Thursday, October 6, 2011

モチベーション考

○ここ最近はみっちり学業に勤しんでいる。馬鹿丁寧にすべてのリーディングを読み、宿題はちゃんと全て予習して臨み、わからないところを明確にして授業に臨み教授に質問して、等々。リサーチも始まったばかりだがとりあえず動き出した。そろそろ取りこぼしが出てきそうな雰囲気だし、初期の高いテンションもややなくなっているのを感じはするのだが、まだなんとか踏ん張れている。

○今日ふと思ったのは、自分、あるいは他の学生にとって、MBAでみっちり勉強するインセンティブってどこにあるのだろうということ。

・勉強を頑張らないとドロップアウトする?
→ドロップアウトしない。アメリカの大学は入るのは簡単で出るのは難しいと言う話を聞いたことがあるが、少なくともMBAについてはこれは当てはまらないと思う。むしろ、入るのが難しくて出るのが簡単という方が現実に近いと思う。卒論もないし、授業のレベルも学部レベル+αといった程度のものが少なくない。PhDとか研究職大学院であれば事情はまったく異なると思うが、少なくともMBAで「全力で勉強しないと落第する」という危機意識を持っている人は見たことがない。他の事が忙しくて勉強に充てる時間が足りず苦しんでいる人は少なくないが、他のことを犠牲にしてまで勉強しないといけないという態度の人はあまり見ない。
自分としても、ドロップアウトのことなど1ミリも想定していないので、ドロップアウトの危機意識が自分の向学心を支えているということも全くない。

・卒業後の仕事に使う?
金融機関に戻る自分にとって、表面的にはほぼすべての授業が帰国後役に立つ。ファイナンス、会計のみならず、マーケティングや組織論なども顧客への各種提案に使える。といいつつも、率直にいって、今自分がMBAで学んでいるものが職場で即座に役に立つかというとあまり自信がない。自分の勤務先は仕事内容とMBAの勉強内容の重なりがかなり大きい方だとは思うが、それでもやっぱりそれほど即座に役に立つかというとあまりそうは思っていない。「MBAの机上の空論より、2年間現場で揉まれた方がいいに決まってる」と言われてしまうと残念ながらうまいこと反論できそうにない。もちろん、いくつか反論になるようなことは言えると思うが、口論になったら多分勝てないと思う。少なくとも、自分にとって「戻ったら使う知識だから」ということは学業上のインセンティブにはなっていないように思われる。選択科目選びの一つの判断基準にはなっているけど、その程度。

・派遣元の目もあるし??
派遣してくれたスポンサーに説明がつく程度には勉強しないと戻ってから怒られる、それはオハナシとしてはインセンティブの一つになりうると思う。ただ、言ってしまうと、そんなにきっちり派遣元にチェックされるとは考えられない。少なくとも自分の派遣元は、おそらく「2年間こなして帰ってくればいい」くらいに思っているのではないかと感じている。事実、入学して1年ちょっと経過しているが、どんなことを学んでいるかとか、現時点での成績はどうかとか、何かを問い詰められたことは全くない。なので、「会社に怒られない程度には頑張らなくちゃ」というのは、自分にとって主要なインセンティブとはなっていない。少なくとも「会社が求めそうな授業を取ろう」という発想は全くしたことがないし、社内選考のとき言っていたような授業とは違う授業も取ってしまっている(すいません)

・仲間に迷惑かけられない??
多くの宿題はチーム単位で課される。そのため、手を抜くとそれがチームメイトに露呈し、その場で非難されたり評判が落ちて自分と組んでくれる人が減ったりするということがありうる。実際、自分は組んで駄目だと思った人や評判の悪い人とは組まないようにしている。そういったことがあるため、クラスメートに迷惑をかけない程度には頑張って勉強しないといけないという思いは理屈の上では一つのインセンティブとなる。
自分にとっても、これはひとつのインセンティブとなっている。自分は特に英語が完璧ではないので、こういったグループワークは自分を売りこむひとつの好機であり、ここで頑張っておきたいという思いは自分にとってそこそこいいインセンティブとして機能している。

ということで、率直に言って、多くのMBA学生にとって、MBAにおいて学業に専念するインセンティブは特に備わっていないのではないかと感じられる。「卒業できる程度に頑張る」という最低限度のインセンティブは共有されていると思うが、「どこまでも頑張る」とあくなきモチベーションとかは共有されていないと思う。実際、殆ど全ての学生にとって、論点は「いかに他の事をしつつ勉強もマネージするか」であって勉強それ自体ではないように感じられる。

・では何がインセンティブなのか??
ここまで挙げた論点は、多少は自分にとってインセンティブになっているようにも思われるが、主要なものではない。しかし、実際問題、自分はいまのところ授業あるいは勉強にモチベーションを発揮できていると認識している。となると何かしら他のモチベーションが存在することになるが、さてそれはいったいなんだろうか。あれこれ考えてはいるが、つまるところ、①好奇心②とにかく何かしら全速力で走っておかないとまずいんじゃないかという根拠レスな不安の2つあたりかなと感じている。

①好奇心
日本で受験とか熱心にやったからかもしれないが、自分はさほど才能はないとはいえ勉強することや知識を得ることそれ自体に少なからず充足感を感じるような気がする。自分にとってMBAの勉強は金とか仕事のための手段というより、それ自体が目的であるような気がする。一言で言うと自己満足とかマスターベーションということになってしまうのかもしれない。しかもその知的好奇心や知的水準がむちゃくちゃ高いというわけでもないのが痛いとも思われる。でもまあそれはそれとして、自分にとっての最大の原動力は「勉強それ自体が楽しい」ということなんじゃないかと思う。UCLAあるいは米国教育法が知的好奇心を刺激してくれているという側面もあると思う。なので、自分は「勉強なんて二の次」とか「授業にはもう飽きたのでインターン云々」という考え方をする人のことを尊敬もするしぶっちゃけそういう考え方の方がPracticalなんだと思うが、自分の考え方とは違うと思っている。

②根拠なきストレッチ圧力
残念ながら自分も小さな人間であり、自分のことを絶対評価することはあまりできていない。やはり、基本は相対評価となってしまっている。彼より成績が悪いとか、彼女より出遅れているとか、あいつには負けてないなとか。なので、会社の同期やら同世代の友人の活躍や努力は自分にとって割と刺激あるいはプレッシャーになる。自分の同世代の友人たちの殆どは留学ではなく仕事をしているので、金がかかっていることから自分には想像もつかないくらいの真剣さで仕事に取り組んでいるのではないかと推察される。必要な知識をインプットして、関係者を必死に説得して、寝る間を惜しんで一枚でも多く提案書を作って、等々。同世代の人々が必死にそれぞれの責務に取り組んでいることを考えると、MBAの2年間はアドバンテージというよりはリスクとなりうる。単に学校でのほほんとしているだけでも年率1%くらいは成長するかもしれないが、他の皆はこの2年間平均して年率10%くらいで腕を上げているとすると、相対的には自分の成長はマイナス9%になってしまう。。
今はツイッターやらFBがあるので、友人の頑張りやら頑張った結果やらが比較的簡単に参照できてしまう。あるいは目に入ってきてしまう。その結果、自身をつい相対評価してしまう自分としては否が応でも動揺してしまい、相対的にマイナス9%になってはしないかと不安になってしまうのだ。

とかなんとか考えると、じゃあ仕事すっかという発想もあるのかもしれないが、基本的には「今できること、すなわち学業を彼ら並みの必死さでやるしかないのではないか」という感じの発想が出てくる。この勉強が自分をあるべき方向に成長させてくれているかは皆目見当がつかない。勉強を頑張っても何にもならない可能性も少なくないような嫌な予感もないわけではない。それでも、今頑張れるものがこのくらいしかないのであれば、とりあえず勉強を頑張るしかないのではないか。少なくとも、何かを必死にやる慣習さえ身に着けておけば、帰国後「自分をあるべき方向に導いてくれるものそのものズバリ」について同程度の頑張りで取り組むことができるような気がする。仮に勉強が無意味なものであったとしても、全速力で取り組む慣習をつけておかなければ、目の前に意味のある何かがあらわれても直ちに全力疾走できないのではないだろうか。「自分でタスク作り過ぎて眠る時間が減ってしまい、その結果朝の目覚めが悪くて妻に愚痴を言ってしまう」とか、そのくらいのシンドイ状態に自分を追い込んでおかないと帰国後本番が訪れたときに全速力で走れない体になってしまうのではないか...
なんちゅうか、「将来どの分野に進むかわからないけど、とりあえず筋トレはしっかりやっておいた方がいい」みたいなイメージが自分のモチベーションの一つになっている気がする。なんだか極めて昭和的・情緒的な感じで、きわめて今風ではない気がするのでアレだが。


なんかしょぼいけど、目下はそういったものが自分のモチベーションなのではないかと感じている。まあそもそも自分の原動力が何か突き止める必要がそもそもないのかもしれないけど、つらつらと思ったので書き留めておいた。