Friday, June 10, 2011

ラスベガス・グランドキャニオン(2)

今日は学校で2年生の卒業式があったらしい。自分の場合、2年生にウマが合う人が多かったので(年齢も学年も上の先輩に「ウマが合う」はやや失礼かな..)、彼らが学校を離れてしまうのは残念。また、彼らが卒業式をするということは自分がアメリカにいられるのも約一年となったということ。その昔大前研一が「自分が食べることのできる夕飯はあと18,000食しかないことに気づき、そこから時間の使い方が変わった」といったとどこかで見聞きしたことがあるが、その心情は大いに理解できる。ただ、18,000回という数字を見て危機感を感じることができるかというと、おそらく自分には無理だと思う。あと365日と言われてもまだそんなに焦ったりしていないので...


○今日はWilliamsという60年代テイストが色濃く残る街のホテルを出て一路グランドキャニオンへ。Williamsからグランドキャニオンは約50マイルと近く、今回の旅行では今日の移動距離が最短(100マイルちょっと)で楽だった。また、この日もWilliamsに宿泊しているのだが、ここには子供が遊べる遊具のある公園があり、そろそろ車に乗せられるばかりで自分の好きな遊びがあまりできずにフラストレーションがたまってきていた娘もいいガス抜きができたようだ。移動距離が短かったことや公園で一時間近く遊んだことなどから、今日はいい感じに中休みができたような感覚。


○今日の朝食は秘密兵器・おにぎり。自宅から炊飯器・変圧器・米・塩・おむすび山を持参したのだが、これは大当たり。生き返った気分。このような生き返り感は、新婚旅行でNYCに行った際の5日目くらいにチャイニーズレストランで温かい烏龍茶を飲んだとき以来かもしれない。おかげで昼食のホットドックのパンがパサパサ・ソーセージは何時間前から保温してあったんだよ的代物であったが、さして腹は立たなかった。
MBA病かもしれないがあえて教訓を整理してみると、日ごろから小さなストレスを小まめに潰しておくことで、ささいな追加的な不愉快に切れてしまう可能性を低下させることができるということなのかもしれない。具体的には、帰国後も精一杯色々と息抜きをしないといけないのであろう(と、帰国後もゴルフやら何やらすることに対する言い訳を今から準備してみた)。夕飯はにじやで買い込んでいたカップ麺。これまた懐かしの味で良かった。一平ちゃんなんて日本では毒々しいので絶対に手を出さなかったものだが、ここアリゾナの地では魔法のように美味しく感じられた。


○グランドキャニオンは驚くほどの壮観。見下ろす景色の高さ・雄大さに思わず足がすくんでしまった。すごすぎてギャグかと思った。
しかし、自然もたいがいにすごいが、そんなグランドキャニオンのそこかしこに道やら何やらを作ってしまう人間はもっとすごい。こんな高いところに延々と道作ってしまうあたり感服のひとこと。色々なポイントから神々しい景色を見て驚愕させられたが、そのたびに、「でも、そこに既に道が作られていてバスが走っていたりすることの方がすげえよなぁ」と思いが優った。
グランドキャニオンを見ると、「人間が自然を征服する」という思想がまったくもってナンセンス、どだい無理であることが非常によくわかる。しかし、その一方で「自然を利用する」、あるいは「自然の力を借りる」ことに関する人間の能力や叡智と言うものに対して大きな希望を感じることができる。日本とか米国にいて主に経済や金融の視点からものごとを見ている自分は、つい人間の力に対する限界のようなものにばかり目をやってしまいシニカルになっていたように思う。しかし、グランドキャニオンに作られた多くの人工物は、自分の委縮した心に再び火を灯すには十分すぎるほどのインパクトを持っていた。


○それにしても、グランドキャニオン構内に近所のラルフスよりもでかいスーパーがあることに驚き。キャンプ場やロッジがあるから別におかしい話ではないのかもしれないが、こんなところにこんなどでかいスーパー作らなくても...とつい思ってしまった。また、Willamsもとても小さい街なのに、ものすごくでかいSafewayというスーパーがある。おそらく町の最大の雇用源であろうが、けっこうな数の小売店を潰して町のコミュニティの形を少なからず変えたんだろうなぁと妄想。まあ良い悪いという話ではないんだろうけど。