Sunday, October 30, 2011

投資家Tips

Entrepreneurial Financeという名物授業に来たゲストスピーカーの講演が面白かったので要点をメモ。
PE等投資家が肝に銘じておくべきポイントについて。先日のReadingの良い補完材料。

■ Cash is king

BSとかPLとかはサブ。とにかくキャッシュを見ろ。財務諸表が出てきたら、まずはBSの差額を計算したりして、企業がどうやって資金調達をしてどこに金を投じているのか見ること。運転資金は大事。

■ See whole Channel

その企業だけを見るのではなく、仕入れ先、納入先等サプライチェーン全体を俯瞰すること。売り上げが本当に消費者が購入したことによるものか、あるいは単に下流の販売店等に押し込んでいるだけか確認は必要。売上高を鵜呑みにしてはならない

■  Don't do linear interpolation

ファイナンスバックグラウンドのやつが一番はまる罠はこれ。何でもかんでも過去の延長で考えようとして、今後起こりうることに対する洞察が足りないやつが多い。線形回帰するだけならだれでもできる。これまでのトレンドを踏まえつつも、トレンド以外の何かが起こることをどれだけ想定できるか。

■ Deal with creditors

金融機関との付き合いは非常に重要。
また、付き合い方は時によって変わることも理解しておけ

■ Play the same game

インセンティブを関係者で統一することは非常に、超、大事。現場のセールスが売上高の極大化を目指してコントローラーが費用の最小化を目指して...という企業は最悪。投資家の仕事の大半は、投資先の関係者一同に同じゲームをさせることと言っても過言ではない。経営者の報酬設計から従業員のボーナスプランまで、これは技術的な問題ではなく中核的な問題。全員が同じゲームをしていない会社はすべからく駄目だ。

アイデンティティ

■ 何かの弾みで、県人会なるものにお招き頂いてしまった。。実に大人の世界で正直おなか一杯だが、これも日本では絶対に体験できそうにないのでいい体験ができた。世の中には色々な人がいるのだなぁと改めて感嘆。

自分の親は転勤族だったので、これまで出身を聞かれるたびにもごもごしてしまっていた。また、自分としても、アイデンティティが弱いということが常に気がかりというかちょっとした劣等感のようなものを持っていた。ずっと一つの街に過ごしていた人がノータイムで「僕の出身はXXXです」というのがずっと羨ましかった。

しかし、今回参加した県人会は、自分が幼少時ほんの数年住んでいただけの県。思い入れはあるが、出席できるほどその県に根付いていたとは到底言い難い。それでも参加させてもらい、且つそこそこローカルトークも楽しめたことから、自分のアイデンティティについてちょっとした開眼のようなものがあった。特定の場所に長期間住んでいなかったことを劣等感に思わず、むしろそれぞれの住んでいた町についてアイデンティティを感じてしまってもいいのではないか。住んでいた町全てが自分の故郷であると考えてしまえば、これまでの劣等感が一転複数のアイデンティティを自由自在に使い分けることができる強みになるのではないかと。A県トークもB県トークもC県トークもそれなりにできてしまうのは、これはむしろ強みなんじゃないかと。

故郷についてどこか一つ選べと言われたら相変わらず困惑してしまうかもしれない。また、その町の市長になれるほど深いコネクションを構築できるほどの深さは獲得しえない。でも、そんなことはあまり気にせず、A県出身として振る舞いたければA県出身として、B県出身として振る舞いたければB県出身と好き勝手に自身のIdentificationをやってしまってもいいじゃないか。そんなことをふと思い、結構心が晴れる思い。もちろん、ここカリフォルニアも、変に「2年しかいなかったから故郷なんておこがましい」などと考える必要はないのだ。アメリカ人や在米日本人と今後意思疎通の機会があれば、ためらいなく自分の故郷は(ある意味)カリフォルニアである旨堂々と話してしまえばいいじゃないか。全ては結局自分なのだ。故郷だってその他いかなるアイデンティティだって、出身や身体的特性により「決められる」のではない。自分がどう考えるかによって「自ら決める」ものでもいいじゃないか。


これまで、転勤が多かった自分の境遇について少し劣等感を持っていた(幼少時も転勤してるし、自分が社会人になってからも転々としている)。しかし、今日突然成り行きでA県人としてのアイデンティティを意識させられたことで、アイデンティティについてもっと自由に考えていいじゃないかということを急に思うことができるようになった。単に自己正当化の言い訳が見つかっただけなのかもしれないが、それでもいいのだ。自分の中でふわふわしていたことが今日思いがけず急にすっきりしてしまった。

Friday, October 28, 2011

ココイチ

ここ数日の模様


■ NYCから友人が来訪。学業の一環とのことで非常に羨ましい。これまでも何人かLAには遊びに来てくれているがそのたびにどうもてなしたものか迷いに迷う。今回もネタの無さに困ったが、結局トーランスのもつ鍋を一日、自宅で普通の鍋を一日と鍋三昧。LAとは全く生活スタイルの異なるNYCライフについて聞いて都会を羨んだり互いのここ数年を語り合って思い出を懐かしんだり、とても楽しい時間を過ごすことができた。本当は一日くらい車で観光案内できればよかったのだが、なんやかんや自分の予定が詰まってしまっていて、この車社会LAを公共交通機関で観光させる形になってしまい恐縮。。


■ 金曜日は何人かリサーチ関係のインタビュー。2人合計で6時間にもわたり話を聞かせてもらうことができた。とんでもない金額の時間泥棒をしてしまい恐縮しつつも、話のあまりの面白さに大興奮。帰宅が10時半と遅くなってしまったが、実に充実した一日であった。終わった後にまた会いましょうと言ってもらえると、社交辞令だろうけれども実に嬉しいものだ。

2つのインタビューの間に時間があったので、昼飯はトーランスに最近できたココイチ。日本にいるときはココイチの野菜カレーが大好きだったので、懐かしさのあまりむさぼるように食べてしまった(その結果、来ていったワイシャツにはカレー色の恥ずかしいシミがいくつか...)。外国人店員に「イラッシャイマセ」と言われてぎょっとしたが、これも良く考えてみたらいつも言っていた渋谷のココイチだって変わらんな。あそこもインド人とか中国人にイラッシャイマセと言われていたっけ。

食後には、トーランスのミツワの濱田屋にてクリームパフ(シュークリーム)をmgmg、コーヒーをgkgk、その後三省堂にて雑誌を立ち読みし駐車場で昼寝。嗚呼素晴らしい一日。


■ といいつつ宿題もしないといけないのだが、時間が足りない。最近どうも成長期なのか毎日一時には瞼が重くなってしまうので、得意の「時間が足りないなら寝なきゃいいじゃん作戦」も思うように使えず焦る。学期始めには4時間半睡眠構想とかあったが。。。最近よく眠ってしまっているな。。。嗚呼

Wednesday, October 26, 2011

経営者・起業家にとってのファイナンス

授業のリーディングがとても参考になったのでメモ。

1. 要約
原題は『起業家が知っておくべきもの:ファイナンスの観点から』というものでHBSの教授によるもの。
起業家のためのペーパーとのことだが、起業家に限らず将来の経営者やCFO・あるいは金融機関・コンサルタントにとっても必要不可欠な論点が実にきれいに網羅されている。


要旨は
・ファイナンスとは(1)キャッシュ(2)リスクそして(3)価値について考えるための手がかりであり、
・これら3要素についてきちんと理解をしておくことは起業家にとって必要不可欠である。
・具体的には云々
ということで、上記(1)~(3)について具体的な議論が展開される。


2. キャッシュ

■ 経営者は損益ではなくキャッシュフローを見て意思決定や分析を行うべき。会計は別モノ。
■ 意思決定の尺度には、会計損益による指標(ROEとか)ではなくNPVを使うべき。
■ 経営者や従業員のインセンティブ設計(あるいは報酬設計)は、会計利益ではなくNPVをベースとすべき。
    □ 会計上の利益を良くするためにキャッシュフローが毀損されうる。
    □ 今年一年の利益を良くするために、将来のキャッシュが全て織り込まれたNPVが毀損されうる。
■ 税負担の最小化を図るべし。ただし法の範囲で
■ 成長メカニズムを理解すべき
    □  成長のためには資産の積み増しが必要。
    □  資産を増やすためには負債でもエクイティでも、何かしら資本を増やす必要。
    □  バランスシートを拡大させることなく売上高の成長というのは、一般的には非現実的。
    □  あわせて、インフレを考慮すべき。名目では成長していても、実質ではどうか?
■  経済のパターンを理解すべし。
    □  季節性・ビジネスサイクル・景気変動等。
    □  変動パターンを予測しきる必要はない。誰も明日の金利を予言できない。
    □  でも、どんな変動のときにはどんな対応をするか、準備できてないとまずい。
    □  大事なのは予測ではなく対応。
■  シナリオを描き不確実性に立ち向かえ。
    □  最悪の事態を想定すればいいというわけじゃない。大事は大事だが、滅多におきないことだけ備えてもダメ
    □  起こりうるシナリオを考えて、そのシナリオに対する対応を考えるのが肝要
    □  過去から線形回帰すればいいってものじゃない。あらゆる情報を使って、起こりうることを最大限考える。
    □  繰り返しだが、肝は読み切ることじゃなくて対応できるようにしておくこと
■  すべてのキャッシュフローを考慮せよ。
    □  計画中の案件のキャッシュを見るだけじゃ不十分。
    □  プロジェクトに連動して、既存ビジネスのキャッシュフローが変化しないかどうかもチェック
■  とにもかくにも、キャッシュを切らすな


3.  リスク

■  システマティックリスクだけ見れば良い
    □  リスク=システマティックリスク(マーケット全体が揺れたとき自社がどの程度揺れるか)
        +アンシステマティックリスク(マーケットに関係ない個別のリスク)
    □  アンシステマティックリスクはあなたの会社に投資している投資家が分散投資で消してくれている。
    □  なので、経営者はアンシステマティックリスクは気にせず、システマティックリスクだけ考慮すればよい。
    □  すなわち、自社が分散化できてなくても(というかそれが普通)、リスクパラメータはベータのみで良い
■  割引率
    □  色々議論はあるが、最低限、リスクフリーレート+ビジネスリスクプレミアム+ファイナンスリスク
        プレミアムという基本構造は理解しておくべき
■  リスクマネジメント
    □  基本ポイントは(1)何が起こりうるか?(2)その可能性は?(3)もし起こったときにどう対応すればよいか?
    □  具体的なツールは(1) シナリオ分析(2)パターン認識等、キャッシュの項で既に述べたもので良い。
    □  移管できるリスクは移管せよ(保険・リース等の活用)。
■  リスクは時が経つにつれて変化することを心得よ。
    □  リスクがずっと不変と思い込むなかれ。日々上記3ポイントの見直しが必要。
■  リスクとインセンティブ・報酬
    □  リスクが反映されない絶対額ではなく、リスク考慮後の相対的なパフォーマンスを報酬のベースとすべし。
    □  一期間のパフォーマンスではなく、長期間のパフォーマンスを見るべき。
    □  最低限、パフォーマンスとインセンティブをちゃんと連動させるべし。
■  各種ルール・法制度が変わりうるのもリスク。変わったらどう対応するか考えておくこと。
    □  ルールを絶対無二の所与とみなして思考停止しない。
    □  どのルールが変わりそうか、その可能性はどんなもんか、変わったらどう対応するか。


4. 価値 (キャッシュをリスクで割り引いたものが価値)

■  価値はキャッシュとして回収してナンボ。会計上の価値に惑わされない。
■  プラスのNPVの案件を見つけることと、迅速にそのチャンスをモノにすること、煎ずればその2つに尽きる。
■  感応度分析をせよ
    □ キーファクターが何か特定するのが一仕事。
    □ シナリオ分析は可能性の大きなものについてピンポイントで検討するものだが、感応度分析は
       可能性ありきではなく、虚心にキーファクターが動いたらどうなるか検討するもの。スタートが違う。
■  一般均衡に対する配慮。
    □  ある変数が動けば、普通は他の変数も変化する。
    □  偏微分的に「他の変数をすべて固定して...」というアプローチも有益だが、それで全てを語らないこと
■  価値を生み出す契約を締結すること。
    □  経営者の仕事は、言ってしまえば、契約を結ぶこと。
    □  ひとつひとつの契約がプラスのNPVを生むものかどうか、意識を忘れないこと。
■  市場の効率性について
    □  もちろん、いつも何でも市場が効率的ということはない。
    □  でも、頭ごなしに市場の効率性を否定してはダメ。
       市場が間違っているという発想からスタートするアクションは得てして大失敗に繋がる
       (現行の金利は高すぎる!よって固定調達はしない、とか)
    □  市場の効率性に対する懐疑心を持っていることが肝要。効率性を全面否定しては駄目。
    □  市場が非効率であるという発想から何かをするなら、非効率である原因について説明できる必要がある
■  オプションについて理解せよ。
    □  経営の色々な側面にオプション的性格を有するものが含まれている。
    □ ブラックショールズを理解せよとは言わないが、基本構造(ボラが上がるとオプション価値が高まる等)は
       理解しておくべき。
    □  それがオプションであるという認識、どうすれば価値が最大化するかという理解があるとないとでは
       そのオプションの使いこなし度合いに天と地の差。
■ フレキシビリティは価値である。
    □  余剰資金は、金利負担があるが、その一方でフレキシビリティという価値をもたらしている。
    □  コストと対比すべく、今の自社にとって必要なフレキシビリティの程度等について意識を巡らせること。

5. まとめ(自分の私見。本文の要約ではない)

○この基本原理のようなものを意識して臨むのと臨まないのでは、経営者・金融マン・コンサルタント等、今後の仕事ぶりが大きく違ってくると思う。少なくとも自分について考えると、ここに書いてあること全てを体得(知っているというレベルではなく使えるレベル)していれば、過去の顧客や関係者に3倍から10倍は価値を提供できた気がする。

○ファイナンスとはバリュエーションやブラックショールズといった小手先テクニックに非ず。ファイナンスとは、ものを考えるにあたっての基本的発想なのだ。もちろんファイナンス以外にも身に着けておくべき基本的思考回路は数多くあると思うのだが(ビジネスに絞ればこれ以外に経済・マーケティング・オペレーション等もおそらく同様に基本的発想と言えるのだろう。また、ビジネスに限らないなら歴史観や哲学といったものも有用だろう)、ファイナンス出身者として、上記に整理したようなファイナンスの基本思想くらいは使えるように体得しておきたいものだ。

Tuesday, October 25, 2011

褒めたり調子に乗ったり

雑感・自戒など

●  人に感心して、それを素直にほめるのはいいことだと思うが、ほめ方ひとつ違うだけで印象が異なってくる。一言で言うと、無理してその人の良いところを相対化しようとすると得てしてハマると思われる。

    ○  褒めるのは良いが、そこにいない人を貶めることにより相対的に目の前にいる人を浮かび上がらせる手法は取るべきではない。「彼はなんか最近全然余裕なさそうだけど、あなたはまだまだ余裕ありそうですごいね」みたいな。貶められた第三者に必ず何らかの形で伝わるし、変な形で褒められた相手も「俺もきっと陰では悪口言われているんだろうな」と考える。特に、チームメイトのことは絶対そういった形で貶めては駄目だ。

    ○  「いやー僕もあなたのような選択を若いうちにやっておくべきでしたわー」と過去の自分を貶めるのもアレ。そんなこと言われても相手も困るし、今更過去には戻れないし、というか今からやれば?という突っ込めちゃうし。過去の自分の行動と相手の行動を比較して心底「負けた」と思うこともあるが、その人に言うのではなく、ツイートするなりブログに書くなり穴掘って叫ぶなり飲んで忘れるなり、他の処理方法を模索すべきなのだろう。


●  自信を持つことは一般論としては良いことだと思う。でも、持ち方ひとつでその自信が良い方にも悪い方にも転びうるように思われる。経験、特に失敗経験は現状比120%くらいアピールしてもいいように思うのだが、「俺こんなことできるぜー」的なできるできないというレベルの自慢は現状比80%くらいというか0%(やめる)にしてもいいかもしれない。

    ○  「俺はXXXができる」という自信はアレ。そもそもXXXが本当にできるか怪しいし、自分よりXXXが優れている人などそこらじゅうに存在する。できるできないというのは必然的に程度の問題であり、できると考えるのは個人の判断である(例:英語ができると称する留学帰りと、英語ができないと嘆く通訳のプロ、本当に英語がうまいのはさてどっち)。すなわち、「できる」と何かを誇ることは、客観性の枠を飛び越えて自分に対して何かしら好意的な判断を下していることに等しい。もっとざっくりいうと「できる」という自信は少なからず過信であり、それゆえ失敗につながりやすい(聞き入れるべき話を聞くことができないとか)。仮に「XXXできる」という思いが自分の原動力となり何かの助けになるのなら、その思いそれ自体を破棄する必要はないと思う。しかし、胸にとどめておくべき類のもので他人に匂わせるのはアレと考えておいてもよいかもしれない。

    ○  「俺はXXXについて既に経験したことがある」という感じで、できる・できないではなく経験有無のレベルに抑制された自信は割とマシ。「俺はXXXで失敗したことがある」だとなお良い。「できる」という判断には不可避的に過信やプライドが混ざり込むが、経験は単なる事実描写にすぎないので自信が過信につながるリスクも低い。失敗経験があると、失敗したときの苦労やみじめな思いなどを同情することができるし、自分も失敗しているので謙虚になれるのでなお良い。

Monday, October 24, 2011

君子豹変せよ

月曜日。朝にミーティング→昼にリサーチについて指導教官に報告→終わり次第再びミーティング→授業→バタンキュー。


○リサーチの経過報告。話が早い先生で、こちらが用意した紙を説明しようとしたら、しゃべりだしたころには「OKわかった、それではXYZ」とテキパキと指示が。まるっきりの丸投げというほどの緩さも感じさせない一方で程よく自由にやらせてもらっている感じで(って自由研究なんだからそりゃ自由だろって感じだが)程よい刺激。アドバイスも、専門家だけに的確というか目からうろこというか。


○毎週月曜日は朝から授業が始まる16時までちんたらミーティングをしているが、毎回毎回色々学びがある。今日もひとつ反省というか痛感というかがあったのでメモ:


この授業はひたすらコールドコールされる点・その発言のクオリティが成績の3分の2を占めるという点に特徴がある。なので皆熱心に準備をするのだが、わがチームにいる女の子Jは臨機応変とかがお嫌いなようで、いつ何を聞かれてもすっと答えられるように特に熱心に準備をやりたがる。なんちゅうか役所勤務時代にたまに見かけたタイプ(※)。
(※)そうじゃない人もいっぱいいるのだが、絶滅はしてないというのが自分の所感

事前に問われていること(ケースの根幹部分)について要点を押さえるだけでは全然満足してくれず、自分にしてみれば「付随的であり、聞かれてからその場で考えればよくね?」みたいな細かい話もとにかく詰める。毎回ミーティングの実質的な部分は午後一時くらいには終わっていて、自分や他の男子メンバーは他の課題をやったり鼻くそをほじったりしているのだが、Jはひたすらケースを隅から隅まで読み返し、蛍光ペンをぐりぐりやったりエクセルをにらみまわしたり。聞かれていない点も思いついたものは全て答案に盛り込もうとして、実際コールドコールされたときには教授に「で、お前の今の話の要点はなんだったの?」と言われてしまったりしている。

自分はこのJのことを尊敬はしているがその一方でめんどくさいとも思っていた。全体的に話の軽重を全然区別してくれず、他のメンバーが地下1階にいるのにJだけ勝手に地下5階くらいから何かマニアックな質問をしてきたりするとやっぱりちょっと疲れてしまう。「それはメインイシューじゃないし、後で手が空いたときにやろうよ」と言っても、すっかり心がその細かい話に集中してしまい議論そっちのけで細かい計算に没頭してしまっていたり。仕方がないので無視して他のメンバーと議論していたら、途中いきなり「あ、できたかも」とか言ってマニアックな計算の結果を披露して(その結果話の腰を折って)みたり。「でも私、やっぱりさっきのアレもう一回議論したいんだけど」とか、「回収額が初期投資額の2倍見込めるからこの投資はGOってことはわかったわ、でも、回収額って210じゃなくって208じゃない? (GoかStopかのいずれかを選ぶだけの問題なのに)」とかがよくあるパターン。

その子が凄いけどめんどくさいという認識はまだ変わってはいないのだが、今日あったのはこんなこと:
その子がそんな調子でマニアックにかつマイペースに彼女の気になる論点を潰そうとするので、こちらはついついイラっとしてしまい、彼女がとあることを言ったときに軽く聞き流したうえで「オッケーわかった、でも210だろうが208だろうが、初期投資額の倍程度の黒字が見込まれるという結論には変わりないから気にしないで大丈夫だよ」といなしてしまった。で、いざ授業に出たら、教授が「これ重要ね」として取り上げたのがまさに彼女がこだわっていた話で、コールドコールされた自分がクリアに回答できず教授にしかめ面されてしまった(多分減点)。。。

教授にしかめ面をされるとか、減点されるとか、そういうこと自体は構わない。むしろそういう苦い経験がないと改善しようとか頑張ろうと言う気持ちも湧き出てこないので、そういうひと悶着があったのはwelcomeでさえある。ただ、では今後俺はどう改善すればいいのかと考える段で、色々下記のようなことを考えた:

・まず、そもそも、自分に、何が重要で何がそれほどでもないかを100%ばしっと見分ける力があるわけではない。
自分が重要だと思ったことだけちゃんとやっていても、「自分は重要だと思わなかったったけど実は重要なこと」を取りこぼしてしまう。重要じゃないと思われることもそれなりにケアすべき。
ミーティングのダイナミズムを保持するために事の軽重を意識し続けることは大事だが、めくらめっぽうに「それは大事だからもっと!それは大事じゃないから却下!」とやり過ぎると上記取りこぼしリスクが出やすくなるのでほどほどにする必要がある。

・仮にJが多少ズレていたとしても、彼女の話が100%ずれているわけではない。半分、下手するとそれ以上、本来であれば聞くべきである重要なことを言っているのだ。どれだけ彼女の話の運び方が下手でいらいらさせられても、耳をふさいでしまっては駄目だ。自分が損する。きっちりその半分程度の「おいしい話」は頂くべき。

・人に何かを話すときは「説明が下手だったら開始5秒で聞いてもらえなくなることを覚悟すべき」と考えて丁寧に説明すべきだが、人から何かを聞くときには「こいつの説明が下手だったら開始5秒で聞くのやめてやるぜ」では駄目だ。聞かないことによる損は大きい。

・限りある集中力や体力を傾斜配分することは要領や生産性の源泉であり、ヒューリスティックを使って「なんだかこいつの話はしょぼいな」とか「こいつアホだな」と開始5秒で仮説を立てること・その仮説に基づき聞く耳に力を入れたり耳をふさぎ気味にしたりすることは立派なスキルだと思う。しかし、耳を100%塞いでしまってはだめだ。生産性維持の観点からおおむね耳をふさぐのは有益だが、取りこぼし最小化の観点から100%耳をふさぐのは良くない。

・ズレてる人もいいことを言う。これは上記のとおり。で、彼/彼女がいいことをいったとき、いかにスパっとこれまでのスタンスを切り替えて彼の意見を積極的に聞き入れたり彼に賛意を示すことができるか。「うーんこの人ちょっとアレ」と思ったばかりにその人が良いことをいっても聞く耳持てないとか、聞くには聞くけど「渋々聞きます」みたいな雰囲気を出してしまったりとか、それで損するのは自分だ。相手に「なんだお前、態度豹変させやがって」と思われてでもいいことを言った人には全速力で態度を改めて全力で賛意を示すべきなんだろうと思う。
自分のように最初からパーフェクトに物事を片付けることができるわけではない人間は、このような豹変力を意識的に高めないといかんなぁと痛感。



○と色々授業を聞きながら反省させてもらってJには感謝している。実際、今日から豹変力を発揮してJに「さっきはすまんかったな」と言おうかとも思ったのだが、終了直前になりJに「ねえ、ここの計算ケアレスミスしてるよ。222,222なのに222,173になってるよ...」とすっごく細かい点について指摘されてすっかり頭汽車ポッポ状態になってしまい、謝罪も感謝も何もできず終わってしまった。そもそもそこの計算、君、やらずに来て自分の計算丸パクリしとりますやんか。。。

Sunday, October 23, 2011

ディズニーランド

○日曜日。宿題もすっきりさせて(※)いざアナハイムのディズニーランドへ。
(※帰宅後すっきりしていなかったことが判明したが...)
敷地内のレストランで娘の誕生日パーティをやったりアトラクションを回ったり。


○東京ディズニーランドとフロリダは行ったことがあったのだが、アナハイムには行ったことがなかった。そんな順番で行ったので、アナハイムディズニーランドのシンデレラ城のかわいさ(しょぼさ)にびっくり。古くからある施設だけあって、全体的に古臭いとまではいわないが歴史感がある感じ。


○そんなにつまらないことはなかったのだが、どうも盛り上がらず、夕方には早々に撤退。ユニバーサルスタジオもそうだが、なまじ近いと「いつでもまた来れる」と思ってしまうのか何なのか、どうも燃えない。容易に手に入るようになると逆にありがたみを感じられなくなるとか、大人になるのも必ずしも良くないなぁというか残念。そういえば小学生の頃とかは、自販機でジュース買ったり駄菓子屋でお菓子買うだけですごい贅沢をしている気持ちになれていたなぁとか色々思い出した。豊かになっても、欲しいものが変わるだけで、主観的な幸福度はさして変わらないのかも。びんぼっちゃまからお坊ちゃま君くらいの大幅な変化があればまた違う感想を持つのかもしれないけど。


○でもおかげで、夜は園内のしょぼいのに高いピザとかホットドッグとかを食べずに済んだ。ディズニーランドのあるアナハイムの隣町であるサイプレスに行き、最近お気に入りのCafe Hiroへ。相変わらず店は盛況で、予約していなかったら入れなかっただろう。ここに来たら外せないウニパスタとかをmgmg。妻は来る前は腹いっぱいでそんなに食えないと言っていたのに、おいしいからかペロッと食べてしまい、残りをもらう構想だった自分は肩透かし(妻の食べない分をもらうという前提で、自分のペペロンチーノを娘に景気よく分けていたので割を食った)。デザートも美味しかったし、また是非近いうちに来たい。


○ディズニってる間に宿題に関するメールがいくつか来ていたので、帰宅後眠い目をこすりながら人の作業にコメントを入れたり、自分のやり忘れをやったり。でバタンキュー。夜のパレードなんて見てたら死んでいたかも...

Saturday, October 22, 2011

懐かしのカオス

土曜日

○子供手当てが入金されていることに気が付いた。もう非居住者になって1年以上経っており住民税も払っていないのに。いいのか渋谷区。。計算ミスとかじゃいのかな?とりあえず娘のために取り分けておくので、やっぱ返せというなら早めに言ってくれ、、、


○ベニスビーチ近くのAbbot Kinneyというこじゃれた通りで昼飯。海に近いからか寒い。おしゃれな通りだからか、この辺には珍しくおしゃれな人が多いしセレクトショップなんかもある。東京から来て間もなかったりしてLAの田舎臭いところが嫌な人とかは是非行くといいんじゃないかと思った。メシが高かったのと駐車料金が安くはなかったのが玉にきずだが。。


○他校の1年生の話を聞いていたら、グループワークで四苦八苦しているとのこと。思い切り去年の今頃の自分を思い起こしたが、同時に、最近その手の苦労からすっかり離れて久しいことにも気が付いた。自分の関心のある分野の選択科目を履修して、自分が信頼できる人を中心にチームも組んでいるので、最初の学期にあったような「わけのわからない人がわけのわからないことをする」という事態がすっかりなくなってしまっているのだ。


普通に考えれば、これはいいことなんだと思う。だけど、昭和的というか体育会的発想をすると、これはもしかすると「得して損を取っている」ような状況なのではないかと感じられる。わざわざMBAに来る理由は、煎ずれば「将来何らかの形でいい思いをするため」であり、「MBAにいる2年間いい思いをする」ということは結果的に達成できれば有難いが主目的にはなりえない。しかし、今の自分は「カオス的なディスカッションをなんとかまとめて、とにもかくにもアウトプットを出す」みたいなことをせずに済ませてしまっており、目の前の楽を取る一方で将来の「グローバル折衝において発生するカオスに対する耐性」みたいなものを毀損してしまっているのではないかと感じられる。将来こういった状況でストレスを感じてしまうくらいなら、今のうちストレス耐性を付けておいた方がよいのではないか。そんなことを考えると、「じゃあ来学期はあえて仲良くない奴と組むか」という結論になるが、それはそれでやっぱり面倒臭いなぁと思ったりしつつ今日もまた夜が更けていく。。。

Friday, October 21, 2011

実務型プロジェクト??

○来月のボスキャリの時期にボストンに行くことに。寒いのかもしれないが楽しみ。

○妻の友人が家に来てくれるとのことで、夫は学校の図書館に避難。思わず勉強がはかどってしまった。やればできるじゃないか。

○夜に会食。自分に足りないのは熱だと思っていたが、熱も足りないが冷静さも足りてないかもと感じた。無感動なことや鈍重なことと冷静なことは同義ではないってことかなぁ。酒のせいもあってか、久しぶりに思いがけず思いのたけを喋りまくってしまい軽く反省。いつになったら人との対話の後に反省することなく気持ちよく眠ることができるようになるのだろうか。。

○2年生の必修科目であるAMRという実務研修について。

・学校のAMR事務局の対応が驚異的に悪い。これまで5回ほどメールで問い合わせをして、返事が来たのはわずかに一回。それ以外は返事を待たずになんとか解決したり、待ちあぐねて直接彼らのオフィスに聞きに行ったりしていたが、昨日またしても問い合わせを無視されたので事務局トップのおばちゃんに苦情ではないが相談してみた。幸いなことにそのおばちゃんは理解してくれて速やかにAMR事務局に改善させるよう言ってくれたが、さてどうなることか。

・率直に言ってこのAMR、なくなってほしい。というのも、
(1) 実務で得た疑問について論理的に整理したくて来ているのに、なぜまた実務の世界に行かなければならないのか。そんなの卒業後いくらでもできるって。
(2) 事務局がしょぼすぎて、まともな案件がない。しょぼいNPOばっかりで、その中から選ぶか自分で探すか、あるいは教授と何か論文を作るかしか選択肢がないなんて必修科目とするには全然いけてない。
(3) AMRは非常にTime Consumingであり、その時間を使って3つから4つは余分に授業を履修することができてしまいそう。実務的経験に価値がないとは言わないが、素晴らしい教授たちの授業を犠牲にしてまで素性のしれないよくわからない企業にコンサルに行かなければいけないことに合理性はあるのか。

事務局がちゃんとした案件を数多く用意できないのであれば、いっそ選択科目にしてしまうべきだ。現状は、事務局がまともなタマを殆ど用意できておらず(しかも対応が激悪)、多くのグループはしょぼい案件を受け入れるか自らタマを探すかしないといけない(しかも、クライアントは学校に1万ドルくらいの報酬を払わないといけないので、学生はクライアントに「僕たちがコンサルするので1万ドルよろしく」と言わなければならない)。そういった行動に価値がないとは言わないが、それは大学的・学術的行為ではまったくない。その分勉強に集中する方がよっぽどマシだ。もしかすると実務的経験に高い価値を見出す人がいたり授業に価値を見出さない人がいるのかもしれないが、授業に価値を見出す自分のような人間のためにも、この手のプロジェクトものは選択科目にしてほしい。正直なところ、このAMRのしょぼい実態を踏まえると、自分は自校をあまりお勧めできない。

Wednesday, October 19, 2011

祝3周年

最近買ったワインが美味しくて、つい「深夜のもうひと踏ん張り」ができずあっさり寝てしまっている件。。


○娘が3歳になった。自分の誕生日など数年前から憂鬱でしかないし、妻の誕生日はまあいいんだけど(?)何かとお金がかかる。その点、娘の誕生日はなんというか実に素直に喜ぶことができるので良い。娘の誕生日を夕方からがっつり祝ってやることができる時間的余裕を得られている現況に感謝せざるをえない。


○おそらく、現在プラスマイナス1年くらいの期間は、自分の人生ににおいても相当「あたり」の時期なんだろうと思う。この幸せをかみしめるだけの心の余裕があればあれなのだが、どうも最近光陰矢のごとし状態で幸せをかみしめきれずにいるようで残念。


○いずれにせよ、戻ったらさすがにいよいよ今度こそちゃんと働かんとな、と気を引き締めてみるなど。

Sunday, October 16, 2011

How to deal with 説教

○経営者の人の話を聞くと、よく精神論に近いものが出てくる。いまどきの若手(?)な自分としては、ついつい斜に構えて聞いたり聞き流したりしてしまうのだが、最近、彼らがそういったことを考えるようになることについては理解できるようになってきた気がする。

(もちろん、自分にもマイルールのようなものはたくさんある。○○なことはしないとか、▲▲な人には近づかないとか、積極的に◆◆する、みたいな。でも、それを他人に積極的に伝えたりするかというと、自分はできない。そういったマイルールの根拠が薄弱であり共感を得られないものであると感じているからだ)

話を聞いていると、経営というものはまったくもって難しい意思決定の連続であり、一介の勤め人である自分など一生に一度あるかないかという決断が日常、まるでインディージョーンズみたいなものだということがわかる。でここから先は彼らの話をもとにした自分の仮説:

・彼らはそのようなしびれる意思決定に数多くさらされるので、毎回毎回一から考えていては時間も足りないし神経もすり減ってしまう。

・なので、指針たりうるような哲学・信念・基礎理論のようなものは彼らにとって重要になる。困ったときに従うべき哲学があるかないかで、決断のスピードや質に大きな変化が出るからだ。

・彼らは年をとったからそういう説教くさいことを言いたいわけではないのだ。そういった精神論的なものが実践的なレベルで彼らの経営を具体的に助けているから彼らはそういったものを信奉するし口にも出すのだ。

・そういったものが背景にある経営者が精神論的なものを口に出すので、そういったものを背景として持たない勤め人や学生が経営者の話を聞いても全然ピンと来ないのだ。聞くこと一つ一つについて表層的には理解したり納得したりできているような気がしているが、おそらく、精神論の本質部分は「あっちの世界にいかなきゃわからない」という類のものなのだと思う。

これはMBAで経営戦略やマーケティングの「定石」を学ぶことにも通じる。おそらくほとんどの学校で、授業で教わる定石の是非についてがっつり四つで批判的考察を加えることはないのではないだろうか。「使い方に気を付ける必要があるけど、とりあえずSWOTやっておけ」みたいな。MBA学生がSWOTやらなんちゃらフレームワークに依拠するのと同じような感じで、経営者の人は自身で見出した哲学や親の教えなどに従っているのではないか。で、経営者たちは自ら見出した経験則的なものに依拠していることが多いのでその決断に自信・重み・安定感があるが、MBAは単に「授業中、先生がそういっていた」というレベルなので、ついつい浅薄なレベルになってしまうのではないか。

学生の頃から現在に至るまで、新興宗教の問題などもあったから、何か特定の信条を持つことに対する抵抗感のようなものが自分の中には根付いてしまっている。極力ニュートラルであろうと考え、偏見や固定観念から自由でありたいという思いが常にある。だが、そういった「小奇麗な」脳味噌は、勤め人として過ごすには良いかもしれないが、自分の腕一本で生きていくにはやや弱いのかもしれない。痺れるような経験をベースとして何かしら思想があるくらいじゃないと、「あちら側の世界」では生きていけないのかもしれない。前にも書いたような気がするが、目指すべきは「クセのない人間」ではない気がしてきた。まあ自分がクセの無い人間かどうかと考えると全然クセがないことなんてないんだろうなぁとは思うが。。

・なので、彼らの精神論は、将来自分が壁にあたったときには役に立つかもしれないので記録しておきたいが、壁にあたっていない現状で言葉だけ飲みこんでも絶対に本質部分までは到達できないのだろうと思う。むしろ、なまじ吸収しようとすると誤解しかできずハマってしまうのだと思う。返す返す、人と話をするということは大変なことである。。。

Saturday, October 15, 2011

ゆるーい週末

週末。

○ゴルフ2連荘という贅沢をしてみるなど。先月はあまりにパターが入らず苦しんだので先日返品・交換したが、その新しいパターが割と好感触。スコアはたいしたことなくても、パターが入るとゴルフの楽しさが全然違うな。でも久々にバーディゼロだったのが残念。。

○息抜きに成功した結果、予習やら宿題にぜんぜん身が入らないという症状にさいなまれている。。オンとオフの切り替えがもたらすリフレッシュ効果は絶大だが、スイッチを効率よくオンにすることができればなおよいのだが。

Thursday, October 13, 2011

Creativity counts

木曜日。午前中のミーティングはいつも通り1時間弱で終わってしまい、あとは午後の授業までガンガンに予習を進めた。だんだん各科目とも内容が濃くなってきて面白い。そこまでマニアックに詰めますか~というレベルでバリュエーションについて議論したり、合併のみならず企業分割したときのメリデメについて侃侃諤諤議論したり、回帰分析において「知りたかったけど教科書読んでも難しくてわからんし、聞く相手もいないし」みたいな細かい論点が授業やその後のTAとの会話を通じ次から次へと解決していったり。実に楽しくて予習も全然苦にならない(言い過ぎか)。


○ところで最近娘におむつ離れの兆しが見えてきている。そこで、娘のために、持てるエクセルスキルを総動員して(?)アンパンマンの絵が入った表のようなものを作ってみた。ざっくりいうと昼のドラマで布団の営業マンが使うような成果に応じてシールを貼っていく表(優秀なセールスマンはシールが高く積みあがる一方、主役の山田君はいつもシールが一枚か二枚くらいでトホホみたいなあれ)。あまりニンジン(Extrinsic Incentive)を与えるのもどうかと思ったが、娘も気に入ってくれたようで何より。著作権の関係であれだが、自分としても思わずブログにアップしちゃおうかなと思ったくらい仕上がったものを気に入っている。

何より、単に一週間分の白紙の表にアンパンマンの挿絵を挟んだだけの簡単な表とはいえ、久々に創造的な作業をした。単にアンパンマンの絵を挿入するだけだが、それでも自分の中のクリエイティビティに火が付き、やっている最中には頭がフル回転した感覚。終わった今、頭がなんだかすっきりした感覚さえ抱いている。やっぱクリエイティビティは大事だな。これからも行き詰ったときはゴルフとかネットサーフィンなんかより、絵を書いたりした方がいいのかも、なんて。無理にでも何か作れば、それで脳が刺激を受けたりすっきりしたりアドレナリンが出たりして、ストレスがふっとびテンションがあがり機嫌がよくなり、そうなるとより一層クリエイティビティが増大して...なんて感じの循環はどうだろう。近々試してみようかな。

Wednesday, October 12, 2011

教授が大物過ぎた件

水曜日。

○一限の計量経済の時間、突然教授の電話が鳴る。まあそういうのは教授でも生徒でもよくあることなので、その段階では特に驚かず。で、教授が電話に出たのだが、その時点でもそれほどは驚かず。どうせ「今忙しいからまたあとで」と言ってすぐ切るものだと思っていた。しかし驚くことに、教授は一向に電話を切るそぶりを見せず、あろうことかそのまま部屋を出て行ってしまった。なんじゃそりゃと思ったのだが、しばらくすると教室のスクリーンに接続されていたBloomberg Radioのページからその教授の声が。どうやら教授はBloombergから電話インタビューを受ける予定があったようで、不在中も我々はBloombergを通じて教授の声を聞くことになった。。全ては聞き取れなかったのだが、記者が何か質問した際の教授の返答が「それはまさに私が今授業で教えていることだ」みたいな冗談を返していたのが印象的であった。授業抜けてるじゃん、早く戻ってこいよ...と思ってしまうなど。先生は確かに大物であるようだが、若干教育には身が入っていない感じがしてどうしたものか。

○雑感

・いくら「人生成り行き、ケセラセラ」という思考が自分の根底にあったとしても、それを他人に出しては駄目だ。当たり前のことなんだろうが、今日改めて痛感。昨日書いた本気の話にも通じるが、自分の斜に構え病はもしかすると深刻なのかも。なんというか、ちょっとした恥をかく機会があり、そのおかげで上記のようなことを痛感。

・はるか昔、オペレーションの授業で、「生産量がキャパシティに近づくと等比級数的に遅れが拡大する」みたいなことを学んだ気がするのだが、今の自分がまさにそれな気がする。背伸びして色々やって、結果キャパ一杯のところに近づいて、必要以上に余裕を失ってしまっている感覚。5が7になっただけで、余力が5から3になっただけにもかかわらず、精神的余裕は5から1くらいになってしまっている感覚。

なんだか常にあれやこれやが心配事として頭の中を巡ってしまっていて、夏休みの頃に「暇だからこそ思索に浸れる」とかほざいていたころが信じられない。こうやってブログに文字数だけは書いているが、全然思考は深いところに到達しておらず、あっぷあっぷのなか頭の表層に浮かんだ文字を拾ってはPCに落としての繰り返しといった感じ。

その昔、短い社会人人生で1,2回ほど多忙により似たような状況にはまったことがある。また、同僚が似たような状況にはまっているのを見たこともある。これって、はたから見たら全然何がそんなに苦しいのか理解できないし、自分としても終わってから振り返ると「何がそんなに大変だったんだろう」「いくらなんでもそこまで大変ではなかっただろうに」と思ってしまう感じ。

思うに自分は愚痴を聞いてくれて飯の支度までしてくれる妻がいて、かわいくて仕方ない娘もいて、しかも趣味のゴルフも金銭的・距離的に簡単にできるし、石を投げれば届く範囲だけでも多くの友人がいる(ってプロ野球選手かよと)。おまけに就職活動とは無縁。なのでどちらかというと「ストレス?は?お前ふざけんな、何を偉そうに」と言われても仕方がない境遇の人間なのだと思う。独身の人とか、中部の学校で日本人コミュニティがない学校に通っている人とかの苦労を思うと自分なんて屁みたいなものなのだろう。とわかってはいるのだから、もうすこしTake it easyにできればと思うのだが、どうも思う通りにはメンタルコントロールができないものだ。。

ゴルフでもしたら治るのかな。

Tuesday, October 11, 2011

本気

火曜日。

○朝からリサーチの関係でトーランスへ。昼に山田屋でつけ麺を食べたらまあまあ美味しくて満足したが大盛りは確かに大盛りでうっぷり。食べ過ぎて、帰宅後図らずも気絶。知人に餃子を強要される夢を見たので、相当食べ過ぎたのだろう。なんとか目覚めた後に少し勉強。夕食は妻の命を受け(?)ビバリーヒルズにある高そうなレストランにて。メインシェフっぽい人が日本人で、ガラス越しに見えるキッチンでバリバリ働いている姿を見て少し嬉しい気持ちになったが、値段ほどには味には感動しなかった。高すぎて自分が批判モードになってしまっていたのかもしれないが。

○運転中などにふと思ったこと:

最近、チャレンジ精神と称して色々と無理目のことに足を突っ込んでしまっているが、その際に自分に保険をかけてしまっていてそれが諸々ネガティブな影響を出してしまっているような気がする。
(予め駄目だったときの言い訳を用意しておく/次のネタを考え始めることで現在のネタに対するフォーカスを下げる、等)

そんな感じで自分が怪我しないように小細工してしまっている結果、
・肝心のチャレンジ中に、「どうせこけるし」という思いが顔をのぞかせ、本気を出せずじまいになる
・一回こけてからの巻き返しこそが重要かもしれないのに、立ち上がることなくあっさり引き下がってしまう
・なぜこけたのか、次失敗しないためにはどうすればいいかという反省フェーズで真剣に反省できなくなる
といった弊害が発生してしまっているような気がする。

ここ最近、リスクを取った人・人生のある期間本気で何かを行った人といった人々の話を聞く機会が増えている。そういった人々の話を聞くにつれ、自分にはそもそものパッションや想像力も足りていないかもしれないが、それ以前に、自分がやると決めたことについて本気を出すというある意味当然のこともろくすっぽできていないのではないかと感じるようになってきている。

目の前のことに100%の本気を出すことや思い切りショックを受けて死にもの狂いで同じ過ちを犯さないための反省をすることができていないから、人より成長スピードも遅い、あるいは成長できていないような。

チャレンジすることはそれ自体そこそこ絵になる。だが、そのレベルで悦に入ってしまっては駄目だ。人生の勝負どころにおいては、ブレーキをかけずに全速力で突っ込まないと永遠に壁を突き抜けることはできないのではないか。ブレーキをかければ転んでも軽傷ですぐに立ち上がることができるが、得るものも多くない。結果として大怪我したり周囲から白眼視されることを覚悟してでも、人生にはブレーキをかけず(あるいは必要以上のブレーキをかけず、ということかもしれない)エイヤっと突っ込まなくては見ることが叶わない世界があるのではないか。

安易にノンブレーキで突っ込むことが正解というわけではないだろう。リスクを可能な限り丁寧に見積もることは常に重要だと思う。だが、そこに地雷があるからチンタラ進むという人間と、地雷があることを理解した上で地雷がないと思われるところを全速力で走りぬけようとする人間では、大きな差が生まれてしまう、そんなことをふと考えた。

Diversification, Divestiture

多角化戦略、昔はさておき今はデメリットの方が大きいのではないかというリーディングのメモ:

1. 多角化のメリデメ比較

Pros:
・節税可能性:損金益金のガッチャンコができる
・リスク分散:多角化していれば一事業が赤字になっても全体として持ちこたえる可能性。
・Internal Capital(部門間での資金融通)を利用できる:銀行や投資家にディスクロしないで済むのはメリットだし、手元にある資金は人から出してもらう金より遥かに使いやすい(Pecking Order)。また、Internal Cash Managementの仕組があれば、各事業部門が余ったからと言って資金をしょぼい事業に投資することを回避できる。

Cons:
・各事業部のモラルハザード:他部門がカバーしてくれるからといって過剰なリスクを取ったり、他部門に赤字補填に回るくらいなら自部門で無駄に使ってしまえとか
・経営者が中立的になれない:本来Unsystematic Risksは投資家がヘッジすればよい話だが、赤字になると首になる経営者としては多角化するインセンティブを持ってしまっていて中立的に判断できない
・Internal Capitalにも問題あるよね:そんな洗練された組織では、意思決定に時間がかかるようになってしまう。Overheadも増えるだろう。また、CMSがあると、配当するよりもどこかの事業部門に突っ込んどけという傾向が生じ非効率性が増長する。
・アホ経営者を追放しづらくなる:アホ経営者を追放しようにも、そのために買い占めなくてはならないエクイティが1億円のときと1,000億円のときではその難易度は大きく異なる。また、大企業は概して株主構成がより分散していて、株主のまとmった同意を得るのが困難。
・コングロマリットは得てして経営者があまり自社株を持っておらず、エージェンシーコスト発生リスクが大きい。株主と運命を共にしていない経営者に望む通りに働いてもらうためには、バカみたいな報酬を彼に払わなくてはならなくなる(オーナー社長であれば、そんな馬鹿みたいな報酬など払わずとも株主のため全力を尽くすだろう)

2. 外部環境の変化

・投資家がより賢くなり、株主の発言力も高まり、ディスクロ圧力も増大。これらの結果無駄な多角化が今まで以上に疑義にさらされることが増えた


(感想)
・既にそうなっているが、これからはより一層コア事業への集中とかノンコア事業の売却とかが求められるのだろう。
・多角化が経営者のインセンティブになっている、経営者は多角化度合いについて中立的たりえないというものが個人的には最大の学び。無意識にはわかっていたような気もするが整理したことはなかったと思う。
・多角化バンザイとかシナジーいっぱいという議論は、常に買ったり売ったりが起きていないと儲からないコンサルIB及び多角化してたほうが自己利益につながる経営者がタッグを組んで株主をだまくらかそうとする試みである可能性を疑うべき。その意味で株主は今よりもっと強く賢くなるべき。
・本稿はアメリカの証券市場を念頭に置いており「株主が強くなっている」と論じているが、これは日本ではまだあてはまらないところもあるように思われる。もっとアクティブな機関投資家は出てきていいし、出てくるはず。そうなると空前の非多角化(Divestiture)ブームが起きるかもしれず、そのときはM&Aアドバイザリーもプライベートエクイティもウハウハなんじゃないか...と妄想。

Monday, October 10, 2011

会議ばっかり

月曜日。

○夕方からの重たい授業(ケース3つ)に備え朝からずっとミーティング。事前に出される質問自体もそこそこ難しいし、授業中には質問以外のこともガンガン聞かれるので、仕事が丁寧なことに自分の中で定評がある女の子J中心に想定問答までやってしまうなど。なにせ授業中の発言の量ではなくクオリティによって成績の3分の2が決まってしまうので(しかもチームの連帯責任)、やろうと言う人がいる以上、やり過ぎとは思いつつも頑張らないと男がすたる状態。なんか最近毎日何かしらミーティングしていて、その回数やら時間やらが去年より多い気がするのだがどういうことだろう。

○授業直前に、とあるファイナンスの教授から連絡が。よかったらTAにならないかとの申し出。同級生の話を聞く限りではTAをするということはわりと名誉であることみたいだったし、何か自分に個別に連絡が来ているように思えたのでとりあえず教授に会いに行ってみた。そしたら、すっかり勘違いしていたが別に自分に個別に依頼したわけではなかったようで、志願者のone of themみたいな扱いを受けてしまうなど。色々面接っぽく質問を受け、当方の都合のみならずファイナンスの知識についても聞かれてどぎまぎしてしまう。その結果、ただでさえ英語がアレなので教授にあまりいい印象を与えることができなかったようで、「また連絡するよ」という残念でした風の一言を頂いて試合終了。やっぱりいくらなんでももうちょっと英語上達させないとまずいなぁと思わずにはいられなかった。まあでも、最近つい惰性で「英語なんて通じりゃカタカナでも問題ないし」みたいな開き直りの方向に傾きつつあったので、いい喝をもらったということでいい勉強させて頂いたという解釈で本件を締めくくることとしたい。。まあ残念賞

Sunday, October 9, 2011

忙しい風の週末

○週末。

・金曜日:学校でミーティングが入った。金曜学校に行くのは始業式とかを除くとものすごく久しぶり。休日出勤に拒否感がありこれまでは金曜日のミーティングを極力月~木にするべく努力してきたが、あまりに宿題が多いので金曜出動せざるを得ない感じ。やむなく「金曜日は平日である」と気持ちを切り替えて学校へ。まあ実際平日だし。不承不承行ったが、行ったら意外と楽しかった。何人か友人も来ていて、皆普段よりはゆったりとしたタイムスケジュールなので、宿題するふりしてだらだらと雑談したり。普段喋らないようなクラスメートと話す機会を得られたりして。夜は友人と食事。

・土曜日:学校の子持ちの人々が集まってBBQ。肉持ち込みということで我が家は肉といくばくかのフルーツだけ持ち寄ったが、殆どの参加者はもっと色々持ち込んでいて軽く恐縮。夜はガーデナのOtafukuというそば屋。そばもまあ美味しかったが、出し巻き玉子とかの一品ものがとても美味しかったのでまた是非通いたい。あとは夕方に打ちっぱなしとか。

・日曜:忙しくて、行きたかったゴルフに行けず。いや正確に言うと、忙しい雰囲気によって心の余裕を少し失ってしまい、行こうと思えば行くだけの余裕はあったにもかかわらず家でのんびりするという安易な方向に流れてしまった。まあおかげで昼寝したり娘とごろにゃんしたりしてそれはそれで悪くないんだけど。昼はMontana AveにあるFather's Officeという店でハンバーガーをお持ち帰り。基本はバーでハンバーガーもやっているといった感じの店なのだが、十数ドルするので当たり前といえば当たり前だが滅茶苦茶うまかった。近いうちに友人の誰かを誘って夜のバーに行ってみたいと思わずにはいられなかった。やっぱり、うまい食い物がないとバーに行こうという気持ちは出てこないんだよね。ゴルフに行かなかったおかげで勉強も大いにはかどった。

○週末もメールにて複数のグループワークが進捗。互いに敬意を持ち、自発的に作業を引き受けあうことができているチームもある一方で、皆揃いに揃って「いかにして自分の負担を最小化しつつ、他のメンバーにやってもらうか」みたいな駆け引きばかり繰り広げられているチームもある。MBA学生には素晴らしい人も多いが、全員が全員尊敬できるいい奴というわけでもないということを再認識。できるだけ協力的でありたいと思っているが、自分の分だけやればいい・できれば自分の負担を最小化したいといったスタンスがにじみ出てしまっている人に対しては彼らのやり方をそっくりそのまま真似て切ってしまうのも悪くない気がしてきた。

もういくつ寝ると...

○気が付くとあと一週間足らずで30歳になってしまうことに気が付いた。こりゃいかん。参った。。

○昔は色々と「30までにはどうしたこうした」という構想やら夢を持っていた気がするが、今となってはどんな夢を描いていたのかもよく思い出せない。いわんや、自分がそういった夢をどの程度達成できたのかなど全くわからない。
ぱっと思い浮かぶところだけ検証してみると、

・20代のうちにやっておきたかった留学についてはまあぎりぎり達成できたような(帰国時に30を超えるので達成と言えるのかわからないが)。といっても、入念な準備の末に勝ち取ったというよりは、たいして準備もしていないのにぽっこり権利をもらえてしまったという感じなので、勝ち取ったとか計画通り進んだという感覚は全然得られていないのが残念なところ。

・30までにはするつもりのなかった(というか、多分一生しないんじゃないかと思っていた)結婚はだいぶ早い段階で思いがけずやってしまい、さらに思いがけず、子供まで20代のうちに作ってしまった。結果的に今の家族3人という状況は全然まんざらではないのだが、でもやはり思い描いていた構想とは異なることからたまに「俺がまだ独身だったら...」という妄想をしてしまうこともある。

本来は留学しかり結婚しかり、もっと主体的計画的に勝ち取るという経験を積んでおけば自分の人生観のようなものは大きく変わっていたようにも思われる。だが、今のところは、主体的というよりは成り行き任せで人生の大半のイベントが進展していて、主体的計画的に動くことの限界やら意味の無さのようなものをつい考えてしまう。同世代でも全く違う人生をベースにまったく違う価値観を獲得している人もいるだろうことを思うと、なんか随分遠くまで来ちゃったなあといったことを感じる。

ま、何にせよ、「今後のキャリア」とか「価値観」とか色々考えた方がいいことも色々あるのは承知しているが、それはさておき30代といえばハゲ白髪肥満や各種成人病と出会う時期でもあると思われる。ぼんやり考える限りでは、自身の頭髪量や加齢臭の程度こそなるようにしかならない類のものでキャリアやら価値観やらは努力や計画次第で随分改善する余地があるように思われる。さりながら、どこでどう間違えたのか、今の自分はぼんやりと「キャリアなんてなるようにしかならないので考えてもあまり意味ないが、とりあえず毎日丁寧に洗顔とか洗髪とかしよっと」という方向にしか思考が進んでいない。このままではろくなキャリアを獲得することなくしょぼくれていって、気が抜けた結果太って禿げて、、、という感じになりかねないので、あと一年弱のMBA生活をうまく使いつつ自分がどうありたいかについて真剣に考えてみないといかんなぁと改めて思いを新たにした。自分のイメージでは、公私ともに充実していればあまり極端にはげたり太ったりすることはないんじゃないかと思うのだがどうなんだろうか。勿論家系的な要素とかもあるだろうから一概には言えないけど。。

Friday, October 7, 2011

ジャパントリップ 光と影

雑感をいくつか:

○ここ最近見聞きした話をベースとして感じていること:

・「問題なのはWhat to doではなくHow to do it」というのがこれまでの自分の認識だった。禁煙した方がいいというWhat to doは大抵の場合当事者にとって言われなくてもわかっていることであり、どうすれば禁煙できるか、すなわちHow to doが主要な論点なのだと思っていた。

・しかし、How to do itも大事かもしれないがHow to attain something without doing itも同じくらい重要なのではないかと思うようになっている。
健康という大目標があって、そのソリューション(What to do)の一つに禁煙があったとする。で、どうやったら禁煙できるか考えることももちろん大事ではある。だがむしろ、禁煙できないという立場からスタートして禁煙なしで健康を達成するにはどうすればいいかと考える発想こそが大事なんじゃないかという発想。

・現状追認的という誹りを受けうる考え方なのかもしれないが、少なくとも問題意識からスタートすることで導出される「理想のソリューション」を実行することだけが最適唯一の方法であると考える必要はまったくないのじゃないかしらというあたりで思考が滞留しているところ。「タバコは吸ってもいいけど、野菜をたくさん食べることで体のコンディションを整えると良い」みたいな感じで、現状を無理にブレイクせず現状をベースとした解決策を提案することも検討せんといかんのではないかという思いがもやもやしている。まあそれこそが今の日本の財政なのかもしれないが。


○ジャパントリップ思考実験

・多くのMBAで、ジャパントリップ(JT)の準備が始まる季節。JTが日本人学生にとって概して素晴らしい経験となりうることはおおいに賛同する。だが、その素晴らしさがJTに行かないことで得られる素晴らしさと比較してどうなのかも検討した方がいいんじゃないかという思考実験。やり方としては、一般的に言われているメリットが果たして本当にメリットなのか検討し、その後あまりスポットライトが当たらないJTの機会費用について整理してみる。趣旨は一方的にDiscourageすることではなく、下記のような各種論点を包括的に考慮した上で参加・開催の有無を決めた方がいいだろうと思い。

・JTは色々なメリットをもたらしてくれる。だが、そのメリットには若干ながら再検討の余地がある:

日本人学生のプレゼンスの向上→JTはかなりの可能性で日本人学生あるいは自分自身のプレゼンス向上に寄与する。とはいえ、「日本人学生のプレゼンス向上」は自分個人にとって本当に価値あることか?自己満足を言い換えただけではないか?また、プレゼンス向上のために自分達がその辺でパフォーマンスを披露するというのはわかるが、プレゼンス向上のために外国人に旅行というサービスを売るというのは、主客逆転のように感じられるのは自分だけだろうか。

リーダーシップ経験→もちろん、やれば相応のリーダーシップ経験は得られる。少なくともレジュメに何か書けるだろう。とはいえ、旅行のアレンジ程度のリーダーシップ経験なら学部あるいは高校生のときに既にやったことがあるはず。ビザやら飛行機やら特殊なロジが加わるが大したものではない。他にもリーダーシップの機会はいっぱいある。他を頑張らず、やりやすそうなJTで急に張り切るのはどうなのか。

何か面白いことやりたいという素朴な欲求→個人的には、これが強いのであればおおいにやるべきだと思う。ただし、日本人学生が外国人学生をアテンドするという性格を踏まえると、何か面白いことをやりたいという思いはお客様目線では全くなく、自己満足的なものであることには自覚的であるべきだと思う。また、この欲求が自分だけのものか日本人チームで共有されているかも重要。自分が面白いことやりたいからお前らもやりたいはずだ、という発想は避けるべき。他の人はそれぞれ別の思いにより参加を決めている可能性が高い。

・JTの機会費用も考慮した方がいいのでは:

膨大な準備時間→日本人同級生と話し合ったり作業したりする時間。やっている最中はなんとなく有益な時間を過ごしているような感覚を得るが、留学中という状況を踏まえるとおそらく外国人同級生と触れ合ったりしている時間の方が有益である可能性が。しかも仕事内容自体は高校生レベルだし(かといってちゃんとできるとは限らないのだが)。かなりの時間を日本人同級生と費やすことって、実は立ち止まってよく考えていい論点だと思う。

貴重な休みが潰れる→春休みだか夏休みだか、3000ドルくらい。これだけの金と時間があれば、インドでも中国でも南米でも行けちゃう。金持ちの人は「別途南米いきゃよくね?」ということになろうが、いずれにせよジャパントリップを挙行することで相応の金と時間が吹っ飛ぶことは確か。

以上のような負の側面を考慮してもなおやりたいというパッションがあるなら、大いにやるべきだと思う。負の側面を考慮してもなおやりたいというくらいだから、きっとその熱意は長続きするだろうし企画の成功確率も高まるだろう。ただ、その辺の論点について考慮もせず軽いノリで参加を決めてしまうと、途中で「思ったより大変」「外国人同級生との飲み会断って日本人と話し合いしてるっていいのかな」といった揺らぎが出てきてしまう。そういう意味でも、投資信託の販売ではないが、リスクをちゃんと考慮してその上で参加有無を決めた方がいいと思う。少なくとも自分はこういった論点について思いを馳せることなくノリで参加して、途中でこういったリスクがあることを認識しテンションを落としてしまったので、同じ轍を踏んでほしくないと思っている。アントレプレナーとはリスクを無視して突き進むものではなく、誰よりも正確にリスクを認識リスクを最大限コントロールした上でチャレンジするものであると思う。

*あくまで一般的な話であり、UCLAのMBAに限った話ではないしUCLAの1年生を対象とした話でもないのであしからず。。

Thursday, October 6, 2011

モチベーション考

○ここ最近はみっちり学業に勤しんでいる。馬鹿丁寧にすべてのリーディングを読み、宿題はちゃんと全て予習して臨み、わからないところを明確にして授業に臨み教授に質問して、等々。リサーチも始まったばかりだがとりあえず動き出した。そろそろ取りこぼしが出てきそうな雰囲気だし、初期の高いテンションもややなくなっているのを感じはするのだが、まだなんとか踏ん張れている。

○今日ふと思ったのは、自分、あるいは他の学生にとって、MBAでみっちり勉強するインセンティブってどこにあるのだろうということ。

・勉強を頑張らないとドロップアウトする?
→ドロップアウトしない。アメリカの大学は入るのは簡単で出るのは難しいと言う話を聞いたことがあるが、少なくともMBAについてはこれは当てはまらないと思う。むしろ、入るのが難しくて出るのが簡単という方が現実に近いと思う。卒論もないし、授業のレベルも学部レベル+αといった程度のものが少なくない。PhDとか研究職大学院であれば事情はまったく異なると思うが、少なくともMBAで「全力で勉強しないと落第する」という危機意識を持っている人は見たことがない。他の事が忙しくて勉強に充てる時間が足りず苦しんでいる人は少なくないが、他のことを犠牲にしてまで勉強しないといけないという態度の人はあまり見ない。
自分としても、ドロップアウトのことなど1ミリも想定していないので、ドロップアウトの危機意識が自分の向学心を支えているということも全くない。

・卒業後の仕事に使う?
金融機関に戻る自分にとって、表面的にはほぼすべての授業が帰国後役に立つ。ファイナンス、会計のみならず、マーケティングや組織論なども顧客への各種提案に使える。といいつつも、率直にいって、今自分がMBAで学んでいるものが職場で即座に役に立つかというとあまり自信がない。自分の勤務先は仕事内容とMBAの勉強内容の重なりがかなり大きい方だとは思うが、それでもやっぱりそれほど即座に役に立つかというとあまりそうは思っていない。「MBAの机上の空論より、2年間現場で揉まれた方がいいに決まってる」と言われてしまうと残念ながらうまいこと反論できそうにない。もちろん、いくつか反論になるようなことは言えると思うが、口論になったら多分勝てないと思う。少なくとも、自分にとって「戻ったら使う知識だから」ということは学業上のインセンティブにはなっていないように思われる。選択科目選びの一つの判断基準にはなっているけど、その程度。

・派遣元の目もあるし??
派遣してくれたスポンサーに説明がつく程度には勉強しないと戻ってから怒られる、それはオハナシとしてはインセンティブの一つになりうると思う。ただ、言ってしまうと、そんなにきっちり派遣元にチェックされるとは考えられない。少なくとも自分の派遣元は、おそらく「2年間こなして帰ってくればいい」くらいに思っているのではないかと感じている。事実、入学して1年ちょっと経過しているが、どんなことを学んでいるかとか、現時点での成績はどうかとか、何かを問い詰められたことは全くない。なので、「会社に怒られない程度には頑張らなくちゃ」というのは、自分にとって主要なインセンティブとはなっていない。少なくとも「会社が求めそうな授業を取ろう」という発想は全くしたことがないし、社内選考のとき言っていたような授業とは違う授業も取ってしまっている(すいません)

・仲間に迷惑かけられない??
多くの宿題はチーム単位で課される。そのため、手を抜くとそれがチームメイトに露呈し、その場で非難されたり評判が落ちて自分と組んでくれる人が減ったりするということがありうる。実際、自分は組んで駄目だと思った人や評判の悪い人とは組まないようにしている。そういったことがあるため、クラスメートに迷惑をかけない程度には頑張って勉強しないといけないという思いは理屈の上では一つのインセンティブとなる。
自分にとっても、これはひとつのインセンティブとなっている。自分は特に英語が完璧ではないので、こういったグループワークは自分を売りこむひとつの好機であり、ここで頑張っておきたいという思いは自分にとってそこそこいいインセンティブとして機能している。

ということで、率直に言って、多くのMBA学生にとって、MBAにおいて学業に専念するインセンティブは特に備わっていないのではないかと感じられる。「卒業できる程度に頑張る」という最低限度のインセンティブは共有されていると思うが、「どこまでも頑張る」とあくなきモチベーションとかは共有されていないと思う。実際、殆ど全ての学生にとって、論点は「いかに他の事をしつつ勉強もマネージするか」であって勉強それ自体ではないように感じられる。

・では何がインセンティブなのか??
ここまで挙げた論点は、多少は自分にとってインセンティブになっているようにも思われるが、主要なものではない。しかし、実際問題、自分はいまのところ授業あるいは勉強にモチベーションを発揮できていると認識している。となると何かしら他のモチベーションが存在することになるが、さてそれはいったいなんだろうか。あれこれ考えてはいるが、つまるところ、①好奇心②とにかく何かしら全速力で走っておかないとまずいんじゃないかという根拠レスな不安の2つあたりかなと感じている。

①好奇心
日本で受験とか熱心にやったからかもしれないが、自分はさほど才能はないとはいえ勉強することや知識を得ることそれ自体に少なからず充足感を感じるような気がする。自分にとってMBAの勉強は金とか仕事のための手段というより、それ自体が目的であるような気がする。一言で言うと自己満足とかマスターベーションということになってしまうのかもしれない。しかもその知的好奇心や知的水準がむちゃくちゃ高いというわけでもないのが痛いとも思われる。でもまあそれはそれとして、自分にとっての最大の原動力は「勉強それ自体が楽しい」ということなんじゃないかと思う。UCLAあるいは米国教育法が知的好奇心を刺激してくれているという側面もあると思う。なので、自分は「勉強なんて二の次」とか「授業にはもう飽きたのでインターン云々」という考え方をする人のことを尊敬もするしぶっちゃけそういう考え方の方がPracticalなんだと思うが、自分の考え方とは違うと思っている。

②根拠なきストレッチ圧力
残念ながら自分も小さな人間であり、自分のことを絶対評価することはあまりできていない。やはり、基本は相対評価となってしまっている。彼より成績が悪いとか、彼女より出遅れているとか、あいつには負けてないなとか。なので、会社の同期やら同世代の友人の活躍や努力は自分にとって割と刺激あるいはプレッシャーになる。自分の同世代の友人たちの殆どは留学ではなく仕事をしているので、金がかかっていることから自分には想像もつかないくらいの真剣さで仕事に取り組んでいるのではないかと推察される。必要な知識をインプットして、関係者を必死に説得して、寝る間を惜しんで一枚でも多く提案書を作って、等々。同世代の人々が必死にそれぞれの責務に取り組んでいることを考えると、MBAの2年間はアドバンテージというよりはリスクとなりうる。単に学校でのほほんとしているだけでも年率1%くらいは成長するかもしれないが、他の皆はこの2年間平均して年率10%くらいで腕を上げているとすると、相対的には自分の成長はマイナス9%になってしまう。。
今はツイッターやらFBがあるので、友人の頑張りやら頑張った結果やらが比較的簡単に参照できてしまう。あるいは目に入ってきてしまう。その結果、自身をつい相対評価してしまう自分としては否が応でも動揺してしまい、相対的にマイナス9%になってはしないかと不安になってしまうのだ。

とかなんとか考えると、じゃあ仕事すっかという発想もあるのかもしれないが、基本的には「今できること、すなわち学業を彼ら並みの必死さでやるしかないのではないか」という感じの発想が出てくる。この勉強が自分をあるべき方向に成長させてくれているかは皆目見当がつかない。勉強を頑張っても何にもならない可能性も少なくないような嫌な予感もないわけではない。それでも、今頑張れるものがこのくらいしかないのであれば、とりあえず勉強を頑張るしかないのではないか。少なくとも、何かを必死にやる慣習さえ身に着けておけば、帰国後「自分をあるべき方向に導いてくれるものそのものズバリ」について同程度の頑張りで取り組むことができるような気がする。仮に勉強が無意味なものであったとしても、全速力で取り組む慣習をつけておかなければ、目の前に意味のある何かがあらわれても直ちに全力疾走できないのではないだろうか。「自分でタスク作り過ぎて眠る時間が減ってしまい、その結果朝の目覚めが悪くて妻に愚痴を言ってしまう」とか、そのくらいのシンドイ状態に自分を追い込んでおかないと帰国後本番が訪れたときに全速力で走れない体になってしまうのではないか...
なんちゅうか、「将来どの分野に進むかわからないけど、とりあえず筋トレはしっかりやっておいた方がいい」みたいなイメージが自分のモチベーションの一つになっている気がする。なんだか極めて昭和的・情緒的な感じで、きわめて今風ではない気がするのでアレだが。


なんかしょぼいけど、目下はそういったものが自分のモチベーションなのではないかと感じている。まあそもそも自分の原動力が何か突き止める必要がそもそもないのかもしれないけど、つらつらと思ったので書き留めておいた。

Tuesday, October 4, 2011

ここ数日

ここ数日やったことを備忘メモ

○週末:宿題、リサーチ(自由研究改め。自由研究って2回に1回タイポするので時間の節約)、友人とメシ、サンディエゴ航空ショーとか。特にサンディエゴの帰りに寄ったレストランが良かった。

○月曜:
・夕方からEntrepreneurial Financeの授業で、朝から授業直前までは殆どの時間その授業のためのグループミーティング。

・運転資金について侃侃諤諤。ミーティングではついエキサイトしてしまう。

・授業は、教授の詰めとかは言われているよりはマイルド感じで、且つ内容が実に刺激的。おそるおそる履修した授業だがこれは大当たり。これまで薄い理解しかできていなかった短期資金の世界、おかげで勘所のようなものをつかむことができた。ほんと長期資金の世界とは完全に別世界だ。。

・昼は友人とメシ。

○火曜:
・リサーチのため朝一でダウンタウンへ。その後時間が余ったので一旦帰宅し、娘と公園で少し遊び、その足でリサーチのためオレンジカウンティでヒアリング2件。その後食事をご馳走になってしまい恐縮しつつ帰宅。

・仕事から離れて久しいのでかなり忘れていたが、ヒアリング、特に経営者の方に対するヒアリングは半端なく頭を使うものであることを再認識。話それ自体の濃さ・自分の経験や知識でカバーしきれない部分の大きさ・経営者がもつ人間としてのオーラ等...現時点ではとにかく圧倒されて疲れたの一言。なんか体重も半キロほど減ったし。。

・それにしても、教授や友人の意見を仰ぎつつ短期決戦で起業周りの論点を押えていて良かった。おかげで、話を「頭がからっぽ」状態ではなく、「これは論点Aと関連している、これは理論Bと食い違うぞ」等々整理しつつ聞くことができた気がする。

Sunday, October 2, 2011

Valuation 10/2

Valuationの授業のおさらい。色々論点があってややこしいので、ブログにメモ

○お題:ディズニー、ノースロップ、オキシデンタル石油のいずれかについて(1)回帰分析(2)Comparableでベータを計算せよ

(1)回帰分析

・以前の必修のファイナンスでは
Rx-Rf = b(Rm-Rf) <回帰モデルの切片はゼロとする>
で回帰するように教わっていた一方で、今回は
Rx = a + bRm
で回帰するよう教わった。確かにリスクフリーレートを持ってくるのもめんどくさい(何年物のリスクフリーレートを取るかという判断を加えざるを得ない)ので今回のやり方の方がお手軽ではあるが、論理的にやや綺麗さを欠くような気も。

・データは週次を推奨されたのでそれに従う。が、配当調整済み株価を引っ張ってくるのも大変と言えば大変。うっかり配当調整前株価でやるとやっぱりずれるのかな。データ取得期間はなんとなく52週間としたが、それも恣意的で特にうまい説明が思いつかない。


(2) 比較分析法

・最大の難所は比較相手の選定。そもそもアメリカ企業に詳しくないのでこの会社の事業内容もよくわかっていないし、ましてやそれぞれのセグメントにおける比較対象たりうる企業なんてすぐには浮かばない。以前どこぞで読んだリーディングでも、この選定が新人とベテランを分けるものという記述があったような。

・比較相手のベータをどうやって見つけるか、あるいは作るか。この時点で厄介。結局(1)すなわち回帰を比較対象についてもやってやることになる。分析対象の企業の主要事業が4つあったとしてそれぞれのセグメントについて3つから4つくらい競合他社のデータを引っ張ったとしても、先ほどの回帰分析を12回以上やる必要が出てくる。いちいちExcelの分析ツールなんてやってたら日が暮れてしまいそうなので、LINEST関数を使うことにする。

・アンレバリング・リレバリングが必要になるが、どうも毎回うっかり簿価で計算してしまいそうになるがちゃんと時価を使わないといけない。ところで「負債は簿価を時価とみなす」という考え方と「負債ベータは1とする」という考え方は同じことを言っていると考えてしまってよいのかしら。リレバリングするときのレバレッジを直近値ではなく予測値にしなくてはならないのも、理屈としては納得できるが計算するうえでは気持ち悪い。

・各セグメントについて、複数比較対象企業のベータを作って、単純平均を取った。で、最後にベータ(セグメント1)とベータ(セグメント2)と…をがっちゃんこする必要がある。加重平均を取る必要が出てくるが、セグメント毎の時価総額が理想だがそんな数字は公表資料には載っていない。馬鹿丁寧にセグメント毎の価値を算出すればよいのかもしれないが、それもアレなので簡便的に売上高とかEBITとかで代用することとする。