MBAでは割と頻繁に、教授が「この中でエンジニア出身の奴はいるか?君たちには、もしかすると今からするような議論は気持ち悪いかもしれない。でも、これが現実のビジネス的発想であり、せっかくMBAに来たんだから少しこういう発想に慣れてみてほしい」というような話が出てくる。
こういう話は主に、「正解」についてどう考えるかという文脈で出てくることが多い。なので今回は、エンジニア的正解と、MBA的・あるいは現実的な正解についての考え方の相違について考えてみる。
■ エンジニア的発想
あくまで自分から見た感覚論であるが、自然科学でトレーニングを受けたエンジニアの人には、こういう発想の人が多い気がする:
・ある問題について、唯一無二の絶対的な正解は存在する
・その正解は唯一無二であり、全ての人はそれを正しいと認識すべきである
水素と酸素を化合させたら水になるし、100の力で壁を押せば得られる反作用も100。まごうことなき事実であり、この実験を誰がやったとしても、結論は変わらない。もっと簡単な例でいえば、1+1=2であり、1+1が2以外になることは認められないし、あまねく人は1+1=2と理解すべきである、と言う感じ。
正解は「皆がそこにたどりつくべきもの」と思っているので、皆が正解にたどりつけるような工夫をするという発想はあまりない。あっても、せいぜい、正解についてわかりやすく説明するといった程度。
■ MBAから見たエンジニアの問題点
極端な言い方で言うと、MBAは(少なくとも自分は)「正解?何それおいしいの?どうでもいいや」くらいに思っている。ことビジネスの世界においては正解など存在しないからだ。「両者のネゴシエーションの結果、合意形成されたもの」とか「オークションの落札価格」といった、結果的にどのようになったかというものは存在するが、あるべき水準というのは机上にしか存在しない。
MBAから見て、エンジニアは、その自然科学的価値観を現実世界に間違った形で持ち込んでいる人が少なくないという印象がある。
・計算によれば株価は1,000円となるはずで、いまの株価700円は間違っている
・放射能は微量であれば有害ではなく、一喜一憂する日本人は間違っており、認識を改めるべきである
・アメリカではベンチャー企業がVCからファイナンスしてもらえるが、日本ではそうはいかない。日本は間違っており、金融業界は態度を改めるべきである
など。
MBA的発想を持った自分からすると、そういうことを言うエンジニアは社会科学的真理のなんたるかを誤解している。自然科学的真理も、単なる思考的枠組みのひとつにしか過ぎないのに。
たとえば放射能が科学的に微量であればあまり害はなかったとしても(自分は科学者でないのでその辺知らない)、一般市民が放射能のことを恐れていて実際に食べ物を選んだり引っ越ししたりしている人々の心理や行動こそが重要であり、「放射能が有害でない」という科学的正解はあまり意味がない。
また、「正解は●●なのだから、皆●●と考えを改めるべきなのだ」というのは、「1+1=2である」という自然科学的世界ではOKだが、人の認知が絡む社会科学的世界では机上の空論でしかない。
仮に人々の認識を変えたいのであれば、「正解が何であるか」からスタートして「正解は●●です」と主張するだけでは駄目だ。「人々がどう考えているか」からスタートして、「あなたはこう考えているようですが、そこにはこういう誤解があります」という風に、誤解を解くところから始めないとすれ違うだけになってしまう。MBA的発想としては、正解は唯一無二の形で存在するものというより、人為的にそこに誘導するものと考えた方がしっくりくるかもしれない。単に「こっちが正解だぞ、こっち来いよ」と言うだけでは誰も動かない。人々がどう考えているか真剣に考えて、彼らが動きやすいような説明などを考えてあげる、すなわち「説得する」という作業が必要なのだ。
あるいは、そもそも、人々の認識を変えるべきとも限らない。もし自分が「正解は899円である」と知っているのに株価が600円であったなら、自分にできることは「株価は899円となるべきだ」と主張することというより、静かに株を買って899円になるのを待つことだろう。放射能が有害でないと知っているのなら、放射能のせいで必要以上に価格が下がっている食品を安く食べて幸せになることも一つの選択肢だ。人々を正解に導くという苦難をわざわざやらずとも、単にその人々の誤解から利得を稼ぐというのも一つの手だ。しかも、あなたがそうやって静かに正解と人々の「誤解」を利用して稼げば、株式市場はそれに反応して、結果的に株価はより「正解」に近づくのだ。わざわざ声を大きくして「正解はこっちだぞー」と叫ぶだけが選択肢ではないのだ。
■ で、何がいいたいのか
ここまで、コテコテのエンジニア的発想に、コテコテのMBA的発想をぶつけるという試みをしてみたが、最終的な結論は「エンジニアよ、お前らもうちょっと現実知れよ」というものではない。他人の意見を変えることなどナンセンスだし多分不可能というのが自分の立場だからだ。
ここで自分が言いたかったのは、「エンジニアは往々にしてそういった真理主義的発想をしがちだが、真理に到達する能力があるという点において確実に有用なのだから、自分のようなMBAが科学者と現実をつなぐような役割を意識的に引き受けることで、全員ハッピーになればよくね?」というもの。
言い換えると、仮に身の回りに上記のようなコテコテの真理主義者エンジニアがいたとしても、自分の仕事は彼らに『空気読め。現実を見ろ』と説教することではない。そうではなくて、彼らの知識と現実とを結ぶハブとして桜木花道バリのスピードで『自ら動く』ことであり、そのためには一生懸命エンジニアのことも現実社会のことも勉強すべきなのではないだろうかということだ。
なんか大学にいると、コテコテの科学者か、そういったエンジニアに「お前らなぁ」と愚痴を言う文系しかいない気がしてきたので、むしろこの状態を解決することこそ俺の仕事かもしれないということを思った次第。。
※ なので、理系出身者がMBAに来るのはものすごくいいことだと個人的には思っている。え?経済学部出身金融マンがMBAに行く意味?まあ今日はその辺はちょっと...アワワワワ