○経営者の人の話を聞くと、よく精神論に近いものが出てくる。いまどきの若手(?)な自分としては、ついつい斜に構えて聞いたり聞き流したりしてしまうのだが、最近、彼らがそういったことを考えるようになることについては理解できるようになってきた気がする。
(もちろん、自分にもマイルールのようなものはたくさんある。○○なことはしないとか、▲▲な人には近づかないとか、積極的に◆◆する、みたいな。でも、それを他人に積極的に伝えたりするかというと、自分はできない。そういったマイルールの根拠が薄弱であり共感を得られないものであると感じているからだ)
話を聞いていると、経営というものはまったくもって難しい意思決定の連続であり、一介の勤め人である自分など一生に一度あるかないかという決断が日常、まるでインディージョーンズみたいなものだということがわかる。でここから先は彼らの話をもとにした自分の仮説:
・彼らはそのようなしびれる意思決定に数多くさらされるので、毎回毎回一から考えていては時間も足りないし神経もすり減ってしまう。
・なので、指針たりうるような哲学・信念・基礎理論のようなものは彼らにとって重要になる。困ったときに従うべき哲学があるかないかで、決断のスピードや質に大きな変化が出るからだ。
・彼らは年をとったからそういう説教くさいことを言いたいわけではないのだ。そういった精神論的なものが実践的なレベルで彼らの経営を具体的に助けているから彼らはそういったものを信奉するし口にも出すのだ。
・そういったものが背景にある経営者が精神論的なものを口に出すので、そういったものを背景として持たない勤め人や学生が経営者の話を聞いても全然ピンと来ないのだ。聞くこと一つ一つについて表層的には理解したり納得したりできているような気がしているが、おそらく、精神論の本質部分は「あっちの世界にいかなきゃわからない」という類のものなのだと思う。
これはMBAで経営戦略やマーケティングの「定石」を学ぶことにも通じる。おそらくほとんどの学校で、授業で教わる定石の是非についてがっつり四つで批判的考察を加えることはないのではないだろうか。「使い方に気を付ける必要があるけど、とりあえずSWOTやっておけ」みたいな。MBA学生がSWOTやらなんちゃらフレームワークに依拠するのと同じような感じで、経営者の人は自身で見出した哲学や親の教えなどに従っているのではないか。で、経営者たちは自ら見出した経験則的なものに依拠していることが多いのでその決断に自信・重み・安定感があるが、MBAは単に「授業中、先生がそういっていた」というレベルなので、ついつい浅薄なレベルになってしまうのではないか。
学生の頃から現在に至るまで、新興宗教の問題などもあったから、何か特定の信条を持つことに対する抵抗感のようなものが自分の中には根付いてしまっている。極力ニュートラルであろうと考え、偏見や固定観念から自由でありたいという思いが常にある。だが、そういった「小奇麗な」脳味噌は、勤め人として過ごすには良いかもしれないが、自分の腕一本で生きていくにはやや弱いのかもしれない。痺れるような経験をベースとして何かしら思想があるくらいじゃないと、「あちら側の世界」では生きていけないのかもしれない。前にも書いたような気がするが、目指すべきは「クセのない人間」ではない気がしてきた。まあ自分がクセの無い人間かどうかと考えると全然クセがないことなんてないんだろうなぁとは思うが。。
・なので、彼らの精神論は、将来自分が壁にあたったときには役に立つかもしれないので記録しておきたいが、壁にあたっていない現状で言葉だけ飲みこんでも絶対に本質部分までは到達できないのだろうと思う。むしろ、なまじ吸収しようとすると誤解しかできずハマってしまうのだと思う。返す返す、人と話をするということは大変なことである。。。