Wednesday, September 22, 2010

班の方針策定ミーティング

・今日でオリエンテーションが終わり、一日のイレギュラーな休日(就職関係の大きなイベントがあるとのこと)を挟んで金曜日から授業が始まる。これに先駆け、学校から「班内にて、各メンバーが班に対して求めていることを議論・整理して提出せよ」との宿題が出たので、午後に2時間ほど打ち合わせ。

・確かに、班の各人にとって就職活動・勉強・その他のウエイトは異なるだろうから、この宿題は悪くない。
社費で勉強にウェイトを置きたい人もいるかもしれないし、あるいはとにかくゴルフをしたいという人もいるかもしれないし(さすがにいないか??)。

・自分の班では、本クオーターにおける目的意識は意外なほどに対立しなかった。すなわち、ほぼ全員が「このクオーターは勉強優先、就職活動が本格化する前にAを稼いでおきたい」という考え方であったことから「じゃあ、勉強頑張りましょうか」という感じに収まった。

・その一方で、班の具体的な運営方針では結構もめた。これは、特にアメリカ人の3人が、「とりあえず動いてみて、何かあったらそのとき考えましょう」という日本的思考回路を良しとしなかったため。彼らは「こんなときは●●」「あんなときは○○」と現時点で詰められることは可能な限り詰めようと試みたのだ。

たとえば、「時間を厳守しよう」という話が出た。そりゃそうだよねという話なので自分は何も考えずうなずいて、次の話に移ろうとした。しかし、Jが「遅刻する奴がでたときどう対処するか決める必要がある」と言い出してから議論のマグニチュードが急に深化を始めた。

「なんか面倒くさいこと言うなあ」と内心思いつつ、とりあえず自分が「遅刻しないという前提で議論しているんだし、遅刻常習者が現れるなど笑えない状況になってから考えればいいのではないか」と言ってみた。
しかし、Jのみならず他のメンバーも「はぁ、アホちゃいますか」と言わんばかりの怪訝な顔をし、自分の意見はきわめてスムーズに却下された。あまりにスムーズだったので採用されたのかと一瞬勘違いしたくらい。
その後は「そもそも時計は誰の時計を基準とするのか」「何分遅刻したらペナルティを検討するのか」「渋滞に巻き込まれての遅刻は例外として許容されるのか否か」等。自分は詳細を詰めることに興味が持てなかったので、「ここは霞ヶ関だったっけ」とか思いながら果てしなく細かくなっていく議論を傍観していた。
結局、「インターネットでリアルタイム更新されているはずの各人の携帯電話の時計において、3分を超えて遅刻した人が1人現れたとき、次回以降のペナルティについて検討する時間を必ず確保する」といった感じで、随分立派な運営方針が策定された。まるでオプション取引みたい。

作業の分担方針についても同様で、とにかく詰める詰める。複数人が重複して担当するものは極限まで削減されて、各人の分担はくっきりはっきり。もちろん協力しましょうねという話はあるのだけれど、これは各人が自分の担当分野をきっちりこなしてそれをガッチャンコするという意味であるようだ。

以下は感想:

・まず、こういった話がアメリカ人全体に言える傾向なのか、あるいは班のメンバーがたまたまそういう性格だったのか検証したい。

・仮にこういった思考回路がアメリカ人全体の傾向だとすると、最初にもろもろを固めた後の突進力は確かに高いだろう。だけど、途中で状況が変わったときのフレキシビリティに欠けるのではないだろうか。

・他方、「とりあえずやってみて、追って考える」という日本流(というか、これまでの自分の職場でよく見られたパターン)は、フレキシビリティは抜群だけれど突破力・効率性に欠けることは否めないだろう。

・リーダーシップ的に言うと、「走りながら考える」方式はボトムアップになりやすい気がする。少なくとも日本の多くの企業はそうだと思う。漠然とした方向感の乏しい発注が来て、若手が知恵を絞って方向付けを行う。方向付けを実質的に若手がやるので、上司はそれを追認するか無理やり却下するかしか選択肢がない。方向付け・戦略策定という一番おいしいところを若手にやらせてしまっているといった感じか。
やや飛躍するけど、政治主導というのは政治家が細かい実務に精通すべきということではない。戦略・方向性といったところをきっちり現場の役所サイドに下ろしてあげることではないか。しかるべき方向性を示さず(示せず)にいるから、仕方なく若手が絵を書くことになり、そうすると官僚主導という話になってしまう...でもそういうのって、若手としてはもちろん楽しいんだろうけど、どうしてもでき上がる方向性・戦略は小さいものになってしまうのではないかしら。

とか何とか、今日の打ち合わせを通じてつらつら考えた。