Monday, November 8, 2010

コード

・こちらで聞かれて困ってしまう質問が「で、お前の妻は何をやっているんだ」というもの。かなりの確率で聞かれるのだが、当初「主婦として娘の面倒を見ている」と言っていたら全然納得を得られず困惑した。村上春樹の「やがて哀しき外国語」で同様の話が出てくるが、彼らの反応からは「妻も当然何かをやっているはずだし、やるべきだ」という規範意識のようなものを感じる。最近では言い訳のような感じで「そろそろ子供も落ち着いてきたので、英語を勉強するべくスクールの調査を行っている。またゴルフをやっており、自分が留守番して云々」という話をして理解を得ている。

・自由の国アメリカであるが、ここ最近はその中に存在する規範・慣習のようなものがひっかかるようになってきている。ビジネススクールの学生の服装はかくあるべし、パーティでの服装はかくあるべし、エリートたるもの常にアツい目標を持ちそれに向かって突き進んでいるべし、その妻も当然何かに打ち込んでいるべし...よくブログなんかで「アメリカでは遊びも仕事も本当に自由」という言説を見聞きするが、これは言うほど正しくないと思う。学校による強制的な制服指定はないかもしれないが、クラブやフラタニティの人たちは自発的に(あるいは、implicitな圧力を受けて)同じ服装や行動様式を選択しているように見える。アイデンティティと各種規範(行動様式、服装、話し方、その他)が日本よりもより密接に結びついているというか、「各種特質を共有することによる仲間意識」のようなものを感じるというか。
自由の国アメリカは、みなが完全自由に振る舞うカオスな世界ではなく、皆が自発的に行動や見た目などを統一・共有することを通じて連帯を図っているように見える。自由意志の結果としての統一性といった感じか。

・そして今の自分はそういった各種規範を受容し、自身を調整している段階にあるのだと思う。語学力とは別の次元で、今の自分はアメリカ人に近づきつつあると言えよう。順応がすすみ日本に帰る頃には、自分は日本人から見たら「違和感のある感じの人間」「バタくさい気障な野郎」とかに見えるようになるのかもしれない。