・今日は日本の同級生とアナハイムまで行ってエンゼルスvsマリナーズ戦を観戦してきた。同日にアメフトのUCLA対スタンフォードがあるので、他国の同級生には怖くて野球に行くとは言えず(母校のアメフトを見に行かない≒非国民≒Fuc●といった空気がある。)。
・つい先日に「松井、来季は残留ならず」というニュースを見たばかりだったので、「松井対イチロー」のおそらく最後のチャンス。松井は最近ベンチウォーマーであることが多かったので「松井が出るといいなぁ」と思いながら球場に向かったが、思いがけず4番DHとスタメンでびっくり。日本のマスコミと思われる人がたくさんいたことと何か関係はあるのだろうか。有名人では、自分が元エンゼルス・マリナーズの長谷川を見かけて、妻が元ジャイアンツの元木を見かけたそうな。元木は何しに来たんだろう...
・試合は日本人としては非常に溜飲の下がるものとなった。両者とも大活躍で、帰宅したらYahoo! Japanのトップページにアベック弾と言う感じのヘッドラインが出ていた。
松井:10球ほどファールで粘り、敵投手を疲れさせつつファーボールを選択→HR!!!→またファーボールを獲得。
4打席目の段階でエンゼルスの勝ちがほぼ見えていたので若手っぽい奴が代打に送られて、終了。
・イチロー:何回か三振・凡退→HR!!! 少なくとも一回は外野から本塁に返球していた。
・彼らの活躍は、アメリカの大学院で悶絶中の自分にとって非常によい刺激となった。
おかげで帰りの車中で色々と頭がぐるぐる回り、最終的にひとつやや乱暴な仮説を考え付くに至った。すなわち:
-自分の勝手な採点では、大リーグで成功した(している)のは長谷川と松井イチローくらい。一方、松坂を含め多くの日本人が米国で苦労している。
-けだし、これは「松井イチロー以外がフィジカル・技術の巧拙等で松井・イチローに劣っている」という話ではなく、もっと内面的な点によるものなのではないか。
・松井イチローは、共にアメリカに来るまでに大変な苦労をしていると報道等を通じて知っている。5打席敬遠とか、打法をめぐる指導者との摩擦とか。しかし、こういった経験が、彼らの中にぶれることのない軸たる価値観を形成したのではないだろうか。
他方、松坂やその他の人は、そこまでしっかりした軸が形成されないまま海を渡ってしまったのではないか。あと、知らないので適当に書くけど、長谷川も、英語をしっかりマスターしたあたりから察するに、ちゃんとした軸を持っている気がする。
・この「軸」の有無が、数年にわたり海外でやっていく際、特に窮地に追い込まれた際に大きな差となって現れるのではないだろうか。不調時・窮地の際にあっても軸となる価値観が己の中にあれば、不必要に動揺する/必要以上に周囲の助言を聞き過ぎる/納得しないまま何となくそのまま流す等することはないだろう。
しかし、そういった軸がないと、目の前にある安易な解決策(に見えるもの)に飛びつく/人の助言を不必要に聞き入れすぎる/耳を貸さなくなってしまう等、適切ではない対応をとってしまいその結果として悪循環的に調子を落としていくのではないだろうか。
・宮里藍は不調時には彼女にとっての基本である30ヤードのアプローチを徹底的にやることで調整を図ると聞いたことがある。何かの弾みで不調に陥っても、彼女の中にある軸に回帰することでさらなる落ち込みを回避できているのだろう。また、自分もピアノをちゃんとやっていた時代は、「何かおかしいなぁ」と思った度に、自分にとっての基本であるバッハのインベンションをひたすら弾くことでズレの矯正や復調を図っていた。他方、自分は我流でゴルフを覚えたがそういった基本を身に付けずやってきてしまっているので、ひとたび調子が悪くなると風呂場で素振りしてああでもないこうでもないと考え込んだり、ゴルフ雑誌のレッスンを盲信したりと、やればやるほど迷路にはまっていた(今もそうだけど)。以上の例は内面的なものというよりは表層的技術的なものであり例として適切ではないような気もするが、いずれにせよ軸の有無は特に不調時にいかに早く復調するかといった観点で非常に重要であるように思われる。
・もちろん松坂もその他大勢の人も、投球方法とか技術的な軸くらいは持ち合わせていたのだと思う。だってアメリカに呼ばれるくらいの一流プロだし。
しかし、様々な点において価値観や各種方法論がまったく日本人と異なる外国人を相手にするにあたっては(自分も今UCLAで絶賛経験中だが)、毎日毎日これでもかこれでもかと自分の考え方・各種方法論に対する直接的間接的なチャレンジに直面する。そういった「自分の価値観が揺さぶられる局面」では、表層的な技術的基盤だけではなく精神的支柱のようなものが強く求められるのではないだろうか。
・この「軸仮説」、正否はわからないけど、色々な事柄に対するあてはまりはいい気がする:
-「シリコンバレーでは失敗体験がむしろ歓迎される」という良く聞くお話:失敗体験=軸形成、よって有益
-日本の就職活動やアメリカの大学(院)入試が学業のみならず課外活動も考慮する:課外活動=軸形成に寄与。よって有益(となると、ゴルフと麻雀しかしていなかった自分の学生時代も、ゴルフと麻雀が自分の精神的支柱を形成するような性質ものである限りにおいて有益と言える。さてどうなんだろうか)
-「日本人スポーツ選手が国内では強いけど海外で苦労する」:海外では彼らは技術的チャレンジのみならず内面的・本質的チャレンジに直面するので、技術的支柱のみならず内面的支柱まで形成しないとシンドイ
-「宮里藍は米国に根をはり英語までマスターしたことでようやく勝てるようになった」:米国に根を張ることで、軸を太くすると同時に精神的チャレンジに対するエクスポージャーを低減させることができたので、「技術的軸のことだけ気にすればよい」といった国内同様の状況に自分を置くことができた
-勝間和代の一連の本を読んでも、一向に勝間和代みたいになれない:彼女が示すtips(読んだことないのでわからんけど)が間違っているということではない。むしろきっと正しい。しかし、勝間和代が成功しているのは(仮に成功しているとするならば)、彼女が有する各種テクニカルなtipsのおかげではなく、彼女がこれまでの人生を通じて何か軸のようなものを獲得しているから。これは勝間和代がどれだけ丁寧に書籍に起こしても決して彼女自身から読者に伝承し得ないものであり、読者は結局のところ、勝間本を読む時間があるなら別途自分なりの軸を形成しないといけない
・ここUCLAのMBAでの2年間は、軸を太くするという意味で有益になりうるものと思う。ブラックショールズやら何やらはおそらく枝葉末節部分に過ぎず、公式を暗記したところでおそらく得られるものはあまりない。他方、遠い外国で、考え方の異なる同級生に対して、どう言えばうまく伝わるか必死に考えながらたどたどしい英語でコミュニケーションを図ることで、自分の価値観の軸が太くなるような気がしてきた。
日本国内のビジネススクールではあまり意味がないのではないかという自分の個人的な問題意識も、この文脈で個人的にはすっきりした。同じ大手町なり丸の内なりで働いている同質的な人々を相手にしていては、知識は増えるかもしれないけど軸は太くならないのではないか。下手糞な例を出すと、150km/hの速球を投げることができるようになるかもしれないけど、大リーグで勝てるようにはなれないのではないかという印象。
・眠いので推敲せずここで終わる。またそのうち頭の整理がついたところで再検討するかも。
・最近の日々が刺激的で十分軸を太くするのに役立っている気がしており、その裏返しで「軸を太くするツールとしての就職活動」に対する関心が多少薄れている。うーむ、ただの現実逃避か?