Tuesday, July 26, 2011

Can I speak English?

○留学する前に心配だったことの一つが、自分は留学したらちゃんと英語を使えるようになるのかということ。脳も耳も衰えている今、たかだか2年だけアメリカで暮らしたところで英語は身につかないのではないか。帰国後国際的な部署に配属されても、電話ひとつにもろくに対応できず周囲の失笑を買ってしまうのではないか。エセ国際派とか陰で言われて落ち込むくらいなら、いっそドメドメでいいのではないか...渡米するまではそのようなことを結構心配していた。

○で、一年たって自分の英語力はどうなったのだろうかという話だが、一言でまとめると、
「実力が向上したかどうかは??だが、確実に要領は良くなったので、結果として意思疎通に困ることは減った」という感じ。

○まず実力について。自分の定義するところの実力とは、ボキャブラリー・聞き取り能力・発音の良さ・文章力といったあたり。要はReading / Listening / Speaking / WritingということでTOEFLそのもの。これらについては、日常や学校を通じて自然と語彙が増えたりする部分はあるが、基本的には殆ど上達していない気がしている。やはりこういった地力のようなものは、『英単語3300』を短期間で叩き込むとか発音のトレーニングを受けるといったそれ専門のトレーニングをみっちりやらないと上達はしないように思われる。場馴れだけでは限界がある。

○他方、実力とは少し毛色が異なる「要領」は確実に向上し、その結果として意思疎通に不自由することは減った。
要領を定義するのも難しいが、自分がイメージするものは以下のようなもの。実力と異なり、要領は場馴れでかなり改善しうると感じている。

・広義のボキャブラリーというか、英語話者が共有する「文脈」のようなもの:日本語でもそうだが、英語でも相当程度「うんと言えばすんと言う」「あ、うん」のような定型的なやり取りが存在する。アメリカで暮らすことでその手の定型パターンを体得することができると、聞き取りが格段に簡単になる。日本における例を挙げてみると、たとえばコンビニでの「細かくなってもよろしいですか」とか。いくら日本語に詳しい外国人でも、この質問が「釣りは5千円札ではなく千円札5枚でも良いですか」と言う意味であるとぱっと分かる人は少ないのではないか。アメリカでもこのような「ネイティブには当たり前、外国人にはなんのこっちゃ」みたいなものが結構ある。実際暮らして、「わからないで困る→わかって合点→使えるようになる」というプロセスを経ることで、相手の発音を100%正確に聞き取らずとも相手が言おうとしていることがわかるようになってきている気がする。

・ロジックの組み立て方:同じことを言うにも、日本語の直訳ではうまく伝わらず、英語的なロジックで書いたり話したりしないと伝わらないということがよくある。このような「英語的なロジック」は、日本でもある程度学習することはできるだろうが、やはり実際現地にて体験すると「なるほどな」と思う深さや頻度が格段にちがう。

・自分の発音に対する反応:自分の英語はカタカナ英語に毛が生えたレベルであるが、それはそれとして基本的には話した内容の殆どは一発で相手に通じる。といっても勿論完璧とは程遠いので、一部の発音については、相手に「えっ?」と聞き返されてしまう。聞き返されてしまうことについて反省すべきと言えばそうなのだが、外に出ればいくらでも聞き返してくれる英会話の相手がいるということは大きい。何が通じて何が通じないかわかってくるので、通じない発音についてああだこうだ改善しようと思うことができる。その結果として、たとえば自分なりにLとRを使い分けることができるようになったり、伝わりづらい発音については意図的にゆっくりイントネーションを明確にしゃべることができるようになったり。

・間違っても全然オッケーという安心感:こちらに来て驚いたのは、アメリカ人同士の会話でもけっこう頻繁に「Say it again please?」とかがでてくること。ネイティブ同士でも100%完璧な意思疎通ができているわけではないのだ。しかもアメリカにはかなりの数のメキシカン・インド人・中国人等完璧ではない英語を使う人がいるわけで、日本と比べて「言語を完璧に使いこなさないといけない度合い」が薄いし人々のハードルも高くはない。アメリカに溶け込もうとしている姿勢は強く求められていることから努力している態度は示すが、結果として流暢な英語を話せなくても全然OKなのだ。ミスしてもいいからとにかく言いたいことをいう、ミスに躊躇して言わない方が駄目という感覚をいったん会得すると、コミュニケーションに対する心的ハードルがかなり低くなった。


○と言う感じで、ちゃんとしたトレーニングを要する実力改善はあまりなされていないものの、場馴れにより要領がよくなってその結果意思疎通にあまり苦労しなくなったという感じ。心配していた状態よりはマシなのでほっとしているが、とはいえやはり実力がついていないことに対する残念さのようなものもかなりある。現時点での自分の根拠レスな結論としては、「実力をつけたいのであれば、高校あるいは大学から留学すべき。社会人留学でも要領改善によりなんとかなるが、やはり限界はある」と言う感じなのだがどうなんだろう。