○今日までに春学期の成績がすべて出揃った。5つ中4つは悪くなかったのだが、唯一、必修の組織論が、学期中に起こったトラブルの結果とても残念な評定となっていた。
○トラブルの内容を踏まえると、この結果は、むしろ不可にならなかった点において朗報なのかもしれない。あるいは、今回の結果は想定の範囲に収まっているのだから、想定内の出来事が起きたくらいでいちいち一喜一憂していては駄目なのかもしれない。等々理屈では理解できるのだが、いざ実際に結果を見るとさまざまな負の感情を抱かずにはいられない。実際の結果が「想定の範囲内におけるベストシナリオ」ではなかったことに対する落胆。トラブル関係者に対するもう何度目になるかも思い出せない感情(怒り、という言葉だけでは説明しづらい何とも残念な感情)。たかが成績、何をそんなに悩むことがある。そういう風に理の部分では考えることができるのだが、情の部分の揺らぎを抑え込むことはできていない。
○MBAの雰囲気に感化されているところがないとは言えないが、自分は(少なくとも今は。自分の考える限りでは昔から)失敗は成功の母であるとわりと真剣に信じている。その一言で集約されているといえばそうなのだが、あえて蛇足的に具体化を試みると、自分は以下のようなことを信念としてもっており、失敗を恐れずに行動したいと思っている:
①やみくもな努力や苦労が報われる保証は全くない(好例:自分のゴルフ練習量とスコアの相関)が、失敗すればそのおかげで努力すべき方向が明確になるので改善・成長につながる「ヒット率」が劇的に高まる
②失敗することで自身に生ずる負の感情(恥ずかしい、情けない、むかつく、恰好悪い、がっかり、等々)は不快であり、その感情を払拭したいというインセンティブは自身を突き動かすドライバーとしてはかなり高性能である。
③自分のような凡人には、そもそも失敗しないとやる気がでないことがしばしば
④致命的な失敗などそうは存在しないので、失敗により得られる果実を考慮すれば失敗を恐れる必要はあまりない。会社勤めであれば失敗のツケの相当部分は会社が負ってくれる。学生のときは責任の全ては自分に降りかかるが、実際今回の自分のトラブルでも致命的なことは何も起きなかった。将来会社の庇護下を離れ自分の腕一本で勝負するその時につまらない失敗で死ぬくらいなら、今失敗してその失敗に対する「予防接種」をしておいた方がまし。仮にその社内での出世が駄目になったりしても
○なので、失敗は自分にとってVery Welcome。今年一年だけでもかなりの数の失敗をしたが、その殆どは現在までに自分の血肉とすることができていると思っている(思い込んでいる)。失敗の殆どを「まあ色々文句言われたし痛い目にあったりしたけど、今となってはいい経験。むしろ、いい経験となった点において、もはやこれは失敗ではなく、成功」とポジティブに捉えている(単なる自己正当化とも言えるが)。
逆に、失敗する以前のところで行動せず立ち止まってしまったことに対してはとても大きな後悔を抱いている。後悔できているならまだいいが、行動しなかった結果としてミスなくつるっとソツなく終わってしまった出来事の多くは、後悔も何も、まったく記憶に残っていない。血肉云々どころかNothing。
この一年で「反省余地も何もない、ただひたすらに無駄で愚かな失敗」というのは、焼肉屋でうっかりトウモロコシをかじって前歯を再び折ってしまったことくらいだろう。19歳で一度歯を折って以来トウモロコシなどそもそも食べもしなかったのに。。本件だって「トウモロコシには気を付けろ」という教訓を得る余地があるとは思うが、いかんせん自分の歯がもうないのでこの教訓を活かしようがない。
○と、ここまで失敗賛歌を展開してきた。失敗は成功の母。行動せず失敗しないよりは行動して失敗する方がまし。失敗の多くはやがて血肉となり、成功と再定義できるようになる。
とはいえ、短期的には、やはり失敗はとてもこたえる。きつい。辛い。理性を失うし、顔も真っ赤になるし、壁にパンチして内出血したりもする。行動せず失敗しなかった人にせせら笑われているような気持になり恥ずかしくなったりもするし、失敗の結果もたらされる悪影響を必要以上に心配して禿げそうになることも多々ある。いくら自分が「長期的には失敗は成功」と信じていても、失敗したその瞬間にはそのような悠長なことを思う余裕はない。
○自分は今回のトラブルにおいて自分がやってしまった失敗から、やがては多くのことを学ぶことができると思っている。既に多少のことは学べているかもしれない。
でも。それはそれとして、やはり失敗に伴う悪い結果が出てしばらくは、少なくとも悪い結果が出た当日は、自分の感情は思うようにコントロールできないものだ。残念だが自分はゴルゴではないので、そこまで立ち直りを速くすることはできそうにない。残念だがその感情は今のところ自分の中に大きく存在しており、制御しきれそうにはない。
この雑文を読んだ将来の自分が、冷静を取り戻し本件から何かを学び取っていてくれることを、そして「そんなこともあったなぁ」と笑い飛ばせるようになっていることを期待して...