祝日の月曜日。ビバリーヒルズ近辺でランチしたりウインドウショッピングしたり。昼間から贅沢してしまったので夜は湯豆腐をさらっと。でシエラネバダ飲みながら、宿題を友人とメールやらSkypeやらで詰めたり、FBのプロスペクタス眺めたり、FBでポチポチLike押したりしつつ、今こうしてブログを書いている。
今日から、最終学期となる2年目の春学期の選択科目のビッディングが始まった。今日はRumeltという大物らしい人物による戦略論の授業を無事に競り落とし。サプライチェーンマネジメントという科目がなぜか大人気でビッディングポイントがインフレしていたが、皆そんなにSCMやりたいものなのかしら。明日はNegotiationにビッドして、基本的にはこの2つで履修は終わりにしたいのだが、念のため3日目にはアントレか不動産あたりにビッドする予定。
いつもこのビッディングの時期になると、「自分は何を学びたいのか」「自分は何を学ぶべきなのか、足りないスキルは何か」といった観点で自分を見つめ直しつつシラバスとニラメッコするのだが、そんなことをしている中、ふと気が付いたことについてメモ。
最近、自分のメンタリティが「勉強すれば対応できるが、勉強してないことには対応できない」みたいなヘナチョコ方面にちょっと偏ってしまっていたかもしれない。アントレを履修しておかないと将来ベンチャー関連の仕事うまくできないんじゃないか...不動産勉強しておかないと将来不動産関連の仕事うまくできないんじゃないか...云々。やれアントレ、不動産、数理ファイナンス、マーケティング、オペレーション、テック、ソフトスキル...
でも、これってなんというか、2つの意味で間違っているような気がしてきた。
第一に、学校で履修したなら対処できるという発想はいくらなんでも学校を過大評価しすぎというものであろう。助けになることはあろうが、学校を出たら即プロになれるということは全くもってないはず。つい抱きがちな「この分野は学校で学んだから大丈夫」という発想は、仕事に戻ってからトラップのように自分を苦しめることになるかもしれない。あくまで学校は学校。実務における無数の「practical issues」を謙虚に理解しようと努めたり、理論と現実をうまく突き合わせたりするにあたり、「学校でやったから大丈夫」という発想を過剰にもってはまずいだろうなぁとふと感じた。
第二に、学校で履修しなかったことには対処できないという発想はしょぼすぎる。人間、知らないことやできないことにどう立ち向かうかが勝負であり、学校の授業はその「真の勝負」以外のところでモタモタすることを減らしてくれる潤滑油程度の存在ではないか。学校でやってないことは無理というスタンスでは、自分の世界の広がりがあまりに小さくなってしまうではないか。つい昨日、MBA受験時代のとある「基礎重視」というスタンスの学校に対するエッセイをふと読み返したのだが、その準備メモに「小手先のテクニックではなく、どのようなことにも挑戦していけるようなファンダメンタルな基礎力こそ自分の求めるもの」みたいなことが書いてあった。この感覚、MBAに来て1年が経ち、もしかすると忘れていたかもしれない。確かに応用的な知識は面白い。だが、おそらくMBAから実務に戻ってもっと本質的に役立つのは、そういう応用的な話をスムーズに咀嚼できるだけの各分野に対する基礎知識なのではないだろうか。
そういう意味で、果たして自分は(少なくとも経営の観点で)基礎体力をつけることができたのだろうか?
あるいは、仮にその基礎体力が不十分でも、今後、わからないことにもぶつかっていけるだけの「やればできるだろ」という感覚くらいは身に着けることができたのだろうか?
あるいは、「MBAは取ったけれど...」と複雑な思いを抱えたまま今後の人生に折り合いをつけていくのだろうか?
戻ってからの数年で、自分の2年間がどうであったのか、否が応でも明らかになっていくことだろう。でも、現時点で思うこととしては、「やったことはできる、やってないことはできない」だけの発想はやめないとな、「やってないことにも飛び込めるだけの『取っ掛かり』『基礎体力』こそが大事なんじゃないか」ということ。
と、すと思い出したので書き記しておく。