Thursday, October 21, 2010

日本の常識・世界の非常識

・木曜日。前日J君との喧嘩を通じて、むしろ自分が班の空気を損ねてしまっていることについて色々思い悩みながら下校しているうち、自分が何だかんだいって「日本の常識・世界の非常識」あるいは「自分の非常識・当然、世界の非常識」を押し付けてしまっているのではないかふと思った。最近の自分の言動から思い当たるのをピックアップすると:

・I'm sorryを連発してしまう(昨日の喧嘩で思ったが、アメリカ人は店の出入り口でぶつかったときとか、そういう些細なときに結構簡単にsorryと言うが、やっぱり肝心なところでは決してsorryを言おうとしない気がする。対して日本では、今日twitterで誰かが書いていたが、我々が気軽に連発する「ごめんなさい」は「謝ってるんだからお前も妥協しろ」という用法で使われることが多い。そのニュアンスの違いに無自覚なまま、いたずらにI'm sorryを連発してしまっているような気がする)

・内省的・自己批判的に過ぎる(いつぞやのSpeaking Clubでも指摘されたが、アメリカ人から見て違和感があるほどに「今ちょっと緊張してます」といった類の自分の心情、しかも決してポジティブとは言い難い心情を吐露する傾向があるみたい。自分にしてみれば腹を割ってコミュニケーションをしようとしたつもりなわけだが、アメリカ人にはそうは理解されず、単純に気持ちが悪いという印象を与えている気がする。内省的になるのはこのブログの中だけにして、現実では不必要に自分の弱みや心情を吐露しようとしないようにしよう)

・コミュニケーションツールとして、writingに過度に依存している(喋りが得意でないことから、困ったらメールや添付ファイルで伝達すればいいやと考えがちであったが、部屋では全然喋らないくせにメールで饒舌というのは違和感があるだろう。日本では「細かい話はメールで」という状況がよくあったが、いくらなんでもバランス感覚に欠いているかも、と思った)

結果として、よく日本でネトウヨの人が「これだから中国人は」と言うようなノリで、アメリカ人から「これだから日本人は」とレッテルを貼られた上で不快感を抱かれているかもしれない、そしてそれこそが一連の摩擦の原因のひとつかもしれない、とふと帰り道に思ったのでメモしておく。

でも、「日本の常識」は言い過ぎかなぁ、お前どれだけ日本の常識を知っているのかと自問自答してしまった。。