Wednesday, October 12, 2011

教授が大物過ぎた件

水曜日。

○一限の計量経済の時間、突然教授の電話が鳴る。まあそういうのは教授でも生徒でもよくあることなので、その段階では特に驚かず。で、教授が電話に出たのだが、その時点でもそれほどは驚かず。どうせ「今忙しいからまたあとで」と言ってすぐ切るものだと思っていた。しかし驚くことに、教授は一向に電話を切るそぶりを見せず、あろうことかそのまま部屋を出て行ってしまった。なんじゃそりゃと思ったのだが、しばらくすると教室のスクリーンに接続されていたBloomberg Radioのページからその教授の声が。どうやら教授はBloombergから電話インタビューを受ける予定があったようで、不在中も我々はBloombergを通じて教授の声を聞くことになった。。全ては聞き取れなかったのだが、記者が何か質問した際の教授の返答が「それはまさに私が今授業で教えていることだ」みたいな冗談を返していたのが印象的であった。授業抜けてるじゃん、早く戻ってこいよ...と思ってしまうなど。先生は確かに大物であるようだが、若干教育には身が入っていない感じがしてどうしたものか。

○雑感

・いくら「人生成り行き、ケセラセラ」という思考が自分の根底にあったとしても、それを他人に出しては駄目だ。当たり前のことなんだろうが、今日改めて痛感。昨日書いた本気の話にも通じるが、自分の斜に構え病はもしかすると深刻なのかも。なんというか、ちょっとした恥をかく機会があり、そのおかげで上記のようなことを痛感。

・はるか昔、オペレーションの授業で、「生産量がキャパシティに近づくと等比級数的に遅れが拡大する」みたいなことを学んだ気がするのだが、今の自分がまさにそれな気がする。背伸びして色々やって、結果キャパ一杯のところに近づいて、必要以上に余裕を失ってしまっている感覚。5が7になっただけで、余力が5から3になっただけにもかかわらず、精神的余裕は5から1くらいになってしまっている感覚。

なんだか常にあれやこれやが心配事として頭の中を巡ってしまっていて、夏休みの頃に「暇だからこそ思索に浸れる」とかほざいていたころが信じられない。こうやってブログに文字数だけは書いているが、全然思考は深いところに到達しておらず、あっぷあっぷのなか頭の表層に浮かんだ文字を拾ってはPCに落としての繰り返しといった感じ。

その昔、短い社会人人生で1,2回ほど多忙により似たような状況にはまったことがある。また、同僚が似たような状況にはまっているのを見たこともある。これって、はたから見たら全然何がそんなに苦しいのか理解できないし、自分としても終わってから振り返ると「何がそんなに大変だったんだろう」「いくらなんでもそこまで大変ではなかっただろうに」と思ってしまう感じ。

思うに自分は愚痴を聞いてくれて飯の支度までしてくれる妻がいて、かわいくて仕方ない娘もいて、しかも趣味のゴルフも金銭的・距離的に簡単にできるし、石を投げれば届く範囲だけでも多くの友人がいる(ってプロ野球選手かよと)。おまけに就職活動とは無縁。なのでどちらかというと「ストレス?は?お前ふざけんな、何を偉そうに」と言われても仕方がない境遇の人間なのだと思う。独身の人とか、中部の学校で日本人コミュニティがない学校に通っている人とかの苦労を思うと自分なんて屁みたいなものなのだろう。とわかってはいるのだから、もうすこしTake it easyにできればと思うのだが、どうも思う通りにはメンタルコントロールができないものだ。。

ゴルフでもしたら治るのかな。