Saturday, March 31, 2012

7年目Done!

今日は年度末。留学中なので実際的には何ら関係ないが、社会人になってからちょうど7年が経過し、自分もちょうど30歳となるので割と感慨深い。

幸いなことに、これまでの7年は、会社が要所要所で転機を用意してくれたので、飽き症の自分であるが飽きたりすることなくノホホンとここまでやってくることができた。支店にも行けたし、役所にも行けたし、留学も行けたし。自分は飽き症な社会不適合者だという自覚があるので、このキャリアパスはかなりの結果オーライと思っている
(そんな自分の適性っちゅうか不適性を見極めた会社側が、それに応じたキャリアパスを提供してくれているのかもしれんけど、、、掌の上の孫悟空...)。

早いタイミングで結婚して、子供もできたこともかなりの結果オーライだった。家族が出来たことで少なからず責任感のようなものができた(と思い込んでいる)し、独身のときと比較してストレスが顕著に少ない気がするし。

さあいよいよ、この留学が終わったら、いよいよ人生/キャリア/父親業どの観点から見ても新しいステージ或いは”本当の勝負”が始まる。けっこうワクワクしていて、卒業を3か月後に控えて帰りたくない半分、早く帰って色々なことをやりたいというウキウキ感半分という心境になっている。

色々目標のようなものはゆるーく存在しているのだが、せっかく卒業まであと3か月あるので、ここで帰国後の目標を固めず、もうちょっと構想を練る時間を確保してみたい。ちょっと真剣に今後の身の振り方を考えて、できれば帰国後スタートダッシュをキメたいものだ。。

Wednesday, March 28, 2012

Don't rain on someone's parade

先日、学年全体向けのMLで、こんなやり取りが展開された:

・生徒会メンバーのG君が「XXXというイベントをしたいと思っており、関心がある人は連絡くれ」というメールをしてきた

・自分は関心がなかったのでスルーしたのだが、

・とある学生が返信で「XXXというイベントはナンセンスではないか」という議論を投げかけ、さらに一人がナンセンス論に同調した(やり取りは全て学年全体に届いている)

・その後他の生徒会メンバーから「まあまあ、そういう考え方もあるかもしれんけど、ナンセンスということもないだろう、俺は関心あるよ」というやんわりとした反論メールが来て、

・最後に、言いだしっぺのG君。温厚な人なのだがどうも思うところがあったようで厳しい反撃:「自分は、そのイベントに関心があるか聞いているだけで、そのイベントについて哲学論争をするつもりはない。興味がないなら無視してくれればそれで十分で、興味がある他の人の邪魔はしなくてもいいだろうに(Let's not try to rain on someone else's parade)」。



色々論点はあろうが(自由意見を言っただけでそこまで怒らなくても、、、等)、自分は本件それ自体というよりは、G君の「Don't rain on other's parade」という発想にわりと考えさせられた。

政治や思想に不勉強なので正しいかどうか全く不明だが、自分はこの発言からG君の強いリベラリズムを感じた。自分にとってのリベラルとは「俺はあなたの邪魔をしないので、あなたも俺に干渉しないでくれ」というもの。自分の中で対立的な概念は共和主義・保守主義といったもので、「公共の利益・『正義』・その他各種rationaleがあるのであれば、俺はあなたに干渉しうる」といったイメージ。

アメリカに来て、あるいは年を取ってだんだん自覚的になってきたが、自分は上記の対立軸で言うとややリベラル寄りであるように感じている。
・他人のことが気にならないわけではないが、それ以上に自分のことを邪魔してほしくないので他人に口を挟むのを避けたり、
・自身の行動あるいは考え方の修正・変更を求めてくるような相手に対して、相手もびっくりの早い段階で声を荒げてしまったり(自分がかっとする理由の8割は「干渉はやめてくれ」で説明できてしまう気がする)

だからかわからないが、留学前に新人研修を受け持ったときは、最初自分が彼らに助言しているのか干渉しているのかわからず混乱し、やっていて気持ち悪くて仕方なくなってしまった。途中から、意識無意識に、演技するというか「教える自分」みたいな言わば別人格を使うことで気持ち悪さをバランスさせていた気がする。そして今では、一部言動を通じ、助言を超えて干渉をしてしまっていたような気がしており反省している。

あるいは、留学してから一度だけ自分でもわかるくらい激昂してしまったことがあったのだが、それを今思い起こすと、相手が「自分にはお前の行動を変える権利がある」と明示的に主張したことが一番カチンと来た。自分の奉じるリベラリズムが、万人が当然に共有する前提であるかのような錯覚を持ってしまっていたので、相手が当然であるかのごとく干渉してきたときにカッとしてしまったのだ(まあでも、その経験以来、リベラリズムは複数ある思想の一つに過ぎないと自覚することができたのでその口論を今では感謝しているが)。

といいつつ自分は、完全にはその思想を実践できておらず情けなさを感じ続けている。
・人に干渉するなと言いつつもついつい他人の行動に口を挟んでしまうこともあるし、
・本人に言わずとも、ブログや家族とかに「あいつがさぁ、、、」と愚痴を言うのは日常だし
・そこまで深く考えているわけではないが、徴兵制やら各種法制度とか、そういったものを無制限に嫌っているわけではなく、むしろ最低限のルールは社会が社会であるための潤滑油として必要だと思っていたり
とか。

つまり、自分は「いい意味でのリベラル」でありたいと思い他人にはそれを多かれ少なかれ要求しているくせに、自分自身についてはその原則を完全には適用できていない大甘野郎であると自覚している。

とりわけ、自分が選んだ(あるいは結果的に進むことになった)道とは別の道に進む人のことを腐すことで自身を正当化させたいというしょうもない衝動がときどき増大して、明示的に他人の行動を腐してしまうことが多い。進路とか、ライフスタイルとか、果ては着る服のブランドとか。もう自分がポジションを取っているものであれば何でも。

そんなしょうもない人間であると最近問題意識を感じ続けていたので、G君の「他人の足まで引っ張らなくてもいいじゃないか」という発言はまるで自分への言葉であるかのごとく刺さってしまった。自身の内奥にリベラリズムを感じているのであれば、ある程度、その原則を貫く必要がある。すなわち、干渉が嫌なら、他人のパレードに雨を降らせるようなことをしてはならないのだ。

とはいえ自分のしょうもない性質は一朝一夕では改善しないだろう。長期的には自身のリベラリズムを徹底させる習慣を形成するのが解決策であろうが、短期的にはどうしたものか。自分がいま短期的な(もしかしたら長期的にも)ひとつの解決策になりうると感じているものがいくつかあり、その一つが(匿名での、あるいは非公開での)ネット発信。つまり、ブログやツイッターにネガポジ含め感情をぶつけるという行為もある程度は正当化されるのではないか、というのが今日の結論のひとつ。公人として発言していくのであれば、その発言に一貫性が求められるし一言一言にマーケティング要素を込める必要性も出てくるが、その点、匿名でやっている今のブログというものは、今まではあまり自覚的ではなかったが、自身の精神的均衡を保つのにそこそこ役立っているのかもしれない。一言で言うなら、「人への愚痴や文句、止められないならブログやツイッターなら構わないから、その分対人では慎め」と言う感じだろうか。ニュートラルな発想ではないかもしれないがそんなことをG君のメールを契機にふと思った。

Tuesday, March 27, 2012

アラスカ

冬休みを利用してアラスカへ。

○ 近隣に停留所があるFlyawayを利用したのだが、もたもたしていたらバス停についたのが出発予定時刻10時を3分過ぎたあたり。あーやっちゃったと思ったらバスがまだいてラッキー。と思ったら、運転手がものすごくもたもたしていて、結局出発したのが10:30くらいで、結果論的にはバス停まで走ったのが無駄に。。

○ 行きは2回乗り換え(LAX-ソルトレークシティ-シアトル-フェアバンクス)。正直メンドくさいと思っていたのだが、やってみるとこれはこれで悪くない。それぞれのフライト時間が90分から3時間程度に抑えられるので、自分も娘も飽きたり酔ったりすることが少なくストレスが随分低減した気がする。
※乗るたび、コーラ(or各種ソーダ類)とスナック小袋というコンボをつい食べてしまったので胃はやられたが、、

○ フェアバンクスからはロッジの人の送迎によりロッジへ。そのロッジは食事はセルフサービスなので、道中Walmartに寄ってもらって食材を仕入れて(LAでも相当量準備していたが、液体とか飛行機に持ち込めないやつ)。アラスカ=極寒のど田舎=何にもない、、、みたいな想像をしていたが、さすが州内第二の都市のフェアバンクス、Walmartだけではなく一通りなんでも揃ってた。

○ で、3泊4日でロッジに滞在。創業者の一人が日本人という珍しいロッジで、客の多くは日本人みたい。昼はロッジ周辺で雪遊びをしたり、ロッジの方と世間話したり、ロッジの方の子供と娘を遊ばせたり。このような部屋拠点にまったりという旅行は先日のパームスプリングスもそうだったが、子連れだとこのくらいの方が気楽で楽しいかも。

○ 零下マイナス10度くらいの環境だったのだが、覚悟を決めていることやバッチリ着込んでいることからか、体感的には「そこまで寒くない」といった感じ。とはいえ装備がやや甘く、下半身はジーンズにいつものナイキのスニーカーだけだったので、雪遊びの最中にやや自分の装備不備がうらめしくなった(調子に乗って雪山に下半身全てを埋め込みつつ歩いたら、あやうく凍傷になりかけた)。

○ 娘は最初は雪にもびびり気味だったしソリも一人では滑れなかった。しかし、ロッジの子(娘と同年代の男の子で、当然ながら雪遊びが超うまい)と雪遊びしているうちに、その子の真似をしようしようとして、いつの間にか色々なことを怖がらずにできるようになっていた。自分と娘だけではなしえなかった短期的な成長に驚愕。

○ 夜はオーロラを見るべく夜更かし、、、のつもりだったが、初日2日目は普通に寝てしまった。最終日の夜は大当たりで、オーロラが破裂(?)して非常に壮観で感動。ロッジの方にちゃんとした写真(ISOを多めにして、シャッターをゆっくり切るみたいな?)を撮ってもらったので家に届くのが楽しみ。

○ でLAX戻り。その日は疲れをとるべく焼肉→バタンキュー。

○ それにしても、今回の旅行では、日本を意識させられることが多かった。
・ロッジが日本人とアメリカ人の共同経営で、外国で働く/外国で起業する/外国人と一緒に働く/etc という観点で色々考えさせられた
・そんなロッジゆえか、顧客の多くも日本人。宿泊客はアメリカ人が多いそうだが、「別の場所の宿に泊まり、夜だけオーロラを見るべくロッジに来てまた宿に戻る」というスタイルの日本人団体観光客が多いとのことで、自分達が滞在していた期間にも実際そのような日本人グループが多かった。入れ替わり立ち替わり日本人が大挙してロッジに押し寄せる状況だけ切り取ってみると、日本って本当に経済的に苦労してるのか、、、みたいは疑問がふと頭をよぎる。
・フェアバンクスの空港、JALとかではなくアラスカ航空の担当係員が日本人でびっくり。
・シアトル空港はターミナル間をモノレールのようなもので移動するが、その電光掲示板や車内放送が、なぜか英語と日本語のみ。スペイン語や中国語に加えて日本語、というのならわかるが、なぜ日本語オンリー?

等々。なんというか、グローバル化とか言われているし自分もそういった方向性でキャリアを進展させていきたいとか夢想しているのだが、現実は、既に相当程度日本人あるいは日本はグローバル化している。アメリカという先進国だから特にそうなのだろうが、どこに行っても既に日本人がいたり、日本企業・日本製品が普及していたり。自分のような国際性の著しく低い人間は特にそうだと思うが、「未開の日本を海外に広げてやるぜ」的無知・傲慢を捨て、「これまでに諸先輩が開拓してくれたこの基盤を、さらに太くして、長くする」という発想で臨まないとならない。MBA学生の気付きとしては低レベル過ぎる気もするが、一応気づきをメモしておく。

Wednesday, March 21, 2012

IRR (4)

4.問題点 (4) レバレッジを考慮するか否か?

自分(LP)としては100しか投資していなくても、ファンド(GP)が別途レバレッジを使った結果、レバレッジを使わなかったときと比較してIRRが高く出る。

実際問題、レバレッジのおかげで投資家のリターンも高くなっているという意味においてはレバレッジを割り引いて考える必要性は薄い。ただし、仮にIRRを見る目的がそのファンドマネージャーのトラックレコードを見るといったときは、その人の成し遂げたIRRを、「レバレッジのおかげ部分」と「それ以外」に分けた方が実力がより鮮明に見える。

※もちろん、レバレッジを効かせるのも実力のうちなのだろうが。。

5. 問題点(5) ベンチマーキングするか否か?

4.のレバレッジと同様、例えばマーケットリターンなどとベンチマーキングすることで、そのファンドマネージャーの実力を抽出することができる。

実力=トータルIRR - レバレッジのおかげによる部分 - ベンチマーク部分 みたいな感じ。

6. 問題点(6) 複数のプロジェクトをどうまとめて評価するか?

こんな感じで、2つのプロジェクトを異なる期間にわたり実行しているファンドのトータルのリターンをどう評価するかという話。

Year CF1 CF2
1 -10000
2 15000
3 10000 -1
4 2
5 3



色々な方法がある(なお、ここでは一旦MIRRは封印):

i) 個別のIRRを取って、平均を取る

IRR(1)=100%、IRR(2)=200%。なので、平均=150%。
しかし、10000を15000や10000にしたプロジェクトと、1を2にしたプロジェクトを同列に扱ってよいのだろうか?

ii) 加重平均を何らかの形で取る
例えば初期投資で加重平均を取ると、加重平均IRR=100.01%になる。

iii) キャッシュフローを合計する
二つのキャッシュフローを合計すると、(-10000, 15000, 9999, 2, 3)というCFになるので、これについてIRRを取ると、100.003%となる。
しかし、こうやって計算すると、万一途中に1つ以上負のキャッシュフローが出てくると問題が出る。すなわち、IRRが複数存在してしまうので(2次以上の方程式となるため)。
複数の解が存在するとき、そのどちらが適正なIRRか断言することはやや難しい。

iv) Time-zero IRR
全てのプロジェクトが行われた瞬間をゼロとして、実際の年月ではなく時点に置き換えてプロジェクトを再配列する。

Year CF1 CF2
1 -10000 -1
2 15000 2
3 10000 3
4
5



この合計についてIRRを取る。

個人的には、加重平均かこのTime-zero IRRが良いと思うが、加重平均は何を以てウェイティングするかという問題があるので、Time-zero IRRが一番ましであるように思う。

IRR (3)

3. 問題点(3) 再投資問題その2・・・IRRとMIRRとIMIRR(とNPV)

プロジェクトの予想CFが

プロジェクト1: (1, 2, 3) = (-100, 150, 100)



みたいなプロジェクトに投資するPEファンドに銀行が投資したとする。
その時、PEと銀行の間で、解約できるのは早くとも5年後という契約が結ばれたとき、銀行にとってのCF(※手数料は便宜的に無視)は

(1, 2, 3, 4, 5)=(-100, 150, 100, 0, 0)



となる。

このプロジェクトの採算性はどのように測定するのがいいのだろうか?

Year CF(Pr.) CF(Fund)
0 -100 -100
1 150 150
2 100 100
3 - 0
4 - 0
5 - 0
NPV(@20%) 94 94
IRR 100% 100%
MIRR 59% 21%
IMIRR 59% 59%


候補1: NPV
→ まず、「適性な割引率」のところでモメる。実務レベルで、関係者全員が100%納得するような割引率を見出すことは簡単ではない。
→仮に適正な割引率が見つかったとしても、3年目以降の(0, 0, ..., 0)のNPVがゼロで、プロジェクトの採算性とファンド投資の採算性を区別することができない(2年度末に解約できないデメリットを測定できない)。
特に最初の問題により、NPVは眉唾ものとされ、ファンドのパフォーマンスでNPVを出しているところは殆ど存在していない(NPVの是非を見るためには、割引率の導出過程も見なくてはならない)。

候補2: IRR
→NPVのようなうさんくささはなくなる。計算に使われる数字はナマのCFだけだからだ。
→しかし、「IRRで再投資」という前提により、数字が大きく出てしまう。換言すると、最後の100のあと、解約まで1年目の150や2年目の100がIRR(100%)で再投資されるという前提となり、怪しい。
→また、2年目で終了となるプロジェクトと5年間解約できないファンドの比較ができない(両方ともIRRは100%)。

候補3: MIRR
→IRRの怪しい前提をクリアでき、出てくる数字も妥当なものとなる。
→プロジェクトのMIRRとファンドのMIRRを区別できる。
→ただし、実際にPEあるいは投資家がその利回りで再投資するか否かは無視しており、再投資という仮定に若干の怪しさが残る。

候補4:IMIRR(Isolated Modified IRR)
→Phalippouさん他が提唱した概念で、「プロジェクトが終わったところで、再投資の前提を置かず、投資が終わったということにして計算してみましょう」というもの。すなわち、解約できる5年度末まで待たず、2年度末に解約がなされたと考えてMIRRを計算するということ。
→これだと、再投資の前提を最小限にして(途中のCFはどうしてもハードルレートでの再投資が仮定されるが、最後のキャッシュフローは再投資されない)怪しさを最小限にできる。

上記Phalippouさん他は、個別のプロジェクトを評価するにはIMIRR(かNPV)、ファンド単位で評価するにはMIRR(かNPV)がいいのではないかと主張している(実務家のそれに対する反対意見と、それに対する更なる反論も展開されている)。

個人的には、ハードルレートについて広く合意形成可能な相場に合ったものが使えるのであればMIRRの方が適切であるような気もするが、やはりそこに恣意性が入るので、数字が大きく出てしまうリスクを我慢してもIRRで行くのが良いのではないかと考える。

IRR (2)

2. 問題点(2) IRRと投資リターン:IRRにおける再投資の仮定

IRRは、その定義式上、暗黙に「各期得られたキャッシュフローは、IRRレートにて最終期まで毎年再投資される」と仮定が織り込まれている。

例えば上記の「今100投資して、1年後に150、2年後に100」というプロジェクトのIRRは上記の通り100%だが、この計算式は、暗黙に、「1年目の収入150が、IRRである100%の利回りで満期たる2年度末まで(1年間)再投資される」という前提の上で計算されている。

Year CF 再投資期間 FV@IRR
0 -100
1 150 1年 300
2 100 0年 100
IRR 100% =IRR(-100,150,100) 400
CAGR 100% =r (100, 400, 2Y)

* rという関数は(多分)なく、実際は、POWER(400/100, 1/2)-1という計算をしている。


はたして、この「1年目の収入が利回りIRR=100%で再投資される」という仮定はそんなに易々と認めてよい仮定なのだろうか?特に、非連続的な投資活動が主体のPE投資とかでは、すべての収入があまねくIRRに等しい利回りで再投資されるという仮定はかなり怪しい。

言い換えると、「-100、150、100」というプロジェクトの投資家が実際得られる収益率(年率換算:CAGR)は、1年目の収入150の再投資利回りによってIRRたる100%からずれる。さらに言うと、普通は大幅に下振れする。すなわち、1年目の収入150を利回り100%で再投資したと勝手に仮定することで成り立っているIRR100%は、投資家が実際得られる収益率と比較して大きすぎるのだ。投資家にとってリアルな指標は「今日100投資したら、2年後にXXX戻ってきた」というCAGRであり、IRRは参考になりこそすれあくまでフィクショナルな指標でしかないのだ。

この、「途中の収入の再投資利回りをIRRと仮定してしまうことで、実際の収益率よりIRRが大きくなってしまう」という問題を克服するためには、要は再投資利回りをIRRではなくよりリアルなものに置き換えれば良い。それを行うことでIRRの補正を行った指標が補正IRR(MIRR: Modified IRR).

MIRRの計算方法は下記の通り:

1. 再投資利回りをIRRではなく何らかの妥当なレートにする(ここでは日本のリスクフリーレート見合いで1.5%とする)
2. 途中の収入を、IRRではなくこのハードルレート1.5%で再投資するものとみなし、満期時の将来価値を計算する
(この例では、150×(1+1.5%))
3. 将来価値の合計と初期投資を比べることで投資収益率を計算する
この例では、2年度末における収入は、再投資利回りをIRRから1.5%に変えることで400から252に減少する。これに伴い、投資利回り(CAGR)も100%から59%に低下する。IRRでの再投資という仮定のせいで、IRRはこんなに過大に見えていたということ。
Year CF 再投資期間 FV@IRR FV@1.5%
0 -100
1 150 1年 300 152
2 100 0年 100 100
IRR 100% 400 252
CAGR(IRR) 100%
CAGR(1.5%) 59%


勿論、毎回毎回このように時間をかけてMIRRを使わなくてはならないということではない。複数のプロジェクトを比較する際、投資期間が等しく再投資方法に相違がないのであれば、単純にIRRを見比べれば良い。ただし、期間が異なるプロジェクト、たとえば


プロジェクト1:CF=(-100, 150, 100)
プロジェクト2:CF=(-100, 150, 100, 0, 0, 0, 0, 0,)

みたいな2つを比べるときは、IRRでなくMIRRを使わないと、「両方ともIRR100%だからどっちでもいいよね」みたいな誤った結論が出てしまう(実際は、プロジェクト2がだいぶ不利)。とある論文とかは、「PEファンドとかがイケてるファンドとそうでないファンドでIRRに大きな開きがあるが、IRRをMIRRに補正すると、そこまで差がない」ということを言っている(数式の定義上当たり前の話ではある)。

なお、MIRRはエクセルに数式として入っている。
MIRR=MIRR(キャッシュフロー、初期投資の調達レート、再投資レート)
ここで初期投資の調達レートを0%として、再投資レートを上記の例の通り1.2%とすれば、上記と同じMIRRが得られる。

IRR (1)

今学期は複数科目でIRRについて色々考えさせられたので総括のためメモ。念のためそもそもIRRとは、というところから書く

0. IRRとは

・IRR: Internal Rate of Return. 色々定義はあるが、「その投資のNPVがゼロとなるように逆算で得られた割引率」というのが自分としてはしっくりくる。

例:

今100投資して、1年後に150、2年後に100回収できたときのIRRは、
-100 + 150/(1+r) + 100/(1+r)^2 =0  を満たすようなrで、100%となる。

Year CF
0 -100
1 150
2 100
IRR 100%

・一般的に手計算は困難で、関数電卓か、エクセルのIRR関数で計算する。


1. 問題点(1) 不規則なスケジュールのときは?

上記の例では、それぞれのキャッシュフローがちょうど1年ごとにもたらされるという仮定が置かれているが、現実には、キャッシュフローが半年後→そのまた3か月後→ちょっと間を置いて1年後...みたいなことがありうる。このようなとき、IRR関数は使えない(IRR関数は、CF1が現在、CF2が1期後、CF2が2期後...という前提で計算するので)。

これはIRRの根源的な問題というよりは、単に実務上・計算上の問題。この問題は、IRR関数の代わりにXIRR関数を使うことで解決できる。

例:

Period Date CF
0 2000/1/1 -100
1 2001/6/30 150 (1.5Yr)
2 2001/9/30 100 (1.75Yr)
IRR 100%
XIRR 78%



Sunday, March 18, 2012

持つべきものは...

ここ最近のストレスの原因となっているプロジェクト(AMR)。中間発表でぼろくそに言われて、ではケースを書きましょうという話になったが、チームの誰一人としてケースに協力してくれそうな奇特なネットワークを有しておらず正直なところ「アカン、詰んだ...」と思ったものだった。これに関して多少のアップデート:


あまりに参ってしまい、思わずツイッターに状況をデフォルメなしに書いてしまった。協力者がいないと終わる、参った、と。

すると、何人かのツイッター知り合い(?)がそれを拡散してくれて驚く。うおぉすげぇ、これがweb2.0の世界か...(多分違

その後、留学前から付き合いがあり同じタイミングでMBA留学することになった友人(ツイッター上でも繋がりあり)が、彼女のネットワークをシェアしようか?と打診してくれて、結局そのご縁をたどりケースを書かせてもらうこととなった。

本件(ケース執筆にあたっての協力者さがし)は、基本的にはメールでやろうと思っていた。これまでセミナーやら何やらで知り合った投資家(といってもほんの数名しかいないけど..)に、学校のアドレスからフォーマルなメールを送るのが最善唯一の方法だと思っていた。実際に数名にはメール送信を行っていたし、最終的にはその誰かにJapanese 土下座をして頼み込むことが唯一の道だと思っていた。

なので、まさか本件がツイッター経由で解決することになるとは(ツイートしたものの)夢にも思っていなかった。拡散してくれた本名も知らぬ知人たちや紹介してくれた友人に感謝するとともに、出会いの妙というか、なんというか、あるいは「いとあはれ」と言うのが一番すっとくるような心境を抱いている。

※厳密に言うと、打診してくれた友人はもともと知っていた間柄であり、ツイッターのおかげというのもちょっとだけ違和感がある。もしかしたら上記「数名の知人投資家」の後にはMBA友人にメールしまくっていたかもしれず、そしたら今頃「メールすげぇ」とか「俺以外のMBA日本人学生すげぇ」という論調になっていたのだろうし。まあでも、やっぱりツイッターの力のようなものはひしひしと感じる。匿名ゆえのフラット・カジュアルなやり取りができるし、これまでの経験上匿名での付き合いからリアルでのやり取りへの移行も(そこまで)難しくはない(色々赤面すべきところはあるが)。地元の美味しい店をたくさん知れたし、自分のいる業界で自分の3~5歩先を行っている人々のカジュアルな話を目にできるし、etc。

※ケースのノルマは2つなので、あと一つはチームメイト諸兄になんとか探し出してもらわないと死ぬので、本当は安堵している場合ではないのだが、どうも彼らのケツをどう叩けばいいのかわからない、、結局じっと期待して待っているところ。。


上記のような「ツイッターすげぇ」みたいな感想も抱いたのだが、もっとベタな感想も抱いていたりする。すなわち、やはり持つべきものは友達であり、自分が彼らの有形無形のサポートの上でギリギリサバイブで来ているということに対する意識・感謝とか。あるいは、散々「Give & TakeではなくGive&Giveでもまだ足りない」とか言っておきながら結局はTakeばかりしてしまっている自分への羞恥とか、するっとGiveしてくれたその友人への敬意とか(おそらくその友人にブログは見られていないはず、、という前提でクサイこと書いてしまっている..)。

なんというか、普段散々偉そうなことを言っていても、ちょっとピンチに陥り「いい恰好しぃ」の薄皮が剥がれて自分の本性のようなものがちょっとむき出しになっただけで、自分の感情がいかに単純な構造になっているかわかってしまう。自分がピンチに陥っていない平常状態で、誰か知人がFBとかブログとかに「みんなのサポートにマジ感謝」とか言ってたら、自分は間違いなくその人に対して「日本のラッパーかよお前」とかドヤ顔で言い放つ確信があるし。まさか齢30/子持ち/MBAとかなのに、この局面で上記のようなナイーブな感情を抱いたことについて、情けない話ではあるのだが、自分の心的構造を後刻から振り返る良い材料にでもなればと思い一応記録しておく。

Friday, March 16, 2012

濃かった冬学期

成績が出てしまうと色々コメントしづらくなることもあるので、成績発表前のこのタイミングで今学期の授業について回顧しておきたい。一言で言うと、関心分野のFin/会計のハイレベルクラスに絞った結果、大変ではあったが非常にエキサイティングな学期を過ごすことができた。

■ PE/VC

その名の通りPE、VCについて、ファンドからの目線・投資先企業からの目線等様々な目線でケースを取り扱った。ざっと列挙すると

・イエール大学の資金運用オフィス。PE投資を増やすべきか否か?
・とあるスタートアップの資金調達プランについて、VCとして是非を判断する
・成長過程にあるテック企業。上場するか、あるいは大手への身売りを選ぶか?
・複数ラウンドを経た今もなお、可能性は大きいが結果が出ていないベンチャー。VCとして、追加のラウンドをどうする?
・中国のスタートアップ。どうIPOを成功させるか?
・新設PE。LPとして、創設者のトラックレコードをどう評価するか?どのような報酬契約を結ぶか?
・欧州のLBO企業。ExitとしてIPOを考えているが、どこに上場しようか?
・テックPEという異色のファンド。LPとしてどう評価するか?
・投資家間で条件交渉が難航している。表面価格を揃える代わりにワラントを発行したいが、ワラントは何枚発行する?転換価額はどうする?
・とあるテック系スタートアップ。ファブレスモデルで行くか、ライセンスビジネスで行くか?また、VCの提案する転換優先株はどう評価すればよいだろうか?
・とあるテック系スタートアップに買収打診と追加ラウンドVC投資オファーが同時に来た。身売りかVC投資受入か?また、彼らの呈示する優先株はどう解釈すればいいだろうか?
・南アフリカの警備会社。順調に成長したが、国内がアレなので国際展開したい。どこに上場するのがいいだろうか?
・インドの自動車会社。PIPE投資を受け入れるべきか否か?インドのPE市場はどうか?
・不採算部門や株式の換金を求める一部家族という問題を抱えるファミリービジネスに対し、LBOと部分的PE投資の打診が同時に来た。どうしよう?
・政府系ファンドという新たなビジネスモデルを確立した中国のPEファンド。拡大に伴い、権限の集中と委譲等戦略の再構築を検討しているがどうしよう?


と、ファイナンスという観点のみならず、戦略論的な観点からも色々なテーマに触れることができ満腹感がある。技術的には、バリュエーションの更なる練習ができたほか、いわゆるハイブリッド証券の構造・よくある形態・バリュエーションなどについてじっくり学ぶことができたのが特に大きい。でも総合的には、新しい学びに感動したというよりは、既存知識を使う練習ができ、知識の定着化を図ることができた点により大きな満足をしている。

あとは、これまでマーケティング等のクラスでマグロとなってしまった苦い過去を克服したいという目標に支えられ、毎授業何かしら発言するように努めたので、「授業に積極的に関与してやったぜ」という自己満足感もわりと強い。先日の記事にも書いた通りチームメイトにも恵まれたので、この授業は心底楽しかった。100点。


■ 数理ファイナンス

「伝統的理論はすべてオワコンだ!」という衝撃的なレクチャー(Cochraneというシカゴの大物教授のペーパー)から始まり度肝を抜かれるが、2回目の講義からは「伝統的理論→それが最近どのようにチャレンジされているか」という風に丁寧に説明してくれたので、大変理解しやすい授業であった。序盤の平均分散アプローチのあたりは退屈だったが、その後はすぐ自分の不案内な分野へと移り、しかも割と新しい論文の内容などをフルに反映してくれていたので、「わりと最先端に近いところにタッチできている」という満足感が強かった。

自分は数理ファイナンスに因縁がある。社会人一年目に財務部配属となり、同期が担保契約がどうこうとか、コーポレートファイナンス的なことをやっているのを傍目に、ひたすら金利の期間構造とかスワップのバリュエーションとか数理ファイナンス的なことばかり触れることになった。その結果、支点でのC-Fin経験もあったものの、自分は数理ファイナンスに強くかぶれることになり、留学の主要な動機も「思いっきり数理ファイナンスを勉強したい」というものであった。しかし、色々(多くの妥協と、ちょっとの”方向転換”)あった結果MBAを選ぶこととなり、1年目に戦略論やらマーケやらC-finやらに楽しさを見出した結果、2年目になる頃には「数理Finはあくまで趣味、本業はC-finを中心としつつ戦略論を絡める感じだよな」と、文転に近い感じの方向”再”転換を行った。

そんな最中での数理ファイナンス履修であり、正直テンションは低めだったのだが、いざ履修してみると、文転した身としても非常に感銘を受ける授業であった。数理ファイナンスそれ自体の論理的エレガンスのようなものも大変萌えるもだが、それ以上に、「C-finをやっていると日々出てくる、『使えるけど説明できない各種理論』について、根っこのようなところをじっくり考えることができる」という点が気にいった。例えばCAPM。C-fin系の授業では「そういうものです」というノリでCAPMそれ自体については殆ど立ち入らずただ単純に使うのだが、この数理ファイナンスの授業ではその理論成立経緯、どういう批判があるか、その上でどう使うか、実証的にどうか...と色々な観点でCAPMそれ自体についてじっくり考える機会を得ることができた。自分はどうも不器用なところがあり、「よくわからないけど、とりあえず使う」という発想に100%馴染めず、つい各種実務上の知識についてその理論的背景を理解したくなってしまうところがあるので、このような自己満足心を充足させる点において、この授業はばっちりフィットしていた。

嗚呼、できることなら、もう一年くらい、こういう授業を受けていたいものだ。。。

※ただし進度が異常に早く、偉そうに言ってるけど理解度は正直怪しい。。


■ 上級会計

当校ビッグ3と言われる教授の一人による会計クラス。M&A,ハイブりっど証券、公正価値会計、倒産、スピンオフ等について実際のケースを見ながらガンガンやっていくクラス。

実に内容が濃く、また宿題として課されるレポートが大変ではあるがちゃんとやり終えると内容をきちんと理解できるようないい設計になっているので、食らいつくこと自体を楽しめたし、知的興奮もかなりのものだった。MBAに来る前にわずか一年ではあったが銀行業務に携わったことがあり、会計の意味するところや会社の思惑のようなものが財務諸表ににじみ出ているというところまでは理解していたので、「この数字から会社のどのような意図を読むか」的な問題群を楽しむことができた気がする。おそらく、会計の授業をこれ以上面白くすることはできないと思う。

序盤は要領がつかめず、本当に作業に苦労した。授業が火・木なのだが、最初の頃は水曜日は文字通り一日中宿題やっても深夜まで終わらず、真剣にこの科目のドロップを検討したこともある。会計知識も(特にUSGAAPの)十分ではないので、教科書を買ったりブログにメモを残すことで必死にくらいつこうとした結果、なんとか中盤でレポートに良い評価をいくつかもらうことができ、後半はちょっと楽になった。

しかし一番大変だったのは最終課題だった。お題は自由、分量はたくさん。ネタを探すのに大変苦労した挙句Facebookという美味しそうな題材を見つけたが、これがまた手ごたえあり過ぎた。結果として、学部時代の卒論より時間をかけたと思うし、後半は妙にノッてきたので論文の森にちょっとだけ首を突っ込んでみたりしたらますます時間がかかってしまった。でもそんなレポートも無事に終わり、MBA史上最大級の自己満足()を抱くことができた。まさかアメリカのベンチャー企業の上場申請書を隅から隅まで読み、関連する会計基準や論点について英語で議論できるようになるとは...みたいな自己満。

※正直、クラスの参加者が濃すぎて(いわゆるファイナンス畑の学生の中でも上澄み集団で、かなりハイレベル)、相対評価の中では正直平均より上に位置できたとは思えないのだが、この科目はそんなことどうでもよくなるくらいチャレンジする機会を与えてくれたので、成績が出る前である今のうちに教授に感謝しておくこととしたい。

■ プロジェクト(AMR)

Sucks. 詳細は他の記事参照。頼むから選択科目にしてくれ、、、

■ 個人プロジェクト

先学期取材を15件くらい行ったプロジェクト、今学期は上記が忙しすぎて何もできず。でも今学期にレポート執筆のイロハを多少学ぶことができたので、これを活かしつつ来学期に書きあげたい。でも成績はもう今学期に出てしまうので、ぶっちゃけ帰国までにやらなくてはいけない理由はそこまでないのだが。。

R'ship

今学期も、期末試験が2つほど残ってはいるが、大体終わって落ち着いた雰囲気。今日は、今学期に組んだチームについて振り返ってみたい:

■ PE/VC
一週目はよく一緒に組む台湾人の友人と組んだのだが、その後自分と彼の双方に紆余曲折があり、自分は別の台湾系アメリカ人とパキスタン人と組むことになった。両名とも、FBではつながっているがそこまで親しかったわけでもなく、たまたま初回に席が近かったからくらいの軽い理由で組んだ。

当初はその両名がファイナンスに習熟しておらず、最初は結構度肝を抜かれた。バリュエーションでFCFを計算できないからしれっとNIを使ってみたり、根拠のない数字が他のセルからリンクされる形ではなく手打ちで入力されていたり。一週目に組んだ台湾人君とはえらく能力差があったので、結構真剣に後悔したりした。

しかし、彼らも徐々に習熟度を深めていき(驚くべき成長曲線)、最後の方はまったく問題なくバリュエーションをこなせるようになっていた。有難かったのは両名ともそこそこ勤勉であったこと。締切はおおむね守るし、自分が細かいコメントをしてもそれを嫌がるのではなく改善機会とでも考えたのかよく聞いてくれる(もちろん自分が間違っていたり教わることもあったが、彼らのそういった真摯な態度のおかげで、自分も実に素直に彼らの話を聞くことができた)。また、このチームに共通していたのは、主張に主張を重ねるくされアメリカ式ディスカッションを良しとせず、まずはコメントにきちんと耳を傾けるという態度。

こういったチームメイトの態度のおかげで、初期の経験不足によるドタバタこそあったが、あっという間に問題は解決し、後半は実にやりやすいチームであった。おかげでパフォーマンスも尻上がりに上昇。チェック、チェックマイナス、チェックプラスというざっくり採点システムであったが、最後の方はかなりの確率でチェックプラスをもらうことができた。3人という少数構成だったのがよかったのかもしれないが、このチームの運営と結果にはかなり満足しており、彼らのためにも、現在進行中のTake-home Finalはベストを尽くしたいところ。


■ 数理ファイナンス
サマースクール以来懇意にしているタイ人の友人と2人でチームを組んだ。彼が「お前が受講するなら俺も受講する」みたいなことを言っていてちょっとその思いやりが重たいなぁと思ったりもしたのだが、組んだらまあ楽しくできた。

このチームで好きだったのは、両名がすべての課題をいったんは自分でやることにした点。「課題1は俺がリードするから、課題2は君がリードしてね」方式もそれはそれでいいのだが、両名が全部やったおかげで、議論がかなり深いレベルまで進めることができ、それは点数に如実に反映された(グループ課題は1つを除きすべて満点)。

また、お互い知った仲なので、遠慮のベールを一枚から二枚はぎ取ったレベルで議論ができた気がする。変に遠慮して質問を控えたりせず、消化不良が少なかった。(たまたま教授がフレンドリーでなんでも質問に答えてくれたということもあるが)


■ 会計
この授業はチームはなく、個人ベースで作業。

敢えて言うなら、教授が実に気さくで、大変スムーズなコミュニケーションをとることができてストレスがなかった。

あと、1年生の最初の学期のとき同じチームで大変苦労させられたJ君が同じクラスにいるのだが、病気(としか言いようのないヤバさ。とある友人はアスペルガーと評していた)が悪化している。ほぼ毎授業、教授の話をさえぎり「俺はこう思う」と自説の主張を始め、教授が「いやそうじゃなくて...」と説明しても一切聞かず「いやだから俺はこう思う(I'm saying that...)」をエンドレスに繰り返す。で、たまに抑えがきかなくなり机をドンと叩いたり、教授に向かって「話はこれで終わりだ、あなたは間違っている」と言ってそっぽを向いたり。しかも、毎回毎回彼の説は派手に間違っている。いったいどうやったらああいうことになるのだろうか、、、

■プロジェクト(AMR)
全然ワークしない。気持ちいいくらいに機能不全で、非常にストレスフル。
・決めた約束を守らない
・小さなコミットメントすら嫌がる(自分「毎週集まろうぜ」→皆「・・・(次の話題が出るまで返事無)」)
・過度に楽観的(「来週までにはなんとかなってるから大丈夫だよ」)
・他人任せ

今は、2週間後の春休み明けまでに、ビジネスケースの取材相手となってくれる企業を2社見つけないと卒業すら危うくなるというピンチなのだが、それでもチームメイトは「きっと見つかるから大丈夫だよ」といって、Plan Bを考えることすら拒否する。
・自分がPlan Bとして学術論文も同時進行で始めることを提案したら「取材相手を見つけることに専念しろ」とか
・でも、自分にはどうしても、彼らが取材相手を探しているとは信じられない
・某死刑囚の「ドラえもんが助けてくれると思った」というレベルで「先延ばしにしてたらなんとかなる」と信じているんじゃないだろうか。。

もう残念だが、彼らの「2週間後までベストを尽くすから、細かいことは聞くな」というセリフを素直に信じることができない。自分はわりと人のことを簡単に信頼する方だと思うのだが、残念ながらこのチームメイト達をまったく信頼できなくなってしまっている。。

あと一学期残っているが、どこかで一度率直にキレてしまってもいいのではないかと最近思い始めている。特にMBAに来て以来、ウマの合わない人に対する対応方法が「付き合いを続けざるを得ない限りは慇懃無礼に通して、付き合いが切れたらそこからは逃げの一手」という消極的なもの一択になってしまっており、もしかすると正面衝突を経て新しい局面に向かうような展開も考慮した方がいいのかも...と思ったり。

Tuesday, March 13, 2012

Chaos...

プロジェクト(AMR)の中間報告が終わり、いよいよ混乱がピークを迎えようとしている。いやむしろピークであってほしいだけなのだが。。あらすじを更に一言二言でまとめるなら、「適当すぎたのがそろそろやばくなってきた」「個人的には他のメンバーのせいにしたいところだが、正直自分も悪いかも」。

(あらすじ)
・チーム組成。

・興味のないコンサルプロジェクトをやるくらいなら、クライアントがいないリサーチプロジェクトをやろうとチームで合意。アドバイザー役の教授を見つける。

・教授との初面会時点では全員ノーアイディアで、教授から「とりあえずこんなことやってみたら」と学術論文作成に向けたアドバイスと参考文献リストをもらう。

・チームで、「では一週間後にそれぞれが読んだものを情報共有しよう」と合意。自分としては論文もWelcomeだったので普通に担当分を読む。

・他のメンバーが突然亀のように鈍くなる。やれ就活、やれ授業、やれインターン。。一週間後に読み合わせする予定だった参考文献がいっこうに進捗しないまま一か月が無為に過ぎる。

・何度かリマインダを打つが、特に返事がない、ただのしかばねのようだ状態。

・3月になってしまい、個人的には冷や汗が止まらなくなり蛭子さんの漫画状態に。

・意を決して「もし学術論文がいやなら、ケース書くって手もあるけど」と言ってみたら急に食いつきがよくなる

・食いつきはよかったが食いつき方が悪く、インド人T君が「ケースを書くのではなく、個別企業の投資採算性についてリサーチしたい」と言い出す。なんか嫌な予感はしたが、担当教授もしぶしぶ承知したので自分も了承。これなら簡単だ。公表資料みてちょちょちょっと書くだけだし。

・では早速作業しようぜと言ってみたら、本番は来学期からでいいよと言われ、とりあえず学校に対して行う義務がある中間報告だけ済ませることに。

・中間報告の場でメタメタに怒られる。投資採算性レポートなど認められない、学術論文か、ケース2つかのいずれかだとのこと。そういやそんなこと言っていたかもなぁ、投資採算調査に賛成してしまった自分がぬるい。卒業させないぞと怒られて一同びびる。

・で、どうしても学術論文はいやだということで、ではケースを書こうと言う話に中間発表の場で落ち着く。

・しかし、ケースを書く場合は、対象企業へのインタビューが必須とのこと。いまさらインタビューに応じてくれる人なんかいなくね?学術論文書こうよと提案したが、「やる前からできないと言わず、とりあえず手当たり次第声かけて見ろよ」とたしなめられる。まあ確かにそれはそうであり反省すべきなのかもしれないとは思いつつ、「で、君たち、アテあるの?」と聞いてみたら「ないけど、大丈夫っしょ!」と自信たっぷりの返答。俺には見えていない何かが見えているようで、自分一人が愚か者であるような感触を抱く。

・じゃあいますぐ声掛け始めようぜといったら、「次の学期の3周目までに決めればいいっしょ」とか言い出すので、顔を真っ赤にして「ちょちょちょ、お前ら状況理解しろって」と怒る。その結果、次の学期の1週目の早いうちにインタビュー相手を見つけられなければ学術論文に移行する旨合意形成

・担当教授にそんな方向転換をした中間発表の模様を事後報告。もうめんどくさいようで、「OK」の一言だけが返ってくる。。

・自分はこれまでに知り合ったPE関係者すべてにとりあえずメールを打ってみた。会社にはどう考えても無理っぽいのでメールを打っていないが。。おそらく他のチームメンバーも近いうちに誰かにコンタクトを取ってくれる(といいな)。

・でもぶっちゃけ誰も見つからないだろう...ということで、一人学術論文の下準備を始めてしまおうと決意(イマココ)

卒業できるのか!?



●反省

・たぶんチームメイトを間違えた。彼らのやる気スイッチをどうにも見つけられなかった

・やっと彼らのやるきスイッチを見つけたと思った投資採算性調査であったが、そもそも要求水準を満たさないことを忘れていた。

・教授が放置主義。厳しく見てくれると思ったが勘違いだった。

・どうにもこうにも、自分が終始抱き続けている危機感をチームメイトに伝えきれなかった。自分だけ焦っていて、他のメンバーが悠然としている状況が延々と続いてしまった。嫌な予感を抱くだけではだめだ。それをチームメイトに伝えることができないと意味ないのだ。。中間発表で叱られて初めて危機感を共有できたのは不幸中の幸いなのかもしれない。。

Monday, March 12, 2012

wked

週末の模様。

■土曜日
学部のOB会ゴルフ。総勢12名が名門Industry Hills Ike Courseに集結し仲良く大叩きするという遊び。とにかく長く、もう勘弁してというコースでなかなか大変だった。でもまあ個人的には、ここのサブコース(Babe)は短いがその分狭いのでもっと勘弁してほしいのであるが。

■日曜日
家族と買物に行って、夜は近所のお宅で飲み会にお邪魔。食べ物が充実していてついつい食べ過ぎた。

いよいよ翌週から最終週なのだが、この土日のリラックスがいい感じに気持ちを引き締める方向で寄与してくれればいいのだが、今のところ気が引き締まっている様子はない。。

▼雑感

最近、また少し、考え方が変わりつつあって、

・留学直後→ネットワーキング!ネットワーキング!トム君やらキャシーちゃんやらにせっせとFriend Requestする日々。

・しばらくして→落ち着いてきてまったり。アメリカ人が少しずつ等身大の存在に見えてくる。

・2年生になって→新人気分も抜け、余裕が出てきて、顔も広がってきたら、ネットワーク拡張の第二シーズンが到来。ここでは、1年生のときには広がらなかった日本人ネットワークが急拡大。主要なきっかけはゴルフと子供で、そこにMBAを絡めるような感じの面白い(?)広がり方。

・しばらくして→ちょっと全体像が見えてきたかなぁというところで拡張が停滞期に。いちど落ち着いてしまうと勢いが止まってしまい、「もう帰るんだし、新規拡大はこの辺でいいかなぁ」というナマケモノ病が再発。

で、

・ここ最近→たまたま新しく人と知り合いになる機会に恵まれた結果、「もうすぐ帰るにしても、新しく人と会って何かを感じたりするのは悪くない、というかまあ楽しいわね」と考え方が変わってくる。やや殻にこもっていた状態から、中立あるいはやや積極的になりたいというメンタリティに遷移。身勝手なものだ。。

Wednesday, March 7, 2012

上級会計メモ(10) 倒産関連

■ 匂う...

業界経験豊富(?)な教授による、「これはヤバいぞ」という危険信号リスト。似たようなことを学術的に分析して、下記のヤバさの「当てはまり具合い」はある程度立証されているみたい:

1. 利益は黒字なのに営業キャッシュフローは赤字...
2. 利益と営業キャッシュフローに顕著なギャップがあったり、それが年々拡大していったり...
3. 運転資本/売上高比がイヤーな感じで上昇している...
4. 売掛金・在庫・買掛金といった運転資本が不自然に推移していて、回収期間が伸びている...
5. 謎の”その他”項目が多額にのぼる... しかも”純(net)”とか書いてあったりすると...

6. 負債が謎の急増...しかもヤヤコシイ(プレーンバニラではない)形態が増えており...
7. 引当金やリザーブ項目の謎の増加
8. 一時的ではない”一時的項目”が毎年存在していたり...
9. マージンが謎の急増限...
10. M&Aはともかく、のれんや無形固定資産増加に関する情報開示が不透明...

11. 笑えない規模の金庫株増価
12. Fair Value Accoutingにおいて開示される計算根拠(Assumptions)がイミフな変動...マクロ環境変わってないのに想定なんちゃら率が急速に悪化していたり...
13. 謎の「関係者間取引」勘定
14. 偶発負債、記録されているべきものがない...
15. なんでそんなに実行税率がコロコロ変わるの?
16. バランスシートの項目での”and”の乱用(無駄に合算することで、詳細がむにゃむにゃ...)




■ ヤバいと生じる会計イシュー

・減損:有形固定資産、無形固定資産。とくに注意が必要なのは、のれんと繰延税金資産
・再建費用
・債権の条件変更:要返済額が減ったとき、貸し手は即座に損失を計上するが、借り手は利益は計上できず、既存負債が減った分新負債を計上しないといけない
・Liabilities subject to compromise: Ch. 11が通ると同時に、殆どの負債はこの「おいおい妥協する運命をたどる負債(仮訳・・・涙)」に振り替えないとならない
・多額のプロフェッショナルフィー(涙)

■ Ch11で、ヤマを越えると生じる会計イシュー

・Liabilities subject to compromise(LSTC)の解消:借方にLSTCが計上されて、貸方には負債減免交渉の結果に応じ、資本金・資本準備金(APIC)・減免後の新しい負債が計上される。さらに、差額調整として、利益あるいは損失が計上される。

・Fresh-start Accounting:以下の条件2つ(1. 再編成後の資産簿価と、倒産処理後の減免後負債総額の差がマイナスである場合、2. 倒産前後で、議決権保有者が別人に入れ替わる場合)を満たした場合に限り、特に買収があったわけでもないのに、バランスシートをパーチェス法のごとく時価で洗い替えすることができる。
※定義上、少なくとも会計上の利益はでるのだが、税務上はどうなるんだっけ。。
※ここの時価評価のところで、経営者にゴニョゴニョする可能性が出てきてしまう。

会社「資産査定に時間かかってます」
→判事「では債権者集会延期で」
→(繰り返し)
→会社「時間かかっているうちにますます価値が減少してしまいました」
→判事「では資産は申し出の通り6割減で。これに伴い負債も6割減ではなく8割減でいきましょう」
→債権者「」


みたいな。

※しかも、新しい経営陣にインセンティブも与えないとならないという考え方もあることから、ますます債権者は泣くことになる。。←って、知らんけど、インセンティブ的発想がさほど普及していると思えない日本の裁判所界隈では、米国と比べて、株主不利・債権者有利な調整がなされたりするのかな...などと思ったり

最終課題(おおむね)だん!

今学期は3科目+プロジェクトという構成だが、とりあえずそのうちの1つである上級会計の最終課題がおおむね終わりほっとしているところ。

「シングルスペースで15ページから20ページ程度、課題は自由、会計的分析を入れてほしいけど財務分析などを混ぜてもオッケー」という感じだったので、自分は先学期から今学期にかけて履修した授業との関連性も踏まえ、FBの上場申請書類(S-1)を読み込んでみるという作業にトライしてみた。

で、このブログを使ってしばらくの間論点整理のようなことをしていたのが2月中のこと。舐めるように関連するブログやら新聞記事を読んだり。で、2月の終わり頃にフォーカスすべき論点が固まり(資本関連・・・優先株、資本性支出、普通株)、それについてペーパーを書き始めたのが3月の頭。

週間イ●ログなどを参考にしつつ書ければいいなぁと軽いノリで書き始めたが、書けば書くほど、あれも触れないとおかしいな、これも言及しないと一貫性がないな...と話が拡大したり深化したり。結果的に、当初まったくやるつもりはなかったけど、学術論文も複数参照せざるをえなかったし、GoogleのみならずLinkedIn・Groupon・ZyngaのS-1まで見る羽目に。。

この手のレポートの厄介なところは、書きだしたらついつい止まらないところ。細かい表現ぶり、構成、分析など、あらゆる観点で書きながらどんどん気になるところが出てきて、もぐらたたきのように直してはまた書き直して...が続く。おかげでブログも数日さぼってしまったし、他の宿題もついついおろそかにしてしまっていたり。

最初は「ネタが思い浮かばない」という悩みから始まった本件であったが、その後「テーマは決まったが、情報が多過ぎて切り口が見えない」→「切り口は決まったが、いざ切ってみたら思いのほか論点が深すぎて大変」→「なんとかかんとか、自分の頭の中では整理ができたが、それを文章に落とすのが大変」と悩みが推移して、最後に「書きだしたら、次から次へと微調整したいところが出てきて、5章を書きながら2章を再修正するといったぐちゃぐちゃの作業がエンドレスに続く...」といった感じで悩みが尽きないながらもなんとかそれが今日一段落した。

この教授には一回「MBAのレポートとしてなら及第点だが、金をとれるレベルのライティングではない。もう一段階、英語に洗練が必要だ」と要はお前の英語イマイチとコメントを貰ってしまっていることから、英語についても丁寧にケアしないとならない。そこで、この授業を履修していない友人に校閲を依頼。それが来週頭には戻ってくるので、それを最終チェックしたらいよいよ出来上がり。

それにしても、一段落した今になって振り返ると、このレポートはかなりの収穫がある作業であり満足している
(大変だったので、そんな苦労を正当化したいというバイアスが働いているのかもしれないけど...)。
・情報収集および取捨選択の機会が得られた(これまでずっと、整理された情報を誘導されるままに分析するというHBSのケースにうっすらとした反発があった)
・教授を「使う」練習ができた(学部時代は殆ど教授を活用できなかったので、これはかなり満足感が高い)
・そもそも、よく考えたら、英語で20ページ超のペーパーを書くのは初体験。Citationや参考文献探しなど、ライティングの初歩的練習にもなった
・200ページ今日の英語の文書(S-1)を隅から隅まで読み込み、どの情報がどこにあるか体得できた

ただ、反省もいくつか残る。とくに大きいのは、レポート作成というプロジェクトをあまりマネジメントできなかったなぁというもの。プロジェクトマネジメント的観点で気を付けたことと言えば「早め早め」ってことと「気付きをブログに書き残すことで二度手間を避ける」ってことくらいで、なんというかプロのライターやアナリストがやっていると思われる「必要最低限の時間で120%のアウトプットを仕上げる」というメリハリ感のある作業はやり切れなかった。留学前にも書きものを仕事としてやったことは数度あるが、そのときも物量作戦というか、とにかく早めに始めて終盤は残業マンセーでやり切るというスタイルばかり採ってしまっており、プロとして仕事のアウトプットのみならずアウトプット創造プロセスで金をとれるレベルにはなっていないなぁと感じている。
まいっか、次がんばろ、次!

浮上の兆し?

今日は学校は定休日だが、プロジェクト関連のミーティングのため学校へ。チームダイナミックスに関して忌憚なく意見をぶつけあうという企画で、カウンセラを交えて侃侃諤諤やりましょうというもの。プロジェクトの合間に挟まなくてはいけないことになっている。

実はこのミーティングの数日前にテーマを一から見直した。当初フワフワした状態で教授のところにいったらなにやらアカデミックな研究を推奨されてしまったのだが、学校への中間報告を直前にしてメンバーに火が付いたようで、「自分達が本当にやりたいことをやろう」ということで急遽よりプラクティカルなリサーチをすることになった。

自分は本来はこのチームダイナミックスミーティングで「なぜこのチームがワークしないのか」についてディスカッションできればと思っていたのだが、結局のところ、その数日前のテーマ変更がすべてを変えた。自分以外のメンバー皆声を揃えて「何かの間違いで興味がわかないプロジェクトを選んでしまっていたが、もう我々は本当にやりたいことにテーマを切り替えた。よってこれからは大丈夫」と言い、実際具体的な企画案が次から次へと出てくる。ミーティングが終わった後に再度集まり、いついつまでに何々をどのくらいやるといった話がポコポコ出てきて、どうやらこれで来週の学校への中間発表もなんとなりそうな感じ。

すべてはインセンティブってことなのかもしれんけど、敢えて言うなら、仮にアカデミックなリサーチに関心がわかないなら、 関心の向くテーマに変更しようともっと早く言うことはできたはずなんだけど。。。

と内心ぐじぐじ思っているのだが、今日のミーティングでの各メンバーへのフィードバックでは、自分は「フォワードルッキングで、過去のミスの反省に過度にフォーカスせず、現在の立ち位置からどう前進するか常に考えていて建設的だ」みたいなことを言ってもらっちゃうなど。どうやら、色々過去のことをグジグジ思ってはいるけど、バレてはいないようで。。

Tuesday, March 6, 2012

ウチとソト

元々ここUSに来る前から薄々気が付いていて、ここに来ていよいよはっきりと自覚させられている自分の好き嫌いについて。

どうも自分は、友人知人のことを「ウチの人」「ソトの人」で分けて、ウチの人を軽視してソトの人との接触を好む傾向(好み)があるようだ。たとえば、

・勤務先の同期。会社にいたときは、一部の特に気が合う人を除いてはあまりこちらから積極的に親しくしたいとは思えずにいた(そのせいで、わざわざ都内の寮を避けバーチーにある自宅からの通勤を選んだり)。でも、外部に出向していたときとか、留学している今とかは、割と素直に友人として同期の何人かとコミュニケートできている気がする。

・出向先の同僚。出向者で外国兵集団のようなものができている。最初は知らない人ばかりだったので親しくしようとしていたが、2年目は(おそらく自分のなかでソトの人からウチの人へのカテゴリー変更がなされて)同僚とつるむよりも出向元すなわち勤務先の同僚と飲んだりまったく外部の留学準備仲間とつるむ方を好んだ。でも、今では彼らのことをけっこう懐かしく思っていたりする。

・留学先。留学した当初は、そもそも国籍も違うので同級生のことが「まったく違う世界から来た人達」すなわちソトの人と認識されたので、意識せずとも仲良くしたいと思うことができ、実際コミュニケーションしていた。しかし、1年たつと、MBA学生としての共通性みたいなところが見えてくるようになり、国籍は違うしコミュニケーションもいまだ完璧ではないにせよ、徐々にウチの人と思えるようになり、彼らと共通言語(含むMBA用語)を使ってつるむくらいなら学外の人の話を聞きたいと思うようになり、つるむ相手が学外に拡散するようになってきた。最近は、国籍は違えど目線は同質的なMBA学生とばかり喋るよりも、日本人であったとしても学外にいる人と話した方が、世界の広がりあるいはもっとミクロに言えば自分にとっての刺激が大きそうな気がしている。てかMBAは特に、前提とする共通言語のようなものが多過ぎる気がして、同級生と話しているととてもComfortableなのだが、それだけいっそう、ここに染まることに対する危惧のような感覚が非常に強い。

・今もまた、学外に友人が増えるにつれ、学内とくに日本人同級生とかとの関係構築は興味がわかずすっかりさぼってしまっている。でも、おそらく日本に帰ってしばらくすると、彼らのことを恋しく思ったりするのだろう。我ながら勝手なものだ。


この傾向を意識しはじめたのは会社に入ってすぐの頃で、その頃は自分がその勤務先にフィット感を感じていないことが原因なのかなと思っていた(なのでおそらくすぐやめるのだろうなぁと予想していた)。しかし、結婚とかもあったので辞めずにぐずぐずしていたら幸いなことに出向や留学の機会があったので疑似転職ができたわけだが、その疑似転職の結果、出向先でも留学先でも同様の「ウチの友人に対する興味薄」「ソトの友人に対する渇望」が自身の中から発生している。


たぶん、単に自分がコミュニケーション能力が低いだけとかそういう話なんだと思う。関係深耕力に欠けていることからソトの友人との薄い付き合いをウチの友人との濃い付き合いより好むという話なんじゃないかとなんとなく思っているところではある。実際、ソトの友人の多くはかつてのウチの友人であることが多い。つまり、ウチの友人との関係構築をおろそかにしている結果、本来は100人のソトの友人と関われたところ、50人のソトの友人としか関われていないという懸念はある(実際、元の職場や同期でも、接点が殆どなくなってしまった人がちらほら。。主因は自分のコミュニケーション怠慢だと思われる)。これまで関係した全ての人との関係を暖めておきたいというわけではないのだが、無駄に冷やしている関係もあるように思われて、多少勿体ないと思うところはある。


でも、まあそれはそれとして、どうもやっぱり自分には、ひとたび「この人は身内」と思ってしまうと、その人との関係構築に関心が薄れてしまう傾向がある。たぶんこれは自分にとって短所なのだろうと思うので意識しておきたい。それに、ソトの友人って言ったって、積極的なネットワーキングとかを好まない自分の性分を考えると、ソトといってもそこまで広がりがあるわけでもないし。

Sunday, March 4, 2012

週末に思ったこと

今週末はわりと忙しかった。

▼金曜日は、VC/PEの教授が取り仕切っている、当校でのPEセミナー。学者・実務家が総勢50人ほど集まり発表を聞いたり情報交換したり。学生も数人参加でき、自分を含めて7人くらいが参加していたように思う。

他校の教授によるPE関連分野に関する論文やワーキングペーパーの発表や、これまでにGPファンドの組成になん百回と関与したという剛腕弁護士とGPのプリンシパルによる業界パネルディスカッションとか。

学者の発表も、実務家の発表も、ときにtoo academicだったり(推計方法に関するヤヤコシイ方法論に関する議論とか)too practicalだったり(業界用語をガンガン飛ばすので時に置いてきぼり)でたまに苦労したが、全体的には会に共有されている問題意識や発表内容は自身の関心にもフィットしていて、いい感じでストレッチ&知的刺激を得られる機会となった。

※当校の教授も数人いたのだが、ゲストスピーカーにかなり積極的に質問・コメント・批判をしていてその激しさにびっくり。言い方はマイルドなので場がとげとげしくなることはないのだが、聞いていると結構辛辣な批判をしていて驚く。ゲストなんだからお手柔らかに扱うものだと思っていたので。。。

個人的には、MBAで一番おもしろいのはこの手のセミナー関係かもしれない。

▼土曜日は芝刈り。引き続き不調だが、有名なStrawberry Firmというところでプレーできたのは良かった。

▼日曜日はとあるところのお手伝いとして、トーランスで大学生とお喋り。あまり準備もせずにいったのだが、それが奏功してか(?)、自分が潜在的に大事だと思っていることが「その場で考えながら喋る」と言う作業を通じて多少整理されたので非常に有難い機会となった。

おいおい練り直したうえで丁寧なメモでも書きたいところだが、今日はとりあえず備忘のための簡単なメモだけ:

(1) ひとつひとつの出来事や行動を、あるがままに捉えるか、あるいは「あるべきところからこれだけ乖離している」と捉えるか。

就職に関連する話をしていたとき、自分の方からは「とりあえず身近でAvailableな人に会い、その経験・刺激をベースとして企業研究やら業界研究やらを進めていく」、あるいは「とりあえず一歩踏み出してみる」という方法論を提示してみたところ、参加者から、「それだと、あなたの決断は、たまたま最初に会った人の勤務先や個性にかなり引きずられることにならないか?ベストな決断からずれる可能性がないか?」というコメントを貰った。

それを聞いて、まずは「ははぁ、全くその通りでございます。。」と思ったのだが、その後ちょっと別の考えが自身の内奥から出てきて、その学生には以下のように答えた:「ベストな結果というものなど、結局のところ存在しないのではないか?少なくとも自分は、その行動がべストだったかどうかという発想をあまりしておらず、ケセラセラな感じで人生を捉えている気がする。」

最初に会った人が「当たり」だったか「はずれ」だったかはあまり自分には気にならず、結果としてたどり着いた場所(勤務先とか、出向先とか、結婚相手とか、留学先とか)を良いとか悪いとかというよりはas it isで捉えて虚心に楽しむ...と言う感じだろうか。整理できていないが、

・結果は、獲得するものではなく、大きな力(?)によりもたらされるもので、最大限の努力を求める点厄介ではあるが、最大限の努力をしたところで結局は運。

・ただし、最大限の努力をしないとトラブルも

・「あるべき到達地点」があってそこから自分の現状が乖離しているかどうかとか、何か大きな目標を目指すという生き方は、少なくとも自分にはフィットしていない。

・自分はギャッツビーはないので、そのような大きな夢に向かって生きていくというよりは、目の前の人生を全力で生きた結果目の前に現れるなにものかを虚心に受け入れるmicroな人生を好んでいる気がする

というあたりの発想が自分の内奥にあるような気がした。


(2) 失敗を愛するのか、嫌うのか。

学生がインターンや仕事に関する心構えに関する質問をした際に、まったく答えが浮かばなかったのだが、そのとき即興で出てきたのが「中途半端にそつなくやるくらいなら、むしろ失敗しといた方がベター」という言葉。

自分で考える限りでは、おそらくこの発想は、もともとうっすらあったものがMBAの教育(洗脳?)の結果強化されたものであるように感じられる。

・その仕事なりインターンの目的が、その仕事それ自体を確実に成功させることなのか、そこで得た経験を成長の糧とすることなのか明確に分けるべきで、

・仮に成功それ自体が目的なら取り繕っても嘘ついてでも成功(と他人が認識するレベルのアウトプット)をもたらすべきだが、かりに経験が目的なら、むしろ大胆に失敗してしまった方がベター。

・中途半端に成功してしまうと、慢心してしまい反省できない。他人もそこにあった問題を看過してしまう。

・失敗して、怒られたり恥をかいたりしたら、嫌でも状況を見つめ直すことになる。友人家族に愚痴を言うと言う形であったり、反省文を上司あるいはブログに書くと言う形であったり。その反省と、それによりもたらされる反省の深化、今後の行動に対する指針といったものは、よほどできた人間でない限りは明確に失敗しないと獲得が難しい。

おそらく、この発想は、30歳前後の貴重な時期を、学校という失敗し放題の場所で過ごすことができたからこその発想なのではないかと思う。留学前に職場でいろいろやらかしたときには、ここまでドヤ顔で「失敗を愛しなさい」とは言えなかったと思う。

でも、その一方で、出向したり留学したりすることで職場を外から眺めることで、勤務先あるいは日本がいい意味でちっぽけであることが体感できたのは大きい。職場にこもっているとつい自分中心ワールドに浸ってしまい「これを失敗したら皆に迷惑がかかる」とか思ってしまっていたが、ぶっちゃけその迷惑なんて世の中の大きなうねりの中ではナノレベルの誤差だし、そのミスをカバーすることも組織の業務の一部である( べき)なのだ。むしろ、そのミスのおかげで少なくとも自分は成長して今後その組織により貢献できるし、ミスをカバーしたことでおそらく周囲も成長できるので感謝されてもいいくらいだ(激しく言い過ぎ)。


ところで、自分はこれまで職場でミスを叱られた経験に乏しいのだが、もしかすると過去の上司たちはこういった点(自分がわざわざ海外に来てようやく体得できた観点)を日本にいながらにしてさくっと獲得していたのかもしれない。さらに言えば、自分がここアメリカで獲得したと思い込んでいる各種考え方も、ものすごい大したことのないことかもしれない。でもまあ、(1)に戻るけど、それも含めて人生だよね。

Thursday, March 1, 2012

Disfunction

今学期と来学期にかけて行われるAMR(チームプロジェクト)の進捗がすこぶる悪い。ブログなので多少主観的に書かせてもらうが、自分以外のスペイン・メキシコ・インド人は就職が決まっていなかったりインターンしていたりこれまでのサボリの皺寄せでたくさん授業を履修していたりで、AMRに全くリソースを費やす気がない様子。

・ロジ関係は自分の担当ではないが、スペイン人君が自分からは何もしないので、毎回自分が「締切近いけどどうするよ」と言いだしっぺになってしまう。
・教授との窓口はメキシコ人君なのだが、ごにょごにょ言いながら教授とのコンタクトを怠るので、結局自分が窓口のほぼ全てをやっている。
等。

ここまでの進捗は散々なもので、
・先学期中に決まっているべきであったテーマの詳細で揉める。(教授の了解こそ得られたが、結局テーマはいまだに詰まってない・・・皆深く考える気ゼロ)
・教授とテーマについて合意してすぐ、1月後半に「とりあえずこれ読んで」とペーパーを貰った。一人2つなので2月1週目にはチームでブリーフィングできるかと思ったが、結局いまだにミーティングは開催されていない(し、おそらく自分以外は読んですらいない)。
・2月中旬くらいからプッシュを繰り返しているが、皆、1日後とか2日後にならないと返事が来ず、一人から返事が来るころには他のメンバーの予定が詰まってしまっておりミーティングのための共通空き時間がいっこうに捻出できない。
・つい先日、学校から中間報告のため学校と日程調整するよう要請が来たら、ようやく皆のメールが早くなってきた(半日に一回くらい)。しかしそのちょっとだけ早いやり取りでわかったのは、「学校が指定してきた3月第3週には、共通して参加できる時間がまったくもって存在しない」ということだけ。自分は授業をさぼってでも参加する気持ちでどこでも参加すると表明したが、他3人がやれデート、やれ授業、やれインターン...
・「そんなに皆忙しいなら、3人揃えばいいことにしようぜ」と言ったら、インド人君が「何言ってんだお前、チームワークなんだから皆揃わなきゃだめだろう」と妙に正論なことを言ってくるので再び日程調整が難航。
・最終的には、ある1時間について、メキシコ人君がたいした理由もなく単に「忙しい」と言っていただけであることが判明。彼から「どうしてもというならそこでOKだ、いや、大した用事はないからさ」と温かい言葉(?)を貰うことができた。
・なので、今学期中にやっておきたかったデータ収集は進捗ゼロだし、基礎文献の情報共有もまったくできていない。どうやら、インド人君は、「頑張ったがいい結論が得られなかった」という結論でも単位が貰えるというお花畑の妄想を抱いているようだ..
・今日は司書の人に自分達のテーマに関するデータベースの使い方を教わるセッションがあったのだが、インド人君がまさかの無断欠席。そこまで重要なイベントではないので無断欠席自体はさほど咎めるべきではないのだろうが、つい先日「皆いないとだめだ」って言ったのどこの誰よと。。


ここアメリカでは、担当や分担を明確に(文章で)決めればある程度進捗を期待できると思っていたが、チームメイトがしょぼい場合それも望めないことがわかってきた。

・文として分担表が存在しているが、その内容を忘れたふりをしたり。
・都合の悪い話(例:数日以内にミーティングしようぜ)は数日無視した上で「ごめん気が付かなかった。ちょっと忙しいのでまた来週」とかごまかす。
・ものごとをクローズすると言う感覚がなく、締切がどんどん迫っているのに、お構いなしで議論を一からやり直さなくてはならなくなるようなことを平然と言い放つ(しかもそういうのって大体無駄に正論なので、聞き入れざるを得なかったり)

最初の1年目にチームワークが上手くいったりいかなかったりした経験を今回のAMRに役立てようと思ったのだが、今のところうまく機能していない。率直に言って他のメンバーにやる気がなさすぎるのが主因だとは思うのだが、ここでは敢えて自分の改善余地-自分が改善することでチームのパフォーマンスが少しでも改善する可能性-について考えてみたい。

1.
1年目の各種チームワークで得た教訓の一つに、「ひとつひとつ片付ける」というものがある。やっつけるべき論点がA・B・Cと3つあるとき、AもBもCも一気に話をもちかけると、得てしてチームメイトがやる気を損ねるのを見てきた。そんなんでいちいち萎えるなよ。。と思うのだが、実際問題萎えられてしまっては困るので、やむなくAが終わるまで忍耐強くBもCも話を振らないようにこのAMRでは意識してみている。

しかし、その結果、Aも進まない→BやCはまったく始まりもしない...という状況が延々と続いてしまっている。やはりBやCを言うことでAをとっととやっつけないとまずいという意識を共有するべきなのかも?

と思い今回の中間発表を受けて、直面しているタスクのうち3つを一気に「ていうかこの3つ全部やっつけないとヤバいよね」と提案してみた。が、3つは彼らには望ましくなかったようで、2つスルーされた上で最初の1つだけ話がなんとなく進捗している。。

2.
「先走らない」というのも去年の教訓。自分はせっかちなので、結構な頻度で、自分が言い出しっぺになることがあった。相手に恵まれたときは、自分が早めに切り出すことで全体的に早く進捗したこともあったが、80%の場合は自分が早めに言い出したところで事態は何も早く進まなかった。むしろ、たまに不快感を示す人もいたり(「自分のペースがある」「忙しい」「お前が間違っていると、皆がお前の誤解に引っ張られる」etc.)

そこで今回のAMRでは、極力言いだしっぺにはなるまい...と思っていたのだが、最近は「皆実に忍耐強く、誰かが言い出すまで締切を過ぎても言わない」ことが良くわかってきたので、また揺り戻しだが「あれはどうする、これはどうするよ」と言いだしっぺになることが増えてきている、というか99%言いだしっぺになってしまっている。

本当は、どうせ早く言おうと遅く言おうと彼らの行動を早めることはできないのだから、言いだしっぺの役目を背負わず皆といっしょになってじっと黙っている方がよほど楽なのかもしれない。先んじて言い出すことで変な不快感を与えることもなくなるし、変な責任感のようなものからも自由になれるし。自分がいまふたたび言いだしっぺになりがちになっているのも、チームのためというより単に「締切が近いのに進捗ゼロ」という状態から脱却したいという自分の欲望が反映されているだけなのかもしれない。

3.
唯一維持できているのは、相手に対して攻撃的にならないという点。不必要に批判口調でしゃべったりとか、そういうのをせずにフレンドリーさを保つことができている。

でも率直なところ、これは、自分の中に「こいつら終わってるわ。。。言っても無駄」という諦念がかなり根強く定着してしまっているからであり、自分の精神が強くなったおかげとは今一つ言い難い感じ。その結果、

・しばらくじっと黙っているうちに締切迫る
・慌てて言いだしっぺをやり、1日とか2日返事が来ないのでイラっとする。相手も返事を怠っている後ろめたさや自分ばかり言いだしっぺをすることからちょっとイラっとしているのを感じる
・でも批判する気力が湧かないので、現状をほったらかしにしたまま
・そうこうしていたら、1学期が無為に過ぎてしまった

と言う感じ。


結局のところ、優秀な人と組むということに尽きるように思われる。授業とかでも、それができている科目は楽だし、そうでない科目はしんどかったし。悪い人と組んでしまったら、あとは何をやっても無駄だ。彼らも給料をもらうようになったらちゃんとやるのかもしれないが、少なくともここMBAでは自分から見たらただのXXXだ。そしてかく言う自分もZZZになりつつあるようで宜しくない。

ああ。。。まあ、もう、こういう苦境をどう乗り越えるかという修行であるとこのAMRを再定義するしかなさそうだ...orz