Friday, July 1, 2011

引っ越し

○今日から7月。毎日月初に家賃を払うことになっているので管理人のオフィスにて家賃を支払い。

その際、今月で契約が切れる入居契約について、来月以降の契約条件について聞いてみた。すると「この一年間は、年通算で1か月分割引していたが、最近は賃貸市場の動向も良いので割引はなし。今年は11か月分だけもらっていたけど、来年は12か月分きっちりもらうことになる」と管理人のおばちゃん。

なんとなくそんな予感はしていたのので聞いてみたのだが、まさか本当に割引がなくなるとは。。。困ってしまった。年通算で11か月分を払っていた現行の家賃だとギリギリ家賃補助の範囲内で自己負担はゼロだったが、12か月分になってしまうとだと毎月百数十ドルという規模で家賃負担が家賃補助の限度をはみ出してしまう。年換算にして2,000ドル弱。千ドル単位の金に一喜一憂して旅行に行こうかどうしようか悩んでいる身としては、はいそうですかと年間2,000ドル弱の負担を受け入れることはいかがなものか。。

そこで、おばちゃんに「出ていくならいつまでに連絡すればよいか」と尋ねてみたところ、「退去日の30日以上前なので、最終締め切りは今日の夕方、ぐへへ(ぐへへは創作)」とのこと。どしぇ、引っ越すかどうか、今日中に決めろってか。。

主な論点はこんなところ:

・このまま居続けると・・・
(○)引っ越しの手間が発生しないので楽。家具付きなので、新たに家具を買う必要が生じない。
(▲)年間2,000ドル弱の負担が発生。

・引っ越すと・・・
(○)(派遣元の家賃補助の限度内の部屋を見つけることができれば)家賃に関する自己負担が発生しない。
(▲)引っ越しの手間。ソファーやら何やら、家具を買う手間および金銭的コスト。

で、冷静に考えると答えは簡単で、「派遣元の家賃補助限度内の部屋を見つけることができるのであれば、家具など全部あわせても2,000ドルはしないだろうから、引っ越すべき」と言う感じになる。自分もおばちゃんとの会話を終えた直後にその結論に到達することはできたし、妻も同様の意見で、結局その日のうちに部屋探しをして、偶然空いていた近隣の(というか、隣の)アパートを見つけてそこに来月から引っ越すことにした。


○ということで、結論だけ見ると「来月から引っ越しすることで余計な金銭負担を軽減することができた」というキレイな話。賢明な選択をすることができました、良かったね、めでたしめでたし。自分の記憶が正しければ、人生通算10回目の引っ越しとなる。会社入ってからでは5回目。引っ越し回数だけでいえばまったくもってノマド的であり流行を抑えている感じでGQに取材してもらってもいいくらいだ。

と、最終的な決断および結論だけとるとイイハナシなのだが、その決断に至るまでの自分の思考プロセスがちょっと気持ち悪かったので書き留めておく。

おばちゃんから状況(今日までに出ていくかどうか決めろ、出て行かないなら家賃は月にして百数十ドル増し)を聞かされたときの自分は、「冷静に考えれば、きっと出ていくのが良いはず。でも、うーん、なんというか、このまま出て行かなくてもいいかもなぁ。百数十ドルくらい、どうってことないよな」とという思いに結構支配されていた。

うーん、薄々わかってはいたが、自分に根付く「惰性」、あるいは「現状維持の選択肢と、何かを捨てて新しいものを求める選択肢があった場合において、現状維持になびいてしまう傾向」はかなり強いようだ。
瞬間的・本能的に現状維持を正当化するような理由を思いついてしまったり、そうした現状維持を正当化する論点を過大評価してしまったり、捨てることやチャレンジが伴う選択肢を正当化する理由を軽んじてしまったり。

これがシリコンバレーあたりだと「現状維持と、チャレンジという2択であれば、そこにチャレンジがある時点で迷いなしでチャレンジ」みたいな感じになるのかもしれない(ちょっと言い過ぎか。自分の理解は、「VCやら求人やらが他地域と比較して多いおかげで、シリコンバレーではチャレンジする価値が他地域より高いことからチャレンジすることが合理的というだけであり、人々の理性がチャレンジ寄りにズレているというわけでもない」という理解だけどどうなんだろ)。

そういう判断をする人(上記のような、仮説的シリコンバレー住人)は、自分とは逆に、現状維持を正当化する論点を過小評価してチャレンジを正当化する論点を過大評価したりするのかもしれない。自分はてっきり、「MBA、とくにアメリカ西海岸のMBAなんかに来たら、自分もそういうチャレンジ大好き人間になって日本に戻ることになるのではないか」などと妄想していたが、今回の引っ越しの件ひとつとっても、自分がまったくもってチャレンジャー的精神構造を獲得できていないことを痛感させられる。


○何の根拠もない極めて主観的な話になってしまうが、自分は今後の日本、あるいは今後の自分にとって大事なものは「仮に今持っているものがまだまだ価値を持っていても、それでも何か新しいものを求めて、今持っているものを捨てる勇気」だと感じている。「今後の日本」については余計なお世話か。。

「今持っているもの」が将来的に価値が上昇すると信じることができるのであれば捨てる勇気などさほど重要ではないが、自分の場合、将来値上がりが期待できる「今もっているもの」は家族くらいしかない。今の勤務先における正社員というステータスも、今自分がもっているファイナンスの専門知識も、車も何もかも。金融資産だって将来のインフレやら何やらを考えたら価値向上は疑わしい。他の皆は相変わらず「今持っているもの」に対してBullishで居続けられているのだろうか・・・?

もちろん、理屈をこねると、今持っているものが値上がりしそうにないからといってそれを捨てることにより得た新しい何か(例:新しい職)の価値が既存のものより高くなるとは限らない。転職して待遇を落とした人もゴマンといるだろう。それでもなお、自分が一度何かを捨てて次の何かに飛び移ったことにより得られる流動性のようなものの価値を踏まえると、やはり既存のものを捨ててチャレンジすることは、トータルでプラスになるように感じられるのだがどうなんだろう。

自分は転勤やら出向やら留学で新しい環境に行けたことが自分の人生に大きくプラスになったと思い込んでいる。いまでもこういった「転身」が自身にプラスになったことは疑っていないのだが、今回の引っ越しにおけるモジモジの件を経て「プラスはプラスだが、転勤も出向も留学も自ら決めたことというよりは、会社に与えてもらったものに過ぎず、思っていたよりは価値を割り引く必要があるかも」と思うようになった。もちろん出向やら留学やらは会社に強く希望しているので、プロセスにおける自身の関与がないわけではないが、やはり最終決断は会社というのではちょっとその転身の価値が薄まってしまうと思う。

自分の会社の同期でも何人か会社を辞めて違うことをやっている人がいるが、彼らの「新しい何かのために、100%自分の意思で、会社を辞める」という行為が彼らに付与した価値(捨てた経験それ自体の価値やら流動性やら)と比べると、自分が転勤やら何やらで得た転身による価値はだいぶしょぼい、そんな感じがしている。

今回の引っ越しの件で改めて気づかされたが、あと一年でこのマインドセットをどげんとせんといかん。「Comfortableな現状維持とUncomfortableなチャレンジ」みたいな二択はMBAで死ぬほどあったし、たぶん2年生になってもまだあるはず。安きに流れる自分の気持ちは十分理解できるのだが、そこは踏ん張ってなんとか頑張るべきなのだろう。

と捨てる勇気云々いいつつも、今の派遣元やら何やら、今持っているものに割と愛着をもってしまっている自分。。捨てる云々言っていたら、捨てる前に妻とかに捨てられるのが先だったりして。。