火曜日。
○朝からリサーチの関係でトーランスへ。昼に山田屋でつけ麺を食べたらまあまあ美味しくて満足したが大盛りは確かに大盛りでうっぷり。食べ過ぎて、帰宅後図らずも気絶。知人に餃子を強要される夢を見たので、相当食べ過ぎたのだろう。なんとか目覚めた後に少し勉強。夕食は妻の命を受け(?)ビバリーヒルズにある高そうなレストランにて。メインシェフっぽい人が日本人で、ガラス越しに見えるキッチンでバリバリ働いている姿を見て少し嬉しい気持ちになったが、値段ほどには味には感動しなかった。高すぎて自分が批判モードになってしまっていたのかもしれないが。
○運転中などにふと思ったこと:
最近、チャレンジ精神と称して色々と無理目のことに足を突っ込んでしまっているが、その際に自分に保険をかけてしまっていてそれが諸々ネガティブな影響を出してしまっているような気がする。
(予め駄目だったときの言い訳を用意しておく/次のネタを考え始めることで現在のネタに対するフォーカスを下げる、等)
そんな感じで自分が怪我しないように小細工してしまっている結果、
・肝心のチャレンジ中に、「どうせこけるし」という思いが顔をのぞかせ、本気を出せずじまいになる
・一回こけてからの巻き返しこそが重要かもしれないのに、立ち上がることなくあっさり引き下がってしまう
・なぜこけたのか、次失敗しないためにはどうすればいいかという反省フェーズで真剣に反省できなくなる
といった弊害が発生してしまっているような気がする。
ここ最近、リスクを取った人・人生のある期間本気で何かを行った人といった人々の話を聞く機会が増えている。そういった人々の話を聞くにつれ、自分にはそもそものパッションや想像力も足りていないかもしれないが、それ以前に、自分がやると決めたことについて本気を出すというある意味当然のこともろくすっぽできていないのではないかと感じるようになってきている。
目の前のことに100%の本気を出すことや思い切りショックを受けて死にもの狂いで同じ過ちを犯さないための反省をすることができていないから、人より成長スピードも遅い、あるいは成長できていないような。
チャレンジすることはそれ自体そこそこ絵になる。だが、そのレベルで悦に入ってしまっては駄目だ。人生の勝負どころにおいては、ブレーキをかけずに全速力で突っ込まないと永遠に壁を突き抜けることはできないのではないか。ブレーキをかければ転んでも軽傷ですぐに立ち上がることができるが、得るものも多くない。結果として大怪我したり周囲から白眼視されることを覚悟してでも、人生にはブレーキをかけず(あるいは必要以上のブレーキをかけず、ということかもしれない)エイヤっと突っ込まなくては見ることが叶わない世界があるのではないか。
安易にノンブレーキで突っ込むことが正解というわけではないだろう。リスクを可能な限り丁寧に見積もることは常に重要だと思う。だが、そこに地雷があるからチンタラ進むという人間と、地雷があることを理解した上で地雷がないと思われるところを全速力で走りぬけようとする人間では、大きな差が生まれてしまう、そんなことをふと考えた。