たまに人生損しているなぁと思うのは、なにかものごとを理解しようとするとき、ついつい一から自分の頭で再構築しようとしてしまうこと。
数学やファイナンスでも、なにかの打ち合わせでもいい。わざわざ教科書の作者やら打ち合わせでの説明者やらが、当方によかれと思いロジックを構築し、少なくともその人にとってはわかりやすいロジックで説明してくれる。だが、自分は得てして、その人のロジックに素直に乗ることを本能的に良しとせず、自分なりに咀嚼しようとする傾向があることを感じている。
具体的には、頻繁に「これはこういう理解でいいですか」と自分の言葉に置換した上で念押しの質問をしたり、ノートやブログなどに頭の整理と称して得た情報を自分なりに再配置したりしているやつ。
いつこのような思考回路が自分にしみついたのかはよくわからない。おそらく過去の教育のたまものなのだろう。これは時には役に立つ。自分の頭で再構築することでようやくすっきりすることは少なくない。
しかし、世の中の現象の全てがそこまでややこしいわけではない。簡単な話であれば、おとなしく相手のロジック通りに理解しようとしても理解できてしまうだろう。そんなときは、一々自分の頭で再構築しようとせず、するっと相手の言ったことを相手の言った通りに理解すべきなのではないか。
自分なりに再構築するのは時間もかかるし、相手にしてみれば「自分の説明を、微妙に曲解している」みたいに感じられるかもしれない。自分の言葉に換言するとどうしてもニュアンスレベルで元の発言とは差異が出てしまう。発言主にしてみれば、わざわざ自分が考え抜いた上で使った言葉を勝手に換言とか言いつつゆがめられたらたまったものではないと思っても仕方がないのかもしれない。自分の経験に照らすと、「それってこういうことですよね」と聞かれて、ニュアンスレベルまで含めて「そうそう」と思えることって案外少ない。実際のところは「うーん、ちょっと違うけど、まあ大体合ってる」という妥協の結果「そうそう」と言っていることが多い。この「再構築→換言→念押し」みたいな一連のやり取り、ヤヤコシイことをきっちり理解するには有益だが、なくてもいいならないにこしたことはないのではないか...というのが問題意識。そして自分は必要以上に再構築しようとする傾向があるなぁというのが問題。
なんというか、マニュアルに自分で再構築しながら理解しようとする態度も全否定されるべきでもないが、状況によってはもっとオートマチックに相手の話を相手が話す通りにすっと理解しようとする態度のようなものが自分にはもう少しあってもいいのかな、とふと感じている。それとも、相手の話を相手が話した通りに理解するのも、それはそれでハイレベルなスキルで、自分はその能力が十分でないという話なのかもしれないが。