・金曜日。今日は授業はなかったが、午前中は留学生全員を対象とした英語テスト。
といってもやることは単なる作文だけだったので、「読み書きはできるけど聞き話しはちょっと...」な自分にはうってつけの試験でラッキー。
・ちなみに読み書きだが、リーディングについてはやはりアメリカ人と比較するとかなり負けている気がしている。「TOEFL、リーディングは満点出したことあるぜ」というささやかなプライドなど屁のつっぱりにもなっていない。他方、ライティングについては思いのほか勝負できている感がある。日々の課題等で「思ったことが筆に落ちない」ということはまずないし、出願時のエッセイトレーニングのおかげか同級生のアメリカ人にも複数回ほめてもらった。何も取り柄がなかったら今頃劣等感の塊となって鬱にでもなってしまっていたかもしれないが、少なからず得意分野があって本当にラッキー。
・で昼は美味しいと評判のハンバーガー屋「Apple Pan」へ。名前の由来でもあるアップルパイもやっているが、今ではメインはハンバーガー。実際美味しかったが、In-n-Outの3倍程度もする値段の価値があるかどうかは微妙なところかな...
・午後にもろもろの用事を済ませて、夜にクラスの会に参加した。例のごとく「アジア人とつるめば時間はつぶせるかなぁ」くらいの気持ちで臨んだが、いざ行ってみると参加者は10人弱で馴染みの面子は誰もいない。で、実際大苦戦して帰ってきた。主な話題が「昔のテレビ番組」とか「はやっていた音楽」とか「NYの流行スポット」とか。何の話をしているか理解できた頃にはもう話題は次に移っている。フーカという水煙草のようなパイプがある店だったので、自分はもっぱら話を聞きながら(聞こえているふりをしながら)プカプカ水煙草。留学に行く直前、職場の上司に連れて行ってもらった「夜景の見えるバー」で初めて葉巻をプカプカやったときのことを思い出した。あのとき同様、いやあのとき以上に「オレはこんなところでいったい何をやっているんだろう」といったようなことを思ってしまった。気を抜くと顔に出てしまうので、必死に表情を作りながら。
・ただ、途中で潮目が変わり、話に楽しむことができるようになった。これは自分の隣に座っていたJさんのおかげ。Jさん、クラスメートの女子Jの夫とのこと(しかし、このクラスの関係者は本当にJが多いな)。どこぞの政府機関で働いたあとロースクールに入り現在では近隣のファームにてバリバリの弁護士稼業をしているとのことであった。
そのJさんが手持ち無沙汰に味もわからない水煙草をプカプカやっている自分を哀れんでくれたのか、何となしに話しかけてきた。それで会話が始まったのだが、思いのほか話が弾んだ。
アメリカで弁護士になることの大変さとか、ロースクールとMBAの社会的認知度の相違とか、企業内弁護士とファームの弁護士の認知度の違いとか、試験制度とか。そういった話は法学部の友人を多く持つ自分には比較的馴染みのある分野の話だったので、多少の専門用語にも食らいついていくことができた。相手が話のスピードを落としてくれることはなかったので当然聞き落としも相当あったと思うが、最低限大意を掴み適切なレスポンスを返すことはできていた。
・この体験により、自分のできること/できないこと、やるべきことなどの整理がくっきりしたように思っている。
-会話をまるで拾えないのは、リスニング能力というより話題に関する前提知識がないのが主因なのではないか。
-では、前提知識を一生懸命勉強すべきなのか?過去のヒット曲を全部頭に入れて、食べ物などの固有名詞の言い方をスラングも含めて覚えるべきなのか?個人的には、これは正直シンドイというか無理なんじゃないかと思う。高校や学部での留学ならまだキャッチアップできるのかもしれないが、アラサーの人間が必死にヒット曲覚えたりテレビの人気者の名前をメモするというのは違う気がする。
-ではどうすればいいのか?ひたすら耳を鍛えるというのは一般論レベルでは正しいが、もっと効果的な解決策はないのか?この解決策のひとつが、今回の法曹トークのような「自分にもわかる話題」になんとかして持ち込むことなんじゃないかと思った。国際的な話、政治経済の話、UCLAの話、同級生の話等々。切り口は結構色々あると思うが、いったん相手を土俵に入れることに成功さえすれば、会話もできるのだ。
おそらく、普段から話が合うアジア系学生は、そういった話題を意図してか意図せざるでか頻繁に振ってくれるので話が弾むのだろう。
・ということで、非常に居心地の悪い会ではあったが、今後へのヒントのようなものをよりくっきり得られたような気がしており、帰り際は(水煙草効果かもしれないけど)わりと清々しい気持ちで帰途についた。こういう会に行かないというのがやっぱり一番楽なんだろうけど、また相手のアメリカ人にしてみても楽なんだろうけど、もう少し粘ってみたい、粘れそうと思うことのできた夜であった。
・ちなみに、同じ理屈で、飲み会での雑談よりも授業やグループディスカッションの方が数段楽。飲み会では自分の好みの食べ物すらまともに話せず「I like sushi」とか超テキトーに喋ってしまっている自分であるが、ディスカッションでは「これは企業にとっての限界費用と社会全体にとっての限界費用を峻別すべき問題であり、ピグー税のフレームワークが有効だ」とか「条件付確率とベイズ公式の関係」とか小難しいことを案外苦労なく離すことができている。ポイントは単語の難易度ではなく、話題に対する地理間の有無なのだろう。