・水曜日。娘の2歳検診及び予防接種→学校で授業2コマ→日本人による講演会参加→キャンパスビジットに来てくれた元同僚と我が家で鍋→J君とメールで喧嘩、という一日。
・予防接種。何も知らずに行ってしまったが、海外旅行保険の適用外(病気じゃない、という整理になるそうで)で、395ドルも取られてしまった...「Three ninety-five」というから「はいはい、3.95ドルね、安い安い。うーん、現金で払ってもいいなぁ」とか思いドル札の枚数を数えたりしつつカードで清算。3.95ではなく395ドルだったので、現金で払えるわけがなかった。札の枚数を数えている自分はさぞかし滑稽に見えただろう。
・日本人による講演会。哲学者とのことで、新しい資本主義についての講演会で、主旨としては
-金銭で測定できる範囲の外にも見えない価値というものが確かに存在する。
-我々はつい目に見えるMonetaryなところだけを追求してしまいがちだが、目に見えない価値も大事にしていかなければならない。
-企業や政府のリーダーは、こういった目に見えない価値を重視すべき。昔の日本企業の経営者はこれができていたが最近はだめだ
というもの。自分の感想は
-目に見えない価値があるというのは同意。アメリカのMBAなんぞで勉強しているとつい忘れがちになったりそういった価値を斜めに見てしまいがちなので、意識することは大事。「暴論→却下」としてもいいのかもしれないが、一応「目に見えない価値の尊重」という考え方は覚えておきたい(ただし、言い訳として使わないよう気を付けないと)。
-「目に見えない価値の尊重」、これは個人の指針としては有益であろう。金銭で測定できるものしか見ることができない奴よりも、その周辺にあるものの価値を理解できる奴の方がいいはず。しかし、組織の運営理念や経営目標にこの「目に見えない価値」を盛り込むのは危険。目に見えないとは言え何らかの形でばしっと定義し共有しないと組織として達成することはできないのではないか。また、経営者や政府の恣意性にもつながりかねない。一昔前に「国内総生産ではなく国民総幸福(GDH)」という構想があったが、幸福とは何かというものは政府によって定義される性格のものではなく、いかなる定義もその時々の政府の恣意を免れえないだろう。
- プレゼンターの英語力が高くなく、質問者が「お手柔らかモード」になってしまっていた。質問を理解できなかったのか問の主旨からずれた回答をプレゼンターがしても、「OK, thank you」と肩をすぼめつつ苦笑して話を終えてしまう感じ。G7での日本の総理大臣とかもこんな感じなんだろうか。
- ひとつの帰結として社会企業家を称賛していたが、「目に見えないが重要な価値をきっちり生み出すことができている企業家」と「利益率の低さを正当化する言い訳をしているダメな企業家」をしっかり峻別する必要があると思うのだが。その際の区別方法は「目に見えないが大事な価値を生み出しているか否か」となるだろうけど、大事か否かという価値判断は客観的合意を達成しうるものなのか?「目に見えない価値をしっかり生み出しているなら、ちゃんと然るべき利益を出すはずで、儲かっていない以上それは目に見えない価値も生み出していない可能性が高い」という自分の考えは資本主値に毒されているのかしら。
- こういう資本主義論みたいなことをじっくり考えたいというのは留学のモチベーションの一つであったが、その点において今日は刺激的ではあったがやや物足りなかった。
・元同僚は明日もいるので、今日の記事では割愛。