Wednesday, February 1, 2012

背伸び慶応生 vs 猫背東大生

今日ネットで見かけたブログが面白かったので感想等メモ。その人いわく、慶応の学生は共通して「根拠なき自信」を持っていてそれが就活などで割とワークしているとのこと。別に慶応生を批判しているわけではなく、その人自身慶応生みたいで、面白おかしく書いている。

自分もこれまで会った慶応生を見る限り、これはかなり正しいと思う。なんというか、自信にあふれた慶応生って多いと思う。就職活動中とか、そういった「自信にあふれた慶応生」にヤラれてしまいうまく自己アピール等できずまいった苦い記憶など。

ここで自分が言いたいのは慶応生の悪口ではなく、この「根拠なき自信」にちょっと関連しているような気がする彼らのもう一つの特徴について。自分から見て、彼らは、「実力が90しかなくても100の成果をゲットすべく努力することができる」という特徴を持っているように見える。悪く言えば「高望み」とか「見の程知らず」とか言えちゃうのかもしれないが、自分としては、彼らの野心・それを実現するための「頑張れる力」などを素直にすごいと思うのだ。おそらく、この「実力比120%を希求してやまない『背伸び力』」があるから、慶応生=意識高いみたいな印象があるのだろう。

これはアメリカでは少なくともMBA学生ならだれもがやっていることであり、当たり前に過ぎないことである。多くのアメリカ人は、あの手この手を使い、自分を実力比120%に演出するよう一生懸命努力しているように見える。なので、慶応生はこのアメリカ的思考回路にかなり馴染みやすいのではないかと推察している。

その点対極的なのが自分の東大だと思う。自分が見る限り、多くの東大生は「実力が100あれば、余裕しゃくしゃく80の成果を得ることをよしとする」タイプが多く、120%をしゃにむに取りに行く人はそう多くなかったように思う。「ハイスペックで実力が150くらいあるから、余裕こいていても120の成果を出して他人から見たらすごい」という人は少なからずいたが、「100の実力しかないのに120の成果を出した」という人はそうは見かけなかった気がする。慶応生が背伸びできているとするなら、東大生には猫背になってしまっている人が多いとでも言えようか。
※たまに、実力150で努力もきっちりしていて、常人には思いもよらない300くらいの成果を出している東大生とかがいてびっくりするけど

その「フルスロットルが出せない」理由は、スペックが高い人がその辺にうじゃうじゃいることにあろう。スペックが150あって努力せずとも120の成果が達成できるのなら、そりゃフルスロットル出さなくなる。そして、そんな人に囲まれていれば、スペックが90くらいしかない人も、やっぱりフルスロットルを出さなくなる。それが本稿の問題意識。すなわち、現在の自分ってそんな感じなのではないかということだ。「常に余裕しゃくしゃくの150の人」につられて、自分のような「実力は90くらいしかないので、本来はしゃにむに120の成果を目指すべき並の人間」も一緒に余裕ぶっこいてしまい、「東大なのに結果70で、同程度の慶応生が110くらいの成果をあげている...あいつには負けるはずないのに...」となってしまう・なってしまっているのではないかと。。。

とりとめなくなってしまったが、そんなことを感じている。いずれにせよ、東大生にせよ慶応生にせよ、変に余裕かまさず常に全力で実力比120%の成果を追及する姿勢が重要であることは最大公約数的な結論として正しいように思われる。その際、アメリカあたりに留学すると、その「実力比120%を目指す姿勢」を身を以て体感することができるので有用であるように思われる。よく、社費留学でたいした考えもなくMBAに来て、そこで刺激を受けて「背伸びする」ことを覚え、終了後めきめきと頭角を見せているような人がいるように思うが、そういう意味で留学はやっぱりメリットがあると思う(その点においては、国民が謙虚そうな国に行く利点はやや乏しい)。

また、特に自分のような「並の東大生」は、余裕かましている暇がないにもかかわらず余裕をかます癖がついてしまっているので、まずはそれを矯正するところから始めなくてはいけない点において競争に後れを取っている可能性があるので注意が必要だ。猫背が治ったところで自己満足して終了では駄目で、そこからさらに背伸びしていかなければいけない。そんな考え方に対する抵抗感もちょっと内心あるのだが、それがグローバル競争ってことなのかなぁと感じている。この競争に留学することでエントリーしてしまった以上、自分が背伸びするかしないかはさておき(ってか背伸びしろよって感じだが)、背伸びすることが美徳であるというゲームのルールは理解しできることなら尊重すべきなのだろう。