な岩山のふもとを走るツアー。「象」やら「座る王様」といった岩山も壮大だったが、一番感動したのはその静けさ。暑いせいか、虫や鳥の鳴き声すら聞こえない。これほどまでの静寂は初めてかもしれないというほどの静けさ。ものすごく広大な区域にあって巨大な岩山に囲まれつつあたりは無音。これまで経験したことのないシチュエーションで、感動を通り越してなんだか怖くなってしまった。こういうところでエレキギターとかジャンカジャンカ弾いてみたらどういう気持ちになるんだろうか、とちょっと夢想。
ちなみにガイドカーは車内ではなく幌のないリアカーみたいなものなので、揺れに揺れる。また、砂が目に入ること入ること。ハードコンタクト着用で臨んだ自分と妻は1分に一回は目にゴミが入り苦労。


○道中に「今でも区域内に住む老婆の家」なるポイントがあり、99歳になる老婆が伝統的な家の屋内で伝統的な織物を織っているところを見学。ここは老婆が実際に生活する家なので、お邪魔する代わりに一人2ドルの「寄付」がstrongly recommendされたのだが、すぐそばに比較的近代的な家屋があってそこから出てきたおばちゃんが伝統家屋前で土産の販売をしていたこと・伝統的家屋があまりに展示館然としていて生活感に乏しかったことなどから察するに、このおばちゃんがここに住んでいるというのはオハナシに過ぎないのだろうなと。おそらくすぐそばの近代的な家に、もしかすると公園区域外の普通の家から「出勤」しているのだろうなと思いつつも、それはそれとして一人2ドルを一応喜捨。


○このMonument Valley観光、妻が事前に日本人によるブログから収集していた情報と実態が少し乖離していた。妻が見たブログによれば、観光案内所には多くの業者がたむろしていて、そのブロガーは定価20ドルのツアーを値引いて15ドルで楽しめたとのこと。しかし自分達が行ったときは、公園区域外にある自分達が泊まったホテル主催のツアー(大人50ドル、子供30ドル)と公園区域内にある案内所にいた一社によるツアー(子供無料、大人60ドル~)と、述べ2つしか選択肢が見当たらずしかもどちらもブログで見ていた価格よりずいぶん高い。そこで勝手な妄想をすると、もしかすると彼らはかつては過当競争状態に陥っていたが何らかの「話し合い」を経て現在では寡占状態にて得られる大きな利益を関係者で山分けしているのかもしれない。関係者は皆同じナバホ族なので、その辺の調整も難しくはなさそう。他方、ホテルについては、かつては今回自分達がとまった一件だけが公園近隣のホテルとして存在していたのだが現在ではそのホテルと公園区域内にできた新しいホテルの2社体制となっている。こんな地域に新しいホテルを建設するというプロジェクトがここ最近に実施されたことが驚きなのだが、結局こいつらは寡占したいのか競争したいのかどっちなのだろうと少し混乱。思いのほか需要が多いのでホテルをもう一つ作った方が彼ら全体としてもお得だったりするのだろうか。


○先日グランドキャニオンを見て思った「自然と人間」というテーマについては、ここMonument Valleyでは全く違う考えを抱かずにはいられない。グランドキャニオンは景色こそいいが基本的には人工的な公園といった感じで、舗装された道をバスでひょいっと移動するのがメイン(その気になれば谷底まで下りることもできるみたいだが)。他方Monument Valleyは完全なる自然のなかに車でお邪魔するといった感じで、人間の介在度合いがグランドキャニオンと比較して極めて小さい。人間がうまいこと自然の力を借りるというよりは、ただ単に自然の力が凄すぎて人間の存在が相当小さく思えた。グランドキャニオンだけ見て終わりにしないで良かった。これを見ないで自然公園を語るのはちょっとまずかったように思う。

Friday, June 10, 2011

ラスベガス・グランドキャニオン(2)

今日は学校で2年生の卒業式があったらしい。自分の場合、2年生にウマが合う人が多かったので(年齢も学年も上の先輩に「ウマが合う」はやや失礼かな..)、彼らが学校を離れてしまうのは残念。また、彼らが卒業式をするということは自分がアメリカにいられるのも約一年となったということ。その昔大前研一が「自分が食べることのできる夕飯はあと18,000食しかないことに気づき、そこから時間の使い方が変わった」といったとどこかで見聞きしたことがあるが、その心情は大いに理解できる。ただ、18,000回という数字を見て危機感を感じることができるかというと、おそらく自分には無理だと思う。あと365日と言われてもまだそんなに焦ったりしていないので...


○今日はWilliamsという60年代テイストが色濃く残る街のホテルを出て一路グランドキャニオンへ。Williamsからグランドキャニオンは約50マイルと近く、今回の旅行では今日の移動距離が最短(100マイルちょっと)で楽だった。また、この日もWilliamsに宿泊しているのだが、ここには子供が遊べる遊具のある公園があり、そろそろ車に乗せられるばかりで自分の好きな遊びがあまりできずにフラストレーションがたまってきていた娘もいいガス抜きができたようだ。移動距離が短かったことや公園で一時間近く遊んだことなどから、今日はいい感じに中休みができたような感覚。


○今日の朝食は秘密兵器・おにぎり。自宅から炊飯器・変圧器・米・塩・おむすび山を持参したのだが、これは大当たり。生き返った気分。このような生き返り感は、新婚旅行でNYCに行った際の5日目くらいにチャイニーズレストランで温かい烏龍茶を飲んだとき以来かもしれない。おかげで昼食のホットドックのパンがパサパサ・ソーセージは何時間前から保温してあったんだよ的代物であったが、さして腹は立たなかった。
MBA病かもしれないがあえて教訓を整理してみると、日ごろから小さなストレスを小まめに潰しておくことで、ささいな追加的な不愉快に切れてしまう可能性を低下させることができるということなのかもしれない。具体的には、帰国後も精一杯色々と息抜きをしないといけないのであろう(と、帰国後もゴルフやら何やらすることに対する言い訳を今から準備してみた)。夕飯はにじやで買い込んでいたカップ麺。これまた懐かしの味で良かった。一平ちゃんなんて日本では毒々しいので絶対に手を出さなかったものだが、ここアリゾナの地では魔法のように美味しく感じられた。


○グランドキャニオンは驚くほどの壮観。見下ろす景色の高さ・雄大さに思わず足がすくんでしまった。すごすぎてギャグかと思った。
しかし、自然もたいがいにすごいが、そんなグランドキャニオンのそこかしこに道やら何やらを作ってしまう人間はもっとすごい。こんな高いところに延々と道作ってしまうあたり感服のひとこと。色々なポイントから神々しい景色を見て驚愕させられたが、そのたびに、「でも、そこに既に道が作られていてバスが走っていたりすることの方がすげえよなぁ」と思いが優った。
グランドキャニオンを見ると、「人間が自然を征服する」という思想がまったくもってナンセンス、どだい無理であることが非常によくわかる。しかし、その一方で「自然を利用する」、あるいは「自然の力を借りる」ことに関する人間の能力や叡智と言うものに対して大きな希望を感じることができる。日本とか米国にいて主に経済や金融の視点からものごとを見ている自分は、つい人間の力に対する限界のようなものにばかり目をやってしまいシニカルになっていたように思う。しかし、グランドキャニオンに作られた多くの人工物は、自分の委縮した心に再び火を灯すには十分すぎるほどのインパクトを持っていた。


○それにしても、グランドキャニオン構内に近所のラルフスよりもでかいスーパーがあることに驚き。キャンプ場やロッジがあるから別におかしい話ではないのかもしれないが、こんなところにこんなどでかいスーパー作らなくても...とつい思ってしまった。また、Willamsもとても小さい街なのに、ものすごくでかいSafewayというスーパーがある。おそらく町の最大の雇用源であろうが、けっこうな数の小売店を潰して町のコミュニティの形を少なからず変えたんだろうなぁと妄想。まあ良い悪いという話ではないんだろうけど。

Thursday, June 9, 2011

ラスベガス・グランドキャニオン(1)

水曜日からラスベガス・グランドキャニオンへの視察にきている。あくまで仕事、ということでよろしくお願いしたいものだ。。

○水曜日。朝から家を出てまっすぐラスベガスへ。2回目で慣れたこともあり、感覚としては前回よりもずいぶん早く到着することができた感じ。それにしてもすごいのはラスベガス、平日なのに人でごったがえしている。ハイシーズンのときはいったいどれくらい混雑しているのだろうか。夜はWynnでビュッフェ(バフェ?)なんとなくこれまで行った店(Paris、Planet Hollywood)より美味しかった気もするが、値段も10ドルほど高いのでそんなものなのかもしれない。Wynnのビュッフェは空いていたのだが帰りに寄ったParisのビュッフェはすごい行列だったので、Wynnはやや料金設定がアグレッシブすぎるのかもしれない。


○木曜日。朝ホテルを出て一路グランドキャニオン方面へ。途中フーバーダムに立ち寄る。貯水池やら渓谷の景色は確かにアメリカ的で壮観。ただ、ダム単品で見ると、日本で同じくらいのサイズのダムを見たことがあるのでそこまで感動はしなかった。

その後グランドキャニオン近くの宿に荷物を置いて、近隣にあるセドナという町へ。それにしても昼に他の選択肢がないことからやむを得ず行ったデニーズが驚異的に残念だった。日本のデニーズとサービスとかは似ているのだが、いかんせんメニューが全然似ておらず、食べたいと思わせるものが何一つ見当たらない。。結局ものすごくこってりしたサンドイッチを注文したが殆ど食べられず撤退。あと、店員に言われたWifiパスワードを入力したらIncorrect Passwordと言われてしまうなど。

セドナは俗にいうパワースポットで、とあるお笑い芸人と安室ちゃんが来たことでちょっと話題にもなっているらしい。高速道路を下りてから30分ほど山あいのグネグネ道を越えないと入れないようになっていて、ちょっとした箱根のような感じ。グネグネ道を進むとだんだん山肌が赤茶色になってきて、セドナにつくと周囲は一面赤茶色の岩山だらけ。All Aboutの記事をなぞる形で名物スポットをいくつか流したが、確かに非日本的な風景でちょっと「ぬおっ」と思わせるところはあった。再び訪問したいと思わせるほどの魅力やらパワーやらは見いだせなかったが面白い街であった。ちなみにセドナも金持ちが集まる街であるようで、そこかしこにレンガ造りのおしゃれな家がたくさん建っていた。普通の人はどこに住んでいるんだろう。。

ホテルはWilliamsというグランドキャニオンの最寄りの町にある古き良きアメリカ的な家族経営のホテルで、階段におかみさんの趣味と思われるテディベアが陳列されていてかわいい。大草原の小さな家ってこんな感じかしらと妄想。
ホテルがある場所がRoute 66という有名な旧幹線道路で60年代テイストを残した街並なので、自分達の他の客にはバイク野郎がごったがえしている。革ジャン・革ベストを着たごっついオッチャン達がホテルの軒先で夜になっても談笑している。ゴルゴ13の55巻『EBONY EYES』に出てくるようなハーレー乗りのおっちゃんそっくりの人々を見て、いまだにこんな人々がたくさんいることに対して驚いてみたり、アメリカの底の深さに感嘆してみたり。ただ、どうもこの業界も高齢化が進んでいるようで、殆どのバイク野郎はおっさんであり若者は皆無であった。

○旅行を2日こなして、そろそろアメリカ的肉料理に飽きてきた。ステーキ・ハンバーグの類はもう見たくもないのだが、おそらく明日の昼も夜もステーキかハンバーグになってしまうのだろう。今回は秘密兵器として炊飯器を持参しているので、おにぎりを食べることで少しでも食べ物に対するフラストレーションを解消できればよいのだが。しかし、CA州以外に留学するというのは、あるいは今自分達がいるアリゾナのような田舎に留学するというのは、食生活の観点からすると相当しんどかったように思われる。いくらタダみたいな料金でゴルフができても、食べ物が駄目ではやっぱりしんどそう。食べ物に対する苦労が留学生が皆経験する苦労だとすると自分はイージーモードの町LAのおかげでその苦労をしないままするっと留学生活が終わってしまうところであったが、こうした山間部への旅行のおかげでアメリカ食生活の真の恐怖(?)を垣間見ることができたようで何より。

Tuesday, June 7, 2011

売るに売れずに

火曜日。

○自動車屋にオイル交換へ。いつも90分ほど待たされるので、今日はPCを持参してミツワ内の休憩所で調べものなど。本当はオイル交換が終わった後に近隣の評判のラーメン屋に行きたかったのだが、ミツワ中に入っているパン屋でチョコクロワッサンを食べたら満腹になってしまいラーメンは次回に持ち越し。終了後妻子と公園で待ち合わせしたら、口にチョコが付いていると笑われる。ということは自動車屋の引き取りや、ミツワにおいて自分はチョコを付けたまま歩き回っていたのか...合掌

○アイアンを買ってしまった。定価900ドルのナイキの新製品が、eBayで新品で399ドルで売っているのを見つけて物欲に火が付き色々情報収集。399ドルだと他社製品も比較対象に入るのでどうしようかなぁとずっとネットサーフィン(時間の無駄遣い)していたのだが、最後の最後で「390ドルでBuy it now、ただし交渉可能」というeBay上の別の業者を発見。BidとBuy it nowだけかと思っていたら、Ask offerなるシステムも存在することを今日初めて知った。そこでためしにウン十ドルほど低い値段でofferをaskしてみたら、あっさり3分後にOKが出てDone. Ask offerしてしまうとPriceline同様にキャンセルできなくなるようだが、まあ今回は買う気もそれなりにあったので問題なし。ということで、定価900ドル、日本では6万円~9万円程度で売っているアイアンを円換算で3万円弱でゲットできてしまった。現在使っているものと比較してヘッドもシャフトも簡単なクラブなので、これでいよいよ道具のせいにもできなくなってきたので頑張らねば。

○アイアンを購入した一方で倉庫に眠る不使用クラブを処分したくなってきたので、下取りについてちょっとお勉強。ちょっと調べた限りでは、逆通販といった感じで自分で梱包・発送すれば下取りしてくれるサイトは存在するのだが、日本のように「買い取ってくれるその辺のゴルフショップ」が見つからない。eBayやらびびなびやら、個人売買がもしかすると日本よりも盛んなのかもしれない。確かにeBayを見ても、中古クラブのラインナップは若干日本よりしょぼいような気もする。ということで、自分がクラブを売るとすると、(1) 自分でエアパッキンやら長細い段ボールやらを調達した上で、買取りサイトの指定する住所にクラブを送り、査定を待つ (2)自分で写真を撮ったりして、びびなび等の個人売買サイトにて取引を目指す (3) 日本に持ち帰り、日本の中古ショップで売る (4) 廃棄 というあたりが選択肢になりそう。自分としては梱包やら写真撮影やら詳細情報をウェブに書き込むことに面倒を感じてしまうので、できれば近所のゴルフショップに売りたかったのだが難しそう.

○今日から夏休みということで、定年を迎えたサラリーマン的心境(退職前に色々やりたいと思っていたが、いざ自由になると心にぽっかりと穴があき...みたいな)

Monday, June 6, 2011

レベル1クリア!

○日曜日。この日はLA在住日本人の大学対抗ゴルフコンペに参加色々な大学から100人を超える人々が老若男女男女問わず参加していて人数の多さにびっくり。さすがLA。。。

それにしても、かくも多くの方々が日本の大学を出た後に海を渡ることに成功しているということに感心せずにはいられない。自社のグローバルビジネス云々と言いながらたった2年間で日本に戻ってしまう自分は、ここにいるおっちゃん達と比べてものすごく要領が悪いように思えてならない。


○月曜日。試験を受けて学校おしまい。試験がどえらく難しかった(というか前日ゴルフしてる場合ではなかった)のがちょっとミソをつけたが、まあいいや、終わった終わった。ということでまずはトーランスにあるたまえんという焼肉屋でトーランス在住の先輩と食事をしてさっそくリフレッシュ。明後日からの旅行のおやつも帰りににじやで調達したし、明日いくつか事務作業を片付けたらいよいよ楽しい夏休みの本番!

たまっていた事務作業のひとつで、今日派遣元宛の書類をエアメールすべく郵便局へ。いつもの通り、記憶している派遣元の住所と電話番号を封筒に記載。行列が長かったので、なんとなしにGoogleで派遣元の住所を再確認してみた。すると、残念なことに自分の記憶は全然間違っていてあら大変。かといって封筒をもう一つ買うのもアレだったので、結局、封筒を初心者みたいに(?)二重線まみれにしてしまった。
というか、これまでどうやって自分の送った書類はきちんと会社に到着していたのやら不思議。。。

Saturday, June 4, 2011

海苔で糊を巻いてみるなど

土曜日。

○昼に友人家族をお招き。皆さん近い将来に日本に帰国してしまうので寂しい限り。最後ということを気にせず無邪気に遊ぶ子供が少し羨ましかった。
メニューは手巻き寿司と、ホームベーカリーで焼いたアンパンと、豚汁と、2ダース12ドルの一番搾り。手巻き寿司にあたり、超低スキルワーカーの自分は寿司飯を担当。ごはんをボールに移し、すしのこを目分量でバサッーとふりかけて、しゃもじで混ぜる。すしのこを入れることでご飯にてかりと滑らかさが出るので、やっていて割と楽しい。楽しいのでついやり過ぎてしまい、ガンガンに混ぜてしまった。しかも酢が不十分だったのか、気が付いたらご飯がけっこう糊化してしまい。。。
ところで、海苔のサイズについて人により好みがあるのが興味深い。我が家はいつも4分の1カットの海苔で巻くのだが、人によっては海苔にがっつりご飯を乗せるので2分の1カットがお好みの人もいるなど。


○その後近所のWestfiledにてFive Guysを食す。前回はアウェー(パームスプリングス)で食べたので感激したが、改めて食べると、おいしいけどFatburgerと似たようなものかなぁという感想。ハナ差でFatburgerより美味しいような気もするが、まあそこまで激通いするほどではないかもしれんなあという感想。相変わらず落花生は美味しく、ハンバーガーを食べる前に腹が膨れてしまう。。


○夏休みがいよいよ始まる。とりあえず序盤に旅行をいくつかこなすのだが、その後はインターンもしないので時間がある。どうしたものか思案している。基本路線としては、この一年に学んだこと・あるいは学べなかったことについて突っ込んでみたいと思っている。この一年の留学は非常に有意義で、自分のどこかで腐っていた知的好奇心が結構復活していている。その結果、色々とやりたいことがたまってきている。

さしあたり教授に"Further Studying"についてアドバイスを仰いだところ「自分の書いた論文読め」といきなり剛速球を食らい立ち往生。そこで、教授の論文等を楽しめるレベルになるための下準備として、前から一種のあこがれを持っていてずっと欲しかったHullの教科書をお買い上げ。出国前に丸善で立ち読みした段階では英語という意味でも内容という意味でもかなり当時の自分にはハードルが高く感じられて購入を断念していた本書。早速届いたものを読んでみたが、一年前とは違って随分読みやすく感じた。自分が成長したのか、あるいは最初だけ(新車効果)か。。。また、意図せざるメリットとして、今度の月曜日のFixed Incomeでわからないまま流してしまっていたトピック(FutureとForwardの価格の違い)についてのわかりやすい解説が入っていてすっきり。
ちなみに、教授に言わせるとこの教科書は入門書とのことなので(涙)、あわよくばHullをやっつけて、更に教授が言うところの中級編にチャレンジできればと思っているが、果たしてそこまで自分のエンジンがもつかどうか。。

Friday, June 3, 2011

流動性が悪い

金曜日。
必修科目の期末試験2つ→校内で軽く打ち上げ。結構な割合の人にとってこの日が一年間の最終日みたいで、ちょっとした祝祭モード。

○期末試験。過去の反省を踏まえて、自分がポイントだと思ったことだけを書くのではなく、思いついたものをあまねく書けるだけ書いてみた。日本だったら一行書いて終わりにする思う問題に対して8行くらいグダグダと色々書いてみたり。しかも問題の量がけっこうあったので、出来の良しあしはともかく達成感のような気分は出た。

○日本人で最近FBの利用を始めた目上の方から「日本語使うといいよ」というご示唆を2度にわたってもらってしまうなど。
単なる冗談だと思いたいのだが、2回も貰ってしまうとちょっと本気なのかもと思案してしまったり。察するに、その人のWallは日本人友人による日本人の書き込みで埋まっているのに自分だけ英語で書き込んでいるので、違和感を与えてしまっているのかもしれない。という自分の推測が正しいのであれば申し訳ないようにも思うけど、でもここはアメリカなので勘弁していただきたく。

○先日のニュースから:

リンク
元GSトレーダー創設のヘッジファンド、震災後に運用資産の大半失う
2011年5月31日 13:12JST

元ゴールドマン・サックス(GS.N: 株価, 企業情報, レポート)のトレーダー、西健一郎氏が創設したガイア・キャピタル・マネジメントが運用する日本フォーカス型のヘッジファンドが、3月に44.34%の損失を被ったことから解約請求が殺到し、運用資産の大半を失ったことが、ロイターが入手した投資家向け報告書で明らかになった。


→「元GS創設云々」という枕詞、"成功者の没落"というストーリー性を強調することで読者のルサンチマンを刺激してページビューを稼ぎたいという記者の助平心を感じてしまうのは自分だけかしら。少なくとも自分は「なんてメシウマな...」とまんまと引っかかったし、今こうしてブログに書いている。
なんというか、氏のファンドは、社会的経済的に大きなインパクトをもっていて報道価値があるからゆえに記事になったというよりは、ロイターが書きたがっていた「震災でやっちゃった機関投資家の失敗談」という構想の一例として記事になったのではないかと推察してみたり。誰でも良くて、それがたまたま氏のファンドであったような印象。あるいは、このファンドが、自分の知らないだけでスティールパートナーズくらい知名度の高いファンドだったのかな?

で、氏の運営するガイア・キャピタルが損をこいたという記事が続き、しめくくりとして、ロイターが入手したという「投資家向け資料」の一文が引用されている。

ガイア・キャピタルは「このようなパフォーマンスとなったことは深くお詫びしたい」としたうえで、「3月の状況は、われわれが今後取り組まなければならないいくつかの問題を浮き彫りにした。それは、金融市場以外で起きるリスクや、指数先物やオプション市場の流動性に対する過度の信頼に関する問題だ」と述べた

→また随分高いところからのコメントで(^^)

ところで、Fixed Incomeの教授が序盤の授業でアービトラージについて説明した際、でもこれが100%成功するとは限らないと言い、それはなぜかと問うた。ある学生が「流動性」と回答したら、教授はにやりとして「流動性、そう、流動性ね...」と、ものすごく含みのある感じの反応をした。その上で「それにしても、流動性という言葉は便利な銀の弾丸だよな。君たちも自分も、困ったら流動性と言うことにしよう...」みたいなことを言っていたのを思い出す。
これを自分なりに解釈(曲解)すると以下のような感じになる。LTCMもこのガイア・キャピタルもそうだが、既存理論をフル活用して平時に儲け、損したときには既存理論で説明しきれない減少が発生する。そこで「流動性のせいで」となる。まあ実際流動性のせいだが、教授としては、説明しきれない部分の全てを流動性に帰するロジックがちょっとラフだよなぁということが言いたかったのではいか。
その授業のあと友人と、「メールの返事を忘れてしまったのは流動性のせいだ」「この前インターンの面接が駄目だったのは流動性のせいだ」といった冗談を交わしたのをふと思い出した。そういえば日本でも「風邪を引いたのは日銀のせいだ」的な冗談が流行っていたような。

Thursday, June 2, 2011

試験5分の2だん

* 気晴らしに箇条書き記号を変えてみる

木曜日。
午前中はクラスメートと勉強して、午後イチに国際金融のテスト。その後ちょっと空きがあったので、DS-2019(Jビザ学生の滞在許可証)の更新作業に着手。その後中国語のペア寸劇の相方である2年生の女の子と雑談したり練習したりして、夕方から中国語の試験。

○午前中。国際金融の試験に備え、これを履修しているクラスメート数人で最後の詰め。互いに理解が不十分なところを教えあった。男三人で、f*ckを連呼したりわざと放屁したりする感じの雰囲気(自分はたまに恐る恐るスラングを試したりしたが、基本的にはスラングやら放屁音を聞いて苦笑する役割)。

○国際金融の試験。これでもかと言わんばかりにあの手この手で為替リスクの測定やらヘッジやらデリバティブの計算やらをさせられたが、こうやって解いてみると、完璧とは言えずともそれなりに色々と使いこなせるようになっている自分を発見して軽く嬉しくなった。ただし出来は不明(問題数多杉)

○ビザ関連書類。Jビザ用の滞在許可証が1年分しかもらえていなかったことにより、滞在許可の書類(DS-2019)を更新しても、いったん米国外に出てどこぞの領事館・大使館に行かないとビザの更新ができないと言われてしまった。出国前に旅行代理店から警告を受けていて「本当に大丈夫なの?」→「大丈夫」というメールの履歴があるので恨み節を言ってみたが、ソーリーソーリーで終了。こちらとしても「金があればヨーロッパとか行ってみたいかも」くらいしか米国出国→再入国シナリオがないことから、ブツブツ言いつつ泣き寝入りという落としどころが見えていて不愉快。必要なサインをもらうにあたってはたらいまわしを食らうなど。渋谷区役所の窓口の方が100倍は親切だったぞ、というか渋谷は区役所も税務署も対応が神クラスだったなあ。。

○中国語。マンツーマンで問答→作文→ペア寸劇を一日でこなしヘロヘロだが、ここ数日みっちり中国語をやっていたおかげで瞬間風速的に「ちょっとわかるようになったかも」感がありまんざらでもない感覚。中国語と日本語は実に似ていて、しかも中国語と英語も別の角度で似ているところがある。おかげで、頻繁に「あ、これは日本語の●●と一緒だ」といった感じのちょっとした知的快感が得られ、非常に楽しかった。引き続き続けたいので、関連する学部のプログラムを研究している。現在、「中国語は帰国後も学べるが今しか学べないものが他に~」と「語学は継続が重要なので途切れさせるのは~」というあたりで煩悶中。

トータルとして、試験をこなした達成感とUCLAの事務員の対応の悪さに対する辟易で、ニュートラルな一日といったところだろうか。

Wednesday, June 1, 2011

レインシャドウ

水曜日。

定休日なので、明日の試験のための一夜漬けにはもってこい。ではあるのだが、「まあ一日フルに使えるわけだし」と気が緩む。その結果、「まあ明日の試験は中国語だし、ね」みたいなノリで車で45分くらいかけてDin Tai Fungへ。(ここは紙に書き込む形で注文するので、中国語の練習にはならない...)そこでおなか一杯食べた後、「まだまだ時間はたっぷりあるし」ということで、帰り道にあるパサデナに寄り道。入った駐車場がフラットレート7ドルだったので、元を取らねばという思いに駆られオールドパサデナを散策。そうこうしているうちにいい時間となり帰宅したが、疲れが出て昼寝。って勉強する時間が少ないし、郵便局に行くのも忘れているし。

パサデナに寄ったのは、最近妻がパタゴニアのジャケット(ウインドブレーカー)に興味を持っていて、パタゴニアの店舗がひとつパサデナにあるから。買うのはどこぞの割安サイト経由になるのだが、とりあえず実物を見てできれば試着してみたいとのことで行ってきた。で、ほとんど予定調和のような形で、自分もひとつジャケットが欲しくなってしまった。ということで、以下は自分の物欲(煩悩)を和らげるための完全なる独り言。


・自分は日本で既に一着、トレントシェルという比較的リーズブナブルなジャケットを一つ購入してしまっている。もう一つ買うとなると、そいつはどうするのか、悩ましい。

・とはいえその既存のトレントシェル君、自分にとって初めてのパタゴニア製品で、研究不足のまま勢いで買ってしまったもの。そのため、不満がいくつかある。具体的には、自分にはMサイズは丈が長すぎる。また、トレントシェルの前方のファスナー部分のフラップ(でいいのかな?ファスナーの他についているマジックテープのこと)が格好悪いし不便。意図せずともマジックテープがくっついてしまうので、脱ぐときに毎回マジックテープを外してさらにファスナーを...とせざるをえず面倒臭い。そして、ノリで選んだ茶色がやや重ったるく、LAの気候と茶色がマッチしない。これらの結果、冷房が寒い学校において有用な存在となりうる既存トレントシェル君は、丈が長く着脱がやや面倒で色が秋冬っぽいことからあまり出番がない状態。
なので、MではなくSで、マジックテープがないデザインで、比較的重たくないカラーリングのジャケットを買うことができれば、それは既存のトレント君より著しく活躍してくれる可能性が高い。。。

・とは言え、新しく欲しいと思っているレインシャドウという製品が、トレントシェルとかなりカブってしまっている。
多少素材だか製法だかが違うらしくその結果トレントシェルよりも軽いらしいが、登山するわけでもない自分にとってその軽量化によるメリットは正直皆無。自分がトレントシェルではなくレインシャドウに価値を見出しているのは、ひとつは前方のデザイン。フラップ(マジックテープ)がなくジッパーだけなので、着脱も便利だし見た目もすっきりしている。あとはカラー。廉価版のトレントシェルにはないカラーパターンが存在する。あとは「廉価版でない」というステータス(照)。。。
自分にしかわからないような丈の長さの改善やデザイン・カラーリングの違いに対してあらたに百数十ドルの支出をする、はたしていかがなものだろうか...少なくとも、仮に妻がトレントシェルを持っていてレインシャドウを欲しいと言い出したら、かなりの自信をもってNoと言っている自信がある...

・と理性が自分に抑制を示唆する一方、悪魔がまた別の観点から誘惑をしてくる。なんとびっくり、パタゴニア、日米で価格が驚くほどに異なるのだ。レインシャドウだと、米国の定価が$179で、日本の定価が¥27,300.手元の計算によると、$179は約¥15,000.って殆ど日本の半額じゃないですか。
日本にいると腹立たしい以外の何物でもないのだろうが、ひとたび既得権の側(米国ディスカウントを享受する側)に来てしまうと、つい悪くない気分になってしまう。だからといって、日本でも高値で買って、こちらでも殆ど同じものを安いからと言って買うことまで正当化されるとは思えないけど。。

・自分は米国アパレルブランドがあまり好きではない。なんというか、「愛用者が特定の国の出身者に偏重してしまっているブランド」か「あまりに作りが安っぽいブランド」のどちらかに該当するものが多くどうも購入意欲がわかずあまり服を購入していない。
また、おそらく、自分はここアメリカでスーツを新調することもないだろう。となると、留学期間には比較的被服費がかからないことになる。
であれば、このくらい買ってもバチは当たらないのではないだろうか(完全なる自己正当化...)


と色々書いて溜飲を下げることで、少しは落ち着けた気がする。明日になって物欲病が再発していないことを祈るばかり。