Saturday, November 13, 2010

死地変更

・土曜日。車で遠出。Simi ValleyにあるRonald Reagan Presidential Foundation and Libraryに行ってきた。当初のお目当ては、過去実際に使われていたエアフォース1(大統領が使う飛行機)を見学できるというもの。でも実際には、飛行機もよかったけど、それ以上に胸を打たれたものが2つあった。

・ひとつは戦傷者を題材とした写真展。足が爆風か何かでなくなってしまった女性が愛犬をいとおしそうに撫でている写真や、顔がケロイドだらけになってしまった男性が誇らしげに微笑んでいる写真など。これまで自分にとって、戦争にリアリティと言えばもっぱら広島で見聞きした原爆関連ネタだったのだが、この日見た写真はそれよりも随分up-to-dateなもの。撮影時期を確認していないが、おそらく近年撮影したものだと思われる。

なんというか、戦争およびその傷跡のようなものがアメリカあるいは世界では現在進行形でまだ続いているのだ。
そして、アメリカ人の同世代の連中は、こういった軍人(元軍人)あるいは戦争を、生活の一部に存在するリアリティとして受け入れているのだろう。自分のように「忘れるべきものではないが、所詮過去の話」としてではなく。

これまで、ヒロシマナガサキという歴史を有する日本人である自分は無制限に平和を主張する権利があるような感覚を持っていた。で、実際、アメリカ人の友人にも「広島に来れば戦争の不条理さが理解できると思う」とか偉そうに語っていた。しかし、この写真展を見て否応なしに気づかされたが、この考えは一面的に過ぎ、ある種傲慢でさえあったのだろう。悲劇を経験しているのは日本人だけではない。ここ数十年最大の加害者と言っても差し支えないであろうアメリカでもちゃんと同様の悲劇は存在し、むしろそれは現在進行形でその数を増やしているのだ。
そのような悲劇を経験しつつもなお戦争を続けているアメリカおよびその他各国を、いま戦争をしていない(しかも、実質的に、少なからずアメリカのお蔭で戦争せずに済んでいる)日本人の自分が、過去に原爆を投下されたというだけで批判することはもしかするとかなりKYなのではないかと思ってしまった。

・もう一つ胸を打たれたのはその場所からの風景。なんちゅうか、砂漠地帯特有のはげ山が視界一面に続いている感じ。あまりの寂寥感に思わずはっとしてしまった。

これまで、自分の死に方は以下のように妄想していた:

-場所:ドイツとオーストリアの間くらいにある深い森
-時間:早朝、朝靄がもうもうと立ちこもっている状況。自分がそこまで乗ってきたアウディのヘッドライトだけが辺りを照らしている。
-時期:55歳頃。髪の毛は銀髪
-死に方:カーオーディオでブラームスのIntermezzo op. 118-2を聞く。軽く涙を流した後、一人静かに森の奥深くまで入る。誰も来ないところまできたら拳銃で眉間をバン

しかし、この日みたはげ山の寂寥感は、「あ、ここで死ぬのもいいかも」と自分の構想を変えるに足るものであった。まだ全然練れていないが、そのときの死に方は以下のようなものになろうか:

-場所:そのはげ山。現場にはジープで乗り付け、オフロードに無造作にそのジープだけが置き去りにされる感じ
-時期:55は早すぎるので、とりあえず65くらい?
-時間:日没の時間帯。ほとんど夜。
-死に方:BGMはとりあえずベタにドボルザークの交響曲第9番「新世界より」の第2楽章。そんなに高くはないはげ山を一人登り、頂点にてひとりニヤリとした後心臓発作で倒れ落ちる

まあ多分「○○市民病院」の203号室で、同室のキミさんが痴呆で大声で笑っている中90で死ぬっていうのが現実的な路線ではある。けれど、心意気として一応もう少し主体的かつ形の整った死に方も考えておくことにすると、とりあえず向こうしばらくはここカリフォルニアが人生の終点になりそうな感じ。