クリスマス。去年のクリスマス何をしていたか思い出そうと思い去年の今頃のブログをさかのぼってみたが、どうやら大したことはしていなかったようで、しょうもない雑感やら物欲やらの記事が書かれていた。。。
○昼はビバリーヒルズにあるホテルにて友人の家族とランチ。バッフェ(ビュッフェ)で、ラスベガスのビュッフェをおしゃれにして美味しくしたような感じ(そして$$$$...涙)。美味しいものを食べつつ、お互いの子供が遊ぶのをはらはらしながら眺めてみたり、互いの仕事やら学校やらの話をして刺激を受けたり。大変おいしかったのだが、久々のバッフェでペース配分を間違え、いきなり寿司を食べてしまった。その結果、腹が早い段階で膨らんでしまい、思う存分食べきれず。オムレツとかデザートとか、いくつか食べ損ね。
その人はMBAが人生2回目の留学で、MBAが人生初の海外経験となっている自分とは少なからず異なる問題意識や目標を持っていて、そのあたりの話が大変面白かった。1回目の留学である自分が明日からその人と同じスタンスを持つのもそれはそれで違うのだと思うが、参考にできるところは参考にしたい。
※ レストランはいくつかの区画に分かれていたのだが、自分達が案内された区画にいた客は皆非白人だった。客層の半分くらいは白人ファミリーだったことを踏まえると、やや偏りを感じた。サービスには何ら不満を感じなかったし、そもそもただの偶然と思いたいが、少し気になった。
○夜は自宅にて会社同期をお招き。他校MBAに通っておりLA観光のついでに寄ってくれた。
他校の事情とか、互いのこれまでやらこれからについて話がはずむ。友人の奥さんが学校の先生をやっていることから最近の小学校事情なんかも聞かせてもらったりして面白かった(最近の小学校では、”大”をしても冷やかされたりすることがないみたい!!)
って感じで、娘にもサンタさんが来たし、自分も複数の友人と楽しい時間を過ごすことができて、かなり満足度の高いクリスマスを過ごすことができた、の巻。
Friday, December 23, 2011
ネタ枯渇
最近は書くほどでもない些細なこと、或いはブログには書きづらいセンシティブなこと(誰々と会ってこんな話をした云々)ばかりで、ブログに記録するのにちょうどいい出来事のないまま数日経過してしまっている。結果としてブログもさぼっていたのだが、あまりさぼると筆不精のクセがついてしまうので、トレーニング的な意味合いで何か書いてみることにしたい。
最近食べたものについて。
月曜日は昼にIn-n-outでアニマルスタイルのチーズバーガーを食べた。ドライブインで移動しながら食べたのだが、アニマルスタイルにはすべきではなかった。ソースの液体度合いが通常のバーガーより強いので、手のみならずズボンまで少し汚れてしまった。夜には牡蠣鍋を食べた。奮発して馬路村のポン酢を購入したのでいつもの鍋よりも美味しかった。当地では牡蠣が日本より安く、しかも粒が大きい気がする。
火曜日は近所の『まんぷく』にてランチ。『まんぷく』のランチには、夜にはない昼限定のカルビうどんセット(或いはビビン麺セット)というものがある。辛いカルビうどんと、サラダと、ビビンパの小丼のセットでたったの8ドルくらい。これが良いのは、うどんが普通の日本的うどんである点。夜になると本格的な朝鮮麺(米でできた、噛み切りづらいアレ)になってしまい、それはそれで悪くないのだが個人的には日本のうどんの方が好きなのだ。ということで今回もこのうどんセットを頼んだのだが、どうも塩が入っていないようで辛いばっかりでまったくしょっぱさが感じられない。つい何も言わずに食べてしまったが、本来であれば序盤のうちに一言言って取り替えてもらうべきだった。夜には、オムライスと、『まんぷく』の後に寄ったサンタモニカのイタリアンスーパーで買ったモッツァレラチーズとオリーブとビール。オリーブ好きとして、鼻血が出そうなほどにオリーブを満喫。
水曜日は、午前から昼にかけて妻子が娘のバレエ教室へ。留守番の身として、寝坊した後に先日NIJIYAで購入した赤いきつねを一人で。久しぶりに食べたが、試しにフォークを使って食べてみると何となくエキゾチックな感じで美味しい。その後自分の所用を挟んで娘の音楽教室(年末の日程変更で、二つの習い事がかぶった)。終わって疲れたことから、近所のMITSUWAにて山頭火のラーメン等。娘にラーメンの半分くらいを食べられてしまったことから、つい出来心で濱田屋のクリームコロネを買ってしまう。満腹すぎてやばい。
木曜日は家でのんびり。昼には妻がホームベーカリーで作ったあんぱんを。焼きたてほやほやのあんぱんに優る美味しいパンはないかもしれない。夜はNIJIYAでモツを見かけたことから、渡米後初の自家製もつ鍋(博多やまやでもつ鍋を食べたことはあったが、家で作ったことはなかった)。これがまた美味しくてついついご飯を食べすぎてしまった。もつ鍋のニラはどうしてこんなに美味しいのだろうか。
週末には友人一家との昼やら夜やらが控えていて、本当は食費を節約すべきだったのだが、ついつい楽しく色々買い食いしてしまっている。幸せなのだが、食い過ぎで集中力が出ず、読書等「やりたいんだけど、そこそこ知的エネルギーを必要とする作業」が進まないことといったら。
最近食べたものについて。
月曜日は昼にIn-n-outでアニマルスタイルのチーズバーガーを食べた。ドライブインで移動しながら食べたのだが、アニマルスタイルにはすべきではなかった。ソースの液体度合いが通常のバーガーより強いので、手のみならずズボンまで少し汚れてしまった。夜には牡蠣鍋を食べた。奮発して馬路村のポン酢を購入したのでいつもの鍋よりも美味しかった。当地では牡蠣が日本より安く、しかも粒が大きい気がする。
火曜日は近所の『まんぷく』にてランチ。『まんぷく』のランチには、夜にはない昼限定のカルビうどんセット(或いはビビン麺セット)というものがある。辛いカルビうどんと、サラダと、ビビンパの小丼のセットでたったの8ドルくらい。これが良いのは、うどんが普通の日本的うどんである点。夜になると本格的な朝鮮麺(米でできた、噛み切りづらいアレ)になってしまい、それはそれで悪くないのだが個人的には日本のうどんの方が好きなのだ。ということで今回もこのうどんセットを頼んだのだが、どうも塩が入っていないようで辛いばっかりでまったくしょっぱさが感じられない。つい何も言わずに食べてしまったが、本来であれば序盤のうちに一言言って取り替えてもらうべきだった。夜には、オムライスと、『まんぷく』の後に寄ったサンタモニカのイタリアンスーパーで買ったモッツァレラチーズとオリーブとビール。オリーブ好きとして、鼻血が出そうなほどにオリーブを満喫。
水曜日は、午前から昼にかけて妻子が娘のバレエ教室へ。留守番の身として、寝坊した後に先日NIJIYAで購入した赤いきつねを一人で。久しぶりに食べたが、試しにフォークを使って食べてみると何となくエキゾチックな感じで美味しい。その後自分の所用を挟んで娘の音楽教室(年末の日程変更で、二つの習い事がかぶった)。終わって疲れたことから、近所のMITSUWAにて山頭火のラーメン等。娘にラーメンの半分くらいを食べられてしまったことから、つい出来心で濱田屋のクリームコロネを買ってしまう。満腹すぎてやばい。
木曜日は家でのんびり。昼には妻がホームベーカリーで作ったあんぱんを。焼きたてほやほやのあんぱんに優る美味しいパンはないかもしれない。夜はNIJIYAでモツを見かけたことから、渡米後初の自家製もつ鍋(博多やまやでもつ鍋を食べたことはあったが、家で作ったことはなかった)。これがまた美味しくてついついご飯を食べすぎてしまった。もつ鍋のニラはどうしてこんなに美味しいのだろうか。
週末には友人一家との昼やら夜やらが控えていて、本当は食費を節約すべきだったのだが、ついつい楽しく色々買い食いしてしまっている。幸せなのだが、食い過ぎで集中力が出ず、読書等「やりたいんだけど、そこそこ知的エネルギーを必要とする作業」が進まないことといったら。
Monday, December 19, 2011
人の紹介
自分自身の中でまだ整理のついてないもやもやの書き残し:
○ 人を紹介したりされたりするとき、
・紹介してもらったとき、前のめりに「是非お願いします!」と心から言える時がある一方、時に「うー、ちょっとめんどくさいな」とまずネガティブな感情が芽生えてしまうことがある。何が両者を分けてるんだろうか。自分の機嫌?紹介してくれる人を自分が根っこの部分で好きか否か?紹介してくれるという人の属性?
・おそらく、反射的にネガティブな感情を抱いてしまっているときは、コミュ力が低めの自分のことなので、明に暗にそのネガティブさが態度に表れてしまっているのだと思われる。自分では気づけていないけど。。
・あるいは、XさんをAさんに紹介したいとき、どうすればAさんに「あ、私、Xさんに会いたい!」という感情を抱かせることができるのだろうか。良かれと思い自分のネットワークを他の人にシェアしようとすることがたまにあるのだが、びっくりするくらい食いつきが良い時がある一方、どうにもこうにも関心を抱いてもらえず残念な思いをすることがある。自分の人徳不足?自分の言い方の問題?あるいは、自分は「XさんはAさんにとって会う価値のある人」と思っているが、それが単なる自分の思い込みかも?
・なんちゅうか、「潜在的ニーズは(自分自身の中に、あるいは知人の中に)確かに存在しているのに、それを掘り起こせていない」というフラストレーションをたまに感じる。単に「そんな潜在的ニーズはもともとなかった」という自分の勘違いならまだいいが、本来はであった方が良かった2人が自分の紹介の仕方が下手くそなあまり出会えずに終わっていることが複数回あったような気がしていて、今後どうすればいいかもやもやしている。
○ 人を紹介したりされたりするとき、
・紹介してもらったとき、前のめりに「是非お願いします!」と心から言える時がある一方、時に「うー、ちょっとめんどくさいな」とまずネガティブな感情が芽生えてしまうことがある。何が両者を分けてるんだろうか。自分の機嫌?紹介してくれる人を自分が根っこの部分で好きか否か?紹介してくれるという人の属性?
・おそらく、反射的にネガティブな感情を抱いてしまっているときは、コミュ力が低めの自分のことなので、明に暗にそのネガティブさが態度に表れてしまっているのだと思われる。自分では気づけていないけど。。
・あるいは、XさんをAさんに紹介したいとき、どうすればAさんに「あ、私、Xさんに会いたい!」という感情を抱かせることができるのだろうか。良かれと思い自分のネットワークを他の人にシェアしようとすることがたまにあるのだが、びっくりするくらい食いつきが良い時がある一方、どうにもこうにも関心を抱いてもらえず残念な思いをすることがある。自分の人徳不足?自分の言い方の問題?あるいは、自分は「XさんはAさんにとって会う価値のある人」と思っているが、それが単なる自分の思い込みかも?
・なんちゅうか、「潜在的ニーズは(自分自身の中に、あるいは知人の中に)確かに存在しているのに、それを掘り起こせていない」というフラストレーションをたまに感じる。単に「そんな潜在的ニーズはもともとなかった」という自分の勘違いならまだいいが、本来はであった方が良かった2人が自分の紹介の仕方が下手くそなあまり出会えずに終わっていることが複数回あったような気がしていて、今後どうすればいいかもやもやしている。
Saturday, December 17, 2011
忘年会とか
ここ数日のメモ
○ 金土と連日芝刈りという幸せ。
・金曜は妻の友達が遊びに来ている合間に近所で9H、土曜日は参加しているコンペ(@オレンジカウンティ)で18H。
・40→45→49という推移。ショットは終始安定しているのだが、最後の方はパットが絶不調に。
・プロみたいな方と回ることができ、大いに刺激をもらうなど。特に小技。スピンのひとつまでコントロールしているんじゃないかというくらい自由自在のアプローチだった。
・その後、あるメンバーの方の家にお邪魔して休憩して、あるメンバーの方のいい車に乗せてもらい、その会の忘年会で美味い物を食べてプレゼントをもらって。まあなんというか、いい思いをさせてもらった。
○ 成績が返ってきつつあり、
・「チャレンジングで興味のある科目を、GPAが下がるリスクをおそれずに取る」みたいなノリで取った科目の成績が見事に良くなくて笑ってしまっている。。リスクテイクってのは見事成功して初めて格好良いのであり、リスクを取って予定通りコケていては全く笑えないの巻。
・他方、安牌のつもりで履修した科目などはあっさりAが来る。うーん、、これで喜んでいてはアカンということだけはわかる。。
○ 金土と連日芝刈りという幸せ。
・金曜は妻の友達が遊びに来ている合間に近所で9H、土曜日は参加しているコンペ(@オレンジカウンティ)で18H。
・40→45→49という推移。ショットは終始安定しているのだが、最後の方はパットが絶不調に。
・プロみたいな方と回ることができ、大いに刺激をもらうなど。特に小技。スピンのひとつまでコントロールしているんじゃないかというくらい自由自在のアプローチだった。
・その後、あるメンバーの方の家にお邪魔して休憩して、あるメンバーの方のいい車に乗せてもらい、その会の忘年会で美味い物を食べてプレゼントをもらって。まあなんというか、いい思いをさせてもらった。
○ 成績が返ってきつつあり、
・「チャレンジングで興味のある科目を、GPAが下がるリスクをおそれずに取る」みたいなノリで取った科目の成績が見事に良くなくて笑ってしまっている。。リスクテイクってのは見事成功して初めて格好良いのであり、リスクを取って予定通りコケていては全く笑えないの巻。
・他方、安牌のつもりで履修した科目などはあっさりAが来る。うーん、、これで喜んでいてはアカンということだけはわかる。。
Thursday, December 15, 2011
今学期を振り返る
PCの不具合がすっきり解消したので、棚上げにしてしまっていた今学期の反省を備忘のため書き記しておく
(公式とかソフトウェアの操作方法とかは細かすぎるので書かない)。
<どちらかというとアカデミックなもの>
・Play the same game. 経営者から従業員まで、皆が同じ方向を向けるような仕組みづくり。
・運転資金は超重要。マネージするためには経営に関する包括的な理解が不可欠
(成長率・運転資金回転率・ビジネスサイクル(あるいは季節性)・法人税の認識と支払のタイムラグ・あるいは会計とキャッシュフローの相違等)。
・指標の重要性。時間的制約がある現場において、企業をSkimするためには指標が超有益。
重要な指標と、その使い方について精通しておくこと。また、企業と企業の比較をするためにも指標は不可欠。
業界の相場観を体得するとよい。
「指標のための指標」となりがちなので、常にインプリケーションへの落とし込みを意識。
・「Quick Scan」の重要性。特にアントレ分野ではそう。企業・競合・外部環境などを「ざっくり・迅速に」理解することがとても重要であり、そのための技の引き出しを蓄積すべき。指標はその一つ
。精緻なNPVモデルを作ることも重要だが、精緻なNPVが作れないような状況にあっても何かしらの判断ができるようになることが求められる。
・ファイナンスはオペレーションの問題の解決策たりえない。急成長で運転資金が膨らんでいるとしたら、その解決策は回収期間等に関するネゴであったり生産の効率化であり、運転資金枠の拡大等は短期的な気休めにしかならない。
あなたが投資家あるいは銀行家なら、自分が助けられることと助けられないことを明確に線引きできていることが望ましい。
・常に本質に立ち返る。「OO業界のバリュエーションでは売上高マルチプルを使うのが普通で、XX業界ではEBITDAが普通」という表層的な理解で止まらない。なぜXX業界では売上高マルチプルを使ってよいのか・固定費の部門間配分をどうするか等、可能な限り経営の実態にさかのぼり説明できるようにするべき。結論を無為に使うだけならサルでもできる。
・業界に対する目配せ。各種指標は業界平均や業界大手と比べてどうか常に意識。
・投資銀行もコンサルも錬金術師ではない。彼らの本領は、会社に眠る何かを見つけることというよりは、見つかった情報を整理することだと考えておいた方が良い。会社の有形無形の価値を一番知っているのは結局のところ社内の人。
・シナリオを複数持つ。ストレステストやVaRはリスク管理の話でまた別。起こりうる範囲での松竹梅ストーリーと、その帰結と、それへの対応について常に考えておく。
・Exit matters. 投資した瞬間から常にExitについてあらゆる可能性を考えること。IPO、転売、自社株買い。
<どちらかというとノンアカデミックなもの>
・外部要因は変えるものではなく対応するもの。法制度・マクロ経済・競合等。これらを変えようとしても無駄。ドンキホーテ。外部要因は、理解し、対応するもの。変化に嘆いたり怒ったりする暇があれば分析・対応。
・分析は人に説明してナンボ。伝えたい結論と分析を行ったり来たりすることの重要性(※認知バイアスがかかる気もするが)。
・どう見せるかを常に意識。グラフにせよパワポスライドにせよ、「しゃべりなしで、忙しい大統領がぱっと見た瞬間大枠をつかめるか?」を意識。しゃべりは「しゃべることで、単に図やパワポを見せる以上の伝達効果が得られるか?」を意識する。
・簡潔に書くことも大事だが、実務上、ひとつのメッセージを丁寧に(だらだらと)書いたり話したりすることもできた方がいい。分量の多さを評価する人もいるし(※どうかと思うけど)、長々と話すことでごまかすことができたり。
・「知っていることの深掘り」目当てで授業を取るなかれ。えてして深まらない。今回はValuationの授業がそうだった。知っていること(DCF、マルチプル、リアルオプション)は本当に知っていることしかなかったので退屈だったし、知らなかったこと(クリスタルボールを使ったモンテカルロシュミレーション)は些末すぎてあまり「学べてよかった!」と思えない。全体の半分以上を「知らないこと」「やったことないこと」が占めていないと退屈さは拭えない。
・再発防止策と事後対応のセットで考える。「ミスが起こらないようにするにはどうすれば」だけでなく、「ミスが起きたらどうやって損失を最小限に抑えるか」もセット。精神論に走って再発防止策だけ論じるなかれ。
・すべてのミスや衝突は糾弾のためではなく反省・発展のため活用する。「お前のXXが駄目だった」というよりは「お前のXXをこうすれば次回はきっとベター」という発想を意識。
・すべての意見にはそこに至るまでの文脈がある。肯定するにも否定するにも、可能な限り、その人がそのような発言をするに至った文脈に思いを馳せる。言葉尻を捕まえるよりも、言葉の奥を噛みしめようという態度。「絶対俺の方が正しい」という意見も、相手が相手なりの文脈から見れば誤っていることも。
・物事を解決・発展させたいなら、終わったからよりも終わるまでに改善に着手する。消火活動が終わったらでは遅い。
・皆の理解レベルを高める(or揃える)ための集まりなのか、とにかく一つのアウトプットを出すための集まりなのか。前者の集まりで、一人が一から十まで用意してしまうと逆効果になることも。皆がどう考えているか、頑張って空気嫁。
・中庸は悪しきに如かず。可もなく不可もなくで印象に残らないよりは、強烈に悪い印象を残した方がベター。そうすれば謝罪のため追加的に会う機会も作れる。嫌われないようにする配慮も不要ではないが、嫌われてからでも挽回はきくことを忘れない。
・発信し、発信し、発信せよ。変に遠慮せず、ぐいぐい自分のストーリーを相手に語る(もちろん、10秒バージョンから3分バージョンまでの使い分けといった技術論はあるけど)。自分がいないときに、AさんとBさんとCさんが自分の語ったストーリーを共有していたとき、そこには信頼性が生まれる。
・相手を褒めたいとしても、そこにいない誰かをくさすことで相対的に持ち上げたりしない。
・過去の自分を後悔するのは自分の中にとどめる。せいぜいツイッターやブログ。人の面前で言うと、その事柄について過去から現在にかけてのみならず将来においても改善する気がないと解釈されうる。本当に後悔しているなら改善が始まっているはず。
・是非はともかく、生きていく上で実務上、「良し悪しは存在せず、あるのは違いだけ」という意識を持っておくと良い気がする(これは学びというよりも単なる感想)。
うん、まあ、時間たってるから色々忘れた気がするが、まあこんなところ。。
(公式とかソフトウェアの操作方法とかは細かすぎるので書かない)。
<どちらかというとアカデミックなもの>
・Play the same game. 経営者から従業員まで、皆が同じ方向を向けるような仕組みづくり。
・運転資金は超重要。マネージするためには経営に関する包括的な理解が不可欠
(成長率・運転資金回転率・ビジネスサイクル(あるいは季節性)・法人税の認識と支払のタイムラグ・あるいは会計とキャッシュフローの相違等)。
・指標の重要性。時間的制約がある現場において、企業をSkimするためには指標が超有益。
重要な指標と、その使い方について精通しておくこと。また、企業と企業の比較をするためにも指標は不可欠。
業界の相場観を体得するとよい。
「指標のための指標」となりがちなので、常にインプリケーションへの落とし込みを意識。
・「Quick Scan」の重要性。特にアントレ分野ではそう。企業・競合・外部環境などを「ざっくり・迅速に」理解することがとても重要であり、そのための技の引き出しを蓄積すべき。指標はその一つ
。精緻なNPVモデルを作ることも重要だが、精緻なNPVが作れないような状況にあっても何かしらの判断ができるようになることが求められる。
・ファイナンスはオペレーションの問題の解決策たりえない。急成長で運転資金が膨らんでいるとしたら、その解決策は回収期間等に関するネゴであったり生産の効率化であり、運転資金枠の拡大等は短期的な気休めにしかならない。
あなたが投資家あるいは銀行家なら、自分が助けられることと助けられないことを明確に線引きできていることが望ましい。
・常に本質に立ち返る。「OO業界のバリュエーションでは売上高マルチプルを使うのが普通で、XX業界ではEBITDAが普通」という表層的な理解で止まらない。なぜXX業界では売上高マルチプルを使ってよいのか・固定費の部門間配分をどうするか等、可能な限り経営の実態にさかのぼり説明できるようにするべき。結論を無為に使うだけならサルでもできる。
・業界に対する目配せ。各種指標は業界平均や業界大手と比べてどうか常に意識。
・投資銀行もコンサルも錬金術師ではない。彼らの本領は、会社に眠る何かを見つけることというよりは、見つかった情報を整理することだと考えておいた方が良い。会社の有形無形の価値を一番知っているのは結局のところ社内の人。
・シナリオを複数持つ。ストレステストやVaRはリスク管理の話でまた別。起こりうる範囲での松竹梅ストーリーと、その帰結と、それへの対応について常に考えておく。
・Exit matters. 投資した瞬間から常にExitについてあらゆる可能性を考えること。IPO、転売、自社株買い。
<どちらかというとノンアカデミックなもの>
・外部要因は変えるものではなく対応するもの。法制度・マクロ経済・競合等。これらを変えようとしても無駄。ドンキホーテ。外部要因は、理解し、対応するもの。変化に嘆いたり怒ったりする暇があれば分析・対応。
・分析は人に説明してナンボ。伝えたい結論と分析を行ったり来たりすることの重要性(※認知バイアスがかかる気もするが)。
・どう見せるかを常に意識。グラフにせよパワポスライドにせよ、「しゃべりなしで、忙しい大統領がぱっと見た瞬間大枠をつかめるか?」を意識。しゃべりは「しゃべることで、単に図やパワポを見せる以上の伝達効果が得られるか?」を意識する。
・簡潔に書くことも大事だが、実務上、ひとつのメッセージを丁寧に(だらだらと)書いたり話したりすることもできた方がいい。分量の多さを評価する人もいるし(※どうかと思うけど)、長々と話すことでごまかすことができたり。
・「知っていることの深掘り」目当てで授業を取るなかれ。えてして深まらない。今回はValuationの授業がそうだった。知っていること(DCF、マルチプル、リアルオプション)は本当に知っていることしかなかったので退屈だったし、知らなかったこと(クリスタルボールを使ったモンテカルロシュミレーション)は些末すぎてあまり「学べてよかった!」と思えない。全体の半分以上を「知らないこと」「やったことないこと」が占めていないと退屈さは拭えない。
・再発防止策と事後対応のセットで考える。「ミスが起こらないようにするにはどうすれば」だけでなく、「ミスが起きたらどうやって損失を最小限に抑えるか」もセット。精神論に走って再発防止策だけ論じるなかれ。
・すべてのミスや衝突は糾弾のためではなく反省・発展のため活用する。「お前のXXが駄目だった」というよりは「お前のXXをこうすれば次回はきっとベター」という発想を意識。
・すべての意見にはそこに至るまでの文脈がある。肯定するにも否定するにも、可能な限り、その人がそのような発言をするに至った文脈に思いを馳せる。言葉尻を捕まえるよりも、言葉の奥を噛みしめようという態度。「絶対俺の方が正しい」という意見も、相手が相手なりの文脈から見れば誤っていることも。
・物事を解決・発展させたいなら、終わったからよりも終わるまでに改善に着手する。消火活動が終わったらでは遅い。
・皆の理解レベルを高める(or揃える)ための集まりなのか、とにかく一つのアウトプットを出すための集まりなのか。前者の集まりで、一人が一から十まで用意してしまうと逆効果になることも。皆がどう考えているか、頑張って空気嫁。
・中庸は悪しきに如かず。可もなく不可もなくで印象に残らないよりは、強烈に悪い印象を残した方がベター。そうすれば謝罪のため追加的に会う機会も作れる。嫌われないようにする配慮も不要ではないが、嫌われてからでも挽回はきくことを忘れない。
・発信し、発信し、発信せよ。変に遠慮せず、ぐいぐい自分のストーリーを相手に語る(もちろん、10秒バージョンから3分バージョンまでの使い分けといった技術論はあるけど)。自分がいないときに、AさんとBさんとCさんが自分の語ったストーリーを共有していたとき、そこには信頼性が生まれる。
・相手を褒めたいとしても、そこにいない誰かをくさすことで相対的に持ち上げたりしない。
・過去の自分を後悔するのは自分の中にとどめる。せいぜいツイッターやブログ。人の面前で言うと、その事柄について過去から現在にかけてのみならず将来においても改善する気がないと解釈されうる。本当に後悔しているなら改善が始まっているはず。
・是非はともかく、生きていく上で実務上、「良し悪しは存在せず、あるのは違いだけ」という意識を持っておくと良い気がする(これは学びというよりも単なる感想)。
うん、まあ、時間たってるから色々忘れた気がするが、まあこんなところ。。
色々解決
懸念事項となっていた2つのこと-歯とPC-がどちらも本日スッキリ。
解決1: 歯
先週行ったインプラント手術の経過を今日見てもらい、問題ないとのコメントをもらう。これで晴れて食事制限もなくなった。同じ日に普通の歯科にもいってクリーニングもしてもらったし、これで歯関係がかなりすっきり。せんべいはまだ怖くて食べられてないが、クッキーやらアイスやらをmgmg. 歯科の帰り道に買ったスタバのコーヒーのおいしいことっていったら。
解決2: PC
修理屋ではPCの内外を大掃除してもらう。ファンあたりに埃がたまっていたらしい。
ワイヤレスの問題は解決せずちょっと消化不良感があったのだが、帰宅後ルーターのソフトウェアを更新するという技があることにたどり着き、これを試したらばっちり直った。なぜかIPアドレスが変わってしまったのだが、それを除くと無事解決。びっくりするくらい通信がスイスイで嬉しい。さっそく動画やら何やらをenjoy.
※明日ルータが届く件。。。涙 あと一日待っていれば不要だった。。せっかくなので日本に持ち帰ろうかな
※PC欲しい熱が下がっていない件。。。家常駐用に、大き目のノートをひとつ欲しいなぁ、なんて。。でも、よく考えると、帰国したら仕事のファイルを家で扱うことはできないので、あまりOfficeの操作性とか気にしなくてもいいのかもしれない。そうなるとMac(MBAあたり)でいいのではないかという話になり、ああややこしい。
解決1: 歯
先週行ったインプラント手術の経過を今日見てもらい、問題ないとのコメントをもらう。これで晴れて食事制限もなくなった。同じ日に普通の歯科にもいってクリーニングもしてもらったし、これで歯関係がかなりすっきり。せんべいはまだ怖くて食べられてないが、クッキーやらアイスやらをmgmg. 歯科の帰り道に買ったスタバのコーヒーのおいしいことっていったら。
解決2: PC
修理屋ではPCの内外を大掃除してもらう。ファンあたりに埃がたまっていたらしい。
ワイヤレスの問題は解決せずちょっと消化不良感があったのだが、帰宅後ルーターのソフトウェアを更新するという技があることにたどり着き、これを試したらばっちり直った。なぜかIPアドレスが変わってしまったのだが、それを除くと無事解決。びっくりするくらい通信がスイスイで嬉しい。さっそく動画やら何やらをenjoy.
※明日ルータが届く件。。。涙 あと一日待っていれば不要だった。。せっかくなので日本に持ち帰ろうかな
※PC欲しい熱が下がっていない件。。。家常駐用に、大き目のノートをひとつ欲しいなぁ、なんて。。でも、よく考えると、帰国したら仕事のファイルを家で扱うことはできないので、あまりOfficeの操作性とか気にしなくてもいいのかもしれない。そうなるとMac(MBAあたり)でいいのではないかという話になり、ああややこしい。
Saturday, December 10, 2011
お前いったい何台PC持てば気が済むんだ?
冬休みに本格的に読もうと思っていた本をぱらぱらとめくってみたが、どうも進まない。かといって、ブログを使ってつらつらと頭の整理をするほどには頭もすっきりしていない(薬を飲んでいて、だるい)。なので、暇つぶしに、PCに入っているけどもう使わないようなデータをガシガシネットワークHDDに移管してみた。
すると、その作業が終わるか終らないかの頃から、どうも様子がおかしい。どんどん通信速度が遅くなってきて、しまいにはエクセルファイル一つを移管するのに1分かかるようになってしまった。事態はますます悪化して、本稿を書いている時点においてはPCを有線でルーターに接続しないとインターネットができない状態。家の片隅のルーター近辺に陣取り、暗い感じでこのブログを書いている。。
なので、まず、「LA PC 修理」でぐぐってみたところ、いつもいくトーランスのミツワの近くに修理店があることがわかった。以前Lenovo経由でIBMのサポートセンターに連絡したところ、自分のPCは基本的には日本語対応マシンなので面倒見きれないという趣旨のことを言われたことがあった。なので、日本語もOKというこの店にはかなり期待しており、さっそく明日行ってみたいと思っている(歯の様子次第だが)。
そこでやめておけばよかったのだが、その後ついうっかり、「Laptop」とぐぐってしまったのが運のつき。よだれが出るような魅力的なノートPCがいっぱい出てくる。結局、この一日はPC物色とPC修理(試みては挫折して...)で終わってしまった。
現時点での候補は以下のような面々:
・Thinkpad X220: いま使っているX201の後継機。ちょっとサイズが大きいTシリーズの方がなぜか安いのだが、ちょっとでかすぎて嫌なのでやはり買うならXシリーズが欲しい。eBayを見ていると、自分好みのスペック(メモリ容量多目、SSD)がけっこうリーズナブルな価格で売っていて、涎が。。。正直、いまのPCが直ったとしても買いたいかもしれない。。
・Macbook Air (MBA): ご存じMBA。11インチと13インチがあるが、個人的には11インチに興味がある。デザインは非常にかっこいいのだが、個人的には2つほどネックになっていることがあり、判断留保中。
(1) WordやExcelは動くのか? → 調べたところWindowsへの仮想化(?)は金銭的にも技術的にもそれほど大変ではなさそう。他方、仮想化された状況で動くExcel等は、Win環境下で動くExcelと比べるとどうも使い勝手がやや劣る様子。キーボードで色々操作することに快感を覚える自分としては、操作性の低下は非常に重要な問題。
(2) 流行に迎合してはいないか? → iPad2を買っておいてなんだが、流行っているものは極力買いたくないという思いがある。その点からすると、このタイミングでMBAを買うと言うのは非常に流されている感じがある。
・ASUS Zenbook: 流行りのUltrabookカテゴリーの中でもデザインの先端性で群を抜いている(まあ行ってしまえばMBAのパクリだけど)機種。値段まあまあ、スペックまあまあ。デザインも格好いい。しかし、なんというか、どうも筐体の中心に鎮座する「ASUS」のロゴが非常に萎える。
って感じ。とりあえず修理の結果次第だけど、ああ、物欲が止まらない。。。
すると、その作業が終わるか終らないかの頃から、どうも様子がおかしい。どんどん通信速度が遅くなってきて、しまいにはエクセルファイル一つを移管するのに1分かかるようになってしまった。事態はますます悪化して、本稿を書いている時点においてはPCを有線でルーターに接続しないとインターネットができない状態。家の片隅のルーター近辺に陣取り、暗い感じでこのブログを書いている。。
なので、まず、「LA PC 修理」でぐぐってみたところ、いつもいくトーランスのミツワの近くに修理店があることがわかった。以前Lenovo経由でIBMのサポートセンターに連絡したところ、自分のPCは基本的には日本語対応マシンなので面倒見きれないという趣旨のことを言われたことがあった。なので、日本語もOKというこの店にはかなり期待しており、さっそく明日行ってみたいと思っている(歯の様子次第だが)。
そこでやめておけばよかったのだが、その後ついうっかり、「Laptop」とぐぐってしまったのが運のつき。よだれが出るような魅力的なノートPCがいっぱい出てくる。結局、この一日はPC物色とPC修理(試みては挫折して...)で終わってしまった。
現時点での候補は以下のような面々:
・Thinkpad X220: いま使っているX201の後継機。ちょっとサイズが大きいTシリーズの方がなぜか安いのだが、ちょっとでかすぎて嫌なのでやはり買うならXシリーズが欲しい。eBayを見ていると、自分好みのスペック(メモリ容量多目、SSD)がけっこうリーズナブルな価格で売っていて、涎が。。。正直、いまのPCが直ったとしても買いたいかもしれない。。
・Macbook Air (MBA): ご存じMBA。11インチと13インチがあるが、個人的には11インチに興味がある。デザインは非常にかっこいいのだが、個人的には2つほどネックになっていることがあり、判断留保中。
(1) WordやExcelは動くのか? → 調べたところWindowsへの仮想化(?)は金銭的にも技術的にもそれほど大変ではなさそう。他方、仮想化された状況で動くExcel等は、Win環境下で動くExcelと比べるとどうも使い勝手がやや劣る様子。キーボードで色々操作することに快感を覚える自分としては、操作性の低下は非常に重要な問題。
(2) 流行に迎合してはいないか? → iPad2を買っておいてなんだが、流行っているものは極力買いたくないという思いがある。その点からすると、このタイミングでMBAを買うと言うのは非常に流されている感じがある。
・ASUS Zenbook: 流行りのUltrabookカテゴリーの中でもデザインの先端性で群を抜いている(まあ行ってしまえばMBAのパクリだけど)機種。値段まあまあ、スペックまあまあ。デザインも格好いい。しかし、なんというか、どうも筐体の中心に鎮座する「ASUS」のロゴが非常に萎える。
って感じ。とりあえず修理の結果次第だけど、ああ、物欲が止まらない。。。
Friday, December 9, 2011
インプラント再び
冬休み初日はインプラント手術。夏休みに続き2回目(1回目は、思ったよりも土台となる骨が退縮してしまっていたことから、あごの骨を患部に接着させて土台を増強する作業で終わってしまった)。
いまのところ、前回ほどには痛みも激しくなく、顔も腫れておらずいい感じ。かといって、英語の本を長時間読み続けるほどの集中力はなく、今日一日ぼんやりと過ごしている。
来週末にはゴルフが入っているので、早く正常化するといいのだが。
Good Newsは、思ったより安かったこと。2本で7,000ドル程度と言われていたのだが、6,000ドル弱で済んだ。この休みは静養・勉強・ゴルフプラス小旅行で終わりかなぁと思っていたが、浮いた千ドルで旅行してもいいかもしれない。
ところで、寝転がりながらネットサーフィンしていたときに見つけたとあるページを見てかなりドキーっとしたのでリンクを貼っておく。。「内向的な人の特徴」とのことだが、びっくりするくらい思い当たる節があって苦笑してしまった。。
リンク
いまのところ、前回ほどには痛みも激しくなく、顔も腫れておらずいい感じ。かといって、英語の本を長時間読み続けるほどの集中力はなく、今日一日ぼんやりと過ごしている。
来週末にはゴルフが入っているので、早く正常化するといいのだが。
Good Newsは、思ったより安かったこと。2本で7,000ドル程度と言われていたのだが、6,000ドル弱で済んだ。この休みは静養・勉強・ゴルフプラス小旅行で終わりかなぁと思っていたが、浮いた千ドルで旅行してもいいかもしれない。
ところで、寝転がりながらネットサーフィンしていたときに見つけたとあるページを見てかなりドキーっとしたのでリンクを貼っておく。。「内向的な人の特徴」とのことだが、びっくりするくらい思い当たる節があって苦笑してしまった。。
リンク
Thursday, December 8, 2011
6分の4
いくつかあった最終課題をすべて提出して、プレゼンも終わり、いよいよ秋学期が終わった。今は気が抜けてしまっており定年後のおじさんのような抜け殻状態で、何をするにも手につかない感覚。。
ここ最近思ったり感じたりしていた「あ、あとでこれブログにメモしておこう」的なこともなんだか思い出せないし、「学期が終わったら読もう」と思っていた各種文献も少なくとも今日のところは読む気がまったく起きず。たかだか一学期が終わったくらいでこんなに燃え尽きないでもいいのに。。と思うのだが、なんだか燃え尽き気味でどうしたものか。
あるいは、明日に迫っているインプラント手術のおかげで滅入っているのかもしれない。夏休みにも手術したのだが、そのときは治療部分の骨が小さかったので顎の骨を削って治療部位に移植しただけだったので、今回またやる羽目になっている。その時の手術がどえらく痛かったので(親不知とか目じゃない痛さ)、滅入ってしまっているのかもしれない。
ここ最近思ったり感じたりしていた「あ、あとでこれブログにメモしておこう」的なこともなんだか思い出せないし、「学期が終わったら読もう」と思っていた各種文献も少なくとも今日のところは読む気がまったく起きず。たかだか一学期が終わったくらいでこんなに燃え尽きないでもいいのに。。と思うのだが、なんだか燃え尽き気味でどうしたものか。
あるいは、明日に迫っているインプラント手術のおかげで滅入っているのかもしれない。夏休みにも手術したのだが、そのときは治療部分の骨が小さかったので顎の骨を削って治療部位に移植しただけだったので、今回またやる羽目になっている。その時の手術がどえらく痛かったので(親不知とか目じゃない痛さ)、滅入ってしまっているのかもしれない。
Monday, December 5, 2011
のんびり
月曜日。
・期末課題をひとつ提出。先週のうちにやっておいたので出しただけ。本当はここで最後のもうひと踏ん張りが必要だったのかもしれないが。。
・今日も公園へ。今日は金髪の若奥様に囲まれて複雑な心境。皆、娘の名前をおぼえてくれて、気前よく話しかけてくれる。なのに、自分は「どうせこの人たちの会話はすぐ終わるだろう」とか考えて子供の名前を教えてくれたのにろくすっぽ覚えていなかったりすると、あちゃぁ..と恥じる。
・期末課題をちょろちょろっと。明日のミーティングは時間を食うかもしれないが、個人作業はたいしてやることもなく平穏。
・休みモードとなり、ブログのネタもそんなにない平穏な日々。
・期末課題をひとつ提出。先週のうちにやっておいたので出しただけ。本当はここで最後のもうひと踏ん張りが必要だったのかもしれないが。。
・今日も公園へ。今日は金髪の若奥様に囲まれて複雑な心境。皆、娘の名前をおぼえてくれて、気前よく話しかけてくれる。なのに、自分は「どうせこの人たちの会話はすぐ終わるだろう」とか考えて子供の名前を教えてくれたのにろくすっぽ覚えていなかったりすると、あちゃぁ..と恥じる。
・期末課題をちょろちょろっと。明日のミーティングは時間を食うかもしれないが、個人作業はたいしてやることもなく平穏。
・休みモードとなり、ブログのネタもそんなにない平穏な日々。
Saturday, December 3, 2011
炎上グループダイナミックス
土曜日。
▽ 少し寝坊して、起きて、娘と公園へ。今学期は詰め込みすぎて娘と公園に行くこともままならなかったが、やはり公園で娘と遊ぶことはかなりのリラックス効果があるようで、家に帰ってからなんだか気分がよかった(ここで勉強すれば立派なのだろうが...)
▽ 夜には自分の一家、妻のママ友(自分のママ友という概念は論理破綻しているから「妻の」は不要か)、その家族で晩飯。先方のパパがMBAではないところに留学しているので、色々面白かった。改めて、身内でない人との接点を増やすことの意義みたいなものを感じる。
▽ 最近グループワークがしっくりこなかったインド人君との関係が一気に動いた。
・彼にボールが行くと、常にやり取りが1日止まる。実際、昨日中に解決したかった事項がまだしこっている。
・そこで、「お前どう思う?お前から連絡してくれるか?何なら俺やるけど、どうだ?」とややしつこいくらいに連絡。Hey allではなく、Hey T(そいつの名前をピンポイント名指し)とやることで、彼のディスカッションへの参加をプッシュ
(←終わる前に動かさないと山は動かないという最近の思いに基づき、嫌われること覚悟で一押ししてみた)
・ 彼が逆ギレ。俺はもう帰省しているんだ、返事が遅いと思ったら気付いた奴が勝手に返事すればいいじゃないか、そもそも急ぐ理由なんてないじゃないか、等々。
・自分、メールを見たときは「うわぁ」と思ったが、すぐに気を取り直し、チャンス到来と考え直す。チームのここ最近の課題はコミュニケーションの迅速化効率化であり、彼の「俺すっとばして勝手にやればいいじゃないか」というコメントはその解決策たりうる。
・ 個人的感情としては彼に対してひとつひとつ反論をかましたかったのだが、彼とケンカすることは目的ではないことから、「オッケーそれじゃフレキシブルにやろうぜ、それ名案だよ、サンクス」と返事。keep going, ケンカする暇があれば前進しよう。正直むしゃくしゃしていたので、娘と公園に行っていなかったら今頃パンチして壁に穴でもあけていたかもしれない(無理か)
・ 他のメンバーもそう思っていたようで、皆、急に意見が活発に。あっという間に結論が出て、しかも教授との窓口たるT君本人から「すっとばしてよい」と言ってもらったので、教授にも一瞬でメール。こないだまで1週間かかっていたことが、3時間で終わった。
・ そしたらインド人のT君が「あちゃ」と思ったようで、謝罪メールが来た。彼をやりこめることや彼に遠慮させることが目的ではなく、できれば彼にも頑張ってほしいので(全然頼りにしてないが)、皆がその態度に対する歓迎の旨返信するなど。
前回の記事もあわせてまとめると、
・鎮火したあとに「火事の再発防止を考えよう」と言っても遅い。皆関心は他のどこかに行ってしまっている
・なので、火がくすぶっているところで逆に油を注いで大騒ぎにすることで問題を大きく動かす
・多少のドタバタを経て、結果として事態が改善し、今後の展望も開ける
・これまでは日本的というか自分の個性というか、終わるまでは比較的静かにしていて終わったとたんカイゼンと叫んで空振りしていた。しかし、ここ米国では、炎上戦法とでも言おうか、終わる前に騒ぎを大きくした方が結果としてその先の改善につながる。事の最中の摩擦をあまり恐れない。
って感じで少なくとも今回は戦ってみた。次回もワークするかどうかはわからないが、多少は学べたのかな、と思っている。
▽ 少し寝坊して、起きて、娘と公園へ。今学期は詰め込みすぎて娘と公園に行くこともままならなかったが、やはり公園で娘と遊ぶことはかなりのリラックス効果があるようで、家に帰ってからなんだか気分がよかった(ここで勉強すれば立派なのだろうが...)
▽ 夜には自分の一家、妻のママ友(自分のママ友という概念は論理破綻しているから「妻の」は不要か)、その家族で晩飯。先方のパパがMBAではないところに留学しているので、色々面白かった。改めて、身内でない人との接点を増やすことの意義みたいなものを感じる。
▽ 最近グループワークがしっくりこなかったインド人君との関係が一気に動いた。
・彼にボールが行くと、常にやり取りが1日止まる。実際、昨日中に解決したかった事項がまだしこっている。
・そこで、「お前どう思う?お前から連絡してくれるか?何なら俺やるけど、どうだ?」とややしつこいくらいに連絡。Hey allではなく、Hey T(そいつの名前をピンポイント名指し)とやることで、彼のディスカッションへの参加をプッシュ
(←終わる前に動かさないと山は動かないという最近の思いに基づき、嫌われること覚悟で一押ししてみた)
・ 彼が逆ギレ。俺はもう帰省しているんだ、返事が遅いと思ったら気付いた奴が勝手に返事すればいいじゃないか、そもそも急ぐ理由なんてないじゃないか、等々。
・自分、メールを見たときは「うわぁ」と思ったが、すぐに気を取り直し、チャンス到来と考え直す。チームのここ最近の課題はコミュニケーションの迅速化効率化であり、彼の「俺すっとばして勝手にやればいいじゃないか」というコメントはその解決策たりうる。
・ 個人的感情としては彼に対してひとつひとつ反論をかましたかったのだが、彼とケンカすることは目的ではないことから、「オッケーそれじゃフレキシブルにやろうぜ、それ名案だよ、サンクス」と返事。keep going, ケンカする暇があれば前進しよう。正直むしゃくしゃしていたので、娘と公園に行っていなかったら今頃パンチして壁に穴でもあけていたかもしれない(無理か)
・ 他のメンバーもそう思っていたようで、皆、急に意見が活発に。あっという間に結論が出て、しかも教授との窓口たるT君本人から「すっとばしてよい」と言ってもらったので、教授にも一瞬でメール。こないだまで1週間かかっていたことが、3時間で終わった。
・ そしたらインド人のT君が「あちゃ」と思ったようで、謝罪メールが来た。彼をやりこめることや彼に遠慮させることが目的ではなく、できれば彼にも頑張ってほしいので(全然頼りにしてないが)、皆がその態度に対する歓迎の旨返信するなど。
前回の記事もあわせてまとめると、
・鎮火したあとに「火事の再発防止を考えよう」と言っても遅い。皆関心は他のどこかに行ってしまっている
・なので、火がくすぶっているところで逆に油を注いで大騒ぎにすることで問題を大きく動かす
・多少のドタバタを経て、結果として事態が改善し、今後の展望も開ける
・これまでは日本的というか自分の個性というか、終わるまでは比較的静かにしていて終わったとたんカイゼンと叫んで空振りしていた。しかし、ここ米国では、炎上戦法とでも言おうか、終わる前に騒ぎを大きくした方が結果としてその先の改善につながる。事の最中の摩擦をあまり恐れない。
って感じで少なくとも今回は戦ってみた。次回もワークするかどうかはわからないが、多少は学べたのかな、と思っている。
Friday, December 2, 2011
言ってもらって嬉しい言葉トップ5
金曜日。
▽ リサーチにて会社訪問。少しは「なるほど、この話は例の論点に関するトピックで、パターンとしてはA、B、C3種類あるけど、この人はBだったんだな」的な思考回路もできるようになってきた。が、やはり起業家の人生というのはそんな薄っぺらなフレームワークだけで捕捉できるものではなく、全体としてはひたすら圧倒されて帰ってきた。インタビューに行けば行くほど、これを果たして俺はまとめきれるのだろうか...と自問自答。
▽ Entrepreneurial Financeの試験。出来栄えのほどは・・・だったが、とにもかくにも、チームメンバー+αで近所のピザ屋に打ち上げへ。幸いにその店を知らなかったようで、美味しいといってくれていい気分。自分が連れて行った店を気に入ってもらうのは、言ってもらって嬉しい言葉のトップ5に入るような気がする。日台中香でしゃべり倒し。おいおいお前ら中国語使うな。等々。最後に交換留学生のA君と抱き合って別れる。ビール一杯しか飲んでない割にはテンション高め。
※トップ5の残りの4つは何だろ。。
- 子供を褒められるとやっぱりつい顔がでろでろに溶けてしまったりする
- ボギーオンしてからが勝負の自分としては「アプローチ上手だね」とかも嬉しいかもしれない
- マイナーな曲を聞いているときに「その曲いいよね」と言ってもらうと嬉しいような
- LAに来て完全に興味がなくなってしまったが、着てる服を褒められると嬉しいかもしれない
こうやって考えると、あえてまとめるなら、「自分の生来的な特徴」を褒められても全然萌えないが、「自分が努力等の末に獲得した考え方、嗜好、技術、子供等」は褒められると嬉しい。ようは結果だけではなくプロセスまで見てもらえたように感じることができると自分は萌えるのかもしれない。
▽ リサーチにて会社訪問。少しは「なるほど、この話は例の論点に関するトピックで、パターンとしてはA、B、C3種類あるけど、この人はBだったんだな」的な思考回路もできるようになってきた。が、やはり起業家の人生というのはそんな薄っぺらなフレームワークだけで捕捉できるものではなく、全体としてはひたすら圧倒されて帰ってきた。インタビューに行けば行くほど、これを果たして俺はまとめきれるのだろうか...と自問自答。
▽ Entrepreneurial Financeの試験。出来栄えのほどは・・・だったが、とにもかくにも、チームメンバー+αで近所のピザ屋に打ち上げへ。幸いにその店を知らなかったようで、美味しいといってくれていい気分。自分が連れて行った店を気に入ってもらうのは、言ってもらって嬉しい言葉のトップ5に入るような気がする。日台中香でしゃべり倒し。おいおいお前ら中国語使うな。等々。最後に交換留学生のA君と抱き合って別れる。ビール一杯しか飲んでない割にはテンション高め。
※トップ5の残りの4つは何だろ。。
- 子供を褒められるとやっぱりつい顔がでろでろに溶けてしまったりする
- ボギーオンしてからが勝負の自分としては「アプローチ上手だね」とかも嬉しいかもしれない
- マイナーな曲を聞いているときに「その曲いいよね」と言ってもらうと嬉しいような
- LAに来て完全に興味がなくなってしまったが、着てる服を褒められると嬉しいかもしれない
こうやって考えると、あえてまとめるなら、「自分の生来的な特徴」を褒められても全然萌えないが、「自分が努力等の末に獲得した考え方、嗜好、技術、子供等」は褒められると嬉しい。ようは結果だけではなくプロセスまで見てもらえたように感じることができると自分は萌えるのかもしれない。
Thursday, December 1, 2011
反省だけなら俺でもできる
■ ここ数日の外国人同級生とのやり取りで感じていること。自分のモノサシからすると、外国人同級生、とくにアメリカ人同級生はあまり反省を好まない傾向にある気がする。
経験談1: とあるグループでのレポートが返却されてきて、あるチームメイトがそれを回収した。彼女からのメールで、10点中8点であったとだけ連絡が入る。8点というのはあまり良くないので、何が悪かったのか検証したいと思い「見せてくれ」と後刻頼んだところ、「誰も見ないと思って捨てちゃったよ」とのこと。。
※ちなみにかなり頻発する。
経験談2:とあるグループワークで、連絡の行き違いや、一部の人のやる気が不十分であったことから、色々と問題が生じた。自分は「事の最中に改善とか言い出すと士気が下がりそうだから、終わってから善後策を話し合うことができればいいな」と思い、とりあえず一段落つくまでは問題解決に向けて特にアクションを起こさず流していた(行動が遅いチームメイトを促すといった目先の対応はしたが、「お前遅いよ」とか「担当者変えようぜ」という抜本的な提案は我慢して行わなかった)。で、なんとか一段落したので、立ち話がてらおそるおそる「次のためにちょっとやり方変えてみる?」と話を皆に振ってみたが、皆実にめんどくさそうな顔をするだけで、しれっとスルーされてしまった。
そういう経験が1年強重なってきており、最近になり、上の通り「こいつら反省ってことを理解できてないか、あるいは毛嫌いしているんじゃないか」と思うようになってきている。
■ では自分はどう対応すればいいのだろうか。これまではあまり意識していなかったので馬鹿の一つ覚えで「反省しょうぜと提案→スルーされる」を繰り返していたが、いよいよ対応を改めるときがきたのかもしれない。
対応(1) 信頼できるやつと組む。ちゃんと準備して、イニシアチブをとって、サポーティブな奴は少なからず存在するので、そういう奴と組む。
長所・・・楽。ストレスを背負わないで済む。
短所・・・付き合いの幅が狭まる。留学期間中に、この手の苦労はしておいた方がいいのではないか。
対応(2) 諦める。反省できない奴と当たってしまったら、それが彼そして自分の限界であると割り切り、だましだまし今できる範囲でベストを尽くす。
長所・・・心を殺せば楽。人間関係が一番摩擦なしで済む。
短所・・・ストレスがたまる。結果がしょぼくなる。
対応(3) 事の最中に、なんとか改善をもたらす。終わってしまうと皆あっという間に次に移ってしまうので、終わる、今回のアウトプットを改善するよう努める。日々の話し方ひとつ、行動ひとつを少しずつ変えることで対応。
長所・・・この連中と改善しつつ前に進むための、たぶん唯一の方法。ベストのアウトプットが出しうる。
短所・・・事の最中に人の考え方を変えるためには、正論を突然言うだけでは駄目で、言い方、表情等全てについて配慮する必要がでてくるので難しい。
■ ということで、ここ最近は、対応(3)を試してみているが、やっぱりしんどい。その場で言うよりも言わない方がイージーだし、皆が反発せず納得できるような言い方を考えるのは(しかも英語で)なかなか難しい。
チームのテンションが下がらないよう無理してHey guysとかいいつつ(本当は「おいお前、いい加減自分のタスクやれよ」と言いたいのに)、皆のいいところを一つ二つ見つけてから本題に入り(しかも可能な限り婉曲表現)、みたいな。
事が終わった後に言うのと比較すると多少は皆話を聞いてくれる気がするけど、やっぱり聞いてくれても小手先の改善案くらい(とりえあず意見だけは当日中に表明する等)で、抜本的な改善案はしれっとスルーされる(使えない奴を閑職にして、イニシアチブを取れるやつを代わりにする等)。
■ とかなんとか、最近考えたり試行錯誤したりしている。なので、最近になりようやく「カイゼン」がアメリカでやたらもてはやされる理由がわかった気がする。これまで、自分はカイゼンを単なるサービス残業だと考えていた。しかし、メンバーが少なからず自発的に継続的に改善を模索し続けるこのカイゼン、日本人からするとその凄さがピンと来ないがアメリカ人にしたら結構すごいことなのかもしれない。
■ ここまで散々こき下ろしてきたが、その一方で、アメリカ人は自分と比べると切り替えあるいは回転が速いと思う。ひとつひとつの出来事からいちいちじっくり学ぶというよりは、とにかく数をこなすことで経験を積み上げていくといったイメージ。ひとつひとつの効率が良くなくても、トータルでの学びは同じくらいといった感じだろうか。
経験談1: とあるグループでのレポートが返却されてきて、あるチームメイトがそれを回収した。彼女からのメールで、10点中8点であったとだけ連絡が入る。8点というのはあまり良くないので、何が悪かったのか検証したいと思い「見せてくれ」と後刻頼んだところ、「誰も見ないと思って捨てちゃったよ」とのこと。。
※ちなみにかなり頻発する。
経験談2:とあるグループワークで、連絡の行き違いや、一部の人のやる気が不十分であったことから、色々と問題が生じた。自分は「事の最中に改善とか言い出すと士気が下がりそうだから、終わってから善後策を話し合うことができればいいな」と思い、とりあえず一段落つくまでは問題解決に向けて特にアクションを起こさず流していた(行動が遅いチームメイトを促すといった目先の対応はしたが、「お前遅いよ」とか「担当者変えようぜ」という抜本的な提案は我慢して行わなかった)。で、なんとか一段落したので、立ち話がてらおそるおそる「次のためにちょっとやり方変えてみる?」と話を皆に振ってみたが、皆実にめんどくさそうな顔をするだけで、しれっとスルーされてしまった。
そういう経験が1年強重なってきており、最近になり、上の通り「こいつら反省ってことを理解できてないか、あるいは毛嫌いしているんじゃないか」と思うようになってきている。
■ では自分はどう対応すればいいのだろうか。これまではあまり意識していなかったので馬鹿の一つ覚えで「反省しょうぜと提案→スルーされる」を繰り返していたが、いよいよ対応を改めるときがきたのかもしれない。
対応(1) 信頼できるやつと組む。ちゃんと準備して、イニシアチブをとって、サポーティブな奴は少なからず存在するので、そういう奴と組む。
長所・・・楽。ストレスを背負わないで済む。
短所・・・付き合いの幅が狭まる。留学期間中に、この手の苦労はしておいた方がいいのではないか。
対応(2) 諦める。反省できない奴と当たってしまったら、それが彼そして自分の限界であると割り切り、だましだまし今できる範囲でベストを尽くす。
長所・・・心を殺せば楽。人間関係が一番摩擦なしで済む。
短所・・・ストレスがたまる。結果がしょぼくなる。
対応(3) 事の最中に、なんとか改善をもたらす。終わってしまうと皆あっという間に次に移ってしまうので、終わる、今回のアウトプットを改善するよう努める。日々の話し方ひとつ、行動ひとつを少しずつ変えることで対応。
長所・・・この連中と改善しつつ前に進むための、たぶん唯一の方法。ベストのアウトプットが出しうる。
短所・・・事の最中に人の考え方を変えるためには、正論を突然言うだけでは駄目で、言い方、表情等全てについて配慮する必要がでてくるので難しい。
■ ということで、ここ最近は、対応(3)を試してみているが、やっぱりしんどい。その場で言うよりも言わない方がイージーだし、皆が反発せず納得できるような言い方を考えるのは(しかも英語で)なかなか難しい。
チームのテンションが下がらないよう無理してHey guysとかいいつつ(本当は「おいお前、いい加減自分のタスクやれよ」と言いたいのに)、皆のいいところを一つ二つ見つけてから本題に入り(しかも可能な限り婉曲表現)、みたいな。
事が終わった後に言うのと比較すると多少は皆話を聞いてくれる気がするけど、やっぱり聞いてくれても小手先の改善案くらい(とりえあず意見だけは当日中に表明する等)で、抜本的な改善案はしれっとスルーされる(使えない奴を閑職にして、イニシアチブを取れるやつを代わりにする等)。
■ とかなんとか、最近考えたり試行錯誤したりしている。なので、最近になりようやく「カイゼン」がアメリカでやたらもてはやされる理由がわかった気がする。これまで、自分はカイゼンを単なるサービス残業だと考えていた。しかし、メンバーが少なからず自発的に継続的に改善を模索し続けるこのカイゼン、日本人からするとその凄さがピンと来ないがアメリカ人にしたら結構すごいことなのかもしれない。
■ ここまで散々こき下ろしてきたが、その一方で、アメリカ人は自分と比べると切り替えあるいは回転が速いと思う。ひとつひとつの出来事からいちいちじっくり学ぶというよりは、とにかく数をこなすことで経験を積み上げていくといったイメージ。ひとつひとつの効率が良くなくても、トータルでの学びは同じくらいといった感じだろうか。
Monday, November 28, 2011
Leading without authority
■ ここ数日、AMR(半年かけてのプロジェクト)についてチーム内で打ち合わせ。教授からもらっていた宿題についてチーム内で合意形成ができたのだが、相変わらず教授との窓口のインド人君がとぼけていて教授にアクセスするそぶりを見せない。
これは相当程度自分の責任でもあると感じている。彼があまりにのんびりしていて一向に動いてくれないことから、一回、良かれと思い彼の代わりに教授とのアポをセットしたことがあるからだ。
どうも、その結果、彼の中にあったその仕事への主体性はより一層失われてしまったようで、
で、本人に直接言うのはやや乱暴かと感じたことから、チーム全員宛に「あとは教授への連絡を残すだけだ、誰がやるよ?」とpostしてみた。そしたらそのインド人君がめずらしく即レスをくれて、
そして、そのやり取りから概ね一日が経つが、彼が教授にメールした形跡はない。。。
本件から自分が感じていることは以下のようなもの:
これは相当程度自分の責任でもあると感じている。彼があまりにのんびりしていて一向に動いてくれないことから、一回、良かれと思い彼の代わりに教授とのアポをセットしたことがあるからだ。
どうも、その結果、彼の中にあったその仕事への主体性はより一層失われてしまったようで、
- 「あいつがやってくれるなら俺はさぼってもOKだな」or
- 「なんだよあいつ、人の仕事奪いやがって。やってられないぜ」or
- 「えーと、よくわからないけど、これって俺の仕事ではなさそうだからスルーしよっかな」
で、本人に直接言うのはやや乱暴かと感じたことから、チーム全員宛に「あとは教授への連絡を残すだけだ、誰がやるよ?」とpostしてみた。そしたらそのインド人君がめずらしく即レスをくれて、
- おいおいお前ら、誰が教授にメールするかなんて下らないことで何回もメールのやり取りするなんてイケてないぜ(諭す口調で)
- 皆が乗り気じゃないのなら、俺がやってやる
そして、そのやり取りから概ね一日が経つが、彼が教授にメールした形跡はない。。。
本件から自分が感じていることは以下のようなもの:
- 人は皆それぞれ違う。これは仕事に対する自主性あるいは着手するまでの速度、あらゆる点に関して。しかも外国人の場合、そのばらつきが大きい。
→「自分のレベル感を当然のものとみなして相手にも明に暗に求める」という態度あるいは行動はまったくワークしない。 - ではどうするか、これが問題。「やってくれるのを楽しみに待つ」か「自らやってしまう」「やるよう促す」か。
- やってくれるのを待っていたら見事に締切を逃して痛い目にあった経験を踏まえると、「違いを理解しつつ、なんとかかんとかやるよう促す」が答えなのかなぁと思っている。
- さらっと直接「これは君の仕事だからよろしくね」と言ってしまえばいいのかもしれないが、どうも口下手なのかこの手の話を角を立てずに言えたことがない。彼に仕事をやってほしいのも確かだが、少なくとも半年間できれば一生このチームメイトとは良好な関係を保ちたいという思いもあるので、どうも直接サジェスチョンをすることに逡巡が出てしまっている
- 物事に対する主体性(あるいはリーダーシップ)に対する感覚がグループ内で乖離していると、相対的に早く気づいてしまう人(このチームだと自分)が苦労する 。自分としては、しょぼい話だが、先に気付いて割を食う担当よりも、気付かず皆で仲良く損をする方が気楽に思えてしまう。。
- 良いグループは、リーダー役のみならず一般メンバーにもリーダーシップがあったほうが良い(参照:過去記事 Link )これまでの経験上、いいチームには、2人以上リーダーシップがある人がいた気がする。リーダーシップが言い過ぎなら、気が利く人。これもまた言い過ぎか...
- 結果として、自分の「彼の仕事を代わりに行う」という行為が、彼のさらなる怠惰あるいは不作為を招いている可能性がある 。しかし、じゃあどうすりゃいいのよと酒を飲みたくなる...
リサーチだん?
月曜日。
■ リサーチ関連で2週連続で教授のもとへ。ここに来てこれまでのメモを熟読してくれたようで(汗、コメントのレベルが一段階具体的になってぐさりぐさり。教授から、一年かけるというよりは今学期で一旦まとめた方が良いという意見が出たので、ひとまず今学期中にアウトプットをまとめることになった。。。って今学期ってあと何日よ。
でもまあ、
あらためて、校内に日系人の教授がいたことに感謝。「エッセイ執筆時点では思いもよらなかったUCLAの良さ」というカテゴリーにおいてトップ3に入るラッキーだった。
来学期以降は、良くも悪くも自由度が高まる。だいぶ楽になるが、ペースメーカーを失うコストは小さくない。何かしら努力を継続せざるを得ない状況に自分を追い込むとよいのかなと思っており、その方策を考え中。
■ リサーチ関連で2週連続で教授のもとへ。ここに来てこれまでのメモを熟読してくれたようで(汗、コメントのレベルが一段階具体的になってぐさりぐさり。教授から、一年かけるというよりは今学期で一旦まとめた方が良いという意見が出たので、ひとまず今学期中にアウトプットをまとめることになった。。。って今学期ってあと何日よ。
でもまあ、
- 次の学期も同様の取り組みをしても、貰える単位は増えない(成績も本日時点でほぼ確定したとのこと..)
- 教授からのアドバイスもそろそろ出涸らし状態
- 日本語のメモを英語にするのは結構大変(ケースをひとつやっつけるくらいの負担感)
- 教授との信頼関係の形成はできたので、聞きたいことがあれば履修の有無を問わずいつでも聞けそう
- 期末試験は1つしかなく、他の期末プロジェクトもさほど負担感はなさそうなので(ホントか?)マネージできそう
あらためて、校内に日系人の教授がいたことに感謝。「エッセイ執筆時点では思いもよらなかったUCLAの良さ」というカテゴリーにおいてトップ3に入るラッキーだった。
来学期以降は、良くも悪くも自由度が高まる。だいぶ楽になるが、ペースメーカーを失うコストは小さくない。何かしら努力を継続せざるを得ない状況に自分を追い込むとよいのかなと思っており、その方策を考え中。
Saturday, November 26, 2011
MBA検定
■ 今学期にEntrepreneurial Fiannceという授業を履修したおかげで、ビジネス全体においてファイナンスをどのように使うかという視点がかなりくっきりしたように感じている。
■ そのおかげで、マーケティングや戦略論などふわふわしていて捉えどころがなく一年生のコア科目のときには味わいきれなかった科目についても、なんとなくではあるがその使い方のようなものが見えてきているような気がする。おそらく多くのMBA学生にとっては自明のことなのだろうが、自分なりに頭の整理がついたので書き残してみる。
■ 思うにMBAで習うことの理解度は、以下のように分類できよう。さながらMBA検定みたい:
レベル1: ビジネスマンとして、ケースあるいは実際の仕事上の出来事について、興味を抱くことができる。そこに問題がある、ということを認識することができる。
レベル2: ケースあるいは実際の出来事について、その話がなんの分野の話か理解することができる。問題意識だけは共有できる(が、分析できないので共感しておしまい)。
(ファイナンスの話なのか、マーケティングの話なのか等)。
レベル3:その話の大分類をぱっと理解できる。
(例:「これはファイナンスの話で、具体的には資金調達の話だな」「これはマーケティングの話で、顧客に関する話だな」)
レベル4: MBA新卒レベル。その話を、自分の頭の中でインデックス化されているフレームワークに落とし込むことができる。問題意識を共有することができるだけではなく、ある程度分析もすることができる(が、答えを知らないので話を先に進められない。上司か顧客自身がソリューションにたどり着いてくれないと解決しない)。
(例:「これは資金調達の話で、具体的には負債と株式のどちらを選ぶかという話だな」「これは顧客に関する話、具体的にはCRMに関する論点だな」)
レベル5:ジュニアコンサルタント・ジュニアバンカーレベル。あるいはちゃんと勉強したMBAレベル。 その話を具体的なフレームワークと照らし合わせた上で、定石的なソリューションを2,3ぱっと思い浮かべることができる。問題を共有し、分析することができ、「とりあえずの議論のスタート地点」として定石たるソリューションを提示することができる(が、柔軟な調整まではできないので、問題を完全に解決することはできない)
(例:「負債か株式かという話では、定石としては、アレとコレを見て判断材料にするよな。さて今回のケースではどうだろう」「一般的にはCRMの打ち手としてはXとYとZがあるな。さて今回はどれが使えそうかな」)
レベル6: シニアコンサルタント、シニアバンカーレベル。 フレームワーク及び定石を念頭に置きつつ、既存知識の組み換え・組み合わせ・あるいはいくつかの閃きにより、今回のケースのためにアイディアをカスタマイズできる(ので、目の前にある程度わかりやすい形で問題を提示してもらえれば、それをおおむね解決することができる)。
(例: 「一般的には今回のようなケースでは負債発行が望ましいが、マーケット環境や経営者の嗜好を踏まえると、劣後債の方が良いのではないだろうか」「定石はメンバーズカードの作成だけど、顧客がメンバーズカードに飽き飽きしている状況を踏まえると、オンラインでコミュニケーションする方がいいかもしれない」)
レベル7: 経営者・アントレプレナーレベル。CFO,マーケター、CEO等として、提示された問題を解決するだけではなく、カオス的な現状のなかから自ら問題を発見あるいは定義することができる。ゼロの状態から財務戦略やマーケティング戦略等を立案・実行することができる。
■ 自分についてみると、少なくともファイナンス系については、レベル5まではおおむね到達できていて、あとは卒業後の実務を通じてアドホックに顧客の問題を解決する経験を積み重ねることでレベル6までは到達できよう。レベル7まで行けるかどうかは、たぶん金融コンサル以外の世界に転身しないと難しそうな気がする。
■ 他方、マーケティングやオペレーション・組織論の分野では、レベル3、せいぜいレベル4くらいにしか到達できていない気がする。自分はオペレーションコンサルタントになるわけではないのでレベル6にまでなる必要はあまりないが、履修したEntre. Finで感じている限り、ファイナンスの分野でレベル6になるためには他の分野もレベル5くらいにはなっておいた方がよさそうだ。「あーー、ここから先はマーケティングの話だね、俺はわからんから死んだふりしてよ」では足りないように思われる。マーケティング的問題や組織論的問題とファイナンス的問題の相互連関などを適切に把握して、マーケ的問題を解決することができる提携先を紹介したり、ファイナンス的問題を解決することで他分野に波及しうるインパクトを示唆したりすることができると望ましいだろう。単なる商業銀行の融資業務であればファイナンス一本勝負でいけるのかもしれないが(融資業務でも一本勝負じゃ無理だと思っているが)、よりチャレンジングな分野、たとえばPEやVCになると、経営全般に対する引き出しがないとかなりしんどいように思われる(授業にやってきたスピーカー達の話を聞く限り、投資業務といえ、勝負はファイナンス以外のところでつくような印象)。
■ というところまで整理できたのがようやく最近。そうすると、マーケティングや戦略論なども、「この話は顧客に関する問題を分析するためのフレームワークのひとつ」「この公式はフレームワークを使ったあとの定石的ソリューションの計算方法のひとつ」等、ひとつひとつのトピックに意義付けができるようになる。あるいは、自分のレベルではまだ難しいようなトピックについて、大胆にパスできるようになる。そういうわけで、今すきま時間にマーケティングの教科書を読んでいるのだが、一年生のときは文字の羅列にしか見えず嫌気があったのに今ではけっこうおもしろく読むことができる。そういう意味で、このEntre Fin.を取ってよかった。おかげで、他のMBAがもしかすると最初から到達していたレベルに、今更ながら追いつくことができた気がしている。
■ そのおかげで、マーケティングや戦略論などふわふわしていて捉えどころがなく一年生のコア科目のときには味わいきれなかった科目についても、なんとなくではあるがその使い方のようなものが見えてきているような気がする。おそらく多くのMBA学生にとっては自明のことなのだろうが、自分なりに頭の整理がついたので書き残してみる。
■ 思うにMBAで習うことの理解度は、以下のように分類できよう。さながらMBA検定みたい:
レベル1: ビジネスマンとして、ケースあるいは実際の仕事上の出来事について、興味を抱くことができる。そこに問題がある、ということを認識することができる。
レベル2: ケースあるいは実際の出来事について、その話がなんの分野の話か理解することができる。問題意識だけは共有できる(が、分析できないので共感しておしまい)。
(ファイナンスの話なのか、マーケティングの話なのか等)。
レベル3:その話の大分類をぱっと理解できる。
(例:「これはファイナンスの話で、具体的には資金調達の話だな」「これはマーケティングの話で、顧客に関する話だな」)
レベル4: MBA新卒レベル。その話を、自分の頭の中でインデックス化されているフレームワークに落とし込むことができる。問題意識を共有することができるだけではなく、ある程度分析もすることができる(が、答えを知らないので話を先に進められない。上司か顧客自身がソリューションにたどり着いてくれないと解決しない)。
(例:「これは資金調達の話で、具体的には負債と株式のどちらを選ぶかという話だな」「これは顧客に関する話、具体的にはCRMに関する論点だな」)
レベル5:ジュニアコンサルタント・ジュニアバンカーレベル。あるいはちゃんと勉強したMBAレベル。 その話を具体的なフレームワークと照らし合わせた上で、定石的なソリューションを2,3ぱっと思い浮かべることができる。問題を共有し、分析することができ、「とりあえずの議論のスタート地点」として定石たるソリューションを提示することができる(が、柔軟な調整まではできないので、問題を完全に解決することはできない)
(例:「負債か株式かという話では、定石としては、アレとコレを見て判断材料にするよな。さて今回のケースではどうだろう」「一般的にはCRMの打ち手としてはXとYとZがあるな。さて今回はどれが使えそうかな」)
レベル6: シニアコンサルタント、シニアバンカーレベル。 フレームワーク及び定石を念頭に置きつつ、既存知識の組み換え・組み合わせ・あるいはいくつかの閃きにより、今回のケースのためにアイディアをカスタマイズできる(ので、目の前にある程度わかりやすい形で問題を提示してもらえれば、それをおおむね解決することができる)。
(例: 「一般的には今回のようなケースでは負債発行が望ましいが、マーケット環境や経営者の嗜好を踏まえると、劣後債の方が良いのではないだろうか」「定石はメンバーズカードの作成だけど、顧客がメンバーズカードに飽き飽きしている状況を踏まえると、オンラインでコミュニケーションする方がいいかもしれない」)
レベル7: 経営者・アントレプレナーレベル。CFO,マーケター、CEO等として、提示された問題を解決するだけではなく、カオス的な現状のなかから自ら問題を発見あるいは定義することができる。ゼロの状態から財務戦略やマーケティング戦略等を立案・実行することができる。
■ 自分についてみると、少なくともファイナンス系については、レベル5まではおおむね到達できていて、あとは卒業後の実務を通じてアドホックに顧客の問題を解決する経験を積み重ねることでレベル6までは到達できよう。レベル7まで行けるかどうかは、たぶん金融コンサル以外の世界に転身しないと難しそうな気がする。
■ 他方、マーケティングやオペレーション・組織論の分野では、レベル3、せいぜいレベル4くらいにしか到達できていない気がする。自分はオペレーションコンサルタントになるわけではないのでレベル6にまでなる必要はあまりないが、履修したEntre. Finで感じている限り、ファイナンスの分野でレベル6になるためには他の分野もレベル5くらいにはなっておいた方がよさそうだ。「あーー、ここから先はマーケティングの話だね、俺はわからんから死んだふりしてよ」では足りないように思われる。マーケティング的問題や組織論的問題とファイナンス的問題の相互連関などを適切に把握して、マーケ的問題を解決することができる提携先を紹介したり、ファイナンス的問題を解決することで他分野に波及しうるインパクトを示唆したりすることができると望ましいだろう。単なる商業銀行の融資業務であればファイナンス一本勝負でいけるのかもしれないが(融資業務でも一本勝負じゃ無理だと思っているが)、よりチャレンジングな分野、たとえばPEやVCになると、経営全般に対する引き出しがないとかなりしんどいように思われる(授業にやってきたスピーカー達の話を聞く限り、投資業務といえ、勝負はファイナンス以外のところでつくような印象)。
■ というところまで整理できたのがようやく最近。そうすると、マーケティングや戦略論なども、「この話は顧客に関する問題を分析するためのフレームワークのひとつ」「この公式はフレームワークを使ったあとの定石的ソリューションの計算方法のひとつ」等、ひとつひとつのトピックに意義付けができるようになる。あるいは、自分のレベルではまだ難しいようなトピックについて、大胆にパスできるようになる。そういうわけで、今すきま時間にマーケティングの教科書を読んでいるのだが、一年生のときは文字の羅列にしか見えず嫌気があったのに今ではけっこうおもしろく読むことができる。そういう意味で、このEntre Fin.を取ってよかった。おかげで、他のMBAがもしかすると最初から到達していたレベルに、今更ながら追いつくことができた気がしている。
走りながら考える?
昨日のエントリの続き(参照:Link)。昨日のリーディングに関して、派生的に思ったことについて。
■ きのうのリーディングは、
○ 起業家にとって重要なのは商機を逃さないこと、そして実行力。念入りな調査・企画は最重要ではない。
○ 理由1:競争が苛烈なので、アイディアを洗練させることよりもとにかく初めて立場を築く方が重要になる。
○ 理由2:不確実性が高いので、調査しようにも詰め切れない。やってみないとわからないことが多い。
というもので、ありていに言うと「走りながら考える態度」が重要であるというものであった。
■ 実際、自分が見聞きする範囲においても、起業家・経営者と呼ばれる人々は上記のような態度を基本スタンスとしている方が少なくない。戦略性・用意周到さを是としつつも、あくまで行動が伴って価値が出るといった感じ。
■ ところで、こういったスタンスとおおむね反対側にいるのが、学者・評論家なのかなぁと思っている。「走りながら考えて、結果を出す」というよりは、「考え抜いて、真理・あるいは理想を追求する」という感じ。
■ ところで、最近、経営者が日本の政治経済について論評したり、事業仕分け等を通じて政策のプロセスに関与する機会がかなり増えている。経営者あるいは元経営者の多くは、上記「走りながら考える」というスタンスに基づき、さまざまなアイディアを出して「駄目だったら修正するなり中止するなりすればよいのだから、何もしないよりはやった方が良いだろう」と呼びかけ、そういったアクションに対して官僚が守勢に回るといった状況が散見される。
■ この状況、これまでは自分としては良いことだと思っていた。しかし、昨日のリーディングを読んだ結果、少し考え方が変わってきている。「走りながら考える」ことは、いいことかもしれないが、絶対的にいいこととまでは言えないのではないか?と思うようになっている。
■ 走りながら考えるやり方がアントレプレナーに求められるのは、まず走ることのメリットの方が考え抜くことによるメリットより大きいからである。その点、政策立案プロセスにおいては、まず走ることのメリットは起業家ほどには大きくないように思われるし、逆に考え抜かないことによるデメリットが大きいようにも思われるので、ビジネスほどには走りながら考える必要がないのではないか。
○ 国家というのは定義上国内においては独占体であり、実業家の方々のような「俺がやらなかったら、明日にもあいつにやられてしまう」という競争にはさらされていない。外交や金融政策等、国際的な分野では他国政府との競争に直面するが、それも言ってしまえば寡占である。これはすなわち、政府がものごとを急いで決める必要性は、ビジネスと比較すると低いということになる。
○ リーディングにも書かれていたが、方向修正のコストの大小により「走る」と「考える」のバランスは変化する。方向修正に多大なコストが伴う場合、起業家といえど、ある程度考えることに対するウエイトを増す必要がある。その点、政府の各種政策というものは、方向修正のコストが滅茶苦茶大きい。消費税率がいつになっても変わらないこととか、具体例には枚挙にいとまがない。また、特に財政金融の分野では、政府や中央銀行に対する信任が重要。一朝一夕に対応を変えてもおかしくないとマーケットに思われてしまったら最後、今のような財政赤字水準で低金利を享受することは難しくなる。政府の方針はそのような点においてより「ブレない」ものである必要がある。
■ ここまで、ビジネスと政策決定の相違(競争の程度・方向転換コストの大小)を論じた。それにより、ビジネス的「走りながら考える」思考回路は政策決定の実務にそこまで完全にフィットするわけではないということを論じてみた。他方、政策決定は学術行為でないことも同様であることにも留意する必要がある。政策決定には常に不確実性が伴う以上、全員が納得するまで結論を出すことは不経済であるし、おそらく不可能だ。不確実性が伴う以上、現存の情報を頼りに、リスクを承知の上でとにもかくにも決断を下さなくてはならない。決断に躊躇しがちな点・意思決定に不慣れな点においては、官僚や政治家もある意味学者サイドに位置付けることができるように思われる。
■ 昔から、経営者出身の人が日本の政治経済に対して「走りながら考えろ」と提言し、評論家等がその論理の不完全性をあげつらうという不毛なやり取りが散見される。これは、両サイドとも相応に正しいことを言っているのに、お互いが暗黙の前提として抱える思考回路が噛み合っていないので議論も噛み合っていないのではないだろうか。ビジネスマン出身者が「走りながら考えれば良い、というわけではない」ことを理解して、学者・官僚サイドの人が「不確実性は決めない言い訳にはならず、不確実性中でも最善の決定をしなくてはならない」ことを理解することで、現状の政策運営の「空回り感」は多少なり解消されないものかと感じている。
※ ちなみに、そんなことを思っているため、政治家経験者なのに下手な経営者出身者よりもよほど勢いよく(軽いノリで)「やってみようぜ」みたいなことばかり言っている元政治家なんかのことを、自分はどうも好きになれない。軽すぎる。。
■ きのうのリーディングは、
○ 起業家にとって重要なのは商機を逃さないこと、そして実行力。念入りな調査・企画は最重要ではない。
○ 理由1:競争が苛烈なので、アイディアを洗練させることよりもとにかく初めて立場を築く方が重要になる。
○ 理由2:不確実性が高いので、調査しようにも詰め切れない。やってみないとわからないことが多い。
というもので、ありていに言うと「走りながら考える態度」が重要であるというものであった。
■ 実際、自分が見聞きする範囲においても、起業家・経営者と呼ばれる人々は上記のような態度を基本スタンスとしている方が少なくない。戦略性・用意周到さを是としつつも、あくまで行動が伴って価値が出るといった感じ。
■ ところで、こういったスタンスとおおむね反対側にいるのが、学者・評論家なのかなぁと思っている。「走りながら考えて、結果を出す」というよりは、「考え抜いて、真理・あるいは理想を追求する」という感じ。
■ ところで、最近、経営者が日本の政治経済について論評したり、事業仕分け等を通じて政策のプロセスに関与する機会がかなり増えている。経営者あるいは元経営者の多くは、上記「走りながら考える」というスタンスに基づき、さまざまなアイディアを出して「駄目だったら修正するなり中止するなりすればよいのだから、何もしないよりはやった方が良いだろう」と呼びかけ、そういったアクションに対して官僚が守勢に回るといった状況が散見される。
■ この状況、これまでは自分としては良いことだと思っていた。しかし、昨日のリーディングを読んだ結果、少し考え方が変わってきている。「走りながら考える」ことは、いいことかもしれないが、絶対的にいいこととまでは言えないのではないか?と思うようになっている。
■ 走りながら考えるやり方がアントレプレナーに求められるのは、まず走ることのメリットの方が考え抜くことによるメリットより大きいからである。その点、政策立案プロセスにおいては、まず走ることのメリットは起業家ほどには大きくないように思われるし、逆に考え抜かないことによるデメリットが大きいようにも思われるので、ビジネスほどには走りながら考える必要がないのではないか。
○ 国家というのは定義上国内においては独占体であり、実業家の方々のような「俺がやらなかったら、明日にもあいつにやられてしまう」という競争にはさらされていない。外交や金融政策等、国際的な分野では他国政府との競争に直面するが、それも言ってしまえば寡占である。これはすなわち、政府がものごとを急いで決める必要性は、ビジネスと比較すると低いということになる。
○ リーディングにも書かれていたが、方向修正のコストの大小により「走る」と「考える」のバランスは変化する。方向修正に多大なコストが伴う場合、起業家といえど、ある程度考えることに対するウエイトを増す必要がある。その点、政府の各種政策というものは、方向修正のコストが滅茶苦茶大きい。消費税率がいつになっても変わらないこととか、具体例には枚挙にいとまがない。また、特に財政金融の分野では、政府や中央銀行に対する信任が重要。一朝一夕に対応を変えてもおかしくないとマーケットに思われてしまったら最後、今のような財政赤字水準で低金利を享受することは難しくなる。政府の方針はそのような点においてより「ブレない」ものである必要がある。
■ ここまで、ビジネスと政策決定の相違(競争の程度・方向転換コストの大小)を論じた。それにより、ビジネス的「走りながら考える」思考回路は政策決定の実務にそこまで完全にフィットするわけではないということを論じてみた。他方、政策決定は学術行為でないことも同様であることにも留意する必要がある。政策決定には常に不確実性が伴う以上、全員が納得するまで結論を出すことは不経済であるし、おそらく不可能だ。不確実性が伴う以上、現存の情報を頼りに、リスクを承知の上でとにもかくにも決断を下さなくてはならない。決断に躊躇しがちな点・意思決定に不慣れな点においては、官僚や政治家もある意味学者サイドに位置付けることができるように思われる。
■ 昔から、経営者出身の人が日本の政治経済に対して「走りながら考えろ」と提言し、評論家等がその論理の不完全性をあげつらうという不毛なやり取りが散見される。これは、両サイドとも相応に正しいことを言っているのに、お互いが暗黙の前提として抱える思考回路が噛み合っていないので議論も噛み合っていないのではないだろうか。ビジネスマン出身者が「走りながら考えれば良い、というわけではない」ことを理解して、学者・官僚サイドの人が「不確実性は決めない言い訳にはならず、不確実性中でも最善の決定をしなくてはならない」ことを理解することで、現状の政策運営の「空回り感」は多少なり解消されないものかと感じている。
※ ちなみに、そんなことを思っているため、政治家経験者なのに下手な経営者出身者よりもよほど勢いよく(軽いノリで)「やってみようぜ」みたいなことばかり言っている元政治家なんかのことを、自分はどうも好きになれない。軽すぎる。。
Friday, November 25, 2011
えいご
英語について最近感じていること。
■ ミスに対する鋭敏さが、(良くも悪くも)ますます低下している。
ミーティングで単語が出てこなくても、気にせず時間をかけて「えーと、えーと」とやっても罪悪感をあまり感じなくなったり。あるいは、たまにブログに英語のリーディングを自分なりに咀嚼したものを書いているが、もはや原文と自分の文章の整合性など1ミリも気にならない。ミスっても躊躇しなくなるという心的状態を達成するだけなら、とりあえず1年ちょっとである程度は達成できたのかもしれない。流暢に英語を操るという本来の目的からは程遠いのだが、「とりあえずゴルフで100切った」という感じだろうか。
■ 「学ぶ=まねぶ」はガチ。
聞き取り能力、自身の発音、語彙等、すべての点において、こちらに来て同級生とのやり取りで揉まれたおかげで英語力が上達した感覚がある。打ちっぱなしでしか練習していなかった人が、実際にゴルフコースに出ることですいすい上達するような感覚。逆に、海外に出ることもなくいきなりTOEFL100点以上取ろうとしていた昔の自分の効率の悪さといったら...
■ 進行形・現在完了形を多用するようになった。
とりあえずI amといってから考えれば良い...というヘタレな側面もあるが、普通に現在形を使う頻度は極端に少なく、もっぱら現在進行形あるいは現在完了形でしゃべっているような気がする。
■ ごまかし表現が増えた。
You know, kind of, wellとかを結構言葉と言葉の間に挟むようになった。しゃべりの上でナチュラルさは出ているのかもしれないが、もしかすると書きがラフになってしまっているかも。
■ 二重人格度が増している。
同じ人に対するときでも、日本語ではぺこりぺこり、英語では胸を張って歯を見せて「Hey, hou are you!」と握手を求めたり。郷に入っては...ではないが、やはり当地ではアメリカ式に堂々と振る舞う方が自然。自然に振る舞おうと思えば、結果的に二重人格になる感じ。自分は留学生でまだ「へへ、俺二重人格じゃん」と楽しんでいれば良いが、こちらが長い人などで、たまにこの二重性にわりと真剣に苦しんでいる人がいたりするのを見ると大変そう。。
■ メールとFBがちょっとした訓練になっている。
同級生とちょっとした日程調整をするときでも、彼らのラフながらも簡潔でかっこいい表現とかを見ると勉強になる。FBも然り。フォーマルな英語とラフな英語がこうも異なるのだということを体得できる。数十年前の留学生と比較して、この点は圧倒的に恵まれていると思う。
以上とりとめなく...
■ ミスに対する鋭敏さが、(良くも悪くも)ますます低下している。
ミーティングで単語が出てこなくても、気にせず時間をかけて「えーと、えーと」とやっても罪悪感をあまり感じなくなったり。あるいは、たまにブログに英語のリーディングを自分なりに咀嚼したものを書いているが、もはや原文と自分の文章の整合性など1ミリも気にならない。ミスっても躊躇しなくなるという心的状態を達成するだけなら、とりあえず1年ちょっとである程度は達成できたのかもしれない。流暢に英語を操るという本来の目的からは程遠いのだが、「とりあえずゴルフで100切った」という感じだろうか。
■ 「学ぶ=まねぶ」はガチ。
聞き取り能力、自身の発音、語彙等、すべての点において、こちらに来て同級生とのやり取りで揉まれたおかげで英語力が上達した感覚がある。打ちっぱなしでしか練習していなかった人が、実際にゴルフコースに出ることですいすい上達するような感覚。逆に、海外に出ることもなくいきなりTOEFL100点以上取ろうとしていた昔の自分の効率の悪さといったら...
■ 進行形・現在完了形を多用するようになった。
とりあえずI amといってから考えれば良い...というヘタレな側面もあるが、普通に現在形を使う頻度は極端に少なく、もっぱら現在進行形あるいは現在完了形でしゃべっているような気がする。
■ ごまかし表現が増えた。
You know, kind of, wellとかを結構言葉と言葉の間に挟むようになった。しゃべりの上でナチュラルさは出ているのかもしれないが、もしかすると書きがラフになってしまっているかも。
■ 二重人格度が増している。
同じ人に対するときでも、日本語ではぺこりぺこり、英語では胸を張って歯を見せて「Hey, hou are you!」と握手を求めたり。郷に入っては...ではないが、やはり当地ではアメリカ式に堂々と振る舞う方が自然。自然に振る舞おうと思えば、結果的に二重人格になる感じ。自分は留学生でまだ「へへ、俺二重人格じゃん」と楽しんでいれば良いが、こちらが長い人などで、たまにこの二重性にわりと真剣に苦しんでいる人がいたりするのを見ると大変そう。。
■ メールとFBがちょっとした訓練になっている。
同級生とちょっとした日程調整をするときでも、彼らのラフながらも簡潔でかっこいい表現とかを見ると勉強になる。FBも然り。フォーマルな英語とラフな英語がこうも異なるのだということを体得できる。数十年前の留学生と比較して、この点は圧倒的に恵まれていると思う。
以上とりとめなく...
戦略的起業??
アントレプレナーシップと戦略に関するHBSのリーディング。超ざっくり言うと「みんな、そんなに考え抜いたうえで会社作ったわけじゃないから。成功要因はビジネスプラン以外のところにある」みたいな感じのもの。
■ 商機をつかみ損ねるようでは、いくら入念な分析をしても却って害になるだけ。
○ 1月に始めていれば成功していたビジネスは、12月に始めても成功しない。詳細な分析は往々にして適切なタイミングでの参入を遅らせるだけのものだ。
○ 教授が学生を使って1989年に500社に対して行った調査によると、成功した起業家の多くは調査・分析にはさほどの時間を費やしていない。ちゃんとしたビジネスプランを書いてから始めたのは全体の28%に過ぎず、41%はビジネスプランなど全く書くことなく事業を始めている。実際の顧客とのやり取りを通じてビジネスを進化させているような事例がみられる。
○ 1990年にNational Foundation of Independent Businessにより行われた2,994のスタートアップに対して行われた調査によれば、調査や企画立案に長い時間を費やした創業者が最初の3年間を生き延びる可能性は、企画立案なしで単にチャンスをモノにした創業者の生存可能性より低かった。
■ しかし、成功した起業家が皆戦略なしに無為にリスクテイクしていたかというと、そういうわけではない。
○ 彼らの多くは、「入念な分析」と「無為無策」の間にある「迅速でお手軽なアプローチ」を使っている。起業家は完璧を期していない。一般的な企業実務とは異なり、アントレ的アプローチは経済的で時宜にかなっているものなのだ。その一般的な分類は以下の3つで、以下これらについて論じる:
1. すぱっと商機を嗅ぎ分け、いいアイディアと悪いアイディアを選り分ける
2. ぱっとアイディアを分析する。2,3の重要な論点にフォーカスする。
3. 100点満点の答えが出るまで動かないのではなく、分析しつつ行動する。方向転換する準備を怠らない。
1. 迅速なスクリーニング
○ 駄目なアイディアをすぱっと切り捨て、少数の見込みあるアイディアに集中すること。いいかダメか選り分けるのはデータではなく判断力。アイディアの良しあし、あるいは実行力の有無について、下記のクライテリアなどを参照しつつすぱっと判断すること。
○ 多くのベンチャーは、創業者が顧客あるいは従業員として実際に経験した問題を解決するために作られていることが多い。大学出の若者がゼロから築き上げる事例はレアケースだ。自分の調査によれば、71%の起業家は過去の仕事で遭遇したアイディアを修正あるいは模倣することでビジネスを始めており、20%は偶然アイディアを見つけている。調査の結果アイディアをひねり出した人は全体の4%に過ぎなかった。
○ 素晴らしいプロダクトを作ることや商機に繋がる外部要因の変化を察知することは重要。しかし、同様に重要なのは実行力。とりわけ、簡単にパクられないようにするための実行力が重要。特許取得、秘密保持、ブランド確立等、参入障壁を築き上げる実行力が重要。
○ 似たようなアイディアを複数の人が持っているような状況では、アイディアを洗練させた人よりも、とにかく初めて迅速に成長させた人が勝つ。
・ スクリーニングにおける3つのポイント
○ 世界を変えるのか、ニッチなのか:野心的な目的をもつ会社なら強いクリエイティビティや実行力が必要。ニッチを捉えようとする会社なら、ものすごく斬新なアイディアを持っている必要はなく、単にあなたが見つけたニッチの顧客を満たすようなプロダクトを用意することだ。また、ニッチの場合、顧客教育コスト・流通や生産におけるイノベーションはペイしないのが普通。既存の流通網を使って、既存の枠組みの範囲で、既存のニッチ顧客にサーブすることが肝要。自身のビジネスがどちら側なのか検討すること。
○ 外部環境は変化しているか:新しい、あるいは変化している業界で商機を見つけることは、成熟した業界で商機を見つけることよりも容易。成功するまでの実行の段階では大きな不確実性が伴うが、それでも外部環境の変化(新市場の登場・既存市場の変化)が成功のための大きなレバレッジを提供してくれるのは確か。
○ バランスシートで勝負するのか、人の才覚で勝負するのか:資産(工場・ブランド・ホテル等)の良しあしが勝負の決め手の場合、そういった資産を蓄積することは自然に参入障壁となる。スタートアップがこういったビジネスに食い込むためには、技術革新などがマストだ。他方、人の才覚が勝負の決め手となるようなコンサルティングやヘッドハンティングのようなビジネスであれば、決め手のかなりの部分が創業者の才覚となる。ただし、組織として大きくするためには、創業者は組織化に関する能力にも長けている必要がある。すなわち、良い人材を採用するスキル・従業員のインセンティブを良い方向に刺激する能力など。
2. アイディアを「ぱっと」分析する:
・ NPVのような包括的かつシンプルな尺度など使えない。ケースバイケースにいくつかの論点について検討しないとならない。主なものは以下のようなもの:
○ 資本集約度
○ 高マージン
○ 低固定費
○ 廃業コストの低さ
○ なるべく早い段階で失敗を認識し、引き返せること
○ 失敗しても時間・金・評判などを極力失わないこと
○ 流動性:他の商機に移りづらいような非流動的なビジネスは創業者にとってシンドイ
○ 創業者の価値観や求めるもの:デコボコ道を進み続けるためには、情熱の維持が必要。
野心的なビジネスには狂信的と言えるほどのコミットがある人が適しているし、逆も然り。
○ 人で勝負するビジネスの場合、育ったところで売るというのが難しいので、長期的なコミットが必要。
3. お手軽な企画・分析
・ 出発点として、起業家はリサーチに費やす時間を極小化して、行動に時間を割く必要がある。起業においては通常の企業戦略よりも論点が多く、そもそも困難。考えるべくは以下のようなもの:
○ 不確実性の存在を認識すること。そして、その不確実性は、調べてなんとかなるものではない。
○ できない調査をしようとしない。
○ FedExのような野心的なベンチャーを作るわけでもないなら、包括的なビジネスプランは不要。
○ 売上予測はとりわけ困難だが、顧客(購買プロセス・プロダクトの使い方)を理解することは有益。
○ 参入障壁
○ ニッチ:規模の経済性がないので、顧客獲得コストが便益にペイしない可能性があるので注意。
また、既存品に対する圧倒的な優位性がないと、顧客は自社プロダクトには移行してくれない。
また、協力者(販売代理店等)の取り分が過度に小さいようではビジネスが続かない点にも注意。
ニッチなら良いわけではなく、然るべきコストは必要で、それを回収できるか検討する必要。
○ 変化が速い業界では、戦略よりもオペレーションが重要なことが多い。製品開発計画や採用など。
○ 才覚勝負の世界では、商機分析の暇があれば、今目の前にある商機をつかむことに専念すべき。
組織に関する戦略は予め練っておくほうが良い。
○ ここまで分析の無意味性を強調してきたが、短期資金繰りに関する簡単な計算は身を助ける。
■ 戦略と行動の統合
○ そもそも行動とプランニングを切り分けることは困難。行動しないと詰め切れない戦略も存在。
○ 戦略が定まり切る前に動くメリットが存在。
○ スタートアップの規模により、試行錯誤できる程度が異なる点には注意。
○ ステージに分けて分析することもできる。ちょっと分析しては動いて・・・
○ 迅速な改善が鍵。問題直面→分析というので良い。
○ スマートかつ傲慢であれ:誤りを修正できる程度において傲慢とも言える自信が必要。
■ 商機をつかみ損ねるようでは、いくら入念な分析をしても却って害になるだけ。
○ 1月に始めていれば成功していたビジネスは、12月に始めても成功しない。詳細な分析は往々にして適切なタイミングでの参入を遅らせるだけのものだ。
○ 教授が学生を使って1989年に500社に対して行った調査によると、成功した起業家の多くは調査・分析にはさほどの時間を費やしていない。ちゃんとしたビジネスプランを書いてから始めたのは全体の28%に過ぎず、41%はビジネスプランなど全く書くことなく事業を始めている。実際の顧客とのやり取りを通じてビジネスを進化させているような事例がみられる。
○ 1990年にNational Foundation of Independent Businessにより行われた2,994のスタートアップに対して行われた調査によれば、調査や企画立案に長い時間を費やした創業者が最初の3年間を生き延びる可能性は、企画立案なしで単にチャンスをモノにした創業者の生存可能性より低かった。
■ しかし、成功した起業家が皆戦略なしに無為にリスクテイクしていたかというと、そういうわけではない。
○ 彼らの多くは、「入念な分析」と「無為無策」の間にある「迅速でお手軽なアプローチ」を使っている。起業家は完璧を期していない。一般的な企業実務とは異なり、アントレ的アプローチは経済的で時宜にかなっているものなのだ。その一般的な分類は以下の3つで、以下これらについて論じる:
1. すぱっと商機を嗅ぎ分け、いいアイディアと悪いアイディアを選り分ける
2. ぱっとアイディアを分析する。2,3の重要な論点にフォーカスする。
3. 100点満点の答えが出るまで動かないのではなく、分析しつつ行動する。方向転換する準備を怠らない。
1. 迅速なスクリーニング
○ 駄目なアイディアをすぱっと切り捨て、少数の見込みあるアイディアに集中すること。いいかダメか選り分けるのはデータではなく判断力。アイディアの良しあし、あるいは実行力の有無について、下記のクライテリアなどを参照しつつすぱっと判断すること。
○ 多くのベンチャーは、創業者が顧客あるいは従業員として実際に経験した問題を解決するために作られていることが多い。大学出の若者がゼロから築き上げる事例はレアケースだ。自分の調査によれば、71%の起業家は過去の仕事で遭遇したアイディアを修正あるいは模倣することでビジネスを始めており、20%は偶然アイディアを見つけている。調査の結果アイディアをひねり出した人は全体の4%に過ぎなかった。
○ 素晴らしいプロダクトを作ることや商機に繋がる外部要因の変化を察知することは重要。しかし、同様に重要なのは実行力。とりわけ、簡単にパクられないようにするための実行力が重要。特許取得、秘密保持、ブランド確立等、参入障壁を築き上げる実行力が重要。
○ 似たようなアイディアを複数の人が持っているような状況では、アイディアを洗練させた人よりも、とにかく初めて迅速に成長させた人が勝つ。
・ スクリーニングにおける3つのポイント
○ 世界を変えるのか、ニッチなのか:野心的な目的をもつ会社なら強いクリエイティビティや実行力が必要。ニッチを捉えようとする会社なら、ものすごく斬新なアイディアを持っている必要はなく、単にあなたが見つけたニッチの顧客を満たすようなプロダクトを用意することだ。また、ニッチの場合、顧客教育コスト・流通や生産におけるイノベーションはペイしないのが普通。既存の流通網を使って、既存の枠組みの範囲で、既存のニッチ顧客にサーブすることが肝要。自身のビジネスがどちら側なのか検討すること。
○ 外部環境は変化しているか:新しい、あるいは変化している業界で商機を見つけることは、成熟した業界で商機を見つけることよりも容易。成功するまでの実行の段階では大きな不確実性が伴うが、それでも外部環境の変化(新市場の登場・既存市場の変化)が成功のための大きなレバレッジを提供してくれるのは確か。
○ バランスシートで勝負するのか、人の才覚で勝負するのか:資産(工場・ブランド・ホテル等)の良しあしが勝負の決め手の場合、そういった資産を蓄積することは自然に参入障壁となる。スタートアップがこういったビジネスに食い込むためには、技術革新などがマストだ。他方、人の才覚が勝負の決め手となるようなコンサルティングやヘッドハンティングのようなビジネスであれば、決め手のかなりの部分が創業者の才覚となる。ただし、組織として大きくするためには、創業者は組織化に関する能力にも長けている必要がある。すなわち、良い人材を採用するスキル・従業員のインセンティブを良い方向に刺激する能力など。
2. アイディアを「ぱっと」分析する:
・ NPVのような包括的かつシンプルな尺度など使えない。ケースバイケースにいくつかの論点について検討しないとならない。主なものは以下のようなもの:
○ 資本集約度
○ 高マージン
○ 低固定費
○ 廃業コストの低さ
○ なるべく早い段階で失敗を認識し、引き返せること
○ 失敗しても時間・金・評判などを極力失わないこと
○ 流動性:他の商機に移りづらいような非流動的なビジネスは創業者にとってシンドイ
○ 創業者の価値観や求めるもの:デコボコ道を進み続けるためには、情熱の維持が必要。
野心的なビジネスには狂信的と言えるほどのコミットがある人が適しているし、逆も然り。
○ 人で勝負するビジネスの場合、育ったところで売るというのが難しいので、長期的なコミットが必要。
3. お手軽な企画・分析
・ 出発点として、起業家はリサーチに費やす時間を極小化して、行動に時間を割く必要がある。起業においては通常の企業戦略よりも論点が多く、そもそも困難。考えるべくは以下のようなもの:
○ 不確実性の存在を認識すること。そして、その不確実性は、調べてなんとかなるものではない。
○ できない調査をしようとしない。
○ FedExのような野心的なベンチャーを作るわけでもないなら、包括的なビジネスプランは不要。
○ 売上予測はとりわけ困難だが、顧客(購買プロセス・プロダクトの使い方)を理解することは有益。
○ 参入障壁
○ ニッチ:規模の経済性がないので、顧客獲得コストが便益にペイしない可能性があるので注意。
また、既存品に対する圧倒的な優位性がないと、顧客は自社プロダクトには移行してくれない。
また、協力者(販売代理店等)の取り分が過度に小さいようではビジネスが続かない点にも注意。
ニッチなら良いわけではなく、然るべきコストは必要で、それを回収できるか検討する必要。
○ 変化が速い業界では、戦略よりもオペレーションが重要なことが多い。製品開発計画や採用など。
○ 才覚勝負の世界では、商機分析の暇があれば、今目の前にある商機をつかむことに専念すべき。
組織に関する戦略は予め練っておくほうが良い。
○ ここまで分析の無意味性を強調してきたが、短期資金繰りに関する簡単な計算は身を助ける。
■ 戦略と行動の統合
○ そもそも行動とプランニングを切り分けることは困難。行動しないと詰め切れない戦略も存在。
○ 戦略が定まり切る前に動くメリットが存在。
○ スタートアップの規模により、試行錯誤できる程度が異なる点には注意。
○ ステージに分けて分析することもできる。ちょっと分析しては動いて・・・
○ 迅速な改善が鍵。問題直面→分析というので良い。
○ スマートかつ傲慢であれ:誤りを修正できる程度において傲慢とも言える自信が必要。
Thursday, November 24, 2011
Thanksgiving
■ Thanksgiving Dayだが、ターキーもショッピングへの行列もなく、平穏な一日。妻子が遊びに出てくれたので、むしろ普段よりもがっつりと勉強することができていい一日だった。
■ 勉強中なんとなしに思ったことをメモ。
□ 情報収集と情報分析は別モノ。より付加価値が高いのは情報分析なんだろうけど、けっこう情報収集だって楽ではない
□ 企業の各種行動を分析することと、企業内でなんらかの行動について企画立案することは別モノ。息抜きにマーケティングの教科書を読んだのだが、「分析のためのツールを得たい」と思いながら読むのと「マーケティング戦略を策定したい」と思って読むのでは同じ本でもまったく読み方が変わってきそうだなと思った(例えば、How to develop marketing planみたいなトピックは、分析ツールを学びたい自分にとっては今のところ読む気が起きない)。
□ マーケティングの教科書に出てくるSalesの話というと、経営者目線で、誤解を恐れずに言うと「駄目なセールス担当者でも売り上げを取れるような仕組みづくり」みたいな感じがする。セールス担当者個人個人のボトムアップとか、より良い顧客の落とし方といった、現場担当者目線の話はあまり出てこない。まあでも、日本でもアメリカでも、スーパーセールスマンと言われるような人々は学問的アプローチというよりは経験則による他人による再現不可能な個別の技によって顧客にアプローチしているような気がするので、マーケティングという学問がこの分野をカバーしている必要もないのかもしれないが。
□ 少なくとも自分の会社については、営業担当者におんぶにだっこの側面が強く、もう少しマーケティング戦略のようなものがあってもいいのかもしれない。販売する商品から販売する先、あるいは売り方といったところまで、あまりにトップダウンの押し付けがあっても現場はやりづらいだろうが、現場にお任せではやや効率が悪いのではないだろうか。
■ 勉強中なんとなしに思ったことをメモ。
□ 情報収集と情報分析は別モノ。より付加価値が高いのは情報分析なんだろうけど、けっこう情報収集だって楽ではない
□ 企業の各種行動を分析することと、企業内でなんらかの行動について企画立案することは別モノ。息抜きにマーケティングの教科書を読んだのだが、「分析のためのツールを得たい」と思いながら読むのと「マーケティング戦略を策定したい」と思って読むのでは同じ本でもまったく読み方が変わってきそうだなと思った(例えば、How to develop marketing planみたいなトピックは、分析ツールを学びたい自分にとっては今のところ読む気が起きない)。
□ マーケティングの教科書に出てくるSalesの話というと、経営者目線で、誤解を恐れずに言うと「駄目なセールス担当者でも売り上げを取れるような仕組みづくり」みたいな感じがする。セールス担当者個人個人のボトムアップとか、より良い顧客の落とし方といった、現場担当者目線の話はあまり出てこない。まあでも、日本でもアメリカでも、スーパーセールスマンと言われるような人々は学問的アプローチというよりは経験則による他人による再現不可能な個別の技によって顧客にアプローチしているような気がするので、マーケティングという学問がこの分野をカバーしている必要もないのかもしれないが。
□ 少なくとも自分の会社については、営業担当者におんぶにだっこの側面が強く、もう少しマーケティング戦略のようなものがあってもいいのかもしれない。販売する商品から販売する先、あるいは売り方といったところまで、あまりにトップダウンの押し付けがあっても現場はやりづらいだろうが、現場にお任せではやや効率が悪いのではないだろうか。
Wednesday, November 23, 2011
レバレッジ
■ 日本人とアメリカ人、と言うか自分とクラスメイトの違いのようなものについて。この違いは日本人にわりと一般的にあてはまる気もするが、念のため自分の特性として日本人全体の特性とまでは言わないことにする。
○ 自分はどうも、「普段から鍛錬を重ねておけば、本番では力が『出る』」という考え方に立脚して行動しているように思われる。すなわち、日々の鍛練と本番でリラックスして自然体で臨むことが重要であり、本番では「結果として」100%のパフォーマンスが発揮されればという感覚。
○ 他方、アメリカ人は、普段の鍛練の有無や程度はさておき、本番で120%の力を出す印象が強い。普段ゆるーく遊んでいるような同級生が、試験当日に驚異的に細かい文字のCheating Sheet持参で目を真っ赤にして試験に臨む。
○ その結果が、「終わってみれば平均点はとても高く、ふたつほどケアレスミスしてしまった自分は最早平均点集団に飲み込まれ...」みたいな。
○ なんというか、彼らにはレバレッジ力のようなものを感じる。実力以上の力を発揮する能力というか、当日に大爆発できるようなメンタリティが備わっているというか。ゴルフとか見ていても、日本人選手と比較してアメリカ人選手は爆発力がある気がするし。今度同級生に仮説をぶつけてみようかと思うが、自分が考えているような「普段から頑張っているのだから、今日は普通にやれば大丈夫だよ」的な発想は彼らにとって弱々しく聞こえるのかもしれない。
○ このレバレッジ力を感じるのは、試験のときと、グループワークのとき。自分は大抵締切前日には気持ちの上で一段落してしまうのだが、アメリカ人同級生は得てして締切1時間前あるいは締切直前までハイテンション。これまでは「どうしてもっと早く燃えないんだ」と一方的に批判的に見ていたが、見方によってはイケてないのは自分の方なのかもしれない。この「アメリカ人のレバレッジ力」あるいは彼らの燃えるタイミングを理解できていれば、彼らが燃えるまでちゃんと待ってあげることができて、結果として誰もかれもが直前に燃えてすごいアウトプットができあがる...ということが期待できたのかもしれない。
○ また、もしかすると、このレバレッジ力をEmbraceすることこそが自分に残された数少ない成長余地である可能性もある。日々の鍛練はそこそこできている。それに加えて直前に今一度燃えることができるようなメンタリティを身に着けることができたら、割とすごいことになるのではないか。。。まああちらを立てればこちらが立たないということになってしまいそうだけれど。。。
○ 自分はどうも、「普段から鍛錬を重ねておけば、本番では力が『出る』」という考え方に立脚して行動しているように思われる。すなわち、日々の鍛練と本番でリラックスして自然体で臨むことが重要であり、本番では「結果として」100%のパフォーマンスが発揮されればという感覚。
○ 他方、アメリカ人は、普段の鍛練の有無や程度はさておき、本番で120%の力を出す印象が強い。普段ゆるーく遊んでいるような同級生が、試験当日に驚異的に細かい文字のCheating Sheet持参で目を真っ赤にして試験に臨む。
○ その結果が、「終わってみれば平均点はとても高く、ふたつほどケアレスミスしてしまった自分は最早平均点集団に飲み込まれ...」みたいな。
○ なんというか、彼らにはレバレッジ力のようなものを感じる。実力以上の力を発揮する能力というか、当日に大爆発できるようなメンタリティが備わっているというか。ゴルフとか見ていても、日本人選手と比較してアメリカ人選手は爆発力がある気がするし。今度同級生に仮説をぶつけてみようかと思うが、自分が考えているような「普段から頑張っているのだから、今日は普通にやれば大丈夫だよ」的な発想は彼らにとって弱々しく聞こえるのかもしれない。
○ このレバレッジ力を感じるのは、試験のときと、グループワークのとき。自分は大抵締切前日には気持ちの上で一段落してしまうのだが、アメリカ人同級生は得てして締切1時間前あるいは締切直前までハイテンション。これまでは「どうしてもっと早く燃えないんだ」と一方的に批判的に見ていたが、見方によってはイケてないのは自分の方なのかもしれない。この「アメリカ人のレバレッジ力」あるいは彼らの燃えるタイミングを理解できていれば、彼らが燃えるまでちゃんと待ってあげることができて、結果として誰もかれもが直前に燃えてすごいアウトプットができあがる...ということが期待できたのかもしれない。
○ また、もしかすると、このレバレッジ力をEmbraceすることこそが自分に残された数少ない成長余地である可能性もある。日々の鍛練はそこそこできている。それに加えて直前に今一度燃えることができるようなメンタリティを身に着けることができたら、割とすごいことになるのではないか。。。まああちらを立てればこちらが立たないということになってしまいそうだけれど。。。
Tuesday, November 22, 2011
実はすごいぞベルルスコーニ
火曜日。
■ ミーティングが終わってから、チームに2人いる交換留学生と雑談。面白かったのでメモ
○ ベルルスコーニは、まあ女好きだし権力へのしがみつき方も他国から見たら汚いかもしれないが、ビジネスマンとしては世界でも有数のタマで、尊敬してよいと思う (イタリア人同級生)
○ UCLAは思いがけず不動産が強い。知らずに来たが、たまたま取った不動産の授業とか超面白いやっぱ不動産はアメリカだよね(スペイン人同級生)
○ 戦略系の授業が少ないのが気になった(両方)
■ 夜には、先日の大学の同窓会での縁を頼り、近所で開催されている日本人日系人のコミュニティにお邪魔。現地で活躍するビジネスマンの話を聞いたり。なかなか面白かった。日本人ばかりと思っていたらけっこう外国人もいて、「おじぎして挨拶」と「胸をピンと張って握手」の切り替えに四苦八苦。
○ こういう場に来ると(こないだのボスキャリもそうだったのだが)、MBA教育はさておきMBAの授業やグループワークで外国人に揉まれまくっているこの環境はかなり恵まれていることがわかる。自分が思いがけずコミュニケーション方面で鍛えられていることがわかるのだ。学校だけにいるとコミュニケーション力不足に自信を失ってばかりなので、たまにこういう場で自己満足に浸るくらい許してもらおうかと。。
■ ミーティングが終わってから、チームに2人いる交換留学生と雑談。面白かったのでメモ
○ ベルルスコーニは、まあ女好きだし権力へのしがみつき方も他国から見たら汚いかもしれないが、ビジネスマンとしては世界でも有数のタマで、尊敬してよいと思う (イタリア人同級生)
○ UCLAは思いがけず不動産が強い。知らずに来たが、たまたま取った不動産の授業とか超面白いやっぱ不動産はアメリカだよね(スペイン人同級生)
○ 戦略系の授業が少ないのが気になった(両方)
■ 夜には、先日の大学の同窓会での縁を頼り、近所で開催されている日本人日系人のコミュニティにお邪魔。現地で活躍するビジネスマンの話を聞いたり。なかなか面白かった。日本人ばかりと思っていたらけっこう外国人もいて、「おじぎして挨拶」と「胸をピンと張って握手」の切り替えに四苦八苦。
○ こういう場に来ると(こないだのボスキャリもそうだったのだが)、MBA教育はさておきMBAの授業やグループワークで外国人に揉まれまくっているこの環境はかなり恵まれていることがわかる。自分が思いがけずコミュニケーション方面で鍛えられていることがわかるのだ。学校だけにいるとコミュニケーション力不足に自信を失ってばかりなので、たまにこういう場で自己満足に浸るくらい許してもらおうかと。。
Monday, November 21, 2011
ベンチャー企業と中小企業
■ 月曜日はEntrepreneurial Financeの日。もう一日このために使うといっても過言ではなく、別記事に書いた教授とのミーティングとかを除いたら、朝から夕方の授業開始までひたすらミーティングで論点を詰めて、夕方から3時間かけてみっちりと授業を受けて。毎度毎度、授業が終わる7時にはヘトヘトになってしまう。。
■ 今回のテーマのひとつはベンチャーキャピタル。で、しっかり、元教え子のベンチャーキャピタリストが教室にやってくる。教授との付き合いも長いようで、課題のケースのことを知り尽くしており、こちらが言う各種アイディアに対して現場目線のフィードバックを返してくれて面白い。また、ケースをやっつけた後にはその人の仕事や考え方についても話をしてくれるので実に面白い。教授が年で人の話をそこまで柔軟には聞かないところなどを割り引いても、本当にこの授業は素晴らしい。
■ で、せっかくだったので、今のリサーチでもやもやと問題意識を持っていた「ベンチャーと中小企業の違いは何か」と尋ねてみた。すると
「VCが投資したくなるようなビジネスがベンチャー企業で、そうでないのがスモールビジネスだ。VC投資は10社中2,3社がホームランならそれでよいと言うビジネス。ホームランになってくれないなら投資する価値がない。ニッチでもWorld Changingでも何でもいいが、いずれにせよビリオンレベルの強いマーケットポテンシャルやそれをグリップできるだけの経営力などが要件になると思う」
という回答が来た。ややVC寄りの偏ったアイデアな気もするが、これまでのベンチャー対中小企業という分類で一番腑に落ちた。
■ そこで改めて思うのだが、今の日本でベンチャーあるいはベンチャーキャピタルは拡大しうるのだろうか。ビリオンレベルのマーケットが重要なら、日本発という時点でかなり厳しくないか。シリコンバレー発なら、アメリカ人の30%を捕まえるだけでも1億人の顧客が見込めるし、英語なので容易にグローバル展開できる。その点、日本発ベンチャーは日本語あるいは日本文化という特性があるゆえにグローバル展開も難しいし、国内市場だけでは上記ベンチャーの定義にあてはまるようなホームランが出る可能性も高くない。ヒットしてもたったのウン億円ということでは、やはり盛り上がりに欠けてしまうのではないか。。これまでは「ベンチャー=IT」みたいなものすごくラフなイメージしか持ち合わせていなかったのだが、その点において、日本の殆どのITスタートアップはベンチャーとは言い難いのではないか。。
■ ベンチャーキャピタル投資に見合うビックジャンプが望めないのであれば、エンジェルに頼るか、あるいは伝統的な銀行融資と自己資金でファイナンスすることになる。いまぼんやりと思っているのは、日本では相当程度そういった伝統的ファイナンスで十分なのではないだろうかということ。むしろ、下手にベンチャーキャピタルが対して成長が望めない会社にファイナンスしてあげてしまっているという側面があったりしないのだろうか。。爆発的な成長が見込めないのであれば、自己資金でオーガニックに成長した方が変にVC資金を入れるよりもフィットしているのではないか。。
とか何とか思うなど。と言いつつも帰国したらベンチャーキャピタルで働きたいとか思っていたりするのだが。。
■ 今回のテーマのひとつはベンチャーキャピタル。で、しっかり、元教え子のベンチャーキャピタリストが教室にやってくる。教授との付き合いも長いようで、課題のケースのことを知り尽くしており、こちらが言う各種アイディアに対して現場目線のフィードバックを返してくれて面白い。また、ケースをやっつけた後にはその人の仕事や考え方についても話をしてくれるので実に面白い。教授が年で人の話をそこまで柔軟には聞かないところなどを割り引いても、本当にこの授業は素晴らしい。
■ で、せっかくだったので、今のリサーチでもやもやと問題意識を持っていた「ベンチャーと中小企業の違いは何か」と尋ねてみた。すると
「VCが投資したくなるようなビジネスがベンチャー企業で、そうでないのがスモールビジネスだ。VC投資は10社中2,3社がホームランならそれでよいと言うビジネス。ホームランになってくれないなら投資する価値がない。ニッチでもWorld Changingでも何でもいいが、いずれにせよビリオンレベルの強いマーケットポテンシャルやそれをグリップできるだけの経営力などが要件になると思う」
という回答が来た。ややVC寄りの偏ったアイデアな気もするが、これまでのベンチャー対中小企業という分類で一番腑に落ちた。
■ そこで改めて思うのだが、今の日本でベンチャーあるいはベンチャーキャピタルは拡大しうるのだろうか。ビリオンレベルのマーケットが重要なら、日本発という時点でかなり厳しくないか。シリコンバレー発なら、アメリカ人の30%を捕まえるだけでも1億人の顧客が見込めるし、英語なので容易にグローバル展開できる。その点、日本発ベンチャーは日本語あるいは日本文化という特性があるゆえにグローバル展開も難しいし、国内市場だけでは上記ベンチャーの定義にあてはまるようなホームランが出る可能性も高くない。ヒットしてもたったのウン億円ということでは、やはり盛り上がりに欠けてしまうのではないか。。これまでは「ベンチャー=IT」みたいなものすごくラフなイメージしか持ち合わせていなかったのだが、その点において、日本の殆どのITスタートアップはベンチャーとは言い難いのではないか。。
■ ベンチャーキャピタル投資に見合うビックジャンプが望めないのであれば、エンジェルに頼るか、あるいは伝統的な銀行融資と自己資金でファイナンスすることになる。いまぼんやりと思っているのは、日本では相当程度そういった伝統的ファイナンスで十分なのではないだろうかということ。むしろ、下手にベンチャーキャピタルが対して成長が望めない会社にファイナンスしてあげてしまっているという側面があったりしないのだろうか。。爆発的な成長が見込めないのであれば、自己資金でオーガニックに成長した方が変にVC資金を入れるよりもフィットしているのではないか。。
とか何とか思うなど。と言いつつも帰国したらベンチャーキャピタルで働きたいとか思っていたりするのだが。。
教授は使い倒してナンボ
月曜日。
■ 朝一でリサーチ関連で担当教授のところに報告へ。これまでのインタビューの中で見えてきた各種論点(マーケティング、人事、ファイナンス等)の気づきについて仮説を披露。アントレを教えている教授なので「え、それだけ?」とか「イマイチ」とか言われてしまうことを懸念していたが、「悪くない」とのコメントを貰えて一安心。またいくつかビビッとくるアドバイスも貰えたし、なんとなく作業が形になってきている感覚があるし、ここ最近の各種お付き合いの結果インタビューのタマも増えつつあるし、結構テンションが上がっている。
○ あと、開始当初に「こうなればいいな」と思っていた通り、アントレプレナーシップやマーケティングや組織論といった非ファイナンス分野について、多少足を突っ込んだことで関心がかなり高まってきている。いまからコアの科目を受け直したい思い。来学期ひとつマーケティングの科目を取っているので、教授次第ではあるがひとつ楽しんでみたいと思っている。
■ 昼休みには生徒会が新たに始めた企画に参加。
○ 会の題目はわからないが、要は教授にいまの研究内容をシェアしてもらいつつランチを食べようというもの。Brown Bagなんちゃらって、けっこうどこの学校にもあるのではないだろうか。
○ 一回目の担当が、自分がかつて国際金融を受講した教授であったことからなんとなく参加したが、これが当たりで面白かった。その教授はケロッグから移籍してきたばかりのシカゴPhDなのだが、授業はどうも簡単過ぎてつまらなく、いつも「お前はそんなもんじゃないだろう?」みたいなことを思っていた。
○ しかし今日のその教授は自分の専門分野なので絶好調。具体的にはCDSマーケットの取引高(たしかネットの想定元本)95%がたった5つの投資銀行に集中しているという話で、肝心な考察部分は来月の学会発表まで内緒とのことであまり突っ込んだ話も出てこなかったのだが、実に面白いディスカッションでとても楽しかった。
○ 思うに、多くの教授が、自分の専門分野を教えているというよりは全世界のMBAである程度定型化されているコンテンツを仕方なく教えているのだろう(一部の看板教授がElectiveで自分の専門分野を教えていることもあるが)。そういう意味で、いくら一流教授といっても、授業だけではその教授を味わい尽くすことは難しいように思われる。であるからこそ、今回のような教授の関心分野について直接話を聞くことができる機会は非常に面白かった。また是非行きたい。
■ リサーチも然り、昼の勉強会も然り、授業以外でも教授を使い倒してナンボだなぁということが強く感じられる一日であった。授業だけじゃなくて色々な機会を使って教授と話をすることで、MBAの費用対効果はうんと改善するということが感じられた。
しかし、翻って考えるに、自分の学部時代とか、まったく教授を有効活用しようなどと思ったことがなかった。なんて無駄をしていたことか。嗚呼。。
■ 朝一でリサーチ関連で担当教授のところに報告へ。これまでのインタビューの中で見えてきた各種論点(マーケティング、人事、ファイナンス等)の気づきについて仮説を披露。アントレを教えている教授なので「え、それだけ?」とか「イマイチ」とか言われてしまうことを懸念していたが、「悪くない」とのコメントを貰えて一安心。またいくつかビビッとくるアドバイスも貰えたし、なんとなく作業が形になってきている感覚があるし、ここ最近の各種お付き合いの結果インタビューのタマも増えつつあるし、結構テンションが上がっている。
○ あと、開始当初に「こうなればいいな」と思っていた通り、アントレプレナーシップやマーケティングや組織論といった非ファイナンス分野について、多少足を突っ込んだことで関心がかなり高まってきている。いまからコアの科目を受け直したい思い。来学期ひとつマーケティングの科目を取っているので、教授次第ではあるがひとつ楽しんでみたいと思っている。
■ 昼休みには生徒会が新たに始めた企画に参加。
○ 会の題目はわからないが、要は教授にいまの研究内容をシェアしてもらいつつランチを食べようというもの。Brown Bagなんちゃらって、けっこうどこの学校にもあるのではないだろうか。
○ 一回目の担当が、自分がかつて国際金融を受講した教授であったことからなんとなく参加したが、これが当たりで面白かった。その教授はケロッグから移籍してきたばかりのシカゴPhDなのだが、授業はどうも簡単過ぎてつまらなく、いつも「お前はそんなもんじゃないだろう?」みたいなことを思っていた。
○ しかし今日のその教授は自分の専門分野なので絶好調。具体的にはCDSマーケットの取引高(たしかネットの想定元本)95%がたった5つの投資銀行に集中しているという話で、肝心な考察部分は来月の学会発表まで内緒とのことであまり突っ込んだ話も出てこなかったのだが、実に面白いディスカッションでとても楽しかった。
○ 思うに、多くの教授が、自分の専門分野を教えているというよりは全世界のMBAである程度定型化されているコンテンツを仕方なく教えているのだろう(一部の看板教授がElectiveで自分の専門分野を教えていることもあるが)。そういう意味で、いくら一流教授といっても、授業だけではその教授を味わい尽くすことは難しいように思われる。であるからこそ、今回のような教授の関心分野について直接話を聞くことができる機会は非常に面白かった。また是非行きたい。
■ リサーチも然り、昼の勉強会も然り、授業以外でも教授を使い倒してナンボだなぁということが強く感じられる一日であった。授業だけじゃなくて色々な機会を使って教授と話をすることで、MBAの費用対効果はうんと改善するということが感じられた。
しかし、翻って考えるに、自分の学部時代とか、まったく教授を有効活用しようなどと思ったことがなかった。なんて無駄をしていたことか。嗚呼。。
Sunday, November 20, 2011
週末まとめて
週末ダイジェスト
■ 土曜日はゴルフ。相変わらず90が切れない。というかここ3ラウンド連続で91な気がする。。
○ わりと年配の方も多い集まり(30代~70代)なのだが、自分と同じ大学を出て大企業勤めを経て引退したような人が、いまはただのフリーターなのに偉そうにしていて、他の人にそれとなく疎まれているのを見るなど。なんというか、いい人なのだが、「端々に本性が出てしまう」というゴルフというスポーツの悲しい性か、要所要所で傲慢さがにじみ出てしまっている。あわわ、これって将来の自分も陥りかねない罠。。かなり自戒の必要を感じた。
○ 帰宅後勉強、、なんてできっこない件。ゴルフ後の眠さは不思議なくらい。あと、なぜか翌日顔がむくむのは何故。
■ 日曜日は昼に学部の同窓会という渋いイベント、夜に留学先の学部生のホームパーティに混ぜてもらう。
○ 同窓会。余興として急遽数日前にプレゼンを依頼されたので、今やっているリサーチについて自分の頭の整理もかねて披露。思ったよりは受けたが、そんなには受けなかった。なんというか、ビジネス以外の世界に軸を置いている人(学者、建築家、医者等)にビジネスの話をしたり、逆に彼らの話を聞くというのはブレーンストーミングにものすごく有用な気がした。自分のできること・できないことがよりくっきりと相対化できるような気がしたし、自分が無意識に頼ってしまっているビジネスにおける暗黙の前提みたいなものも相対化できるような気がした(自分が無意識に前提をすっとばして喋ってしまうと、皆がキョトンとしてくれる)。
○ 自分の癖なのかもしれないが、どうも、後輩の話は素直に聞けるし応援したくなるのだが、先輩の話は斜に構えて聞いてしまう。単に自分が小人物ってことであるような気もするが、もう少しバランスを取ったほうがいいような気がした。
○ あと、思わぬ副産物として、学部生との飲み会ではMBAの1年生とも交流できてそれも楽しかった。意外とMBAも1・2年生でがっつり交流することも少ないような気がするので(自分がさぼっているだけかもしれないが)。
■ そして残ったのは大量の宿題類。。。
■ 土曜日はゴルフ。相変わらず90が切れない。というかここ3ラウンド連続で91な気がする。。
○ わりと年配の方も多い集まり(30代~70代)なのだが、自分と同じ大学を出て大企業勤めを経て引退したような人が、いまはただのフリーターなのに偉そうにしていて、他の人にそれとなく疎まれているのを見るなど。なんというか、いい人なのだが、「端々に本性が出てしまう」というゴルフというスポーツの悲しい性か、要所要所で傲慢さがにじみ出てしまっている。あわわ、これって将来の自分も陥りかねない罠。。かなり自戒の必要を感じた。
○ 帰宅後勉強、、なんてできっこない件。ゴルフ後の眠さは不思議なくらい。あと、なぜか翌日顔がむくむのは何故。
■ 日曜日は昼に学部の同窓会という渋いイベント、夜に留学先の学部生のホームパーティに混ぜてもらう。
○ 同窓会。余興として急遽数日前にプレゼンを依頼されたので、今やっているリサーチについて自分の頭の整理もかねて披露。思ったよりは受けたが、そんなには受けなかった。なんというか、ビジネス以外の世界に軸を置いている人(学者、建築家、医者等)にビジネスの話をしたり、逆に彼らの話を聞くというのはブレーンストーミングにものすごく有用な気がした。自分のできること・できないことがよりくっきりと相対化できるような気がしたし、自分が無意識に頼ってしまっているビジネスにおける暗黙の前提みたいなものも相対化できるような気がした(自分が無意識に前提をすっとばして喋ってしまうと、皆がキョトンとしてくれる)。
○ 自分の癖なのかもしれないが、どうも、後輩の話は素直に聞けるし応援したくなるのだが、先輩の話は斜に構えて聞いてしまう。単に自分が小人物ってことであるような気もするが、もう少しバランスを取ったほうがいいような気がした。
○ あと、思わぬ副産物として、学部生との飲み会ではMBAの1年生とも交流できてそれも楽しかった。意外とMBAも1・2年生でがっつり交流することも少ないような気がするので(自分がさぼっているだけかもしれないが)。
■ そして残ったのは大量の宿題類。。。
Friday, November 18, 2011
ベンチャーキャピタリストの思考回路
Entrepreneurial Financeのリーディングのメモ。何人かのベンチャーキャピタリストに対して、いくつか定型的な質問を行い、その回答を比較できるもの。
VCについてまったく肌感覚のない自分であるが、それなりにうなずくところも少なくない。
※カッコ内は自分の感想とかツッコミとか
Aさん
■ 商機の評価
○ 急成長しているマーケットが好ましい。なぜなら他社のキャッチアップが難しくなるから。
○ 競争力の源泉があると望ましい。eBayのようなネットワーク効果とか。
○ 特許は必須条件ではない。特許取得によるリスクもあるので。
○ 取得しようとしている特許について先行特許のないことを確認することは必要。
○ チームは、エンジニアの創業者・セールスを知る起業家の最低2人は欲しい。
○ CEO的素質と起業家的素質は異なる(ので、まだいらないということか?)
■ ビジネスモデルの評価
○ 評価軸は、既存市場での改善案 OR まったくの新市場
(既存市場でのニッチはスケーリングできないから対象外??)
○ タイミングも超重要。世に出るのが早すぎたゆえ失敗したところも、逆の事例も存在。
■ デューデリジェンスのポイント
○ 技術
○ 顧客。誰が既存/潜在的顧客か?彼らのWTPは?
○ 業界
○ チーム
■ 財務分析
○ 財務分析自体はさほど重要ではない
○ そこまでかっちりとはやらない。経験則に照らしてざっくりと検証する程度
○ 不確実性が大きいので予測を信じても仕方ない
○ 他方、経営陣が信頼できるかどうかの尺度としてプロジェクションのできの良さは見る
○ ビジネス要素に弱いからといって、ギークなエンジニア起業家を拒絶するとは限らない。
○ ソフトウェアであればCost to Dist.やCost to Sellがしっかり検証されているかは見る
○ ハードウェアであれば、流通チャネルや在庫の見積もりがしっかりしているかは見る
Bさん
■ 商機の評価
○ まずマーケット先にありき 。サイズ・成長性・競合・顧客などを総合的に見る。
○ マーケットさえ良ければ、それ以外のもの(含チーム)は入れ替えがきくというスタンス。
○ 素晴らしいマーケットを捕まえつつあるがチームがイマイチというのが良い。入れ替えれば価値が出せる。
○ それゆえ、有望なマーケットがどこか、ファーム全体で常に見ている。
○ 投資時点ですでにプロダクトができているかどうかは重要。
○ 人の入れ替えに耐えるような柔軟なチームが望ましい。
○ 有為な人材を容易に得られるのはシリコンバレーとボストンだけ。それ以外の地域の案件は躊躇。
■ ビジネスモデルの評価
○ 最低限、その事業のマージンおよび流通チャネルについては完全に考え抜かれている必要がある。
■ デューデリのポイント
○ 顧客がつきうるか否かが第一。技術が優れているからと言って即座に投資することはない。
○ 過去のポート企業に照会したりする。
○ 過去の謝絶案件を定期的にレビューする。謝絶したが成功した企業があれば反省したり。
■ 財務分析
○ 詳細なプロジェクションはどうせ当たらないが、Make senseするかは検証する
■ その他
○ リーダーあるいはリーダーになりうる企業に投資することがリスク軽減につながる。リーダーは
◆ より高いマージン
◆ 失敗に耐えうるクッションがより大きい
◆ おそらく業界で最初にIPOしてくれる
◆ 業界で最高の人材を雇うことができる。
○ リスクの高さを考えると、初期投資の7倍から10倍は期待する。5倍程度しか見込めないなら謝絶。
○ 常にExitの最優先候補はIPO。第三者への売却は有りうるが現実性低。
Cさん
■ 商機の評価
○ マーケット・技術・プロダクト等を一通り見るが、チームを特に重視
○ 我々がCEOを変えることもあるが、経験的に、その場合のリターンは低くなる
○ 既存のCEOでIPOまで行くことができそうな案件は、それゆえ有望
○ 優れたCEOがいれば、仮に技術が突き抜けていなくても投資する。
○ 逆に、他の全てが良くても、TechnologistすなわちギークなCEOには投資しない。
○ セクターを重視。良いセクターに投資できれば、我々が仮にボンクラでもリターンは出る。
○ ITセクターでは経験則が使える。例えば$50M売上を出せているなら$100M~$200Mは高確率で見込める等
○ マーケットはそれほど重視しない。ポテンシャルがあっても、マーケットが成長するかどうかは不確実。
○ 極端な話、マーケットの大きさがわからなくても投資する。
○ 特許はさほど。大企業がその気になればいずれにせよ特許は侵害される。
○ 今の時代、技術を守るのは特許ではなくスケーリングとブランディング。
■ ビジネスモデルの評価
○ 価格政策
○ 顧客獲得戦略:Sales force、チャネル、販売範囲
○ 技術
○ 財務:特に運転資金をちゃんと考慮できているか
■ デューデリ
○ チームと財務を見る。
○ 顧客はさほど重視していない。
■ 財務分析
○ チームが経営するに足るかどうかを確かめるために見る。
■ その他
○ IPOがベストだが、売却も現実的な選択肢として検討。
Dさん
■ 商機の評価
○ マーケットを重視。既存プロダクトを置き換えるものなのか、全く新規のものなのか。
○ B to Cは回避したい。というのは:
◆ マージンが薄い
◆ マーケティングコストが高くなる
◆ 消費者心理を読む必要が出てくる
◆ ただし、インターネットビジネスではこれらの障害が問題にならなくなることもあるので是是非非
○ 技術:他の技術に負ける可能性を検証。
○ タイミングは重要。
■ デューデリ
○ 投資時点で顧客がついている必要はない。
○ 関係者からコメントを取る
■ 財務分析
○ 費用からまず見る。損益分岐点は基本的だがつかえる。
○ 売上予測は信用せず、自分たちのモデルを使って売上予測を行う。出てくる数字は得てして過度に楽観的。
○ トップダウン式見積もりは好まない。極力具体的なボトムアップ式見積もりをする。
VCについてまったく肌感覚のない自分であるが、それなりにうなずくところも少なくない。
※カッコ内は自分の感想とかツッコミとか
Aさん
■ 商機の評価
○ 急成長しているマーケットが好ましい。なぜなら他社のキャッチアップが難しくなるから。
○ 競争力の源泉があると望ましい。eBayのようなネットワーク効果とか。
○ 特許は必須条件ではない。特許取得によるリスクもあるので。
○ 取得しようとしている特許について先行特許のないことを確認することは必要。
○ チームは、エンジニアの創業者・セールスを知る起業家の最低2人は欲しい。
○ CEO的素質と起業家的素質は異なる(ので、まだいらないということか?)
■ ビジネスモデルの評価
○ 評価軸は、既存市場での改善案 OR まったくの新市場
(既存市場でのニッチはスケーリングできないから対象外??)
○ タイミングも超重要。世に出るのが早すぎたゆえ失敗したところも、逆の事例も存在。
■ デューデリジェンスのポイント
○ 技術
○ 顧客。誰が既存/潜在的顧客か?彼らのWTPは?
○ 業界
○ チーム
■ 財務分析
○ 財務分析自体はさほど重要ではない
○ そこまでかっちりとはやらない。経験則に照らしてざっくりと検証する程度
○ 不確実性が大きいので予測を信じても仕方ない
○ 他方、経営陣が信頼できるかどうかの尺度としてプロジェクションのできの良さは見る
○ ビジネス要素に弱いからといって、ギークなエンジニア起業家を拒絶するとは限らない。
○ ソフトウェアであればCost to Dist.やCost to Sellがしっかり検証されているかは見る
○ ハードウェアであれば、流通チャネルや在庫の見積もりがしっかりしているかは見る
Bさん
■ 商機の評価
○ まずマーケット先にありき 。サイズ・成長性・競合・顧客などを総合的に見る。
○ マーケットさえ良ければ、それ以外のもの(含チーム)は入れ替えがきくというスタンス。
○ 素晴らしいマーケットを捕まえつつあるがチームがイマイチというのが良い。入れ替えれば価値が出せる。
○ それゆえ、有望なマーケットがどこか、ファーム全体で常に見ている。
○ 投資時点ですでにプロダクトができているかどうかは重要。
○ 人の入れ替えに耐えるような柔軟なチームが望ましい。
○ 有為な人材を容易に得られるのはシリコンバレーとボストンだけ。それ以外の地域の案件は躊躇。
■ ビジネスモデルの評価
○ 最低限、その事業のマージンおよび流通チャネルについては完全に考え抜かれている必要がある。
■ デューデリのポイント
○ 顧客がつきうるか否かが第一。技術が優れているからと言って即座に投資することはない。
○ 過去のポート企業に照会したりする。
○ 過去の謝絶案件を定期的にレビューする。謝絶したが成功した企業があれば反省したり。
■ 財務分析
○ 詳細なプロジェクションはどうせ当たらないが、Make senseするかは検証する
■ その他
○ リーダーあるいはリーダーになりうる企業に投資することがリスク軽減につながる。リーダーは
◆ より高いマージン
◆ 失敗に耐えうるクッションがより大きい
◆ おそらく業界で最初にIPOしてくれる
◆ 業界で最高の人材を雇うことができる。
○ リスクの高さを考えると、初期投資の7倍から10倍は期待する。5倍程度しか見込めないなら謝絶。
○ 常にExitの最優先候補はIPO。第三者への売却は有りうるが現実性低。
Cさん
■ 商機の評価
○ マーケット・技術・プロダクト等を一通り見るが、チームを特に重視
○ 我々がCEOを変えることもあるが、経験的に、その場合のリターンは低くなる
○ 既存のCEOでIPOまで行くことができそうな案件は、それゆえ有望
○ 優れたCEOがいれば、仮に技術が突き抜けていなくても投資する。
○ 逆に、他の全てが良くても、TechnologistすなわちギークなCEOには投資しない。
○ セクターを重視。良いセクターに投資できれば、我々が仮にボンクラでもリターンは出る。
○ ITセクターでは経験則が使える。例えば$50M売上を出せているなら$100M~$200Mは高確率で見込める等
○ マーケットはそれほど重視しない。ポテンシャルがあっても、マーケットが成長するかどうかは不確実。
○ 極端な話、マーケットの大きさがわからなくても投資する。
○ 特許はさほど。大企業がその気になればいずれにせよ特許は侵害される。
○ 今の時代、技術を守るのは特許ではなくスケーリングとブランディング。
■ ビジネスモデルの評価
○ 価格政策
○ 顧客獲得戦略:Sales force、チャネル、販売範囲
○ 技術
○ 財務:特に運転資金をちゃんと考慮できているか
■ デューデリ
○ チームと財務を見る。
○ 顧客はさほど重視していない。
■ 財務分析
○ チームが経営するに足るかどうかを確かめるために見る。
■ その他
○ IPOがベストだが、売却も現実的な選択肢として検討。
Dさん
■ 商機の評価
○ マーケットを重視。既存プロダクトを置き換えるものなのか、全く新規のものなのか。
○ B to Cは回避したい。というのは:
◆ マージンが薄い
◆ マーケティングコストが高くなる
◆ 消費者心理を読む必要が出てくる
◆ ただし、インターネットビジネスではこれらの障害が問題にならなくなることもあるので是是非非
○ 技術:他の技術に負ける可能性を検証。
○ タイミングは重要。
■ デューデリ
○ 投資時点で顧客がついている必要はない。
○ 関係者からコメントを取る
■ 財務分析
○ 費用からまず見る。損益分岐点は基本的だがつかえる。
○ 売上予測は信用せず、自分たちのモデルを使って売上予測を行う。出てくる数字は得てして過度に楽観的。
○ トップダウン式見積もりは好まない。極力具体的なボトムアップ式見積もりをする。
Wednesday, November 16, 2011
Free rider
水曜日。
■ 朝一の計量経済の授業にかなり飽きてきている。
○ 教授が教えることに興味がないことには2週目あたりから薄々気づいていたが、最近はもう完全にやる気なし。脈絡なく色々な話をして、疲れたら休憩、その後時間になるまで宿題のプレゼンを色々な人にやらせて茶々を入れておしまい。話題がアメリカ経済なので、こちらで既にエコノミストとか債券畑にいたような人たちは楽しそうに「雑談」を楽しんでいるが、自分はもう全然だめ。
○ 唯一の救いだったのは、韓国人のTAが真面目なこと。宿題は教授がまだやる気があった数年前の使い回しであるようで、分析からデータをうまく加工するやり方まで幅広く学習できるように設計されている。この宿題についてTAが丁寧に質問にも答えてくれるし採点でも色々コメントをくれるので、前職がエコノミスト(的)だった自分にとっても多少の+αを得ることができている。このTAの丁寧さがなければ、この授業はただの時間潰しで終わっていたことだろう。学期開始直前に名物のアントレ科目からこの科目に変えた当時の自分の思考回路を心から問い詰めたい。
※ しかもその名物アントレ科目、来学期とればいいやと思っていたら、来学期のビッドで落としてしまいまたしても履修できないことに。。。最終学期に持越し。
■ その計量経済の授業でグループ課題があったのだが、完全なまでにフリーライドする奴にめぐりあってしまった件。
○ 1年生のときはこんなに逃げ通すやつは見たことなかったのである意味驚き。最早すべてのグループ課題は終了したので、彼のフリーライダーは確定。
○ リーダーシップとかアントレプレナーとか色々言うけど、宿題で多少の協力もできない奴にそういったリーダーシップが取れるとは到底思えないのだが。
○ 割と重要なこと、これを外しちゃまずいでしょってことをあっさりとViolateしてくれる奴が留学先では実に多く見かける(重要かそうでないかということに対する考え方からして違うのかもしれないが)。それでも世の中はなんとか回っていく(自分その他の人が宿題をやってあげたりすることで...)ということはわざわざ米国まで来て学んだことの一つかもしれない。日本ではもっと早い段階で焦り始めて「おい、お前大丈夫か」と急かすところを、こちらでは自分も多少は鷹揚に「まあきっと最後までにはやってくれるよ、駄目でも俺がやればいいじゃないか」とか思うようになってきている。
○ まあ色々同情するところもある。作業がたいしたことないので、5人いても最初の3人くらいが働けば宿題が終わってしまうという側面があったりとか。頼りになるはずの日本人が集まったジャパントリップ準備でも、サボタージュやフリーライディングや遅延行為が少なからず発生したこともあり、この問題は個人のクオリティの高低だけで説明できる問題ではないと考えている。
○ でも、いくら同情の余地があるとはいえ、フリーライダーはフリーライダーであり唾棄されても仕方ない存在だし負け組だと思う(さぼって及第点を取るので、ROIが高いと言う意味で勝ち組と言えないこともないが)。
○ 問題は、以前にも書いた気がするが、皆がPlay the same gameすること自体が難しいということ。就職さえ決まれば日々の宿題なんてどうでもいいとか思う人もいるし、日々の授業をしっかり楽しみたいという人もいる。そういった、皆の目的意識が異なる環境下、
◆ 【再発防止】フリーライダーが出ないようにするためにはにはどうすればいいのか
(しかも、得てして、目的意識を揃えるのも容易でない。
その点、金とかポジションである程度縛れる会社はある意味楽だよなぁ)
◆ 【事後対応】フリーライダーが結果として出てしまったとき、どうすればいいのか
という2つの問いに対する答えはいまだ見つかっていない。日々の四苦八苦の結果たまたまうまくいくこともあるが、いまだ「勝ちパターン」のようなものを見つけるには至っていない。個別具体的な四苦八苦が対処療法的には有効だが、根本的解決のためには「駄目そうな奴とは組まない」「駄目な奴は排除する」しかないんじゃないかと思わずにはいられない。感情的にややこの2つの案は極論に思えてならないのだが、ベターな案は見つかっていない。なんか組織論で教わった気がしないでもないし、教わっていない気もする。むむ。。。
■ 朝一の計量経済の授業にかなり飽きてきている。
○ 教授が教えることに興味がないことには2週目あたりから薄々気づいていたが、最近はもう完全にやる気なし。脈絡なく色々な話をして、疲れたら休憩、その後時間になるまで宿題のプレゼンを色々な人にやらせて茶々を入れておしまい。話題がアメリカ経済なので、こちらで既にエコノミストとか債券畑にいたような人たちは楽しそうに「雑談」を楽しんでいるが、自分はもう全然だめ。
○ 唯一の救いだったのは、韓国人のTAが真面目なこと。宿題は教授がまだやる気があった数年前の使い回しであるようで、分析からデータをうまく加工するやり方まで幅広く学習できるように設計されている。この宿題についてTAが丁寧に質問にも答えてくれるし採点でも色々コメントをくれるので、前職がエコノミスト(的)だった自分にとっても多少の+αを得ることができている。このTAの丁寧さがなければ、この授業はただの時間潰しで終わっていたことだろう。学期開始直前に名物のアントレ科目からこの科目に変えた当時の自分の思考回路を心から問い詰めたい。
※ しかもその名物アントレ科目、来学期とればいいやと思っていたら、来学期のビッドで落としてしまいまたしても履修できないことに。。。最終学期に持越し。
■ その計量経済の授業でグループ課題があったのだが、完全なまでにフリーライドする奴にめぐりあってしまった件。
○ 1年生のときはこんなに逃げ通すやつは見たことなかったのである意味驚き。最早すべてのグループ課題は終了したので、彼のフリーライダーは確定。
○ リーダーシップとかアントレプレナーとか色々言うけど、宿題で多少の協力もできない奴にそういったリーダーシップが取れるとは到底思えないのだが。
○ 割と重要なこと、これを外しちゃまずいでしょってことをあっさりとViolateしてくれる奴が留学先では実に多く見かける(重要かそうでないかということに対する考え方からして違うのかもしれないが)。それでも世の中はなんとか回っていく(自分その他の人が宿題をやってあげたりすることで...)ということはわざわざ米国まで来て学んだことの一つかもしれない。日本ではもっと早い段階で焦り始めて「おい、お前大丈夫か」と急かすところを、こちらでは自分も多少は鷹揚に「まあきっと最後までにはやってくれるよ、駄目でも俺がやればいいじゃないか」とか思うようになってきている。
○ まあ色々同情するところもある。作業がたいしたことないので、5人いても最初の3人くらいが働けば宿題が終わってしまうという側面があったりとか。頼りになるはずの日本人が集まったジャパントリップ準備でも、サボタージュやフリーライディングや遅延行為が少なからず発生したこともあり、この問題は個人のクオリティの高低だけで説明できる問題ではないと考えている。
○ でも、いくら同情の余地があるとはいえ、フリーライダーはフリーライダーであり唾棄されても仕方ない存在だし負け組だと思う(さぼって及第点を取るので、ROIが高いと言う意味で勝ち組と言えないこともないが)。
○ 問題は、以前にも書いた気がするが、皆がPlay the same gameすること自体が難しいということ。就職さえ決まれば日々の宿題なんてどうでもいいとか思う人もいるし、日々の授業をしっかり楽しみたいという人もいる。そういった、皆の目的意識が異なる環境下、
◆ 【再発防止】フリーライダーが出ないようにするためにはにはどうすればいいのか
(しかも、得てして、目的意識を揃えるのも容易でない。
その点、金とかポジションである程度縛れる会社はある意味楽だよなぁ)
◆ 【事後対応】フリーライダーが結果として出てしまったとき、どうすればいいのか
という2つの問いに対する答えはいまだ見つかっていない。日々の四苦八苦の結果たまたまうまくいくこともあるが、いまだ「勝ちパターン」のようなものを見つけるには至っていない。個別具体的な四苦八苦が対処療法的には有効だが、根本的解決のためには「駄目そうな奴とは組まない」「駄目な奴は排除する」しかないんじゃないかと思わずにはいられない。感情的にややこの2つの案は極論に思えてならないのだが、ベターな案は見つかっていない。なんか組織論で教わった気がしないでもないし、教わっていない気もする。むむ。。。
Tuesday, November 15, 2011
背水の陣
■ 火曜日。勉強したり買物に行ったり。
○ 時差ボケが来ているのか強烈に眠い。なんだこれは。。。
○ リサーチについて、ちょうどインタビューラッシュが一段落着いてテンションが下がった頃に教授から「そろそろ報告に来い」と連絡が。なんて有難いタイミングなことか。。汗 それにしても、ヒアリングを日本語で行っているし自分の能力の問題もあり忘れる前に日本語でメモを作成しているのだが、教授に提出するまでにはそのメモを英語にしないといけない。これが強烈につまらない作業で困ってしまう。。すでに記録したものを翻訳することの意義の薄さみたいなものが無意識に頭をよぎるのか、全然テンションが上がってこない。。
○ 戻るところがあっては本気で勝負できない、背水の陣で臨まなくては駄目だという話を最近のリサーチではよく聞く。成功者のほぼ全員がこのことに言及する。今のように、始めたリサーチが中だるみになったとき、その意味が非常によくわかる。自分はこのリサーチをやってもやらなくても卒業できるし会社の給料も何も変わらない。自分という人間の限界がこの辺にあるようで、このようなぬるま湯の状態でテンションを燃やし切れていない。。というか、背水の陣に自分を追い込むために教授と組むことにしたわけだし実際教授もムチを入れてくれているのだが、それでもだらけてしまう自分に萎える。。
○ 時差ボケが来ているのか強烈に眠い。なんだこれは。。。
○ リサーチについて、ちょうどインタビューラッシュが一段落着いてテンションが下がった頃に教授から「そろそろ報告に来い」と連絡が。なんて有難いタイミングなことか。。汗 それにしても、ヒアリングを日本語で行っているし自分の能力の問題もあり忘れる前に日本語でメモを作成しているのだが、教授に提出するまでにはそのメモを英語にしないといけない。これが強烈につまらない作業で困ってしまう。。すでに記録したものを翻訳することの意義の薄さみたいなものが無意識に頭をよぎるのか、全然テンションが上がってこない。。
○ 戻るところがあっては本気で勝負できない、背水の陣で臨まなくては駄目だという話を最近のリサーチではよく聞く。成功者のほぼ全員がこのことに言及する。今のように、始めたリサーチが中だるみになったとき、その意味が非常によくわかる。自分はこのリサーチをやってもやらなくても卒業できるし会社の給料も何も変わらない。自分という人間の限界がこの辺にあるようで、このようなぬるま湯の状態でテンションを燃やし切れていない。。というか、背水の陣に自分を追い込むために教授と組むことにしたわけだし実際教授もムチを入れてくれているのだが、それでもだらけてしまう自分に萎える。。
Monday, November 14, 2011
旅行明けはしんどい。。。
ボストン出張の疲れも取れぬまま月曜日に突入。
■ もっとも重いEntrepreneurial Financeの日だが、これまで散々貸しがあると思い込むことにして「今週は俺は忙しいから、ケースは読むが問題は解かない。お前ら準備よろしくな」と何様モードをさせてもらいボストンに飛んでいたので、今回のディスカッションでは主に聞き手として働いた。
■ 驚くことに、今回のディスカッションは非常にワークした。誰もフリーライドせず(俺がフリーらいだ?)、皆が他人の意見を尊重しつつ議論すべきところは議論して。勝因を推察してみるに、
○ ふだんと役割分担が違った(いつもあまり予習せず聞いてばかりの人が予習をリードして、いつもついつい予習しすぎて彼らをリードしているようでミスリードしてしまっている自分が聞き手に回って)
○ その場で一からやった。多少の予習はあったが、重要なポイントは皆でその場で一から考えていった。普段は自分が作ったものをその場で開陳したり前日にDropboxに保存して見てもらっていたりという感じだったのだが、その場で一からやることで自分を含め全員の頭がよりCultivateされたように思われる。
○ いわくつきのメンバーJちゃんが今回は「お勉強」できていなかった。というのも、彼女の「お友達」が週末LAの外に出ていたことから、おそらく「情報交換」することができなかった模様。毎週の恒例となっていた「ここが重要なんじゃないかな」という唐突なネタバレが今週はなく、学びがDistortされなかった印象。
■ おかげで授業でもわれらがチームはいつになく活躍できた印象。自分もついつい短文でしか回答できていなかったのに、今日はアメリカンに「3の内容を言うために10くらいだらだら喋る」的な回答をすることができたというか、やってしまったというか。。でもやっぱり、そういうDiluteされた発言はアメリカ人の先生に受けるんだよな。。
■ そういえば今週から冬学期のBiddingが始まった。その授業を受けるためにここに来たといっても過言ではない受けたかった授業ナンバー1を無事競り落とすことができて何より。しかしながら、明日以降のビッドをどうするか、すなわち来学期何を履修するか、依然としてアイディアが固まっておらず悶々としている。好奇心に忠実に従ってしまうとファイナンスに偏重してしまったり重たい科目ばかりになってしまったりするので、多少好奇心を犠牲にしてでも簡単めの授業を取った方がいいのかもと思ったりもしている。
■ もっとも重いEntrepreneurial Financeの日だが、これまで散々貸しがあると思い込むことにして「今週は俺は忙しいから、ケースは読むが問題は解かない。お前ら準備よろしくな」と何様モードをさせてもらいボストンに飛んでいたので、今回のディスカッションでは主に聞き手として働いた。
■ 驚くことに、今回のディスカッションは非常にワークした。誰もフリーライドせず(俺がフリーらいだ?)、皆が他人の意見を尊重しつつ議論すべきところは議論して。勝因を推察してみるに、
○ ふだんと役割分担が違った(いつもあまり予習せず聞いてばかりの人が予習をリードして、いつもついつい予習しすぎて彼らをリードしているようでミスリードしてしまっている自分が聞き手に回って)
○ その場で一からやった。多少の予習はあったが、重要なポイントは皆でその場で一から考えていった。普段は自分が作ったものをその場で開陳したり前日にDropboxに保存して見てもらっていたりという感じだったのだが、その場で一からやることで自分を含め全員の頭がよりCultivateされたように思われる。
○ いわくつきのメンバーJちゃんが今回は「お勉強」できていなかった。というのも、彼女の「お友達」が週末LAの外に出ていたことから、おそらく「情報交換」することができなかった模様。毎週の恒例となっていた「ここが重要なんじゃないかな」という唐突なネタバレが今週はなく、学びがDistortされなかった印象。
■ おかげで授業でもわれらがチームはいつになく活躍できた印象。自分もついつい短文でしか回答できていなかったのに、今日はアメリカンに「3の内容を言うために10くらいだらだら喋る」的な回答をすることができたというか、やってしまったというか。。でもやっぱり、そういうDiluteされた発言はアメリカ人の先生に受けるんだよな。。
■ そういえば今週から冬学期のBiddingが始まった。その授業を受けるためにここに来たといっても過言ではない受けたかった授業ナンバー1を無事競り落とすことができて何より。しかしながら、明日以降のビッドをどうするか、すなわち来学期何を履修するか、依然としてアイディアが固まっておらず悶々としている。好奇心に忠実に従ってしまうとファイナンスに偏重してしまったり重たい科目ばかりになってしまったりするので、多少好奇心を犠牲にしてでも簡単めの授業を取った方がいいのかもと思ったりもしている。
Sunday, November 13, 2011
ボストン(3)
■ ボストン最終日。一日観光するつもりが、前日に面接が予定外に多かったことから自分と人事部の面接が本日に後ろ倒しに。自分の面接が終わったあとすぐ帰って観光に行こうと思ったが、なんとなく逃げるタイミングを見誤り、結局昼の約束の直前までお手伝い。でもまあそのおかげでこの日だけやってきた先輩と挨拶することができたり暇そうにしている他社の人と交流することができたので負けてはいないと考えることにする。。
※それにしても、自分の面接、もうちょっとちゃんと準備しておけばよかったような。。
■ 昼食の場所まで公共交通機関だけで行こうと思ったが、Silver Lineが全然来ないし、乗り換えがわかりやすいようでわかりづらく、結構大変だった。おとなしくタクシー乗っておけば良かったとも思ったのだが、結果的にボストン市内を多少散歩することができて、ニューイングランド的な(LAとはまったく異なる)街並みを満喫することができたので負けてはいないと考えることにする。。ぜひまた家族連れできたいものだ、ボストン。
■ 昼を友人たちととり、その後数名でハーバード見学へ。気分は完全におのぼりさんで、HBSを見ておーでけぇと感心し、ハーバードスクエアの繁華街っぷりにおーすげぇと感心し。
■ で飛行機にのってLAに戻って終了。帰りの飛行機は、案の定、UCLA等の学部生と思われる日本人でいっぱい。彼らが自分よりはるかに上手な英語で外国人とやり取りしているのを見ると、実に複雑な心境。身勝手なことを言えば、自分のような人間に採用される立場にわざわざ飛び込んでこなくていいので、自分がうらやむような世界に半分足を突っ込むことができているのだから体全部突っ込んで行ってもらいたい。外国で揉まれて、大きくなってから日本に戻り、その変化への対応力や複数文化を自身の中で両立させる能力などを是非日本企業に還元してほしい。彼らのことをろくすっぽ知らずに適当なことを言ってしまっているのだろうが。。
※それにしても、自分の面接、もうちょっとちゃんと準備しておけばよかったような。。
■ 昼食の場所まで公共交通機関だけで行こうと思ったが、Silver Lineが全然来ないし、乗り換えがわかりやすいようでわかりづらく、結構大変だった。おとなしくタクシー乗っておけば良かったとも思ったのだが、結果的にボストン市内を多少散歩することができて、ニューイングランド的な(LAとはまったく異なる)街並みを満喫することができたので負けてはいないと考えることにする。。ぜひまた家族連れできたいものだ、ボストン。
■ 昼を友人たちととり、その後数名でハーバード見学へ。気分は完全におのぼりさんで、HBSを見ておーでけぇと感心し、ハーバードスクエアの繁華街っぷりにおーすげぇと感心し。
■ で飛行機にのってLAに戻って終了。帰りの飛行機は、案の定、UCLA等の学部生と思われる日本人でいっぱい。彼らが自分よりはるかに上手な英語で外国人とやり取りしているのを見ると、実に複雑な心境。身勝手なことを言えば、自分のような人間に採用される立場にわざわざ飛び込んでこなくていいので、自分がうらやむような世界に半分足を突っ込むことができているのだから体全部突っ込んで行ってもらいたい。外国で揉まれて、大きくなってから日本に戻り、その変化への対応力や複数文化を自身の中で両立させる能力などを是非日本企業に還元してほしい。彼らのことをろくすっぽ知らずに適当なことを言ってしまっているのだろうが。。
Saturday, November 12, 2011
ボストン(2)
ボストン出張2日目は終日ボストンキャリアフォーラムにて採用活動のお手伝い。
■ 自社の採用活動を本格的に手伝うのは、留学直前に続き2回目。今回の役割は
○ 面接プロセスにおける「一匹目のザコキャラ」として、十数名の面接
○ ブース前での案内役(=外国人が来たときに「Native speaker only, sorry」と言う係)
の2つ。
■ かなり色々なことを考えさせられたのだが、支障なさそうなところだけ数点。なお、下記は自分個人の感想・苦悩であり、数度にわたって色々な立場の人間が面接していることから、下記の問題点は少なくとも自社の採用プロセスにおいてはほぼ克服されているものと信じている。
○ 面接官としての自分自身のキャラ、あるいは考えを100%捨象するのは難しい。客観的に見たつもりではあるが、振り返ると多分に主観が入ってしまっているように思われる。
○ 学歴シグナリングが難しい。海外大学で自分が聞いたことのない大学の人が来たとき、実に判断に迷わされる。高々数十分の会話だけでその人の知的水準等を推し量ることはとても難しい。日本での面接の際、いかに自分が判断にあたり学歴に頼っていたことか。
○ 出願者の様子が日本とはまったく異なる。どこまでを「ダイバーシティ」と前向きに捉えればよくてどこから「こいつ、ずれてる」とネガティブに評価すべきなのか、けっこう難しい。といいつつも、「ボストン採用者のダイバーシティは、どの企業にとってもきっと将来の財産になるのだろう」という心証形成ができた。これまでもこれからも、既存ビジネスをしっかり回すことと同じくらい変化し続けることが企業にとって重要なんだろうと思うが、日本的採用で入った人たちだけでその変化を起こすことはけっこう大変だと思われる。
○ 交換留学「している」人が来るのはわかるが、「していた」人が来るのはアリなのか?交換留学から帰ったころには日本の就職活動シーズンが終わっていたということ?敗者復活戦になってしまってはいないのか。
○ 自分が人事部だったら、フォーラム出展費用・チームの出張費用等のコストをサンクコストを割り切ることができるかやや自信がない。すなわち、「来ちゃったからには内定出さないと」と思ってしまいそう。。
○ 自分も相当人数を落としてしまったし、このフォーラム全体で何千件というDingが発生したかと思うと実に複雑な心境になる。人事部の人は十字架を背負う覚悟をして臨んでいるのかもしれないが、軽いノリでやってきてしまった自分には空気がやや重かった。
■ 空き時間には他社のブースも冷やかす。なかなか各社性格が出ていて面白かった。
○ 外資金融:見えやすいところに配置されているのがもっぱら外国人、とくに黒人が目立った。素人お断りのため?
○ 某ネット検索会社:イメージそのままのカジュアルな感じ。話を聞く機会があったが、内定は出さず、交流あるいはプロモーションのために出展しているとのこと。Tシャツジーンズのお兄さんがバランスボールでぼよんぼよんしながら学生と歓談している様はなかなかキャリアフォーラム的には異色であった。
○ 某有名コンサル:びっくりするくらい受付にいる人が普通の見た目で、外資らしさが感じられなかった。今回参加していた台湾人同級生も「米国オフィスや中国オフィスにいる人間とはずいぶん違うんだな」とぽつり。
○ 一部日系企業:説明会を聞きかじったが、自社の歴史だけで説明時間のうち十分強を費やしているところも。社歴があるので仕方ないのだろうが、もうちょっと他の話もした方が。。。
■ 本フォーラムのために、全米から自社の派遣留学生が集結。2年生は自分ともう一人、1年生は3人ほど。
○ 留学生や人事部の人たちとの会話で痛感したが、自社の人達はじつに話が早い。彼らが優秀なのかもしれないけど、どちらかというと前提となる情報を共有していることや問題意識が似ているため話が早いだけであるようにも思われる。「やっぱ自社はええなぁ」と思う一方で、話があまりにスイスイ進むことに危機感も。普段学校やらLAの町中で経験する「共有する前提がないため、いちいちコミュニケーションに四苦八苦すること」というのも同じくらい大事な経験であり、この「話がスイスイ進む感覚」にどっぷり浸ってしまうと変化への対応力やら他社や転職者とのコミュニケーション力の弱体化がありうるのではないかと懸念。
○ 留学間もない1年生の人々(といっても社会人的には先輩とか同期もいるのだが)の英語レベルと自分の英語レベルが殆ど変わらない。すなわち、「先に1年いた分のアドバンテージ」が見当たらなかった。ぐへぇ。。仕方がないので、英語が苦手なサポート職の後輩の前で英語を使い「あらーすごいですね」みたいなことを言われてひとり自己満足に浸るなど。。
○ 話のことあるごとに「XX部のAさんが云々」「YYチームにいるBさんが」という話になる。しかし残念なことに、ここに来る前には最初の1年を本社で過ごした後は支店やら出向やらで本社にいたことがないので、そういった固有名詞トークは殆どわからない。組織は部署名ではなく、そこにいる人々により動いていることを強く感じた。
※しかし、俺を拾い上げてくれる人は社内にいるのか・・・?誰も俺のこと知らないような。。
■ その他感想
○ 会場内部の食べ物が異様に高い。なんだよコーラペットボトル$3.5って。ゴルフ場でもそんなに取らないぞ。しかもホットドッグも最高にまずいし。向こう数年~十数年の仕事決めようって来ている人達に対して失礼とは思わないのか。会費とってでも、もっといいもの食べさせて元気出してあげようよ>主催者殿。
○ 学生のスペースが少ない。壁際のコンセントや、窓際の座れる場所があっという間になくなり、皆がその辺の地べたに座っている。隙間にイスだけでも置いてあげればいいのに>主催者殿。
○ 中国人が多いのは時代か。しかし、グローバル化だなんだというが、日本において「日本語があまり話せないが優秀な人」がより多く職を得られるようにするには何かやりようがあるのかしら。自分の非英語圏での経験がないから全然確たることを言えないのだが、受け入れ側の日本人さえもうちょっと英語が使えるようになればいいのかな?
と色々あったが、まとめるなら、ボスキャリは一生に一度参加する価値が十分にある実に面白いイベントだが、採用活動は色々考えさせられることが多過ぎるので、個人的には一度でおなか一杯だと感じた。言い方を変えるなら、このような大変なイベントに高いコストと多大な準備を費やして臨んだ学生たちのことを今は心から尊敬せざるを得ない。
■ 自社の採用活動を本格的に手伝うのは、留学直前に続き2回目。今回の役割は
○ 面接プロセスにおける「一匹目のザコキャラ」として、十数名の面接
○ ブース前での案内役(=外国人が来たときに「Native speaker only, sorry」と言う係)
の2つ。
■ かなり色々なことを考えさせられたのだが、支障なさそうなところだけ数点。なお、下記は自分個人の感想・苦悩であり、数度にわたって色々な立場の人間が面接していることから、下記の問題点は少なくとも自社の採用プロセスにおいてはほぼ克服されているものと信じている。
○ 面接官としての自分自身のキャラ、あるいは考えを100%捨象するのは難しい。客観的に見たつもりではあるが、振り返ると多分に主観が入ってしまっているように思われる。
○ 学歴シグナリングが難しい。海外大学で自分が聞いたことのない大学の人が来たとき、実に判断に迷わされる。高々数十分の会話だけでその人の知的水準等を推し量ることはとても難しい。日本での面接の際、いかに自分が判断にあたり学歴に頼っていたことか。
○ 出願者の様子が日本とはまったく異なる。どこまでを「ダイバーシティ」と前向きに捉えればよくてどこから「こいつ、ずれてる」とネガティブに評価すべきなのか、けっこう難しい。といいつつも、「ボストン採用者のダイバーシティは、どの企業にとってもきっと将来の財産になるのだろう」という心証形成ができた。これまでもこれからも、既存ビジネスをしっかり回すことと同じくらい変化し続けることが企業にとって重要なんだろうと思うが、日本的採用で入った人たちだけでその変化を起こすことはけっこう大変だと思われる。
○ 交換留学「している」人が来るのはわかるが、「していた」人が来るのはアリなのか?交換留学から帰ったころには日本の就職活動シーズンが終わっていたということ?敗者復活戦になってしまってはいないのか。
○ 自分が人事部だったら、フォーラム出展費用・チームの出張費用等のコストをサンクコストを割り切ることができるかやや自信がない。すなわち、「来ちゃったからには内定出さないと」と思ってしまいそう。。
○ 自分も相当人数を落としてしまったし、このフォーラム全体で何千件というDingが発生したかと思うと実に複雑な心境になる。人事部の人は十字架を背負う覚悟をして臨んでいるのかもしれないが、軽いノリでやってきてしまった自分には空気がやや重かった。
■ 空き時間には他社のブースも冷やかす。なかなか各社性格が出ていて面白かった。
○ 外資金融:見えやすいところに配置されているのがもっぱら外国人、とくに黒人が目立った。素人お断りのため?
○ 某ネット検索会社:イメージそのままのカジュアルな感じ。話を聞く機会があったが、内定は出さず、交流あるいはプロモーションのために出展しているとのこと。Tシャツジーンズのお兄さんがバランスボールでぼよんぼよんしながら学生と歓談している様はなかなかキャリアフォーラム的には異色であった。
○ 某有名コンサル:びっくりするくらい受付にいる人が普通の見た目で、外資らしさが感じられなかった。今回参加していた台湾人同級生も「米国オフィスや中国オフィスにいる人間とはずいぶん違うんだな」とぽつり。
○ 一部日系企業:説明会を聞きかじったが、自社の歴史だけで説明時間のうち十分強を費やしているところも。社歴があるので仕方ないのだろうが、もうちょっと他の話もした方が。。。
■ 本フォーラムのために、全米から自社の派遣留学生が集結。2年生は自分ともう一人、1年生は3人ほど。
○ 留学生や人事部の人たちとの会話で痛感したが、自社の人達はじつに話が早い。彼らが優秀なのかもしれないけど、どちらかというと前提となる情報を共有していることや問題意識が似ているため話が早いだけであるようにも思われる。「やっぱ自社はええなぁ」と思う一方で、話があまりにスイスイ進むことに危機感も。普段学校やらLAの町中で経験する「共有する前提がないため、いちいちコミュニケーションに四苦八苦すること」というのも同じくらい大事な経験であり、この「話がスイスイ進む感覚」にどっぷり浸ってしまうと変化への対応力やら他社や転職者とのコミュニケーション力の弱体化がありうるのではないかと懸念。
○ 留学間もない1年生の人々(といっても社会人的には先輩とか同期もいるのだが)の英語レベルと自分の英語レベルが殆ど変わらない。すなわち、「先に1年いた分のアドバンテージ」が見当たらなかった。ぐへぇ。。仕方がないので、英語が苦手なサポート職の後輩の前で英語を使い「あらーすごいですね」みたいなことを言われてひとり自己満足に浸るなど。。
○ 話のことあるごとに「XX部のAさんが云々」「YYチームにいるBさんが」という話になる。しかし残念なことに、ここに来る前には最初の1年を本社で過ごした後は支店やら出向やらで本社にいたことがないので、そういった固有名詞トークは殆どわからない。組織は部署名ではなく、そこにいる人々により動いていることを強く感じた。
※しかし、俺を拾い上げてくれる人は社内にいるのか・・・?誰も俺のこと知らないような。。
■ その他感想
○ 会場内部の食べ物が異様に高い。なんだよコーラペットボトル$3.5って。ゴルフ場でもそんなに取らないぞ。しかもホットドッグも最高にまずいし。向こう数年~十数年の仕事決めようって来ている人達に対して失礼とは思わないのか。会費とってでも、もっといいもの食べさせて元気出してあげようよ>主催者殿。
○ 学生のスペースが少ない。壁際のコンセントや、窓際の座れる場所があっという間になくなり、皆がその辺の地べたに座っている。隙間にイスだけでも置いてあげればいいのに>主催者殿。
○ 中国人が多いのは時代か。しかし、グローバル化だなんだというが、日本において「日本語があまり話せないが優秀な人」がより多く職を得られるようにするには何かやりようがあるのかしら。自分の非英語圏での経験がないから全然確たることを言えないのだが、受け入れ側の日本人さえもうちょっと英語が使えるようになればいいのかな?
と色々あったが、まとめるなら、ボスキャリは一生に一度参加する価値が十分にある実に面白いイベントだが、採用活動は色々考えさせられることが多過ぎるので、個人的には一度でおなか一杯だと感じた。言い方を変えるなら、このような大変なイベントに高いコストと多大な準備を費やして臨んだ学生たちのことを今は心から尊敬せざるを得ない。
Friday, November 11, 2011
ボストン(1)
■ ボストンキャリアフォーラムなるものを一生に一度くらいは見ておきたいと思い、勤務先からお誘い頂いたこともあり2泊3日の行程でボストンへ。
■ ポカその1: 西海岸と東海岸の時差3時間ということは承知していたつもりであったが、実際のところ理解できていなかった件。
9時頃のフライトだったのだが、自宅で軽く朝食を食べたことから昼飯は着陸後でいいよなと思い食料を持ち込まずに飛行機に搭乗。しかし、飛行時間5時間半+時差3時間で、到着したのは約8時間後の夕方5時半くらい。正味5時間半しか経過していないのだが、朝から夕方5時まで何も食べなかったのかと思うと精神的にものすごく腹が空いて残念な気分になった。バナナの一本でも買っておけばよかったと後悔。
■ ポカその2: 空港で無駄に歩いてしまった件。
ボストン国際空港到着後にgoogle Mapで調べたところ、ホテルの近くまでSilver Lineで簡単に且つ安価にアクセスできるとのこと。それではタクシー代をケチろうと思い、到着後、空港の「Tはあちら」という看板に従って歩く。しかし何かがおかしい、えらく歩かされるし、案内が途中とぎれとぎれになるし、ターミナルとターミナルの間のずいぶん細い通路も歩くし、おかげでかなり不安に。結局バス停にたどりついたが、そこで初めてわかったのだが、各ターミナルからSilver Line直結のシャトルバスが出ていた。自分が下りたターミナルを出たところでSilver Lineシャトルバスに乗ればよかっただけの話で、ターミナル間を歩く必要は全くなかったのだ。ターミナル間を無駄に歩いた十数分とバス停でバスを待った十分程度、おとなしくタクシーに乗っておけば節約できたと思うと悔しい。ケチらなくても良かったところをケチって結果として損する典型的なパターン。。
■ その後ホテルにチェックインし、現地在住の友人と合流してBoston Symphony Orchestra (BSO)へ。
あの小沢征爾が音楽監督をしたことで有名なあのBSO、ミーハー心を刺激することこの上なし。会場はいかにも歴史館のあるほどよく小さいホールで、なんというか自分がボストンという町に勝手に抱いているTidyというイメージにフィットする感じ。感覚的に、こういったヨソイキ感とボストンの寒さは相性が良い。空港を下りたときには呪詛したボストンの寒さも、今となってはいい演出の一つに思えてきて気にならない。
友人と雑談しながら開演を待つ時間も、何やら居心地が良い。なんというかとても「おらが街のオーケストラをみんなが聞きに来た」といった感じのとてもリラックスしたアットホームな感じ。クラシックという性格上裕福層な白人老夫婦が多いが、その一方で若い人の姿も目立つ(※40歳未満の『若者』は安いというパッケージがあったからだと思うが)。
演奏もとても聞きごたえのあるものだった。弦楽器による和音がとても重厚だがすっきりしていて、きれいだなという印象(何かそんな褒め文句が美味しんぼであったような。ヒラメか何か)。特に印象に残るのは2曲目のBarberというおっちゃん作曲のピアノコンチェルト。まあ現代音楽ということなのだろうが、和音もリズムも実に先鋭的な曲。演奏の始終、一歩間違えばただの雑音になってしまいそうな和音がこれでもかこれでもかと浴びせかけられる。現代音楽を聞きなれていない自分は終始「おいおい大丈夫か」とハラハラしながら聞いていたが、ピアニストの腕の成せる技なのかオケのうまさなのか、「ギリギリセーフ、不協和音だけどなんだかきれい」みたいな状況が延々と続く。ピアニストのおっちゃんはすごいスピードでじゃんじゃかじゃんじゃかと不協和音を鳴らしていて、もはやおっちゃんがちゃんと弾けているのか実はミスっているのか判別がつかない。不思議な感じだが、全体としての印象はやっぱり重厚だがすっきりという感じ。それほど技術的な細かい話はわからないのだけど、きっとオケやピアニストの職人芸があるからこそ成り立ちうる極限芸のようなものだったのだろうと感じている。ザ・アメリカンDEBUといった感じでピアニストというよりテノール歌手なんじゃないかという感じのピアニストのおっちゃん、なかなかどうして魅せてくれた。いつも自分はコンチェルトで瞑想モードに入り無意識下で音楽を楽しむことにしているのだが(※集中力が持たずこの辺でオチてしまうだけ)、今回は思わず寝ずに聞いてしまった。
■ オーケストラの後は夕食。UCLAの台湾人同級生を交えシーフード。
台湾人君がいたので、はからずも自分と友人も英会話。最初はぎこちなかったが、気付けば英語で下ネタ等を飛ばすようになっているなど。よく見もせずに注文したら、自分のメインディッシュは魚介のフライ+大量のフレンチフライで、皆でシェアした前菜もCalamariのフライだったので随分とフライフライした感じのディナーになってしまった。しかも地ビールということで頼んだSamuel Adamsは結構しっかりしているというか濃いので、調子に乗って飲んでいたらすきっ腹にきてしまい、ホテルに着くころにはかなりの泥酔。。時差とあわせて、寝たり覚めたりが続いてしまった。
■ という感じのボストン一日目。やっぱり寒い街っていい。寒い街の夜には何とも言えないウキウキ感がある。LAの夜ではあまり味わえない感覚であり、シアトルでも同様の感覚があったのだが、この感覚をおぼえるたびに東京が恋しくなる。秋から冬にかけて東京のその辺を散歩するときの高揚感ったらないからなあ。
■ ポカその1: 西海岸と東海岸の時差3時間ということは承知していたつもりであったが、実際のところ理解できていなかった件。
9時頃のフライトだったのだが、自宅で軽く朝食を食べたことから昼飯は着陸後でいいよなと思い食料を持ち込まずに飛行機に搭乗。しかし、飛行時間5時間半+時差3時間で、到着したのは約8時間後の夕方5時半くらい。正味5時間半しか経過していないのだが、朝から夕方5時まで何も食べなかったのかと思うと精神的にものすごく腹が空いて残念な気分になった。バナナの一本でも買っておけばよかったと後悔。
■ ポカその2: 空港で無駄に歩いてしまった件。
ボストン国際空港到着後にgoogle Mapで調べたところ、ホテルの近くまでSilver Lineで簡単に且つ安価にアクセスできるとのこと。それではタクシー代をケチろうと思い、到着後、空港の「Tはあちら」という看板に従って歩く。しかし何かがおかしい、えらく歩かされるし、案内が途中とぎれとぎれになるし、ターミナルとターミナルの間のずいぶん細い通路も歩くし、おかげでかなり不安に。結局バス停にたどりついたが、そこで初めてわかったのだが、各ターミナルからSilver Line直結のシャトルバスが出ていた。自分が下りたターミナルを出たところでSilver Lineシャトルバスに乗ればよかっただけの話で、ターミナル間を歩く必要は全くなかったのだ。ターミナル間を無駄に歩いた十数分とバス停でバスを待った十分程度、おとなしくタクシーに乗っておけば節約できたと思うと悔しい。ケチらなくても良かったところをケチって結果として損する典型的なパターン。。
■ その後ホテルにチェックインし、現地在住の友人と合流してBoston Symphony Orchestra (BSO)へ。
あの小沢征爾が音楽監督をしたことで有名なあのBSO、ミーハー心を刺激することこの上なし。会場はいかにも歴史館のあるほどよく小さいホールで、なんというか自分がボストンという町に勝手に抱いているTidyというイメージにフィットする感じ。感覚的に、こういったヨソイキ感とボストンの寒さは相性が良い。空港を下りたときには呪詛したボストンの寒さも、今となってはいい演出の一つに思えてきて気にならない。
友人と雑談しながら開演を待つ時間も、何やら居心地が良い。なんというかとても「おらが街のオーケストラをみんなが聞きに来た」といった感じのとてもリラックスしたアットホームな感じ。クラシックという性格上裕福層な白人老夫婦が多いが、その一方で若い人の姿も目立つ(※40歳未満の『若者』は安いというパッケージがあったからだと思うが)。
演奏もとても聞きごたえのあるものだった。弦楽器による和音がとても重厚だがすっきりしていて、きれいだなという印象(何かそんな褒め文句が美味しんぼであったような。ヒラメか何か)。特に印象に残るのは2曲目のBarberというおっちゃん作曲のピアノコンチェルト。まあ現代音楽ということなのだろうが、和音もリズムも実に先鋭的な曲。演奏の始終、一歩間違えばただの雑音になってしまいそうな和音がこれでもかこれでもかと浴びせかけられる。現代音楽を聞きなれていない自分は終始「おいおい大丈夫か」とハラハラしながら聞いていたが、ピアニストの腕の成せる技なのかオケのうまさなのか、「ギリギリセーフ、不協和音だけどなんだかきれい」みたいな状況が延々と続く。ピアニストのおっちゃんはすごいスピードでじゃんじゃかじゃんじゃかと不協和音を鳴らしていて、もはやおっちゃんがちゃんと弾けているのか実はミスっているのか判別がつかない。不思議な感じだが、全体としての印象はやっぱり重厚だがすっきりという感じ。それほど技術的な細かい話はわからないのだけど、きっとオケやピアニストの職人芸があるからこそ成り立ちうる極限芸のようなものだったのだろうと感じている。ザ・アメリカンDEBUといった感じでピアニストというよりテノール歌手なんじゃないかという感じのピアニストのおっちゃん、なかなかどうして魅せてくれた。いつも自分はコンチェルトで瞑想モードに入り無意識下で音楽を楽しむことにしているのだが(※集中力が持たずこの辺でオチてしまうだけ)、今回は思わず寝ずに聞いてしまった。
■ オーケストラの後は夕食。UCLAの台湾人同級生を交えシーフード。
台湾人君がいたので、はからずも自分と友人も英会話。最初はぎこちなかったが、気付けば英語で下ネタ等を飛ばすようになっているなど。よく見もせずに注文したら、自分のメインディッシュは魚介のフライ+大量のフレンチフライで、皆でシェアした前菜もCalamariのフライだったので随分とフライフライした感じのディナーになってしまった。しかも地ビールということで頼んだSamuel Adamsは結構しっかりしているというか濃いので、調子に乗って飲んでいたらすきっ腹にきてしまい、ホテルに着くころにはかなりの泥酔。。時差とあわせて、寝たり覚めたりが続いてしまった。
■ という感じのボストン一日目。やっぱり寒い街っていい。寒い街の夜には何とも言えないウキウキ感がある。LAの夜ではあまり味わえない感覚であり、シアトルでも同様の感覚があったのだが、この感覚をおぼえるたびに東京が恋しくなる。秋から冬にかけて東京のその辺を散歩するときの高揚感ったらないからなあ。
Thursday, November 10, 2011
青い目の特攻隊
○ 水曜日。 Valuationの中間試験だん。いまの自分の感覚では「何をそんなこまかいことばっかり...」と思ってしまうような内容で辟易してしまったのだが、まあきっとできなかったことによる言い訳根性なんだろう。。それにしても、試験にボールペンで挑む一部の外国人同級生を見るとスゲーと思わずにはいられない。日本人のことをハラキリとか特攻隊とか揶揄する割に、お前の方がよっぽど前のめりっちゅうかミスったときのこと考えてなくね??と思ってしまう。
○ 木曜日。キャンパスビジット対応の後授業。久しぶりに見かけた人がなんか不潔でどんよりした気分になってしまうなど。なんか教授が相変わらず自分のことを無駄に気にかけてくれていて、誰も発言しないと「おい、お前どうだ?」みたいな感じですぐ指してくる。なんだこれ。。
○ 明日からボストンに出張(ほんとの出張)。一度は経験しておきたかったボスキャリなるものに参加できることになったので、精一杯学生の悲喜こもごもをこの目で見届けてきたい。たくさんの宿題をたずさえていくのがアレだが...とりあえず明日はオケ→カニと行く予定。
○ 木曜日。キャンパスビジット対応の後授業。久しぶりに見かけた人がなんか不潔でどんよりした気分になってしまうなど。なんか教授が相変わらず自分のことを無駄に気にかけてくれていて、誰も発言しないと「おい、お前どうだ?」みたいな感じですぐ指してくる。なんだこれ。。
○ 明日からボストンに出張(ほんとの出張)。一度は経験しておきたかったボスキャリなるものに参加できることになったので、精一杯学生の悲喜こもごもをこの目で見届けてきたい。たくさんの宿題をたずさえていくのがアレだが...とりあえず明日はオケ→カニと行く予定。
Tuesday, November 8, 2011
私的再建かChapter11か?
私的再建か公的再建(Chapter11)かという記事についてのメモ。
■ 先行リサーチ
□ Jensen(1989):高レバレッジ企業の方が、金利や元本の未払いというトラブルが早期に発生しやすく、そのため低レバレッジ企業よりも早期に状態改善に着手する。すなわち、高レバレッジ企業はより私的再建を志向し、債権者に利益をもたらす
□ Gilson et al.:80年代のNYにおいては、サンプル企業のうち半分は私的再建を選択したし、Chapter11を選んだ企業の多くも新聞報道等によればまずは私的再建を志向していた。すなわち、企業は概して私的再建を好んでいた。これは私的再建の方がコスト(再建手続きにより社外に流出する富の量)が少ないと言うことの裏返しであると考えられる。
■ コスト比較:私的再建 vs. Chapter11
□ プロフェッショナルフィー(弁護士・投資銀行):彼らのフィーは基本的に時給。手続きにかかる時間はChapter11の方が長い。したがって、プロフェッショナルフィーは私的再建の方が低コスト。私的再建であれば、払えなくなった債務に関する関係者とだけ相談すればいいが、Chapter11をやってしまうと、「俺は優先順位高かったし金額もたいしたことなかったので問題なかったのに...」という人ともいちいちネゴをしなくてはならなくなる。Chapter11では彼らへのフィーはきっちり支払われるので、彼らに節約のインセンティブがない可能性がある。考えられる対応策としては、彼らへの報酬をキャッシュではなく会社の株式や債券等企業価値に連動する証券にすること。そうすれば彼らの利害と会社あるいは債権者の利害が一致する。
□ 裁判官=経営者:Chapter11では裁判官(破産管財人)が会社資産の管理を行うことになるが、これが会社の今後の資産効率を悪化させる可能性がある。管財人の仕事は(1)Chapter7よりは多額の金額を弁済できるようにすること(2)近い将来再び倒産しないようにすることに過ぎず、ROIを最大化することを考慮する必要に迫られていない。
□ 投資機会の喪失:倒産手続き中にもたもたしていることで、投資機会をみすみす逃すコストが存在しうる。このコストは、より手続きに時間のかかるCh11でより大きい。
■ Chapter11にも利点が
□ ニューマネー調達可能性:Chapter11であれば、DIPファイナンスが調達できる。
□ 金利発生が止まる。
□ Automatic Stayにより貸しはがしなどが食い止められる。
□ 再建案策定のためのVotingが簡単。
■ Holdout 問題
□ Holdout: 「あいつが債権カットに応じれば、俺は応じなくても大丈夫。なので、俺は債権カットに応じない」という債権者が出てきてしまうこと。
□ 公開されているような社債はこの問題が発生しやすい一方で、私的債権(銀行等)はHoldout問題が比較的生じづらい。私的に貸すようなエンティティは得てして銀行等大きくかつより合理的な(ホンマかいな)主体であり、自分がHoldoutすることによる悪影響により自覚的であると説明されうる。
■ 経営者のインセンティブ
□ 私的再建にあたり、経営者は得てして債権者を重視し、株主はあまりケアしない。これは経営者が会社を追放されないようにするためのインセンティブを持っているためである可能性がある。
■ 政策変化の影響
□ ここまではコスト面での私的再建のメリットが強調されていたが、近時の法・税制改正により、Chapter11が相対的に有利になりつつある。プレパッケージドChapter11はそのような状況で生まれた一種のハイブリッド。
■ 先行リサーチ
□ Jensen(1989):高レバレッジ企業の方が、金利や元本の未払いというトラブルが早期に発生しやすく、そのため低レバレッジ企業よりも早期に状態改善に着手する。すなわち、高レバレッジ企業はより私的再建を志向し、債権者に利益をもたらす
□ Gilson et al.:80年代のNYにおいては、サンプル企業のうち半分は私的再建を選択したし、Chapter11を選んだ企業の多くも新聞報道等によればまずは私的再建を志向していた。すなわち、企業は概して私的再建を好んでいた。これは私的再建の方がコスト(再建手続きにより社外に流出する富の量)が少ないと言うことの裏返しであると考えられる。
■ コスト比較:私的再建 vs. Chapter11
□ プロフェッショナルフィー(弁護士・投資銀行):彼らのフィーは基本的に時給。手続きにかかる時間はChapter11の方が長い。したがって、プロフェッショナルフィーは私的再建の方が低コスト。私的再建であれば、払えなくなった債務に関する関係者とだけ相談すればいいが、Chapter11をやってしまうと、「俺は優先順位高かったし金額もたいしたことなかったので問題なかったのに...」という人ともいちいちネゴをしなくてはならなくなる。Chapter11では彼らへのフィーはきっちり支払われるので、彼らに節約のインセンティブがない可能性がある。考えられる対応策としては、彼らへの報酬をキャッシュではなく会社の株式や債券等企業価値に連動する証券にすること。そうすれば彼らの利害と会社あるいは債権者の利害が一致する。
□ 裁判官=経営者:Chapter11では裁判官(破産管財人)が会社資産の管理を行うことになるが、これが会社の今後の資産効率を悪化させる可能性がある。管財人の仕事は(1)Chapter7よりは多額の金額を弁済できるようにすること(2)近い将来再び倒産しないようにすることに過ぎず、ROIを最大化することを考慮する必要に迫られていない。
□ 投資機会の喪失:倒産手続き中にもたもたしていることで、投資機会をみすみす逃すコストが存在しうる。このコストは、より手続きに時間のかかるCh11でより大きい。
■ Chapter11にも利点が
□ ニューマネー調達可能性:Chapter11であれば、DIPファイナンスが調達できる。
□ 金利発生が止まる。
□ Automatic Stayにより貸しはがしなどが食い止められる。
□ 再建案策定のためのVotingが簡単。
■ Holdout 問題
□ Holdout: 「あいつが債権カットに応じれば、俺は応じなくても大丈夫。なので、俺は債権カットに応じない」という債権者が出てきてしまうこと。
□ 公開されているような社債はこの問題が発生しやすい一方で、私的債権(銀行等)はHoldout問題が比較的生じづらい。私的に貸すようなエンティティは得てして銀行等大きくかつより合理的な(ホンマかいな)主体であり、自分がHoldoutすることによる悪影響により自覚的であると説明されうる。
■ 経営者のインセンティブ
□ 私的再建にあたり、経営者は得てして債権者を重視し、株主はあまりケアしない。これは経営者が会社を追放されないようにするためのインセンティブを持っているためである可能性がある。
■ 政策変化の影響
□ ここまではコスト面での私的再建のメリットが強調されていたが、近時の法・税制改正により、Chapter11が相対的に有利になりつつある。プレパッケージドChapter11はそのような状況で生まれた一種のハイブリッド。
Monday, November 7, 2011
父さんの会社が...
米国における倒産制度についてのメモ。
■ 倒産:Chapter 7(清算)とChapter 11(再建)の2つに大別される。
■ Chapter 7
□ 適用申請できるのは借り手たる会社あるいは貸し手。貸し手は債務不履行がないと適用申請できないが、会社はちゃんと返済しながらでも適用申請することができる
□ 適用が認可され次第、Automatic Stayが発動。貸し手が勝手に債権回収することができなくなる。担保設定している貸し手は、その際に自身の担保に対する権利を主張することができる。
□ Chapter7適用申請が認可され次第、破産管財人が裁判所により指名される。管財人は会社の資産査定等を行う。同時に、裁判所が債務の特定を進める。
□ 債務の充当順位は以下の通り:
1. 担保付債務
2. 倒産後に発生した債務(オフィス家賃など)
3. 非自発的倒産により発生した債務
4. 従業員給与(倒産の90日前まで、上限$2,000/人)
5. 従業員福利厚生(倒産の180日前まで、上限$2,000/人)
6. 顧客が会社に預けていた資金
7. 税金(法人税等の未払い分)
8. その他債務(倒産後の金利は通常債務にカウントされない)
9. 株式
■ Chapter 11
□ 再建を目指すための法律だが、事後的にChapter7、すなわち破産になることも
□ Chapter7と異なり、弁護士費用等は会社資産から拠出される
□ 再建のためには倒産後にも資金調達が必要になることがあり、銀行の同意や裁判者の許可を経た上で担保設定されている現金等価物が流動化されたり、DIP(Debtor-in-possession)ファイナンスが利用されることがある
□ 倒産後120日以内に再建計画の策定が行われる。弁済順位が法により決められているChapter7と異なり、会社は弁済順位をある程度自由に調整することができる。裁判所の認可の前に、債権者は会社が策定した再建案を票決する。
□ 裁判所は、再建案が債務者に受諾されたら、あるいは多少の反対があっても、その案を認可することができる。
□ 会社は債権者に対して「Chapter7を適用していたらもらえていたであろう金額」以上の金額を支払う必要がある。そのため、裁判所は「もしさっさと資産を処分していたらいくらになっていたか」を把握する必要がある。
□ 通常は、債務返済義務がなくなることで会社に利益が生じ課税義務が発生するが、Chapter11では例外的に課税義務が発生しない。ただし、この利益(COD:Cancellation of indebtedness)により繰越損失などが相殺されなければならないと定められている。
□ 通常は、繰越損失(NOL:Net operating losses)のキャリーオーバーには制限があるが、Chapter11においてはその制限が緩和される。
□ 再建案が認可されたら、裁判所は関与をやめ、倒産前同様、当事者間によるやり取りがなされる。
■ 倒産:Chapter 7(清算)とChapter 11(再建)の2つに大別される。
■ Chapter 7
□ 適用申請できるのは借り手たる会社あるいは貸し手。貸し手は債務不履行がないと適用申請できないが、会社はちゃんと返済しながらでも適用申請することができる
□ 適用が認可され次第、Automatic Stayが発動。貸し手が勝手に債権回収することができなくなる。担保設定している貸し手は、その際に自身の担保に対する権利を主張することができる。
□ Chapter7適用申請が認可され次第、破産管財人が裁判所により指名される。管財人は会社の資産査定等を行う。同時に、裁判所が債務の特定を進める。
□ 債務の充当順位は以下の通り:
1. 担保付債務
2. 倒産後に発生した債務(オフィス家賃など)
3. 非自発的倒産により発生した債務
4. 従業員給与(倒産の90日前まで、上限$2,000/人)
5. 従業員福利厚生(倒産の180日前まで、上限$2,000/人)
6. 顧客が会社に預けていた資金
7. 税金(法人税等の未払い分)
8. その他債務(倒産後の金利は通常債務にカウントされない)
9. 株式
■ Chapter 11
□ 再建を目指すための法律だが、事後的にChapter7、すなわち破産になることも
□ Chapter7と異なり、弁護士費用等は会社資産から拠出される
□ 再建のためには倒産後にも資金調達が必要になることがあり、銀行の同意や裁判者の許可を経た上で担保設定されている現金等価物が流動化されたり、DIP(Debtor-in-possession)ファイナンスが利用されることがある
□ 倒産後120日以内に再建計画の策定が行われる。弁済順位が法により決められているChapter7と異なり、会社は弁済順位をある程度自由に調整することができる。裁判所の認可の前に、債権者は会社が策定した再建案を票決する。
□ 裁判所は、再建案が債務者に受諾されたら、あるいは多少の反対があっても、その案を認可することができる。
□ 会社は債権者に対して「Chapter7を適用していたらもらえていたであろう金額」以上の金額を支払う必要がある。そのため、裁判所は「もしさっさと資産を処分していたらいくらになっていたか」を把握する必要がある。
□ 通常は、債務返済義務がなくなることで会社に利益が生じ課税義務が発生するが、Chapter11では例外的に課税義務が発生しない。ただし、この利益(COD:Cancellation of indebtedness)により繰越損失などが相殺されなければならないと定められている。
□ 通常は、繰越損失(NOL:Net operating losses)のキャリーオーバーには制限があるが、Chapter11においてはその制限が緩和される。
□ 再建案が認可されたら、裁判所は関与をやめ、倒産前同様、当事者間によるやり取りがなされる。
Entrepreneurial Finance (2)
■ このEntre Finで繰り替えし言われるのが、「皆が同じゲームをプレイせよ」ということ。セールスが売上高極大化のために在庫を積み上げたりすることのないように、皆が利益最大化に可能な限り直接的に貢献できるようにインセンティブ等の設計をするのが経営者の仕事であるということを口を酸っぱくして言われる。
■ このDo the same game、やや角度は異なるが、この授業のチームメイトとのやり取りで最近強く感じている。
□ チームメイト。昨年に行われた同じ授業のノートをどこからか入手して、自分の予習もそこそこにそのノートばっかり見ている模様。証拠をおさえたわけではないので確かなことは言えないのだが、ミーティングのときいつも、カンニングしてなきゃ思いつくことも難しそうなこと=授業で教授が重要論点として説明することをまるで自分の考えであるかのように言ってくる。皆が初めてプレーするはずのゴルフ場で、自分がティーグラウンドから見える情報を頼りに「右サイドは危ないな」とか言っているとき、一人だけ「ここのグリーンは奥に傾斜があるので手前に落とす必要がある」みたいなことを突然言ってくる。
□ 今日も、後になって教授が「本日のTakeaway」として紹介したとある公式を、まるで今ちょっと思いついたんだけど...みたいな顔をしてミーティングで話し始める。まだ議論を始めたばかりで、「この会社の強みはなんだ」みたいなごく導入部の議論しかしていない段階で突然「XY=WZの公式を使うとうまく理解できるかもね」みたいなことを言ってくる。なぜそう思うのか、あるいはどのようにしてそのアイディアを得たのか問い詰めても、思いついたの一点張り。
□ このミーティングの目的は提出のためのアウトプットを作ることではない。授業中の理解を深めるべく、ケースをより深く読み込むための頭の整理が主目的である。なので、論点整理をちゃんとやる前に「授業で聞かれる要点」をポンと提示されても、ケースの理解深化という目的がまったく果たされないのだ。むしろ、「授業における要点に関連する情報をケースから探し出すゲーム」みたいになってしまっており、学習効果が著しく削がれてしまっている。さんざん苦労してそれでもわからなくてもう限界...という状態にまで持っていくことで授業を最大限吸収することができるのに、「あーやっぱりあいつが言っていた論点が要点だったのね、はいはいわかったわかった」みたいになってしまい、単にクイズに正解してラッキー程度の感想しか持てずに終わってしまう。
□ 今週は、彼女が予習もせずに「XXXが重要じゃないかな」と言ってきたものの他のメンバーが「そうは思わない、むしろYYYを考えるべきだ」と反論。自分もYYYだと思い彼に同意を示す。彼女、答えはXXXだと知ってはいるものの予習していないから反論できず「じゃあYYYでいいかもね」と妥協。で、授業では案の定教授はXXXについて言及。YYYを主張した他のメンバーとか自分って一体...
□ 色々と改善のための手は打っている。「学習のためには答えを見ながらやるのではなく、たとえば議論が尽きてから参照するのでもいいではないか」とか「過去のノートを参照するのはいいが、自分の意見なのか過去のノートに書いてあることを喋っているだけなのか明確に分けてくれ」とか「俺は過去にカンニング絡みでトラブルに巻き込まれているので、トラブルは嫌だ」とか。でも、びっくりするくらい彼女は改善しようとしない。毎週毎週、答えから始まり、答えにたどり着くための情報だけを逆算的に探そうとするだけ。
□ 彼女に対しては、強く「目標のミスマッチ」を感じている。自分がこの授業に求める「理解の深化」は彼女にとって最優先事項ではないのだ。彼女にとっての優先事項は要領よくAを取ることあるいはコールドコールをうまく耐えきることにすぎず、「理解のための議論」なんてちゃんちゃらやっていられないのだ。根本的に違うゲームをやっていることから、こういった深いレベルでの理解(過去ノート参照を控えてもらう)を求めるときに対立が顕在化してしまうのだ。そしてここは会社ではないので、給料とか処遇といったツールで彼女の心を変えることができない。
□ 目的を揃える方向で努力するのか、あるいは目標が揃っていないなりになんとかかんとか協力を引き出すという発想をすべきなのか。答えは全然出ていないのだが、いずれにせよ、彼女が自分の考えであるかのように説明したアイディアを教授が一語一句ずれることなく言及したときの自分達の落胆を、なんとか彼女に理解してもらいたい。どうしたものか、本当になんとかしたいが本当に対策がわからん。
■ このDo the same game、やや角度は異なるが、この授業のチームメイトとのやり取りで最近強く感じている。
□ チームメイト。昨年に行われた同じ授業のノートをどこからか入手して、自分の予習もそこそこにそのノートばっかり見ている模様。証拠をおさえたわけではないので確かなことは言えないのだが、ミーティングのときいつも、カンニングしてなきゃ思いつくことも難しそうなこと=授業で教授が重要論点として説明することをまるで自分の考えであるかのように言ってくる。皆が初めてプレーするはずのゴルフ場で、自分がティーグラウンドから見える情報を頼りに「右サイドは危ないな」とか言っているとき、一人だけ「ここのグリーンは奥に傾斜があるので手前に落とす必要がある」みたいなことを突然言ってくる。
□ 今日も、後になって教授が「本日のTakeaway」として紹介したとある公式を、まるで今ちょっと思いついたんだけど...みたいな顔をしてミーティングで話し始める。まだ議論を始めたばかりで、「この会社の強みはなんだ」みたいなごく導入部の議論しかしていない段階で突然「XY=WZの公式を使うとうまく理解できるかもね」みたいなことを言ってくる。なぜそう思うのか、あるいはどのようにしてそのアイディアを得たのか問い詰めても、思いついたの一点張り。
□ このミーティングの目的は提出のためのアウトプットを作ることではない。授業中の理解を深めるべく、ケースをより深く読み込むための頭の整理が主目的である。なので、論点整理をちゃんとやる前に「授業で聞かれる要点」をポンと提示されても、ケースの理解深化という目的がまったく果たされないのだ。むしろ、「授業における要点に関連する情報をケースから探し出すゲーム」みたいになってしまっており、学習効果が著しく削がれてしまっている。さんざん苦労してそれでもわからなくてもう限界...という状態にまで持っていくことで授業を最大限吸収することができるのに、「あーやっぱりあいつが言っていた論点が要点だったのね、はいはいわかったわかった」みたいになってしまい、単にクイズに正解してラッキー程度の感想しか持てずに終わってしまう。
□ 今週は、彼女が予習もせずに「XXXが重要じゃないかな」と言ってきたものの他のメンバーが「そうは思わない、むしろYYYを考えるべきだ」と反論。自分もYYYだと思い彼に同意を示す。彼女、答えはXXXだと知ってはいるものの予習していないから反論できず「じゃあYYYでいいかもね」と妥協。で、授業では案の定教授はXXXについて言及。YYYを主張した他のメンバーとか自分って一体...
□ 色々と改善のための手は打っている。「学習のためには答えを見ながらやるのではなく、たとえば議論が尽きてから参照するのでもいいではないか」とか「過去のノートを参照するのはいいが、自分の意見なのか過去のノートに書いてあることを喋っているだけなのか明確に分けてくれ」とか「俺は過去にカンニング絡みでトラブルに巻き込まれているので、トラブルは嫌だ」とか。でも、びっくりするくらい彼女は改善しようとしない。毎週毎週、答えから始まり、答えにたどり着くための情報だけを逆算的に探そうとするだけ。
□ 彼女に対しては、強く「目標のミスマッチ」を感じている。自分がこの授業に求める「理解の深化」は彼女にとって最優先事項ではないのだ。彼女にとっての優先事項は要領よくAを取ることあるいはコールドコールをうまく耐えきることにすぎず、「理解のための議論」なんてちゃんちゃらやっていられないのだ。根本的に違うゲームをやっていることから、こういった深いレベルでの理解(過去ノート参照を控えてもらう)を求めるときに対立が顕在化してしまうのだ。そしてここは会社ではないので、給料とか処遇といったツールで彼女の心を変えることができない。
□ 目的を揃える方向で努力するのか、あるいは目標が揃っていないなりになんとかかんとか協力を引き出すという発想をすべきなのか。答えは全然出ていないのだが、いずれにせよ、彼女が自分の考えであるかのように説明したアイディアを教授が一語一句ずれることなく言及したときの自分達の落胆を、なんとか彼女に理解してもらいたい。どうしたものか、本当になんとかしたいが本当に対策がわからん。
Entrepreneurial Finance (1)
■ 月曜日はいちばん重たいEntrepreneruail Financeの日。例のごとく朝から授業開始直前までミーティングで論点を詰めて、授業で揉まれて。
■ 今回は規制緩和により業績が悪化した企業のケースと、予想外の成長を止めないために劣後債か株式の発行を検討する企業のケース。
□ 前者は、その当時その会社で幹部をしていた人がゲストスピーカーとして参加。というか教授もその会社の経営に参画していたそうで、2人で学生のコメントに対して色々とコメントをくれた。
□ 二人とも、全体的に「わかっちゃいたが、業況が悪化するのを停めることはできなかった」というトーンで、その後に「危機時のマネジメント」みたいな話をされたものの「お前が言うな」感がぬぐいきれず。学生の「こうすれば良かったのでは」に対して2人が「We did, but it didn't work」という回答を繰り返すのを聞くことで、
(1)「資産の切り売りをすべき」とか「資本構成の再編を図るべき」といった一般論レベルの 概念自体は時代を超えて通用するが
(2)それを実務レベルで形に落とす段階ではもう一段の困難がある
ということを認識させられた。方向性が間違っていないことが感じられたという点ではややほっとしたが、方向性だけでは飯が食えないという冷徹な事実を突き付けられたような思いの方が大きい。
□ MBAで一般論レベルの論点を網羅できることはメリットだが、それは当然ながらゴールではない。実務を通じ、星の数ほどわいてくるであろう個別具体的な論点にひとつひとつもがきながらなんとか仕事の一つ一つをやっつけていくことでしか、MBAでの学びを使えるレベルにまで昇華させることはできないのだ。
□ また、やや針小棒大な感じがするが、彼らのような失敗した人たちがそこでゲームオーバーとならずきっちり再起してここでゲストスピーカーとして起こったことをフランクに共有してくれているという事実それ自体もかなり深いものがある。さらに味わい深いことに、教授はともかく、そのゲストスピーカー氏は、そのケースの企業が倒産した後はしばらくの間かなり転職等で苦労をしたとのこと。失敗した人が再起できる土壌があるとはいえ、そういった人がただちに次のステップにするっと進んでいるわけではないのだ。そのあたり、なかなか色々考えさせられた。
■ このように、ゲストと話すことで理屈と実務の間にある壁のようなものを意識することができるのがこの授業のひとつのメリット。そして、もう一つのメリットは「大枠をぱっと掴むことができるようになること」。
□ この授業では、細かいバリュエーションの手法等はかなり省略される一方で、状況を迅速にかつ直感的に理解するためのBack-of-the-envelope Calculation(ざっくり計算)が重視されている。ホワイトボードでちゃちゃっとできるレベルの簡単な四則演算レベルの計算で、意思決定に必要なだいたいの相場観が得られるような計算。元手を2倍にするための72ルールとか、負債のキャパシティを推測するための同業他社データの見方とか。今日の2つ目のケースでは、ROEと株主資本コストを見比べることで株価が割安か割高かぱっと判断する手法を学んだ。
□ 個人的に「細かい論点はMBAというよりは現場で汗をかきながら学ぶ方が効率的。学校では、もう一段抽象的な、汎用性の高いコンセプトを習得したい」という思いがあったので、この授業の「大枠をつかむためのツール」重視、細かい計算はそこそこというスタンスはかなりフィット感がある。
□ この授業で毎回教わるそういった「ざっくり計算」は自身の相場観のようなものを形成するにあたり非常に有益である。おかげで、財務諸表データがどんどんVividに見えるようになってくる。よく「まず大枠をつかみ、それから初めて細かい計算に移るべし」みたいな話があり、自分も留学前に担当した新人研修ではそのような主旨のことを後背にやったような気がするが、大枠をつかむのも結構奥が深いということ・自分もまだまだ全然大枠をつかみ切れていなかったことをこの授業のおかげで痛感できている。
■ 今回は規制緩和により業績が悪化した企業のケースと、予想外の成長を止めないために劣後債か株式の発行を検討する企業のケース。
□ 前者は、その当時その会社で幹部をしていた人がゲストスピーカーとして参加。というか教授もその会社の経営に参画していたそうで、2人で学生のコメントに対して色々とコメントをくれた。
□ 二人とも、全体的に「わかっちゃいたが、業況が悪化するのを停めることはできなかった」というトーンで、その後に「危機時のマネジメント」みたいな話をされたものの「お前が言うな」感がぬぐいきれず。学生の「こうすれば良かったのでは」に対して2人が「We did, but it didn't work」という回答を繰り返すのを聞くことで、
(1)「資産の切り売りをすべき」とか「資本構成の再編を図るべき」といった一般論レベルの 概念自体は時代を超えて通用するが
(2)それを実務レベルで形に落とす段階ではもう一段の困難がある
ということを認識させられた。方向性が間違っていないことが感じられたという点ではややほっとしたが、方向性だけでは飯が食えないという冷徹な事実を突き付けられたような思いの方が大きい。
□ MBAで一般論レベルの論点を網羅できることはメリットだが、それは当然ながらゴールではない。実務を通じ、星の数ほどわいてくるであろう個別具体的な論点にひとつひとつもがきながらなんとか仕事の一つ一つをやっつけていくことでしか、MBAでの学びを使えるレベルにまで昇華させることはできないのだ。
□ また、やや針小棒大な感じがするが、彼らのような失敗した人たちがそこでゲームオーバーとならずきっちり再起してここでゲストスピーカーとして起こったことをフランクに共有してくれているという事実それ自体もかなり深いものがある。さらに味わい深いことに、教授はともかく、そのゲストスピーカー氏は、そのケースの企業が倒産した後はしばらくの間かなり転職等で苦労をしたとのこと。失敗した人が再起できる土壌があるとはいえ、そういった人がただちに次のステップにするっと進んでいるわけではないのだ。そのあたり、なかなか色々考えさせられた。
■ このように、ゲストと話すことで理屈と実務の間にある壁のようなものを意識することができるのがこの授業のひとつのメリット。そして、もう一つのメリットは「大枠をぱっと掴むことができるようになること」。
□ この授業では、細かいバリュエーションの手法等はかなり省略される一方で、状況を迅速にかつ直感的に理解するためのBack-of-the-envelope Calculation(ざっくり計算)が重視されている。ホワイトボードでちゃちゃっとできるレベルの簡単な四則演算レベルの計算で、意思決定に必要なだいたいの相場観が得られるような計算。元手を2倍にするための72ルールとか、負債のキャパシティを推測するための同業他社データの見方とか。今日の2つ目のケースでは、ROEと株主資本コストを見比べることで株価が割安か割高かぱっと判断する手法を学んだ。
□ 個人的に「細かい論点はMBAというよりは現場で汗をかきながら学ぶ方が効率的。学校では、もう一段抽象的な、汎用性の高いコンセプトを習得したい」という思いがあったので、この授業の「大枠をつかむためのツール」重視、細かい計算はそこそこというスタンスはかなりフィット感がある。
□ この授業で毎回教わるそういった「ざっくり計算」は自身の相場観のようなものを形成するにあたり非常に有益である。おかげで、財務諸表データがどんどんVividに見えるようになってくる。よく「まず大枠をつかみ、それから初めて細かい計算に移るべし」みたいな話があり、自分も留学前に担当した新人研修ではそのような主旨のことを後背にやったような気がするが、大枠をつかむのも結構奥が深いということ・自分もまだまだ全然大枠をつかみ切れていなかったことをこの授業のおかげで痛感できている。
Sunday, November 6, 2011
食ってばっかり
週末。
■ 土曜日。買物などを済ませた後、1週間ぶりでつじ田再訪。まずいな、通ってしまいそう。。つけ汁が何かの規制のせいとのことで(真偽不明)少しぬるいのだが、まああまり気にならないからOK。今回は自分はラーメンを食べたが、山頭火よりも山田屋よりもその他諸々よりも断然美味しい。やっとLAで本当に美味しいラーメンに出会えたような感覚。つけ麺とラーメンの繰り返しで週2はいけてしまうのではないかと危惧。。最近知り合った友人も日本のときからつじ田フリークだったそうでいい感じで通い詰めている模様。
その後はカマリロのアウトレットへ。自分は宿題をやっつけるべくアウトレットの駐車場で車にこもって勉強・・・するつもりだったのだが、トイレのため下りたついでにふらっと入った店でぽろぽろと浪費してしまい。。嗚呼
まあといいつつもたまっていた宿題の一部ができたので悪くない時間だった。まさかアウトレットの駐車場でケース読むことになるとは思っていなかったが。
カマリロのアウトレットの難点は、帰り道の渋滞。101号がいつも405との交差点10マイル手前位からかなり渋滞する。なので今回は、カマリロから23号を北上してそのまま110号へ。その日の101号を通ったわけではないのでこの選択がよかったのかどうか確かなことは言えないが、少なくとも110号は全く渋滞しておらずすいすい。スイスイすぎて、つい勢いで405に乗り換えず、そのままパサデナ方面に向かいDin Tai Fungで晩御飯。良く考えると割と久しぶりで、2か月ぶりくらいかも。
で、満腹の腹をさすりながら帰宅して、眠い目をこすりながら宿題の続きをするなど。
■ 日曜日。この日は朝からゴルフ。夏時間から冬時間への変更日なので若干混乱したが、なんとか無事現場へ。
寒いし雨だしとコンディションは最悪。この日は最近当地に来て知り合いになった友人がいてその人のLAゴルフデビュー戦だったのだが、だいぶ悪印象を与えてしまったかもしれない。。また近いうちイメージ改善のためゴルフしないと。帰り道、91号を走っているときに見えるYorba Lindaの山の上の住宅街は壮観。
帰宅後ちょろちょろと近所で買物して、夜は自分の誕生日パーティということでにじやで買ったトロとかウニとかで手巻きしたり、妻に作ってもらったケーキを食べたり。本当は明日なのだが、まあ日本時間ではもう生まれてたんじゃないかということでフライングで時間のある日曜夜に挙行。こないだの娘の誕生日のときもケーキのろうそくは3本で、今日の自分のろうそくも3本。。。あーあ、30になってもた。まさか外国で30歳を迎えることになるとは夢にも思わなんだ。。
■ 土曜日。買物などを済ませた後、1週間ぶりでつじ田再訪。まずいな、通ってしまいそう。。つけ汁が何かの規制のせいとのことで(真偽不明)少しぬるいのだが、まああまり気にならないからOK。今回は自分はラーメンを食べたが、山頭火よりも山田屋よりもその他諸々よりも断然美味しい。やっとLAで本当に美味しいラーメンに出会えたような感覚。つけ麺とラーメンの繰り返しで週2はいけてしまうのではないかと危惧。。最近知り合った友人も日本のときからつじ田フリークだったそうでいい感じで通い詰めている模様。
その後はカマリロのアウトレットへ。自分は宿題をやっつけるべくアウトレットの駐車場で車にこもって勉強・・・するつもりだったのだが、トイレのため下りたついでにふらっと入った店でぽろぽろと浪費してしまい。。嗚呼
まあといいつつもたまっていた宿題の一部ができたので悪くない時間だった。まさかアウトレットの駐車場でケース読むことになるとは思っていなかったが。
カマリロのアウトレットの難点は、帰り道の渋滞。101号がいつも405との交差点10マイル手前位からかなり渋滞する。なので今回は、カマリロから23号を北上してそのまま110号へ。その日の101号を通ったわけではないのでこの選択がよかったのかどうか確かなことは言えないが、少なくとも110号は全く渋滞しておらずすいすい。スイスイすぎて、つい勢いで405に乗り換えず、そのままパサデナ方面に向かいDin Tai Fungで晩御飯。良く考えると割と久しぶりで、2か月ぶりくらいかも。
で、満腹の腹をさすりながら帰宅して、眠い目をこすりながら宿題の続きをするなど。
■ 日曜日。この日は朝からゴルフ。夏時間から冬時間への変更日なので若干混乱したが、なんとか無事現場へ。
寒いし雨だしとコンディションは最悪。この日は最近当地に来て知り合いになった友人がいてその人のLAゴルフデビュー戦だったのだが、だいぶ悪印象を与えてしまったかもしれない。。また近いうちイメージ改善のためゴルフしないと。帰り道、91号を走っているときに見えるYorba Lindaの山の上の住宅街は壮観。
帰宅後ちょろちょろと近所で買物して、夜は自分の誕生日パーティということでにじやで買ったトロとかウニとかで手巻きしたり、妻に作ってもらったケーキを食べたり。本当は明日なのだが、まあ日本時間ではもう生まれてたんじゃないかということでフライングで時間のある日曜夜に挙行。こないだの娘の誕生日のときもケーキのろうそくは3本で、今日の自分のろうそくも3本。。。あーあ、30になってもた。まさか外国で30歳を迎えることになるとは夢にも思わなんだ。。
Saturday, November 5, 2011
インド人の逆襲
■ なんとなく、ここ数日が今学期で一番の山場である感じ。非常に忙しい。やることは宿題やら予習やらと変わらないのだが、今週はその分量が各科目とも少しずつ多くなっており全体としてはなかなかしんどい。しかも、間が悪いことに週末にゴルフを入れてしもた。。
唯一の救いは、計量経済のグループ課題。前回全く何もしなかったインド人君、さすがに悪いと思っていたようで、人が変わったようにテキパキとグループワークをリードしてくれている。自分と韓国人のD君で全てをやって他4人はじっと静かにメールを無視し続けていた前回から考えると、これはかなりのGood News。
■ 金曜日は昼にインタビュー、夜に近隣の留学生の飲み会。色々面白い話を聞けたので印象に残ったところを抜粋:
□ とあるご老人からの話。曰く、引退すると、何が大事で何がそれほど大事ではないかしみじみとわかるとのこと。金を持っていても仕方ないと思う一方で、今でもできる仕事(あるいはスキル)・近所で行き来できる間柄の友人・借金がないこと・趣味といったものは引退後わりと価値が高いようだ。また、それらに加え、引退に至るまでの自身の人生を相当程度自分でコントロールしたという感覚、あるいは誇りといったものも結構重要である印象を受けた。もちろん時代の趨勢やら事故やら他人やらの影響を受けるところは大いにあるだろうが、コアのところをきちんと自分で舵取りできたか否か、そこからもたらされる自身の人生に対する自負のような感覚。
まあ、今のうちから老後のことを見据えて生きていくのもアレなのだが、自分の価値観がぐらぐらして困ったときの一つの指針として「引退後あって嬉しい価値かどうか」というモノサシは割と有用であると実感させられた。
□ 留学生たち。色々な人が色々と面白い話を聞かせてくれて大変刺激的だったが、2パターンの人がいるのかなと思った
・何々をやりたい、国やら他人やらはどうあるべきだ、という構想をベースに話してくれる人
・何々をやっている、その結果こんな風になればいいなと思っている、と実際の行動をベースに話してくれる人
まあ一言で言えば「これから」の1年生と既に一年経過した2年生の違いってことなのかもしれないが、個人的には後者の人の話の方が面白かった。
唯一の救いは、計量経済のグループ課題。前回全く何もしなかったインド人君、さすがに悪いと思っていたようで、人が変わったようにテキパキとグループワークをリードしてくれている。自分と韓国人のD君で全てをやって他4人はじっと静かにメールを無視し続けていた前回から考えると、これはかなりのGood News。
■ 金曜日は昼にインタビュー、夜に近隣の留学生の飲み会。色々面白い話を聞けたので印象に残ったところを抜粋:
□ とあるご老人からの話。曰く、引退すると、何が大事で何がそれほど大事ではないかしみじみとわかるとのこと。金を持っていても仕方ないと思う一方で、今でもできる仕事(あるいはスキル)・近所で行き来できる間柄の友人・借金がないこと・趣味といったものは引退後わりと価値が高いようだ。また、それらに加え、引退に至るまでの自身の人生を相当程度自分でコントロールしたという感覚、あるいは誇りといったものも結構重要である印象を受けた。もちろん時代の趨勢やら事故やら他人やらの影響を受けるところは大いにあるだろうが、コアのところをきちんと自分で舵取りできたか否か、そこからもたらされる自身の人生に対する自負のような感覚。
まあ、今のうちから老後のことを見据えて生きていくのもアレなのだが、自分の価値観がぐらぐらして困ったときの一つの指針として「引退後あって嬉しい価値かどうか」というモノサシは割と有用であると実感させられた。
□ 留学生たち。色々な人が色々と面白い話を聞かせてくれて大変刺激的だったが、2パターンの人がいるのかなと思った
・何々をやりたい、国やら他人やらはどうあるべきだ、という構想をベースに話してくれる人
・何々をやっている、その結果こんな風になればいいなと思っている、と実際の行動をベースに話してくれる人
まあ一言で言えば「これから」の1年生と既に一年経過した2年生の違いってことなのかもしれないが、個人的には後者の人の話の方が面白かった。
Friday, November 4, 2011
ねーねー俺ってすごいでしょ
ふと思ったこと
■ よく金が全てか否かみたいな議論があるが、そういうとき、自分は反射的に「まあ金が一番ではないかなぁ」と感じる。勿論会社は資本主義の原理にのっとって動いているわけなので、会社ではお金を稼ぐことを常に念頭に置いて考えたり動いたりしたいと思う。ただ、仕事を離れたところ・人間としては、金銭は幸福を実現するためのひとつの手段にすぎず、金銭追及と幸福追求が倒錯してはいかん云々...というようなことをまあ思っている。
■ その一方で、先日どこぞで目にしてなるほどと思わずにはいられなかったのが、稼がない奴に限って自己顕示欲が強いという主張。この主張を見て、自分を含めたMBA学生に抱いていた違和感の一部が氷解した感覚。思うに、自分が違和感を持っていた一部のMBA学生(あるいは、なんか違和感がぬぐえなかった過去の自分の行動)は、口では色々言っていたが、結局のところ自身の中にある自己顕示欲が原動力だったのじゃないか。色々な行動の裏に、目立ちたがり根性とか「俺ってすごいだろ、褒めて褒めて」という欲求が隠し切れずに出てしまっているような気がしてならない。
自分の活動をFBとかを使って広めることでマーケティングに成功している人もいる。自分の人格を出すことで味方を増やしている人などを見るとすごいと思う。今日はっと思ったのは、「各種メリットを得るために自身の活動を広くアピールすることと、単に注目を集めたいがために自身の活動をアピールすることは紙一重だが全然違う」ということ。
自己承認欲求が否定されるべきとは思わない。だが、根っこにある自己承認欲・自己顕示欲については意識的であった方がよいのだろうという自戒。単に自分が目立ちたい、自分のプレゼンスを高めたいというのが目的なのに色々大きなことをぶちあげてしまうことはよくあるが、最低限、自分の中にある自己承認欲について自覚的でありたいと思った。特に自分はMBAはとっても向こう当面の稼ぎはMBAを取らなかった場合と比較してまったく増加しないので、「MBAを取ったのに...」という心情をなぐさめるために自己顕示欲を強めてしまいそうで怖い。目的達成のための顕示なのか、単なる自己顕示欲の発露なのか、この視点を忘れないようにしたいと思いここに備忘メモ。
あるいは、稼いだら自己顕示欲はかなり小さくなるようなので、いっそ稼いでしまう方向でも個人的には全然welcomeなのだが..
■ よく金が全てか否かみたいな議論があるが、そういうとき、自分は反射的に「まあ金が一番ではないかなぁ」と感じる。勿論会社は資本主義の原理にのっとって動いているわけなので、会社ではお金を稼ぐことを常に念頭に置いて考えたり動いたりしたいと思う。ただ、仕事を離れたところ・人間としては、金銭は幸福を実現するためのひとつの手段にすぎず、金銭追及と幸福追求が倒錯してはいかん云々...というようなことをまあ思っている。
■ その一方で、先日どこぞで目にしてなるほどと思わずにはいられなかったのが、稼がない奴に限って自己顕示欲が強いという主張。この主張を見て、自分を含めたMBA学生に抱いていた違和感の一部が氷解した感覚。思うに、自分が違和感を持っていた一部のMBA学生(あるいは、なんか違和感がぬぐえなかった過去の自分の行動)は、口では色々言っていたが、結局のところ自身の中にある自己顕示欲が原動力だったのじゃないか。色々な行動の裏に、目立ちたがり根性とか「俺ってすごいだろ、褒めて褒めて」という欲求が隠し切れずに出てしまっているような気がしてならない。
自分の活動をFBとかを使って広めることでマーケティングに成功している人もいる。自分の人格を出すことで味方を増やしている人などを見るとすごいと思う。今日はっと思ったのは、「各種メリットを得るために自身の活動を広くアピールすることと、単に注目を集めたいがために自身の活動をアピールすることは紙一重だが全然違う」ということ。
自己承認欲求が否定されるべきとは思わない。だが、根っこにある自己承認欲・自己顕示欲については意識的であった方がよいのだろうという自戒。単に自分が目立ちたい、自分のプレゼンスを高めたいというのが目的なのに色々大きなことをぶちあげてしまうことはよくあるが、最低限、自分の中にある自己承認欲について自覚的でありたいと思った。特に自分はMBAはとっても向こう当面の稼ぎはMBAを取らなかった場合と比較してまったく増加しないので、「MBAを取ったのに...」という心情をなぐさめるために自己顕示欲を強めてしまいそうで怖い。目的達成のための顕示なのか、単なる自己顕示欲の発露なのか、この視点を忘れないようにしたいと思いここに備忘メモ。
あるいは、稼いだら自己顕示欲はかなり小さくなるようなので、いっそ稼いでしまう方向でも個人的には全然welcomeなのだが..
Wednesday, November 2, 2011
すべて貼り付け、ダメ、絶対!!
■ あーーーなんだか忙しい。タスクがじわりじわりと堆積してきていて、自分の心をじんわりと蝕んでいる感じ。娘の音楽教室の一時間で思わず癒しを感じてしまうあたり結構やばい。ていうか、来週の授業、予習課題がケースと聞いていたのに実在する企業のぶあついアニュアルレポート2年分とかって。。死ねと言うのか。。
■ どうにもイマイチなメンタルをまぎらわせるべく、LinkedInとGoogleの写真を取り替えてみた。Gmailのインターフェイスが新しくなり、写真があった方がいい雰囲気になっているのでやってみたが、実写(?)は少し小恥ずかしいので、近々にまた元に戻すかも。。
■ 来学期(Winter Qtr.)の時間割が発表された。なんとびっくり、取りたかった授業第一位と第二位が見事にバッティング。また、定休日を確保したいなーとか色々考え出すと、うまいこと時間割が決まらず悶々。忙しいのに何て勿体ない時間の使い方。。個人的にはマーケティングを取ってみたいなぁとか思っているが、定休日の確保を考えると場所が悪い。
■ Valution系の授業で、他人のExcelを見ながら議論することが増えているのだが、IBコンサル以外出身者の人のスキルが全然なってなくて参る(上から目線ですいません)。IBでもコンサルでもなかった自分のスキルは大したことないはずなのだが、そんな自分でも突っ込みたくなってしまう人が多い。。
□ シートAのデータをベースにシートBにPro Formaを作るときとか、シートAからシートBにデータを値貼り付けしている大馬鹿野郎とか、ひどいやつは一々手入力していた。なんだか誤差があるなぁと思ったら、元データは18.29852...と端数があるのに、そいつは18と手でベタ打ち。ちょちょちょ。。。
□ 色々な仮定を置くのはいいが、その仮定になんの説明もつけず良しとするやつとか。競合8社の中から比較対象に用いる企業を4社ピックアップしたのに、単に「A, C, D, Gの4社のデータを利用」とだけ書いて、エクセルテーブルの脇にも本文にも、なぜその4社にしたのか説明を全くつけずに気にならないやつ。チェックが甘かった自分も悪いが、今日帰ってきたとあるレポートの採点を見たら「この仮定の根拠は?」「why?」というコメントのオンパレード。
□ ベタ打ち厳禁!! 法人税を計算するセルにしれっと「E48*38%」とか、「(前年比)+5%」とか。感応度分析を試みたのに結果がびくとも動かなくてがっかりする。
□ せっかく皆が色々体裁を整えているところに、容赦なく書式ガン無視でCtrl+C(すべて貼り付け)で書式をぶっ壊す人とか。
□ それなだまだしも、「えーと右クリックで、コピーして、また右クリックして、貼り付け、あ、書式変わっちゃったよ。出てきた貼り付けオプションのアイコンをクリックすると、、、ああ、今度は書式がまったくなくなってしまった」とかもうMBAの前にExcel講座に通ってほしい。もうその作業だけで何秒俺たちの時間を奪う気かと。一時間遅刻されるよりイラっとする。最低限Ctrl+A, B, C, D, F, H, I, N, P, R, S, U, X, Y, Z, 1, 5あたりはマストじゃないのか。
□ 無駄にカラフルな表を作って、白黒(グレースケール)で印刷したら文字が霞のように薄くて見えないとかもう勘弁。白黒印刷のときその色がどの程度のグレーになるか知っておいてくれ。
□ 皆がTimes New Romanを使っているのに、いくらデフォルトフォントがCalibriだからといってそのままCalibriの表をベタっと貼り付けて終わりにしないでくれ。
とか何とか思うのだが、どうも直接物申す機会に恵まれず、ひたすら悶々とする日々。
そんな人たちのPCデスクトップは決まってWindowsマークのまんま、ツールバーやデスクトップのアイコンは大きいまま、インターネットはIE、Gmailと学校のメールを統合もせずに「読んでなかった。そっちに送るお前が悪い」とか言う。
■ どうにもイマイチなメンタルをまぎらわせるべく、LinkedInとGoogleの写真を取り替えてみた。Gmailのインターフェイスが新しくなり、写真があった方がいい雰囲気になっているのでやってみたが、実写(?)は少し小恥ずかしいので、近々にまた元に戻すかも。。
■ 来学期(Winter Qtr.)の時間割が発表された。なんとびっくり、取りたかった授業第一位と第二位が見事にバッティング。また、定休日を確保したいなーとか色々考え出すと、うまいこと時間割が決まらず悶々。忙しいのに何て勿体ない時間の使い方。。個人的にはマーケティングを取ってみたいなぁとか思っているが、定休日の確保を考えると場所が悪い。
■ Valution系の授業で、他人のExcelを見ながら議論することが増えているのだが、IBコンサル以外出身者の人のスキルが全然なってなくて参る(上から目線ですいません)。IBでもコンサルでもなかった自分のスキルは大したことないはずなのだが、そんな自分でも突っ込みたくなってしまう人が多い。。
□ シートAのデータをベースにシートBにPro Formaを作るときとか、シートAからシートBにデータを値貼り付けしている大馬鹿野郎とか、ひどいやつは一々手入力していた。なんだか誤差があるなぁと思ったら、元データは18.29852...と端数があるのに、そいつは18と手でベタ打ち。ちょちょちょ。。。
□ 色々な仮定を置くのはいいが、その仮定になんの説明もつけず良しとするやつとか。競合8社の中から比較対象に用いる企業を4社ピックアップしたのに、単に「A, C, D, Gの4社のデータを利用」とだけ書いて、エクセルテーブルの脇にも本文にも、なぜその4社にしたのか説明を全くつけずに気にならないやつ。チェックが甘かった自分も悪いが、今日帰ってきたとあるレポートの採点を見たら「この仮定の根拠は?」「why?」というコメントのオンパレード。
□ ベタ打ち厳禁!! 法人税を計算するセルにしれっと「E48*38%」とか、「(前年比)+5%」とか。感応度分析を試みたのに結果がびくとも動かなくてがっかりする。
□ せっかく皆が色々体裁を整えているところに、容赦なく書式ガン無視でCtrl+C(すべて貼り付け)で書式をぶっ壊す人とか。
□ それなだまだしも、「えーと右クリックで、コピーして、また右クリックして、貼り付け、あ、書式変わっちゃったよ。出てきた貼り付けオプションのアイコンをクリックすると、、、ああ、今度は書式がまったくなくなってしまった」とかもうMBAの前にExcel講座に通ってほしい。もうその作業だけで何秒俺たちの時間を奪う気かと。一時間遅刻されるよりイラっとする。最低限Ctrl+A, B, C, D, F, H, I, N, P, R, S, U, X, Y, Z, 1, 5あたりはマストじゃないのか。
□ 無駄にカラフルな表を作って、白黒(グレースケール)で印刷したら文字が霞のように薄くて見えないとかもう勘弁。白黒印刷のときその色がどの程度のグレーになるか知っておいてくれ。
□ 皆がTimes New Romanを使っているのに、いくらデフォルトフォントがCalibriだからといってそのままCalibriの表をベタっと貼り付けて終わりにしないでくれ。
とか何とか思うのだが、どうも直接物申す機会に恵まれず、ひたすら悶々とする日々。
そんな人たちのPCデスクトップは決まってWindowsマークのまんま、ツールバーやデスクトップのアイコンは大きいまま、インターネットはIE、Gmailと学校のメールを統合もせずに「読んでなかった。そっちに送るお前が悪い」とか言う。
Tuesday, November 1, 2011
Trick or Treat or Toilet
ここ最近の模様
■ 月曜日。例のごとく朝からミーティングして夕方に授業。その後学校まで迎えに来てもらいその足でサンタモニカのMontana Ave.周辺にハロウィンのTrick or Treatをしにいってきた。
□ 香港からの交換留学生A君は子供が生まれたことから先週に引き続きスカイプでのミーティング参加・・・のはずだったが、寝落ち(後日談)したそうでミーティングに登場せず。もう一人のチームメイトの台湾人Jは、どうも予習する暇がなかったようで、最初の30分くらいは「いかに予習したふりをするか」に全力を注いでいた。結局議論にならないのでその場で予習してもらって、午後に改めてその人とはミーティングをした。不機嫌になってしまい「他に言い方あったのかな...」とちょっと後悔したりもしたが、まあ準備してないお前が悪いやろ。
□ モンタナでのTrick or Treatは昨年に引き続き2年連続。今年は平日だからか去年より車も停めやすくて良かった。とはいえ家々の飾りやお菓子配りは前年通りの盛況で、去年より状況はだいぶよかった感じ。ただ、残念なことに自分のコンディションが良くなかった。学校でコーラを飲んだせいか尿意を催してしまい、全然Trick or Treatどころではなかった。こんなにトイレを我慢したのは中学生以来かも。。
■ 火曜日。定休日なので爆寝して、午後はリサーチの関係でニューポートビーチへ。こんないいところにいたら、ちょっと野心のある人はそりゃ起業もしたくなるよねぇなんて思ってしまう。
□ いよいよ宿題が手に負えなくなってきた。これまでは平均して提出日の3,4日前には少なくとも自分の担当分は終わっていたのだが、最近は完全に自転車操業状態で、2日前、ひどいときには前日に宿題を始めることも。こうやって短期的なタスクに追われているとアドレナリンが出て達成感はあるのだが、その達成感がフェイクであることに留意しないといけないなぁと自戒。
■ 月曜日。例のごとく朝からミーティングして夕方に授業。その後学校まで迎えに来てもらいその足でサンタモニカのMontana Ave.周辺にハロウィンのTrick or Treatをしにいってきた。
□ 香港からの交換留学生A君は子供が生まれたことから先週に引き続きスカイプでのミーティング参加・・・のはずだったが、寝落ち(後日談)したそうでミーティングに登場せず。もう一人のチームメイトの台湾人Jは、どうも予習する暇がなかったようで、最初の30分くらいは「いかに予習したふりをするか」に全力を注いでいた。結局議論にならないのでその場で予習してもらって、午後に改めてその人とはミーティングをした。不機嫌になってしまい「他に言い方あったのかな...」とちょっと後悔したりもしたが、まあ準備してないお前が悪いやろ。
□ モンタナでのTrick or Treatは昨年に引き続き2年連続。今年は平日だからか去年より車も停めやすくて良かった。とはいえ家々の飾りやお菓子配りは前年通りの盛況で、去年より状況はだいぶよかった感じ。ただ、残念なことに自分のコンディションが良くなかった。学校でコーラを飲んだせいか尿意を催してしまい、全然Trick or Treatどころではなかった。こんなにトイレを我慢したのは中学生以来かも。。
■ 火曜日。定休日なので爆寝して、午後はリサーチの関係でニューポートビーチへ。こんないいところにいたら、ちょっと野心のある人はそりゃ起業もしたくなるよねぇなんて思ってしまう。
□ いよいよ宿題が手に負えなくなってきた。これまでは平均して提出日の3,4日前には少なくとも自分の担当分は終わっていたのだが、最近は完全に自転車操業状態で、2日前、ひどいときには前日に宿題を始めることも。こうやって短期的なタスクに追われているとアドレナリンが出て達成感はあるのだが、その達成感がフェイクであることに留意しないといけないなぁと自戒。
Sunday, October 30, 2011
投資家Tips
Entrepreneurial Financeという名物授業に来たゲストスピーカーの講演が面白かったので要点をメモ。
PE等投資家が肝に銘じておくべきポイントについて。先日のReadingの良い補完材料。
■ Cash is king
BSとかPLとかはサブ。とにかくキャッシュを見ろ。財務諸表が出てきたら、まずはBSの差額を計算したりして、企業がどうやって資金調達をしてどこに金を投じているのか見ること。運転資金は大事。
■ See whole Channel
その企業だけを見るのではなく、仕入れ先、納入先等サプライチェーン全体を俯瞰すること。売り上げが本当に消費者が購入したことによるものか、あるいは単に下流の販売店等に押し込んでいるだけか確認は必要。売上高を鵜呑みにしてはならない
■ Don't do linear interpolation
ファイナンスバックグラウンドのやつが一番はまる罠はこれ。何でもかんでも過去の延長で考えようとして、今後起こりうることに対する洞察が足りないやつが多い。線形回帰するだけならだれでもできる。これまでのトレンドを踏まえつつも、トレンド以外の何かが起こることをどれだけ想定できるか。
■ Deal with creditors
金融機関との付き合いは非常に重要。
また、付き合い方は時によって変わることも理解しておけ
■ Play the same game
インセンティブを関係者で統一することは非常に、超、大事。現場のセールスが売上高の極大化を目指してコントローラーが費用の最小化を目指して...という企業は最悪。投資家の仕事の大半は、投資先の関係者一同に同じゲームをさせることと言っても過言ではない。経営者の報酬設計から従業員のボーナスプランまで、これは技術的な問題ではなく中核的な問題。全員が同じゲームをしていない会社はすべからく駄目だ。
PE等投資家が肝に銘じておくべきポイントについて。先日のReadingの良い補完材料。
■ Cash is king
BSとかPLとかはサブ。とにかくキャッシュを見ろ。財務諸表が出てきたら、まずはBSの差額を計算したりして、企業がどうやって資金調達をしてどこに金を投じているのか見ること。運転資金は大事。
■ See whole Channel
その企業だけを見るのではなく、仕入れ先、納入先等サプライチェーン全体を俯瞰すること。売り上げが本当に消費者が購入したことによるものか、あるいは単に下流の販売店等に押し込んでいるだけか確認は必要。売上高を鵜呑みにしてはならない
■ Don't do linear interpolation
ファイナンスバックグラウンドのやつが一番はまる罠はこれ。何でもかんでも過去の延長で考えようとして、今後起こりうることに対する洞察が足りないやつが多い。線形回帰するだけならだれでもできる。これまでのトレンドを踏まえつつも、トレンド以外の何かが起こることをどれだけ想定できるか。
■ Deal with creditors
金融機関との付き合いは非常に重要。
また、付き合い方は時によって変わることも理解しておけ
■ Play the same game
インセンティブを関係者で統一することは非常に、超、大事。現場のセールスが売上高の極大化を目指してコントローラーが費用の最小化を目指して...という企業は最悪。投資家の仕事の大半は、投資先の関係者一同に同じゲームをさせることと言っても過言ではない。経営者の報酬設計から従業員のボーナスプランまで、これは技術的な問題ではなく中核的な問題。全員が同じゲームをしていない会社はすべからく駄目だ。
アイデンティティ
■ 何かの弾みで、県人会なるものにお招き頂いてしまった。。実に大人の世界で正直おなか一杯だが、これも日本では絶対に体験できそうにないのでいい体験ができた。世の中には色々な人がいるのだなぁと改めて感嘆。
自分の親は転勤族だったので、これまで出身を聞かれるたびにもごもごしてしまっていた。また、自分としても、アイデンティティが弱いということが常に気がかりというかちょっとした劣等感のようなものを持っていた。ずっと一つの街に過ごしていた人がノータイムで「僕の出身はXXXです」というのがずっと羨ましかった。
しかし、今回参加した県人会は、自分が幼少時ほんの数年住んでいただけの県。思い入れはあるが、出席できるほどその県に根付いていたとは到底言い難い。それでも参加させてもらい、且つそこそこローカルトークも楽しめたことから、自分のアイデンティティについてちょっとした開眼のようなものがあった。特定の場所に長期間住んでいなかったことを劣等感に思わず、むしろそれぞれの住んでいた町についてアイデンティティを感じてしまってもいいのではないか。住んでいた町全てが自分の故郷であると考えてしまえば、これまでの劣等感が一転複数のアイデンティティを自由自在に使い分けることができる強みになるのではないかと。A県トークもB県トークもC県トークもそれなりにできてしまうのは、これはむしろ強みなんじゃないかと。
故郷についてどこか一つ選べと言われたら相変わらず困惑してしまうかもしれない。また、その町の市長になれるほど深いコネクションを構築できるほどの深さは獲得しえない。でも、そんなことはあまり気にせず、A県出身として振る舞いたければA県出身として、B県出身として振る舞いたければB県出身と好き勝手に自身のIdentificationをやってしまってもいいじゃないか。そんなことをふと思い、結構心が晴れる思い。もちろん、ここカリフォルニアも、変に「2年しかいなかったから故郷なんておこがましい」などと考える必要はないのだ。アメリカ人や在米日本人と今後意思疎通の機会があれば、ためらいなく自分の故郷は(ある意味)カリフォルニアである旨堂々と話してしまえばいいじゃないか。全ては結局自分なのだ。故郷だってその他いかなるアイデンティティだって、出身や身体的特性により「決められる」のではない。自分がどう考えるかによって「自ら決める」ものでもいいじゃないか。
これまで、転勤が多かった自分の境遇について少し劣等感を持っていた(幼少時も転勤してるし、自分が社会人になってからも転々としている)。しかし、今日突然成り行きでA県人としてのアイデンティティを意識させられたことで、アイデンティティについてもっと自由に考えていいじゃないかということを急に思うことができるようになった。単に自己正当化の言い訳が見つかっただけなのかもしれないが、それでもいいのだ。自分の中でふわふわしていたことが今日思いがけず急にすっきりしてしまった。
自分の親は転勤族だったので、これまで出身を聞かれるたびにもごもごしてしまっていた。また、自分としても、アイデンティティが弱いということが常に気がかりというかちょっとした劣等感のようなものを持っていた。ずっと一つの街に過ごしていた人がノータイムで「僕の出身はXXXです」というのがずっと羨ましかった。
しかし、今回参加した県人会は、自分が幼少時ほんの数年住んでいただけの県。思い入れはあるが、出席できるほどその県に根付いていたとは到底言い難い。それでも参加させてもらい、且つそこそこローカルトークも楽しめたことから、自分のアイデンティティについてちょっとした開眼のようなものがあった。特定の場所に長期間住んでいなかったことを劣等感に思わず、むしろそれぞれの住んでいた町についてアイデンティティを感じてしまってもいいのではないか。住んでいた町全てが自分の故郷であると考えてしまえば、これまでの劣等感が一転複数のアイデンティティを自由自在に使い分けることができる強みになるのではないかと。A県トークもB県トークもC県トークもそれなりにできてしまうのは、これはむしろ強みなんじゃないかと。
故郷についてどこか一つ選べと言われたら相変わらず困惑してしまうかもしれない。また、その町の市長になれるほど深いコネクションを構築できるほどの深さは獲得しえない。でも、そんなことはあまり気にせず、A県出身として振る舞いたければA県出身として、B県出身として振る舞いたければB県出身と好き勝手に自身のIdentificationをやってしまってもいいじゃないか。そんなことをふと思い、結構心が晴れる思い。もちろん、ここカリフォルニアも、変に「2年しかいなかったから故郷なんておこがましい」などと考える必要はないのだ。アメリカ人や在米日本人と今後意思疎通の機会があれば、ためらいなく自分の故郷は(ある意味)カリフォルニアである旨堂々と話してしまえばいいじゃないか。全ては結局自分なのだ。故郷だってその他いかなるアイデンティティだって、出身や身体的特性により「決められる」のではない。自分がどう考えるかによって「自ら決める」ものでもいいじゃないか。
これまで、転勤が多かった自分の境遇について少し劣等感を持っていた(幼少時も転勤してるし、自分が社会人になってからも転々としている)。しかし、今日突然成り行きでA県人としてのアイデンティティを意識させられたことで、アイデンティティについてもっと自由に考えていいじゃないかということを急に思うことができるようになった。単に自己正当化の言い訳が見つかっただけなのかもしれないが、それでもいいのだ。自分の中でふわふわしていたことが今日思いがけず急にすっきりしてしまった。
Friday, October 28, 2011
ココイチ
ここ数日の模様
■ NYCから友人が来訪。学業の一環とのことで非常に羨ましい。これまでも何人かLAには遊びに来てくれているがそのたびにどうもてなしたものか迷いに迷う。今回もネタの無さに困ったが、結局トーランスのもつ鍋を一日、自宅で普通の鍋を一日と鍋三昧。LAとは全く生活スタイルの異なるNYCライフについて聞いて都会を羨んだり互いのここ数年を語り合って思い出を懐かしんだり、とても楽しい時間を過ごすことができた。本当は一日くらい車で観光案内できればよかったのだが、なんやかんや自分の予定が詰まってしまっていて、この車社会LAを公共交通機関で観光させる形になってしまい恐縮。。
■ 金曜日は何人かリサーチ関係のインタビュー。2人合計で6時間にもわたり話を聞かせてもらうことができた。とんでもない金額の時間泥棒をしてしまい恐縮しつつも、話のあまりの面白さに大興奮。帰宅が10時半と遅くなってしまったが、実に充実した一日であった。終わった後にまた会いましょうと言ってもらえると、社交辞令だろうけれども実に嬉しいものだ。
2つのインタビューの間に時間があったので、昼飯はトーランスに最近できたココイチ。日本にいるときはココイチの野菜カレーが大好きだったので、懐かしさのあまりむさぼるように食べてしまった(その結果、来ていったワイシャツにはカレー色の恥ずかしいシミがいくつか...)。外国人店員に「イラッシャイマセ」と言われてぎょっとしたが、これも良く考えてみたらいつも言っていた渋谷のココイチだって変わらんな。あそこもインド人とか中国人にイラッシャイマセと言われていたっけ。
食後には、トーランスのミツワの濱田屋にてクリームパフ(シュークリーム)をmgmg、コーヒーをgkgk、その後三省堂にて雑誌を立ち読みし駐車場で昼寝。嗚呼素晴らしい一日。
■ といいつつ宿題もしないといけないのだが、時間が足りない。最近どうも成長期なのか毎日一時には瞼が重くなってしまうので、得意の「時間が足りないなら寝なきゃいいじゃん作戦」も思うように使えず焦る。学期始めには4時間半睡眠構想とかあったが。。。最近よく眠ってしまっているな。。。嗚呼
■ NYCから友人が来訪。学業の一環とのことで非常に羨ましい。これまでも何人かLAには遊びに来てくれているがそのたびにどうもてなしたものか迷いに迷う。今回もネタの無さに困ったが、結局トーランスのもつ鍋を一日、自宅で普通の鍋を一日と鍋三昧。LAとは全く生活スタイルの異なるNYCライフについて聞いて都会を羨んだり互いのここ数年を語り合って思い出を懐かしんだり、とても楽しい時間を過ごすことができた。本当は一日くらい車で観光案内できればよかったのだが、なんやかんや自分の予定が詰まってしまっていて、この車社会LAを公共交通機関で観光させる形になってしまい恐縮。。
■ 金曜日は何人かリサーチ関係のインタビュー。2人合計で6時間にもわたり話を聞かせてもらうことができた。とんでもない金額の時間泥棒をしてしまい恐縮しつつも、話のあまりの面白さに大興奮。帰宅が10時半と遅くなってしまったが、実に充実した一日であった。終わった後にまた会いましょうと言ってもらえると、社交辞令だろうけれども実に嬉しいものだ。
2つのインタビューの間に時間があったので、昼飯はトーランスに最近できたココイチ。日本にいるときはココイチの野菜カレーが大好きだったので、懐かしさのあまりむさぼるように食べてしまった(その結果、来ていったワイシャツにはカレー色の恥ずかしいシミがいくつか...)。外国人店員に「イラッシャイマセ」と言われてぎょっとしたが、これも良く考えてみたらいつも言っていた渋谷のココイチだって変わらんな。あそこもインド人とか中国人にイラッシャイマセと言われていたっけ。
食後には、トーランスのミツワの濱田屋にてクリームパフ(シュークリーム)をmgmg、コーヒーをgkgk、その後三省堂にて雑誌を立ち読みし駐車場で昼寝。嗚呼素晴らしい一日。
■ といいつつ宿題もしないといけないのだが、時間が足りない。最近どうも成長期なのか毎日一時には瞼が重くなってしまうので、得意の「時間が足りないなら寝なきゃいいじゃん作戦」も思うように使えず焦る。学期始めには4時間半睡眠構想とかあったが。。。最近よく眠ってしまっているな。。。嗚呼
Wednesday, October 26, 2011
経営者・起業家にとってのファイナンス
授業のリーディングがとても参考になったのでメモ。
1. 要約
原題は『起業家が知っておくべきもの:ファイナンスの観点から』というものでHBSの教授によるもの。
起業家のためのペーパーとのことだが、起業家に限らず将来の経営者やCFO・あるいは金融機関・コンサルタントにとっても必要不可欠な論点が実にきれいに網羅されている。
要旨は
・ファイナンスとは(1)キャッシュ(2)リスクそして(3)価値について考えるための手がかりであり、
・これら3要素についてきちんと理解をしておくことは起業家にとって必要不可欠である。
・具体的には云々
ということで、上記(1)~(3)について具体的な議論が展開される。
2. キャッシュ
■ 経営者は損益ではなくキャッシュフローを見て意思決定や分析を行うべき。会計は別モノ。
■ 意思決定の尺度には、会計損益による指標(ROEとか)ではなくNPVを使うべき。
■ 経営者や従業員のインセンティブ設計(あるいは報酬設計)は、会計利益ではなくNPVをベースとすべき。
□ 会計上の利益を良くするためにキャッシュフローが毀損されうる。
□ 今年一年の利益を良くするために、将来のキャッシュが全て織り込まれたNPVが毀損されうる。
■ 税負担の最小化を図るべし。ただし法の範囲で
■ 成長メカニズムを理解すべき
□ 成長のためには資産の積み増しが必要。
□ 資産を増やすためには負債でもエクイティでも、何かしら資本を増やす必要。
□ バランスシートを拡大させることなく売上高の成長というのは、一般的には非現実的。
□ あわせて、インフレを考慮すべき。名目では成長していても、実質ではどうか?
■ 経済のパターンを理解すべし。
□ 季節性・ビジネスサイクル・景気変動等。
□ 変動パターンを予測しきる必要はない。誰も明日の金利を予言できない。
□ でも、どんな変動のときにはどんな対応をするか、準備できてないとまずい。
□ 大事なのは予測ではなく対応。
■ シナリオを描き不確実性に立ち向かえ。
□ 最悪の事態を想定すればいいというわけじゃない。大事は大事だが、滅多におきないことだけ備えてもダメ
□ 起こりうるシナリオを考えて、そのシナリオに対する対応を考えるのが肝要
□ 過去から線形回帰すればいいってものじゃない。あらゆる情報を使って、起こりうることを最大限考える。
□ 繰り返しだが、肝は読み切ることじゃなくて対応できるようにしておくこと
■ すべてのキャッシュフローを考慮せよ。
□ 計画中の案件のキャッシュを見るだけじゃ不十分。
□ プロジェクトに連動して、既存ビジネスのキャッシュフローが変化しないかどうかもチェック
■ とにもかくにも、キャッシュを切らすな
3. リスク
■ システマティックリスクだけ見れば良い
□ リスク=システマティックリスク(マーケット全体が揺れたとき自社がどの程度揺れるか)
+アンシステマティックリスク(マーケットに関係ない個別のリスク)
□ アンシステマティックリスクはあなたの会社に投資している投資家が分散投資で消してくれている。
□ なので、経営者はアンシステマティックリスクは気にせず、システマティックリスクだけ考慮すればよい。
□ すなわち、自社が分散化できてなくても(というかそれが普通)、リスクパラメータはベータのみで良い
■ 割引率
□ 色々議論はあるが、最低限、リスクフリーレート+ビジネスリスクプレミアム+ファイナンスリスク
プレミアムという基本構造は理解しておくべき
■ リスクマネジメント
□ 基本ポイントは(1)何が起こりうるか?(2)その可能性は?(3)もし起こったときにどう対応すればよいか?
□ 具体的なツールは(1) シナリオ分析(2)パターン認識等、キャッシュの項で既に述べたもので良い。
□ 移管できるリスクは移管せよ(保険・リース等の活用)。
■ リスクは時が経つにつれて変化することを心得よ。
□ リスクがずっと不変と思い込むなかれ。日々上記3ポイントの見直しが必要。
■ リスクとインセンティブ・報酬
□ リスクが反映されない絶対額ではなく、リスク考慮後の相対的なパフォーマンスを報酬のベースとすべし。
□ 一期間のパフォーマンスではなく、長期間のパフォーマンスを見るべき。
□ 最低限、パフォーマンスとインセンティブをちゃんと連動させるべし。
■ 各種ルール・法制度が変わりうるのもリスク。変わったらどう対応するか考えておくこと。
□ ルールを絶対無二の所与とみなして思考停止しない。
□ どのルールが変わりそうか、その可能性はどんなもんか、変わったらどう対応するか。
4. 価値 (キャッシュをリスクで割り引いたものが価値)
■ 価値はキャッシュとして回収してナンボ。会計上の価値に惑わされない。
■ プラスのNPVの案件を見つけることと、迅速にそのチャンスをモノにすること、煎ずればその2つに尽きる。
■ 感応度分析をせよ
□ キーファクターが何か特定するのが一仕事。
□ シナリオ分析は可能性の大きなものについてピンポイントで検討するものだが、感応度分析は
可能性ありきではなく、虚心にキーファクターが動いたらどうなるか検討するもの。スタートが違う。
■ 一般均衡に対する配慮。
□ ある変数が動けば、普通は他の変数も変化する。
□ 偏微分的に「他の変数をすべて固定して...」というアプローチも有益だが、それで全てを語らないこと
■ 価値を生み出す契約を締結すること。
□ 経営者の仕事は、言ってしまえば、契約を結ぶこと。
□ ひとつひとつの契約がプラスのNPVを生むものかどうか、意識を忘れないこと。
■ 市場の効率性について
□ もちろん、いつも何でも市場が効率的ということはない。
□ でも、頭ごなしに市場の効率性を否定してはダメ。
市場が間違っているという発想からスタートするアクションは得てして大失敗に繋がる
(現行の金利は高すぎる!よって固定調達はしない、とか)
□ 市場の効率性に対する懐疑心を持っていることが肝要。効率性を全面否定しては駄目。
□ 市場が非効率であるという発想から何かをするなら、非効率である原因について説明できる必要がある
■ オプションについて理解せよ。
□ 経営の色々な側面にオプション的性格を有するものが含まれている。
□ ブラックショールズを理解せよとは言わないが、基本構造(ボラが上がるとオプション価値が高まる等)は
理解しておくべき。
□ それがオプションであるという認識、どうすれば価値が最大化するかという理解があるとないとでは
そのオプションの使いこなし度合いに天と地の差。
■ フレキシビリティは価値である。
□ 余剰資金は、金利負担があるが、その一方でフレキシビリティという価値をもたらしている。
□ コストと対比すべく、今の自社にとって必要なフレキシビリティの程度等について意識を巡らせること。
5. まとめ(自分の私見。本文の要約ではない)
○この基本原理のようなものを意識して臨むのと臨まないのでは、経営者・金融マン・コンサルタント等、今後の仕事ぶりが大きく違ってくると思う。少なくとも自分について考えると、ここに書いてあること全てを体得(知っているというレベルではなく使えるレベル)していれば、過去の顧客や関係者に3倍から10倍は価値を提供できた気がする。
○ファイナンスとはバリュエーションやブラックショールズといった小手先テクニックに非ず。ファイナンスとは、ものを考えるにあたっての基本的発想なのだ。もちろんファイナンス以外にも身に着けておくべき基本的思考回路は数多くあると思うのだが(ビジネスに絞ればこれ以外に経済・マーケティング・オペレーション等もおそらく同様に基本的発想と言えるのだろう。また、ビジネスに限らないなら歴史観や哲学といったものも有用だろう)、ファイナンス出身者として、上記に整理したようなファイナンスの基本思想くらいは使えるように体得しておきたいものだ。
1. 要約
原題は『起業家が知っておくべきもの:ファイナンスの観点から』というものでHBSの教授によるもの。
起業家のためのペーパーとのことだが、起業家に限らず将来の経営者やCFO・あるいは金融機関・コンサルタントにとっても必要不可欠な論点が実にきれいに網羅されている。
要旨は
・ファイナンスとは(1)キャッシュ(2)リスクそして(3)価値について考えるための手がかりであり、
・これら3要素についてきちんと理解をしておくことは起業家にとって必要不可欠である。
・具体的には云々
ということで、上記(1)~(3)について具体的な議論が展開される。
2. キャッシュ
■ 経営者は損益ではなくキャッシュフローを見て意思決定や分析を行うべき。会計は別モノ。
■ 意思決定の尺度には、会計損益による指標(ROEとか)ではなくNPVを使うべき。
■ 経営者や従業員のインセンティブ設計(あるいは報酬設計)は、会計利益ではなくNPVをベースとすべき。
□ 会計上の利益を良くするためにキャッシュフローが毀損されうる。
□ 今年一年の利益を良くするために、将来のキャッシュが全て織り込まれたNPVが毀損されうる。
■ 税負担の最小化を図るべし。ただし法の範囲で
■ 成長メカニズムを理解すべき
□ 成長のためには資産の積み増しが必要。
□ 資産を増やすためには負債でもエクイティでも、何かしら資本を増やす必要。
□ バランスシートを拡大させることなく売上高の成長というのは、一般的には非現実的。
□ あわせて、インフレを考慮すべき。名目では成長していても、実質ではどうか?
■ 経済のパターンを理解すべし。
□ 季節性・ビジネスサイクル・景気変動等。
□ 変動パターンを予測しきる必要はない。誰も明日の金利を予言できない。
□ でも、どんな変動のときにはどんな対応をするか、準備できてないとまずい。
□ 大事なのは予測ではなく対応。
■ シナリオを描き不確実性に立ち向かえ。
□ 最悪の事態を想定すればいいというわけじゃない。大事は大事だが、滅多におきないことだけ備えてもダメ
□ 起こりうるシナリオを考えて、そのシナリオに対する対応を考えるのが肝要
□ 過去から線形回帰すればいいってものじゃない。あらゆる情報を使って、起こりうることを最大限考える。
□ 繰り返しだが、肝は読み切ることじゃなくて対応できるようにしておくこと
■ すべてのキャッシュフローを考慮せよ。
□ 計画中の案件のキャッシュを見るだけじゃ不十分。
□ プロジェクトに連動して、既存ビジネスのキャッシュフローが変化しないかどうかもチェック
■ とにもかくにも、キャッシュを切らすな
3. リスク
■ システマティックリスクだけ見れば良い
□ リスク=システマティックリスク(マーケット全体が揺れたとき自社がどの程度揺れるか)
+アンシステマティックリスク(マーケットに関係ない個別のリスク)
□ アンシステマティックリスクはあなたの会社に投資している投資家が分散投資で消してくれている。
□ なので、経営者はアンシステマティックリスクは気にせず、システマティックリスクだけ考慮すればよい。
□ すなわち、自社が分散化できてなくても(というかそれが普通)、リスクパラメータはベータのみで良い
■ 割引率
□ 色々議論はあるが、最低限、リスクフリーレート+ビジネスリスクプレミアム+ファイナンスリスク
プレミアムという基本構造は理解しておくべき
■ リスクマネジメント
□ 基本ポイントは(1)何が起こりうるか?(2)その可能性は?(3)もし起こったときにどう対応すればよいか?
□ 具体的なツールは(1) シナリオ分析(2)パターン認識等、キャッシュの項で既に述べたもので良い。
□ 移管できるリスクは移管せよ(保険・リース等の活用)。
■ リスクは時が経つにつれて変化することを心得よ。
□ リスクがずっと不変と思い込むなかれ。日々上記3ポイントの見直しが必要。
■ リスクとインセンティブ・報酬
□ リスクが反映されない絶対額ではなく、リスク考慮後の相対的なパフォーマンスを報酬のベースとすべし。
□ 一期間のパフォーマンスではなく、長期間のパフォーマンスを見るべき。
□ 最低限、パフォーマンスとインセンティブをちゃんと連動させるべし。
■ 各種ルール・法制度が変わりうるのもリスク。変わったらどう対応するか考えておくこと。
□ ルールを絶対無二の所与とみなして思考停止しない。
□ どのルールが変わりそうか、その可能性はどんなもんか、変わったらどう対応するか。
4. 価値 (キャッシュをリスクで割り引いたものが価値)
■ 価値はキャッシュとして回収してナンボ。会計上の価値に惑わされない。
■ プラスのNPVの案件を見つけることと、迅速にそのチャンスをモノにすること、煎ずればその2つに尽きる。
■ 感応度分析をせよ
□ キーファクターが何か特定するのが一仕事。
□ シナリオ分析は可能性の大きなものについてピンポイントで検討するものだが、感応度分析は
可能性ありきではなく、虚心にキーファクターが動いたらどうなるか検討するもの。スタートが違う。
■ 一般均衡に対する配慮。
□ ある変数が動けば、普通は他の変数も変化する。
□ 偏微分的に「他の変数をすべて固定して...」というアプローチも有益だが、それで全てを語らないこと
■ 価値を生み出す契約を締結すること。
□ 経営者の仕事は、言ってしまえば、契約を結ぶこと。
□ ひとつひとつの契約がプラスのNPVを生むものかどうか、意識を忘れないこと。
■ 市場の効率性について
□ もちろん、いつも何でも市場が効率的ということはない。
□ でも、頭ごなしに市場の効率性を否定してはダメ。
市場が間違っているという発想からスタートするアクションは得てして大失敗に繋がる
(現行の金利は高すぎる!よって固定調達はしない、とか)
□ 市場の効率性に対する懐疑心を持っていることが肝要。効率性を全面否定しては駄目。
□ 市場が非効率であるという発想から何かをするなら、非効率である原因について説明できる必要がある
■ オプションについて理解せよ。
□ 経営の色々な側面にオプション的性格を有するものが含まれている。
□ ブラックショールズを理解せよとは言わないが、基本構造(ボラが上がるとオプション価値が高まる等)は
理解しておくべき。
□ それがオプションであるという認識、どうすれば価値が最大化するかという理解があるとないとでは
そのオプションの使いこなし度合いに天と地の差。
■ フレキシビリティは価値である。
□ 余剰資金は、金利負担があるが、その一方でフレキシビリティという価値をもたらしている。
□ コストと対比すべく、今の自社にとって必要なフレキシビリティの程度等について意識を巡らせること。
5. まとめ(自分の私見。本文の要約ではない)
○この基本原理のようなものを意識して臨むのと臨まないのでは、経営者・金融マン・コンサルタント等、今後の仕事ぶりが大きく違ってくると思う。少なくとも自分について考えると、ここに書いてあること全てを体得(知っているというレベルではなく使えるレベル)していれば、過去の顧客や関係者に3倍から10倍は価値を提供できた気がする。
○ファイナンスとはバリュエーションやブラックショールズといった小手先テクニックに非ず。ファイナンスとは、ものを考えるにあたっての基本的発想なのだ。もちろんファイナンス以外にも身に着けておくべき基本的思考回路は数多くあると思うのだが(ビジネスに絞ればこれ以外に経済・マーケティング・オペレーション等もおそらく同様に基本的発想と言えるのだろう。また、ビジネスに限らないなら歴史観や哲学といったものも有用だろう)、ファイナンス出身者として、上記に整理したようなファイナンスの基本思想くらいは使えるように体得しておきたいものだ。
Tuesday, October 25, 2011
褒めたり調子に乗ったり
雑感・自戒など
● 人に感心して、それを素直にほめるのはいいことだと思うが、ほめ方ひとつ違うだけで印象が異なってくる。一言で言うと、無理してその人の良いところを相対化しようとすると得てしてハマると思われる。
○ 褒めるのは良いが、そこにいない人を貶めることにより相対的に目の前にいる人を浮かび上がらせる手法は取るべきではない。「彼はなんか最近全然余裕なさそうだけど、あなたはまだまだ余裕ありそうですごいね」みたいな。貶められた第三者に必ず何らかの形で伝わるし、変な形で褒められた相手も「俺もきっと陰では悪口言われているんだろうな」と考える。特に、チームメイトのことは絶対そういった形で貶めては駄目だ。
○ 「いやー僕もあなたのような選択を若いうちにやっておくべきでしたわー」と過去の自分を貶めるのもアレ。そんなこと言われても相手も困るし、今更過去には戻れないし、というか今からやれば?という突っ込めちゃうし。過去の自分の行動と相手の行動を比較して心底「負けた」と思うこともあるが、その人に言うのではなく、ツイートするなりブログに書くなり穴掘って叫ぶなり飲んで忘れるなり、他の処理方法を模索すべきなのだろう。
● 自信を持つことは一般論としては良いことだと思う。でも、持ち方ひとつでその自信が良い方にも悪い方にも転びうるように思われる。経験、特に失敗経験は現状比120%くらいアピールしてもいいように思うのだが、「俺こんなことできるぜー」的なできるできないというレベルの自慢は現状比80%くらいというか0%(やめる)にしてもいいかもしれない。
○ 「俺はXXXができる」という自信はアレ。そもそもXXXが本当にできるか怪しいし、自分よりXXXが優れている人などそこらじゅうに存在する。できるできないというのは必然的に程度の問題であり、できると考えるのは個人の判断である(例:英語ができると称する留学帰りと、英語ができないと嘆く通訳のプロ、本当に英語がうまいのはさてどっち)。すなわち、「できる」と何かを誇ることは、客観性の枠を飛び越えて自分に対して何かしら好意的な判断を下していることに等しい。もっとざっくりいうと「できる」という自信は少なからず過信であり、それゆえ失敗につながりやすい(聞き入れるべき話を聞くことができないとか)。仮に「XXXできる」という思いが自分の原動力となり何かの助けになるのなら、その思いそれ自体を破棄する必要はないと思う。しかし、胸にとどめておくべき類のもので他人に匂わせるのはアレと考えておいてもよいかもしれない。
○ 「俺はXXXについて既に経験したことがある」という感じで、できる・できないではなく経験有無のレベルに抑制された自信は割とマシ。「俺はXXXで失敗したことがある」だとなお良い。「できる」という判断には不可避的に過信やプライドが混ざり込むが、経験は単なる事実描写にすぎないので自信が過信につながるリスクも低い。失敗経験があると、失敗したときの苦労やみじめな思いなどを同情することができるし、自分も失敗しているので謙虚になれるのでなお良い。
● 人に感心して、それを素直にほめるのはいいことだと思うが、ほめ方ひとつ違うだけで印象が異なってくる。一言で言うと、無理してその人の良いところを相対化しようとすると得てしてハマると思われる。
○ 褒めるのは良いが、そこにいない人を貶めることにより相対的に目の前にいる人を浮かび上がらせる手法は取るべきではない。「彼はなんか最近全然余裕なさそうだけど、あなたはまだまだ余裕ありそうですごいね」みたいな。貶められた第三者に必ず何らかの形で伝わるし、変な形で褒められた相手も「俺もきっと陰では悪口言われているんだろうな」と考える。特に、チームメイトのことは絶対そういった形で貶めては駄目だ。
○ 「いやー僕もあなたのような選択を若いうちにやっておくべきでしたわー」と過去の自分を貶めるのもアレ。そんなこと言われても相手も困るし、今更過去には戻れないし、というか今からやれば?という突っ込めちゃうし。過去の自分の行動と相手の行動を比較して心底「負けた」と思うこともあるが、その人に言うのではなく、ツイートするなりブログに書くなり穴掘って叫ぶなり飲んで忘れるなり、他の処理方法を模索すべきなのだろう。
● 自信を持つことは一般論としては良いことだと思う。でも、持ち方ひとつでその自信が良い方にも悪い方にも転びうるように思われる。経験、特に失敗経験は現状比120%くらいアピールしてもいいように思うのだが、「俺こんなことできるぜー」的なできるできないというレベルの自慢は現状比80%くらいというか0%(やめる)にしてもいいかもしれない。
○ 「俺はXXXができる」という自信はアレ。そもそもXXXが本当にできるか怪しいし、自分よりXXXが優れている人などそこらじゅうに存在する。できるできないというのは必然的に程度の問題であり、できると考えるのは個人の判断である(例:英語ができると称する留学帰りと、英語ができないと嘆く通訳のプロ、本当に英語がうまいのはさてどっち)。すなわち、「できる」と何かを誇ることは、客観性の枠を飛び越えて自分に対して何かしら好意的な判断を下していることに等しい。もっとざっくりいうと「できる」という自信は少なからず過信であり、それゆえ失敗につながりやすい(聞き入れるべき話を聞くことができないとか)。仮に「XXXできる」という思いが自分の原動力となり何かの助けになるのなら、その思いそれ自体を破棄する必要はないと思う。しかし、胸にとどめておくべき類のもので他人に匂わせるのはアレと考えておいてもよいかもしれない。
○ 「俺はXXXについて既に経験したことがある」という感じで、できる・できないではなく経験有無のレベルに抑制された自信は割とマシ。「俺はXXXで失敗したことがある」だとなお良い。「できる」という判断には不可避的に過信やプライドが混ざり込むが、経験は単なる事実描写にすぎないので自信が過信につながるリスクも低い。失敗経験があると、失敗したときの苦労やみじめな思いなどを同情することができるし、自分も失敗しているので謙虚になれるのでなお良い。
Monday, October 24, 2011
君子豹変せよ
月曜日。朝にミーティング→昼にリサーチについて指導教官に報告→終わり次第再びミーティング→授業→バタンキュー。
○リサーチの経過報告。話が早い先生で、こちらが用意した紙を説明しようとしたら、しゃべりだしたころには「OKわかった、それではXYZ」とテキパキと指示が。まるっきりの丸投げというほどの緩さも感じさせない一方で程よく自由にやらせてもらっている感じで(って自由研究なんだからそりゃ自由だろって感じだが)程よい刺激。アドバイスも、専門家だけに的確というか目からうろこというか。
○毎週月曜日は朝から授業が始まる16時までちんたらミーティングをしているが、毎回毎回色々学びがある。今日もひとつ反省というか痛感というかがあったのでメモ:
この授業はひたすらコールドコールされる点・その発言のクオリティが成績の3分の2を占めるという点に特徴がある。なので皆熱心に準備をするのだが、わがチームにいる女の子Jは臨機応変とかがお嫌いなようで、いつ何を聞かれてもすっと答えられるように特に熱心に準備をやりたがる。なんちゅうか役所勤務時代にたまに見かけたタイプ(※)。
(※)そうじゃない人もいっぱいいるのだが、絶滅はしてないというのが自分の所感
事前に問われていること(ケースの根幹部分)について要点を押さえるだけでは全然満足してくれず、自分にしてみれば「付随的であり、聞かれてからその場で考えればよくね?」みたいな細かい話もとにかく詰める。毎回ミーティングの実質的な部分は午後一時くらいには終わっていて、自分や他の男子メンバーは他の課題をやったり鼻くそをほじったりしているのだが、Jはひたすらケースを隅から隅まで読み返し、蛍光ペンをぐりぐりやったりエクセルをにらみまわしたり。聞かれていない点も思いついたものは全て答案に盛り込もうとして、実際コールドコールされたときには教授に「で、お前の今の話の要点はなんだったの?」と言われてしまったりしている。
自分はこのJのことを尊敬はしているがその一方でめんどくさいとも思っていた。全体的に話の軽重を全然区別してくれず、他のメンバーが地下1階にいるのにJだけ勝手に地下5階くらいから何かマニアックな質問をしてきたりするとやっぱりちょっと疲れてしまう。「それはメインイシューじゃないし、後で手が空いたときにやろうよ」と言っても、すっかり心がその細かい話に集中してしまい議論そっちのけで細かい計算に没頭してしまっていたり。仕方がないので無視して他のメンバーと議論していたら、途中いきなり「あ、できたかも」とか言ってマニアックな計算の結果を披露して(その結果話の腰を折って)みたり。「でも私、やっぱりさっきのアレもう一回議論したいんだけど」とか、「回収額が初期投資額の2倍見込めるからこの投資はGOってことはわかったわ、でも、回収額って210じゃなくって208じゃない? (GoかStopかのいずれかを選ぶだけの問題なのに)」とかがよくあるパターン。
その子が凄いけどめんどくさいという認識はまだ変わってはいないのだが、今日あったのはこんなこと:
その子がそんな調子でマニアックにかつマイペースに彼女の気になる論点を潰そうとするので、こちらはついついイラっとしてしまい、彼女がとあることを言ったときに軽く聞き流したうえで「オッケーわかった、でも210だろうが208だろうが、初期投資額の倍程度の黒字が見込まれるという結論には変わりないから気にしないで大丈夫だよ」といなしてしまった。で、いざ授業に出たら、教授が「これ重要ね」として取り上げたのがまさに彼女がこだわっていた話で、コールドコールされた自分がクリアに回答できず教授にしかめ面されてしまった(多分減点)。。。
教授にしかめ面をされるとか、減点されるとか、そういうこと自体は構わない。むしろそういう苦い経験がないと改善しようとか頑張ろうと言う気持ちも湧き出てこないので、そういうひと悶着があったのはwelcomeでさえある。ただ、では今後俺はどう改善すればいいのかと考える段で、色々下記のようなことを考えた:
・まず、そもそも、自分に、何が重要で何がそれほどでもないかを100%ばしっと見分ける力があるわけではない。
自分が重要だと思ったことだけちゃんとやっていても、「自分は重要だと思わなかったったけど実は重要なこと」を取りこぼしてしまう。重要じゃないと思われることもそれなりにケアすべき。
ミーティングのダイナミズムを保持するために事の軽重を意識し続けることは大事だが、めくらめっぽうに「それは大事だからもっと!それは大事じゃないから却下!」とやり過ぎると上記取りこぼしリスクが出やすくなるのでほどほどにする必要がある。
・仮にJが多少ズレていたとしても、彼女の話が100%ずれているわけではない。半分、下手するとそれ以上、本来であれば聞くべきである重要なことを言っているのだ。どれだけ彼女の話の運び方が下手でいらいらさせられても、耳をふさいでしまっては駄目だ。自分が損する。きっちりその半分程度の「おいしい話」は頂くべき。
・人に何かを話すときは「説明が下手だったら開始5秒で聞いてもらえなくなることを覚悟すべき」と考えて丁寧に説明すべきだが、人から何かを聞くときには「こいつの説明が下手だったら開始5秒で聞くのやめてやるぜ」では駄目だ。聞かないことによる損は大きい。
・限りある集中力や体力を傾斜配分することは要領や生産性の源泉であり、ヒューリスティックを使って「なんだかこいつの話はしょぼいな」とか「こいつアホだな」と開始5秒で仮説を立てること・その仮説に基づき聞く耳に力を入れたり耳をふさぎ気味にしたりすることは立派なスキルだと思う。しかし、耳を100%塞いでしまってはだめだ。生産性維持の観点からおおむね耳をふさぐのは有益だが、取りこぼし最小化の観点から100%耳をふさぐのは良くない。
・ズレてる人もいいことを言う。これは上記のとおり。で、彼/彼女がいいことをいったとき、いかにスパっとこれまでのスタンスを切り替えて彼の意見を積極的に聞き入れたり彼に賛意を示すことができるか。「うーんこの人ちょっとアレ」と思ったばかりにその人が良いことをいっても聞く耳持てないとか、聞くには聞くけど「渋々聞きます」みたいな雰囲気を出してしまったりとか、それで損するのは自分だ。相手に「なんだお前、態度豹変させやがって」と思われてでもいいことを言った人には全速力で態度を改めて全力で賛意を示すべきなんだろうと思う。
自分のように最初からパーフェクトに物事を片付けることができるわけではない人間は、このような豹変力を意識的に高めないといかんなぁと痛感。
○と色々授業を聞きながら反省させてもらってJには感謝している。実際、今日から豹変力を発揮してJに「さっきはすまんかったな」と言おうかとも思ったのだが、終了直前になりJに「ねえ、ここの計算ケアレスミスしてるよ。222,222なのに222,173になってるよ...」とすっごく細かい点について指摘されてすっかり頭汽車ポッポ状態になってしまい、謝罪も感謝も何もできず終わってしまった。そもそもそこの計算、君、やらずに来て自分の計算丸パクリしとりますやんか。。。
○リサーチの経過報告。話が早い先生で、こちらが用意した紙を説明しようとしたら、しゃべりだしたころには「OKわかった、それではXYZ」とテキパキと指示が。まるっきりの丸投げというほどの緩さも感じさせない一方で程よく自由にやらせてもらっている感じで(って自由研究なんだからそりゃ自由だろって感じだが)程よい刺激。アドバイスも、専門家だけに的確というか目からうろこというか。
○毎週月曜日は朝から授業が始まる16時までちんたらミーティングをしているが、毎回毎回色々学びがある。今日もひとつ反省というか痛感というかがあったのでメモ:
この授業はひたすらコールドコールされる点・その発言のクオリティが成績の3分の2を占めるという点に特徴がある。なので皆熱心に準備をするのだが、わがチームにいる女の子Jは臨機応変とかがお嫌いなようで、いつ何を聞かれてもすっと答えられるように特に熱心に準備をやりたがる。なんちゅうか役所勤務時代にたまに見かけたタイプ(※)。
(※)そうじゃない人もいっぱいいるのだが、絶滅はしてないというのが自分の所感
事前に問われていること(ケースの根幹部分)について要点を押さえるだけでは全然満足してくれず、自分にしてみれば「付随的であり、聞かれてからその場で考えればよくね?」みたいな細かい話もとにかく詰める。毎回ミーティングの実質的な部分は午後一時くらいには終わっていて、自分や他の男子メンバーは他の課題をやったり鼻くそをほじったりしているのだが、Jはひたすらケースを隅から隅まで読み返し、蛍光ペンをぐりぐりやったりエクセルをにらみまわしたり。聞かれていない点も思いついたものは全て答案に盛り込もうとして、実際コールドコールされたときには教授に「で、お前の今の話の要点はなんだったの?」と言われてしまったりしている。
自分はこのJのことを尊敬はしているがその一方でめんどくさいとも思っていた。全体的に話の軽重を全然区別してくれず、他のメンバーが地下1階にいるのにJだけ勝手に地下5階くらいから何かマニアックな質問をしてきたりするとやっぱりちょっと疲れてしまう。「それはメインイシューじゃないし、後で手が空いたときにやろうよ」と言っても、すっかり心がその細かい話に集中してしまい議論そっちのけで細かい計算に没頭してしまっていたり。仕方がないので無視して他のメンバーと議論していたら、途中いきなり「あ、できたかも」とか言ってマニアックな計算の結果を披露して(その結果話の腰を折って)みたり。「でも私、やっぱりさっきのアレもう一回議論したいんだけど」とか、「回収額が初期投資額の2倍見込めるからこの投資はGOってことはわかったわ、でも、回収額って210じゃなくって208じゃない? (GoかStopかのいずれかを選ぶだけの問題なのに)」とかがよくあるパターン。
その子が凄いけどめんどくさいという認識はまだ変わってはいないのだが、今日あったのはこんなこと:
その子がそんな調子でマニアックにかつマイペースに彼女の気になる論点を潰そうとするので、こちらはついついイラっとしてしまい、彼女がとあることを言ったときに軽く聞き流したうえで「オッケーわかった、でも210だろうが208だろうが、初期投資額の倍程度の黒字が見込まれるという結論には変わりないから気にしないで大丈夫だよ」といなしてしまった。で、いざ授業に出たら、教授が「これ重要ね」として取り上げたのがまさに彼女がこだわっていた話で、コールドコールされた自分がクリアに回答できず教授にしかめ面されてしまった(多分減点)。。。
教授にしかめ面をされるとか、減点されるとか、そういうこと自体は構わない。むしろそういう苦い経験がないと改善しようとか頑張ろうと言う気持ちも湧き出てこないので、そういうひと悶着があったのはwelcomeでさえある。ただ、では今後俺はどう改善すればいいのかと考える段で、色々下記のようなことを考えた:
・まず、そもそも、自分に、何が重要で何がそれほどでもないかを100%ばしっと見分ける力があるわけではない。
自分が重要だと思ったことだけちゃんとやっていても、「自分は重要だと思わなかったったけど実は重要なこと」を取りこぼしてしまう。重要じゃないと思われることもそれなりにケアすべき。
ミーティングのダイナミズムを保持するために事の軽重を意識し続けることは大事だが、めくらめっぽうに「それは大事だからもっと!それは大事じゃないから却下!」とやり過ぎると上記取りこぼしリスクが出やすくなるのでほどほどにする必要がある。
・仮にJが多少ズレていたとしても、彼女の話が100%ずれているわけではない。半分、下手するとそれ以上、本来であれば聞くべきである重要なことを言っているのだ。どれだけ彼女の話の運び方が下手でいらいらさせられても、耳をふさいでしまっては駄目だ。自分が損する。きっちりその半分程度の「おいしい話」は頂くべき。
・人に何かを話すときは「説明が下手だったら開始5秒で聞いてもらえなくなることを覚悟すべき」と考えて丁寧に説明すべきだが、人から何かを聞くときには「こいつの説明が下手だったら開始5秒で聞くのやめてやるぜ」では駄目だ。聞かないことによる損は大きい。
・限りある集中力や体力を傾斜配分することは要領や生産性の源泉であり、ヒューリスティックを使って「なんだかこいつの話はしょぼいな」とか「こいつアホだな」と開始5秒で仮説を立てること・その仮説に基づき聞く耳に力を入れたり耳をふさぎ気味にしたりすることは立派なスキルだと思う。しかし、耳を100%塞いでしまってはだめだ。生産性維持の観点からおおむね耳をふさぐのは有益だが、取りこぼし最小化の観点から100%耳をふさぐのは良くない。
・ズレてる人もいいことを言う。これは上記のとおり。で、彼/彼女がいいことをいったとき、いかにスパっとこれまでのスタンスを切り替えて彼の意見を積極的に聞き入れたり彼に賛意を示すことができるか。「うーんこの人ちょっとアレ」と思ったばかりにその人が良いことをいっても聞く耳持てないとか、聞くには聞くけど「渋々聞きます」みたいな雰囲気を出してしまったりとか、それで損するのは自分だ。相手に「なんだお前、態度豹変させやがって」と思われてでもいいことを言った人には全速力で態度を改めて全力で賛意を示すべきなんだろうと思う。
自分のように最初からパーフェクトに物事を片付けることができるわけではない人間は、このような豹変力を意識的に高めないといかんなぁと痛感。
○と色々授業を聞きながら反省させてもらってJには感謝している。実際、今日から豹変力を発揮してJに「さっきはすまんかったな」と言おうかとも思ったのだが、終了直前になりJに「ねえ、ここの計算ケアレスミスしてるよ。222,222なのに222,173になってるよ...」とすっごく細かい点について指摘されてすっかり頭汽車ポッポ状態になってしまい、謝罪も感謝も何もできず終わってしまった。そもそもそこの計算、君、やらずに来て自分の計算丸パクリしとりますやんか。。。
Sunday, October 23, 2011
ディズニーランド
○日曜日。宿題もすっきりさせて(※)いざアナハイムのディズニーランドへ。
(※帰宅後すっきりしていなかったことが判明したが...)
敷地内のレストランで娘の誕生日パーティをやったりアトラクションを回ったり。
○東京ディズニーランドとフロリダは行ったことがあったのだが、アナハイムには行ったことがなかった。そんな順番で行ったので、アナハイムディズニーランドのシンデレラ城のかわいさ(しょぼさ)にびっくり。古くからある施設だけあって、全体的に古臭いとまではいわないが歴史感がある感じ。
○そんなにつまらないことはなかったのだが、どうも盛り上がらず、夕方には早々に撤退。ユニバーサルスタジオもそうだが、なまじ近いと「いつでもまた来れる」と思ってしまうのか何なのか、どうも燃えない。容易に手に入るようになると逆にありがたみを感じられなくなるとか、大人になるのも必ずしも良くないなぁというか残念。そういえば小学生の頃とかは、自販機でジュース買ったり駄菓子屋でお菓子買うだけですごい贅沢をしている気持ちになれていたなぁとか色々思い出した。豊かになっても、欲しいものが変わるだけで、主観的な幸福度はさして変わらないのかも。びんぼっちゃまからお坊ちゃま君くらいの大幅な変化があればまた違う感想を持つのかもしれないけど。
○でもおかげで、夜は園内のしょぼいのに高いピザとかホットドッグとかを食べずに済んだ。ディズニーランドのあるアナハイムの隣町であるサイプレスに行き、最近お気に入りのCafe Hiroへ。相変わらず店は盛況で、予約していなかったら入れなかっただろう。ここに来たら外せないウニパスタとかをmgmg。妻は来る前は腹いっぱいでそんなに食えないと言っていたのに、おいしいからかペロッと食べてしまい、残りをもらう構想だった自分は肩透かし(妻の食べない分をもらうという前提で、自分のペペロンチーノを娘に景気よく分けていたので割を食った)。デザートも美味しかったし、また是非近いうちに来たい。
○ディズニってる間に宿題に関するメールがいくつか来ていたので、帰宅後眠い目をこすりながら人の作業にコメントを入れたり、自分のやり忘れをやったり。でバタンキュー。夜のパレードなんて見てたら死んでいたかも...
(※帰宅後すっきりしていなかったことが判明したが...)
敷地内のレストランで娘の誕生日パーティをやったりアトラクションを回ったり。
○東京ディズニーランドとフロリダは行ったことがあったのだが、アナハイムには行ったことがなかった。そんな順番で行ったので、アナハイムディズニーランドのシンデレラ城のかわいさ(しょぼさ)にびっくり。古くからある施設だけあって、全体的に古臭いとまではいわないが歴史感がある感じ。
○そんなにつまらないことはなかったのだが、どうも盛り上がらず、夕方には早々に撤退。ユニバーサルスタジオもそうだが、なまじ近いと「いつでもまた来れる」と思ってしまうのか何なのか、どうも燃えない。容易に手に入るようになると逆にありがたみを感じられなくなるとか、大人になるのも必ずしも良くないなぁというか残念。そういえば小学生の頃とかは、自販機でジュース買ったり駄菓子屋でお菓子買うだけですごい贅沢をしている気持ちになれていたなぁとか色々思い出した。豊かになっても、欲しいものが変わるだけで、主観的な幸福度はさして変わらないのかも。びんぼっちゃまからお坊ちゃま君くらいの大幅な変化があればまた違う感想を持つのかもしれないけど。
○でもおかげで、夜は園内のしょぼいのに高いピザとかホットドッグとかを食べずに済んだ。ディズニーランドのあるアナハイムの隣町であるサイプレスに行き、最近お気に入りのCafe Hiroへ。相変わらず店は盛況で、予約していなかったら入れなかっただろう。ここに来たら外せないウニパスタとかをmgmg。妻は来る前は腹いっぱいでそんなに食えないと言っていたのに、おいしいからかペロッと食べてしまい、残りをもらう構想だった自分は肩透かし(妻の食べない分をもらうという前提で、自分のペペロンチーノを娘に景気よく分けていたので割を食った)。デザートも美味しかったし、また是非近いうちに来たい。
○ディズニってる間に宿題に関するメールがいくつか来ていたので、帰宅後眠い目をこすりながら人の作業にコメントを入れたり、自分のやり忘れをやったり。でバタンキュー。夜のパレードなんて見てたら死んでいたかも...
Saturday, October 22, 2011
懐かしのカオス
土曜日
○子供手当てが入金されていることに気が付いた。もう非居住者になって1年以上経っており住民税も払っていないのに。いいのか渋谷区。。計算ミスとかじゃいのかな?とりあえず娘のために取り分けておくので、やっぱ返せというなら早めに言ってくれ、、、
○ベニスビーチ近くのAbbot Kinneyというこじゃれた通りで昼飯。海に近いからか寒い。おしゃれな通りだからか、この辺には珍しくおしゃれな人が多いしセレクトショップなんかもある。東京から来て間もなかったりしてLAの田舎臭いところが嫌な人とかは是非行くといいんじゃないかと思った。メシが高かったのと駐車料金が安くはなかったのが玉にきずだが。。
○他校の1年生の話を聞いていたら、グループワークで四苦八苦しているとのこと。思い切り去年の今頃の自分を思い起こしたが、同時に、最近その手の苦労からすっかり離れて久しいことにも気が付いた。自分の関心のある分野の選択科目を履修して、自分が信頼できる人を中心にチームも組んでいるので、最初の学期にあったような「わけのわからない人がわけのわからないことをする」という事態がすっかりなくなってしまっているのだ。
普通に考えれば、これはいいことなんだと思う。だけど、昭和的というか体育会的発想をすると、これはもしかすると「得して損を取っている」ような状況なのではないかと感じられる。わざわざMBAに来る理由は、煎ずれば「将来何らかの形でいい思いをするため」であり、「MBAにいる2年間いい思いをする」ということは結果的に達成できれば有難いが主目的にはなりえない。しかし、今の自分は「カオス的なディスカッションをなんとかまとめて、とにもかくにもアウトプットを出す」みたいなことをせずに済ませてしまっており、目の前の楽を取る一方で将来の「グローバル折衝において発生するカオスに対する耐性」みたいなものを毀損してしまっているのではないかと感じられる。将来こういった状況でストレスを感じてしまうくらいなら、今のうちストレス耐性を付けておいた方がよいのではないか。そんなことを考えると、「じゃあ来学期はあえて仲良くない奴と組むか」という結論になるが、それはそれでやっぱり面倒臭いなぁと思ったりしつつ今日もまた夜が更けていく。。。
○子供手当てが入金されていることに気が付いた。もう非居住者になって1年以上経っており住民税も払っていないのに。いいのか渋谷区。。計算ミスとかじゃいのかな?とりあえず娘のために取り分けておくので、やっぱ返せというなら早めに言ってくれ、、、
○ベニスビーチ近くのAbbot Kinneyというこじゃれた通りで昼飯。海に近いからか寒い。おしゃれな通りだからか、この辺には珍しくおしゃれな人が多いしセレクトショップなんかもある。東京から来て間もなかったりしてLAの田舎臭いところが嫌な人とかは是非行くといいんじゃないかと思った。メシが高かったのと駐車料金が安くはなかったのが玉にきずだが。。
○他校の1年生の話を聞いていたら、グループワークで四苦八苦しているとのこと。思い切り去年の今頃の自分を思い起こしたが、同時に、最近その手の苦労からすっかり離れて久しいことにも気が付いた。自分の関心のある分野の選択科目を履修して、自分が信頼できる人を中心にチームも組んでいるので、最初の学期にあったような「わけのわからない人がわけのわからないことをする」という事態がすっかりなくなってしまっているのだ。
普通に考えれば、これはいいことなんだと思う。だけど、昭和的というか体育会的発想をすると、これはもしかすると「得して損を取っている」ような状況なのではないかと感じられる。わざわざMBAに来る理由は、煎ずれば「将来何らかの形でいい思いをするため」であり、「MBAにいる2年間いい思いをする」ということは結果的に達成できれば有難いが主目的にはなりえない。しかし、今の自分は「カオス的なディスカッションをなんとかまとめて、とにもかくにもアウトプットを出す」みたいなことをせずに済ませてしまっており、目の前の楽を取る一方で将来の「グローバル折衝において発生するカオスに対する耐性」みたいなものを毀損してしまっているのではないかと感じられる。将来こういった状況でストレスを感じてしまうくらいなら、今のうちストレス耐性を付けておいた方がよいのではないか。そんなことを考えると、「じゃあ来学期はあえて仲良くない奴と組むか」という結論になるが、それはそれでやっぱり面倒臭いなぁと思ったりしつつ今日もまた夜が更けていく。。。
Friday, October 21, 2011
実務型プロジェクト??
○来月のボスキャリの時期にボストンに行くことに。寒いのかもしれないが楽しみ。
○妻の友人が家に来てくれるとのことで、夫は学校の図書館に避難。思わず勉強がはかどってしまった。やればできるじゃないか。
○夜に会食。自分に足りないのは熱だと思っていたが、熱も足りないが冷静さも足りてないかもと感じた。無感動なことや鈍重なことと冷静なことは同義ではないってことかなぁ。酒のせいもあってか、久しぶりに思いがけず思いのたけを喋りまくってしまい軽く反省。いつになったら人との対話の後に反省することなく気持ちよく眠ることができるようになるのだろうか。。
○2年生の必修科目であるAMRという実務研修について。
・学校のAMR事務局の対応が驚異的に悪い。これまで5回ほどメールで問い合わせをして、返事が来たのはわずかに一回。それ以外は返事を待たずになんとか解決したり、待ちあぐねて直接彼らのオフィスに聞きに行ったりしていたが、昨日またしても問い合わせを無視されたので事務局トップのおばちゃんに苦情ではないが相談してみた。幸いなことにそのおばちゃんは理解してくれて速やかにAMR事務局に改善させるよう言ってくれたが、さてどうなることか。
・率直に言ってこのAMR、なくなってほしい。というのも、
(1) 実務で得た疑問について論理的に整理したくて来ているのに、なぜまた実務の世界に行かなければならないのか。そんなの卒業後いくらでもできるって。
(2) 事務局がしょぼすぎて、まともな案件がない。しょぼいNPOばっかりで、その中から選ぶか自分で探すか、あるいは教授と何か論文を作るかしか選択肢がないなんて必修科目とするには全然いけてない。
(3) AMRは非常にTime Consumingであり、その時間を使って3つから4つは余分に授業を履修することができてしまいそう。実務的経験に価値がないとは言わないが、素晴らしい教授たちの授業を犠牲にしてまで素性のしれないよくわからない企業にコンサルに行かなければいけないことに合理性はあるのか。
事務局がちゃんとした案件を数多く用意できないのであれば、いっそ選択科目にしてしまうべきだ。現状は、事務局がまともなタマを殆ど用意できておらず(しかも対応が激悪)、多くのグループはしょぼい案件を受け入れるか自らタマを探すかしないといけない(しかも、クライアントは学校に1万ドルくらいの報酬を払わないといけないので、学生はクライアントに「僕たちがコンサルするので1万ドルよろしく」と言わなければならない)。そういった行動に価値がないとは言わないが、それは大学的・学術的行為ではまったくない。その分勉強に集中する方がよっぽどマシだ。もしかすると実務的経験に高い価値を見出す人がいたり授業に価値を見出さない人がいるのかもしれないが、授業に価値を見出す自分のような人間のためにも、この手のプロジェクトものは選択科目にしてほしい。正直なところ、このAMRのしょぼい実態を踏まえると、自分は自校をあまりお勧めできない。
○妻の友人が家に来てくれるとのことで、夫は学校の図書館に避難。思わず勉強がはかどってしまった。やればできるじゃないか。
○夜に会食。自分に足りないのは熱だと思っていたが、熱も足りないが冷静さも足りてないかもと感じた。無感動なことや鈍重なことと冷静なことは同義ではないってことかなぁ。酒のせいもあってか、久しぶりに思いがけず思いのたけを喋りまくってしまい軽く反省。いつになったら人との対話の後に反省することなく気持ちよく眠ることができるようになるのだろうか。。
○2年生の必修科目であるAMRという実務研修について。
・学校のAMR事務局の対応が驚異的に悪い。これまで5回ほどメールで問い合わせをして、返事が来たのはわずかに一回。それ以外は返事を待たずになんとか解決したり、待ちあぐねて直接彼らのオフィスに聞きに行ったりしていたが、昨日またしても問い合わせを無視されたので事務局トップのおばちゃんに苦情ではないが相談してみた。幸いなことにそのおばちゃんは理解してくれて速やかにAMR事務局に改善させるよう言ってくれたが、さてどうなることか。
・率直に言ってこのAMR、なくなってほしい。というのも、
(1) 実務で得た疑問について論理的に整理したくて来ているのに、なぜまた実務の世界に行かなければならないのか。そんなの卒業後いくらでもできるって。
(2) 事務局がしょぼすぎて、まともな案件がない。しょぼいNPOばっかりで、その中から選ぶか自分で探すか、あるいは教授と何か論文を作るかしか選択肢がないなんて必修科目とするには全然いけてない。
(3) AMRは非常にTime Consumingであり、その時間を使って3つから4つは余分に授業を履修することができてしまいそう。実務的経験に価値がないとは言わないが、素晴らしい教授たちの授業を犠牲にしてまで素性のしれないよくわからない企業にコンサルに行かなければいけないことに合理性はあるのか。
事務局がちゃんとした案件を数多く用意できないのであれば、いっそ選択科目にしてしまうべきだ。現状は、事務局がまともなタマを殆ど用意できておらず(しかも対応が激悪)、多くのグループはしょぼい案件を受け入れるか自らタマを探すかしないといけない(しかも、クライアントは学校に1万ドルくらいの報酬を払わないといけないので、学生はクライアントに「僕たちがコンサルするので1万ドルよろしく」と言わなければならない)。そういった行動に価値がないとは言わないが、それは大学的・学術的行為ではまったくない。その分勉強に集中する方がよっぽどマシだ。もしかすると実務的経験に高い価値を見出す人がいたり授業に価値を見出さない人がいるのかもしれないが、授業に価値を見出す自分のような人間のためにも、この手のプロジェクトものは選択科目にしてほしい。正直なところ、このAMRのしょぼい実態を踏まえると、自分は自校をあまりお勧めできない。
Wednesday, October 19, 2011
祝3周年
最近買ったワインが美味しくて、つい「深夜のもうひと踏ん張り」ができずあっさり寝てしまっている件。。
○娘が3歳になった。自分の誕生日など数年前から憂鬱でしかないし、妻の誕生日はまあいいんだけど(?)何かとお金がかかる。その点、娘の誕生日はなんというか実に素直に喜ぶことができるので良い。娘の誕生日を夕方からがっつり祝ってやることができる時間的余裕を得られている現況に感謝せざるをえない。
○おそらく、現在プラスマイナス1年くらいの期間は、自分の人生ににおいても相当「あたり」の時期なんだろうと思う。この幸せをかみしめるだけの心の余裕があればあれなのだが、どうも最近光陰矢のごとし状態で幸せをかみしめきれずにいるようで残念。
○いずれにせよ、戻ったらさすがにいよいよ今度こそちゃんと働かんとな、と気を引き締めてみるなど。
○娘が3歳になった。自分の誕生日など数年前から憂鬱でしかないし、妻の誕生日はまあいいんだけど(?)何かとお金がかかる。その点、娘の誕生日はなんというか実に素直に喜ぶことができるので良い。娘の誕生日を夕方からがっつり祝ってやることができる時間的余裕を得られている現況に感謝せざるをえない。
○おそらく、現在プラスマイナス1年くらいの期間は、自分の人生ににおいても相当「あたり」の時期なんだろうと思う。この幸せをかみしめるだけの心の余裕があればあれなのだが、どうも最近光陰矢のごとし状態で幸せをかみしめきれずにいるようで残念。
○いずれにせよ、戻ったらさすがにいよいよ今度こそちゃんと働かんとな、と気を引き締めてみるなど。
Sunday, October 16, 2011
How to deal with 説教
○経営者の人の話を聞くと、よく精神論に近いものが出てくる。いまどきの若手(?)な自分としては、ついつい斜に構えて聞いたり聞き流したりしてしまうのだが、最近、彼らがそういったことを考えるようになることについては理解できるようになってきた気がする。
(もちろん、自分にもマイルールのようなものはたくさんある。○○なことはしないとか、▲▲な人には近づかないとか、積極的に◆◆する、みたいな。でも、それを他人に積極的に伝えたりするかというと、自分はできない。そういったマイルールの根拠が薄弱であり共感を得られないものであると感じているからだ)
話を聞いていると、経営というものはまったくもって難しい意思決定の連続であり、一介の勤め人である自分など一生に一度あるかないかという決断が日常、まるでインディージョーンズみたいなものだということがわかる。でここから先は彼らの話をもとにした自分の仮説:
・彼らはそのようなしびれる意思決定に数多くさらされるので、毎回毎回一から考えていては時間も足りないし神経もすり減ってしまう。
・なので、指針たりうるような哲学・信念・基礎理論のようなものは彼らにとって重要になる。困ったときに従うべき哲学があるかないかで、決断のスピードや質に大きな変化が出るからだ。
・彼らは年をとったからそういう説教くさいことを言いたいわけではないのだ。そういった精神論的なものが実践的なレベルで彼らの経営を具体的に助けているから彼らはそういったものを信奉するし口にも出すのだ。
・そういったものが背景にある経営者が精神論的なものを口に出すので、そういったものを背景として持たない勤め人や学生が経営者の話を聞いても全然ピンと来ないのだ。聞くこと一つ一つについて表層的には理解したり納得したりできているような気がしているが、おそらく、精神論の本質部分は「あっちの世界にいかなきゃわからない」という類のものなのだと思う。
これはMBAで経営戦略やマーケティングの「定石」を学ぶことにも通じる。おそらくほとんどの学校で、授業で教わる定石の是非についてがっつり四つで批判的考察を加えることはないのではないだろうか。「使い方に気を付ける必要があるけど、とりあえずSWOTやっておけ」みたいな。MBA学生がSWOTやらなんちゃらフレームワークに依拠するのと同じような感じで、経営者の人は自身で見出した哲学や親の教えなどに従っているのではないか。で、経営者たちは自ら見出した経験則的なものに依拠していることが多いのでその決断に自信・重み・安定感があるが、MBAは単に「授業中、先生がそういっていた」というレベルなので、ついつい浅薄なレベルになってしまうのではないか。
学生の頃から現在に至るまで、新興宗教の問題などもあったから、何か特定の信条を持つことに対する抵抗感のようなものが自分の中には根付いてしまっている。極力ニュートラルであろうと考え、偏見や固定観念から自由でありたいという思いが常にある。だが、そういった「小奇麗な」脳味噌は、勤め人として過ごすには良いかもしれないが、自分の腕一本で生きていくにはやや弱いのかもしれない。痺れるような経験をベースとして何かしら思想があるくらいじゃないと、「あちら側の世界」では生きていけないのかもしれない。前にも書いたような気がするが、目指すべきは「クセのない人間」ではない気がしてきた。まあ自分がクセの無い人間かどうかと考えると全然クセがないことなんてないんだろうなぁとは思うが。。
・なので、彼らの精神論は、将来自分が壁にあたったときには役に立つかもしれないので記録しておきたいが、壁にあたっていない現状で言葉だけ飲みこんでも絶対に本質部分までは到達できないのだろうと思う。むしろ、なまじ吸収しようとすると誤解しかできずハマってしまうのだと思う。返す返す、人と話をするということは大変なことである。。。
(もちろん、自分にもマイルールのようなものはたくさんある。○○なことはしないとか、▲▲な人には近づかないとか、積極的に◆◆する、みたいな。でも、それを他人に積極的に伝えたりするかというと、自分はできない。そういったマイルールの根拠が薄弱であり共感を得られないものであると感じているからだ)
話を聞いていると、経営というものはまったくもって難しい意思決定の連続であり、一介の勤め人である自分など一生に一度あるかないかという決断が日常、まるでインディージョーンズみたいなものだということがわかる。でここから先は彼らの話をもとにした自分の仮説:
・彼らはそのようなしびれる意思決定に数多くさらされるので、毎回毎回一から考えていては時間も足りないし神経もすり減ってしまう。
・なので、指針たりうるような哲学・信念・基礎理論のようなものは彼らにとって重要になる。困ったときに従うべき哲学があるかないかで、決断のスピードや質に大きな変化が出るからだ。
・彼らは年をとったからそういう説教くさいことを言いたいわけではないのだ。そういった精神論的なものが実践的なレベルで彼らの経営を具体的に助けているから彼らはそういったものを信奉するし口にも出すのだ。
・そういったものが背景にある経営者が精神論的なものを口に出すので、そういったものを背景として持たない勤め人や学生が経営者の話を聞いても全然ピンと来ないのだ。聞くこと一つ一つについて表層的には理解したり納得したりできているような気がしているが、おそらく、精神論の本質部分は「あっちの世界にいかなきゃわからない」という類のものなのだと思う。
これはMBAで経営戦略やマーケティングの「定石」を学ぶことにも通じる。おそらくほとんどの学校で、授業で教わる定石の是非についてがっつり四つで批判的考察を加えることはないのではないだろうか。「使い方に気を付ける必要があるけど、とりあえずSWOTやっておけ」みたいな。MBA学生がSWOTやらなんちゃらフレームワークに依拠するのと同じような感じで、経営者の人は自身で見出した哲学や親の教えなどに従っているのではないか。で、経営者たちは自ら見出した経験則的なものに依拠していることが多いのでその決断に自信・重み・安定感があるが、MBAは単に「授業中、先生がそういっていた」というレベルなので、ついつい浅薄なレベルになってしまうのではないか。
学生の頃から現在に至るまで、新興宗教の問題などもあったから、何か特定の信条を持つことに対する抵抗感のようなものが自分の中には根付いてしまっている。極力ニュートラルであろうと考え、偏見や固定観念から自由でありたいという思いが常にある。だが、そういった「小奇麗な」脳味噌は、勤め人として過ごすには良いかもしれないが、自分の腕一本で生きていくにはやや弱いのかもしれない。痺れるような経験をベースとして何かしら思想があるくらいじゃないと、「あちら側の世界」では生きていけないのかもしれない。前にも書いたような気がするが、目指すべきは「クセのない人間」ではない気がしてきた。まあ自分がクセの無い人間かどうかと考えると全然クセがないことなんてないんだろうなぁとは思うが。。
・なので、彼らの精神論は、将来自分が壁にあたったときには役に立つかもしれないので記録しておきたいが、壁にあたっていない現状で言葉だけ飲みこんでも絶対に本質部分までは到達できないのだろうと思う。むしろ、なまじ吸収しようとすると誤解しかできずハマってしまうのだと思う。返す返す、人と話をするということは大変なことである。。。
Saturday, October 15, 2011
Thursday, October 13, 2011
Creativity counts
木曜日。午前中のミーティングはいつも通り1時間弱で終わってしまい、あとは午後の授業までガンガンに予習を進めた。だんだん各科目とも内容が濃くなってきて面白い。そこまでマニアックに詰めますか~というレベルでバリュエーションについて議論したり、合併のみならず企業分割したときのメリデメについて侃侃諤諤議論したり、回帰分析において「知りたかったけど教科書読んでも難しくてわからんし、聞く相手もいないし」みたいな細かい論点が授業やその後のTAとの会話を通じ次から次へと解決していったり。実に楽しくて予習も全然苦にならない(言い過ぎか)。
○ところで最近娘におむつ離れの兆しが見えてきている。そこで、娘のために、持てるエクセルスキルを総動員して(?)アンパンマンの絵が入った表のようなものを作ってみた。ざっくりいうと昼のドラマで布団の営業マンが使うような成果に応じてシールを貼っていく表(優秀なセールスマンはシールが高く積みあがる一方、主役の山田君はいつもシールが一枚か二枚くらいでトホホみたいなあれ)。あまりニンジン(Extrinsic Incentive)を与えるのもどうかと思ったが、娘も気に入ってくれたようで何より。著作権の関係であれだが、自分としても思わずブログにアップしちゃおうかなと思ったくらい仕上がったものを気に入っている。
何より、単に一週間分の白紙の表にアンパンマンの挿絵を挟んだだけの簡単な表とはいえ、久々に創造的な作業をした。単にアンパンマンの絵を挿入するだけだが、それでも自分の中のクリエイティビティに火が付き、やっている最中には頭がフル回転した感覚。終わった今、頭がなんだかすっきりした感覚さえ抱いている。やっぱクリエイティビティは大事だな。これからも行き詰ったときはゴルフとかネットサーフィンなんかより、絵を書いたりした方がいいのかも、なんて。無理にでも何か作れば、それで脳が刺激を受けたりすっきりしたりアドレナリンが出たりして、ストレスがふっとびテンションがあがり機嫌がよくなり、そうなるとより一層クリエイティビティが増大して...なんて感じの循環はどうだろう。近々試してみようかな。
○ところで最近娘におむつ離れの兆しが見えてきている。そこで、娘のために、持てるエクセルスキルを総動員して(?)アンパンマンの絵が入った表のようなものを作ってみた。ざっくりいうと昼のドラマで布団の営業マンが使うような成果に応じてシールを貼っていく表(優秀なセールスマンはシールが高く積みあがる一方、主役の山田君はいつもシールが一枚か二枚くらいでトホホみたいなあれ)。あまりニンジン(Extrinsic Incentive)を与えるのもどうかと思ったが、娘も気に入ってくれたようで何より。著作権の関係であれだが、自分としても思わずブログにアップしちゃおうかなと思ったくらい仕上がったものを気に入っている。
何より、単に一週間分の白紙の表にアンパンマンの挿絵を挟んだだけの簡単な表とはいえ、久々に創造的な作業をした。単にアンパンマンの絵を挿入するだけだが、それでも自分の中のクリエイティビティに火が付き、やっている最中には頭がフル回転した感覚。終わった今、頭がなんだかすっきりした感覚さえ抱いている。やっぱクリエイティビティは大事だな。これからも行き詰ったときはゴルフとかネットサーフィンなんかより、絵を書いたりした方がいいのかも、なんて。無理にでも何か作れば、それで脳が刺激を受けたりすっきりしたりアドレナリンが出たりして、ストレスがふっとびテンションがあがり機嫌がよくなり、そうなるとより一層クリエイティビティが増大して...なんて感じの循環はどうだろう。近々試してみようかな。
Wednesday, October 12, 2011
教授が大物過ぎた件
水曜日。
○一限の計量経済の時間、突然教授の電話が鳴る。まあそういうのは教授でも生徒でもよくあることなので、その段階では特に驚かず。で、教授が電話に出たのだが、その時点でもそれほどは驚かず。どうせ「今忙しいからまたあとで」と言ってすぐ切るものだと思っていた。しかし驚くことに、教授は一向に電話を切るそぶりを見せず、あろうことかそのまま部屋を出て行ってしまった。なんじゃそりゃと思ったのだが、しばらくすると教室のスクリーンに接続されていたBloomberg Radioのページからその教授の声が。どうやら教授はBloombergから電話インタビューを受ける予定があったようで、不在中も我々はBloombergを通じて教授の声を聞くことになった。。全ては聞き取れなかったのだが、記者が何か質問した際の教授の返答が「それはまさに私が今授業で教えていることだ」みたいな冗談を返していたのが印象的であった。授業抜けてるじゃん、早く戻ってこいよ...と思ってしまうなど。先生は確かに大物であるようだが、若干教育には身が入っていない感じがしてどうしたものか。
○雑感
・いくら「人生成り行き、ケセラセラ」という思考が自分の根底にあったとしても、それを他人に出しては駄目だ。当たり前のことなんだろうが、今日改めて痛感。昨日書いた本気の話にも通じるが、自分の斜に構え病はもしかすると深刻なのかも。なんというか、ちょっとした恥をかく機会があり、そのおかげで上記のようなことを痛感。
・はるか昔、オペレーションの授業で、「生産量がキャパシティに近づくと等比級数的に遅れが拡大する」みたいなことを学んだ気がするのだが、今の自分がまさにそれな気がする。背伸びして色々やって、結果キャパ一杯のところに近づいて、必要以上に余裕を失ってしまっている感覚。5が7になっただけで、余力が5から3になっただけにもかかわらず、精神的余裕は5から1くらいになってしまっている感覚。
なんだか常にあれやこれやが心配事として頭の中を巡ってしまっていて、夏休みの頃に「暇だからこそ思索に浸れる」とかほざいていたころが信じられない。こうやってブログに文字数だけは書いているが、全然思考は深いところに到達しておらず、あっぷあっぷのなか頭の表層に浮かんだ文字を拾ってはPCに落としての繰り返しといった感じ。
その昔、短い社会人人生で1,2回ほど多忙により似たような状況にはまったことがある。また、同僚が似たような状況にはまっているのを見たこともある。これって、はたから見たら全然何がそんなに苦しいのか理解できないし、自分としても終わってから振り返ると「何がそんなに大変だったんだろう」「いくらなんでもそこまで大変ではなかっただろうに」と思ってしまう感じ。
思うに自分は愚痴を聞いてくれて飯の支度までしてくれる妻がいて、かわいくて仕方ない娘もいて、しかも趣味のゴルフも金銭的・距離的に簡単にできるし、石を投げれば届く範囲だけでも多くの友人がいる(ってプロ野球選手かよと)。おまけに就職活動とは無縁。なのでどちらかというと「ストレス?は?お前ふざけんな、何を偉そうに」と言われても仕方がない境遇の人間なのだと思う。独身の人とか、中部の学校で日本人コミュニティがない学校に通っている人とかの苦労を思うと自分なんて屁みたいなものなのだろう。とわかってはいるのだから、もうすこしTake it easyにできればと思うのだが、どうも思う通りにはメンタルコントロールができないものだ。。
ゴルフでもしたら治るのかな。
○一限の計量経済の時間、突然教授の電話が鳴る。まあそういうのは教授でも生徒でもよくあることなので、その段階では特に驚かず。で、教授が電話に出たのだが、その時点でもそれほどは驚かず。どうせ「今忙しいからまたあとで」と言ってすぐ切るものだと思っていた。しかし驚くことに、教授は一向に電話を切るそぶりを見せず、あろうことかそのまま部屋を出て行ってしまった。なんじゃそりゃと思ったのだが、しばらくすると教室のスクリーンに接続されていたBloomberg Radioのページからその教授の声が。どうやら教授はBloombergから電話インタビューを受ける予定があったようで、不在中も我々はBloombergを通じて教授の声を聞くことになった。。全ては聞き取れなかったのだが、記者が何か質問した際の教授の返答が「それはまさに私が今授業で教えていることだ」みたいな冗談を返していたのが印象的であった。授業抜けてるじゃん、早く戻ってこいよ...と思ってしまうなど。先生は確かに大物であるようだが、若干教育には身が入っていない感じがしてどうしたものか。
○雑感
・いくら「人生成り行き、ケセラセラ」という思考が自分の根底にあったとしても、それを他人に出しては駄目だ。当たり前のことなんだろうが、今日改めて痛感。昨日書いた本気の話にも通じるが、自分の斜に構え病はもしかすると深刻なのかも。なんというか、ちょっとした恥をかく機会があり、そのおかげで上記のようなことを痛感。
・はるか昔、オペレーションの授業で、「生産量がキャパシティに近づくと等比級数的に遅れが拡大する」みたいなことを学んだ気がするのだが、今の自分がまさにそれな気がする。背伸びして色々やって、結果キャパ一杯のところに近づいて、必要以上に余裕を失ってしまっている感覚。5が7になっただけで、余力が5から3になっただけにもかかわらず、精神的余裕は5から1くらいになってしまっている感覚。
なんだか常にあれやこれやが心配事として頭の中を巡ってしまっていて、夏休みの頃に「暇だからこそ思索に浸れる」とかほざいていたころが信じられない。こうやってブログに文字数だけは書いているが、全然思考は深いところに到達しておらず、あっぷあっぷのなか頭の表層に浮かんだ文字を拾ってはPCに落としての繰り返しといった感じ。
その昔、短い社会人人生で1,2回ほど多忙により似たような状況にはまったことがある。また、同僚が似たような状況にはまっているのを見たこともある。これって、はたから見たら全然何がそんなに苦しいのか理解できないし、自分としても終わってから振り返ると「何がそんなに大変だったんだろう」「いくらなんでもそこまで大変ではなかっただろうに」と思ってしまう感じ。
思うに自分は愚痴を聞いてくれて飯の支度までしてくれる妻がいて、かわいくて仕方ない娘もいて、しかも趣味のゴルフも金銭的・距離的に簡単にできるし、石を投げれば届く範囲だけでも多くの友人がいる(ってプロ野球選手かよと)。おまけに就職活動とは無縁。なのでどちらかというと「ストレス?は?お前ふざけんな、何を偉そうに」と言われても仕方がない境遇の人間なのだと思う。独身の人とか、中部の学校で日本人コミュニティがない学校に通っている人とかの苦労を思うと自分なんて屁みたいなものなのだろう。とわかってはいるのだから、もうすこしTake it easyにできればと思うのだが、どうも思う通りにはメンタルコントロールができないものだ。。
ゴルフでもしたら治るのかな。
Tuesday, October 11, 2011
本気
火曜日。
○朝からリサーチの関係でトーランスへ。昼に山田屋でつけ麺を食べたらまあまあ美味しくて満足したが大盛りは確かに大盛りでうっぷり。食べ過ぎて、帰宅後図らずも気絶。知人に餃子を強要される夢を見たので、相当食べ過ぎたのだろう。なんとか目覚めた後に少し勉強。夕食は妻の命を受け(?)ビバリーヒルズにある高そうなレストランにて。メインシェフっぽい人が日本人で、ガラス越しに見えるキッチンでバリバリ働いている姿を見て少し嬉しい気持ちになったが、値段ほどには味には感動しなかった。高すぎて自分が批判モードになってしまっていたのかもしれないが。
○運転中などにふと思ったこと:
最近、チャレンジ精神と称して色々と無理目のことに足を突っ込んでしまっているが、その際に自分に保険をかけてしまっていてそれが諸々ネガティブな影響を出してしまっているような気がする。
(予め駄目だったときの言い訳を用意しておく/次のネタを考え始めることで現在のネタに対するフォーカスを下げる、等)
そんな感じで自分が怪我しないように小細工してしまっている結果、
・肝心のチャレンジ中に、「どうせこけるし」という思いが顔をのぞかせ、本気を出せずじまいになる
・一回こけてからの巻き返しこそが重要かもしれないのに、立ち上がることなくあっさり引き下がってしまう
・なぜこけたのか、次失敗しないためにはどうすればいいかという反省フェーズで真剣に反省できなくなる
といった弊害が発生してしまっているような気がする。
ここ最近、リスクを取った人・人生のある期間本気で何かを行った人といった人々の話を聞く機会が増えている。そういった人々の話を聞くにつれ、自分にはそもそものパッションや想像力も足りていないかもしれないが、それ以前に、自分がやると決めたことについて本気を出すというある意味当然のこともろくすっぽできていないのではないかと感じるようになってきている。
目の前のことに100%の本気を出すことや思い切りショックを受けて死にもの狂いで同じ過ちを犯さないための反省をすることができていないから、人より成長スピードも遅い、あるいは成長できていないような。
チャレンジすることはそれ自体そこそこ絵になる。だが、そのレベルで悦に入ってしまっては駄目だ。人生の勝負どころにおいては、ブレーキをかけずに全速力で突っ込まないと永遠に壁を突き抜けることはできないのではないか。ブレーキをかければ転んでも軽傷ですぐに立ち上がることができるが、得るものも多くない。結果として大怪我したり周囲から白眼視されることを覚悟してでも、人生にはブレーキをかけず(あるいは必要以上のブレーキをかけず、ということかもしれない)エイヤっと突っ込まなくては見ることが叶わない世界があるのではないか。
安易にノンブレーキで突っ込むことが正解というわけではないだろう。リスクを可能な限り丁寧に見積もることは常に重要だと思う。だが、そこに地雷があるからチンタラ進むという人間と、地雷があることを理解した上で地雷がないと思われるところを全速力で走りぬけようとする人間では、大きな差が生まれてしまう、そんなことをふと考えた。
○朝からリサーチの関係でトーランスへ。昼に山田屋でつけ麺を食べたらまあまあ美味しくて満足したが大盛りは確かに大盛りでうっぷり。食べ過ぎて、帰宅後図らずも気絶。知人に餃子を強要される夢を見たので、相当食べ過ぎたのだろう。なんとか目覚めた後に少し勉強。夕食は妻の命を受け(?)ビバリーヒルズにある高そうなレストランにて。メインシェフっぽい人が日本人で、ガラス越しに見えるキッチンでバリバリ働いている姿を見て少し嬉しい気持ちになったが、値段ほどには味には感動しなかった。高すぎて自分が批判モードになってしまっていたのかもしれないが。
○運転中などにふと思ったこと:
最近、チャレンジ精神と称して色々と無理目のことに足を突っ込んでしまっているが、その際に自分に保険をかけてしまっていてそれが諸々ネガティブな影響を出してしまっているような気がする。
(予め駄目だったときの言い訳を用意しておく/次のネタを考え始めることで現在のネタに対するフォーカスを下げる、等)
そんな感じで自分が怪我しないように小細工してしまっている結果、
・肝心のチャレンジ中に、「どうせこけるし」という思いが顔をのぞかせ、本気を出せずじまいになる
・一回こけてからの巻き返しこそが重要かもしれないのに、立ち上がることなくあっさり引き下がってしまう
・なぜこけたのか、次失敗しないためにはどうすればいいかという反省フェーズで真剣に反省できなくなる
といった弊害が発生してしまっているような気がする。
ここ最近、リスクを取った人・人生のある期間本気で何かを行った人といった人々の話を聞く機会が増えている。そういった人々の話を聞くにつれ、自分にはそもそものパッションや想像力も足りていないかもしれないが、それ以前に、自分がやると決めたことについて本気を出すというある意味当然のこともろくすっぽできていないのではないかと感じるようになってきている。
目の前のことに100%の本気を出すことや思い切りショックを受けて死にもの狂いで同じ過ちを犯さないための反省をすることができていないから、人より成長スピードも遅い、あるいは成長できていないような。
チャレンジすることはそれ自体そこそこ絵になる。だが、そのレベルで悦に入ってしまっては駄目だ。人生の勝負どころにおいては、ブレーキをかけずに全速力で突っ込まないと永遠に壁を突き抜けることはできないのではないか。ブレーキをかければ転んでも軽傷ですぐに立ち上がることができるが、得るものも多くない。結果として大怪我したり周囲から白眼視されることを覚悟してでも、人生にはブレーキをかけず(あるいは必要以上のブレーキをかけず、ということかもしれない)エイヤっと突っ込まなくては見ることが叶わない世界があるのではないか。
安易にノンブレーキで突っ込むことが正解というわけではないだろう。リスクを可能な限り丁寧に見積もることは常に重要だと思う。だが、そこに地雷があるからチンタラ進むという人間と、地雷があることを理解した上で地雷がないと思われるところを全速力で走りぬけようとする人間では、大きな差が生まれてしまう、そんなことをふと考えた。
Diversification, Divestiture
多角化戦略、昔はさておき今はデメリットの方が大きいのではないかというリーディングのメモ:
1. 多角化のメリデメ比較
Pros:
・節税可能性:損金益金のガッチャンコができる
・リスク分散:多角化していれば一事業が赤字になっても全体として持ちこたえる可能性。
・Internal Capital(部門間での資金融通)を利用できる:銀行や投資家にディスクロしないで済むのはメリットだし、手元にある資金は人から出してもらう金より遥かに使いやすい(Pecking Order)。また、Internal Cash Managementの仕組があれば、各事業部門が余ったからと言って資金をしょぼい事業に投資することを回避できる。
Cons:
・各事業部のモラルハザード:他部門がカバーしてくれるからといって過剰なリスクを取ったり、他部門に赤字補填に回るくらいなら自部門で無駄に使ってしまえとか
・経営者が中立的になれない:本来Unsystematic Risksは投資家がヘッジすればよい話だが、赤字になると首になる経営者としては多角化するインセンティブを持ってしまっていて中立的に判断できない
・Internal Capitalにも問題あるよね:そんな洗練された組織では、意思決定に時間がかかるようになってしまう。Overheadも増えるだろう。また、CMSがあると、配当するよりもどこかの事業部門に突っ込んどけという傾向が生じ非効率性が増長する。
・アホ経営者を追放しづらくなる:アホ経営者を追放しようにも、そのために買い占めなくてはならないエクイティが1億円のときと1,000億円のときではその難易度は大きく異なる。また、大企業は概して株主構成がより分散していて、株主のまとmった同意を得るのが困難。
・コングロマリットは得てして経営者があまり自社株を持っておらず、エージェンシーコスト発生リスクが大きい。株主と運命を共にしていない経営者に望む通りに働いてもらうためには、バカみたいな報酬を彼に払わなくてはならなくなる(オーナー社長であれば、そんな馬鹿みたいな報酬など払わずとも株主のため全力を尽くすだろう)
2. 外部環境の変化
・投資家がより賢くなり、株主の発言力も高まり、ディスクロ圧力も増大。これらの結果無駄な多角化が今まで以上に疑義にさらされることが増えた
(感想)
・既にそうなっているが、これからはより一層コア事業への集中とかノンコア事業の売却とかが求められるのだろう。
・多角化が経営者のインセンティブになっている、経営者は多角化度合いについて中立的たりえないというものが個人的には最大の学び。無意識にはわかっていたような気もするが整理したことはなかったと思う。
・多角化バンザイとかシナジーいっぱいという議論は、常に買ったり売ったりが起きていないと儲からないコンサルIB及び多角化してたほうが自己利益につながる経営者がタッグを組んで株主をだまくらかそうとする試みである可能性を疑うべき。その意味で株主は今よりもっと強く賢くなるべき。
・本稿はアメリカの証券市場を念頭に置いており「株主が強くなっている」と論じているが、これは日本ではまだあてはまらないところもあるように思われる。もっとアクティブな機関投資家は出てきていいし、出てくるはず。そうなると空前の非多角化(Divestiture)ブームが起きるかもしれず、そのときはM&Aアドバイザリーもプライベートエクイティもウハウハなんじゃないか...と妄想。
1. 多角化のメリデメ比較
Pros:
・節税可能性:損金益金のガッチャンコができる
・リスク分散:多角化していれば一事業が赤字になっても全体として持ちこたえる可能性。
・Internal Capital(部門間での資金融通)を利用できる:銀行や投資家にディスクロしないで済むのはメリットだし、手元にある資金は人から出してもらう金より遥かに使いやすい(Pecking Order)。また、Internal Cash Managementの仕組があれば、各事業部門が余ったからと言って資金をしょぼい事業に投資することを回避できる。
Cons:
・各事業部のモラルハザード:他部門がカバーしてくれるからといって過剰なリスクを取ったり、他部門に赤字補填に回るくらいなら自部門で無駄に使ってしまえとか
・経営者が中立的になれない:本来Unsystematic Risksは投資家がヘッジすればよい話だが、赤字になると首になる経営者としては多角化するインセンティブを持ってしまっていて中立的に判断できない
・Internal Capitalにも問題あるよね:そんな洗練された組織では、意思決定に時間がかかるようになってしまう。Overheadも増えるだろう。また、CMSがあると、配当するよりもどこかの事業部門に突っ込んどけという傾向が生じ非効率性が増長する。
・アホ経営者を追放しづらくなる:アホ経営者を追放しようにも、そのために買い占めなくてはならないエクイティが1億円のときと1,000億円のときではその難易度は大きく異なる。また、大企業は概して株主構成がより分散していて、株主のまとmった同意を得るのが困難。
・コングロマリットは得てして経営者があまり自社株を持っておらず、エージェンシーコスト発生リスクが大きい。株主と運命を共にしていない経営者に望む通りに働いてもらうためには、バカみたいな報酬を彼に払わなくてはならなくなる(オーナー社長であれば、そんな馬鹿みたいな報酬など払わずとも株主のため全力を尽くすだろう)
2. 外部環境の変化
・投資家がより賢くなり、株主の発言力も高まり、ディスクロ圧力も増大。これらの結果無駄な多角化が今まで以上に疑義にさらされることが増えた
(感想)
・既にそうなっているが、これからはより一層コア事業への集中とかノンコア事業の売却とかが求められるのだろう。
・多角化が経営者のインセンティブになっている、経営者は多角化度合いについて中立的たりえないというものが個人的には最大の学び。無意識にはわかっていたような気もするが整理したことはなかったと思う。
・多角化バンザイとかシナジーいっぱいという議論は、常に買ったり売ったりが起きていないと儲からないコンサルIB及び多角化してたほうが自己利益につながる経営者がタッグを組んで株主をだまくらかそうとする試みである可能性を疑うべき。その意味で株主は今よりもっと強く賢くなるべき。
・本稿はアメリカの証券市場を念頭に置いており「株主が強くなっている」と論じているが、これは日本ではまだあてはまらないところもあるように思われる。もっとアクティブな機関投資家は出てきていいし、出てくるはず。そうなると空前の非多角化(Divestiture)ブームが起きるかもしれず、そのときはM&Aアドバイザリーもプライベートエクイティもウハウハなんじゃないか...と妄想。
Monday, October 10, 2011
会議ばっかり
月曜日。
○夕方からの重たい授業(ケース3つ)に備え朝からずっとミーティング。事前に出される質問自体もそこそこ難しいし、授業中には質問以外のこともガンガン聞かれるので、仕事が丁寧なことに自分の中で定評がある女の子J中心に想定問答までやってしまうなど。なにせ授業中の発言の量ではなくクオリティによって成績の3分の2が決まってしまうので(しかもチームの連帯責任)、やろうと言う人がいる以上、やり過ぎとは思いつつも頑張らないと男がすたる状態。なんか最近毎日何かしらミーティングしていて、その回数やら時間やらが去年より多い気がするのだがどういうことだろう。
○授業直前に、とあるファイナンスの教授から連絡が。よかったらTAにならないかとの申し出。同級生の話を聞く限りではTAをするということはわりと名誉であることみたいだったし、何か自分に個別に連絡が来ているように思えたのでとりあえず教授に会いに行ってみた。そしたら、すっかり勘違いしていたが別に自分に個別に依頼したわけではなかったようで、志願者のone of themみたいな扱いを受けてしまうなど。色々面接っぽく質問を受け、当方の都合のみならずファイナンスの知識についても聞かれてどぎまぎしてしまう。その結果、ただでさえ英語がアレなので教授にあまりいい印象を与えることができなかったようで、「また連絡するよ」という残念でした風の一言を頂いて試合終了。やっぱりいくらなんでももうちょっと英語上達させないとまずいなぁと思わずにはいられなかった。まあでも、最近つい惰性で「英語なんて通じりゃカタカナでも問題ないし」みたいな開き直りの方向に傾きつつあったので、いい喝をもらったということでいい勉強させて頂いたという解釈で本件を締めくくることとしたい。。まあ残念賞
○夕方からの重たい授業(ケース3つ)に備え朝からずっとミーティング。事前に出される質問自体もそこそこ難しいし、授業中には質問以外のこともガンガン聞かれるので、仕事が丁寧なことに自分の中で定評がある女の子J中心に想定問答までやってしまうなど。なにせ授業中の発言の量ではなくクオリティによって成績の3分の2が決まってしまうので(しかもチームの連帯責任)、やろうと言う人がいる以上、やり過ぎとは思いつつも頑張らないと男がすたる状態。なんか最近毎日何かしらミーティングしていて、その回数やら時間やらが去年より多い気がするのだがどういうことだろう。
○授業直前に、とあるファイナンスの教授から連絡が。よかったらTAにならないかとの申し出。同級生の話を聞く限りではTAをするということはわりと名誉であることみたいだったし、何か自分に個別に連絡が来ているように思えたのでとりあえず教授に会いに行ってみた。そしたら、すっかり勘違いしていたが別に自分に個別に依頼したわけではなかったようで、志願者のone of themみたいな扱いを受けてしまうなど。色々面接っぽく質問を受け、当方の都合のみならずファイナンスの知識についても聞かれてどぎまぎしてしまう。その結果、ただでさえ英語がアレなので教授にあまりいい印象を与えることができなかったようで、「また連絡するよ」という残念でした風の一言を頂いて試合終了。やっぱりいくらなんでももうちょっと英語上達させないとまずいなぁと思わずにはいられなかった。まあでも、最近つい惰性で「英語なんて通じりゃカタカナでも問題ないし」みたいな開き直りの方向に傾きつつあったので、いい喝をもらったということでいい勉強させて頂いたという解釈で本件を締めくくることとしたい。。まあ残念賞
Sunday, October 9, 2011
忙しい風の週末
○週末。
・金曜日:学校でミーティングが入った。金曜学校に行くのは始業式とかを除くとものすごく久しぶり。休日出勤に拒否感がありこれまでは金曜日のミーティングを極力月~木にするべく努力してきたが、あまりに宿題が多いので金曜出動せざるを得ない感じ。やむなく「金曜日は平日である」と気持ちを切り替えて学校へ。まあ実際平日だし。不承不承行ったが、行ったら意外と楽しかった。何人か友人も来ていて、皆普段よりはゆったりとしたタイムスケジュールなので、宿題するふりしてだらだらと雑談したり。普段喋らないようなクラスメートと話す機会を得られたりして。夜は友人と食事。
・土曜日:学校の子持ちの人々が集まってBBQ。肉持ち込みということで我が家は肉といくばくかのフルーツだけ持ち寄ったが、殆どの参加者はもっと色々持ち込んでいて軽く恐縮。夜はガーデナのOtafukuというそば屋。そばもまあ美味しかったが、出し巻き玉子とかの一品ものがとても美味しかったのでまた是非通いたい。あとは夕方に打ちっぱなしとか。
・日曜:忙しくて、行きたかったゴルフに行けず。いや正確に言うと、忙しい雰囲気によって心の余裕を少し失ってしまい、行こうと思えば行くだけの余裕はあったにもかかわらず家でのんびりするという安易な方向に流れてしまった。まあおかげで昼寝したり娘とごろにゃんしたりしてそれはそれで悪くないんだけど。昼はMontana AveにあるFather's Officeという店でハンバーガーをお持ち帰り。基本はバーでハンバーガーもやっているといった感じの店なのだが、十数ドルするので当たり前といえば当たり前だが滅茶苦茶うまかった。近いうちに友人の誰かを誘って夜のバーに行ってみたいと思わずにはいられなかった。やっぱり、うまい食い物がないとバーに行こうという気持ちは出てこないんだよね。ゴルフに行かなかったおかげで勉強も大いにはかどった。
○週末もメールにて複数のグループワークが進捗。互いに敬意を持ち、自発的に作業を引き受けあうことができているチームもある一方で、皆揃いに揃って「いかにして自分の負担を最小化しつつ、他のメンバーにやってもらうか」みたいな駆け引きばかり繰り広げられているチームもある。MBA学生には素晴らしい人も多いが、全員が全員尊敬できるいい奴というわけでもないということを再認識。できるだけ協力的でありたいと思っているが、自分の分だけやればいい・できれば自分の負担を最小化したいといったスタンスがにじみ出てしまっている人に対しては彼らのやり方をそっくりそのまま真似て切ってしまうのも悪くない気がしてきた。
・金曜日:学校でミーティングが入った。金曜学校に行くのは始業式とかを除くとものすごく久しぶり。休日出勤に拒否感がありこれまでは金曜日のミーティングを極力月~木にするべく努力してきたが、あまりに宿題が多いので金曜出動せざるを得ない感じ。やむなく「金曜日は平日である」と気持ちを切り替えて学校へ。まあ実際平日だし。不承不承行ったが、行ったら意外と楽しかった。何人か友人も来ていて、皆普段よりはゆったりとしたタイムスケジュールなので、宿題するふりしてだらだらと雑談したり。普段喋らないようなクラスメートと話す機会を得られたりして。夜は友人と食事。
・土曜日:学校の子持ちの人々が集まってBBQ。肉持ち込みということで我が家は肉といくばくかのフルーツだけ持ち寄ったが、殆どの参加者はもっと色々持ち込んでいて軽く恐縮。夜はガーデナのOtafukuというそば屋。そばもまあ美味しかったが、出し巻き玉子とかの一品ものがとても美味しかったのでまた是非通いたい。あとは夕方に打ちっぱなしとか。
・日曜:忙しくて、行きたかったゴルフに行けず。いや正確に言うと、忙しい雰囲気によって心の余裕を少し失ってしまい、行こうと思えば行くだけの余裕はあったにもかかわらず家でのんびりするという安易な方向に流れてしまった。まあおかげで昼寝したり娘とごろにゃんしたりしてそれはそれで悪くないんだけど。昼はMontana AveにあるFather's Officeという店でハンバーガーをお持ち帰り。基本はバーでハンバーガーもやっているといった感じの店なのだが、十数ドルするので当たり前といえば当たり前だが滅茶苦茶うまかった。近いうちに友人の誰かを誘って夜のバーに行ってみたいと思わずにはいられなかった。やっぱり、うまい食い物がないとバーに行こうという気持ちは出てこないんだよね。ゴルフに行かなかったおかげで勉強も大いにはかどった。
○週末もメールにて複数のグループワークが進捗。互いに敬意を持ち、自発的に作業を引き受けあうことができているチームもある一方で、皆揃いに揃って「いかにして自分の負担を最小化しつつ、他のメンバーにやってもらうか」みたいな駆け引きばかり繰り広げられているチームもある。MBA学生には素晴らしい人も多いが、全員が全員尊敬できるいい奴というわけでもないということを再認識。できるだけ協力的でありたいと思っているが、自分の分だけやればいい・できれば自分の負担を最小化したいといったスタンスがにじみ出てしまっている人に対しては彼らのやり方をそっくりそのまま真似て切ってしまうのも悪くない気がしてきた。
もういくつ寝ると...
○気が付くとあと一週間足らずで30歳になってしまうことに気が付いた。こりゃいかん。参った。。
○昔は色々と「30までにはどうしたこうした」という構想やら夢を持っていた気がするが、今となってはどんな夢を描いていたのかもよく思い出せない。いわんや、自分がそういった夢をどの程度達成できたのかなど全くわからない。
ぱっと思い浮かぶところだけ検証してみると、
・20代のうちにやっておきたかった留学についてはまあぎりぎり達成できたような(帰国時に30を超えるので達成と言えるのかわからないが)。といっても、入念な準備の末に勝ち取ったというよりは、たいして準備もしていないのにぽっこり権利をもらえてしまったという感じなので、勝ち取ったとか計画通り進んだという感覚は全然得られていないのが残念なところ。
・30までにはするつもりのなかった(というか、多分一生しないんじゃないかと思っていた)結婚はだいぶ早い段階で思いがけずやってしまい、さらに思いがけず、子供まで20代のうちに作ってしまった。結果的に今の家族3人という状況は全然まんざらではないのだが、でもやはり思い描いていた構想とは異なることからたまに「俺がまだ独身だったら...」という妄想をしてしまうこともある。
本来は留学しかり結婚しかり、もっと主体的計画的に勝ち取るという経験を積んでおけば自分の人生観のようなものは大きく変わっていたようにも思われる。だが、今のところは、主体的というよりは成り行き任せで人生の大半のイベントが進展していて、主体的計画的に動くことの限界やら意味の無さのようなものをつい考えてしまう。同世代でも全く違う人生をベースにまったく違う価値観を獲得している人もいるだろうことを思うと、なんか随分遠くまで来ちゃったなあといったことを感じる。
ま、何にせよ、「今後のキャリア」とか「価値観」とか色々考えた方がいいことも色々あるのは承知しているが、それはさておき30代といえばハゲ白髪肥満や各種成人病と出会う時期でもあると思われる。ぼんやり考える限りでは、自身の頭髪量や加齢臭の程度こそなるようにしかならない類のものでキャリアやら価値観やらは努力や計画次第で随分改善する余地があるように思われる。さりながら、どこでどう間違えたのか、今の自分はぼんやりと「キャリアなんてなるようにしかならないので考えてもあまり意味ないが、とりあえず毎日丁寧に洗顔とか洗髪とかしよっと」という方向にしか思考が進んでいない。このままではろくなキャリアを獲得することなくしょぼくれていって、気が抜けた結果太って禿げて、、、という感じになりかねないので、あと一年弱のMBA生活をうまく使いつつ自分がどうありたいかについて真剣に考えてみないといかんなぁと改めて思いを新たにした。自分のイメージでは、公私ともに充実していればあまり極端にはげたり太ったりすることはないんじゃないかと思うのだがどうなんだろうか。勿論家系的な要素とかもあるだろうから一概には言えないけど。。
○昔は色々と「30までにはどうしたこうした」という構想やら夢を持っていた気がするが、今となってはどんな夢を描いていたのかもよく思い出せない。いわんや、自分がそういった夢をどの程度達成できたのかなど全くわからない。
ぱっと思い浮かぶところだけ検証してみると、
・20代のうちにやっておきたかった留学についてはまあぎりぎり達成できたような(帰国時に30を超えるので達成と言えるのかわからないが)。といっても、入念な準備の末に勝ち取ったというよりは、たいして準備もしていないのにぽっこり権利をもらえてしまったという感じなので、勝ち取ったとか計画通り進んだという感覚は全然得られていないのが残念なところ。
・30までにはするつもりのなかった(というか、多分一生しないんじゃないかと思っていた)結婚はだいぶ早い段階で思いがけずやってしまい、さらに思いがけず、子供まで20代のうちに作ってしまった。結果的に今の家族3人という状況は全然まんざらではないのだが、でもやはり思い描いていた構想とは異なることからたまに「俺がまだ独身だったら...」という妄想をしてしまうこともある。
本来は留学しかり結婚しかり、もっと主体的計画的に勝ち取るという経験を積んでおけば自分の人生観のようなものは大きく変わっていたようにも思われる。だが、今のところは、主体的というよりは成り行き任せで人生の大半のイベントが進展していて、主体的計画的に動くことの限界やら意味の無さのようなものをつい考えてしまう。同世代でも全く違う人生をベースにまったく違う価値観を獲得している人もいるだろうことを思うと、なんか随分遠くまで来ちゃったなあといったことを感じる。
ま、何にせよ、「今後のキャリア」とか「価値観」とか色々考えた方がいいことも色々あるのは承知しているが、それはさておき30代といえばハゲ白髪肥満や各種成人病と出会う時期でもあると思われる。ぼんやり考える限りでは、自身の頭髪量や加齢臭の程度こそなるようにしかならない類のものでキャリアやら価値観やらは努力や計画次第で随分改善する余地があるように思われる。さりながら、どこでどう間違えたのか、今の自分はぼんやりと「キャリアなんてなるようにしかならないので考えてもあまり意味ないが、とりあえず毎日丁寧に洗顔とか洗髪とかしよっと」という方向にしか思考が進んでいない。このままではろくなキャリアを獲得することなくしょぼくれていって、気が抜けた結果太って禿げて、、、という感じになりかねないので、あと一年弱のMBA生活をうまく使いつつ自分がどうありたいかについて真剣に考えてみないといかんなぁと改めて思いを新たにした。自分のイメージでは、公私ともに充実していればあまり極端にはげたり太ったりすることはないんじゃないかと思うのだがどうなんだろうか。勿論家系的な要素とかもあるだろうから一概には言えないけど。。
Friday, October 7, 2011
ジャパントリップ 光と影
雑感をいくつか:
○ここ最近見聞きした話をベースとして感じていること:
・「問題なのはWhat to doではなくHow to do it」というのがこれまでの自分の認識だった。禁煙した方がいいというWhat to doは大抵の場合当事者にとって言われなくてもわかっていることであり、どうすれば禁煙できるか、すなわちHow to doが主要な論点なのだと思っていた。
・しかし、How to do itも大事かもしれないがHow to attain something without doing itも同じくらい重要なのではないかと思うようになっている。
健康という大目標があって、そのソリューション(What to do)の一つに禁煙があったとする。で、どうやったら禁煙できるか考えることももちろん大事ではある。だがむしろ、禁煙できないという立場からスタートして禁煙なしで健康を達成するにはどうすればいいかと考える発想こそが大事なんじゃないかという発想。
・現状追認的という誹りを受けうる考え方なのかもしれないが、少なくとも問題意識からスタートすることで導出される「理想のソリューション」を実行することだけが最適唯一の方法であると考える必要はまったくないのじゃないかしらというあたりで思考が滞留しているところ。「タバコは吸ってもいいけど、野菜をたくさん食べることで体のコンディションを整えると良い」みたいな感じで、現状を無理にブレイクせず現状をベースとした解決策を提案することも検討せんといかんのではないかという思いがもやもやしている。まあそれこそが今の日本の財政なのかもしれないが。
○ジャパントリップ思考実験
・多くのMBAで、ジャパントリップ(JT)の準備が始まる季節。JTが日本人学生にとって概して素晴らしい経験となりうることはおおいに賛同する。だが、その素晴らしさがJTに行かないことで得られる素晴らしさと比較してどうなのかも検討した方がいいんじゃないかという思考実験。やり方としては、一般的に言われているメリットが果たして本当にメリットなのか検討し、その後あまりスポットライトが当たらないJTの機会費用について整理してみる。趣旨は一方的にDiscourageすることではなく、下記のような各種論点を包括的に考慮した上で参加・開催の有無を決めた方がいいだろうと思い。
・JTは色々なメリットをもたらしてくれる。だが、そのメリットには若干ながら再検討の余地がある:
日本人学生のプレゼンスの向上→JTはかなりの可能性で日本人学生あるいは自分自身のプレゼンス向上に寄与する。とはいえ、「日本人学生のプレゼンス向上」は自分個人にとって本当に価値あることか?自己満足を言い換えただけではないか?また、プレゼンス向上のために自分達がその辺でパフォーマンスを披露するというのはわかるが、プレゼンス向上のために外国人に旅行というサービスを売るというのは、主客逆転のように感じられるのは自分だけだろうか。
リーダーシップ経験→もちろん、やれば相応のリーダーシップ経験は得られる。少なくともレジュメに何か書けるだろう。とはいえ、旅行のアレンジ程度のリーダーシップ経験なら学部あるいは高校生のときに既にやったことがあるはず。ビザやら飛行機やら特殊なロジが加わるが大したものではない。他にもリーダーシップの機会はいっぱいある。他を頑張らず、やりやすそうなJTで急に張り切るのはどうなのか。
何か面白いことやりたいという素朴な欲求→個人的には、これが強いのであればおおいにやるべきだと思う。ただし、日本人学生が外国人学生をアテンドするという性格を踏まえると、何か面白いことをやりたいという思いはお客様目線では全くなく、自己満足的なものであることには自覚的であるべきだと思う。また、この欲求が自分だけのものか日本人チームで共有されているかも重要。自分が面白いことやりたいからお前らもやりたいはずだ、という発想は避けるべき。他の人はそれぞれ別の思いにより参加を決めている可能性が高い。
・JTの機会費用も考慮した方がいいのでは:
膨大な準備時間→日本人同級生と話し合ったり作業したりする時間。やっている最中はなんとなく有益な時間を過ごしているような感覚を得るが、留学中という状況を踏まえるとおそらく外国人同級生と触れ合ったりしている時間の方が有益である可能性が。しかも仕事内容自体は高校生レベルだし(かといってちゃんとできるとは限らないのだが)。かなりの時間を日本人同級生と費やすことって、実は立ち止まってよく考えていい論点だと思う。
貴重な休みが潰れる→春休みだか夏休みだか、3000ドルくらい。これだけの金と時間があれば、インドでも中国でも南米でも行けちゃう。金持ちの人は「別途南米いきゃよくね?」ということになろうが、いずれにせよジャパントリップを挙行することで相応の金と時間が吹っ飛ぶことは確か。
以上のような負の側面を考慮してもなおやりたいというパッションがあるなら、大いにやるべきだと思う。負の側面を考慮してもなおやりたいというくらいだから、きっとその熱意は長続きするだろうし企画の成功確率も高まるだろう。ただ、その辺の論点について考慮もせず軽いノリで参加を決めてしまうと、途中で「思ったより大変」「外国人同級生との飲み会断って日本人と話し合いしてるっていいのかな」といった揺らぎが出てきてしまう。そういう意味でも、投資信託の販売ではないが、リスクをちゃんと考慮してその上で参加有無を決めた方がいいと思う。少なくとも自分はこういった論点について思いを馳せることなくノリで参加して、途中でこういったリスクがあることを認識しテンションを落としてしまったので、同じ轍を踏んでほしくないと思っている。アントレプレナーとはリスクを無視して突き進むものではなく、誰よりも正確にリスクを認識リスクを最大限コントロールした上でチャレンジするものであると思う。
*あくまで一般的な話であり、UCLAのMBAに限った話ではないしUCLAの1年生を対象とした話でもないのであしからず。。
○ここ最近見聞きした話をベースとして感じていること:
・「問題なのはWhat to doではなくHow to do it」というのがこれまでの自分の認識だった。禁煙した方がいいというWhat to doは大抵の場合当事者にとって言われなくてもわかっていることであり、どうすれば禁煙できるか、すなわちHow to doが主要な論点なのだと思っていた。
・しかし、How to do itも大事かもしれないがHow to attain something without doing itも同じくらい重要なのではないかと思うようになっている。
健康という大目標があって、そのソリューション(What to do)の一つに禁煙があったとする。で、どうやったら禁煙できるか考えることももちろん大事ではある。だがむしろ、禁煙できないという立場からスタートして禁煙なしで健康を達成するにはどうすればいいかと考える発想こそが大事なんじゃないかという発想。
・現状追認的という誹りを受けうる考え方なのかもしれないが、少なくとも問題意識からスタートすることで導出される「理想のソリューション」を実行することだけが最適唯一の方法であると考える必要はまったくないのじゃないかしらというあたりで思考が滞留しているところ。「タバコは吸ってもいいけど、野菜をたくさん食べることで体のコンディションを整えると良い」みたいな感じで、現状を無理にブレイクせず現状をベースとした解決策を提案することも検討せんといかんのではないかという思いがもやもやしている。まあそれこそが今の日本の財政なのかもしれないが。
○ジャパントリップ思考実験
・多くのMBAで、ジャパントリップ(JT)の準備が始まる季節。JTが日本人学生にとって概して素晴らしい経験となりうることはおおいに賛同する。だが、その素晴らしさがJTに行かないことで得られる素晴らしさと比較してどうなのかも検討した方がいいんじゃないかという思考実験。やり方としては、一般的に言われているメリットが果たして本当にメリットなのか検討し、その後あまりスポットライトが当たらないJTの機会費用について整理してみる。趣旨は一方的にDiscourageすることではなく、下記のような各種論点を包括的に考慮した上で参加・開催の有無を決めた方がいいだろうと思い。
・JTは色々なメリットをもたらしてくれる。だが、そのメリットには若干ながら再検討の余地がある:
日本人学生のプレゼンスの向上→JTはかなりの可能性で日本人学生あるいは自分自身のプレゼンス向上に寄与する。とはいえ、「日本人学生のプレゼンス向上」は自分個人にとって本当に価値あることか?自己満足を言い換えただけではないか?また、プレゼンス向上のために自分達がその辺でパフォーマンスを披露するというのはわかるが、プレゼンス向上のために外国人に旅行というサービスを売るというのは、主客逆転のように感じられるのは自分だけだろうか。
リーダーシップ経験→もちろん、やれば相応のリーダーシップ経験は得られる。少なくともレジュメに何か書けるだろう。とはいえ、旅行のアレンジ程度のリーダーシップ経験なら学部あるいは高校生のときに既にやったことがあるはず。ビザやら飛行機やら特殊なロジが加わるが大したものではない。他にもリーダーシップの機会はいっぱいある。他を頑張らず、やりやすそうなJTで急に張り切るのはどうなのか。
何か面白いことやりたいという素朴な欲求→個人的には、これが強いのであればおおいにやるべきだと思う。ただし、日本人学生が外国人学生をアテンドするという性格を踏まえると、何か面白いことをやりたいという思いはお客様目線では全くなく、自己満足的なものであることには自覚的であるべきだと思う。また、この欲求が自分だけのものか日本人チームで共有されているかも重要。自分が面白いことやりたいからお前らもやりたいはずだ、という発想は避けるべき。他の人はそれぞれ別の思いにより参加を決めている可能性が高い。
・JTの機会費用も考慮した方がいいのでは:
膨大な準備時間→日本人同級生と話し合ったり作業したりする時間。やっている最中はなんとなく有益な時間を過ごしているような感覚を得るが、留学中という状況を踏まえるとおそらく外国人同級生と触れ合ったりしている時間の方が有益である可能性が。しかも仕事内容自体は高校生レベルだし(かといってちゃんとできるとは限らないのだが)。かなりの時間を日本人同級生と費やすことって、実は立ち止まってよく考えていい論点だと思う。
貴重な休みが潰れる→春休みだか夏休みだか、3000ドルくらい。これだけの金と時間があれば、インドでも中国でも南米でも行けちゃう。金持ちの人は「別途南米いきゃよくね?」ということになろうが、いずれにせよジャパントリップを挙行することで相応の金と時間が吹っ飛ぶことは確か。
以上のような負の側面を考慮してもなおやりたいというパッションがあるなら、大いにやるべきだと思う。負の側面を考慮してもなおやりたいというくらいだから、きっとその熱意は長続きするだろうし企画の成功確率も高まるだろう。ただ、その辺の論点について考慮もせず軽いノリで参加を決めてしまうと、途中で「思ったより大変」「外国人同級生との飲み会断って日本人と話し合いしてるっていいのかな」といった揺らぎが出てきてしまう。そういう意味でも、投資信託の販売ではないが、リスクをちゃんと考慮してその上で参加有無を決めた方がいいと思う。少なくとも自分はこういった論点について思いを馳せることなくノリで参加して、途中でこういったリスクがあることを認識しテンションを落としてしまったので、同じ轍を踏んでほしくないと思っている。アントレプレナーとはリスクを無視して突き進むものではなく、誰よりも正確にリスクを認識リスクを最大限コントロールした上でチャレンジするものであると思う。
*あくまで一般的な話であり、UCLAのMBAに限った話ではないしUCLAの1年生を対象とした話でもないのであしからず。。
Thursday, October 6, 2011
モチベーション考
○ここ最近はみっちり学業に勤しんでいる。馬鹿丁寧にすべてのリーディングを読み、宿題はちゃんと全て予習して臨み、わからないところを明確にして授業に臨み教授に質問して、等々。リサーチも始まったばかりだがとりあえず動き出した。そろそろ取りこぼしが出てきそうな雰囲気だし、初期の高いテンションもややなくなっているのを感じはするのだが、まだなんとか踏ん張れている。
○今日ふと思ったのは、自分、あるいは他の学生にとって、MBAでみっちり勉強するインセンティブってどこにあるのだろうということ。
・勉強を頑張らないとドロップアウトする?
→ドロップアウトしない。アメリカの大学は入るのは簡単で出るのは難しいと言う話を聞いたことがあるが、少なくともMBAについてはこれは当てはまらないと思う。むしろ、入るのが難しくて出るのが簡単という方が現実に近いと思う。卒論もないし、授業のレベルも学部レベル+αといった程度のものが少なくない。PhDとか研究職大学院であれば事情はまったく異なると思うが、少なくともMBAで「全力で勉強しないと落第する」という危機意識を持っている人は見たことがない。他の事が忙しくて勉強に充てる時間が足りず苦しんでいる人は少なくないが、他のことを犠牲にしてまで勉強しないといけないという態度の人はあまり見ない。
自分としても、ドロップアウトのことなど1ミリも想定していないので、ドロップアウトの危機意識が自分の向学心を支えているということも全くない。
・卒業後の仕事に使う?
金融機関に戻る自分にとって、表面的にはほぼすべての授業が帰国後役に立つ。ファイナンス、会計のみならず、マーケティングや組織論なども顧客への各種提案に使える。といいつつも、率直にいって、今自分がMBAで学んでいるものが職場で即座に役に立つかというとあまり自信がない。自分の勤務先は仕事内容とMBAの勉強内容の重なりがかなり大きい方だとは思うが、それでもやっぱりそれほど即座に役に立つかというとあまりそうは思っていない。「MBAの机上の空論より、2年間現場で揉まれた方がいいに決まってる」と言われてしまうと残念ながらうまいこと反論できそうにない。もちろん、いくつか反論になるようなことは言えると思うが、口論になったら多分勝てないと思う。少なくとも、自分にとって「戻ったら使う知識だから」ということは学業上のインセンティブにはなっていないように思われる。選択科目選びの一つの判断基準にはなっているけど、その程度。
・派遣元の目もあるし??
派遣してくれたスポンサーに説明がつく程度には勉強しないと戻ってから怒られる、それはオハナシとしてはインセンティブの一つになりうると思う。ただ、言ってしまうと、そんなにきっちり派遣元にチェックされるとは考えられない。少なくとも自分の派遣元は、おそらく「2年間こなして帰ってくればいい」くらいに思っているのではないかと感じている。事実、入学して1年ちょっと経過しているが、どんなことを学んでいるかとか、現時点での成績はどうかとか、何かを問い詰められたことは全くない。なので、「会社に怒られない程度には頑張らなくちゃ」というのは、自分にとって主要なインセンティブとはなっていない。少なくとも「会社が求めそうな授業を取ろう」という発想は全くしたことがないし、社内選考のとき言っていたような授業とは違う授業も取ってしまっている(すいません)
・仲間に迷惑かけられない??
多くの宿題はチーム単位で課される。そのため、手を抜くとそれがチームメイトに露呈し、その場で非難されたり評判が落ちて自分と組んでくれる人が減ったりするということがありうる。実際、自分は組んで駄目だと思った人や評判の悪い人とは組まないようにしている。そういったことがあるため、クラスメートに迷惑をかけない程度には頑張って勉強しないといけないという思いは理屈の上では一つのインセンティブとなる。
自分にとっても、これはひとつのインセンティブとなっている。自分は特に英語が完璧ではないので、こういったグループワークは自分を売りこむひとつの好機であり、ここで頑張っておきたいという思いは自分にとってそこそこいいインセンティブとして機能している。
ということで、率直に言って、多くのMBA学生にとって、MBAにおいて学業に専念するインセンティブは特に備わっていないのではないかと感じられる。「卒業できる程度に頑張る」という最低限度のインセンティブは共有されていると思うが、「どこまでも頑張る」とあくなきモチベーションとかは共有されていないと思う。実際、殆ど全ての学生にとって、論点は「いかに他の事をしつつ勉強もマネージするか」であって勉強それ自体ではないように感じられる。
・では何がインセンティブなのか??
ここまで挙げた論点は、多少は自分にとってインセンティブになっているようにも思われるが、主要なものではない。しかし、実際問題、自分はいまのところ授業あるいは勉強にモチベーションを発揮できていると認識している。となると何かしら他のモチベーションが存在することになるが、さてそれはいったいなんだろうか。あれこれ考えてはいるが、つまるところ、①好奇心②とにかく何かしら全速力で走っておかないとまずいんじゃないかという根拠レスな不安の2つあたりかなと感じている。
①好奇心
日本で受験とか熱心にやったからかもしれないが、自分はさほど才能はないとはいえ勉強することや知識を得ることそれ自体に少なからず充足感を感じるような気がする。自分にとってMBAの勉強は金とか仕事のための手段というより、それ自体が目的であるような気がする。一言で言うと自己満足とかマスターベーションということになってしまうのかもしれない。しかもその知的好奇心や知的水準がむちゃくちゃ高いというわけでもないのが痛いとも思われる。でもまあそれはそれとして、自分にとっての最大の原動力は「勉強それ自体が楽しい」ということなんじゃないかと思う。UCLAあるいは米国教育法が知的好奇心を刺激してくれているという側面もあると思う。なので、自分は「勉強なんて二の次」とか「授業にはもう飽きたのでインターン云々」という考え方をする人のことを尊敬もするしぶっちゃけそういう考え方の方がPracticalなんだと思うが、自分の考え方とは違うと思っている。
②根拠なきストレッチ圧力
残念ながら自分も小さな人間であり、自分のことを絶対評価することはあまりできていない。やはり、基本は相対評価となってしまっている。彼より成績が悪いとか、彼女より出遅れているとか、あいつには負けてないなとか。なので、会社の同期やら同世代の友人の活躍や努力は自分にとって割と刺激あるいはプレッシャーになる。自分の同世代の友人たちの殆どは留学ではなく仕事をしているので、金がかかっていることから自分には想像もつかないくらいの真剣さで仕事に取り組んでいるのではないかと推察される。必要な知識をインプットして、関係者を必死に説得して、寝る間を惜しんで一枚でも多く提案書を作って、等々。同世代の人々が必死にそれぞれの責務に取り組んでいることを考えると、MBAの2年間はアドバンテージというよりはリスクとなりうる。単に学校でのほほんとしているだけでも年率1%くらいは成長するかもしれないが、他の皆はこの2年間平均して年率10%くらいで腕を上げているとすると、相対的には自分の成長はマイナス9%になってしまう。。
今はツイッターやらFBがあるので、友人の頑張りやら頑張った結果やらが比較的簡単に参照できてしまう。あるいは目に入ってきてしまう。その結果、自身をつい相対評価してしまう自分としては否が応でも動揺してしまい、相対的にマイナス9%になってはしないかと不安になってしまうのだ。
とかなんとか考えると、じゃあ仕事すっかという発想もあるのかもしれないが、基本的には「今できること、すなわち学業を彼ら並みの必死さでやるしかないのではないか」という感じの発想が出てくる。この勉強が自分をあるべき方向に成長させてくれているかは皆目見当がつかない。勉強を頑張っても何にもならない可能性も少なくないような嫌な予感もないわけではない。それでも、今頑張れるものがこのくらいしかないのであれば、とりあえず勉強を頑張るしかないのではないか。少なくとも、何かを必死にやる慣習さえ身に着けておけば、帰国後「自分をあるべき方向に導いてくれるものそのものズバリ」について同程度の頑張りで取り組むことができるような気がする。仮に勉強が無意味なものであったとしても、全速力で取り組む慣習をつけておかなければ、目の前に意味のある何かがあらわれても直ちに全力疾走できないのではないだろうか。「自分でタスク作り過ぎて眠る時間が減ってしまい、その結果朝の目覚めが悪くて妻に愚痴を言ってしまう」とか、そのくらいのシンドイ状態に自分を追い込んでおかないと帰国後本番が訪れたときに全速力で走れない体になってしまうのではないか...
なんちゅうか、「将来どの分野に進むかわからないけど、とりあえず筋トレはしっかりやっておいた方がいい」みたいなイメージが自分のモチベーションの一つになっている気がする。なんだか極めて昭和的・情緒的な感じで、きわめて今風ではない気がするのでアレだが。
なんかしょぼいけど、目下はそういったものが自分のモチベーションなのではないかと感じている。まあそもそも自分の原動力が何か突き止める必要がそもそもないのかもしれないけど、つらつらと思ったので書き留めておいた。
○今日ふと思ったのは、自分、あるいは他の学生にとって、MBAでみっちり勉強するインセンティブってどこにあるのだろうということ。
・勉強を頑張らないとドロップアウトする?
→ドロップアウトしない。アメリカの大学は入るのは簡単で出るのは難しいと言う話を聞いたことがあるが、少なくともMBAについてはこれは当てはまらないと思う。むしろ、入るのが難しくて出るのが簡単という方が現実に近いと思う。卒論もないし、授業のレベルも学部レベル+αといった程度のものが少なくない。PhDとか研究職大学院であれば事情はまったく異なると思うが、少なくともMBAで「全力で勉強しないと落第する」という危機意識を持っている人は見たことがない。他の事が忙しくて勉強に充てる時間が足りず苦しんでいる人は少なくないが、他のことを犠牲にしてまで勉強しないといけないという態度の人はあまり見ない。
自分としても、ドロップアウトのことなど1ミリも想定していないので、ドロップアウトの危機意識が自分の向学心を支えているということも全くない。
・卒業後の仕事に使う?
金融機関に戻る自分にとって、表面的にはほぼすべての授業が帰国後役に立つ。ファイナンス、会計のみならず、マーケティングや組織論なども顧客への各種提案に使える。といいつつも、率直にいって、今自分がMBAで学んでいるものが職場で即座に役に立つかというとあまり自信がない。自分の勤務先は仕事内容とMBAの勉強内容の重なりがかなり大きい方だとは思うが、それでもやっぱりそれほど即座に役に立つかというとあまりそうは思っていない。「MBAの机上の空論より、2年間現場で揉まれた方がいいに決まってる」と言われてしまうと残念ながらうまいこと反論できそうにない。もちろん、いくつか反論になるようなことは言えると思うが、口論になったら多分勝てないと思う。少なくとも、自分にとって「戻ったら使う知識だから」ということは学業上のインセンティブにはなっていないように思われる。選択科目選びの一つの判断基準にはなっているけど、その程度。
・派遣元の目もあるし??
派遣してくれたスポンサーに説明がつく程度には勉強しないと戻ってから怒られる、それはオハナシとしてはインセンティブの一つになりうると思う。ただ、言ってしまうと、そんなにきっちり派遣元にチェックされるとは考えられない。少なくとも自分の派遣元は、おそらく「2年間こなして帰ってくればいい」くらいに思っているのではないかと感じている。事実、入学して1年ちょっと経過しているが、どんなことを学んでいるかとか、現時点での成績はどうかとか、何かを問い詰められたことは全くない。なので、「会社に怒られない程度には頑張らなくちゃ」というのは、自分にとって主要なインセンティブとはなっていない。少なくとも「会社が求めそうな授業を取ろう」という発想は全くしたことがないし、社内選考のとき言っていたような授業とは違う授業も取ってしまっている(すいません)
・仲間に迷惑かけられない??
多くの宿題はチーム単位で課される。そのため、手を抜くとそれがチームメイトに露呈し、その場で非難されたり評判が落ちて自分と組んでくれる人が減ったりするということがありうる。実際、自分は組んで駄目だと思った人や評判の悪い人とは組まないようにしている。そういったことがあるため、クラスメートに迷惑をかけない程度には頑張って勉強しないといけないという思いは理屈の上では一つのインセンティブとなる。
自分にとっても、これはひとつのインセンティブとなっている。自分は特に英語が完璧ではないので、こういったグループワークは自分を売りこむひとつの好機であり、ここで頑張っておきたいという思いは自分にとってそこそこいいインセンティブとして機能している。
ということで、率直に言って、多くのMBA学生にとって、MBAにおいて学業に専念するインセンティブは特に備わっていないのではないかと感じられる。「卒業できる程度に頑張る」という最低限度のインセンティブは共有されていると思うが、「どこまでも頑張る」とあくなきモチベーションとかは共有されていないと思う。実際、殆ど全ての学生にとって、論点は「いかに他の事をしつつ勉強もマネージするか」であって勉強それ自体ではないように感じられる。
・では何がインセンティブなのか??
ここまで挙げた論点は、多少は自分にとってインセンティブになっているようにも思われるが、主要なものではない。しかし、実際問題、自分はいまのところ授業あるいは勉強にモチベーションを発揮できていると認識している。となると何かしら他のモチベーションが存在することになるが、さてそれはいったいなんだろうか。あれこれ考えてはいるが、つまるところ、①好奇心②とにかく何かしら全速力で走っておかないとまずいんじゃないかという根拠レスな不安の2つあたりかなと感じている。
①好奇心
日本で受験とか熱心にやったからかもしれないが、自分はさほど才能はないとはいえ勉強することや知識を得ることそれ自体に少なからず充足感を感じるような気がする。自分にとってMBAの勉強は金とか仕事のための手段というより、それ自体が目的であるような気がする。一言で言うと自己満足とかマスターベーションということになってしまうのかもしれない。しかもその知的好奇心や知的水準がむちゃくちゃ高いというわけでもないのが痛いとも思われる。でもまあそれはそれとして、自分にとっての最大の原動力は「勉強それ自体が楽しい」ということなんじゃないかと思う。UCLAあるいは米国教育法が知的好奇心を刺激してくれているという側面もあると思う。なので、自分は「勉強なんて二の次」とか「授業にはもう飽きたのでインターン云々」という考え方をする人のことを尊敬もするしぶっちゃけそういう考え方の方がPracticalなんだと思うが、自分の考え方とは違うと思っている。
②根拠なきストレッチ圧力
残念ながら自分も小さな人間であり、自分のことを絶対評価することはあまりできていない。やはり、基本は相対評価となってしまっている。彼より成績が悪いとか、彼女より出遅れているとか、あいつには負けてないなとか。なので、会社の同期やら同世代の友人の活躍や努力は自分にとって割と刺激あるいはプレッシャーになる。自分の同世代の友人たちの殆どは留学ではなく仕事をしているので、金がかかっていることから自分には想像もつかないくらいの真剣さで仕事に取り組んでいるのではないかと推察される。必要な知識をインプットして、関係者を必死に説得して、寝る間を惜しんで一枚でも多く提案書を作って、等々。同世代の人々が必死にそれぞれの責務に取り組んでいることを考えると、MBAの2年間はアドバンテージというよりはリスクとなりうる。単に学校でのほほんとしているだけでも年率1%くらいは成長するかもしれないが、他の皆はこの2年間平均して年率10%くらいで腕を上げているとすると、相対的には自分の成長はマイナス9%になってしまう。。
今はツイッターやらFBがあるので、友人の頑張りやら頑張った結果やらが比較的簡単に参照できてしまう。あるいは目に入ってきてしまう。その結果、自身をつい相対評価してしまう自分としては否が応でも動揺してしまい、相対的にマイナス9%になってはしないかと不安になってしまうのだ。
とかなんとか考えると、じゃあ仕事すっかという発想もあるのかもしれないが、基本的には「今できること、すなわち学業を彼ら並みの必死さでやるしかないのではないか」という感じの発想が出てくる。この勉強が自分をあるべき方向に成長させてくれているかは皆目見当がつかない。勉強を頑張っても何にもならない可能性も少なくないような嫌な予感もないわけではない。それでも、今頑張れるものがこのくらいしかないのであれば、とりあえず勉強を頑張るしかないのではないか。少なくとも、何かを必死にやる慣習さえ身に着けておけば、帰国後「自分をあるべき方向に導いてくれるものそのものズバリ」について同程度の頑張りで取り組むことができるような気がする。仮に勉強が無意味なものであったとしても、全速力で取り組む慣習をつけておかなければ、目の前に意味のある何かがあらわれても直ちに全力疾走できないのではないだろうか。「自分でタスク作り過ぎて眠る時間が減ってしまい、その結果朝の目覚めが悪くて妻に愚痴を言ってしまう」とか、そのくらいのシンドイ状態に自分を追い込んでおかないと帰国後本番が訪れたときに全速力で走れない体になってしまうのではないか...
なんちゅうか、「将来どの分野に進むかわからないけど、とりあえず筋トレはしっかりやっておいた方がいい」みたいなイメージが自分のモチベーションの一つになっている気がする。なんだか極めて昭和的・情緒的な感じで、きわめて今風ではない気がするのでアレだが。
なんかしょぼいけど、目下はそういったものが自分のモチベーションなのではないかと感じている。まあそもそも自分の原動力が何か突き止める必要がそもそもないのかもしれないけど、つらつらと思ったので書き留めておいた。
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