(1)とか書いてそれ以降が続かないとけっこう寒いのだが、、、
今日からSF出張。多少悩んだが結局一番安直な405→5のルートで延々と北上して6時間弱(含む休憩)。
今日は急遽ネットで見つけたFranciscan Crab Restaurantというところで夕飯。場所がめちゃくちゃベタな観光地っぽいところにあったので入る直前に「初心者向けのあまりおいしくないわりに高い店だったらどうしよう」と思ったのだが、普通においしくてラッキー。蟹を丸ごと一匹やっつけるなど。サービスも良かった。
SF、まだ殆ど見れていないが、何やらLAの1万倍くらい都会である模様。うーん、、、そうTwitterでつぶやいたら、フォローしてもらっている人から「LAはでっかい地方都市です」という現実を直視せざるを得ないコメント頂きしょんぼり。。。ミツワでラーメン食える、なんてのは自慢にもならん...
しかしガソリンが高い。満タンはこれまでざっくり60ドル強だったのに、今日は80ドルも取られてしまった。
円高じゃなかったら本当に死ねるな、これ。
ところで、車中で暇に任せて色々音楽を聴いていて思ったのだが、売れたあとに作られた作品よりも、売れるか売れないかのギリギリのところで必死にもがいて生み出された作品の方が心に迫るものが多いような気がする。
習いたての言葉を使うとChasm。古今東西を問わず音楽家は必ずChasmを超えなくてはならない。超えることができないと売れないまま埋没してしまう。実際、自分がこれまで「お、こいつこれから来るんじゃないの?」と思ってCDを買ったが、Chasmを超えることができず、続編を出せないまま終わった人は少なくない。渋谷HMVの「このアーティストは来る!!」のコピーに何度だまされたことか。
で、例でミスチルを挙げると、彼らにとっては、2作目のKind of Loveは完全に「売れる前、もがいても当たらず悶絶中」で、3作目のVersusは「Chasmを超えるか超えないか、惜しくも越えず」といったところ、4作目のAtomic Heartで「気が付いたらChasmを完全に超えていた」といった感じと言っていいと思う。
自分が今日思ったのは、このChasmを超えるか超えないかのあたりのミスチルに感じられた情熱・みずみずしさ・荒々しさ・狂気といったものは、最早現在のミスチルには表現しえないのではないかということ。おそらく今の桜井さんは、よく言えば肩の力を抜いて、悪く言えば「自分の中に出来上がった勝ちパターン、フレームワークを使いまわして」音楽を作っているのだと推察する。その結果、安定感はあるがあまり心に響かない楽曲、小粒揃いのアルバムばかりになってしまっているように感じる。もしかすると、アーティストがアーティスト足りえるのはChasmを超える極めて短期間だけで、その後はアーティストではなく職人になってしまうのではないだろうか。職人が作る音楽は、例えばサザンなんて確信犯で音楽職人だと思うが、人の心に安心感や満足感を与えることはできるが、心をえぐるような感動を与えることはできないのではないだろうか。あるいは、フレディ・マーキュリーみたいに、もうすぐ死ぬということがわかったことにより「再脱皮」して鬼気迫る感動的な作品を作ってくれた例もあるが。
自分自身もうそこまで情熱もないので、一生懸命「Chasmを超えられそうで超えられずに悶々としている若いアーティストの魂の叫び」をいちいち探し出す元気を持ち合わせてはいない。となると、自分が知っている人がChasmを超えて職人になってしまい、つまんない曲を量産するようになるのを苦い顔で見続けるか、Chasmを超えられずフェードアウトしていくさまを見るのか、その非常につまらない2択を迫られることになる。アーティストに「売れる」以外のインセンティブを持ってもらわないと、そしてできれば「売れる」というインセンティブを全面的に廃棄してもらわないと、彼らが職人になるのを止めることはできないのだろうな...
ちなみに、そう思うきっかけとなった「小粒な、なんかつまらない」楽曲はベト7.