月曜一番に、プレゼンの授業がある。お題は自由で、何でもいいから所定のフレームワーク(といっても、問題提起→分析→結論というシンプルなもの)でプレゼンせよというもの。
最初は前職での知見を活かし「蓄積する財政赤字待ったなし」とか「円高と日本の外貨準備」とか「デフレと経済成長」とか論じてみようかと思った。
しかし、そもそも日本語でも曖昧にしか理解できていないし、ましてや英語で説明できないし、到底質疑応答には対応できないと思いあっさり方向修正するに至った。
仕方がないので、自分の貧弱なボキャブラリーでもできそうな「日本人と英語」で一発論じてみることにした。
このブログの場を借りて頭の整理をし、シャワーを浴びて頭をすっきりさせた後pptを作ることにしたいと思う
(しかし、WordとExcelはもう2007とか2010に慣れたんだけど、Powerpointは全然駄目だ。マスタの作り方を見つけるのに20分費やすとか、いけてないなぁ)。
・まず、そもそも、本当に日本人は英語が苦手なのかというところから本当は議論の余地があるような気もする。
今回エビデンスとして使うのは、定番の、ETSによる国別TOEFL平均点。最新版でも日本は無事(?)アジア最下位である(ただし、タジキスタンと同率最下位。点数にして67点)。ちなみにアジア首位はシンガポールで99点。
「受けてる母集団が全然違って、その辺のアホ高校生まで200ドル払って受験するのは日本くらい」なんて話が良くある批判。また、日本は輸出大国なんだから、誰かが英語しゃべれないと輸出大国になりようがないだろうって話もあるだろう。単に自分が英語苦手だからといって、皆苦手とレッテルを貼るのはやめなさいという意見もあろう。このあたりについては一つ一つ「確かにそうかも」と思うが、今回は主観により「日本人は総体として英語が苦手である」と決め付けさせていただいた上でやらせてもらおうと思う(すいません)。
・日本語の性質(音韻がどうとか、発音の類型がどうとか)とかいう言語学的な論点は、わからないし踏み込みたくない。また、そういった話を始めてしまうと、多分「言語学的に英語ともっとも相性が悪い言語」は少なくとも日本語ではないだろうから、説得力が薄れてしまう。MBAだし、何らかの社会学的な観点から論じたい。
・教育システムはひとつの論点になると思う。
たしか学部の教養課程で、どこかの先生が「明治以降の英語教育の目的は、翻訳家を養成することで一般大衆が英語を読まずとも日本語で本を読むことができるようにする点にあった」という話をしていた気がする。つまり、明治以降の日本の英語教育は、エリートの翻訳力を育成するものであり、むしろ庶民を英語から遠ざけるものとして機能していた可能性がある。実際、「どんな専門書も、日本では日本語訳があるので英語原本にあたる必要性が乏しい」という話を聞くことがあるし、日本の多くの国立大学の入試問題も「訳せ。翻訳せよ。要約せよ」ともっぱらリーディングだった印象がある。
しかし、昨今の英語教育に対するニーズは明らかに翻訳家養成ではない。実際に使える英語能力が求められているが、教育システムは翻訳家育成を主眼とした過去から大幅には変わっていない。そのため、「10年以上学校で勉強したのに、結局しゃべれず、終わってみれば英語コンプレックス」といった社会人が毎年大量生産されているのではないか。以上の仮説(妄想)が正しいのであれば、対策は「ニーズを汲みとり、リスニングやスピーキングやライティングも頑張れ」というものになろう。国立大入試問題対策からTOEFL対策といったところだろうか。
・あとは、日本経済が不幸なことに大きすぎたという点も重要ではないか。
シンガポールは勿論成長しているすばらしい経済を持つが、その規模は決して大きくない。なので、世界共通語たる英語を使い、英語の使える人材を惹きつけ英語でものを売っていかないと生きていけない。
他方、これまでの日本は十分大きく、また経済も成長していた。そのため、「外に出ないと食っていけない」というレベルでの危機感は皆無で、トヨタ等一部のグローバル企業関係者を除いては皆ドメスティックに、しかし裕福に暮らすことができていた。「仕事を台湾か香港か上海かシンガポールで見つけたい」というアジア人同級生にしてみたら、いくらでも本社ビルはあるという日本の環境は実にすばらしいだろう。
しかし今後は明確に人口減少・少子高齢化時代である。日本語だけでやっていける時代でもなくなってきている。
その辺の経済学者みたいな意見だが、いったん人口減少を主因とする低迷を味わってみるのが最良の薬ではないだろうか。
ってのが現段階でのラフスケッチ。今後頭の整理がつけば考えを進めてみようと思う。