Tuesday, October 19, 2010

インタビュ-回顧

・今日知ったが、先日のとある企業説明会(投資銀行のアジア部門)に、UCLAの出願時に自分のインタビュアーだった人がプレゼンターとして参加していたらしい。知っていれば説明会にも参加して礼の一つや二つ言ったのだが、残念だ。せっかくなので、ここでインタビューの思い出を記しておく。

・その人はとある投資銀行のお偉いさん。受験当時の自分のテンションを下げたのは、何よりも、その人から来たe-mailを見る限りその人が日本人ではなかったこと。いわゆる中国/台湾系の名前。聞いていた話ではインタビュアーは日本人とのことだったので、「何で俺だけ外人さんやねん」と思った記憶がある。また、その人の勤務先が投資銀行というのがまた萎えた。投資銀行で出世しているということは頭がかなり切れるということであり(日本の企業であれば、出世しているということは単に年齢を重ねているだけの可能性が高い)、自分の生半可なトークが通用するとは到底思えなかったのだ。ということで、この人から「僕と面接しましょう」と案内が来た瞬間、「ああUCLAオワタ」と思ったものだった。

・しかも、当日にアクシデント。朝起きたら突然風邪をひいており、しかも滅多にないことに声が出ない。んなバカなと思ったが、こんなときにまさかの初体験をしてしまった。仕方がないので会社を休み、病院にて喉の奥に薬を塗ってもらい、昼まで気絶。

・昼に起きたところ多少回復の感があったので、待ち合わせの時間の少し前にオフィスがある街へ。時間潰しのため入ったルノアールで飲んだ砂糖多めのホットティーが心底おいしく、また喉に良かった。薬と紅茶のおかげで、とりあえず声は出るようになったのでいざ戦場へ。

・で現地到着。美人受付に連れられて、やたら天井の高い応接に通される。室内の電話のところにある張り紙が英語オンリーであるとか、椅子がゴージャスであることとか、そういったディティールにいちいち圧倒される。そして肝心の面接官氏は一向に現れない。そのため、面接官氏が到着することには、自分のテンションはかなり低くなってしまっていた。

・とはいえ予定時刻30分後ほどに面接官氏が入室。事前の調整メールの文面から類推する限り、無駄な表現が全くなかったことなどから超合理的な機械のような人間を想像していたが、見ためは意外と普通、というかむしろ肩書の割にはずいぶん若く見えた。笑顔であいさつしてくれて、レジュメは予め読んでおいたよと言ってくれたことで和み、かつテンションを戻すことができた。

・しかし面接開始1分で和みムードは一気に消失。自己紹介の前にまず第一声が「自分は日本の社費留学生が嫌いだった。あいつら皆が必死に就職活動している間ゴルフにかまけていて、外国人とのネットワークを深める意気込みも全然感じられないし」とのこと。皆が就職活動している間にゴルフにかまけるのも悪くないかなと思っていた自分にとって、これはかなりきつい先制攻撃となった。かなり面食らいはしたが、なんとか持ちこたえて「普通の社費留学生はそうだろう、彼らは留学してもしなくても処遇も仕事も大して変わらないのだから。しかし自分は違う。なぜなら自分にはやりたいことがあり、MBAを取れば今の社内でそれができるように...」とベタではあるが志望動機でカウンターを試みた。特に響いた様子はないが、一応「なるほどね」とは言ってもらえた。

・その後もいつものパターン通りにことが進まない。上記のオープニングの後に自己紹介をやらせてくれたが、直近の仕事がエコノミストであることを見るや否や「今後の金利の動向如何」「政権交代による経済へのインパクト如何」「日本経済の最大の問題点は何か」等、当時の仕事に直結した経済絡みの質問がマシンガンのように続いた。その都度必死に説明を試みたが、ふと気づくと「・・・という問題意識を持っており、それを解決するためには●●を誰かあるいはどこかの会社がする必要がある。然るに自分の勤務先ではそういったことを手掛けており、MBAの知識さえあれば自分がそれにかかわることができるのだ」みたいなノリでちゃっかり自分の話に落としている自分がいることに気付いた。風邪で頭が朦朧としていたのが逆に作用しているのか、他校の面接では言えなかったような細かいニュアンスまできっちり説明できていることに喋りながら驚いていた。

・で、何かの質問に対する応答に絡めて「自分が得たいのはentrepreneurialな知識ではない。そんなの日本の本屋で勉強できる。自分が得たいのはentrepreneurialな空気、人をencourageする空気なのだ。自分はこれまで比較的官僚的・保守的な文化の職場の経験が長く、人を認めるよりまず批判してしまうところを直したいと真剣に悩んでいる。そのためには東海岸の学校ではダメで、西海岸に行って学校の内外で経験を積まないとだめなのだ」とポロっと言ってしまった。またずいぶん抽象的なことを言ってしまったなぁといった瞬間後悔したが、思いのほか反応が良くラッキー。落ちた学校では、この手のやや抽象的ではあるが本音ベースといった話をあまりできなかったな、今思えば。

・という感じで、典型的な質疑はなかったものの、周辺的な話題→無理矢理志望動機 というパターンを90分ほど繰り返しようやく面談が終了した。想定外の質問が多過ぎたので、色々応答はしたものの感触は決してよくなかった。しかし、今思えば、嘘くさい志望動機やバックグラウンドを喋らされるよりも、自分の本当の話をさせてもらえたのが良かったように思う。そんなこんなで無事に合格を頂き、いまこうしてLAでもがいているわけだが、あのときあの人に語った自分の未来計画は、はっきり言って全然進捗できていないなぁ。うーむどうしたものか。