・金曜日。その辺に買物に行ったり、同級生との飲み会に行ったりといったのんびりした一日。
特に大きな出来事もなかったので、最近思ったことなどをいくつかメモしておくことにしたい。
・オペレーションの課題図書"The Goal"を読んでいる。以前も書いた気がするが、具体的なゴールを定めてそこに近づいているか否かという判断基準でものごとを進めるというコンセプト(この本の文脈に沿って換言するなら、部分最適に拘泥せずに常に全体最適を意識せよということだと思う)は全くその通りだと思う。
個人的には「具体的な」というところが気に入っている。これまで職場等で、単なる総論的な何も言っていないに等しいような目標と、それが全く機能しないという事態を何度も経験してきたからだ。
他方、その具体論(ボトルネックを特定し、そのキャパシティを改善せよ)というものについては、いくつかモヤモヤ感がある。
(1) ボトルネックの話自体は自分は学部時代から知っていたのだが、これってそんなに斬新な理論なのかな?あるいは、出版当初の1980年代後半の時点では斬新だったが今は周知でありさほど目新しいわけでもないという整理になるのかな?あるいは、1980年後半当時においても、日本の製造業がこの理論を実践できていなかったとは思えないのだけど、実際のところ日本製造業サイドによる本書に対する反応はどのようなものだったのだろうか。「そんなの知ってるよ」という話だったのではないかと少し訝しがっている。
(2) この理屈に基づくと、まず第一にボトルネック工程のキャパシティを改善せよという話になるが、この主張はともすると、「それ以外の非ボトルネック工程の改善は不要、あるいは後回しでいい」という示唆を惹起しかねないのではないか。ボトルネック工程の改善が必要なのはまったくその通りであると思うのだが、競争激しい今の時代、ボトルネック工程のキャパシティが他工程に追いつくのを待っているというよりも、よりダイナミックに、ボトルネック工程のキャパシティを急速に改善しつつ、同時並行で他工程もボトルネックとの関係に配慮しつつ改善を進めないと競争力を維持できないのではないか。
工程が2つだけのシンプルな工場で考える。ボトルネック工程Aは生産能力が1時間あたり5個、非ボトルネック工程Bが1時間あたり7個だったとする。「ボトルネックを改善せよ」というところだけ読んでしまうと、Aの生産能力を5から7にすればよいという印象を受けるが、どうせなら、あるいは仮に十分な予算等があるのであれば、「Aの生産能力を5から10に高めつつ、Bも7から10に高める」という改善を行ったほうが良いのではないだろうか。
仮に自分がこの考えをどこかで応用するときは、ボトルネックの工程(あるいは、人)だけケアしておしまいにならないように気を付けたい。ボトルネックだけ見るのなら、それってある意味部分最適を目指すのと同じだしね。