・月曜日。授業を受けて、図書館に行って中間試験の勉強して、帰って飯食って、こうしてブログ書いて寝るという平凡な一日。
・図書館を出たのは7時半くらいだったが、ふと周囲をみたらその殆どが韓国人になっていてびっくり。
まあ偶々だと思うがちょっと驚いた。頑張り屋なのか韓国人?
・帰り道Twitterを見ていて気づいたが、最近は日本での就職活動もかなり自分のころと比較して洗練されて来ているような気がする。学生が運営する就活サイトとかブログとか。MBA受験と殆ど同じレベル。とかいって、実は自分が就職活動していたころにもあったりして。。。
・でもこれって、採用人数がマクロベースで増えることは基本的に考えられない以上、今後も洗練されていくことこそあれどもとに戻ることはないんだろうな。死にもの狂いの努力をして会社に入った優秀な若手が自分のようなのほほんと会社に入ってしまった中堅を駆逐するというシーンが多くの有名どころの会社で見られるのではないだろうか。
・そうこうしているうちに、5年から10年後には、トップ層の学生(マーケティングの授業で習いたてのセグメンテーションをやってみると「気の利いた東大理系修士」とか「気合十分の東大早慶文系トップ層」とか?)の志望先が「外資のIBコンサル」から「海外」に移っていくんじゃないかしらと何となく考えている。今のトップ学生が何をもって差別化しているかよくわからないけど、競争がさらに進めば、「各種スペックも人並みに揃っており、かつ英語ペラペラです」という感じに英語に不自由しないトップ層が現れ、ついには「ていうか、就職先を日本に絞る必要なくね?」と、日本人トップ学生の視野が国境を超えていくのではないだろうか。台湾とか香港とかシンガポールとか、多くの「Developed Small Countries」は今この段階だと思う。
・そこまで行くと日本の新卒採用市場にも真の意味での裁定が発生するだろう。「社畜」とか「サビ残」とか諸々の昭和的純日本的雇用慣習が保てなくなり、「ウチに入ったら、3年は月給18万円で土日もなく泥のように働いてもらうけどいいかな?会社では常に上司の空気を読んでね」→「いや、全然無理です。普通にシンガポール行くんで結構です」「えっ、そんな」という展開になるのではないだろうか。まともな人材を獲得できない企業は、おとなしく倒産するのでない限り、雇用慣習をドラスティックに改革(新しい常識にキャッチアップ)せざるをえない。
・若干ずれるけど、個人的にはできることなら医者を目指す学生が減ってほしい。要は理3学生の進路の更なる多様化が日本経済発展のために結構真剣に重要なんじゃないかと思っている。医者の友人が多いのであまり悪いことは言いたくないが、医療業界は結局のところ規制のおかげで人並み以上の生活をすることができている側面が否めないと思う。
他方、高校生の中には、とにかく頭が良くて、あふれ出る知性を試したいというただそれだけのために理3を受けているような人が少なからずいる(自分のモチベーションは「そういう彼らに食らいついていたい」というチャチなものだったが)。自分の問題意識は、そんな彼らが、大学1年生の1学期からスポイルされてしまうのが勿体ないというもの。彼らはおそらく日本の宝だ。もう少し競争的にさらされ自分を高めるようになれば、色々なことがガラっと変わるんじゃないだろうか。
・あとは、就職留年って国レベルでお金を無駄にしていると思う。失っているのは就職浪人君の1年分の学費だけではない。機会費用を考えれば、彼がストレートに何らかの仕事を始めることで卒業後すぐにスキルアップを始めていれば、彼のNPVはウン千万円単位で改善したはずだ。日本中の就職浪人君をかき集めたら、この国家的損失はウン十億、ウン百億はあるのではないだろうか。
高級パートタイムジョブのような労働市場(要は、IBコンサルのアナリスト職のようなもの。といってもアナリストをやっていたわけではなく実態を知っているわけではないので、どなたか事実誤認あればご意見下さい)が普及すればいいんだけど。
企業にしてみても、雇用量を調整しやすくなるし、ハズレを定年まで保蔵する必要がなくなるし。労働者にしてみても、所得のボラが多少上がるけど、総需要量が増えるメリットの方が大きそうだし。失業率が一定水準に保たれるなら、一回や二回首になってもホームレスになることはないし。とてもいい案だと思うんだけど...
とか何とか、昨日のボスキャリの話などが頭の片隅に残っていたようで、帰り道につらつら考えた。