雑感・自戒など
● 人に感心して、それを素直にほめるのはいいことだと思うが、ほめ方ひとつ違うだけで印象が異なってくる。一言で言うと、無理してその人の良いところを相対化しようとすると得てしてハマると思われる。
○ 褒めるのは良いが、そこにいない人を貶めることにより相対的に目の前にいる人を浮かび上がらせる手法は取るべきではない。「彼はなんか最近全然余裕なさそうだけど、あなたはまだまだ余裕ありそうですごいね」みたいな。貶められた第三者に必ず何らかの形で伝わるし、変な形で褒められた相手も「俺もきっと陰では悪口言われているんだろうな」と考える。特に、チームメイトのことは絶対そういった形で貶めては駄目だ。
○ 「いやー僕もあなたのような選択を若いうちにやっておくべきでしたわー」と過去の自分を貶めるのもアレ。そんなこと言われても相手も困るし、今更過去には戻れないし、というか今からやれば?という突っ込めちゃうし。過去の自分の行動と相手の行動を比較して心底「負けた」と思うこともあるが、その人に言うのではなく、ツイートするなりブログに書くなり穴掘って叫ぶなり飲んで忘れるなり、他の処理方法を模索すべきなのだろう。
● 自信を持つことは一般論としては良いことだと思う。でも、持ち方ひとつでその自信が良い方にも悪い方にも転びうるように思われる。経験、特に失敗経験は現状比120%くらいアピールしてもいいように思うのだが、「俺こんなことできるぜー」的なできるできないというレベルの自慢は現状比80%くらいというか0%(やめる)にしてもいいかもしれない。
○ 「俺はXXXができる」という自信はアレ。そもそもXXXが本当にできるか怪しいし、自分よりXXXが優れている人などそこらじゅうに存在する。できるできないというのは必然的に程度の問題であり、できると考えるのは個人の判断である(例:英語ができると称する留学帰りと、英語ができないと嘆く通訳のプロ、本当に英語がうまいのはさてどっち)。すなわち、「できる」と何かを誇ることは、客観性の枠を飛び越えて自分に対して何かしら好意的な判断を下していることに等しい。もっとざっくりいうと「できる」という自信は少なからず過信であり、それゆえ失敗につながりやすい(聞き入れるべき話を聞くことができないとか)。仮に「XXXできる」という思いが自分の原動力となり何かの助けになるのなら、その思いそれ自体を破棄する必要はないと思う。しかし、胸にとどめておくべき類のもので他人に匂わせるのはアレと考えておいてもよいかもしれない。
○ 「俺はXXXについて既に経験したことがある」という感じで、できる・できないではなく経験有無のレベルに抑制された自信は割とマシ。「俺はXXXで失敗したことがある」だとなお良い。「できる」という判断には不可避的に過信やプライドが混ざり込むが、経験は単なる事実描写にすぎないので自信が過信につながるリスクも低い。失敗経験があると、失敗したときの苦労やみじめな思いなどを同情することができるし、自分も失敗しているので謙虚になれるのでなお良い。