Thursday, May 31, 2012
Wednesday, May 30, 2012
MBAって...(2)
Q. MBA取るとその人のパフォーマンスは上がるのか?
A. たぶんそれに関する研究はまだないと思うが、自分の意見は「その質問自体がナンセンス」というもの。同じ会社に戻って比較的似た仕事をする自分が言うのもなんだけど、これは日本で「この仕事、高卒の従業員を大学に送ったらパフォーマンスが改善するだろうか?」なんて疑問はあまり論点にならないのと同じような話だと思う。日本で高卒と学卒がそもそも違うことをやるのと同様に、MBAの本家アメリカでは学卒とMBAは違うことをやるのだ。なので、「同じことを学卒とMBAがやったら?」という問いはそもそものところでちょっとクエスチョンマークがつく、、、というのが自分の意見。
その人の実力が向上するという側面ももちろんあるとは思うけど、それ以上に重要なのは、MBAにより環境が変わるということ。商業銀行の支店業務をやっていたA君がMBAのおかげで投資銀行のトレーディングデスクに座れるようになる、小売店の副店長だったBさんがMBAによりグローバル消費財メーカーのマーケターになれる。そういう環境変化の結果、A君やBさんの生み出す価値は増大するのだ。銀行支店の仕事において生み出す利益が数倍になるとか、小売店の売り上げを倍増させるとか、そういう増え方もあるかもしれないがそれは本質的なものではない。
で、アメリカでは学卒とMBAの間に慣習的壁が存在するので環境を変えるためにMBAが半ば必須なのだが、日本ではそこに壁はあまり存在しないところに「日本人にとってのMBAの価値」という話のややこしさがあると思う。日本人でも、結果的に、MBAをきっかけとして転職したり起業したりすることで環境を変えている人は少なくない。でも、アメリカと違って、MBAじゃないと変えられない環境変化ではないことが多い。
Q. MBAホルダー個人にとって、MBAの価値は何?
A. 人それぞれというのが最大公約数的な答えだと思う。「MBAを取らないといけない世界」を見つけたのでそこに行くための切符としてMBAを取る人もいるだろう。あるいは、自分のように、とにかく知的充実あるいは成長機会を求めて...という人もいるだろう。他にも、人脈、特定のスキル、国際経験、欧米大学院で学ぶ経験等、何を求めるかは完全に人それぞれ。
あとは、価値の定義にもよる。価値を「給与」とか「待遇」と定義した場合、案外多くの人MBAホルダーに「価値」があまり改善しないという事態が起きるのではないかと推察される。特に日本企業からの社費留学で来た人だったら、待遇がMBAにより改善することはかなり考えづらい。なので、もしあなたにとって価値=勤務先での待遇ということであれば、MBAは必ずしも良い選択肢にはならないかもしれない。
※もちろん、会社の金で行く以上、「戻ったら投資してもらった分あるいはそれ以上に会社の利益に寄与してやるぜ」的心意気はあった方が良いとは思うし、自分は一応そう思っている
Q. では、おまえ自身にとっての価値は?
A. 自分の場合は、「投資家たる勤務先の利益に直結するような方向での成長→うーん...maybe」、「自分個人の人間としての成長→Definitely」といったイメージ。この2年間留学せずに職場で揉まれている同期と比較して自分が同等あるいはそれ以上のパフォーマンスを発揮できるかというと、そりゃまあ知識面では自信あるけど実務レベルに落とせるかと言われるとやや心もとないというか結構不安というのが正直なところ。勿論全力を尽くすのは間違いないけど、自信あるかと聞かれたら「すいません、ありません」というしかない。
他方、自分がこの2年間留学したことでより良い人生を送れるようになったかと考えるとそれは間違いなくそうだ。性格だってだいぶ変わったと思うし、好奇心のアンテナも広がったし、友人も増えたし。勿論知識も増えたし英語も使えるようになった。場合によっては転職あるいは起業の可能性も高まったかもしれないし。
このような「投資家たる派遣元にとってのリターンと、MBAホルダー個人にとってのリターンのねじれ」はある種の十字架として自分が背負っていくものなのだろうなと思っている。まあいずれにせよ、仕事時間中は最大限頑張るしかなくて、その結果自分がハイパフォーマーになるのか、凡人で終わるのかは今の時点ではわからない。自分にできることは最善をつくすことだけ、かなぁ。。
(まとめ、というか主に言いたかったこと)
・MBAとか修士とかの就職について日米で違うのは、学卒と院卒の間に壁があるかどうか。USでは壁があってMBAが優遇されているが、日本では壁がないのでMBAが優遇されづらい。MBAの人は、USでは慣習的障壁によって自分達が優遇されていることにもっと自覚的であるべき。優秀だから厚遇を受けているというよりは、慣習のおかげでレントをもらえているだけと考えた方が良い
・USでMBAが高級を食んでいるのは優秀だからではなく需要超過だから。MBAの人が「米国ではMBAが厚遇されるのに日本ではされないのはおかしい」というのは国ごとのMBA周辺の労働市場の需給を理解していない無理解の露呈にすぎない
・日本の、学卒と院卒で壁を作っていない慣習は個人的には好きだが、学卒と院卒をガチンコ勝負させるだけではなくさせたあとの厚遇・冷遇にメリハリをつければ、「優秀者()」がもっと門をたたいてくれるのではないか
(でも、実務上パフォーマンスを測定したり差をつけるのが難しいなら、入り口で優遇するのも次善策としていいかも。。好きじゃないけど)
・MBAの主要な価値は、「同じことをよりうまくできるようになること」というよりも「全く違うことができるようになるチャンスが得られること」。一兵卒として鉄砲の使い方がうまくなるというよりは、一兵卒から将校になることでより戦局に大きな貢献ができるようになる、ということ。なので、同じ仕事をさせても、たぶんそんなに差は出ない(多少は出るとは思うが)
・そんなこんな考えると、今の日本で金銭的価値だけでMBAを選ぶということにはなかなかなりづらい。が、個人単位ではMBAというのは間違いなく素晴らしい経験であり人を成長させてくれる(会社でのパフォーマンスを上げるとは言う自信ないけど..)ので、金の工面がつくならどんどん目指すと良い、というポジショントークでした。
MBAって...(1)
Q. MBAに価値あるの?
A. 誰にとっての価値かによる。採用者(企業)にとっては「あるけど、メリットは殆どMBAへの給料に消えるので、結局ない」というのが自分の仮説。MBA取得者本人にとっては、「形は人それぞれだけど、いろいろある」と言う感じ。
Q. なぜ欧米企業はMBAを好んで雇うのか?
A. MBAの方が学卒より優れているから...というよりも、「欧米では、そういう慣習だから」に過ぎないと思う。日本で、高卒と学部卒の間に大きな待遇差があるのと同じような話だと思う。
Q. MBAを雇うと企業のパフォーマンスは良くなるのか?
A1. これに関する具体的な研究は見たことがないが、「傾いた会社のCEOの大半がMBAだった」といったようなHBSの読み物は読んだことがある。
A2. ひとつ使えるかもしれないフレームワークは、Berk他(2004)のアセットマネジメント業界におけるモデル(下記)。
業界では投資資金は余っているがスキルのあるポートフォリオマネージャーは相対的に不足しているので、すべての超過利益(レント)はポートフォリオマネージャーに流出してしまうというもの。
→このアナロジーをMBAと企業にも使えるように思う。
すなわち、欧米ではポジション数の割にMBAがまだまだ不足しており(金融コンサルが高報酬で独占してしまっているのが一因)、仮に企業が良い業績を上げてもそのレントはMBAに帰属してしまいがち。すなわち、契約時点からの高報酬や高額ボーナスや高額での引き抜きを通じ、企業の高いパフォーマンスはすべて希少資源であるMBAに帰属してしまっているのではないだろうか。超ざっくり言うと、MBAはまだまだ売り手市場なのだと思う。本当にMBAが売り手市場でなくなったときには、いよいよ、「MBAって本当に学卒よりパフォーマンスいいの?待遇一緒でよくないか?」という議論が起こるときだと思う。そういった議論が起こって実際にMBAがレントを得られなくなるその時までは、MBAはまだまだ希少資源なのだと思う。
逆に、日本では、希少なのは大企業のポジションでありMBAではない(と思う)。なので、MBA学生が高報酬を簡単に得られたり、引き抜かれまくったりということはあまり生じていない。
なので、別にアメリカでも、MBAは価値があるから高給をもらっているわけではなく、単に相対的に希少だから高給を貰っているだけのことなのだと思う。価格は商品の品質というよりは需要と供給のバランスで決まる、ということだと思うので、「欧米ではMBAは厚遇されてる」→「なのでMBAは価値あるはずだ」→「なのに厚遇しない日本企業はおかしい」という理屈はナンセンスだと思う。
万一なにかの弾みでUSにおいて学卒とMBAの間の慣習的障壁がなくなってしまったら(MBA必須という求人が減ったら)、おそらく、どれだけMBAが優秀だったとしても給与格差はみるみる縮小すると思う。
Q. 日本企業がMBAを採用しないのはなぜか?オワコンなのか?
A. MBAが求めるような優遇をしてやれないから、ということではないかと思う。
日本では、学卒は高卒より優遇される慣習があるが、院卒は学卒に対して全然優遇されない。せいぜい初任給が数万円高い程度。なので、多くの日本企業では学卒と院卒はほぼ対等な状態でスタートすることになり、優秀な学卒が出世する一方そうでない院卒が出世しないなんてことが普通に起きる。
でも、欧米では、院卒は学卒に対して優遇されるケースが多い。MBAじゃないと幹部候補(日本で言うところの総合職)になれず学卒ではスタッフ止まりという会社が多いようだ。なので、欧米のMBAに行った日本人も、そういう「MBAが学卒と比べて優遇される会社」というのを知るので、同程度の経験を積んだ非MBA社員とガチンコ勝負させる日本企業はある種アンフェアあるいは「割に合わない」と考えるのではないか。
なので、この「MBAを優遇せず、非MBAとガチンコ競争させる」のがいけてないなら日本企業はオワコンだし、悪くないなら日本企業は悪くないのだと思う。個人的意見としては、
①仮にMBAが優れているのなら、ガチンコ競争のなかで結果出せるはずでしょ、優遇求める必要はなく、ガチンコ競争させる日本のシステムは悪いものではない
②日本企業の問題(=なぜ優秀な人が外資に流れるか)は、競争の勝者に対する報酬がないこと。それが高い報酬なのか早い出世なのかは企業によっていいと思うが、もっと同僚間の差をつけてもいいのではないか
という感じ。少なくとも自分は、仮に日系企業が②のような「うまくやったなら優遇するよ」と言ってくれるのであれば、スタート地点で優遇されていなくても就職したいと思う。
そう思っているので、MBAホルダーの人が「MBAホルダーを雇わない日本企業は終わってる」というのは「俺を優遇しろ」という意味なので、ちょっと格好悪いような気がしていて自分としてはあまり言いたくない。でも、別に採用時点で優遇はしなくてもいいので、その後場合によっては厚遇してくれるという夢物語くらいは提供してくれないと、MBAは日本企業よりも手近な外資系企業を選んでしまっても仕方ないと思う。
続く...
Monday, May 28, 2012
GMAT
・GMATは670→710と推移して、700を超えたので終了。TOEFLとか子育てとか
・勉強はアゴス。正直ここのTOEFLのクラスは全てFxxxだと思ったが、GMATの授業は特に問題を感じなかった。公式問題集をやって、授業受けて、復習して...ってのをやっただけで、それ以上特別なことはせずに済んだので多分先生(と自分の相性)が良かったのだと思う。TOEFLの合間にしかやっていないので、結果÷努力レシオを見たらGMATが「超いい」でTOEFLが「最悪」というイメージ。。
・当時の記録を振り返って思い出したが、毎日仕事の昼休み時間に、同時期に留学する友人とTOEFLやらGMATの作文(AWA)やらの交換添削会をやっていた。おかげで数こなす機会が得られたので友人には感謝している
・自分はたまたま早いタイミングで「そこそこ」が出たラッキーだったが、周囲ではアンラッキーな人も結構いて、塾無間地獄みたいな世界に突入していた人も...
どうやらGMATはかなり相性が分かれるみたいで、自分と同程度の知的レベルと思われる人が衝撃的に低い点を取ってへこんでいたり、自分より頭悪そうな人があっさり700点台とって終了していたりという悲喜こもごもが結構あった。なので、仮にアドバイスできることがあるとしたら、「とりあえず早めに軽く準備した上で一回GMATを受けて、GMATと自分の相性がどんなものか知ると良いのではないか」と言う感じのことは思った記憶がある。自分は一回目で「たぶん俺相性いいな」と思い、その勢いで2回目でやめてしまった。
・一回目は、とはいえ、結構不満の残る経験であった。というのは結果が悪いとか良いとかそういうのではなく、途中で眠くなってしまったから。明らかに集中力が途中なくなってしまったのだ。そこで、2回目は確か栄養ドリンクを直前に飲んだ気がする。そのおかげなのか何なのか全然わからないが、そのおかげで2回目は少なくとも集中力は最後まで切れなかった。
・とにかく、GMATがあっさり終わったことは、自分の受験経験の中で数少ないグッドニュースであったように思う
Sunday, May 27, 2012
Googleカレンダーの6:00
こういうときどうすればいいのかずっと試行錯誤していたが、「6:00am 予定」といった感じで時刻の直後にamと入れることでGoogleが午後6時と誤解することがなくなることに気が付いた。これは地味だが個人的には結構ありがたい。
○ 帰国にあたり、バッテリーを読み取らない・Windows7を入れて以来熱があり得ない水準・etc...という致命的な欠陥をもつ妻用のVaio君を廃棄していくことにした。もともとは社会人2年目に自分が「10年使う」という言い訳の素にいろいろとカスタマイズして買った思い入れ深いものだったのだが、かくも欠陥がある今では残念ながら仕方ない。
で、これに代わるPCを探していたのだが、Macbook Air(MBA)とそれ以外の何かという選択肢で色々考えた挙句、ThinkpadのX1という機種を購入した。この決断は、X1を買うというよりも、むしろMBAを買わないという決断であると言える。妻も結構気に入っていたMacbook Airを回避したのは
・「流行りには乗れない」という抵抗感が強かったため。
・マックのオペレーションシステムの違いに対する抵抗感。散々情報収集して、たとえばMBAでウインドウズやエクセルを作動させることは技術上簡単にクリアできることはわかったのだが、たとえばショートカットはどうかとか、外付けドライブを認識させるためにはどうすればいいかとか、そういう細かいことを一から勉強することを想像したらちょっとMBAはいやになってしまった。
・頑健性。娘は大きくなってきたとはいえちょくちょく色々ものを落としたりする(というか、自分もちょくちょく)。なので、MBAの弱そうな雰囲気はやや減点対象であった。
※ 最近失われつつあるブログ執筆へのモメンタムを維持・復活させるためのゆるい記事でした
Friday, May 25, 2012
そろそろ
「クローズ」と書いたのは、その具体的方法があまり明確に整理できていないため。
・更新を完全に止めるのか、卒業後にも記事を書く可能性を一応残すのか
・卒業後はブログ的な活動をどうするのか(完全撤退/別ブログで細々と/本ブログで延長戦etc)
・他人が閲覧できる状態をいつまで続けるか(このまま閲覧できる状態で放置するか、自分しか見られないようにするか、あるいはウェブ世界から完全に削除するか)
等々。
今思っているのは、
・古い情報のMBAブログ(例:既にいない教授の授業の話とか、既に変わってしまった学校の仕組みの話とか)は読んでいてちょっとやっぱり古さを感じてしまう
・自分が留学中に思ったことを我慢せず垂れ流し続けたが、あとあとで読み返したらかなり恥ずかしいのではないか
・自分のことを特定されるリスクをウェブ世界に放置するのはやっぱり気持ち悪い
・日々思ったことを書きとめると言う意味ではフロー的性格をもつ本ブログだが、思ったことを後々確認することができるという点においてはストック的な性格ももっており、残すことにもそれなりに意味があるような
等。
他方、たまにではあるがブログ等を読んでくれた方からコメントやら何やらリアクションをもらえることがあり、そのいくつかは自分にとっても有難いものであったことから、ブログをばっさり閉じてしまうのもちょっと勿体ないような気がしている。また、数日に一回やっていた「どのような検索ワードで自分のブログに人が来ているか」の確認はしょうもない話だが結構面白かったのでこのささやかな楽しみがなくなるのも若干勿体ない話なのかもしれない。。
といった感じで、卒業に伴い大幅に変更を加えることは決心がついているが、その具体的方策について決心つくまではもうすこし時間がかかりそう。。
Tuesday, May 22, 2012
住宅と税務
1. あなたは誰
・あなたが住宅の利用者の場合と、住宅投資家の場合と、住宅ディーラーの場合で、同じ不動産でも税務ルールは異なる
・利用者の場合、各種例外を無視して原則論だけ言うと、(1) 売却益も売却損も税務上無関係(課税も控除もされない)、(2) ローンの契約手数料および金利と固定資産税は控除可能 (3) 減価償却を認識することはできない
・ディーラーの場合、(1) 売却益はキャピタルゲインではなく一般所得税で課税される、(2) 減価償却を認識することはできない
・投資家の場合、色々あるので下記に続く
2. 投資家にとっての税務
・課税基礎(Tax Basis):建物は減価償却を認識できるが、土地は減価しないので、取得価額を概念上土地と建物に分ける必要がある。そのために、契約時点で両者を分別したり、鑑定士に計算してもらったりする。
・Adjusted Basis:課税基礎から、建物分の減価償却累計額を引いたもの。建物の減価償却は、税務上耐用年数27.5年で計算される。減価償却は月割りで計算される。取得や売却が月中に行われた場合、その月は半月(1/2か月)で計算する。
・売却時の課税:課税対象は(売却価額-Adjusted Basis)=(売却価額-取得価額)+(取得価額-Adjusted Basis)=キャピタルゲイン+減価償却累計額。キャピタルゲインについては、優遇税率15%が適用されるが、減価償却累計額についてはUnrecaptured Depreciationと呼ばれ、既に減価償却費計上時点で税務上の優遇を受けているのでここでは優遇されず、25%の税率が適用される。
(例)$400,000で買った住宅を、10年後に$600,000で売ったときの課税額は?なお、取得価額のうち$100,000が土地取得費用であったとする。
(解)
・建物の取得価額:$400K - $100K = $300K
・年間減価償却額:$300K / 27.5 = $10,909
・10年間での累計償却額:$10,909 x 10 = $109,091
・10年後の調整後課税ベース:$400,000 - $109,091 = $290,909
売却時
・キャピタルゲイン:$600K - $400K = $200K
・キャピタルゲインに対する課税:$200K x 15% = $30,000
・Unrecaptured Depreciation = 償却累計額 = $109,091
・Unrecaptured Depreciationに対する課税:$109,091 x 25% = $27,272
・合計課税額:$30,000 + $27,272 = $57,272
(トータルのもうけ=Realized gain = $200K + $109,091 = $309,091)
3.Passive Income:不労所得??
・アメリカ税法では、所得は給与所得等のActive Incomeと不動産投資収入のようなPassive Incomeに分類される
・一般的に、Active IncomeとPassive Lossを合算して相殺することはできない。たとえば、保有不動産からの純所得がマイナス$50,000で給与が$100,000であったとき、課税ベースは給与所得の$100,000. 不動産の損金$50,000で給与所得を控除することはできず、不動産で来年以降所得ができたときまで不動産での損金$50,000は控除に使うことができない。
・ただし、例外もあり、たとえばあなたが不動産経営にアクティブに関与しているとみなされれば、不動産の損金を他のActive Incomeと合算することが許される。不動産投資家、すなわちアクティブ投資家であるわれらが不動産の教授は、結婚したらなんとびっくり奥さんに多額の不動産関連累損があることがわかった。奥さんは不動産投資にアクティブに関与していなかったので損金を使えず困っていたが、アクティブ投資家である教授と結婚した結果、彼らの資産が合算され、無事に教授が奥さんの累損を使ってガツンと税金圧縮に成功したそうで。。
4. 不動産の「交換」:Section 1031 Exchange
・セクション1031の要件を満たすような形で不動産と不動産の交換を行った場合、課税ベースは新しい不動産の取得時点の価値ではなく、もともとの不動産のままキープできる
(例)
・トムは2000年に住宅を$100,000で購入した
・2005年時点で、減価償却を調整した課税ベースが$90,000だったとする
・2005年に、ジェリーと不動産の交換手続きを行った。
・ジェリーの不動産の市場価値は$150,000で、トムは自分の不動産に加えて現金を$30,000支払った
このとき
・交換とみなされなければ、新しく取得した不動産に関するトムの課税ベースは$150K。また、不動産を手放しても結局1ドルも受け取っていないが、Unrecaptured Depreciation分の$10Kは課税対象になる。
・交換とみなしてもらうと、トムの課税ベースはもともとの課税ベース+支払った現金=$90K+$30K=$120K。この場合は課税ベースがキャリーオーバーされるので取引によって課税は発生しない。
・この例のように、交換とみなすことで、課税ベースを抑えることができる可能性がある。
Monday, May 21, 2012
インプラントだん
(ここまでのあらすじ)
・大学合格した日:合格に喜び過ぎて転んで歯が折れるorz 近所の大学病院で歯を挿してもらうが、「いずれ退縮するので、将来インプラントは不可避」と警告を受ける
・渡米して数カ月:差し歯がついに取れる(@焼肉屋、敗因はとうもろこし)。慌てて歯医者へ行き応急措置をしてもらいつつ、インプラントの準備を始める
・1年目が終わった夏休み:インプラント手術一発目。予想外に自分の歯茎の退縮が進んでいたので、ネジを入れる前段階として顎の骨を患部に移植する手術。
・そこから数か月後:患部にインプラントのネジを埋め込む手術。
・本日:埋め込まれたネジに、歯のイミテーションをはめ込む最終段階。
最初に歯を折ったのが2001年なので、11年の歳月を経て、ついに自分の歯がインプラントになった。。自分にとってこの歯の問題はけっこう大きな問題でずっと気がかりだったので、これが解決したことは自分にとって大変気持ちがいいものである。ざっくり1万ドル強の費用がかかっているのが死ぬほど痛いところではあるが、これは自分が歯を折った2001年からある程度覚悟してあったものなので、痛いけど耐えられる(妻はぶつぶつ言っている。だって、自分の過失で家計に損失百万円なので、、、)。
それにしても、歯が取れてしまうタイミングが実によかったのが不幸中の幸い。歯が折れてからインプラントが終了するまで、実に一年半の時間がかかった。つまり、留学してすぐ歯が取れてしまわなければ、インプラント手術を在米中に終えることは難しかったのだ。
(各プロセスが終わるたびに、削った歯茎が再生するのを待つために数カ月様子を見なければならないので、すぐには終わらない)
これまで自分のなかで「タイミングが良かったで賞」は結婚とか子供ができたこととか社外に出向できたこととか留学できたこととかだったのだが、このインプラント手術関連のタイミングの良さはそれらを遥かにしのぐタイミングの良さであった。なにせ、他のことは、別に一年ずれてもたいした問題がないが、このインプラントは数カ月の誤差しか許されなかったからだ。タイミングの妙には本当に感謝している。
ところで、この治療に関連して、日米の歯科治療方針の相違のようなものを感じることができた。
・日本:差し歯は、自然に取れてしまうまで極力さし続けるべきだ
・US:もっと早く抜いてインプラントに移行していれば、歯茎の退縮等を抑えることができた。なぜもっと早くやらなかったのだ
。。。結局どっちが正しいのか自分にはわからない。今となってはUSで治療したのでUSの先生の言葉を信じたい気持ちに駆られているが、真実がどっちなのか確信は得られていない。でも、仮にUSの先生の言うことが正しいとすると、日本の歯医者マジ殴りたいぞ。。
いずれにせよ、ずっと懸案だったインプラントが終わったことは、この2年間のビッグニュースのトップ3に入ることは間違いない。嬉しさで言うと先日の賞よりもずっと嬉しい。歯を心配することなく食べられる喜び。Hooray!
Thursday, May 17, 2012
洗脳の結果
(留学のおかげなのか、もともと自分の中にあった傾向が留学により顕在化先鋭化しただけなのかもしれないけど)
1. 関心のウエイトが、社会から個人へ
日本経済とか、社会とか、そういったものについて床屋談義するのが留学前はわりと好きであった。
しかし、特にCockrumという爺さんのアントレファイナンスで「規制とかマクロ環境とかに文句言うのは対応できてないことを示すだけ。虚心に状況を理解し、対応する。それが経営者としてお前がすべきことの全てだ。外部環境には逆らうな」という話を繰り返し言われた結果、だいぶ考え方がそっち方向に変わった気がする。
日本経済について案ずる暇があれば、ただひたすらに自分やその周辺のミクロなことについて考えていたい、そう思うようになっている。
※ あと、「そもそも日本って何よ、日本人が創設したメーカーの利益と日本国民の利益とか利益相反してね?」といった感じで、ナイーブに日本を論じたりすることの危険性のようなものも気にかかるようになってきている。なので尚更、日本とか社会について無定義に議論することをためらってしまう。
※ ただし、だからといって外部環境について無知であったり無関心であって良いということではない。外部環境を理解しようという態度は間違いなく必要である
2. ネガ/ポジ
どんなものにもポジティブな側面とネガティブな側面がある。そこで、いちいちポジティブな側面を見てやるのと、いちいちネガティブな側面を掘り起こすのでは、掘り起こす自分のメンタリティも指摘される相手のメンタリティもずいぶん変わってくる。
特にコミュニケーションの授業等で「まずはポジティブな側面を拾ってみよう」という指導を受けたこともあるのだが、最近では、「特に必要なければ、ポジティブな側面を掘り起こしておけばよくね?」という考え方になりつつある。
ネガティブな指摘って、①自分の憂さ晴らし ②相手に対する指導・示唆をどうしてもしなければならない ってときくらいしか必要な気がしている。つまり、親友・家族・信頼する上司部下等以外に対してネガティブな苦言を呈する必要は全くないと思う。憂さ晴らしは他の手段でやったほうが多分いいと思う。
ということで、指導すべき後輩とか、自分の娘とか以外には、教育的指導の必要もないので極力ポジティブな側面だけ見てやるようにしたいと思っている。別に相手のためじゃなくて、そうすることで自分のストレスが減らせるので。あくまで自分本位。
3. 忖度のオンとオフ
日本では、よく「相手の立場に立って考えろ」という発想でものを考えていた。
それはそれで素晴らしい発想だと思うしこれを捨てる気はないのだが、アメリカ的な「相手のことを気に掛けるのは場合によっては失礼であり、ただシンプルに自分の立場からものを言う」という発想も同じくらい価値があるのではないかと思うようになっている。
これを頼むと相手が困惑するんじゃないだろうか...とか、こういう言い方すると相手が嫌がるかな...とか。
最近思うのは、あえてそういう「相手の心中を忖度する」ことをやめてみて、100%自分の立場から自分の望むことだけを言いっぱなしてしまう方が良いときというのもあるのではないだろうかということ。
てか、相手だって立派な大人なんだから、嫌なことを言われたら嫌って言えるし、やりたくないことを頼まれたら拒否できるはずなのだ。下手に遠慮して頼むべきことを頼まず後悔するくらいなら、とりあえず頼んでみたほうが両者にとってハッピーなこともありうる。遠慮して最善を目指さないよりは、あえて遠慮をしないで最善を追及する方がいいときだってあるのではないだろうか。
あるいは、ケンカのとき。これはFxxxなクラスメートとの喧嘩・摩擦等を通じて学んだものだが、"Why can't you do that?"とYouの文で批判するのではなく、"I am disappointed."とIを使って話す方がよいような感触をもっている。「お前はどうして...」という言い方で言ってしまうと、どうしても余計なお世話感が出てしまい、相手に不必要な不快感を与えてしまう。ここはシンプルに「俺は不快だ」と自分がどう思ったかだけ主張する方が、場合によっては思いがストレートに伝わる(気がしている)。
いまだ答えは出ていないのだが、正解は「いつも忖度する」というよりは「必要に応じて忖度のオンとオフを使い分ける」と言う感じなのではないかと思うようになっている。
4. とにかく口より手を動かす
不平不満は、状況を変えられない無力性や状況に対応できていない硬直性の裏返し。不平不満を言う暇があれば社会を変えるなり状況に対応するなりするべきだと思っている。
例:会社の給料が悪いと居酒屋で文句言うのではなく、「会社の給料が悪いので、いいところに転職しました」と言えるようにする
あるいは、具体的なアクションの伴っていない願望はただの妄想であり、ヨタ話以上の価値をもたないという思いが強くなっている。少なくとも自分がなにか願望を述べるときは、
・それが達成困難なもので、「できればいいなあ(でも無理)」という仮定法で述べていることを意識する
・達成可能性があるなら、願望と、その達成のために既に着手しているアクションをセットで述べる
のいずれかの踏み込みが必要なのかなと思うようになっている。
もちろん不平不満だって願望だって否定されるものではない。人間なのである程度言わないとストレスもたまる。
ヨタ話としての不平不満はまったく否定しない。
ただ、言いっぱなしの格好悪さというものが、留学してからつと気持ち悪くなってきているところ。。
Project week 7
・ことフェーズが「企画」から「作業」に移るにつれ、インド人君の生産性がみちがえるように改善している。彼自身の分をさっとやってくれるのは勿論のこと、自分のパートのチェックもしてくれるし、教授や取材相手からの要望もあっと言う間に原稿に反映してくれる。このあたり、さすが前職が投資銀行の面目躍如といった感じ。ゼロから何かを進める力はまだまだ(彼も自分も)鍛えないとならないが、動き出したレールに沿って物事を前に進める段階になると投資銀行的な彼のスペックが非常に活きている感触。
企画段階では「こいつ殺す」くらいに思っていたが、今ではそれなりに彼のことを尊敬できるようになりつつある(癖のある野郎だなぁというところは変わらないが、なんというか、それはそれ、これはこれと分けて考えるとなかなかできる男だと思う)。
・今週末が学校に対する第一稿提出締切だったのだが、ここでスペイン人・メキシコ人君のチームがちょっとしでかした。自分とインド人君は、学校に提出するまでに数回教授とのセッションを終えており、教授は我々がどこまで進捗していて、今後何を補完していくか理解した状態になっていた。他方、スペイン人君とメキシコ人のチームは締切直前までもたもたしていて、いっこうに教授にドラフトを見せる様子がない。
「学校に出す前に、一度教授に見せておきなよね」と言ってみたところ、「進捗の都合上教授に出すのと学校に出すタイミングは同時になってしまう。だが、なーに大丈夫、きっと教授は何も抜本改善要求など出さないさ」と仰る。。。
これを言ったのはスペイン人君なのだが、彼はことあるごとにこんな感じで「なーに大丈夫さ、心配する必要はない、うまくいくからさ」と言う感じ。常に「上手くいった場合」をベースケースとして考えていて、万一事がうまくいかなかったときのことを考えることすら嫌う。まるで、プランBを口に出すことで皆の士気が下がってしまうと言わんばかりに。
自分はチキンというか自分では普通と思っているのだが、常に次善策・プランBを考えて保守的にものごとをすすめていきたいと感じているので、プランBを考えもせずに常にギリギリの線を付いてこようとする彼の楽観性というかお気楽ぶりには結構毎回どきどきさせられる。というか、ドキドキで済まなかったことも数度あったのだけれど。。。
結局今回も、教授と学校に同時に提出したスペイン・メキシコ人君コンビ。何もないといいのだけれど。。
Wednesday, May 16, 2012
趣味
最近、自分の学校の合格者と学生のやり取りや、他人のブログなどで、「MBAに合格した!出国まで時間があるのだが、何をすればよいだろうか?」みたいな話がよく出てくる。これについては、色々なものが回答として挙げられるだろうと思う。
1. 特に私費の人であれば、外資系企業によるレセプションに顔を出しておくことは割と重要みたい
2. 経済や経営に不慣れな人であれば、関連分野について日本語での平易な本を買っておくのもいいかもしれないし
3. 英語をもう一段階鍛えておいても損はないし
4. 他校MBAの人とネットワークを作っておくと色々役立つし、
5. 留学を通じて何を得たいのか、Why MBA等について、建前ではなく本音レベルで再考してみると留学期間がより有意義になるかもしれないし。
自分は上記だと4だけやった。積極的にやったというよりは、友人に誘ってもらった会に顔を出したら思いがけず気の合う人々に出会った...という感じであったが、そのおかげで、ブログやFBを通じて自分の状況を相対化できたり、刺激をもらったりできたのでこれは良かったなぁと感じている。
それはそれとして、自分としては、「留学前に用意しておいた方がいいもの」として、「趣味」を挙げてみたい。
ゴルフでもテニスでも卓球でも、飲み会でもDJでも釣りでも料理でも旅行でも何でもいいと思うが、一定の深さ(のめり込み度合い) and / or 腕前があるものを持っておくとよいのではないかと思っている。
なぜ趣味があるといいのかについては、いくつか理由がある:
1. MBAで「役立つ」
無数のソーシャルイベント、スポーツイベント、エトセトラエトセトラ...こういったものを通じて友達と仲良くやっていこうと言うとき、趣味があることは確実に有利だ。ちょっとの言語面での不利は、ひとつの趣味で帳消しにできる可能性がある。
留学後に知り合いになったあるMBAの方は、留学当初は英語で苦労していたようだが、得意の趣味を生かすことで学内で自分の立場を確立し、今では生徒会の一員として活躍しているみたい。「俺が俺が」集団のMBAの中で生徒会の役員になるということはなかなかタイヘンなことであり、その役員就任という大仕事には少なからず趣味の部分が生かされたところがあるのではないかと勝手ながら推察している(まあ、メインファクターは人格の良さだろうけど。)
(※この「MBAをサバイブするのに使える」という発想は、趣味を冒涜しているようで本当は好きではない...でも、現実的に、趣味がMBAサバイバルに役立つのは間違いないので指摘してみた)
2. 留学生活は言うほど忙しいわけでもないが、学部1年生よりは時間は限られている
もちろん勉強とか就職活動とか色々あるわけだけど、やりようによってはMBAそれ自体はさほど時間を食わない。というか、場合によってはかなり時間を持て余す。特にあなたが社費で、金融あるいはコンサルタント出身だったりした日には、ほぼ確実に時間的余裕ができるはずだ。仮に独身だったらもっと。自分も、有り余る時間を有効活用すべく自由研究をしたりもう一つ授業を受けたりしたわけだが、残念ながらそれでも時間は余る。なぜならMBAは、統計やファイナンスを知らない人が就職活動をしながらでもギリギリ死なない程度のワークロードで設計されているからだ。
この有り余る時間を、「せっかくMBAに来たんだし、●●を覚えて帰ろうかな」(●●:各種スポーツ・趣味等)とちょっとだけかじるのもいいかもしれないが、色々な趣味をかじってはやめて...と食い散らかすには留学期間は短すぎる。米国に来てから打ちっぱなしを始めて、2,3回ラウンドをして、帰国したらもうゴルフクラブを握ることもない...とか、そういうのは人生の浪費以外の何と言えようか。
もし日本にいるうちに趣味が確立されていれば、あとはその趣味を思う存分当地で楽しむだけだ。1年2年あれば、必ず一定程度の上達は見込める。
3. MBAは、キャリアの基盤作りのみならず、人生の基盤作りでもある
MBAが終わると、多くの人はベンチャーや大手企業に入ったり戻ったりして、それなりのポジションで結構なハードワークに勤しむことになる。多くの場合相応の所得が得られるし、ほぼ確実に周辺には刺激になるような素晴らしい同僚がいることであろう。
だが、そんな恵まれたキャリアを歩むからこそ、MBA取得者はキャリア以外の人生についても意識的である必要があると自分は思う。というのは、上記のようなチャレンジングな環境でバリバリ働いていると、おそらく、仕事だけやっているだけでもかなり充足感のある人生を送ることができてしまうからだ。
毎朝早朝から深夜まで、交渉したり難しい計算したり世界を飛び回ったり。それらは素晴らしい経験であるが、人生の全てかというとやっぱりそうではない。「仕事が生きがい」でも勿論構わないのだが、そんな人でもいつかは仕事を中断したり引退する日が訪れる。一言でいうとライフワークバランスだが、仕事時間以外を有意義に過ごす「スキル」、職場以外の人と有意義な時間を過ごす「スキル」は(少なくとも自分にとっては)大変重要なものである。
もし激務にあってもそのようなバランスを何とか保ちたいのであれば、たまにぽっかり空いた日曜の午後とかそういった短い空き時間を有効に使うことができなければならない。そこで昼寝してインターネットしてではちょっとイタい。そんな日曜の昼下がり、「MBA時代にちょっとかじっただけのゴルフ」とかでは、おそらく全然楽しめないし、そもそもそんなことやりたいとは思えないだろう。
たとえば自分はゴルフとか音楽鑑賞とか(
卒業して激務生活を始める前までに、「かじる」レベルではなく「●●狂い」のレベルでの趣味を持っていないと、かなりの確率で卒業後の人生がキャリア一辺倒の人生となってしまう。さらに悪いことに、なまじ多忙なので、それでも一見問題なく人生は回ってしまう。働いてさえいれば、給料は増えて、うまい飯やうまい酒が飲めて。でもそれだけでは多分足らないと思う。忙しくなる前にこそ、楽しむ「スキル」を得ておいた方が良いと思うのだ。
4. 趣味の無いやつ、趣味の浅い奴はつまらない
最後は完全に自分の偏見。。別に自分と同じ趣味である必要は全くないのだが、何かしら熱狂的な情熱あるいは優れた腕前がある人は、少なくとも自分はとても魅力的に感じる。人間くさくていいし、人間的深みを感じる。
他方、そもそも無趣味な人とか、趣味が浅すぎて趣味があるのかないのかわからない人とかは(換言すると「休日に家で何やってるのか想像つかない人」)、個人的偏見だがあまり人間的魅力を感じられない。忙しい忙しいとか言ってだらだらと深夜まで宿題をやることで毎日「時間潰し」をして、長い休みには漫然と観光地に旅行に行って、暇になったら子供と遊んだりとか。宿題も旅行も子供との遊びも大変重要で充実したものであるのは間違いないが、時間潰しの手段としてそういったものを使うのは、イージーだが時間の無駄だ。ちゃっちゃと済ませて、情熱を持つ何かに時間をあてるべきだし、それができないようなパッションの薄い人に人間的魅力が備わるはずがない(「べき」というのはあくまで主観的なものであって、一般的規範的な意味で使っているわけではない)。
(まとめ)
趣味と言う言葉が狭すぎるなら、何らかのこだわり・情熱と言ってもいいかもしれない。そういうものは、
(1)MBAを乗り切るのに役立つし
(2)MBAの1~2年間を有意義に使うためには重要だし
(3)MBA後の人生をバランスよく生きるためには、仕事が忙しければ忙しいほど事前に趣味を確立させておくことは重要だし
(4)少なくとも自分に言わせれば、趣味に情熱を注げないような人が魅力的たりうるとは思えない。
なので、「留学して、忙しい最初の学期が終わったらぽちぽち●●を始めよう...」なんてのんきなこと言ってないで、既存の趣味を深めたり、新しい趣味にとっかかりを作っておくのはもはや必要不可欠なのではないかと思うのだ。。。
※ ただし、これは日本人MBA学生の9割の「普通の人」を対象としたもの。1割程度いると思われる天才系の方におかれては、趣味などに現を抜かすことなく何か大きな目標達成に邁進するのがいいのではないかと勝手ながら思っている。世界の最先端で何かを成し遂げようとしている人に対して「たまには息抜いて遊ぼうぜ」などと言うのはかなりムリだ。
ただ、9割の普通の人にとっては、趣味のある留学生活の方がたぶんいいんじゃないかなぁ、と言う話。もしあなたが1割の天才と自認しているのであれば、すいませんが無視して下さい...といった感じだろうか。
Tuesday, May 15, 2012
幸せとは
が、このおっさん、どうやら忙しかったようで、アメリカ人がよくやる「関係ない話を喋り倒すことでなんとなく発表したような雰囲気を作る」という技でごまかしてきた。案件の話はごく薄く話すにとどまり、ケースを通じて行った細かい計算や考え方については一切カバーせず。
その点においてこのおっちゃんはどちらかというとハズレだったのだが、彼がごまかしのために行った各種雑談の中に面白い話があった。聞いている最中は「関係ない話でごまかそうとしやがって」と苛立っていたので虚心に聞くことができなかったのだが、少し頭も冷えたので、せっかくなのでメモしておこうと思う
■ 幸せの4構成要素
そのオッサンが自身の経験や他の成功者との会話を通じて会得したところによると、幸せというものは主に4つから成るそうだ。
1: Wealth. 金や財産が全てではないが、金があると幸せになることが多い。
2: Love. 家族や友人に愛されているという実感は、あなたを幸せにする。なので、善きことをしたり、誠実に振る舞うのは、愛されるための手段として合理的
3: Being provided with opportunity. 成功につながるようなチャンスに恵まれていると実感できることは幸せに直結する。
4: Power to change someone else. 最後はこれだそうだ。他人の人生や心を動かすような大きなインパクトを与えることができるという実感は、筆舌に尽くしがたい幸福感を与えるとのこと。このオッサンはこの点に気付いてからは、自己充足の手段として、教育活動やコミュニティ活動の振興のため日々活動をしているとのことであった。
(小生感想)
自分もこれまでに幸せについて考えてみたことがあったが、これまでの自分の整理は「金」「愛情友情」「知的好奇心の充足・成長機会の充実」というものだった。これを自分主体な言い方から目的主体の言い方に変えれば、自分の整理は概ね上記1~3と同じものになるのかもしれない。稼ぎが良くて、妻子や友人に恵まれた環境のなか、「これからも、でっかいこと・面白いことができそう」という希望を抱き続けることができている状態。たしかに幸せだ。
しかし、4については、今日話を聞くまで意識せずにいたが、ちくしょう、これはその通りだ。取引先が自分の提案で態度を改めたとき。自分のツイートの後、他の人が明らかに自分の発言を読んで影響を受けたと思われるようなツイートをし始めたとき。etc. 自分の行動の結果他人が変わるというのは、たしかにかなりの、いや至上の快楽であるのかもしれない。
だからこそ人は権力を求めたり、政治家を目指したりするのかもしれない。だからこそ人は慈善活動やコミュニティ活動を行い恵まれない人々の行動を変えようとするのかもしれない(今日のおっさんはこれ)。だからこそ人は他社の高待遇を捨てて官庁に入り、法律を書いたりすることで人々の行動が変わるのを見ようとするのかもしれない。
これって、うまくやれば、モデル化できるのではないだろうか?現行の経済学のスキームでは、雇用創出とか環境改善とか貧困撲滅というのは単なるオマケみたいな扱いで、モデル上の合理的個人は基本的には個人利得の最大化を純粋に追及する設定だ。しかし、「他人を変えるという高次の欲求を満たす手段としての環境改善活動や貧困撲滅活動」というのは、合理的個人というモデルの範疇にうまいこと含めることができたりしないものだろうか。
今日のおっちゃんなんか、自分が幸せになるために教育問題に取り組んでいると言いきっていた。一般的な考え方である「目的→貧困撲滅、手段→稼ぐ」みたいな発想よりも、「目的→自己効用の最大化、手段→慈善活動、手段のためのメタ手段→稼ぐ」みたいな発想の方が自然と言うこともできないだろうか?
自分の周囲に偶然すばらしい人が多過ぎるからかもしれないが、明らかに、こういった「大きな問題」に意欲的な人は少なくない。これまでは自分はそういう人たちを率直に行ってしまえば「綺麗事いってないで、もっと自分に素直になれよ」とか思っていた。しかし、もしかすると、彼らも徹頭徹尾自己中心主義で、自己充足のための手段としてそういった「大きな問題」に取り組んでいるのかもしれない。
換言すると
これまでの自分の認識:貧困解決や環境問題といったテーマ自体が人生の目的にはなりえない。そういうこと言ってる奴は、そういうこと言ってる自分に酔ってるだけだ。なので、大きなテーマを掲げることは自己顕示欲の表象に過ぎずキモい。もちろん、ごくたまに、純粋に大きなテーマを目的として取り組める人がいるのは知っているし尊敬しているが、それは例外であり、99%の人は「大きなことを言って酔っている俺」にしかなれない。そんなことなら、徹底的に他人を変えることを諦めて、自己改善を探求した方がよいのではないか
微調整された自分の認識:他人を変えることが幸せの一要素であるならば、その手段として、多数の人の行動が変わるような「大きなテーマ」に取り組むのはある意味合理的であろう。大きなテーマを掲げるのは自己顕示欲というよりは「他人を変えたい」という欲望の表象であり、「へっへー自己中野郎が」と馬鹿にすると言うより、むしろ「もうそんな高次の欲求にお着きしたんですか」と称賛していい性質のものであるのかもしれない。
と言った感じ。大きなテーマを掲げている人を必ずしも「自分のことが可愛くて仕方ないナルシストが自己愛を変形した上で他人にふりまいている」とネガティブに評価せず、「金や愛といった初級は既にクリアして、他人を変える快感に気付き、それを愚直に追及している上級者」とポジティブに評価した方がいいのかもしれないということ。
※ あるいは、自分がMBAに来てやや考えを強めた「他人は変えられない」という発想は、「他人を変えるようなことは、俺にはできそうにない」という絶望感の裏返しが無意識に表れたものなのかもしれない、、、と少し冷や汗。だとすると、自分には、安西先生の「諦めたらそこで試合終了」という言葉を喝代わりに送るべきなのかもしれない...「他人を変えることができたらウヒョヒョーイだけど、多くの場合それは簡単ではないよね」くらいの中庸な感じに認識を改めておいてもよいのかもしれない。。
最後に引用
美食を芸術の域にまで高める条件は、それは唯一、人の心を感動させる事だ。 そして人の心を感動させる事が出来るのは人の心だけなのだ。材料や技術だけでは駄目だ!(海原雄山)
Monday, May 14, 2012
ヨセミテ再び
自分はなぜか、一度行ったところを再訪するのが大好き。なぜかは自分でもよくわからないが、おそらく
・記憶を塗り直すという作業に快感をおぼえる
・人に連れて行ってもらったところに自力で行くことで、達成感や成長のようなものを感じることができる
といったあたりに自分のフェティシズムが潜んでいるように感じている。
なのでだいたい、初めて訪問する地よりも再訪する方が楽しいし、妻に「初めて行くAと、再訪するBどっちがいい?」と聞かれるとほぼ100%Bへの再訪を希望する(そして初めてのところを好む妻に嫌な顔をされるという様式美)。なので、今回のヨセミテも再訪なので個人的にはわりとテンションが高めだった。
※ 新しいものへのチャレンジ精神の欠如の裏返しなのかもしれないが
という2回目のヨセミテ。前回行ったときと比較するとやや滝や川の水量が少なかったが、それはさておき、雄大な自然を満喫。ネットも殆ど通じないので、色々な考え事がはかどるのがとても良かった。唯一残念なのは、その思考の殆どが帰還した今となっては忘れてしまっているということか。。。
しかしそれにしても、ヨセミテは飯がまずすぎる。。。これだけは本当に残念であるが、まあ自然公園で美味い飯まで求める自分がわがままなのだろう。。
Sunday, May 13, 2012
Re: タイトルなし
■ 学校から「教授の投票の結果、自分が、Weston Awardなる、ファイナンス分野での成績優秀者に選ばれた」という連絡をもらった。そのおかげで、卒業式の一週間前に、Academic Awards Dinnerなるものにお呼ばれしてもらった。悪くないじゃん。ラッキー!
■ やっぱ、こういうラッキーがないと、人生ちょっとシンドイよね。。卒業を控え、わりといい気分である
Saturday, May 12, 2012
妻ブログ、的な..
■ ラーメン部門
・山田屋(West LA店)
安定感があるが、スパイスをもう少し和風のやつにしてくれないかしら(辛くする=チャイニーズ風になってしまうのがなんとも)
・つじ田
最近妙に注文から出てくるまでが速い。おそらく麺を作り置き(茹で置き?)しているのだろうが、たまに麺のコシが微妙なときが。でもやはり当地では随一レベルの美味しさ。
・宮田麺児
自分は美味しいと思ったが、おそらく相当人を選ぶと思う。うちは、話をしただけで妻と娘が受け付けないので、彼らが出かけているときにしか行くことはなさそう。。
・山頭火
当地ベストのラーメンでないことは重々承知しているのだが、なぜか定期的に食べたくなるのはここ。一番ソウルフード的とでも言おうか。あと個人的には、毎回ついついいくら丼を食べてしまう。。
・わかさんち
ランチであるラーメンが、実は大のお気に入り。醤油ラーメンはかなり懐かしい感じ。
・麺達(コスタメサ)
遠いのでそうそういけないが、滅茶苦茶美味しいわけではないが安定感のある感じで良い。近所にあったら、「飲み会の後、ついつい寄って一杯食べてしまう」感じの店。このアットホーム感は、山田屋にもつじ田にもないのだよな。。
■ ハンバーガー部門
・In-n-out
Value-to-Cost 比率のようなものを取ったら、ここは個人的にはトップ圏内だと思う。ついつい頻繁に立ち寄ってしまう。
・Father's Office
子連れでは土日の昼のテイクアウトしかできないのが難点だが、その苦労を買ってでも食べるべき美味しさ。ハンバーガーもうまいが、ポテト+タルタルソースが神がかり的に美味しい。
・The Counters
ここも有名だが、選択肢が多過ぎて逆に美味い組み合わせいたどり着くのが難しい。自分達がベストと思うコンビネーションを提示してくれてもいいのだよ、と個人的には思う。この価格帯のハンバーガーを食べるなら、ここではなくFather's Officeを選びたい。
・Five Guys
東海岸では有名とのことだが、安定感のある美味しさ。ただ、味以前に、毎回無料の落花生を食べ過ぎてしまい、ハンバーガーが来るころには腹がふくれてしまっているのが...
・Umami(最近行っていないのだが..)
ここは最早、ファッションになってしまっていて、逆に行ってはいけないかなぁという感じ。
■ その他
・セイコウエン(焼肉)
最近初めて行ったのだがあまりの美味しさにびっくり。店のぼろさにもびっくりしたが。。
・Harris Ranch(CA州中部)
ステーキ。ただひたすらに美味しかった。気が付いたらぺろっと平らげてしまっている感じ。
・寅福(和食)
昼なら比較的リーズナブル。メニューに当たり外れが大きく、例えばトンカツは全然だが、鳥のグリルとか焼き魚は美味しい。あと、なんとなく接客がいまいち。
・Pita Berra(Westwood)
学校近くのピタ屋。友人に連れられて行ったのだが、その美味しさに衝撃を受けた。In-n-outの隣にあるので、最近はあのエリアに行く度どちらにしようか悩む。
・カフェヒロ(サイプレス)
洋食のお店としては随一のレベル。ここのウニパスタを食わずに当地を去るとかありえないレベル。帰国までに、誰か引きつれて、たくさんのメニューを少しずつシェアしたい(家族3人では、2品頼んで終わりになってしまい、あれもこれも食べたいのに食べられない-2品のうち一つはウニパスタにせざるを得ないので..)
・大吉寿司(トーランスミツワ)
誰に行っても理解してもらえないのだが、トーランスのミツワの大吉寿司は、他のミツワのそれよりも圧倒的にネタが大きいし、美味しい。下手なSushi食べるくらいなら、ここの盛り合わせ食べた方がよほど幸せになれる。。
・Catalina Kitchen (パロスバルデス)
Terranea Resortというリゾート施設内のレストラン。全体的に高いけど量も多いので、割高感はない。しかも美味しい。そして何より、誕生日であればSurf and Turdなるステーキ+ロブスターという豪快なコンボ($49)が無料で貰えてしまう。デザートも大きいので、2人で一つくらいにしておいた方が得策。
Friday, May 11, 2012
ネゴシエーション まとめ
・そもそも、交渉してよいのか
・己と敵を知る
・ゲーム理論的発想
・BATNAを探す
■ そもそも、交渉していいのか
・交渉することで、相手が心証を損ねるリスク
・「そういうのは会社でやれ。家に持ち込むな」
■ 己を知り、敵を知る
・ 自分の目的は何か?何が最重要で、何は妥協可能か?
・交渉相手の目的は?
■ 交渉相手は友人ではない
・ 商談相手も、社内調整の相手も
・ 自分の利益を追求することは恥でもなんでもない。相互に自分の利益を追求した結果衝突は起きるが、それは必要なコストであり、回避するともっと厄介なことになると心得る
・変に遠慮してしまう方が、仕事のパートナーとしては悪印象を与えかねない。自己あるいは勤務先のために全力を尽くせない人が、一緒に組んだ時にいい仕事をしてくれるだろうか
・ドライにすることと、信頼関係を保つことは両立可能。妥協しないと保てない良好な関係って何?
■ ゲーム理論的発想=ナッシュ均衡
・ナッシュ均衡:相手がXという行動をとると仮定したら、自分ができるベストの対応は何か?
・数手先を読む:相手X→それに対して自分Y→相手もYに対応してZ→... 現実的には、1回か2回ほど繰り返せば十分で、繰り返し過ぎても逆効果
■ BATNA:「じゃあいいよ、●●するから」という代替案
・代替案があれば、「じゃあいいよ、●●するから」とできる
・BATNAがベターであればあるほど、不必要に妥協する必要が減るので交渉力は増す
(例:他社からもオファーが来ているのであれば、あなたは勤務先との年俸交渉でより強気になれる)
1. 戦略レベル
■ ポーターの5 Forceとか
・ 買い手が自分一人で売り手が複数いたりした日には自分の交渉力は強まる。相手が談合しない限りにおいて、極限まで買いたたける(極限=いずれかのBATNAの高い方マイナス1円)例:東大理Iクラスの女子
・売り手が自分一人で買い手が複数いるときも同様、極限まで値段を吊り上げられる(極限=いずれかのBATNAの低い方+1円)例:車の売却
・言い換えると、(1) 他の競合が来る前に勝負を決めろ (2) 違法出ない限りにおいて談合余地を検討してもいいかもしれない。
■ パイを広げる
・交渉はパイの奪い合い、これは不可避
・しかし、何らかの協調により、パイの大きさを拡大することはできるかもしれない
・パイの奪い合いはガンガンやるべきだが、その前に、パイの大きさを最大化すべく協調できると両者得する
■ 複数論点をつくる
・パイ拡大の一策。複数論点があれば、バーター余地が生まれる
・一見論点は一つしかないように見えても、複数の論点が隠れていることも。隠れている論点を掘り起しバーターに持ち込む発想
■ 見解の相違は活用できる
・「まずは前提条件に関する相違をなくすべく交渉」みたいなことは不要
・見解の相違があるときは、同じ条件が自分にとっても相手にとっても+ということがありうる
・見解の相違を活用するためには、見解の相違を相互理解するための信頼感形成が重要
■ 情報共有と信頼
・情報があればあるほど有利なので、不必要に相手に情報を渡さない。相手は友人ではない
・他方、情報を共有することで双方が得することがある
・信頼関係をベースに、ひとつ与えてひとつ取ると言う形で情報共有を進めることができると良い
・信頼関係を築いてパイの大きさを最大化できれば、その後のパイの奪い合いが50:50にならなかったとしても両者ある程度満足できて、良き対戦相手に対する尊敬のような関係を築きうる
2. 戦術レベル
■ アンカリング(Anchoring、錨をおろす)
・自分が相手に「年俸は1,000万円でどうですか」と言ってしまえば、相手はゼロベースで考えることができなくなり、1,000万円が良いか悪いか、1,000万円からどのくらい価格を上げられるかという発想に陥りがちになる
・逆に、相手に何か最初の提示をされたとき、相手はアンカリング目的でふっかけてきている可能性があることに注意
・対策:相手の提示を半分無視して、自分からも提示してしまう
相手「年俸は1,000万円でどうですか」
(NG)自分「1,000万円は低い。もう少し上げてください」
(OK)自分「いえ、5,000万円でどうでしょう」
■ サンクコスト・サンクベネフィットをかきまぜる(BATNA応用)
・理論的には、交渉の余地があるのは、サンク部分を除いた部分に限られる。たとえば、既にCさんから「2,000万円で買います」というオファーを貰っているときに、Bさんと土地売却交渉をしたとする。このとき、仮に売却価格が3,000万円となれば、自分がBさんに売ることによって得られる追加的な利得は1,000万円であり、3,000万円ではない。2,000万円はBさんに売らなくても得られたものであり、サンク。
・この2,000万円をサンクと考えれば自分のBATNAは2,000万円となるので、仮にBさんと利得を公平にシェアするのであれば、落としどころはAvg(2,000万円、BさんのBATNA)となる。たとえばBさんのBATNAが4,000万円であれば、落としどころは3,000万円となる
・しかし、Bさんが「2,000万円がサンク?んなことあるか。お前は俺が払った分全額得するのであって、俺が払った金額マイナス2,000万円なんて知らない。なので、公平な中間地点は、3,000万円ではなく、Avg(0, 4,000万円)の2,000万円だ」と言ってきたとき、あなたはちゃんと反論できるだろうか?
・相手が2,000万円より低い金額を言って来たら断ることは簡単だが、2,000万円がサンクベネフィットで、中間値計算にあたっては考慮すべきではないとロジカルに説明しきるのは案外難しい。
・ディフェンスの観点からは、サンクベネフィットがサンクであることを説明できるようにしておく必要がある。
・オフェンスの観点からは、「まあサンクだよね」と知りつつも、一応「おい、サンクなんて知らんぞ」ということで、中間地点の落としどころを自分に有利な方向に調整できる望みがある。
■Further Reading
ハーバード流交渉術(リンク)
Project week 5&6
プロジェクト5週目から6週目にかけては、ドラフトの微調整を行ったあと、教授にそれを提出する感じで、どちらかというと動きの少ない時期であった。
もうひとつのケースについても、スペイン人君とメキシコ人君のコンビで無事作業が進んでいるそうで何より。
で、教授から色々コメントをもらい、それを反映。ゴールはもう少し...
■ ワークショップで見えてきた本プログラムの影
授業のプログラムの一環として、ライティング及びプレゼンテーションに関するワークショップが開催されたので参加してみた。
ワークショップそれ自体はまあまあ参考になる程度の幹事だったのだが、印象に残ったのは、そこで練習として行われたプレゼンテーション。クラスメートの数人が実際に前に出て、現時点でのPJの結論のようなものをプレゼンしたのだが、驚くほどクオリティに差があってびっくり。
このPJに対して、顧客は確か$10,000支払っていると聞いている(自分達は顧客を持つコンサル型PJではなくリサーチ型PJなので顧客がいないのだが)。数名がプレゼンしていたが
・顧客がどいつもこいつもNPO。伝え聞く限りでは、多くのNPOは別にスポンサーを持っていて、他人からもらった金で当校にコンサルを依頼しているらしく、多くの顧客が当事者意識を持っていないらしい。そのため、学生と顧客の連携も悪く、学生の提案は聞き流されて終わり...という感じになっているところが多いとのこと。
・で、そういう状況を反映してか、NPO向けのコンサルをしている人のプレゼン、Mck出身者による秀逸なプレゼンを除いて、残り全てがびっくりするほどしょぼかった。百万円もらっておいてそれかと怒鳴りたくなるレベル。。
・また、今日はプレゼンしている人はいなかったが、コンサル・リサーチの他、自分達で実際にビジネスをやってみるというPJも許可されているが、はたから見る限り、多くの起業型PJは単なるインターネット遊びに過ぎないレベルに終始している。それはそれで学びはあるのかもしれないが、ちゃんとした選択科目2つ分の価値が果たしてあるのかどうか、疑わしい。
一部のチームはいい感じにPJを回しているとも聞くが、それ以外のチームがそうでもない状況から鑑みると、このPJ型授業は必修としない方がいいと本当に思う。選択にすれば、受けたい人は頑張るし、受けたくない人は他の関心分野に集中できる。UCLAの下部組織とかで官僚的な予算制度で回っている組織に対するお遊びコンサルで8単位取るくらいなら、素直に2つ選択科目を増やした方がいいのではないか。自分のいた東大経済学部は卒論が選択制で、書かないならその分選択科目を一つ取ればよいというシステムだったのだが、UCLAも真剣にそのシステムを検討すべきだ。必修としてやるなら、現在殆ど機能していないPJ専門オフィサー達を総とっかえして真剣にクライアント獲得など努力させるべきだろう。
自分達は顧客をとらないPJにしたのであまり気にせず済んだが、顧客を取るチームの多くがそういった矛盾にさいなまれているのを見ると、この8単位の意義がかなり疑わしくなってきた。ということで、フィードバックの機会を見つけたら、その点しっかり書くこととしたい。
Thursday, May 10, 2012
ネゴシエーション(8) 見解相違はチャンス
■ 実戦メモ4
(ルール)
・エネルギー節約につながる機械を製鉄会社に売りたい自分と、それを買いたい製鉄会社のネゴシエーション。
・自分と相手は異なる指示が与えられており、相手がどんな情報を持っているのかわからない。
・価格のみならず、販売条件を自由に決めてよい。
・売り手たる自分の得点は期待値で計算される。指示書によると、機械がうまく作動する確率が80%とあったので、期待値は 80%×うまくいったときのペイオフ+20%×故障したときのペイオフ というもの。
・自分の自己資本は$15M。それを超えるような何かは起きてはならない。
(事前準備)
・手持ちの情報から推測した限りでは、エネルギー節約によるメリットはトータルで$20Mであった。
・なので、自分の取り分が$10Mになるくらいのプライシングが落としどころと考え、それを実現するような売値を考えて臨んだ。
(本番)
・開始直後は、お互い、情報の出し惜しみ。もごもご、ごにょごにょ、できるだけ自分の手持ちの情報をさらさないようにしつつ相手の情報を探る展開。
・といいつつも、気の知れた同じ学校の友人であり、最終的にはひとつひとつ情報の共有が進む。敵対関係にある相手とのネゴだとこうはいかなかったかも。
・やがて、機械がちゃんと動作する確率についての認識が、自分と相手で見解の相違があることに気が付いた。自分にとっての成功率は80%なのだが、どうも相手の認識する成功率は低く、50%以下であるとのこと。
すなわち、期待値計算が非対称であることがわかった。仮に相手にとっての機械の成功率を30%としたら、
自分の期待値:80%×成功時のペイオフ+20%×失敗時のペイオフ。
→成功時いくらもらえるかが重要で、失敗時いくら損するかは比較的どうでもよい
相手の期待値:30%×成功時ペイオフ+70%×失敗時ペイオフ。
→自分の逆で、成功時製鉄所がメーカーにいくら支払うかは、比較的重要でない
・この情報共有ができたことから、以下のような提案を行った。
「俺は成功時いくらもらえるかが重要で、お前は失敗時いくら賠償金を取れるかが重要だ。なので、こうしよう。もし失敗したら、倒産寸前になる$15M払ってやるから、その代り成功したらガツンと$19よこせ」
$19というのは、自分が失敗時に$15払ってもなお、期待利得が落としどころである$10になるような金額として指定した。
・最後相手が粘ったので自分の成功時の取り分を$19から$18.5に削減したが、結局合意達成。
(結果)
・このゲームでは双方が認識する故障率に相違があることから、「成功したら多く払い、失敗したら多く賠償する」という支払い方式にすることで、両者の利得の合計は増やすことができるプラスサムのゲームであった。たとえば、「成功したら$5Mもらえるが、失敗したら$2M賠償」というのより、「成功したら$18.5Mもらえるが、失敗したら$15M賠償」というスキームの方が両者の合計利得が大きくなる。自分達はこの「パイを最大化する」という作業に成功していたことになる。自分の支払額を倒産ギリギリの$15とすることで、パイの大きさは最大化され、あとはそれをどう配分するかという問題だけが残る。
・我々の18.5vs15という配分は、クラス平均と比較するとかなり自分に有利であったようで、結果として自分は機械の売り手の中ではクラス2位の好成績を収めることができた。
・だが、割を食った相方も、パイ自体が大きいおかげで、まあまあ平均より上のスコアを獲得していた
■ 異なる価値観はwin-winのチャンス
今回のゲームの肝は、お互いの利得関数が非対称であるということであった。
対称な例を挙げると、土地の販売交渉とかが挙げられて、
売り手の利得:売値
買い手の利得:買値
といった感じで、これは完全にゼロサムゲームで、妥協はありえても双方が100%納得する落としどころは存在しない。パイの大きさは変わらない。
他方、今回のように
売り手の利得:80%×成功時売値(A)+20%×失敗時賠償(B)
買い手の利得:30%×A+70%×B
のような感じになると、両者の合計は
合計利得:110%×A+90%×Bとなる。すなわち、AとBを両建てで増やすことで、パイの大きさを大きくすることができるのだ。
これまでの授業でも何回か出てきたが、ネゴシエーションの肝のひとつは
パイの奪い合いをする前に、まずパイの大きさを大きくできないか考えるとよい
というものであったので、今回は我々のチームはまさにそれができたことになる。(その後のパイの奪い合いで、なんとなく自分がたくさん奪ってしまった形になったが)
現実にも、ひとつのモノを巡って争っていたとしても、両者でその効用関数が微妙に異なることは少なくない。具体的には、
・成功確率:ゴルゴ13は自身の成功確率を高いと思っているので(99.99%)、成功したときにはたくさん報酬が欲しいが失敗したときは割とどうでもいい。他方、クライアントたるCIAは、そこまでゴルゴ13の狙撃成功率を高いと思っていないので(たとえば90%とか)、失敗したときの支払についてもそれなりに関心がある。こんなときは、「成功しようがしまいが$200,000で」と言う風に契約するよりも、成功したらいくら、失敗したらいくらというような報酬契約にすれば、両者ともにハッピーになる可能性が高まる。
・モノの価格予想:アラブの原油王は、将来原油価格が上昇すると信じていて、買い手の商社は将来原油価格が下落すると予想している。そんなときは、1年後のフォワード契約を「1バレルいくら」という固定価格で決めてしまうより、「1年後の原油価格×0.45」といった感じで、見解が異なるポイントである将来の原油価格に連動するような条件を設定してやるとよい。そうすれば、アラブ側は「売値が上がるわい」といい気持ちになるし、商社も「将来安く買えそう」と嬉しい。
まとめると、
・成功確率や物価など、変動しうるファクターについて見解の不一致がある場合は、
・それを交渉により統一するのではなく、
・見解が一致していないファクターに連動するような条件付けをしてやることでパイの大きさが拡大するのでwin-win
・パイの奪い合いは不可避だが、パイを大きくしてからでも遅くはない
・で、このような条件付けのためには、「あ、ここに見解不一致がある」ということを両者が理解しなければならないので、信頼関係に基づいて両者が適切に情報共有できる必要がある。信頼関係の構築が、パイの大きさを拡大するのだ。
Wednesday, May 9, 2012
エンジニアvsMBA
こういう話は主に、「正解」についてどう考えるかという文脈で出てくることが多い。なので今回は、エンジニア的正解と、MBA的・あるいは現実的な正解についての考え方の相違について考えてみる。
■ エンジニア的発想
あくまで自分から見た感覚論であるが、自然科学でトレーニングを受けたエンジニアの人には、こういう発想の人が多い気がする:
・ある問題について、唯一無二の絶対的な正解は存在する
・その正解は唯一無二であり、全ての人はそれを正しいと認識すべきである
水素と酸素を化合させたら水になるし、100の力で壁を押せば得られる反作用も100。まごうことなき事実であり、この実験を誰がやったとしても、結論は変わらない。もっと簡単な例でいえば、1+1=2であり、1+1が2以外になることは認められないし、あまねく人は1+1=2と理解すべきである、と言う感じ。
正解は「皆がそこにたどりつくべきもの」と思っているので、皆が正解にたどりつけるような工夫をするという発想はあまりない。あっても、せいぜい、正解についてわかりやすく説明するといった程度。
■ MBAから見たエンジニアの問題点
極端な言い方で言うと、MBAは(少なくとも自分は)「正解?何それおいしいの?どうでもいいや」くらいに思っている。ことビジネスの世界においては正解など存在しないからだ。「両者のネゴシエーションの結果、合意形成されたもの」とか「オークションの落札価格」といった、結果的にどのようになったかというものは存在するが、あるべき水準というのは机上にしか存在しない。
MBAから見て、エンジニアは、その自然科学的価値観を現実世界に間違った形で持ち込んでいる人が少なくないという印象がある。
・計算によれば株価は1,000円となるはずで、いまの株価700円は間違っている
・放射能は微量であれば有害ではなく、一喜一憂する日本人は間違っており、認識を改めるべきである
・アメリカではベンチャー企業がVCからファイナンスしてもらえるが、日本ではそうはいかない。日本は間違っており、金融業界は態度を改めるべきである
など。
MBA的発想を持った自分からすると、そういうことを言うエンジニアは社会科学的真理のなんたるかを誤解している。自然科学的真理も、単なる思考的枠組みのひとつにしか過ぎないのに。
たとえば放射能が科学的に微量であればあまり害はなかったとしても(自分は科学者でないのでその辺知らない)、一般市民が放射能のことを恐れていて実際に食べ物を選んだり引っ越ししたりしている人々の心理や行動こそが重要であり、「放射能が有害でない」という科学的正解はあまり意味がない。
また、「正解は●●なのだから、皆●●と考えを改めるべきなのだ」というのは、「1+1=2である」という自然科学的世界ではOKだが、人の認知が絡む社会科学的世界では机上の空論でしかない。
仮に人々の認識を変えたいのであれば、「正解が何であるか」からスタートして「正解は●●です」と主張するだけでは駄目だ。「人々がどう考えているか」からスタートして、「あなたはこう考えているようですが、そこにはこういう誤解があります」という風に、誤解を解くところから始めないとすれ違うだけになってしまう。MBA的発想としては、正解は唯一無二の形で存在するものというより、人為的にそこに誘導するものと考えた方がしっくりくるかもしれない。単に「こっちが正解だぞ、こっち来いよ」と言うだけでは誰も動かない。人々がどう考えているか真剣に考えて、彼らが動きやすいような説明などを考えてあげる、すなわち「説得する」という作業が必要なのだ。
あるいは、そもそも、人々の認識を変えるべきとも限らない。もし自分が「正解は899円である」と知っているのに株価が600円であったなら、自分にできることは「株価は899円となるべきだ」と主張することというより、静かに株を買って899円になるのを待つことだろう。放射能が有害でないと知っているのなら、放射能のせいで必要以上に価格が下がっている食品を安く食べて幸せになることも一つの選択肢だ。人々を正解に導くという苦難をわざわざやらずとも、単にその人々の誤解から利得を稼ぐというのも一つの手だ。しかも、あなたがそうやって静かに正解と人々の「誤解」を利用して稼げば、株式市場はそれに反応して、結果的に株価はより「正解」に近づくのだ。わざわざ声を大きくして「正解はこっちだぞー」と叫ぶだけが選択肢ではないのだ。
■ で、何がいいたいのか
ここまで、コテコテのエンジニア的発想に、コテコテのMBA的発想をぶつけるという試みをしてみたが、最終的な結論は「エンジニアよ、お前らもうちょっと現実知れよ」というものではない。他人の意見を変えることなどナンセンスだし多分不可能というのが自分の立場だからだ。
ここで自分が言いたかったのは、「エンジニアは往々にしてそういった真理主義的発想をしがちだが、真理に到達する能力があるという点において確実に有用なのだから、自分のようなMBAが科学者と現実をつなぐような役割を意識的に引き受けることで、全員ハッピーになればよくね?」というもの。
言い換えると、仮に身の回りに上記のようなコテコテの真理主義者エンジニアがいたとしても、自分の仕事は彼らに『空気読め。現実を見ろ』と説教することではない。そうではなくて、彼らの知識と現実とを結ぶハブとして桜木花道バリのスピードで『自ら動く』ことであり、そのためには一生懸命エンジニアのことも現実社会のことも勉強すべきなのではないだろうかということだ。
なんか大学にいると、コテコテの科学者か、そういったエンジニアに「お前らなぁ」と愚痴を言う文系しかいない気がしてきたので、むしろこの状態を解決することこそ俺の仕事かもしれないということを思った次第。。
※ なので、理系出身者がMBAに来るのはものすごくいいことだと個人的には思っている。え?経済学部出身金融マンがMBAに行く意味?まあ今日はその辺はちょっと...アワワワワ
Saturday, May 5, 2012
借金の算数(3)
同じ金利4%のローンでも、契約手数料2%を取るようなローンと、契約手数料がないローンではその負担が異なる。この負担の違いは、実効金利というものを使うことで数字に落とすことができる。
例えば、5年後に解約を検討しているときに
ローンA: 元本3千万円、金利3%、20年、毎月元利均等払、契約手数料も解約手数料もゼロ
ローンB:元本3千万円、金利2.75%、20年、毎月元利均等払い、契約手数料1.5%、解約手数料2%
の二つを提示されたとき、どうやってどっちのローンがマシなのか検討すればよいのだろうか。
<考え方>
・実効金利とは、契約手数料や解約手数料を考慮した上で計算されるローンの利回りで、RATE関数で計算される。RATE関数には、元本、解約時残高、支払回数、毎回の元利返済額を入れる。
・たとえば、RATE関数にもともとの元本と5年後の元本(解約時元本)を入れると、契約金利が出てくる。
・ここで、RATE関数に、元本の代わりに元本-契約手数料を、解約時残高の代わりに解約時残高+解約手数料を入れると、これら手数料を考慮した上での実行利率が出てくる。
・計算したのが下記のテーブル。これによると、ローンBの方が金利は低いものの、手数料があるせいで実効金利が高くなっていることが示されている。
・こういった手数料が入ると、実際の負担額は当たり前だが金利が示す金額より増加する。なので、銀行担当者に実効金利の計算を依頼したり最寄のFPなどに頼んだり、あるいは自分で計算して、ちゃんと実効金利を見てからはじめてローンAかローンBか選んだ方がよい。
・また、場合によっては、手数料を多く払えば金利を下げてもらえたり、その逆にすることができたりと、借り手にとっては手数料の存在は交渉余地の存在に他ならない。条件が金利しかなければ交渉余地は小さいが、手数料が入っている場合はチャンスと思い積極的に交渉するのが良いと思う
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Friday, May 4, 2012
持家vs賃貸 (2)
● はじめに(Disclaimer)・・・経済性が全てではない
以下では、「アメリカはともかく、日本に限定して言えば、おそらく経済性の観点では賃貸の方が有利だと思う」という議論を展開する。しかし、自分は「経済性がすべての判断の最大かつ唯一の判断根拠となるべきである」と言っているわけではなく、単に「他の要素を一切無視して、経済性だけ見たとすれば、たぶん賃貸の方が有利」と言っているだけで、「他の要素を考慮するあなたは間違っている」と糾弾しているわけでは全くない。
家を所有する喜び、大きな買い物をするということ自体の喜び、自分の好きなようにカスタマイズできる便利さ、etc。こういったものは間違いなく持家購入に人を誘導する重要なファクターであり、できることならこういった要素も数字で考慮できたらどんなに良いことかと思う。しかし、ここでは、こういったものは「とりあえず」無視して、経済性にフォーカスして議論を進める。
なので自分の立場を言い換えると、「いろいろな要素があるのは承知しているつもりなので、自分としてはとりあえず経済性についてだけ論じてみると、おそらく賃貸の方が有利」という立場である。
また、後述するが、自分が今住むLAは、日本と比べると持家有利・賃貸不利の土地である。なので、自分は無意識のうちにLAと比較することで日本の賃貸が有利であると感じている可能性があり、それが記述に偏向をもたらしている可能性があるがそのときはごめんなさい。
●ざっくり考えるなら・・・月間費用モデル(真の持家コスト=ローン返済額+10万~15万円)
・まず賃貸では、毎月発生する費用は基本的に家賃だけ。共益費とかの名目でいくらか追加的に取られることもあるが、ここではそういったものを全て家賃にひっくるめて考える。そうすると、月の負担額は
負担額 = 家賃
となる。
・次に持家の場合、
毎月支払があるもの(実際にお金が出ていく)は、
①住宅ローン返済(元本・金利)
②保険料
③固定資産税が挙げられる。
また、定期的に発生するわけではないが、④修繕費も毎年結構な金額発生するはずだ。
まずこの時点で言えることは、「住宅ローンの返済額の方が家賃より安いので、持家の方が有利」という話は正確ではないということだ。②③④を考慮していないからである。
また、持家の場合、売却損が発生することは忘れてはならないと思う。たとえば4,000万円で買った一戸建てが20年後に売却したときに1,600万円にまで価値が下がっていたときには、売却損は(4,000-1,600)=2,400万円となる。トータル6割減だが、20年で上物の価値がゼロになってしまうという日本の相場観に照らせば、この6割減の例はさほど極端な例ではないと思う(※土地は減価しないので)。売却時までこの費用は顕在化しないので軽視されがちと思うが、これを「2,400万円の売却損を、毎月少しずつ負担する」というように考えてみるとそのインパクトがわかる。
トータルの売却損・・・2,400万円(20年)
居住月数・・・20年×12=240か月
一か月あたり売却損・・・10万円
一般化するなら、一カ月当たり売却損は
(売却損)/居住月数
となる。
つまり、2,400万円の売却損というのは毎月10万円の負担に等しい。この2,400万円の売却損は売却するその瞬間まで顕在化しないので軽視されがちだが、持家に住むということは、上記①~④の「実際に毎月支払うコスト」に加えて「支払は売却時まで先延ばしにしている、月10万円の隠れコスト」も同時に負担するということになるのだ。
なので、家賃と比較すべき、持家の毎月の負担額は
①住宅ローン+②保険料+③固定資産税+④修繕費+⑤売却損の月割りという①~⑤の合計金額だ。自分は経験上家賃と①だけを比較して持家有利という結論を出している人を多く見てきたが、それは正しくない。
今住宅ローンの返済額が15万円であるならば、そのほかの②~⑤も含めた総額は、おそらく25万円~30万円となろう。自分の感覚では、持家に毎月25万円投じるなら、月20万円の借家に住みつつ毎月5万円貯金するのも悪くないと思う。毎月5万円の貯金=20年で1,200万円。老後に1,200万円余分に資産があるというのはかなり嬉しい。
また、「売却代金で住宅ローンが返せれば、それで問題ない」というが、それは資金繰り上追加でお金をかき集める必要がなくて良かったというだけで、損していないという意味ではない。仮に売却価額がローン残高を上回っていたとしても、売却損が出たのであればそれは厳然とした損失である。
※なお、アメリカでは、住宅価格の割に家賃が高いことと、売却価格があまり下がらず売却損が比較的少額で済むことから、住宅保有はわりと良い投資と認知されている。これは、住宅価格の割に家賃が低く、多額の売却損を覚悟せざるを得ない日本の事情と異なっている。日本と似たような環境の台湾出身の友人は、親が台湾の投資用住宅を売って、その金でLAに投資用住宅を買おうかとしているらしい。おなじ40万ドルでも得られる家賃が格段にLAの方が高いそうで、こちらの方がよほど投資になるとのことであった...
※上記の通り、持家の最大のコストの一つは売却損なので、売却せず死ぬまで住み倒すことで売却損を永遠に先延ばしにするという技(?)もある。もし死ぬまで住むのであれば、どんな計算をしても持家の方が圧倒的に有利になる。なぜなら繰り返しになるが売却損がとても大きいので。なので、確信をもって住む変えることなくひとつの家に住み続けると言えるのであれば、たぶん文句なしで持家にしてしまってよいと思われる。(ただし、長く住むことで発生する修繕費はあまり見ていない...)
● きっちり考えるなら・・・通年モデル
厳密に賃貸と持家の経済性を比較したいのであれば、できればエクセルを用意して、取得時から処分時(あるいは永住予定であれば、予想される死亡までの年数)までの表を作ってみるべきであろう。毎年のコストを列挙して、最終的にはそれを合算する。NPVを計算するか否かだが、将来の費用を軽視しないためにも敢えて割り引かない方が保守的で望ましいのではないかと自分は感じている。
これを作ると、たとえば「4,000万円の家に20年住んだ後1,600万円で売却した場合の総費用があれば、その20年間、家賃いくらの家を借りることができるだろうか」という検討ができる(ローンの頭金や金利・修繕費や固定資産税について丁寧に設定する必要があるが)。自分の試算によれば、4,000万円の家に20年住むだけのお金があれば、家賃20万円~22万円の家を借りることができる。あるいは、最初10年18万円の賃貸で我慢できれば、後半10年は25万円の家を借りることができる。
また、モデルを作れば、ローン期間を延ばせば伸ばすほど月々の負担は低減するがトータルの利払いが増加することなども目で確認できるようになる。20年ローンと35年ローンでは金利負担がとんでもなく異なるのだが、20年ローンにすると月々の返済額が多額になり家計が回らない...みたいなところのシミュレーションができる。
● 最後に・・・その上で、経済性以外の論点もできるだけ考える
価値観は人それぞれ。経済性以外にも無数に存在する家を買う理由あるいは家を借りる理由も、しっかり検討した方が良いだろう。経済性だけで判断を下すのも、あまりに人間味がない行動ではないか。
※個人的には、賃貸に下記のような「数字では表せないメリット」があると感じている。
・売却損を気にする必要がないので、不動産市況にあまり惑わされない。他のこと(仕事や趣味)に集中できる。
・家族のライフステージに柔軟に対応できる。子供が増えたら広い郊外の家、子供が独立したら狭い都心、etc。
・地方や海外への転勤転職にも柔軟に対応できる。
・子供の教育環境にも対応できる。優秀な学区云々、通学先の近隣、etc。
・万一所得が減少したときには、翌月からでも家のグレードを落とすことで費用圧縮ができる。
・今後日本経済が緩やかに縮小基調に向かうと考えれば、当然、家の需要も低下し、価格も下落する(金融政策次第だが..)
このように賃貸にはいくつかの定性的なメリットが存在するが、自分が市況を観察している限りでは、こういったメリットが家賃にオンされている形跡(持家価格に比べて家賃が割高になっている)は見られない。
ただ、経済性について間違った認識を持ったまま経済性以外の論点について考えるのは危険であるというのが自分の意見。
Thursday, May 3, 2012
ネゴシエーション(7) 論点を複数もつ
3回目のネゴシエーションは、メーカーの営業部長と、スーパーの幹部が、新製品の取扱を巡り交渉するというもの。割引率、広告費の分担、棚の前列への陳列等7つの論点についてそれぞれ合意を形成するというゲーム。
「商品の陳列については自分はAだろうとBだろうとCだろうとあまり得点差はないが、相手はAだとものすごく加点がある...」という非対称性があり、うまく協調的になれれば、お互い譲るところは譲り、主張すべきところは主張することである程度win-winになれるというゲームであった。
ナパのホテルでやったこのネゴシエーション、残念ながら結果はクラス平均以下の得点となってしまった。
・「自分にとって重要な論点は主張し、そうでないところは妥協する」「複数の論点を結び付けてバーター取引する」等の基本的なアクションはできていたのだが、
・どうやら主張と妥協のバランスが悪かったようだ。見直してみると、ひとつ主張が通ったときに、嬉しさのあまり(?)2つくらいまとめて妥協してしまっているところがあり、そのためトータルで見ると妥協しすぎという形になっていた。
平均点に負けた悔しさのおかげで割と真剣に「どうして負けたのだ...」と反省したのだが、やはり色々と反省しうるとことはあって、
・できればそういうことは素面でやる
・自分は妥協しすぎ、情報出し過ぎにより損をする傾向がある。友人や家族に対して計算することなく接するときにはまだ許されるのかもしれないが、冷静に自分の利得を最大化すべきネゴシエーションにおいてはこの自分の傾向は致命的であり、常に意識し、抑制的であるべきである
・具体的には、自分の譲歩の度合いと、相手の譲歩の度合いが常にイーブンとなるよう、あるいは出し過ぎとならないよう、意識的に計算しないとならないだろう。
■ 複数論点を「つくる」
ところで教授によれば、この「論点が複数ある交渉」は、論点が一つしかない交渉と比較して合意形成がし易いという指摘があった。一つしか論点がないときはゼロサムゲームとなってしまいなかなかうまい落としどころが出てこないが、複数論点があれば「これは妥協するから、そこは俺の要求を呑んでくれ」というのがやりやすいのだ。
そんな話を聞いた丁度翌日の不動産の授業で、ゲストスピーカーとして来た人の話でまさにそんな話があった:
・ソノマで色々と不動産開発をやっていた顧客が、金策に窮してしまい、Ch11での再建を図ることになった
・が、債権者が複数いて利害が錯綜しており、下手するとCh7を申請して保有物件をたたき売る羽目になる。
・未開発の物件などもあり、現時点で叩き売るよりも開発してから売った方が明らかに良い地所とかもあるのに...
・そこで雇われたその人、債権者に話を聞いて回ると、多くの債権者が「回収金額の最大化」以外の関心をもっていることがわかった。「とにかく早く資金回収したい」とか「待っててもいいからたくさん回収したい」とか。
・そこでその人が仲介しつつ、Aさんには明日にでも資金を分配するが額面の50%、Bさんには支払いが遅くなるが残余額の全てを分配...というような感じで、全員が納得のいくような分配案の合意形成をすることができ、Ch7申請を回避できた
この話を聞いてピンときた。
「複数論点があるとネゴがやりやすい」と言う話はさらに一段階煮詰めて「ひとつしか論点がなさそうな状況でも、試行錯誤して複数の論点を作れ!!」という教訓にすることができるのだ。
・金額:多いか少ないか。
・支払時期:早いか遅いか
・支払方法:現金か掛け金か。一括か分割か。現物でもオッケーだったりしないか。
・その他諸々。
これは理屈というよりは実戦的なものであり、経験や勘が寄与するとことの大きいものであろう。相手がどのようなことにメリットを感じるか考えて、何か他のメリットを考えてあげて、それを与える代わりに自分の主張したい論点はきっちり主張させてもらうといった感じ。
これまであまり頭を整理したことがなく、「論点は少ない方がすっきりしてて良い」くらいに思っていたが、これからは意識的に論点をむしろ増やす方向でやってみることにしてみたい。
※ それにしても、履修から5週間ほどたつが、一向に夫婦喧嘩には勝てていない件。むしろ、変に習ったことを遣おうとすると「ちょこざいな屁理屈使っちゃってさぁ」とネゴシエーションテクニックを使ったことそれ自体を非難されたり。。ネゴシエーションすること自体がもたらすデメリット、ってそういや以前にブログにも書いたなぁ...
Wednesday, May 2, 2012
借金の算数(2)
・PMT関数:元利均等ローンの、毎回の元利合計返済額を計算する関数。
例:銀行に「1億円貸してくれ」と頼んだら、「5%、毎月払い、10年、元利均等払い」という条件を提示された。
このとき、毎月の支払額は
PMT(5%÷12, 10×12, -1億円)
で計算できる。
・PV関数:元利均等ローンで、ローン元本を計算する関数。
例:Aさんは、月々の資金繰りをベースにすると、毎月の元利払いが20万円になるようにローンを組みたいのだが、そうすると銀行は「5%、毎月払い、10年、元利均等払い」と提示してきた。このときの元本は
PV(5%÷12, 10年×12, -20万円)
で計算できる。
・FV関数:数年後の残高を計算する関数。
例:3,000万円・3%・20年・毎月払い・元利均等のローンを借りていたが、借りて10年経って、住宅を売るのでそれにあわせてローンも清算することにしたら、「清算時点での元本に対して3%の期限前返済ペナルティを頂戴します」と銀行に言われてしまった。このペナルティはいくらだろうか?
まず、元のローンの毎月の元利払いはPMT(3%/12, 20*12, -3千万円)=166,379円
で、10年目が終わった時点の残高はFV(3%/12, 5*12, 166,379円,-3千万円)=24,092,630円
で、これの3%がペナルティなので、ペナルティは24,092,630 * 3% = 772,789円。
■ Incremental Interest Rate(限界利率)
<状況>
・郊外の住宅を買うために、銀行から「3,000万円、3%(毎月払)、20年」という住宅ローンの条件提示を受けていた
・ちょうどそんなとき、高いけどとても魅力的な物件が別に見つかったことから、銀行に「やっぱり4,000万円貸してくれ」と頼んだ。
・そしたら銀行は「では、4,000万円・20年なら4%になります」と言ってきた。
・これをどう考えればよいか?
<計算>
・元のローンでは、毎月の元利払いはPMT(3%/12, 20×12, -30,000,000)=166,379円
・新しいローンは、毎月の元利払いはPMT(4%/12, 20*12, -40,000,000)=242,392円
・差額は76,013円. 年間支払額は、これに12をかけて912,156円
・追加のローンは1千万円で、この912,156円を割ると、追加分1千万円に対応する利率は9.12%.
<結論>
・新しい「4千万円・4%」のローンは、元の「3千万円・3%」のローンと「1千万円・9.12%」のローンの組み合わせ
・追加的な負担は4-3=1%ではなくて、9.12%とけっこう高い
・住宅ローンならあまり関係ないが、もし不動産投資であれば、9.12%より高いリターンを得られる自信がないのであれば元のローンで我慢すべき
Tuesday, May 1, 2012
借金の算数
■ アモチ償還(元利均等払)の計算
元本と利息を合算した毎回の支払額が一定となるような返済スケジュールのことを元利均等払いという。イメージとしては、
・毎回返済額は10万円
・最初の方は元本が大きいので、10万円のうち殆どは金利で、元本はあまり減らない
・最後の方は元本が大きく、金利が少ない
といったもの。この一定の支払額(元本と利息を合わせてDebt Serviceと言う)Xは以下の年金公式を使って求められる。
ローン元本A = X/(1+ローン利率r) + X/(1+r)^2 + ... + X/(1+r)^T
(Tは満期までの支払回数。返済が年に一回ならT=年数だし、毎月ならT=12×年数)
その辺の教科書を読めば年金公式は載っているが、自分としては、公式ではなく計算方法を理解した方がいいと思う:
A = X/(1+r) + X/(1+r)^2 + ... + X/(1+r)^T
A/(1+r) = X/(1+r)^2 + ... + X/(1+r)^(T+1) {Aを1+rで割ったもの}
上の式から下の式を引くと、
A (1- 1/(1+r)) = X {1/(1+r) - 1/(1+r)^(T+1)}
rA = X {1 - 1/(1+r)^T}
上記の式から、Xが計算できる。
ちなみにこの計算は、ExcelではPMT関数であっという間にできて、
X=PMT(利率、支払回数、元本)で計算できる。ただし、返済インターバルが年一回ではない場合、利率は返済期間における利率に調整しないとならない。
これにより均等償還額が決まるので、あとはそれを金利と元本に分解する。
・金利=前期の元本×利率
・元本償還分=均等償還額 -金利
計算が合っていれば、元本が満期のところできっちりゼロになるはず。
なお、社債は一般的にブレット型(期限一括返済)という方式で、満期になるまで元本は一切減らず満期に元本が一括返済される。このときの計算は簡単で、
・元本返済:最後に全部、それ以外はゼロ
・金利:常に元本×利率
となる。
■ DSCR (Debt service coverage ratio)
キャッシュフローがどのくらい元利償還額(Debt Service)をカバーしているかという指標。大雑把な定義は
キャッシュフロー / 元利償還額
というもの。
仮にサラリーマンのあなたが、毎月元利合わせて12万円返済する住宅ローンを組んでいるとする。
各種必要経費を引いたあとの給料の残りが15万円であった場合、あなたのDSCRは15/12 = 1.25となる。
金融機関が個人や企業などにローンを提供するときは、多くの場合、このDSCRが判断材料に使われる。すなわち、あなたの経費控除後月収が15万円で、銀行の許容DSCRが1.25であれば、銀行は元利払いが12万円となるようなローンはOKを出すが13万円となるようなローンはNGであるといった感じ。
■ Loan Constant (Mortgage Constant)
借金で一番メジャーな指標は金利 =利払い/元本 だが、実際には金利のみならず元本も返済しないとデフォルトということになってしまうことから、利払いの代わりに元本+金利を用いて計算するのがLoan Constant.具体的には
毎回の元利償還額 / ローンの最初の元本
で計算される。
なぜ毎期減少する元本ではなく、最初の元本で計算するのかというと、初期投資に対する収益性(キャップレートやROE)と対比できるようにするため。
■ Debt Yield
負債元本とキャッシュフローを比較するもので
キャッシュフロー / 負債の最初の元本
で計算される。
こいつとLoan Constantを比べることは、DSCRを計算することとほぼ同義と言える。
また、分母を負債のみならず負債+初期投資とすれば、それはキャップレート。
あるいは、分母を初期投資だけにすれば、それはROE(厳密にはROI)。